2012年05月15日
良くできてるけど嫌い/虚淵玄『白貌の伝道師』 感想

白貌の伝道師 (星海社FICTIONS)
「白貌の伝道師」は、2004年にコミケで売られたニトロ+の公式同人小説です。これが、虚淵玄のメジャー化に伴って、商業出版されたのが今回の星海社版です。
公式同人を追いかけるようなファンじゃありませんでしたので、私もこれが初見になります。
内容は、ファンタジー世界で一辺の曇りもなく真っ黒な悪人が、ドス黒い悪事を敢行する話。いや本当、それだけで全部言い表せてしまう代物です。
恋人に裏切られて陵辱されたところを救われたハーフエルフの少女と、それを救った謎のエルフを中心に話が進みますが、徹頭徹尾ひどい事しか起きません。まあ、惨劇を描く作品自体は良いのですが、本当にひたすら悪の哄笑がが木霊する風情で、正直読んでいて困惑しました。
いや、色々出来は良いんですよ。編まれていくたちの悪い陰謀だったり、クズとゲスが登場人物の大部分だったり、何処を探しても救いなんか欠片も無い徹底さ加減とか、同人の面目躍如と言えるかもしれません。
ただ、主人公が余りに無敵すぎて、同系統のラノベと逆方向で「はいはい、どうせ惨劇は回避できないんでしょ」みたいな気分になってしまうところはかなり問題。話の内容は絶望的なのですが、精神にクル物が少ないのは、この辺が原因じゃないかと思います。もっとこう、希望をちらつかせた上で絶望に叩き込まないと、読者としては受けるショックが軽くなってしまうわけで。
勿論、そんなもん読みたいかと言われたら、現段階でお腹いっぱい、と答える所ですが。
ただ、救いが全くないと逆に単調になるのは確かですし、何より話にメリハリが効きません。例えば、巨匠スティーブン・キング先生の諸作なんか(特に初期作品は)後味悪い悲劇ばっかりなんですが、後に何も残らないかというとそうでもない。むしろ残る希望や人間性にこそ、絶望を強調する味わいが出てくる。(その意味で、デビュー作のキャリーはこの作品と同じパターンですね)そう言った豊穣さは、やはり不足していると思います。
とは言え、結局この物語は、虚淵玄と言う「ひっでえ話ばかり書いているシナリオライター」のファンに向けて書かれた物なわけで、その意味で間違っていないのでしょう。まあ、まどか☆マギカで増えたファンがこれを書店で手に取る悲劇が目に浮んで、眉がひそまるわけですが。
あと、これも同人らしいと言いますか、作者が興味関心情熱を注いだ部分以外は、超適当。何しろ、いきなり「エルフ」で「レンジャー」で「トレント」ですよ。"水野良"と言う不吉な言葉を彷彿とさせるほど、20年前のお約束設定・単語で構成された世界は、一周回って驚かされました。独自性なんて、はなから欠片もありません。虚淵源は、当時のオタクらしくTRPGゲーマーだったらしいので、一番書きやすかったのでしょうが。
とまあ、虚淵源をまどか☆マギカで知ったわけではない、昔からのファンにはお勧めと言った内容でした。もっとも、そんな連中は9割方発売当時(8年前)に買っているはずなわけで、今となっては書店ラノベ棚のブービートラップとしか言いようが無いと思います。
いや、書いたとおり、シナリオ構成や文章は、間違っても悪くないのですけどね。
でも個人的感想としては、「俺、これ好きじゃない」と言っておきます。多分、作者にとって、これが一番の誉め言葉になってる気もするわけですが。
当BLOG内の、虚淵玄の著作関係エントリーはこちら。
当BLOG内の、まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
2012年05月13日
綺麗に終わった良作/「魔法使いの夜」 感想3・クリア

魔法使いの夜 初回版
感想その1・その2はこちら。
時間の無さというのは本当に恐ろしい物で、GWに至ってやっと再開でき、終わったときにはこの始末。まあ、普通なら中断即フェイドアウトとなるノベルゲームで、最後までやり通せたと言う事は、間違いなく魅力的な作品だったと言う事でしょう。
と言うわけで、ラストとなる感想3は第8章からラストまでです。
一応、アーカイブで未読の物が少しだけあるのですが、大勢は変わらないでしょうから。
さて、いきなり否定から入りますが、やはり時間軸のおかしさは健在。8章冒頭で主たる舞台が「80年代後半」と改めて明記されています。「バブル末期」とも。そのくせペットボトルの水がどうこうとかやらかしていたりするので(ペットボトルで水が売られ始めたのは90年代以降のはず。我が家は「六甲のおいしい水」をたまに買ってましたから、良く憶えています)、また引っかかります。もう気にしても仕方ないのかも知れませんが、一番基礎的な時代の描写部分が何故こうなのか。
一方、全くほのぼのなどしていないのに穏やかな日常の描写は見事で、良く模倣される戦闘描写(今回更に磨きがかかりましたが)と同じくらい、センスを感じます。男料理の下りとか、有珠と草十郎のキャラクターを実に自然に演出していて出色。
生きてたのかよ!?とか叫びたくなる、アホな元遊園地経営者の爺さんとかも。
ところで、最初の方とラスト近辺で、青子は地の文(独白)で姉が出奔したから後継者になった、と言っていたはずなのですが、あれはブラフだったのでしょうか?あるいはあの文章の意味は、姉が居なくなったので、修行の方法が変わったと言う事?
そして、ゆっくりした展開は良いのですが、日常シーンが続くと背景やスクリプトの流用が目立ってきます。同じ場所で同じペースの話が展開するから当然なのですが、こうなると序盤の圧倒的な物量との落差で、良い意味でのハッタリ、つまり化けの皮が剥がれて行ってしまいます。
逆に、手抜きを上手く使って目先を変えた「なぜなにプロイ」は、緩急として上手く機能していました。
他の幕間エピソードでは、「リア充爆発しろ」状態の自転車二人乗りの内容が、「水分豊富な関東圏の雪が積もった曲線坂道をノンブレーキで疾走」という、サドンデスな内容だったことに胃が縮む思いを味わったり。いやあ、洒落になってませんよ。
と、細かい話は置いておいて、ひとまず全体のバランスについて。
結局、作品にちぐはぐな印象を与えるのは、後半に至るまでのリズムじゃないかと思うのです。
例えば、プレイ開始後長い長い日常シーンが飽きるほど続き、最初に出てくる本格的なアクションシーン(魔法使いの夜1)は、全体の1/4経過後なわけです。しかも、ここで大きな戦闘イベントが三連続で投入され、今度は逆に読んでいる側は疲れてきます。戦闘シーンというのは、大きなイベントである一方、話の展開としては動きがありませんから。(戦闘と言うのは、あくまでも物語上の中間目的達成過程)
そしてそれが終わると、今度は何と全体の半分ほどの長さが、ずっと続く日常シーン。たまに物騒なイベントが挟まっては居ますが、一コマ漫画程度の分量。
今回、ぶっ続けにプレイできたわけではないので尚更そう感じたのかもしれませんが、中盤までのテンポが良くありません。書いたとおり、個々のシーンはできが良いだけに、勿体ない事になっています。
これは、画面演出がスキップできないために、無闇に待ち時間が多くなってしまった事も絡んでくるはずです。
とは言え、後半の戦いは、一夜の戦いの内容を分割して間にシーンを挟むなどして、上手く処理して居るんですよね。年代関係の誤りも考えると、推敲が足りなかったんでしょうか?開発期間を考えると、普通そんなわけ無いと思うのですが……
一方、雰囲気作りは後半に行くにしたがってどんどん上手くなっていきます。これは、冷たく鋭利な空気、孤独を強調する蒼さと言った、作者が本来得意とする舞台装置が増えて行くためでしょう。前半の廃園などは、あくまでも本来賑やかな場所に人影が耐えていることから来る寂寞ですが、後半の舞台はそもそも人を拒むような荒涼とした光景を醸し出します。人家や公園と言った、本来人の温かさが染みついているはずの場所という意味で、前半と変化がないにも関わらず。
そしてですね、やっぱり文章の勢いと描写力は凄いんですわ。私、何度となくFATEの「結局一本調子の力押し」な戦闘を腐しているわけですが、にもかかわらず戦闘シーンが面白いと言うのは事実なわけですから。
更に今回は、演出上の「ため」と「アクション」の比率が前者寄りになると共に、全体的に流れと文章量がシェイプアップされ、切れ味が更に増しています。草十郎の活躍シーンなんか、お約束そのもなわけですよ。「普段最弱土壇場最強」のダルタニアン・メソッドで、展開にひねりもなければ伏線すらまともに張られていません。ところが、これが滅法格好良い。そして見事に簡潔にまとめられている。
身も蓋もないことを言えば、今回の演出手法上、手間をコストのかかるアクションシーンは最低限にせざるを得なかった結果なわけです。しかし、これが結果として冗長さに流れがちな戦闘シーンを上手く制御し、展開を引き締めて見栄えのするシーンを作り出しているのですから、何の問題もありません。
当然ながらそう言った配合が機能するためには、前提として作者が高レベルで構成をまとめ上げる能力を持っているのが必要で、つまりは「さすが」と言うべきなのでしょう。
ただ、その「強さ」の理論は、相変わらず酷い物。
折角魔術関係の設定を色々作ったのですから、「相手の非常識さを認識できないせいで神性が無効化されて、彼の認識通り『ただの巨大な狼』としての力しか機能しなかった」とかなんとか、適当な理屈はでっち上げられると思うんですよ。この辺、SFであれファンタジーであれ、設定から世界観を作り込んでいく話と、作者は余り相性が良くないですよね。結局、FATEの最後は力押しになってしまう戦闘というのも、こう言った設定を基にして「主人公を勝たせる論理」を組み上げられず、勢いに頼ってしまうと言う事に他ならないわけですから。
まあ、それも作風で実際受けているわけですから、好みの問題と言ってしまえばそれまでなのでしょうが……
とは言え、これは逆に作者の力量を示す物でもあります。
ご都合主義の展開、力押しの勝利とハッピーエンドを納得させる最も強力な方法は、小利口な理屈でも緻密な設定でもなく(それらでも当然可能ですが)、強力な描写でもって読者を共感させることなのですから。そして、そういったセンスと練り込みこそ、何者にも代え難い作者の能力に他ならないわけです。大体どんな物語でも、あらすじを三行にまとめれば陳腐その物で、善し悪しとはつまり、そんな代物を読者に納得させられたかどうかで決まる物です。KANONの安易で陳腐なハッピーエンドが、多くの人を感動させてノベルゲームの金字塔となったその方法が典型ですね。それまでの物語で強力に感情移入させられたプレーヤーが「どんな陳腐でもいい、この物語に救いを!」と願った瞬間、正に奇跡が起きる事で、モニターの中と外のシンクロが最高潮に達するわけです。その前提である、オーラスに向けての盛り上げ・積み重ねや、演出の巧みさ・綿密さを見ずに、安易な展開で良しと言う誤った教訓を読み取った作品がどうなったかは、まあ知ってのとおり。
従って、宇宙の「熱的死」に対する許し難い誤りとかは、一部の好事家が気にするだけの話なので、本筋ではないのです。ええ、あくまでも、一部の人間が目を剥いてモニターを蹴飛ばそうとするだけですから。
未来にエネルギーを飛ばした場合、確かに現在のエネルギー総量が変化しますが、それは同一時間軸で考えればの話。5分間が消えて別の「時間」に追加されるなら、それはエネルギーの総量がその時点で増加し、熱的死の回避に働くことになります。
まあこんなのは、ありふれたエントロピーの誤用と同様なのかも知れませんが…… でも、あっちこっちで為される「エントロピー」の誤用(最近だとまどか☆マギカが代表)大体は、作品内で言及される「エネルギー」を「利用可能なエネルギー」と言い換えれば正しかったりするので、こっちのがはるかに気になります。
なお、BGMは総じて雰囲気が良いんですが、その1で書いた最初の音楽と、ラスト付近の田舎道での会話シーンのは明らかに不協和音。基本的に私は音楽のセンスがないのでこう言う部分に言及しないんですが、あからさまに聴覚をひっかくような音に困惑させられました。本当、何なんでしょうね?
まあそんなわけで、相変わらず突っ込むところも多かったのですが、総じて出来の良い、力の入った良作でした。また特筆すべきは、最初に書いたFATEのような、極端に不快なキャラクターが居なかったという点です。厨二PC丸出し(ああ言うキャラを作るPLが居た場合、GMは、プレイを始める前に設定面を徹底的に突っついて、シナリオをまともに進められるかどうか確認する必要があります)の神父とか、かなりひどい事をやっているのに作者補正でひいきされている橙子とか、危ないのは居るんですが、FATEの主人公様と違って抑えめですし余裕で許容範囲内。大幅に強化されたグラフィックと同様、作者の力量アップを感じさせます。
とまあ、私は十分に満足しました。どうもボリューム不足と言われているようですが、市場価格は発売直後から6千円台ですし、かかっているコストを思えば十分だと思います。むしろ、昨今の無意味な重厚長大化を思えば、これくらいの規模こそ有るべき姿だと思います。単純に考えて、最低三十時間とか要求するソフトを、年に何本やれるかという話です。ノベルゲームの売上は絶賛右肩下がりですが、実はファンの総合消費時間はそこまで変わってないんじゃないかと思ったり。
何にせよ、価格分しっかり楽しめたこの作品、私は気に入りました。実は久しぶりのノベルゲームの辺りだったんですよね。エントリーに起こさないところで、記事を書くのも億劫になる地雷を幾つか踏んでたりしますし……
当BLOG内のPCゲーム関係のエントリーはこちら。
当BLOG内のゲーム全般関係エントリーはこちら。
2012年05月10日
いいSFだなあ/『ほしのうえでめぐる』 第1巻 感想
いいSFだなあ/『ほしのうえでめぐる』 第1巻 感想

ほしのうえでめぐる 1 (BLADE COMICS)
SFマガジン書評欄のコミック批評は、今一趣味とずれる事が多い気がするのですが、これは当たりでした。
この『ほしのうえでめぐる』の舞台は、今から恐らく100年は経っていないであろう未来。軌道エレベータが建設されつつある人工島で、その建設事業と少しだけ関わる人々の姿を描く、SF短編集です。
とりあえず、帯にもあとがきにも堂々と「SF」と書かれている姿は、売れなくなる禁句として表に出なかった時代と比較して、ちょっと感動しますね。
さてその内容ですが、基本的にはラブストーリー。エレベータのマスコットキャラ(の中の人)達、技術者とアンティークショップ店主、宇宙産の汚染物質で光を失った少女、そして、軌道エレベータ建設プロジェクトの初期メンバー……
ラブストーリーと聞いて首を傾げるSFファンも居るかもしれませんが、川端裕人が喝破した
ように、宇宙に憧れる情念には強い孤独がつきまとい、一面人間関係からの逃避を含みます。「人類は一人ではない」と言う話に希望を見出すのは、つまり自分が一人ではないと言い聞かせるためだ、みたいな。その意味で、この軌道エレベータとラブストーリーの組み合わせは見事にマッチしますし、恐らく後半で前面に出るであろうファーストコンタクトも上手い配置です。
もっとも、SF好きとしては、宇宙人など登場しなくても、触手の生えた高性能介護ロボット(ドイツ製!)の話だけで、十二分に満足できるのですが。
そして、作者が後書きであえてわざとらしい未来ガジェットは省いたと言っている絵の作りが、魅力の根源となっているように思えます。服装も建設機械も街の様子も現在と変わらず、その中に建設中のエレベータやロボットが自然に入り込む。違和感を感じるのは、たまに出てくる装甲艦くらいでしょうか。
逆説的に、そんな夢を省かれた画面の中だからこそ、夢を語る初期メンバー達の姿が眩しくて、こんなにも心を揺さぶられるのです。
余談ですが、あの軌道エレベータを介していない人類の宇宙進出については、もう少し抑えめにしておいた方が良かった、と言うのが、この作品でもっとも気になったところです。これは、作中での軌道エレベータの存在価値が「誰でも行ける宇宙旅行」とされている所と、セットですが。基本プロットが、軌道エレベータを、宇宙開発を国家のインフラ事業単体ではなく、子ども達の夢へと統合する存在として使っている以上、仕方ないのですが。
本来の軌道エレベータについては、前に紹介した文庫本でもどうぞ。勿論、作者は解って書いているはずです。プロジェクトが建設の方向性を変えるよう要請されていたり、建設途中の姿についてプロジェクト初期メンバーが効率悪いが格好良い!みたいな事を言っていたりしますから。
何にせよ、次の巻も買うのは間違いありません。全10話つまり全2巻で完結することが決まっている作品で、プロットもきちんと決まっているのは確実ですし。エンディングは大体予想できるわけですが、それが問題になるわけもありません。
ええ、とても素敵な作品でした。
当BLOG内の、その他漫画関係のエントリーはこちら。

ほしのうえでめぐる 1 (BLADE COMICS)
SFマガジン書評欄のコミック批評は、今一趣味とずれる事が多い気がするのですが、これは当たりでした。
この『ほしのうえでめぐる』の舞台は、今から恐らく100年は経っていないであろう未来。軌道エレベータが建設されつつある人工島で、その建設事業と少しだけ関わる人々の姿を描く、SF短編集です。
とりあえず、帯にもあとがきにも堂々と「SF」と書かれている姿は、売れなくなる禁句として表に出なかった時代と比較して、ちょっと感動しますね。
さてその内容ですが、基本的にはラブストーリー。エレベータのマスコットキャラ(の中の人)達、技術者とアンティークショップ店主、宇宙産の汚染物質で光を失った少女、そして、軌道エレベータ建設プロジェクトの初期メンバー……
ラブストーリーと聞いて首を傾げるSFファンも居るかもしれませんが、川端裕人が喝破した
もっとも、SF好きとしては、宇宙人など登場しなくても、触手の生えた高性能介護ロボット(ドイツ製!)の話だけで、十二分に満足できるのですが。
そして、作者が後書きであえてわざとらしい未来ガジェットは省いたと言っている絵の作りが、魅力の根源となっているように思えます。服装も建設機械も街の様子も現在と変わらず、その中に建設中のエレベータやロボットが自然に入り込む。違和感を感じるのは、たまに出てくる装甲艦くらいでしょうか。
逆説的に、そんな夢を省かれた画面の中だからこそ、夢を語る初期メンバー達の姿が眩しくて、こんなにも心を揺さぶられるのです。
余談ですが、あの軌道エレベータを介していない人類の宇宙進出については、もう少し抑えめにしておいた方が良かった、と言うのが、この作品でもっとも気になったところです。これは、作中での軌道エレベータの存在価値が「誰でも行ける宇宙旅行」とされている所と、セットですが。基本プロットが、軌道エレベータを、宇宙開発を国家のインフラ事業単体ではなく、子ども達の夢へと統合する存在として使っている以上、仕方ないのですが。
本来の軌道エレベータについては、前に紹介した文庫本でもどうぞ。勿論、作者は解って書いているはずです。プロジェクトが建設の方向性を変えるよう要請されていたり、建設途中の姿についてプロジェクト初期メンバーが効率悪いが格好良い!みたいな事を言っていたりしますから。
何にせよ、次の巻も買うのは間違いありません。全10話つまり全2巻で完結することが決まっている作品で、プロットもきちんと決まっているのは確実ですし。エンディングは大体予想できるわけですが、それが問題になるわけもありません。
ええ、とても素敵な作品でした。
当BLOG内の、その他漫画関係のエントリーはこちら。
2012年05月05日
面白くない! 「ウォーキング・デッド ファーストシーズン」感想

色々素晴らしい評判を聞いていた、ウォーキング・デッドのファーストシーズンを鑑賞しました。
とりあえずPS.storeで買ったんですけど、クレカの認証は五秒で終わるのに、購入したファイルのDL開始に数十秒待たされるとか、客舐めるのもいい加減にしましょうね?全六話のDL開始だけで五分以上取られたんですけど、どうなってるんですか?(DLに時間がかかる事自体は仕方ない話です)
何というか、こう言うのを見せられる度に、「お前等みんなまとめて、AMAZONとGOOGLEに食われちゃえよ」と言う感想しか浮んでこなくなるのが困ります。国産品愛好もやぶさかではないんですが、最低限利便性か価格かどっちか位はライバルとまともな勝負できるようになれ、な?
で、とりあえずDL登録してそのまま放置し、数日後に見た感想は表題のとおり。
予算が豊富と聞いていたんですが、ほとんどのロケはしょぼい採石場としょぼいビルに限定され、下らない尺稼ぎの人間ドラマ(侮蔑)が続きます。宣伝によく使われている、「動く物のない高速道路を馬に乗って歩く主人公」のシーンは良かったですが、それくらい。緊迫感はなく、シナリオラインも適当で、まるで話になりません。
もうとにかく、全然全く「文明が滅んだ世界」を演出できてないんですよ。町並みは綺麗で、道路には廃車もなく、街路にはエキストラが漫然と配置されているだけ。基本的に新作一本ごとにパワー減衰が露骨なロメロ御大が、それでもまだ御大であることを実感させる、と言う意味では勉強になりましたが。
大体、シナリオラインがなっていません。主人公の目的が最初に明示されたはずなのに、シナリオは場当たり的なイベントをこなすばかりですし、目的自体もクソ下らない偶然で完遂。偶然会った相手が家族を保護してたグループの斥候隊でした、とか、何なんですか?最終話でCDCに行く目的とか、出発直後に消滅ですよ。そもそも、その目的を達成できなかった(出発が無意味になった)理由って、悠長に仲間の葬式やってたからですよね?ひょっとして、脚本家はアホなんでしょうか?
肝心のゾンビ物的シーンにしても、世界滅びてから数ヶ月経っているのに、立てこもるでも射界確保するでも溝を掘るでも無く、視界の悪い森の横でキャンプファイヤーやってて襲われましたとか、馬鹿丸出し。お前等全員食われて死んじゃえよ無能、としか言いようが無くなります。と言うか、あれだけ生きるのに必死で様々な策を講じてきた歴代ゾンビ作品の登場人物達を、見習っていただきたい。
確かにゾンビ物の人間ドラマは華ですが、それは「生き残るために協力しなくてはならないのにそうはなれない哀しさ」とか、「快適なサバイバルの中で腐っていく人間関係」とかそう言う物で、つまり異常事態と表裏一体なんですよ。単にキャンプやってるだけのあいつ等の場合、ドラマがまるで本筋に絡めていません。
CDCでたった一人だけ生き残っている研究者とか、なんか裏のありそうな設定なのに特に意味は無いとか、そもそもあの行動の裏付けの無さは何なの?とか、本当に支離滅裂です。
正直、あれだけ質の高い娯楽作品に日常的に接しているはずのアメリカで、こんなクズ作品が絶賛されているのが謎すぎますよ。そして、なんで日本でも絶賛されてるんでしょうか?第2シーズンになると失速云々言われますが、第1シーズンの段階で十分酷いじゃないですか。
まあ確かに、第一話は凄くできが良かったので、どうも一話しか渡されてないっぽいAMAZON事前レビューがああなのは納得もできるのですが。あそこだけなら、ナイスなロメロ直系に見えますしねえ。
とりあえず、見た目が悪人なだけで全員善人のヒスパニック達が守ってる老人ホーム丸ごととか、組み込んだ奴はアホ。楽勝じゃねえか、サバイバル。そのくせ「世界最後の盾」とも言うべきCDCの職員が一人除いて全員自殺&逃亡とか、ふざけるのもいい加減にしろと。こう言う時必ず一人はいるべき軍人(世界の状況を解説したり、冷静な判断力・指導力で話の構成を整理したり、死ぬことで緊迫感を跳ね上げる超便利な小道具)が居ない辺り、まともに人物配置も考えずにドラマ作りやがった感がアリアリです。キャンプ地の人員とか、キャスト組合との契約なのか、脈略なく入れ替わってたりしますしね。
もっとも、ホワイトトラッシュの弟の方とか、「不幸」(-10CP)持ってるととしか思えない韓国系アメリカ人のグエン君とか、キャラは要所で立ってるんですけどね。主人公・白人弟・グエンの三人による、崩壊したアメリカ横断ロードムービーとかだったら、100倍くらい面白くなったと思います。間違いなく。
とりあえずこれ作った連中は、「WORLD WAR Z」(本物の傑作。感想はこちら)をボロボロになるまで読み込んで、話の盛り上げ方とか崩壊して行く世界のリアリティとか、そう言う演出技法を学ぶべきだと思います。映画化楽しみだなあ。ただのドンパチ物にされそうで怖いけど……
当BLOG内の、その他ゾンビ物関連エントリーはこちら。
2012年05月03日
素晴らしいボンクラドンパチ映画/「バトルシップ」 感想
この映画、作品内の描写から、てっきりハープーン(リンク先は野尻先生のBLOG)辺りを元ネタにしたのだと思っていたのですが、ピクロス系統のパズルゲームの方だったんですね。
と言うわけで、映画「バトルシップ」を見てきました。
基本的に宣伝段階で、「空から降ってきたなんか外国人ぽい侵略者と、海兵隊がドンパチするいつものあれ」と言う印象だったのですが、結構違っていましたね。海兵隊じゃなくて海軍の辺りとか。
さて先に結論を書いておくと、こうなると思います。
1,僕や私が期待する、ボンクラドンパチ大戦争。金と技術を大人げなく使って、小学生のような純粋さでドッカンドッカン大爆発!
2,でも、プロットはもうちょっと何とかならなかったの?
いやあ、映像とかドンパチとかは、本当に素晴らしいんです。降り注ぐ爆雷を迎撃するCIW、対艦ミサイルの直撃を受けて炎上する異星の船、そしてミズーリ!馬鹿な話も、あれだけ手間と金をかければ、出来上がるのは正に娯楽大作。どうせ話なんか誰も気にしないのですから、開き直るならこうでなくてはいけません。
実際問題、提示されていた問題はきちんと落ちますし、登場人物は出番を過不足なく持ってキャラを立て、見せ場を与えられるべき兵器達は全部格好良いシーンが用意される。内容のぼんくらさと裏腹に、基本的なシナリオラインは非常に誠実かつ丁寧に作られていると思います。まあ、あれは「みょうこう」じゃねえだろうとかそう言う事が気になる軍オタも多いと思うのですが、超弩級戦艦が異星の母艦相手に敵前旋回かけつつ主砲を一斉発射するシーンに快哉を叫ぶのが、正しい姿勢という物でしょう。大満足でした。
ですが、何というか、幾ら何でもこりゃねえだろうというツッコミ所も満載でして……
初っ端からして、ええと、あの惑星って何光年先にあるんですか?電波発信から襲来までの間に、主人公が入隊から大尉まで出世しているので最低十年経っているとして、片道五光年程度ではαケンタウリが関の山です。今回の異星人の作戦行動の基礎になる前提が、「軌道降下時に人工衛星と偶然衝突して指揮艦を失った」と言う理由であったことに気づいたときの脱力感を、どう言い表すべきか?
勿論、焦点となるランドサット7をなんで地上から操作しないのかとか、「お前そのごついアーマー、脱いでも普通に呼吸できるのかよ!?」とか、10分おきに根源的なツッコミが湧いてくる演出は、ジョークとしては高度すぎるでしょう。
ただ、この辺のグダグダさには一つ原因を推察できる物があります。つまり、プロット段階ではこの話、真っ当なファーストコンタクト物だったのではないか、と言う事です。
何しろ、最初の接触シーンが正にそれで、「最初敵対的行動は見せていない」「汽笛を鳴らしたら超音波で応答」「威嚇射撃してみたら凹凹にされました」「でも他の艦には手を出しません」という、実に真っ当なファーストコンタクト。
はっきり言って、あのシーンが終わった段階で私は、「これはドンパチ娯楽作品ではなかったのか」と思って居住まいを正していました。主人公の兄貴が、ただの馬鹿どころか勝手に戦争始める前線指揮官(敵対行動見せてない相手に威嚇射撃なんぞぶちかまして反撃され、電算系が死んでいるのに駆逐艦の艦首砲一本で襲いかかって撃沈される)と言う、典型的な「やっちゃった人」描写でしたし、それに切れて戦端を本格的におっぱじめた主人公は、どう見ても三下脇役でしたから。
ところが、ここで異星人が本格的に戦端を開いたあとはただのドンパチとなり、上記いつものハリウッドになるわけです。どう見ても、ファーストコンタクトのシーケンスは必要ありません。と言うか、実は戦端を開いた後も、異星人は基本的に無害な相手には手を出さない交戦規定を徹底し、アホな主人公達より余程まともな軍人ぶりを見せつける始末。なんか民間人一杯巻き込まれてるんですが、アメリカがそれに文句つける筋合はないわけで、むしろ皮肉の効いた描写に見えました。
目に浮ぶようですよね。意気揚々とお偉いさんの所にパイロット版持って行ったら、「君ぃ、こんなんじゃ客は喜ばないよ」「もっと解りやすい敵にしないと」とか言われて、泣く泣くドンパチ映画に切り替える監督、みたいな。
と、明らかにプロットがグチャグチャにされた形跡が残り、SF的にはお話にもならない代物なのですが、ボンクラドンパチ映画としては一級品。ああ言うあれが好きなら、是非観に行くといいと思います。戦闘も爆発も派手な演出も全部合格点で、ついでに友人と見に行けば、終わった後のツッコミ大会で素晴らしく楽しい時間を過ごせるはずです。鑑賞お勧め。
個人的には、ミズーリの艦橋前面でポーズを取って登場する二次大戦生き残りの爺様達の格好良さが、最高に痺れました。逆に、みょうこう艦長との会話がなかったのは、一番ガッカリでしたが。(むしろ「本物の艦を教えてやるぜJAP」みたいな会話イベントのためのキャラだと思ってました)
何はともあれ、いやあ、馬鹿映画って本当に良い物ですね。
当BLOG内の、その他の映画関係記事はこちら。
2012年04月21日
優秀なのに無価値/ニンテンドー3DS買いました

ファイアーエムブレム 覚醒
でも、今の気分を一言で言うと、世界樹の迷宮ができれば、あとは目をつむるしかないんだろうなあ…… と言う、見事な敗戦処理です。
まあ、システム的にはともかく、キャラと世界観とシナリオが旧作ファンに喧嘩を売っているファイアーエムブレムの事は、置いておきましょう。一段落したら、別にエントリーを立てて、然るべき批判をするつもりですから。
問題は、3DSと言うこのハードの優秀性と、目を覆わんばかりの惨状です。
まず、ハードウェアとしては極めて優秀です。DSから正統に進化し、グラフィックも音も上々。持ちやすさやボタンの配置も、馴れない部分を除けば必要十分。買ってから何年経っても定期的に床にたたきつけたくなるPSPとは、偉い違いです。キーレスポンスの良さとか、やはり伝統のある所は違います。
ところが、通信関係や「コンピュータ」としてのインターフェイスの問題になった瞬間、信じられないレベルで使い勝手の悪さを見せつけます。
何しろ、ホーム画面が一次元。どう言うことかというと、PSP/PS3のホームデザインで、上下方向のメニュー拡張が無い状態を思い浮かべて下さい。つまり、ゲームも設定もアプリも、ひたすら横一線に並びます。選択2時間がかかる上、そもそも視界が狭くなりすぎて、目的の物を探すのが一苦労。
4/21追記
コメント欄で指摘を受けました。配置は、2列に変更する事ができます。
ソフトが増えるとそれでも足りない印象ですが、かなりマシになりました。
モバイルが前提なのに、アクセスポイントの情報が相変わらず三つしか記録できないのもあきれかえりますし、何より酷いのがネット関連。
あのですね、なんでWiiショッピングチャンネルと、情報共有できないんですか?そもそもファミコンのソフトしか買えないというのが意味不明ですが、ポイントも統合されないとか、喧嘩売りすぎです。クレジットカード情報を無線LAN搭載機器にぶち込むような蛮勇は持ってないんですが、どうしてくれようか。
確かに、3Dカメラや前面タッチパネルと言ったオモチャ心あふれる作りは楽しいのですが、「デジタル機器」というカテゴリに入った瞬間、やはり色々と厳しい評価にならざるを得ません。結局、スマートフォンという万能モバイルギアが普及しつつある現在、多少特化機能に利があっても比べられると厳しいと言うことでしょう。恐らく任天堂はオモチャを作り続けているつもりだと思うのですが、そうは見てもらえない(見られない)厳しさがあります。
大体、その肝心の3Dからして、これがあるが故の楽しさはまず無く、目が疲れるわ視点が制限されるわで、速攻オフにされる代物。と言うか、別にDSの性能に不満があったわけでもなく、3DSの魅力というのは特に感じられないというのが本音です。
通信関係の酷さは単純に任天堂のせいですが、こうして見るとゲーム専用携帯機というのは、やっぱり据え置き型より先に消え去る運命なのかもしれませんね。
勿論、ゲーマーとしては、スマホのゲームもどきなど暇つぶしにもならない代物なので、消えられるのはとても困ってしまうのですが……
2012年04月19日
期待される水準を過不足なく維持/「魔法使いの夜」 感想2

魔法使いの夜 初回版
感想その1はこちら。
今回は、第五章後半から七章+サブエピソードまでです。一応見えてる範囲では、ここが折り返し地点みたいですね。
ミラーメイズの戦闘が終わった息も吐かせぬまま、大仕掛けの魔法が廃園を覆う展開は圧巻。静から動へのなだれ込みと言い、バンクと流用が基本の言わばアニメに対するリミテッドアニメであったはずのノベルゲームとは思えない、映像美と画面展開に圧倒されます。単に動画を流すなら、まだ解るんですよ。そうではなく、あくまでもノベルゲームの文法の中で、信じられないほど贅沢にリソースを突っ込んでいる。「白詰草話
シナリオ的にも、きちんと段階を踏んで情報を提示しつつ戦闘描写は合理的で、緩急も付いている優等生。遊園地外れの10分間は謎でしたが(その前の売店内と違って、時間的余裕の理由が提示されていない)、逆を言うとそれくらい。一気に読ませます。
あ、結局戦闘描写が力押し一手なのは、FATEの頃と変わらない傾向。個人的に好きじゃない(単線的なインフレ合戦では、物語的な仕込みが機能しにくい)のですが、作者の性向と文章の書き方から見てこれこそがやりたい内容でしょうから、単純に好みの問題になります。ドラゴンボールとジョジョの戦闘どっちが好きか、みたいな話ですね。
ただし、なんか途中のカットインで、オープニングのあれが普通に青子の過去っぽいと解ったのは…… つまり、あの「80年代の車には良くあった」というのは、単なる文章の瑕疵なの!?
月にしても、「妙にCGで強調してるけど、文章に伏線見あたらなかったし、月の像もクレーターの位置とか普通に現実のそれだしなあ」とか思っていたら、あのオチですしねえ。インフレ戦闘もそうですが、こう言うのが作者の趣味なんでしょう。つまり、伏線の構築と回収とかには、根本的に興味がないんじゃないかと思います。FATEもそうでしたし。勿論、こう言う方向性が人気な以上、批判する筋ではないんでしょうね。この辺については、私ははっきりどうかと思いますが。伏線がないことは、逆説的に展開を容易に予測できる(ご都合主義が貫徹するため)と言う事ですし。
繰り返しますけど、この辺は一長一短なんですよね。登場人物の心情を逐一地の文で描いてしまうのも、一歩間違えれば陳腐一直線ですが、こう言う解りやすさの追求があの派手で目を引くエフェクトへのこだわりにつながるわけです。勿論、そもそも本作の場合、心情説明なんかは割と自然に文章に組み込んで、陳腐にならないように工夫されていますから、欠点も抑え込んでいると見ていいでしょう。
おそらく、文章自体が下手なわけでなく、正規の訓練を受けていない(編集を経る機会がなかった)事から来る基礎の抜けなのだと思います。人称問題がクリアされていないなんて、典型ですし。勿論、編集が仕事しない事に定評のあるラノベとかも、割と似たような状態ですが……
とは言え、80年代の高校授業では極めて珍しい「電子工学」なんて試験科目が出てきていたり、そもそも現実世界とは根本的にずれているという可能性も、一応あります。作者の方向性的に、考えにくいところですが。
ところで、キャラ的には、青子でも有珠でもなく、使い魔のロビンが一番良いですね。動画無し、最低限のアクション、台詞はゼロ(建前上)。なのに、あれだけキャラが立つんだから見事です。一番キャラが立ってのは饒舌になる前というのは、まあ仕方のない所ですが。
と言うわけで、色々思うところがありつつも、楽しく読み進めております。
さて以下は、この作品自身の内容とは関係しない部分です。
ただ、できが良ければ良いほどこみ上げてくる、ある種の哀しさという物があります。
単純な物語の分量としては、このゲームはラノベ三冊分ほどでしょう。つまり、2000円以下の商品と競合します。
動きもエフェクトも素晴らしい。しかし、絶賛ダンピング価格で制作される、「画面全体が動画」のアニメーションは、毎期湯水のように放映されています。
そして、世界的な予算をかけて馬鹿みたいな規模で作られる映画は、1800円で選り取り見取りです。
つまり、物語の出来や素材の良さと言う部分に戦場を限定するとき、「ゲーム」はその優越性を喪失し、レッドオーシャンに突っ込んでしまうのです。(ゲーム業界自体がレッドオーシャンですが、少なくとも独立したニッチです)
元々TYPE-MOONはゲーム性に重きを置いていませんでしたが、ひぐらし式の一本道構造を取った本作に不満が出るのは、仕方のない所かと思います。
繰り返しますが、私はFATEより余程気に入っていますし、クオリティの面で前回書いたような部分以外に不満はありません。それどころか、ノベル系PCゲームの中では、「素晴らしき日々 ~不連続存在~」(感想はこちら)以来のヒットでした。
しかし、その上でやはり、ゲームと言うメディアを買う意味の半分を占める期待感は満たされませんでしたし、何か納得の行かない物が残るのです。
当BLOG内のPCゲーム関係のエントリーはこちら。
当BLOG内のゲーム全般関係エントリーはこちら。
2012年04月17日
著作権が守る物/行政の公開情報を引用して逮捕と言う麗しき世界
この手の問題について、絶対に批判的な取り上げ方をしない産経だけが記事を掲載しているというのが、情報の流通経路を解りやすく示していて面白いですね。
個人ブログに市のHPをコピペ 著作権法違反容疑で無職男を逮捕(産経ニュース)
政府(「地方自治体」と言う単語は"LOCAL GOVERNMENT"のわざとらしい誤訳で、彼らは国と同じ「政府」です)の公開情報を引用した結果が、逮捕。こう言うのを警察国家と言いまして、ソ連や北朝鮮や中国を我々が馬鹿にしてネタにする根拠でございます。
とりあえず、問題点を整理しましょう。
・批判を受けた市が、相手方を潰そうと、明確な権利の濫用を行ったこと
・その濫用を、警察が先導したこと
まず前者ですが、行政は批判されるためにあります。市民を如何様にも縛れる権力は、常に主権者からの監視に晒されるのが当然です。余程のことがない限りこの義務は外されることはありません。多少の行き過ぎなど、権力に対する監視に穴が開くことに比べれば、些細な問題です。
そして、その「行き過ぎ」に対しては、幾つかの明確な基準が設けられています。例えば名誉毀損であり、例えば威力業務妨害です。「公務執行妨害」と言う恐るべきツールもありますが、これとて一応の掣肘が課せられています。
ところが今回、市が取った手段は「著作権法違反」でした。著作権は、言うまでもなく文化を守るための物です。市が税金で運営しているWEBページの内容(しかも内容は告知)に著作権が認められること自体、日本の著作権法の瑕疵です。著作権を設定して制作のインセンティブを与える意味は、全くないのですから。
これは、死んだ子どもに関する情報を転載して罵詈雑言を書いていたページを同法違反で逮捕したときと同様、完全な著作権法の理念違反で、つまりは濫用です。著作権は、気にくわない・許せないと思う表現を潰すための物ではありません。むしろ、その様な濫用が行えるという事自体、著作権という「特権」(何度でも書きますが、著作権は近代において絶対の鉄則である所有権に制限を加えて生み出される、法的な特権に過ぎません。自然権でもなんでもない、印刷ギルドの独占権が由来なのです)の問題点を浮かび上がらせることになります。
つまり、こんな代物を金科玉条として拡大に汲々とする現状は、明らかに間違っているだろうと。
そして今回については、明確に警察が糸を引いています。記事にあるとおり、相談を受けた警察が編み出した抜け道(見た限り、市・市職員やそれらと懇意の警察に気にくわない内容なのは間違いないでしょうが、名誉毀損にも威力業務妨害にも該当しません)が、「著作権法違反」だったのですから。ダウンロード違法化や著作権法の非親告罪化が、一体どのような道を拓こうとしているか、馬鹿でも解ると言う物でしょう。
ちなみに、問題のページはこちらみたいなんですが、率直に言ってこだわりの強い精神的に問題のある方だと思いますが、別件逮捕の正当化には全くなりませんわな。
転載されている写真は市のWEBページからですし、データや記事内容も同様。むしろ、これらが違法とされるのであれば、企業のWEBページ内容を使った企業批判も、官邸WEBページの内容を使った政府批判もできない事になります。
ちなみに、逮捕を主導したのは「千葉県警サイバー犯罪対策課」とありまして、大暴走のあげく実務レベルで著作権法を組み換えてしまった、京都府警類似部署のご同類。そして、こんなもんに逮捕状を出しやがる裁判所のザルっぷりは、もはや乾いた笑いさえこわばるという物です。
何だかもう、関連団体の暴走について散々書いてきておいてなんですが、ひょっとして問題なのは拡大ではなく、著作権制度その物だったりするんじゃないでしょうか?と言うか、こう言う使われ方が普通に可能だと裁判所辺りに判断されるんであれば、著作権なんて無い方がマシと言わざるを得なくなりますよ?だって、政府への批判の担保と文化の護持、どっちが優先かと言われたら、そりゃ生き死にに関わる方と答えざるを得ないですもん。
今回の自治体にせよ警察にせよ、制度の問題点を指摘して国民世論を喚起しようとか思ってるんでしょうか?そうだったらご苦労様とねぎらって上げたいところですが、勿論そんなわけはないわけで……
まあ、さすがに吠えない駄犬こと最高裁も、ここまで露骨な権利濫用なら、無罪判決出すと思うんですけどね。勿論、全然信用していないというか、それが100%信頼できるような状況なら、駄犬呼ばわりしたりしないわけですが。
その他の著作権関連エントリーはこちら。
2012年04月15日
時代考証の杜撰さは伏線?/「魔法使いの夜」 感想1

魔法使いの夜 初回版
感想2以降はこちら。
制作における自由度といい内容といい、段々商業を圧倒しつつある同人作品ですが、やはり流通の問題は常にあり続けるわけです。
と言うわけで、発売日にヨドバシで買える有難みを噛みしめつつ、「魔法使いの夜」のプレイを開始しました。
と言っても、見事な忙しさで、起動できたのは週末になってからだったりしますが。
さてまずは、五章前半までの感想になります。
……の前に、喜び勇んでプレイしようとしたら、いきなりプロテクト誤爆ですよ。誤爆対応ツールが標準添付されていますが、そんなものが標準添付になるような精度の低いプロテクト自体、ユーザーに喧嘩売ってる以外の何者でもないわけで。
ええ、頭に来たのでとっととnodvd化です。誤爆されたあげく、情報送信なんぞする気はありません。そもそもメイン機のDVDドライブは、ヨーロッパユニバーサリス3 DIVINE WIND の指定席なんです。発売日に正価で買ってるんですから、文句言われる筋合もありませんし。
元々私、FATEの凄さ(量とかお話の完成度とか)は高く評価しながらも、根本的な物語の構成が好きでなかったんですよ。今は亡き「νばるへぶ」さんの感想にほぼ完全に同意する、と言っておけば、解る人には解ってもらえるでしょう。(あれだけまどか☆マギカを高く評価しながら、FATE/ZEROを見ていないのはそう言うわけです)今回の件で、その悪印象が別方向でさらに強まってしまったところで、何とかプレイ開始です。
いつもの通り、この辺を割り引いて読んで頂けるとよろしいかと。
さて、始めてまず気になったのはBGMです。最初のピアノ曲なのですが、不協和音がもの凄く耳障り。ちょっと意識を向けると突然不快になるんですが、なんでしょこれ。まさか今時DVDから直接再生しているわけでもないでしょうから、元々の曲の問題でしょう。
他の曲は全く気にならないのですが、何故最初の曲だけ水準を割っているのか不思議です。
一方、映像は更に進化しており、実写とアニメの中間のような背景が、硬質な物語に非常に良くマッチしています。細かなフェイドアウトやレイヤーを被せる演出も、余裕のある体制にのみ許される贅沢な作り。ただ、クリックでも飛ばせない演出が多いのは引っかかりますね。特殊処理の影響だと思うんですが、進行速度を自分でコントロールできないとストレスがたまります。一回異常に処理が重くなって、フリーズしかけたポイントもありましたし。
しかしまあ、パターン数の多さは凄いですね。見せ方自体も、単純な背景+立ち絵ではなく、処理付き背景+キャラクターパターンの多重レイヤーで、ちょっとしたアニメのよう。恐らく話題になるのは派手で綺麗な魔法エフェクトとかだと思うんですが、作戦をCGモデルで表示して解りやすく示したりとか、行き届いています。良いですねえ、こう言うの。
なお、オープニングムービーが流れるまで(そしてオープニングムービーそのもの)の「掴み」の弱さも驚くべきところで、最初の「引き」となる伏線を除いては、何の起伏もありません。しかしこれも、5分や10分でプレーヤーがこの作品を見捨てるわけがないと知る大作だけに許される、これまた贅沢な作り方。こう言うのが横綱相撲という奴で、羨ましい限りです。まあ、たまにそれを勘違いして、最後までプレーヤーを楽しませないまま終わってしまう代物とかあったりしますので、油断は禁物ですが。
そして、例によって情報をシャットダウンしていたため、始めて一時間でやっとこの作品の舞台が1980年代と気づく遅まきさ。のわりに、駅前や服装の描写は割と現代的なのはどう言う訳なんでしょうかね?電子レンジやテレビやスチーム暖房など、80年代にしては新しすぎるような。(この辺は、後半で詳述します)
あ、オープニングで、恐らく10年余り前の出来事に関わる古い車について「1980年代の車には良くあった」と言っているのは、多分伏線で間違いないと思うのですが。少なくともこの文章から、あの回想の主体が80年代よりあとの時代にいるのは間違いないわけですし。
肝心の内容ですが、3章までの段階では、重要な情報は上手くぼかされており、「一体何が起きているのか」を類推するしかない「じらし」が上手く機能しています。一応一回戦闘描写もありましたが、描写されるのはあくまでも戦闘その物で、戦闘の意味や世界のルールは見えてきません。明らかに裏で進行しているらしい超常の事態についても、「進行している」と言う事実は露骨に示されるのに、内容は不明。上手い引っ張りです。
そして一気に話が動く5章からは、手の込んだエフェクトと画面全体を使った描写力で、グイグイ話に引き込みます。章の切れ目における「引き」の作り方も、やめ時を見失う憎い構成。この辺の丁寧さは、FATEの時も感じましたが堅実で技巧的。
また何より、FATE最大の不愉快ポイントであった登場人物の問題(うそ寒い正義と自己中心的な理屈を都合良く使い分けて恥じない変節漢で卑怯者の主人公や、てめえの罪を一切背負う気のないトリのヒロイン)が今の所顕在化しておらず、楽しくプレイすることができます。もっともこの辺、凛が中心だった間は無邪気に楽しめたFATEとパラレルな面もあるので、不安な面もありますが。
何にせよ、ここまではさすがの大作ぶりで、プレイ時間が取れない事が真剣に悩ましいレベルです。あー、引きこもって48時間とか連続プレイしたい!!
ところで、プレイ時間6時間を超えて選択肢が全くないのですが、これはそう言う類なんですかね。
ただですね、「物語」として、時代考証の酷さだけは、ちょっと許し難い物があるんですよ。
いえ、スカートの短さとか、そう言う事を言いたいのではありません。「現代から見ると控えめ」くらいに押さえていますから、あれはむしろ考証とのバランスを取ったところでしょう。
しかし、神が宿るべき細かな部分でアラが多すぎて、まるで没入できないのです。
まず、違和感の多くは、80年代を描くのに「80年代の製品」を使ったことによる物じゃないかと思います。当然ですが、家電にせよ小物にせよ、新製品に置き換わるわけではなく長く使われる(特に年代を遡るほど)ので、80年代の風景を強調するなら、70年代の物を中心にするべきだったのでしょう。80年代という舞台の意味である、レトロ感を出すという意味でも。コンビニやカラオケボックスみたいな、現在に比べて極めて少ない(後者に至っては、ほぼ0のはず)店舗しかなかった代物についても、もう少し気を使って描写して欲しいなあ、とか。
他、違和感という点だと、解説文章で一人称視点と三人称視点が入り乱れる事があるのは、ちょっとまずいでしょう。何らかの叙述トリックというようにも見えませんし。
なお、キッツィーランド関連の設定は、ちょっと酷いような……
建設着手が「今をさかのぼること十年前」で、3年間かけての完成が81年。そして閉園が86年。ところが、最初に言及される開園時が「安定期に入った80年代後半」で、あげく「JRの駅が落成しようとしていた」と来ました。
73年生まれの奈須きのこが知らないわけ無いと思うのですが、国鉄がJRに変わったのは87年。あらゆる意味で計算が合いません。ついでに、バブル景気というのは80年代末からですから、81年オープン86年閉園の同園を「バブルのあだ花」と言うのも酷いミス。
プロローグと同様、ミスじゃなくて叙述トリックかとも思ったのですが、どう考えても矛盾が残ります。
この辺、レトロな舞台を用意する場合絶対に押さえねばならない諸々で、プレイ中の違和感が半端無いことに。文章に引っかかって「あれ?私の勘違いだっけ?」と調べる度に予想どおりの回答を見つけ、ゲンナリしてきました。自分が生きてきた時代からと、油断してろくに調べもしなかったんでしょうか?一つ二つなら笑って済ますところですが、こう多いとなると……
直後の地の文も、「人々の生活水準は右肩あがりで、誰もが未来に不安をいだかなかった、狂騒の時代」とかって、80年代後半から前半を回想して言うセリフじゃねえですよ。それこそ80年代末なら、バブル入口。何ですかこれ?
なお、80年代くらいと言えば、普通に米ソが核兵器向け合ってチキンレース疾走中。ノストラダムスの大予言が人口に膾炙するくらい「未来に不安」が溢れていた時代でもあった、と言うのは強く主張したいところですが、これはこの際置いておきます。一応上記引用部分のような80年代観は、今では一般的なようですし。
とまあ、現在の所引っかかるのは細かな部分と時代考証くらいで、とても楽しめています。ファイアーエムブレム・覚醒の発売も迫っていることもあって、早く進めたいのですが、さて時間をどう捻出するか……
当BLOG内のPCゲーム関係のエントリーはこちら。
当BLOG内のゲーム全般関係エントリーはこちら。
2012年04月12日
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 10巻 感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第10巻
当BLOG内、他の巻やアニメ・ゲーム版の感想はこちら。
脅迫容疑:32歳の男逮捕 小説家にメール500回以上(毎日新聞)
↑何やら、リアルの方で話題になっていたりもしますが……
ちなみに、リンク先が毎日なのは、ファン的意味で記事が一番詳しかったから。意味の解らないリンク付きの産経とか、参照したくないじゃないですか。(多分、脅迫というキーワードだけで繋げたんだと思いますが)
8巻9巻で、物語としては完全に「逃げ」を打ち、一貫したシナリオ構成という観点からは決定的に劣化してしまった、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の10巻です。
さて、例によって結論を先に書きますが、非常に評価に困る代物となっています。
1,読みやすさ・場面場面の面白さはとても高レベル。「ライト」なノベルのお手本と言っても良い。
2,8巻9巻で生じた物語の骨格異常を、矯正するきっかけになるなら高評価だが……
まず1ですが、これはもう一々説明するまでもないですよね。ドタバタにせよ掛け合いにせよ、技巧的には全く不満がありません。負荷も何もなく、気持ちの悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら、スラスラ読み進めることができます。
各キャラクターは、これまでの蓄積でのびのびと自然に動き回っており、作者が楽しんで書いている雰囲気(勿論、真実など知るよしもありませんが)が伝わってきます。ピンポイントの脇役にしても、しっかりキャラの立った行動で強い印象を残しますし、割とアクの強い場合でも不快感まで突き抜ける事は基本的にありません。
個人的には、日向(黒猫妹)と黒猫の会話が短いながらも好感触。ろくでもない兄弟勢揃いの作品世界の中にあって、とても微笑ましい掛け合いを見せてくれるので癒されます。
ただ、この面白さというのは、要するに「凄く出来の良い萌えゲーをプレイしているときの感覚」に他なりません。そして、特化した萌えゲーを腐している事から解るとおり、私にとってこれは誉め言葉ではありません。
結局の所、気づいてみればこの作品は京介を中心とする、ただのハーレム物に成り下がってしまったと言う事です。愛すべきオタク達の人間関係構築の話でも、その中での恋愛と兄妹関係の清算を通じた成長譚でも無く、単なるドタバタを中心とするラブコメディ。それは決してつまらなくなど無く、むしろ上で書いたとおり絶品の面白さです。しかし、この物語が面白かったのは、決してそれだけではなく、そのキャラクター達がゆっくりと成長していく過程であり、その人間関係の変化・昇華へとゆっくりと進んでいたからでした。
勿論、何度も書いているとおり、作者の主張が生硬に顔を出してしまうようなある種の熱さ(それ自体は瑕疵でしたが)や、安易な萌えシナリオにはしないというキャラクター配置も魅力の一因でした。と言うか、最初からこう言う方向だったらここまで面白くなっていないわけで、編集から入る軌道修正が角を矯めているように思えます。
そもそも例によって、作品についてのインタビューに、編集だの宣伝担当だのゲームのプロデューサーだのが出張ってきてる段階で、ね…… (←の前半に当たる2期アニメプロモはもっと露骨ですが)
さすがに、前巻のふざけたタイアッププロモーションや話の雑さは鳴りを潜めましたが、読んだ感想はやっぱり「終わらせ損ねた物語」でした。
そして、2です。
しかし、今回のラストで、また話を動かそうとする雰囲気が見られました。勿論あれは、単なる商業的要請から来る「ロングパス」であり、7巻から8巻の構成同様酷いオチで終わる可能性は有ります。
しかし、京介と桐野の卒業というイベントも迫っていますし、あと数巻で物語を畳むための「終わりの始まり」の狼煙だとするならば、大いに期待できるところです。
まあ、こうやって変に期待をかけて付き合い続けるから、無意味なシリーズの長期化が横行して作品の質が下がり続けるんだろう、と言うのは完全な事実なわけですが。
と言うわけで、とりあえずこのラストから続く展開だけは、見届けてみたいと思います。
ただまあ、商業的要請としては、恋愛に決着を付けるような展開はやって欲しくないんでしょうね。アニメ2期にせよギャルゲーにせよ、決着を付ける展開を事前に見せるのは問題という事になるでしょうし。
本当、角川のメディアミックスは、多くの優れた作品を生み出す一方で、多くの優れた作品を「優れた作品」レベルに押しとどめ、または持続させる中で凡作に落とすと言った罪が大きすぎるのではないか、と思う次第です。
ええ、売れずに消えていく良作が多いことを考えれば、そのセールスポイントを見抜いてプロモーションし、「優れた作品」レベルに引き上げるあそこの力を、”否定”することは、少なくともできないのですが……
当BLOG内の、ライトノベル関係のエントリーはこちら。
ライトノベルに限らない、読書関係のエントリー全体はこちら。
2012年04月11日
ミステリーファンはこれを喜ぶの? 『葬式組曲』 感想

葬式組曲 (ミステリー・リーグ)
個人的にですが、推理小説には苦手意識が強いです。読めば読んだで面白いのですが、「伏線の構築と回収」と言う作劇テクニックを自己目的化したジャンルそのものに、強い疑問を憶えてしまうのです。恐らくは、読書体験初期にシャーロックホームズに理不尽感しか感じなかった好みの問題に、物語の面白さを評価の埒外に置く「新本格」への嫌悪感が重なった結果だと自己分析しています。私が「推理物ですらなかった」うみねこを一切評価できない一方、「推理物でなかった」ひぐらしをそれなりに評価しているのは、この辺が関わっているのでしょう。
と言うわけで、今回紹介する、天祢涼『葬式組曲』の感想についても、その辺を割り引いて読んで頂けると良いかと思います。
この物語の時代設定は、近未来の日本。そこでは、「直葬」と呼ばれる簡易な野辺送りが普及し、従来型の「葬式」は舞台となるS県(本土外、と書かれているので恐らく佐賀県)以外ではほとんど行われないどころか、ある種の嫌悪感をもって見られています。(葬儀社の人間が公民館に立ち入る事に行政が難色を示すレベル)
そして物語は、この県の新興葬儀社が関わった様々な「普通でない」葬式の諸相と、その裏に隠された故人と遺族の意図・謎を描き出していくことになります。
これは、実際非常に面白い物でした。元々推理畑の作者と言う事もあって、伏線の構築と回収はこなれており、各話の中で簡単な謎と回答が短サイクルで上手く回されます。謎の力点の置き方も、関係者の意図におおむね集約され、それが葬式という故人との関係を清算する場と相まって、綺麗に物語が組み立てられています。
実際問題、ここまでであれば、良くできた連作短編集として、満足して本を閉じられたはずなのです。
しかし問題は、それまでのシナリオを全て引っ繰り返す、締めの一編にあります。
ここで、今までの短編中で張り巡らされてきた伏線が発動し、物語の前提を覆す展開があらわれるのですが、残念ながら、余りにも唐突かつ内容がそれまでと異なり、唖然とすることになってしまうのです。
唐突とは言っても、決して伏線が足りないわけではありません。読み始めてすぐに感じた違和感(固有名詞の使い方や背景情報など)や、構成上の些細な疑問点は全て伏線であったことがここで解りますし、そう言う意味での納得感は十分です。
しかし、その内容が余りにそれまでの「お葬式ちょっといい話」みたいな話の流れから浮き上がっており、有り体に言って、気持ちが付いていかずに浮き上がってしまいます。
私は、いきなり横っ面を張り飛ばされたような理不尽な気持ちで、本を閉じる羽目になりました。
確かに、私のようなボンクラSFファンは、それまでの物語が最終章で大きくSF的展開へと飛躍する作品を絶賛します。ですからこの作品も、推理物のファンであればむしろスタンディングオペレーションなのかもしれません。ラストエピソードの内容的はミステリー的な、余りにミステリー的なお話ですから。
と言うわけで、非常に扱いに困る作品でした。書いたとおり、ラストエピソード以外は割と綺麗にまとまっている短編集なのですが、ラストでその良さは全部キャンセルされていますので。
例えるなら、小綺麗な一戸建てが組み上がっていくのを見ていたら、ラストが突然、その家の爆破解体ショーになってしまったドキュメンタリー番組と言いましょうか……
普通ラストのどんでん返しとは、それまでの面白さの上に一枚新しい面白さのレイヤーを重ねるか、別種の面白さに塗り替える物だと思うのですが、これの場合、単に塗りつぶされて終わりになってしまった印象。
ですが、これを面白いと思う読者がいるという前提で(あるいは作者・編集者が面白いと思ったので)世に出ているわけですし、つまらないわけではない。いや本当、モヤモヤするとしか言いようのない読後感でした。まあ、こう言う読書体験も、たまになら悪くないでしょう。
当BLOG内の、読書関係エントリー全体はこちら。
タグ :読み物
2012年04月05日
演出だけは得意なんだ!/映画「戦火の馬」感想

↑原作の小説は、元々児童文学らしいですよ
なんだかんだでスピルバーグは好きなわけで、特に話題にもなっていない「戦火の馬」を見てきました。
なお、原題は「WAR HORSE」で、要するに軍馬と言う意味です。この辺の変更は、日本人の戦争アレルギーがあるのかもしれませんが、内容を見るに放題の方が合っていると思います。
とりあえず値段分程度は楽しめたのですが、感想は以下の通り。
1,さすがスピルバーグ。映像の美しさは素晴らしい。
2,脚本が支離滅裂。主人公への感情移入不能。
ではまず1から。
今回のエントリー名は、「宇宙人ポール」(感想はこちら)で本人が言っていたセリフから取ったのですが、正にそんな感じ。
序盤、小麦畑から一斉に立ち上がり、サーベルをきらめかせて突撃する騎馬隊の格好良さたるや!泥濘まみれの塹壕中間地帯で、静かに語り合う英独の兵士のシーンも良いですし、何よりラスト!夕日が落ちかかるムーアを横切り故郷へと向かう人馬のシーンは、そこだけ眺めていたい見事な映像美です。
で、問題点の指摘である2。
正直、何楽しんで良いのか、わかりゃしないシナリオなのですよ。
特に序盤、人間の主人公が物語の主人公たる馬に惚れ込む理由が、全く描写されません。要するに「一目惚れ」としか言いようがないので、感情のフックになりません。馬が鋤引いて畑耕すだけで感動できるお手軽な人間は、一体何人いるのでしょうか?児童文学というか、子ども騙しの最たる物でしょう。って言うか、サラブレッドに鋤引かせんなよ!
主人公が馬しか友達の居ない寂しい奴というのならまだ解るのですが、一応友人もいますし、何処まで行っても「なんでそこまで?」と言う印象にしかならず。馬に性的興奮を憶える変態だという裏設定でもあれば、納得できるかもしれません。
例えば、登場人物の中で、中間地帯で語り合う名もなき兵士と並んで印象に残るフランスの少女は、あの馬に惚れ込むのが納得行くんですよ。両親を戦火で失い、年老いた祖父と二人きりで、死んだ母の乗馬姿に憧れている。短いパートできちんと感情移入させますし、別離の理不尽さも舞台相応。
ところが、主人公は貧しい農家のはずなのに行動パターンはわがままなボンボンみたいで、状況の深刻さからは常に浮き上がり、要するに馬しか見てない馬鹿野郎です。
と言うか、人間はピンポイントで出てくる連中(恐らく馬丁上がりと思われるドイツ兵とか)が結構良い味を出している一方、スポットが当たると超適当に。これまた子ども騙しな「悪役」にしかなっていないドイツ将校(荷役馬ならともかく、軍馬鹵獲したなら騎兵隊に回せよ……)とか、開戦初期の志願兵で負け戦も経験していないはずなのにいきなり脱走に突っ走るドイツ兵兄弟とか、唖然とするレベル。
シーンも上記のように良い物が多いのに、主人公の馬がドイツ陣地を逃げ出すときのカットとか、どうした物かと悩むレベル。菱形戦車出したかったと言うのは解るのですが、だったらちゃんと塹壕戦で使ってその怪物性を見せつけるカットって物があるわけで。
なんか、制作期間が異常に短いお手軽企画だったらしいので、力の入った部分とやっつけパートに落差が出るのは仕方ないと思うのですが、物には限度があるんじゃないかと思わざるを得ませんでした。
とりあえず、あの頭おかしい主人公か、あるいは馬その物に感情移入できる人間でないと、感動するのは難しいと思います。
いや、映像美という意味では、存分に堪能して心動かされる物はあるのですけれどね。
当BLOG内の、その他の映画関係記事はこちら。
タグ :映画
2012年04月03日
情報提供は真面目にやって/魔法少女まどか☆マギカ ポータブル

ゲーム自体の感想等はこちら。
帰宅したらバンダイナムコからEメールが来ていまして、何かと思ったらまどか☆マギカポータブルの例のバグが出たときに送った、バグレポの返信でした。
で、内容はと言うと、バグについての説明ページを用意したから見てね、と言う物。少しは真面目に対応する気があったのかと見に行ってみたら、こんなんでした。
見た瞬間、「ああ、この会社は本当にダメなんだな」と解る代物。
問題は、即時対応でないという部分ではありません。パッチ処理だけなら楽ですが、オフラインの客も対応するには予算措置も必要な手段を併用する必要があり、「ネット繋げない奴など客ではない」と言う、エロゲ会社対応はできません。(エロゲ会社の場合、そもそも規模的にネットでの対応以外不可能、という如何ともしがたい前提があるわけですが)
本当に「ひどい」と感じたのは、最低限情報提供すべき「バグの回避方法」が記載されていない点です。
数値が間違って表示されるなどと言うのは単なるミスなので、あの記載で構わないでしょう。しかし、さやかルートの必発フリーズと、ワルプルギス戦における阿呆なロードエラーは、回避方法がなくては、知らない人間はおちおちプレイできません。そしてその回避方法はとても簡単(さやかルートなら、さやかを魔女化させない。ワルプルギス戦なら、一気に大ダメージを与えない)です。買う前にこの情報提供があれば、「そうなのか」で済む話で、苦笑しつつも普通にプレイできるわけです。
しかし、知らなければ私のように数時間を無駄にしたあげく、再現率ほぼ100%と言う事実に、メーカーに対する信用度をどん底までたたき落とすことになります。
と言うか、これだけ書かれても困っちゃいますよね?「特定の箇所に置いて進行不能になる」とか書かれても、知らない人間にとっては「どこだよ!?」としか言いようがないわけです。企業としての誠実さ以前に、この記載だけだと「やばいから買うな」と自ら言っているようにしか見えません。(ある意味誠実なのかもしれませんが……)
予想以上に汚いバグで修正できないとか、開発会社が逃げたとか、プログラマーが飛んだとか、色々対応が難しいのかもしれませんが、とりあえず現時点で解っている対処法だけでも出さないと、何のためのサポートかわかりゃしないわけで。
と言うか、このタイミングでの発表って、要するに期末の売上を逃げ切ったあとで、とりあえず発表だけしておこうって話ですよね?何度も言いますが、こんなバグ、テストプレイ段階で見つからないわけ無いんですから。
しかしまあ、DVDの声入れミスといい、どうもまどか☆マギカは関連商品の品質管理が怪しいですね。作品そのものの作り込みや、プロダクションノート
作品その物は良いのに、そこに至る前の基礎的な部分で瑕疵が多すぎて疲れてしまう。何とも残念な話です。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月30日
魔法少女まどか☆マギカポータブル 全て終わっての感想

前回までの感想はこちら。
一通り終わったので、まとめての感想となります。
今回は、先に全体としての結論を書き、その後で残っていたルートの感想を書きたいと思います。
結論:
・純粋にシナリオだけ見れば及第点。
・だが、ゲームデザインが不徹底すぎる。シナリオの面白さを、システムが殺している。
・バグの多さとつじつま合わせの甘さは、商品としての水準を満たしているか怪しい。
シナリオは、さすができが良いです。個々のパーツでは、プレーヤーが望んだIFが見られるものもあり、この部分だけなら十二分に及第点でしょう。「外れ」のルートは多いのですが、これは純粋なシナリオ内容よりも、後述する辻褄あわせの放棄や分岐の不徹底に起因するもので、ベースは決して悪くありません。
しかし、ゲームシステムがそれを殺しています。
Qボタンはゲームとして全く機能しておらず、ただの邪魔です。何しろ、分岐には一切絡まないのですから。ほむらルート以外の分岐条件であるソウルジェムの濁りは、ダンジョン内でプレーヤーがわざと濁らせるかどうかで決まり、ほむらルートの分岐は普通の強制選択肢です。しかも、Qボタンで発生する会話は、率直に言って唐突かつ意味不明。無い方がマシなレベルです。
そして、ダンジョンパートはAVGパートとほとんどリンクせず、要所のミニゲーム以上の機能を持ちません。最後の頼みの分岐条件ですら、毎回毎回「ワルプルギスの夜を撃破したのに、撃破していない扱いになって話が進む」と言う展開で、プレーヤーに対する最低限の誠実さすら見せてくれません。
いっそAVGパートかダンジョンパート、どちらかに絞れば(つまり、単なるノベルゲーム、または分岐条件付きローグライクダンジョンRPGにするかすれば)、ゲームとしては堅実な作りになったんじゃないかと思います。
そして、バグについてはもう良いでしょう。あのフリーズバグは、気づいていて放置したとしか思えない代物で、商売人としての最低限のモラルを投げ捨てています。
パッチワーク故のシナリオ矛盾にしても、チェック漏れ以前にパーツが足りないまま組み上げた(シナリオ内容に応じた変化部分を作る時間が無く、他ルートで状況が近い物を放り込んだ)公算が大でしょう。
とは言え、困った事に、全くのクソゲーではない、と言うのは重ねて強調しておく必要があります。インターフェイスが酷いとは言っても、AVGとして一番重要なシナリオは高水準ですし、簡易ローグライクRPGとしてダンジョンパートも決して悪くありません。
原作物の宿命なのですが、普通のゲーム並の開発期間・チェック時間を取れれば、堅実な良作に仕上がった事は疑いありません。
ですから、皮肉や嫌味ではなく本当に「ファンならば買っても良い」としか言えないと思います。正直、原作への愛があって初めて、シナリオの良さだけを頼りにやり通す事が可能になるタイプのゲームだと思うので。
結局これも、「残念な原作付きゲーム」の一本として、記憶されざるを得ないのが哀しい所です。
ゲームと言う娯楽の入口となりうる原作付きゲーム(みんな、ハットリ君やゲゲゲの鬼太郎買ったでしょ?)を、焼き畑用の熱帯雨林扱いする事は、衰退フェイズに入っているゲーム業界として正しい姿勢なんでしょうかね?
ミッキーのマジカルアドヴェンチャー以来、良質な原作付きゲームを提供して自身のファンも増やしてきたカプコンを、少しは見習っても良いんじゃないかと思うのですが……
以下は、前回から残っていた各ルートの感想です。
まずは、ほむらルートの全エンディングをクリア。
一番印象深かったのは、いわゆるワルプルギス戦討死・まどかに看取られエンド。
勿論、これも完璧かと言われると色々瑕疵があります。例えば、因果値の引き継ぎ。ゲームオーバーで因果値等が引き継がれるのは、寸前にほむらがリセットしている、と妄想することも出来たんです。でも、、このエンドのあとも引き継ぎができるのは、ちょっと気になるところ。(引き継がれなかったら、それはそれで困るのは確かなのですが……)
と言うか、結局まどか以外魔法少女化してしまうトゥルーエンド(?)よりも、このエンドの方が遙かに筋が通されているので、こっちをグランドエンド扱いで良かったんじゃないかと言う気がします。そうすれば引き継ぎがなくても筋は通りますし。
しかし、その点を除けば、このエンディングは本当に素晴らしいのです。合理的に行動した結果、杏子はほむらを否定して去り、魔女化の秘密を知ったマミは自殺。一人残されたほむらはワルプルギスに挑み倒すも力を使い果たし、まどかに看取られて死んでいく。ほむら的完全ハッピーエンドで、これぞIF展開の王道でしょう。本質的には何も解決していないエンディングで、実際ラストはホラー映画(惨劇は続くよ)なのですが、見滝原を舞台にした魔法少女達の物語としては、一つの完成型だと思います。全てのキャラクター達が、その設定に従って全力で動き回った結果、信念を貫いた結果の悲劇に至る。これぞ、「筋の通った」シナリオの美しさと言う物でしょう。
いやあ、大満足でした。
次の、スタンダール
で、最後のトゥルーエンドなんですが……
取って付けたにしても限度があるだろうという適当ぶりでした。まず、さやかを契約させた上で魔女化から救う、という茶番を行わないと至れない時点でゲンナリ。その救う方法にしても、杏子が頭を下げて「お前を助けさせてくれ」と言う展開に、「いや、なんでそこまで苦労してこいつ助けなきゃならないの?」と素に戻ってしまいました。
さやかの場合、魔法少女化しないのが最適解で、次善は魔法少女化しても勇気を出して告白する事でしょう?こんな、その場の言いくるめだけで話を進めてトゥルーエンドだハッピーエンドだと言われても、全く共感できません。だって、本質的には何一つ解決していない上に、さやかの内面の問題も放置されたままなのですから。むしろ、現状を訳の解らない形で肯定してしまっている分だけ、罪深いとも言えるでしょう。
更に、全く必然性がないのに、決戦前夜のまどか&ほむらの会話を無理矢理入れ込んでいるのも許し難いところ。あれは、本編またはそれに準ずる絶望的な状況であってこそ映えるシーンであって、このルートに入れ込むのははっきり言って無理。トゥルーエンドだから名シーンも入れないと、みたいな感覚で放り込まれたのでしょうが、むしろ本編の印象がぶち壊しです。
何より、魔女化の問題が何も解決していない以上、このルートが「トゥルーエンド」たり得ないのは言うまでもないでしょう。なんでこんな世界観に喧嘩を売るようなルートを組み込んでしまったのか、疑問でなりません。
全員生存の上でのハッピーエンドを描くなら、他に幾らでもやりようはあったはずなのですから。
それと、エンディングで魔法少女が魔女になる話をしてるんですが、このルートではその秘密、明かされてないんですけど……
まどかだけはキュゥべえから聞かされて知ってるはずですが、それをわざわざ教えたの?と言うか、そんな重要な場面を切っちゃって良いの?
なお、その他細かい点としては、さやかを魔法少女にしなかった場合、さやかが恭介とくっつく展開に、唾を吐きたい気分に。要するに、恭介という奴が告白されればフラフラついていく程度のつまらない男だというだけの話なのですが、何やらハッピーっぽく描写されるのが……
結局の所、虚淵先生がどこかで言っていたとおり、恭介のようなろくでなしに惚れているというのが、さやかのダメな部分の象徴なのでしょう。
で、最後が番外編の「想いは現実を越える」です。正直、これには一切期待してませんでした。ギャグらしいと言う話は聞いていたので、「まどか☆マギカでそれやってどうすんだよ?」と言うのが、ストレートな思いだったわけです。らき☆すたのPS2ゲーム
ところが、方向性がだいぶ違っており、開始と同時に刮目する事に。
開始早々ついに堪忍袋の緒が切れたほむらが、「結局、男がどうしたとか寂しいとか、女の腐ったような魔法少女しか居ないのが問題なのよ!」と結論。直接他四人を鍛えにかかるという内容です。
何しろ、四人のトラウマをついて黙らせ(マミさんに向かって「ひとりぼっちが寂しくて、まどか達相手に素敵な先輩気取ってるあなたが、何を教えたのかしら?」とか)自分のペースに巻き込んでハートマン軍曹的訓練を開始。
まあ、ノリは完全に同人誌なのですが、面白くてたまりません。あとこれって、作品に対して後出しジャンケン的に散々言われた「もっとほむらが合理的に立ち回っていれば、簡単にクリア出来たはず」と言う批判に対する一つの答えですね。そりゃ完全に合理的に立ち回ればできるだろうけれど、そんな展開に意味があるの?むしろ不自然だよ、と言う。
でまあ、一々キャラが素直になって和解して、堅実に歩んでいく展開なのですが、パロディとしては面白くても、やはりそこ止まりというのを実感します。勿論、パロディシナリオなのだから当たり前なのですが、これをもって「みんなが素直になればあんな悲劇なんか起きない」というのは違うわけで。と言うか、「素直になりさえすれば」と言う言い草は、悲劇の大部分に当てはまるワイルドカードですしね。オセロとか三行で終わっちゃうよ、と言う。
そして何より、結局最後はもういい加減食傷気味のワルプルギス戦をフルセットでやらされた上に、これまた「あっさり倒したはずなのに倒せていない扱い」のエンディングを見せられ、ため息を吐きながらPSPを放り投げました。何がやりたいんですかねえ、本当。
別にあのオチであれば、ワルプルギス戦自体不要でしょうし、色々不徹底。
とまあ、まどか☆マギカポータブルは、間違いなく楽しめた面はあるものの、それだけに全体としては残念な内容でした。
結局ここ最近の関連商品濫発の流れに乗っているわけで、そろそろ点数を絞って内容を精査する時期に来ているんじゃないかと思います。さすがに、映画がとんでもない事になる可能性は無いと思うのですが、この流れだと「そこそこ面白かったよ、うん……」みたいに、相手の目を見ず話す代物になりやしないかと、不安に思うところです。
当BLOG内の、この他まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月28日
魔法少女まどか☆マギカポータブル 感想5 ほむらルート

杏子ルートの非魔女化エンドもサクッと終え、満を持してほむらルートに進みました。
とりあえず、杏子ルートで引っかかっている方は、「謎の魔女結界」を3つめくらいまで進め、STRやCONの強化アイテムを買っておけばまあ苦戦はしないでしょう。謎の魔女結界、長いですけどね。これをやったおかげで、非魔女化ルートはとても楽でした。
それにしても、非魔女化ルートは魔女化ルートよりタチが悪く、理想や信念を取り戻した人間はことごとく悲惨な事になります。この辺の、冷笑主義と言うより、理想と成功率はリンクしない、と言う透徹した世界観は実に魅力的。今度こそ!と言うハッピーエンドへの意欲は沸き立とうという物です。
やっぱり、シナリオは良いんですよねえ……
さてこのほむらルートですが、
恐らく内容はまどかルートの直後。ただし、本編ともまた異なっていて、ほむらがマミの先手を打って薔薇の魔女を倒しにかかるところが、実質スタートです。
でもこれ、この前書いた事とも関連しますが、折角の「原作から外れる展開」を活かせてないですよね。
原作をやった上で原作を違う展開を見たいというのは、プレーヤーの願望その物です。だからこそ、選択肢を用意し、その結果として違う展開を見せるべきでしょう。その辺を全部プレーヤーから取り上げ、冒頭のシナリオ選択とソウルジェムが濁りきったかどうかだけで分岐させるこのゲームは、描かれる「物語」は素晴らしくとも、分岐型ゲームの「シナリオ」としては、どうかと思うところ。
ただし、以降の肝心の各魔法少女の運命を変えるポイントは、全て選択肢になっているので、ちゃんと筋が通っています。
と言うか、これってそのまま普通のノベルゲームの選択肢分岐方式に他ならないわけで、最初からこのフォーマットで全て組んであれば、はるかに面白かったと思うのですが。途中までCBSモドキを作ってしまって、結局従来型の方が遙かに面白い、と気づいたと言うパターンでしょうか?
正直、原作付きゲームは下手に奇をてらう必要は無いわけで、様式が成立しているテキストアドヴェンチャーに、ローグライクを乗っける堅実路線で攻めていれば、デバッグ期間が足りなくなるような悲惨な事もなかったと思うのです。一応、そこにとどまらず新システムを積んだ意欲は組みたいところですが、出来上がったのがバグバグで、一番面白いのが従来型の構造を取ったシナリオという現状では、ちょっと弁護の余地がありません。
閑話休題、視点がほむらに完全固定されると、ほむらへの感情移入がマックスになっていた原作10話以降同様、序盤の巴マミは本当にむかつきますねえ。「まどかを巻き込むくらいなら私を好きにして」(妄想に歪んだ目に映った内容)と言うほむらに、思わず黄色×黒も行けるんじゃないかとしばしシミュレーションするほどには、悪くないのですが。
あ、勿論真にむかつくのは、実力も伴わない上に、自意識を湖塗した偽りの正義感で全方位に噛みつき回る、ゲロカスことさやかなんですが。
でまあ、またこのシナリオでもフリーズがですね!!
調べてみたら、攻略サイトにでかでかと警告が載るレベルの代物でした。どのルートも、一周目は情報を封印して楽しんでるんですが、どうしようもないですね、これ。
トリガー通りワルプルギスを瞬殺したら見事に喰らったんですが、プログラマーはアホなんですか?このゲームの仕様的に、ボス戦はほむらの時間停止で大量ダメージ叩き込んで瞬殺が基本なわけじゃないですか。そんな、プレーヤーの過半数が取る戦術がフリーズトリガーとか……
万が一ミスがあるのは仕方ないとして、こんな再現性抜群のバグがデバッグで見つからないわけもなく、バンダイナムコの商売人としての誠実さは、今後一切信用するなという理解で良いんでしょうか?
そして、そのフリーズを乗り越えて迎えるのが、「ワルプルギスを蹴散らすのに成功したのに、何故か負けたことになっていて原作通りのエンディング」ってのは、あんまりじゃありません?ついでに、アニメ版そのままなのですが、内容がなぜかダイジェスト版。色々と手抜き感が溢れており、一気にテンションが下がりました。
そもそも、マミさん生存させてたんですが、何処行ったの?杏子とも共闘していたし、少なくとも原作そのままというのはかなり納得がいかないのですが。
あ、でも、エンディングの背景がプレイアブルなゲームと言うのは、中々面白かったと思います。自分の見えないローグライクなのでひたすら地味でしたが、アクションRPGであれをやると、凄く面白い物になりそうですよね。
とりあえず、どうもトゥルーエンド以外はおまけみたいな扱いじゃないかと思うので、全員生存ルートだけは確認してからプレイをやめたいと思います。
良いところも多いだけに、実に残念なゲームとしか、現段階では言いようがないですね。
当BLOG内の、この他まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月26日
魔法少女まどか☆マギカポータブル 感想4 杏子ルート

前回までの感想はこちら。
青ルートも、2パターンクリアしたらマーカーが金色に変わったので、解禁された杏子シナリオに進みました。勿論、作品の顔とも言うべきほむらのルートは、最後に取っておくのです。
ところで、Blu-rayを見返して気づきましたが、ゲーム版で新規追加の「銀の魔女」は、杏子が7話の教会回想シーンでぶった切っている魔女ですね。
閑話休題、これまで、まどかルートが原作準拠(ただし、さやかが壊れる寸前にまどかが契約することで原作とずれる)、マミさんルートがほむら一周目、青ルートが同二周目でした。ところが、この杏子ルートはまた原作準拠に戻ります。そして、スタート地点も大きくずれて、マミ死亡後に杏子が押しかけてきた所から。これを、主に杏子視点から見ていくことになりますが、これまたまどか編同様本編から外れています。このルートのさやかは一層孤立を深め、まどかの同行すら拒否して使い魔狩りを続行。一方、ほむらは杏子と組んで魔女狩りを行う一方、さやかにグリーフシードを渡さないように立ち回り、無力化を図ります。
後述しますが、このルートのほむらは、本当にえげつなく立ち回り、そして勿論、何もなしえず悲劇を迎えます……
一方、本編通りどん底まで追い詰められながら、まどかには「まどかだけは間違えないで」と魔法少女化を止めるさやかは、驚くほど真っ当。って言うか、人としてやっと最低限のラインを満たした感じです。
勿論、相変わらず杏子は筋の通った優しいヒール。キュゥべえを追い払いつつ、まどかを「この力が誰かを救えると思うな!」と一喝するなど、ほむらのお株を奪う勢いで立ち回ります。
ではほむらは何をやって居るかというと、視野狭窄的にひたすら「敵」の排除を進めた結果、端から仲間を魔女に堕とす裏目街道大驀進。結局さやかも杏子も魔女化し、それを見せられたまどかになきながらなじられるという、「このまま18禁同人誌に繋げたら、さぞかし鬱で素晴らしい作品が完成するでしょうね」な感じの暗黒面一直線。
そして、最終的に、まどかを安全な場所に逃がすため、「他の魔法少女は私が殺した。殺されるように見殺しにした」と宣言し、彼女に銃を向けるその哀しさ。
虚淵先生は、「片思いこじらせたおっさんの話は得意」と前に書いていましたが、この辺のほむらの行動原理は、正に不器用で哀しい「少年」の物。と言うか、「片思いこじらせたおっさん」とは、「上手に大人になり損なった少年」であり、要するにオタクの自己像に極めて近い代物でしょう。
それにしてもこの杏子ルート、洒落になってない戦闘難易度(初めて、敵から逃げ回ってクリアだけを目指す、ローグライクゲーム後半階層の基本戦略を強いられました)と併せて、あらゆる意味で最も「きつい」のは確実です。
勿論これは、原作に最も近いという意味でもあり、テンションは終始トップギアに入りっぱなしでした。いやあ、本当、もう少しシステム面がマトモだったら、名作と絶賛できたはずなんですがねえ。
とりあえず、杏子が魔女化しない分岐をサクッと確認したら、待ちに待ったほむらルートに突入してみたいと思います。
当BLOG内の、この他まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月24日
ノベルゲームにおける「分岐」の軽視/ゲーム性の喪失と本質否定
「まどか☆マギカ ポータブル」をプレイしていて改めて感じた、現行AVGの問題点をここに記しておこうかと思います。(当該ゲームの感想自体はこちら)
なお、ここに記すAVGにおけるゲーム性変質の拡大とノベルゲームの衰退はリンクしている、とBLOG主は考えていますが、定量化が難しいので予想に留めます。また、もし相関があるとするならば、前者が後者を導いたと言うよりも、シナリオ作成の省力化・省コスト化に伴う物ではないかと言う予想は、容易にできるでしょう。本論で詳述しますが、ゲーム性をもったシナリオ分岐は格段に難度が上がり、開発時間当たりのテキスト量、つまりコストを圧迫します。テキスト容量が肥大化を続けるトレンドの中にあっては、大きな問題となりますから。
さて、最初に改めて結論を書いておきます。
・現行のシナリオ分岐型ゲームは、その本質を見失い、ただの短編集になっている
・その本質とは、シナリオ分岐に伴う「ゲーム性・インタラクティブ性」である
まずは、改めて実感するきっかけとなった、「まどか☆マギカ ポータブル」ですが、あのゲームのルート分岐は、最終シナリオを除き、「特定キャラのソウルジェム汚染度」と言う数値で一意に決まります。これは、ギャルゲーにおける「特定キャラの好感度によるシナリオ分岐方式」と完全にパラレルです。
しかし、この方式は、テキストゲームとしては基本的に怠惰・手抜きの産物です。
本来分岐を伴うゲームが持っていた面白さの本質は、「プレーヤーの選択によって、シナリオが変化する」と言う事でした。そしてその選択・介入は、原因と結果が明確でなくては面白くありません。かまいたちの夜で、犯人を当てられなければ犠牲者が出続ける/犯人を早期発見できれば事件を未然に防げる、と言うのは典型です。
ここを中抜きして、特に理由もなくシナリオが分岐するのであれば、それは本編のパラレル展開を並べる同人アンソロジーと、何も変わりません。
そして、「本来ならバッドエンドになるシナリオ」をプレーヤーの介入でハッピーエンドに導く、と言うのは、多くのノベルゲームで取られてきたゲーム性の本質です。物語に寄りすぎの考え方と言われるかもしれませんが、これはある程度のシナリオを持つ「ゲーム」なら当然です。
マリオは、プレーヤーが操作してやらなければ、最初のくりぼうに殺されて終わり、永遠にピーチ姫は囚われたままです。プレーヤーの操る戦闘機の介入無しには海賊に隷属したままの惑星グロリアでも、永遠に竜王に侵略されたままのアレフガルドでもこれは変わりません。
そして、その物語をハッピーエンド(あるいは、ハッピーでないとしても完結その物)に導くために技術を尽くすのが、「ゲームを攻略する」と言う事の意味です。前にも書きましたが、この部分こそゲームで語られる物語が心に響くゆえんで、単に物語単品の評価で言えば、名作の文庫本でも読んでいた方が遙かに安いし高クオリティです。
そして攻略とはつまり、物語を読んで「あそこで介入すれば悲劇は避けられたのではないか?/先に進めたのではないか?」と言う類推と実行の過程です。
ハッピーエンドを求め、目を凝らして消えてしまう主人公がすがりつくべき人との絆を探すONEと、スケジュールを調整してラスボス藤崎に挑むときメモと、手順を考えてソ連軍の猛攻を必死にさばく大戦略で、「ゲーム」の本質は同じです。
ただし、本質は同じですが、そこでノベルゲームが取っていた、「行動の選択」を「積み重ねさせる」と言う方法論(勿論これは、TRPG経由ゲームブックの手法をコンピュータに落とした物ですが)は、文章を読ませるという行為をゲームの中心に据えたジャンルとマッチする、ストレートなゲーム性の表現だったわけです。
ところが、まどか☆マギカポータブルにせよここ最近(十年くらい前から急激に)のノベルゲームにせよ、「分岐条件のパラメータによって、特に因果を感じさせることなくシナリオが分岐する」と言うスタイルを取っています。
これは、面白くありません。何故なら、これはプレーヤーの介入と結末変化の因果関係が非常に弱くなってしまうからです。つまり、これでは単なる「エンディングバージョンを変えた短編集」であり、「プレーヤーの介入の結果として変化するシナリオ」には、ならないからです。
「あの時プレーヤーがああしたから、こう言う結果が導かれた」と言う展開はカタルシスの根源であり、同時に「ゲーム」の本質です。そうでなければ、分岐を探るゲームは、単なる当てずっぽうの繰り返しか、特定キャラのご機嫌を取るだけの作業になってしまいます。
勿論、好感度による分岐その物を否定しているわけではありません。例えば、土壇場で主人公に銃を向けるヒロインが引き金を引くかどうかを躊躇う、と言うようなシナリオ展開であれば、その分岐はむしろ好感度依存であるべきでしょう。しかし多くのゲームはそうではなく、単に(馬鹿でも間違えよう無い方法で)好感度が高くなったキャラがメインのシナリオに、きっかけもなく突入する場合がほとんどです。
そして、これはシナリオそのもののできと必ずしもリンクしません。典型は、名作と言われる「EVER17」でしょう。緊迫した情況であるはずなのに、各ルートの紐付けを好感度依存にしたせいで、色々とゲーム的にぶち壊しになっていました。各ヒロインに脱出方法を提案させ、どれを手伝うかで分岐させるとか、もっとシナリオとダイレクトにつながる方式はいくらでも在ったはずなのに……
そして、分岐条件を一つの数値依存にした場合、直接的にはプレーヤーの介入とは別の次元で話が展開する事になります。本来なら、張り巡らせてきた策が功を奏し、万感の思いを込めて選択肢を選ぶべき場面が、「単に結果を見せられるだけ」になってしまうのです。
例えば、マミさんルートで彼女が魔女化するきっかけは、一人で立ち向かった魔女に勝つ物の、その意味を否定されることです。しかし、魔女化しないルートでは、その「存在意義を否定される事実」は「単に気づかなかっただけ」で処理されてしまいます。これは余りに大きな瑕疵でしょう。やるならば、仲間を信じられた結果二人で戦うと言うシチュエーションなのですから、最後の否定に対してまどかに「マミさんは何も悪くありません」と主張させると言う選択を、「プレーヤーに」行わせなくては意味が無いのです。
繰り返しますが、これはもう、最近のテキストゲーム全般の問題なので、まどか☆マギカポータブル自体の批判としては取り上げません。だから、この部分は感想にも書きませんでした。勿論、あれだけのシナリオを原作で見せられて、きっと「ゲーム」に特化したシナリオを作ってくれるだろうと期待していたので、ガッカリしたのは100%事実ですが。ほむらが原作で行っていた試行錯誤は、正にこの部分でこそゲーム的で、ゲームライターである虚淵氏の経験を活かした構成で魅せた訳ですから。
テーマ的に近く同様に傑作でも、あくまでも映画の文法で(映画なんだから当たり前です)構成されていたバタフライ・エフェクト(感想はこちら)との対比は、物語の語られ方が一様ではない事を物語るとても興味深い素材でした。何が言いたいかと言えば、あのように誉め言葉として「ゲーム的」にしやすいだった原作をゲーム化したらゲーム性が低くなってしまうと言うのは、何の皮肉かという話です。
一応フォローしておくと、こう言う一パラメータ依存の分岐方式が主流になったのは、省コストだからに他なりません。選択を積み重ねた因果によってシナリオが分岐する方式は、非常に手間がかかります。辻褄のあったシナリオを用意するために管理が膨大な手間になりますし、デバッグもまた大変なことになります。単なるフラグ管理だけでなく、文章全てにおいて分岐に伴う前後矛盾を起こさないよう調整する必要がありますから。特に、近年顕著なシナリオ肥大化は複数ライターを前提とし、こう言った管理をいよいよ難しくします。
しかし、例えば最近すっかりご無沙汰になってしまったギャルゲーの主流は、あれ「ゲーム」としては、本質的にソーシャルゲームと変わらないですよね?
共通ルートの共通テキストを用意し、それをぶつ切りにして時々「移動場所選択」を表示。その移動先にいた(ほとんどの場合アイコンが表示されている)キャラの好感度が一定値上昇し、ルートが後半分岐する……
これって要するに、選択の全ては目当てのキャラのアイコンをクリックするだけな訳です。携帯の「5」キーを連打してバーが伸びるのを見るだけのソーシャルゲームと、一体どこが違うんですか?
例えば、好感度分岐にするならするで、上に挙げたような「好感度で分岐するのが必然」のシナリオを用意するか、単なる場所移動ではなく日々の生活の中で為される様々な選択の積み重ねであればまだマシなのですが。
なお、そもそもテキストゲーム大出世作の「TO HEART」が正にその方式だったじゃねえかよ!と言うツッコミに対しては、「だから私はあのゲームを、『ゲーム』としては一切評価していません」と回答しますのでよろしく。
まあ、全体的に老害乙とか言われそうなエントリーに仕上がったのですが、元々ギャルゲーやノベルゲーは、半分はヘビーなコアゲーマーの物でもあったはずなんですよ。アリスソフトの初期作品にせよプリンセスメーカーにせよ、ガチガチの「ゲーム」でしたし、コアゲーマーがオピニオンリーダーとなってヒットに持って行ったときメモなんかも、正に典型なわけです。
その市場の半分を切り捨て、「ゲーム」であることを止めていった流れこそ、飽きられ衰退へと進んだ過程とパラレルなのではないかと。
あと、一応書いておきますが、別にミニゲーム入れろって言ってる訳じゃないですからね。ノベルゲームと言う物は、間違いなく「ジャンル固有のゲーム性」を有していた。それが本論の趣旨ですから。
少なくとも、「街」や「428」(3年前に書いた感想はこちら)と言ったノベルゲームの進化形を模索して、一応一定の成果を上げている(街は大敗北でしたが固定ファンも付き、ちゃんと血を継いだゲームが市場に認められた)チュンソフトみたいな挑戦は、自由度の高かったジャンルバブル当時に、ギャルゲ/エロゲでもやっておくべきだったんじゃないかなあ、と思ってやみません。
涼元悠一 『ノベルゲームのシナリオ作成技法』
↑小説とゲームの面白さは違うよね、と言う好例。planetarian も clannad の担当ルートも面白かったんですが、小説版 planetarian の「悪い意味でSF」ぶりと来たら……
つまりは、ノベルゲームとノベルは別の物なので、押さえるべきポイントも違っており、ジャンル固有の面白さを追求しなくなった最近はどうなのよ、と言う話です。
当BLOG内、その他ゲーム関係のエントリーはこちら。
当BLOG内、その他ギャルゲー関係のエントリーはこちら。
2012年03月22日
魔法少女まどか☆マギカポータブル 感想3 青ルート

前回までの感想はこちら。
マミさんルートを複数のパターンでクリアし、ほむらルートとさやかルートが解禁されました。と言うわけで、「まずは気にくわない方のルートから」の法則に従い、青ルート「私が願った、奇跡」を開始です。
そもそも私、本編で完全にほむらに感情移入してしまった結果、青はハッピーエンドに立ちふさがるお邪魔キャラと言う認識になってしまってるんですよ。そりゃもう、同人ボードゲームの魔女ハンターパニック(リンク先はとらのあなの通販ですが、なんで18禁扱いなの?)やるときは、「さやかは魔女化してる可能性があるので、いっそのこと敵ごと爆破(ほむらの特殊能力を使用)してから魔女裁判にかけましょう」と言う戦略提案を頻繁に行うくらいに。ちなみにこのゲーム、「まどかを魔法少女にせずにワルプルギスを撃破」と言うほむら的正統ミッションは、針の穴を通すような厳しさですが一応可能。裏切り大好きなボードゲーム仲間とプレイしていてこれを成し遂げて以降、私はプレイしていません。ええ、トゥルーエンドを達成したんですから、もうループは不要なんです。
閑話休題、青編です。これも視点人物はキュゥべえ。一方、時間軸は、ほむら二度目のループ(「私も魔法少女になったんだよ!」)となります。
ただ、このルートを解禁するマミさん編のラストで、魔女化を見ていないほむらに向かって、キュゥべえが魔法少女化の「末路を、君は良く知っているはずだ」とか言っていのは、引っかかりました。要するにマミが死んだことを指しているのでしょうが、マミの魔女化を経たエンディングからセリフが流用されているので、違和感があるのです。って言うか、あれ、ラストシーンのスクリプトが、ルートによる場合分けをしてないって事ですよね。なんだかなあ……
あと、一周目では魔法少女になっていなかったさやかについて、ほむらが「さやかさんはまだ契約していないんだ」とか言っていたり、どうにもチェックが甘いようです。
とにかく物語の開始ポイントは、ほむら転校直前。魔法少女になったまどかとマミが仲良くしているのを、疑問と共に眺める青から始まります。まどかを見つけて喜んで駆け寄る様は可愛いのですが、「あたしたち親友だもん」とか口にしちゃう女の子は、絶対誰に対しても同じセリフを言ってやがるに違いないと言う、事実に基づく偏見が……
まあここは、全方位ヒロイン・まどかさんの魅力故と言う事にしておきましょう。
ちなみに、転校直後の「クラスのみんなにはナイショだって、言ったじゃないですか!?」なシーンもきちんと入ってます。で、それを見ながら「魔法少女」の言葉には一切反応せず、「なんでいきなりなれなれしく?」とか考えてる青さんはどうなんでしょ?問題はそこなの?
さて、本編開始ですが、ここで初めてほむらのステータスが参照可能に。その中に、初期状態から(他のスキルを経由せず)非常に厳しいステータス条件さえ満たせば習得できる技に、まどかと同じ「マジカル・アロー」がある事に感動。ちゃんと、改変後世界の再現も出来るようになってるんですね。この辺の解ってる感はさすがです。なお、対艦誘導弾だの分隊支援火器だの危険物第四類だの、ボンクラオタクの僕らが大好物のフィジカルな技もちゃんと登録されてますので、ワクワクが止まりません。MP消費する、普通の魔法扱いですけどね……
一方序盤のシナリオは、魔法少女活動に勤しむ三人を横目に、隠し事をされている形のさやかが感じる疎外感がメインに。恭介との関係に悩みながら、相談する相手であるまどかは魔法少女トリオの活動でさやかに構えず、追い詰められていく。結局まどかが居たところで、行き着くところまで行き着いた光景を我々は本編で見ているのですが、これは確かに「あり得たかも知れない異なる悲劇の可能性」。
またこのシナリオでは、マミは気のつくお姉さんと言うのが面白い所。ほむらの正体を疑ったり、チームワークの乱れを予想してさやかの勧誘に反対したりと、知性派で推します。
しかし、シナリオはここから大方の予想を裏切って、意外な方向へと進み(かけ)ます。つまり、さやかが契約を拒否するのです。奇跡を起こして助けねば、恭介は弱い心に押しつぶされるだろう、と迫るキュゥべえに対し、「恭介はそんなに弱くない!」と叫ぶ姿に痺れました。こうして見ると、マミが本編でさやか達に関わってしまった結果、奇跡という毒を彼女の心に流し込んでしまったと言う事なのでしょうね。
そう言えば、さやかのシナリオは虚淵さんがかなり力を入れた書いていたっけ、と今になって思い出したり。
ま、その後あっさり契約するんですけどね、この馬鹿!
奇跡にも魔法にも頼らず、恭介の自殺を止めることに成功したのに、なんでああなるかなあ…… 正直、このシナリオは本当に不自然で、ちょっと意味が解りませんでした。魔女だとか呪いだとか言う話を証拠も無しにまくし立てられて、そのまま信じてしまう、こいつってほんとバカ、と言う結論になってしまいます。
あれって、多分原作を改編する上で理想的なポイントだと思うんですが、せめて選択肢くれませんかね?
どの同人誌だったか忘れましたが、闇に落ちつつあるさやかに向かって、ほむらが「上條恭介は声楽の道を見つけ、あなたは魔法少女にならずそれを支える、そんな時間もあった」と語りかける、残酷な希望の話があって凄く良かったんですが、ああ言うのを期待しただけに残念至極。虚淵さん……
「君はさっきから、上條恭介のためにと言っているが……」
「それはいかにも君と上條恭介が、恋愛関係にあるような表現だけど、実態は違うよね?」
「そもそも上條恭介は君のことが好きなのかな?」
みたいに、さやかをいびるキュゥべえさんとかは、マジで輝いてるんですけどね。
半分は強がりでしょうが、「まどかなんかもうどうでも良い!だって恭介と仲良くなれたし!」(大意)とか思ってる青が青なんで、あんまり同情はわかず。
後半も、原作通りのさやかちゃん(笑)で、複数の課題から平等に逃げ回って人間関係も戦略条件も悪化させ、余計な行動でマミさんを死なせたあげく、全方位に迷惑をかけまくるその姿に怒り心頭。
「よくもマミさんを!」
じゃねえよ!お前が足引っ張って撤退命令無視したから庇って死んだんだよ!誰のせいでもない、 お 前 の せ い に 決 ま っ て る だ ろ !!
……ただですねえ、最初さやかが魔女化するルートに進んだんですが、上條&仁美のクズっぷりも相当な物で、もう誰も同情に値しないんですわ。さやかが何を間違ったって、あんな連中に友情だの恋心だの感じたのが間違いだったんじゃねえの?と。
それだけに、ワルぶっていても絶対に仲間を裏切らない杏子に、涙が出るほどの有難みと頼もしさを感じるわけです。
あ、ボロクソに言ってるように見えるかもしれませんが、この辺のシナリオにおけるたちの悪さは、正に本編の面白さに極めて近い物なので、やって居て楽しくて仕方ありません。
このルートのまどかの願い(家族がずっと幸せでいて欲しい)から逆算される、バッドエンドのあとの諸相とかね。願いのせいで、まどかの家族は、娘とその友人達がまとめて死んでも、幸せを感じて笑っているのでしょう。本当、シナリオ進行における性格の悪さが最高です。
そう言う点を抜きにしても、例によって、本編で描かれないキャラの側面や絡みなど、深みを与える補完描写も多いです。特に、まどかの母がふさぎ込んで引きこもったまどかにかける、「心配してくれる友達がいる内が華だよ」「あたし達家族はあんたを見捨てやしないんだ。でも、あんたよりあたしらの方が先に死んじまうんだよ」と言う言葉など、泣けてきますね。彼女が本当に良い母親であると言うことを示すのもそうですが、長く友情を続ける担任の先生との関係とか、色々想像させる物があります。あと、ほむらに向かって、「まどかのこと、よろしくね。あなたになら、安心して任せられる」とか言い出すシーンでは、盛大に吹きました。親公認!!
まあ、引きこもってるまどかがずっと制服姿なのは、立ち絵バリエーションの関係だと思うんですが、画竜点睛にも程があると思いましたが…… ずっと着替えずにいたって事の表現なんでしょうかね?パジャマ姿の立ち絵が折角あるのだから、あそこでこそ使えばいいのに。
ただですね、ちょっとバグが酷すぎるんですが、これどう見てもデバッグ期間を削っちゃいけないレベルまで削ってますよね?
画面切り替えのがたつき(と言っても、now loadingの文字がガクガクになるので、凄く心臓に悪い)くらいは笑って済ませますが、フリーズやダンジョン攻略中に突如通行不能ポイントができて攻略不能になるなどは、見事に致命的なレベル。大体、ダンジョン途中ではセーブ不能なのに、ダンジョンパートとの切り替えでフリーズが頻発するってのは、どう言う了見でしょう?携帯機は時間を細かく取れるところが利点なのに、一時間くらいプレイした結果が平気で吹っ飛ぶような仕様を組んだ奴は、何を考えているのか。フリーズが取り切れないなら、せめて途中セーブを可能にして欲しい物です。
そして何より、「少し前のセーブデータから何度やり直しても、同一箇所でフリーズして進行不能になる」と言う、明らかなフラグ処理ミスのAバグが放置されてるのは、一体何事ですか?
私が引っかかったのは、さやか魔女化ルートでしたが、検索したり攻略WIKIを見たら、出るわ出るわ……
バランス厳しめのダンジョンと、スキップ不可のイベント(特に一周目だと早送りもできない)を経て、毎回フリーズを喰らう身にもなっていただきたい。これに引っかかって数時間費やした段階で、私のこのゲームに対する感情は決定的に悪化しました。ゲームもシナリオも関係ありません。これは、工業製品として最低限のクオリティを満たしていません。
さすがにどう言うことかと公式ページからバグレポを送ったのですが、今に至るまで返信は無し。ふざけるなと。
結局、分岐直前のデータが偶然残っていたので、そこからやり直して事なきを得ましたが、ソウルジェム発見後のさやか魔女化ルートは、二度とやりたくありません。データが残ってなかったら、プレイをやめてましたよ。複数周回はスキップモードがあるから耐えられるんであって、それが不可能なままもう一度一周目をプレイするなど、捻出できる時間と気力的に不可能です。
最後に、フリーズ連発のせいで、分岐ポイントとなる中ボス戦を延々とプレイさせられて気づいたのですが、このゲームも、「分岐」と言う「ゲーム」部分を、割といい加減に扱っているんですね。
ただこれ自体は、現在のAVG(に限らず)和製ゲーム全般が抱えている問題なので、詳しくは項を改めて書きたいと思います。
↓
3/23追記:項を改めて書きました。
と言うわけで、ふざけたバグのせいで一気に評価が暴落しましたが、困ったことにシナリオは面白いので、残り2ルートもプレイは続けます。
でもねえ、「放っておいても売れるゲーム」こそ、きちんと作って商品としてのクオリティを上げ、顧客満足度を上げないと、結局購入者は「ゲーム」その物に絶望してしまうって、いい加減気づきましょうよ。
そう言う焼き畑農法を、正に放っておいても売れるシリーズ物や原作付き、果ては宣伝攻勢タイトルで繰り返して来た事が、今のゲーム市場が陥っている苦境の一因なのですから。
当BLOG内の、この他まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月20日
魔法少女まどか☆マギカポータブル 感想2 マミさんルート

その他のルート感想を含む、関係エントリーはこちら。
前回の感想を書いたあと、最初に選べる原作準拠のエピソード「夢の中であった、ような」を三回クリアしたんですよ。ところが、全くエンディングが変化しないわけですよ。全部の隠し選択肢を出しても単にポイントが稼げるだけだし、マミやさやかのソウルジェムを真っ黒に染めようが綺麗にしようが、何も変化無し。
とりあえず、UMDを叩き割りたい衝動を、開発責任者を心の中で血の池地獄めがけてバンジージャンプ(ただし紐の先にはメテオライト)させるだけで一旦堪え、次に選択できるエピソード「あなたが側に居てくるなら」を開始しました。
これは要するにマミさん編なのですが、冒頭が誰とも出会わなかった時間軸(?)のシャルロッテ結界から。でまあ、エピソード1で散々攻略したここをまたやらされる事の怨嗟をこらえてクリアすると、例によって何も変わらず強制イベントでシャルロッテ本体。
そこから話は過去へと遡り、未契約状態のマミさんをQBが付け狙うことになります。って言うか、マミさん契約時にもう見滝原の中学生だったの?もっとベテランかと思ってました。
それはとりあえず良いのですが、許し難いのが、彼女が契約時に制服を着ていること。原作を見た方ならご存じのとおり、事故に遭って契約を迫られた時に着ていたのは、ノースリーブのワンピース(多分)です。実際このCGは、ゲーム内でも使われているんですよ。
このため、直前の一枚絵で制服を着ているマミが、QBにむけて手を伸ばした瞬間服が替わるという、チェッカーに目が付いてなかったんじゃないかと疑問に思える大変化状態に。立ち絵と一枚絵なら、「ああ、服装一つのために立ち絵作れなかったんだな」とか目をつむったり、「着替える場面が省かれたんだな」と言い聞かせることもできますが、事故直前だけでなく事故直後も制服で、その直後に原作CG挿入という流れ。幾ら何でもふざけすぎでしょう。
たかがCGですが、原作付きである以上、こう言う細部に魂が宿っているかどうかが、評価の分かれ目にならざるを得ません。
この後も、屋上から飛び降りるOLを助けるというイベント&CGが本編の完全使い回し(このイベントは数年前なのに……)と、プレーヤーを脱力させる要素が続きます。
このゲーム、明らかに同じ日付のイベントなのに、日付表示が切り替わってる場面なんかもかなりあったりして、根本的に各種チェックを大幅に省いて無理矢理年度末に投入したことが伺えます。
ただ、時制が現在に戻ってからは、一周目(眼鏡ほむら未契約状態)の時間軸をうろちょろできる楽しみが出てきます。この辺も、最初の話と同じですね。個人的には、あちこちで孤立気味の生徒に声をかけて回っている早乙女先生に、好感度アップ。やっぱり、まどかママと先生のコンビを描いた同人誌は、もっと世に出るべきだと思います。
その後も、眼鏡ほむらの無自覚なまどかLOVEと、ボッチを脱却した途端にライバル出現でそれに嫉妬するマミさんなど、見所は盛りだくさん。正直ゲームとしてのアレっぷりはもうどうしようもないのですが、こう言う同人補完的な楽しみが充実していて満足感が大きく上がっていきます。
更に、マミさんを魔女化させてしまったため、地獄としか言いようのない対ワルプルギス戦を単騎で戦う羽目になり、そのパズル的な難易度に大興奮。結局、MPの絶対量が足りなくて死んだ(バッドエンドになった)わけですが、戦略を最適化すれば何とか勝てるかも知れないという希望が垣間見える、悪質なバランス(賛辞)が最高です。
正直最初に選べるシナリオは酷すぎると思ったのですが、ここで一気にゲームの評価が上がりました。と言うか、なんで最初だけあんなに酷いのかという疑問が……
とにかく、最後までやるだけのモチベーションは得られましたので、このシナリオの再プレイ、そして次のシナリオへと進んでいきたいと思います。
ところで、まだ専用ルートが解禁されない杏子ですが、立ち絵で何故か左の胸だけが強調され、片側乳房切除術状態に見えるのは何なのでしょうか?もの凄い気になるのですが。
当BLOG内の、この他まどかマギカ関係のエントリーはこちら。
その他、当BLOG内のゲーム関係のエントリーはこちら。
2012年03月18日
オールナイトトークライブ「アニメ会はファンが少ない」 感想

↑観に行った人なら解るでしょうが、こいつのアフィリエイトは貼らざるを得ないですよね。
さて、アニメ会の活動性低下と東京に戻るのも難しくなってきた関係で、一年ぶりのライブ鑑賞となりました。会場は、去年と同じ新宿ロフトプラスワン。今回は、ちょっと長目のレポートになります。
今年の題名は「アニメ会はファンが少ない」ですが、例によって北は青森・南は四国までと、多彩な客で満員御礼。後述しますが、女性ファンもかなり増えた印象です。これは、サンキュータツオさんが売れている影響でしょうか?
なお、食事の席で飲酒してから参加したため、今年はあんまり注文できず。ロフトプラスワンのシステム(飲食費の一部がイベント主催者にキックバックされる)的に、次回は胃をあけて出向こうと思ったり。
十分ほど開始が遅れてどうしたんだろうと思っていたところで、四人が入場。ただし、三平さんと比嘉さんはNEWラブプラス片手で、「あ、進めといて下さい」と言う掴みから。彼女会話は「昼下がりのOLのような怖さ」があるとかで、さすが邪悪なときメモは違うなあ、と思ったり。
ステージは大きく3パートに分かれており、まず最初は最近見たアニメの話、と言ういつものフリートークから。面白かったのですが、ライブが一年空いているので、この一年の総括でも良かったかな、と思ったり。今期はここ一年の中では比較的不作ですし。
続く第2パートが、各人のテーマ別発表。
まずは国井さんの笑点ならぬ「焦点」。去年一年間のアニメの中で、「ここは凄い!」と感じた無意味に細かい場面の指摘をする、と言う主旨。
つまりは、
国井「今の凄かったでしょ!?」
会場「え……?」
と言う流れの話芸。花咲くいろはで、空を横切る飛行機雲が過去と現在をつなぐシーンで、過去だとF4なのに現在だとF15になっているとか、アイマスで伊織が腕をおろすシーンで物理的に凄く正しい表現になっているとか、そう言う解説の面白さ。なお後者で、筋肉の制動が見られないという意味で、物理エンジンとしては正しくても解剖学的にはやや不自然かも、と細かさ返しを考えたのは、後述するオタクの張り合い根性という奴でしょう。
次がサンキュータツオさんによる、「中二病アプリケーション」と言うソフトウェア企画(架空)のプレゼン。要は、そのアプリを通すと普通のセリフや日常会話を、小粋な中二病メッセージに変換してくれる、と言う代物。
「自由っていいよね」
↓
「雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とは、そういうことだ」
には、国井さん同様大爆笑しつつ超同意。格好良いよね!
ただ、セリフの元ネタはバラした方が二度面白かったんじゃないかという所と、アプリのプレゼンという外観は意味があったのかという疑問がありました。単にセリフを中二病変換して見るという企画なわけで、アプリの話にするならそれっぽいインターフェイス画面を用意するとか、一段面白くできたと思うのです。
ところで、まとめ部分の中二病DISり会とも言うべき特徴抽出(「自己顕示欲」とか、「関係ないところでうんちく自慢したがる」とか)は、当てはまりすぎて笑いながらアイタタタ。ま、オタクってそう言うもんです。
三人目は比嘉さんだったはずなのですが、持参した編集済DVDがプレーヤーに読み込まれず、三平^2が先に。
三平さんのネタは、去年もやった擬人化BL同人の解説。直接同人誌の中身を見せるのではなく、内容を「語り」にしてプレゼンするという形の物。お勧めのカップリングをプロジェクターに映し、メンバーが一つ、会場から三つの選択をして貰って語りに入ります。
最初が「土石流×土嚢」。元は一つの山の砂利だった二人が引き裂かれ、一人は人間に洗脳(袋詰め)されて土嚢となり、土石流の行く手に立ちはだかる、と言うシナリオ。元は同根とか、オチ(土石流が流れた先、混じり合った二人は豊かな土壌となり花を育む)も綺麗で見事な擬人化でした。BLじゃなくて男女にした方がオチが自然だったんじゃないの!?と言うのは、言っちゃダメなんですかね?
あと三平さん(あるいは同人の作者さん)、山を下ってきた石は角が取れて丸くなっているので、鋭くなる、は逆です…… 小学校の理科で習ったじゃないですか。
二つ目は、ノート×本。次の日捨てられる予定の本と、買われたばかりのノートが本棚で並んで語り合う、と言う内容の童話、ですねこれ。どこがBLか全く解らなかったのですが、話としては綺麗。でも、折角白いノートなのだから、本の内容を何らかの形で物理的に「残す」シナリオにしてこそ、擬人化の面目躍如では、とも思ったのです。
休憩を挟んで三つ目が「充電器×携帯電話」で、充電器が居なければ生きていけない体の携帯電話を、ドSの充電器が攻めるという説得力に脱帽。この辺、BLと言うのは何でもカップリングにできるので、百合妄想と言う一般性を余り持たない場所への飛躍を必要とする美少女的擬人化よりも、ネタを作りやすいわけですね。
最後が「食品サンプルのパフェ×同ざるそば」ですが、これは以前のライブでやった物なので割愛。
さて最後は問題の比嘉さんですが、DVDが再生できなかったので、直接お勧めのゲームをプレイしつつ紹介と言う形に。
で、それが↑にアフィリエイト貼り付けた「ぎゃるがん」。いや、ビックリしましたよ。ぎゃるがんが面白そうで。当然ゲーマーとしてあれの存在は知っていたのですが、あそこまで狂ってるとは思いませんでした。後、ゲーム画面を見る限り、バカですがちゃんとFPSとして機能してるみたいですし。札幌に戻り次第ヨドバシに駆け込むことを心に誓いました。関係者枠で参加していたかーずSPさんも、twitterで同じ事を書いていましたね。
しかし、比嘉さんは本当に相変わらずで、あれだけ美味しいネタを用意しながら、色々不徹底。三平さんが突っ込む中淡々とおにゃのこのエクスタシーを狙ってる辺りは良かったのですが、キャラ別プロフィール画面とか、芸が貫徹しません。ロリコンキャラで売っているんですから、ロリキャラだけ落とした回数をバカみたいに多くしたセーブデータくらい用意しておくとか、色々有るじゃないですか。何故か巨乳の先生をプッシュしようとしてやめてみたりとか、せめてネタの動線は確保して欲しい所。周囲のツッコミ込みだととても面白いのですが、それは果たして面白がっていい「ネタ」なのかという疑問が止まりません。
そして、最後の休憩後、トリの「萌え話」へ。メンバーが「自分と好きな二次元キャラ」の妄想をひたすら喋るというトークショウで、アニメ会ライブの華。なお、毎回割とどうでも良い扱いになる「今回のテーマ」は、「喧嘩」です。
トップバッターは三平さんで、お相手はエヴァのシンジ君。
多分、今まででもっとも聞いているのが心苦しい、あるいは居たたまれない気持ちになる、「三平さんとシンジ君の事後会話」を聞かされた後、「実はお酒の話でした」と言う叙述トリック。
前半の居たたまれない感じを、逆ギレ芸(ホモの話に聞こえたのは貴様等の脳が歪んでいるからだ!と言う奴)で昇華するのは良かったのですが、ネタの解説が長すぎてだれてしまった感じ。三平さんがたまにやる、「凝りすぎて振り切ってしまう」奴だと思います。
なお、三平さんがネタにしていた「10年前にここでやったライブの後、国井咲也にゲロかけられた」と言う話に引っかかって調べてみたものの、私がアニメ会を見始めたのは2005年7月なので良く解らず。関係ないけど、個人的な日記をチェックしてみたら、2005年頃って本田透と組んで一気に伸びてた頃で、ライブの頻度も凄かったんですねえ。
次の登壇はサンキュータツオで、三部構成。これもSS風味の会話劇で、「日常」のみおやゆっこと口げんかしつつ和む話と、ノーブラの姫にそれを気づかせようとして落とされまくる話と、博士を愛でる話。真ん中のは、「さあどうする?」とメンバーに問いかける形で、即席TRPGの趣。細かく落とす落研話芸は健在で、堅実さは相変わらず。
三番目が、比嘉さん……
内容は、失業中に、765プロのパチもんの756プロに拾われた比嘉さんが、何故か在籍していたかすみ(やよいの妹)を応援して、姉妹競演を実現させる話。
これだけ聞くとまとまった良い話ですが、勿論そんな事はなく、駄々漏れの欲望(小学生レベル)とショッパイ現実と変な浪花節が合わさって、訳のわからない物に仕上がっていました。途中からメンバーがツッコミを控えて「みんなで作り上げていきましょう」とか言い出したのが、どこまでネタか悩むレベル。
とりあえず、「僕はロリコンじゃありません」と言った舌の根も乾かない内に、「”この世界の”僕は小学生は対象外」と口走り、返す刀で「かすみちゃんの様子を見て、その時僕は初めて小学生の女子に興味を持ったんです!」と落とす手腕は、意図してやったなら鮮やかすぎると思います。
なお、オチはプールの上で水着相撲。そして、プールの中には水着だけ食い破るように調教されたピラニア。はい、欲望はとても良く理解できるのですが……
あの中学一年生のような純粋さとパワーは、上手くまとめればもっと面白くなるんですよ、絶対。実際、比嘉さんはポテンシャルとしては一番高いと思うのですが、どうなんでしょうね?
あ、いつものとおりプリキュアも出ました。脚本にして一行ですが。
そして大トリの国井さんは、例によって例の如し(これは誉め言葉)。
妻を化物鹿に殺されたと思い、鹿撃ちを生業としている国井さんが、ノーマンズランドとなった福島の放射能汚染地域で、誰かを守っているアンドロイド(日常の"なの")と出会い、小じゃれた会話劇を経て、博士を守りきる話。ビシビシ「決まる」セリフ群と、目の前に場面が浮かび上がってくる情景描写は相変わらず健在。これで締めないと、アニメ会ライブではありません。
ただ何というか、一面サンキュータツオがネタにした中二セリフ実践編という感じで、相変わらず最高に格好良いものの、一々引っかかってしまうのは仕方ない所。もっとも、今回の脚本(と、あえて言いましょう)は、実際にセリフが少し多かった気が。サンキュータツオさんが、途中でそう言う趣旨のツッコミ(言いたいセリフと言われたいセリフをずっと並べてるだけじゃん!)をしてたせいで、思考が誘導されたのかもしれませんが。
それにしても、国井さんの話については、あの会話芸と情景描写が命なので、こう言う風なレポートではどうしても魅力が伝わりません。演出特化の映画を文章で説明させられるようなもどかしさがつきまとうので、興味を持った方は一回ライブを観に行かれることをお勧めします。あれは、今の時代少なくなっている「生で観る事に意味がある」系の娯楽ですから。
とまあ、0040に始まり0700くらいまで6時間以上、実に充実したライブでした。また行きたいし、もっとやって欲しい物です。
ところで、女性客が増えていた、と言う話から派生するのですが、「こう言う所で女の子に声をかけられれば、趣味が合うのは自明だから幸せな出会いとか出来るんじゃないの?」と、オタクらしからぬ事を考えたり。
いや、隣に座ってた女性が割と綺麗だったせいなのですが、オタクイベントでそう言う話ってあんまり聞きませんよね。即売会売り手側のドロドロの人間関係は別として。
勿論、そこで声かけられるほど勇気の神様(©ときメモ2)の加護篤い人間であれば、こんなBLOG記事書いてる間に彼女作るための努力の一つもやってるわけで、何もせずに帰ってきたのですが、うーむ……
それがどんな「ゲーム」であれ、「死んで憶える」は基本中の基本であり、つまりそう言う事がたまに思い浮かんだ段階で実行して失敗し、学ぶ材料とできる人間が、「強い」者なのでしょう。
と、徹夜明けのハイな頭で後悔と思索をグルグルブン回しながら、家路についた次第です。とりあえずぎゃるがんやってクールダウンするか、と言う「解決」は多分怠惰と言うべきなのでしょうが……
当BLOG内の、「アニメ会」関係エントリーはこちら。
当BLOG内の、アニメ関係のエントリーはこちら。



