2015年09月07日

ふざけないでいただきたい/オリンピック盗用ロゴの擁護について

例の、オリンピックロゴについてです。
元々この問題については、基本的にデザインにあまり興味はないので、選考課程など、背景に広がる問題の方が遙かに重要だと思っていました。
まあ、あの大胆かつ無意味(あちこちで言われているように、あれだけ売れているデザイナーなら、写真なんか自前で撮ればいいわけです。少なくとも、コピペせずに同じパターンで写真を撮れば、パクリがばれる可能性は大幅に減る訳で)な盗用ぶりというのは一種の盗癖(精神病)なんだろうなと思うわけですが、それは単に関わりたくない人間と言うだけの話ですし。

ところが、よせばいいのにデザイン業界の一部の方々は火に油を注ぎたいようで、「業界では普通」と繰り返し、コケにされた国民の感情を逆撫でしてくれる訳です。とは言え、それらに対する反応は概ね「ふざけんな馬鹿」で終わっていた訳ですが、今回の「深津貴之」氏の弁については、コロッと「納得」してしまう人間が多いようで、怒り心頭に発してBlogの更新と相成りました。こんな事やってる場合じゃないのに!

元の記事:
よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

さて、語り口が丁寧なのと、図版を多く使った見せかけの「解りやすさ」で多くの人を捉えたこの記事ですが、端的に言ってただの詐欺です。こう言う手合いが一番面倒な訳ですが、平易な言葉も優しい語り口も、論理破綻を埋め合わせる事はできません。

では、問題を最初に指摘しておきます。

1,「似ているか否か」と「盗用か否か」を故意に混同
2,デザイン経緯は全て想像の産物で、説得力もない
3,「文脈が違う」と言うふざけた理屈
4,「専門家なら解る」と言うロジックは許し難い



順番に説明します。


まず「似ているかどうか」ですが、そんなもの「似ている」に決まってます。
円の中に縦棒、そして円の外殻を使った左上と右下の飾りを見て、「似ていない」と思うなら目がおかしいです。だって、同じパーツで構成されているのですから。何しろ、デザイン的に似ていないという面で記事中で具体的に挙げられているのは、右下・左上の湾曲三角が縦棒と繋がっていない、と言う部分だけなのですから。

そもそも、記事内容は「似ているが同じではない(オリジナリティがある)」と言う物であり、この時点で既に欺瞞があります。何しろ、『アウトプットの形状が似通っても』と自分で書いているのですから。つまり、似通ってるんでしょ?と言う話です。

そこで彼が持ち出すのが、「#」と「井」と言う噴飯物の例なのですが、これ、似てますよね?似てるどころか、手書きだったら普通区別が付きません。私が頻繁に制作する書類では、問題点の前に#と番号を付けて整理し、以後その#プラス番号で略記したりする訳ですが、「井」と読み間違えるなんてザラです。(経過を書いた文章で、井のつく人名や地名などと見間違う訳です。逆も同じ)そこで彼が言い出したのが#と井を並べてもパクリとは言わない、と言う理屈。ええと、似てないかどうかの話でしたよね?そして、#が井のパクリではない(逆も又然り)なのは、似ているにもかかわらず、#と井が独立にできた物であると歴史的に知られているからです。日本語と英語の知識なら十分あると自負していますが(ところで、「#」って英語じゃないですよね……?)、普通に井と#を読み間違える場面があるのは見てのとおり。
つまり、この例えは論理のすり替えを行った上での煙幕で、読者をだまそうとしている文章の典型です。

つまり、パクリではないと強弁するだけでなく、「そもそも似ていない」と言うロジックを構築する(できてないですが)事で、切断処理を行おうとしている訳です。パクリかどうかで争ったら、もう争いようがない(信用がない)わけなので、パクリの前提である同一性に的を絞っている訳です。盗用の常習犯が提出した作品が盗用と見なされるのは、他に似たものがあった場合であって、そもそも似ていないと強弁すれば盗用の前提が消える、と言う論理構築ですね。ディベートのテクニックとしては見事ですが、要するに詐欺師の技術です。


次。
そもそも制作の経緯が違うから盗用ではあり得ない、と言う事を言っている訳なんですが、綺麗な図表を並べて説明しているあの内容に、前提となる資料がありません。つまり、単なる彼の想像の産物なわけです。「想定される」って書いてありますね。これまた画像で……
そして、その論に説得力があるかと言えば、問題外です。何故なら、「ロゴをパクってきて元となるフォントだけ変えた」と言う方法を排除できないばかりか、佐野研二郎の仕事内容を見る限り、そちらの方が余程説得力があります。一番重要なデザイン変更(三角の斜辺を局面に)を「亀倉リスペクト」って言ってますが、ロゴをパクったと見た方が余程自然ですよね?だって、Tが元のはずなのに、右下に突然三角が登場してるんですよ?どっから来たんです、それ?てか、この時点でもうTじゃなくてTLの融合(リエージュのロゴそのもの)ですよね?

あとですね、デザインパーツの読解もそうなんですが、そんなもの「言った者勝ち」で、後から何とでも言えるんですよね。と言うか、そのための釈明として出てきたデザイン経緯の内容が、あの滅茶苦茶な選考課程と「最初の案も盗用だった」と言う代物なわけで。これで擁護になると思ってる感覚が不思議でなりません。と言うか、勝手に佐野研二郎の方法論を代弁・解読しちゃってますけど、違ったらどうするんでしょう?



で、上と関連する3つめ。
何が「文脈」だ!?
ええとですね、そもそも作家の心中(誰にも解らない制作過程)を云々したのと同じ文章で、文脈って言葉を持ってくるセンスがCOOLですね。文脈で判断するのか作者の意図で判断するのか、どっちかにした方が良いと思いますよ。だって、それ相反する解釈法ですから。

で、「文脈」なんですが、これはかなり面倒な単語で、適当な論理をまき散らす似非学者が大好きな言葉なんですよね。要するに、歴史とか環境とか、周辺事情をまとめて表す言葉なんですが、「周辺」をどこまで取るかは論者次第なので、感覚的に使うと意味が解らなくなります。なので「歴史的文脈」とか限定した上で、どう言う意図で使うのかを明示する必要があるんですが、案の定ちゃんと説明されていません。
仕方ないので「文脈」を読むと、要するに「オリンピックのロゴだから劇場のとは違う」って事みたいです。まあ、文章に例えるならそう解釈するしかないでしょう。他に見あたらないので、解った人は教えて下さい。まさか、自分の想像したデザイン経緯の事じゃないですよね?そんな、検証できない・外から見えない物に「文脈」が発生するはずないので。

と、そう言う解釈するしかないと思うのでその前提で話しますが、そんな「文脈」の違いが言い訳になるなら、つまり既存のロゴをかっぱらって別の目的に使ってもOKって理屈になりますよね?「文脈が違えばオリジナル」なわけですから。こんなふざけた理屈はないし、何の擁護になってないのは間違いありません。私があのロゴをパクって、居酒屋「田中丸」(今適当に考えた)のロゴにしても、デザイナーさん達は文句言わないって事ですよね?だって、田中のTと丸の○を組み合わせてデザインしたと「想定」されますよね?
彼が言ってるのは、そう言う事です。



そして最後。
言うに事書いて持ち出してきたのが、「専門家への信任」です。コミュニケーションが重要、と言う理屈も、前提となる事実が「盗用の常習者を重用し、身内で仕事を回し合って誤りすら認めない」業界トップの姿では、話をする以前の問題でしょう。
何が頭に来ると言って、「専門家」が専門家であるための豊かな知見や事実の積み上げが、全く為されていないあの記事です。想像上の産物である「想定されるプロセス」以外に、何か証拠や論理はあるのでしょうか?

何故ここに腹を立てるかというと、今回の件が「専門家軽視」の文脈で用いられかかっているからです。建築業界における姉歯問題の際、「専門家」の設計がマトモかどうかは工学的に第三者が判断できました。ふざけた医療訴訟の数々で、科学的な裏付けによって医者達は反論を行いました(そして無視されて医療は崩壊しました)。歴史学はたびたび攻撃に晒されますが、歴史研究のロジックと史料批判能力は当然ながら説明可能です。この記事のどこに、そう言った原則や論理の説明があるのでしょうか?都合の良い想定を並べて、印象操作を行っているだけではないですか。

彼は記事中で、専門家としてのデザイナーの役割について「今回の軸となった展開性であったり、文脈、文化的な意義、あるいは5年後にも飽きがこないか?といったことは、ある程度の専門知識がなければ評価できないことです。」と書いています。また、『デザインの本質は「課題を解決すること」と「新しい価値を提案すること」です。』とも。

しかし、一体五輪ロゴの「課題」とは何かも、あのロゴが提案した「価値」も、記事中には書かれていません。これは一体どう言う事でしょう?上記のように、明言されない上に要するにコンペの募集要項以上の内容ではない「文脈」も、「文化的意義」も、何故あれが「5年後にも飽きが来ないと言えるのか」もです。ひょっとして彼は、自分は専門家はないと言いたいのでしょうか?(皮肉)

そして、唯一丁寧に記されている「展開」については、要するに違う経緯で作られたかもしれない、と言う話でしかありません。記事の表題に反して「似ていない」の証明にはなりませんし、じゃあどうだったら「似ている」になるのかと言う反証可能性が担保されているようには、とても見えません。
また、展開力があると言う話についてですが、そもそもオリンピックのロゴは「”良くない”から問題になったわけではない」と言う点を、丸ごと無視しています。って言うか、善し悪しには言及しないと言ったのに、展開力を云々して「良いもの」であるという印象操作を行ってるのは卑怯です。



以上のように、非常に不誠実で不愉快、かつ「専門家」と言う肩書きを振り回したひどい論を見たので、久しぶりに記事を挙げさせていただきました。


最後に、本来もうこれだけで良いと思われる指摘をして、エントリーを閉じたいと思います。

「デザイナーと世間において、これほど大きな認識の違いが生まれた」と仰いますが、ベルギーのデザイナーは「デザイナー」ではないのですか?
そもそも、デザイナーなら似ていると思わないと言うのであれば、「感情面」の問題も出てきようがないはずですよね?
まあ、後者については、彼自身が「酷似している」と書いてしまってるわけですが……


医学者は公害事件で何をしてきたのか (岩波現代文庫)
医学者は公害事件で何をしてきたのか (岩波現代文庫)

↑過去に何度も貼った面白い本です。今回の件とは全然関係ないのですが(すっとぼけ)。
水準操作で問題点をずらして自分達の権威を守り、海外では活動しない(英語では論文を発表しない)事によって国内限定の異常な「常識」を作り上げて行った一部の医学者の姿に、色々と感じる所があるかと思います。
商標登録していないロゴを「野良ロゴ」と評し、商標と著作権を故意に混同する誰かのセンスとか、海外からの科学的異常性の指摘に対して「失礼だ!」と喚いたどこかの医学者(これは、この本の連中とは別)と同じ特権意識がにじみ出ていてとても好感が持てますね。ええ、全然関係ないんですけど(大事な事なので2度言いました)。




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Posted by snow-wind at 23:00Comments(1)社会

2015年07月10日

これはダメな映画では? 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」感想

Mad Max

↑なんか、原作というか前日譚のアメコミがあるんです?



少ない時間をやりくりしまして、何とか娯楽の摂取を続けているのですが、今回見事に眉根に皺の寄る作品に当たったので、感想を書いておこうと思います。
この作品、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(原題 "MAD MAX FURY ROAD")は、非常に有名なバイオレンス映画、マッドマックスの最新作です。まあ、みんな大好き北斗の拳やFALLOUTシリーズの元ネタで有名なのですが、何せ古すぎて古参のオタク・ファン以外からは忘れられかけていた代物。
私も、1は小学生の頃見て余りのバイオレンスっぷりに泣き出しそうになった憶えがありますが、2の記憶は曖昧。3以外はファン的にもなかったことになってるらしいので見てません。

とは言え、断片映像や引用はあちこちで見る名作で、予告編がちょっと微妙な臭いだったことは置いておいて、頑張ってみてきた訳です。そして、うーんとうなりながら映画館を後にし、ネットの感想など見て回って今度は空を仰ぐパターンになりました。

と言う訳で、とりあえず最初に結論:
お金はかかっているし、観客の見たかった物を詰め込んだ超大作。しかし、本来添え物のシナリオを悪い意味で軽視しすぎて、一本の映画として非常に問題がある。

長いですね。でも、予防線を張る意味がありまして、はっきり言って絶賛してる人達の気持ちはよく解るのです。つまらなかったのは確かなのですが、「残念な事に」と言いたいほど「凄い」映画ではありましたから。個人的にも、こんなに疲れてなければもう少し楽しめたかもな、と思う部分はありますし。ただまあ感想は感想なので、以下正直に書き連ねていきたいと思います。


まず、冒頭が冗長すぎます。必要なシーンだけで構成された非常にストイックな構成、みたいな評価をあちこちで見るのですが、これ嘘です。
確かに、開始2分でカーチェイスが始まる辺りは凄いのですが、そこから主人公が自由になって逃走劇が本格的に幕を開けるまでの数十分は、はっきり言って無駄です。砦の中の様子を見せるとか、基本的な状況を説明するとか色々あるのですが、そこに主人公は出てこないので、あんな構成にする理由は特にありません。砦内の状況や設定を見せるなら、別にイモータンジョーの視点で良いですし(実際半分以上はそうです)、縛り付けられているだけの主人公を横目に、誰だか解らない悪党(フェリオサ)と別の悪党(ジョー)がやり合っているのを見せられても盛り上がりません。話としては回り道その物です。
美女連れて逃げてるモヒカン(じゃないけど)姉ちゃんと主人公が合流、で始めてしまった方がスマートだったはずです。

この無意味なシーンという問題は実は最後まで続き、最終的に「逃げ出した場所に戻る」と言う、前半の苦労を無にする方向でシナリオが終わるので、見ていて徒労感が強くなります。要はカーチェイスバイオレンス映画なので、お話の中身は空っぽで構わないのですが、それは「何も考えずに見ていられるシナリオ」が必要という意味であって、シナリオラインが適当で良いと言う意味ではないはずです。

とは言え、多分バイオレンスさえ見られればいいと言う意見は絶対来ると思います。個人的には、過去の名作のカーチェイスシーンだけ集めて映画館で流したら、どれだけひどい「映画」になるかを考えて欲しい所なのですが……

しかし、この映画の最大の問題点は、そのカーチェイスが「頑張りすぎて冗長」にも関わらず「物足りない」と言う、一見矛盾する問題を孕んでいる所です。

順に説明します。

まず、冗長の部分。この映画、冒頭からほぼ全てがカーチェイスです。しかも困ったことに、全てのカーチェイスシーンが全力で演出されており、結果メリハリがありません!冒頭のハリネズミ車や砂嵐と最終決戦は同じテンション(最高潮)で、「最初以上」に盛り上がりようがないのです。
また、本当にずっとカーチェイスで、カーチェイス以外のシーンもほぼ数カットで終わり、しかも悪い意味で緊張感が持続するため、視聴者の体力はどんどん奪われていきます。「疲れた」と言う感想がやたらと聞かれるのはこのためでしょう。もっと簡単にいうと、シナリオにも画面構成にも起伏がないのです。
さらに言うと、カーチェイスの連続なのに、目先を変える工夫に乏しく、ひたすら砂漠を背景に「追いすがる敵車をウォータンクの運転席から迎撃」と言うパターンが続きます。背景が同じなので地形を使った戦闘ギミックはほぼなく、味方がウォータンク一両なので毎度同じ戦闘になってしまっています。最終戦闘で、バイクとの連携がある前半は面白いのですが、バイクが倒されると途端に元通り。棒飛び部隊は一見面白いのですが、結局「併走する敵車からの乗り移り攻撃」と言うパターン類型なので、すぐに飽きてしまいます。滅茶苦茶格好良くて最高に馬鹿で、見ているだけで楽しいスピーカートレーラーも、戦闘にいる意味は本当にないので、カーチェイスの戦闘ギミックとしては画面の添え物でしかないのが残念至極。(戦闘において役目を持たないので、倒した時の爽快感がありません)
そうそう。「敵の中央を突破して砦を目指す」と言う後半のシチュエーションにオ!?と身を乗り出したのですが、何故か敵は左右に展開しており、普通にまた「主人公達を追っかける敵集団」になってしまったのはなんなんでしょうね?数カットで終わったとしても、「高速ですれ違う車両群」は、絶対絵になったはずなのですが。あの、何の面白みもないウォータンクに、巨大質量(=衝突の破壊力)と言う意味を持たせる事も出来たでしょうに……
閑話休題、特に地形については、それこそ北斗の拳冒頭の廃ビルを使ったカーチェイスや、文明の遺物を遮蔽物に使った戦闘を楽しみにしていただけに、全くもって肩すかしでした。と言うか、背景美術はSF映画の華なわけで、そっちにも少し予算を回してよという感じです。

次に「物足りない」の部分。上記のように、シチュエーションがどの戦闘も同じなので、画面に出て来る面白車両がギミックを十分に活かすことなく消えていきます。また、金をかけて大量の面白車両を揃えてしまったが為に、一両当たりの出番があっという間に終わります。結果、面白い車両やキャラが大量に画面に映るのに、どうにも印象が薄くなってしまいます。乳首男爵とかイモータンジョーとか、作中やってるのは車の運転(しかも他と差別化できてない)ですしね。逆に面白くもないウォータンクは出ずっぱりなので、敵の車を奪いながらとか、そう言う展開にした方が良かったんじゃないか思ったりします。
なんか例によってフェニミズム絡みでなんだかんだ言われてる美女軍団にしても、ずっと後部席に座ってるだけでいる意味が無いのが本当に困った所。あれだけ巨大なウォータンクで、何故彼女たちも配置について戦わないのか?(あ、男女の役割だの比喩的な意図とかどうでも良いです。後部席に座ってるだけの姉ちゃん達にシナリオ上の面白みがあるわけないだろ、と言うだけの話です)実際、後半参加のばあちゃん軍団は戦闘に参加することでキャラを立ててるわけですし、画面の華なら華として、おっぱいの一つも出しながら銃とか撃ってもらわないと、馬鹿映画にいる意味がありません。
一事が万事この調子で、単純に色々詰め込みすぎて、どれもこれもかけた金や労力ほどの効果を上げ切れていないのです。

と言う訳で、最初に書いたとおり、お金も労力も大量にかかっていますし、間違ってもゴミ映画ではないのですが、全体の構成や一本の映画としては失敗作と言っても良いのではないかと思います。何というか、全員4番で打線を組んでも強いとは限らないとか、戦車だけで部隊を組んでも歩兵の餌食とか、そう言う諸々が頭に浮かびました。

町山智浩は、観客が好きなカーチェイスを全編通してやっちゃったと言う様な事を言っていますが、それは結局ロボットの戦闘シーンだけで構成されたロボットものとか、エロシーンだけで構成されたエロゲーとか、そういう意味なのではないか、と思ったり。実際、そこで想像されるのと同様の疲労感を感じる羽目になりましたし。

と言うわけで、1ヶ月経たずに更新することができましたが、こんな内容になってしまいました。次は是非、楽しかった作品の紹介で更新したい物です。


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Posted by snow-wind at 00:00Comments(0)アニメ・映像系

2015年06月20日

非常に面白い「娯楽」の理論書 『純粋娯楽創作理論 VOL.1』 感想

純粋娯楽創作理論 VOL.1
純粋娯楽創作理論 VOL.1

お久しぶりです。一般的には非常に高給かつ社会的地位が高いように思われていながら、実態は壮絶なブラックだと一部で有名な業界にジョブチェンジしまして、洒落にならない暮らしをしております。

もう、ゲームも読書も映画鑑賞もズタズタで、辛うじて定期的なTRPGプレイだけ維持している状態。と言うか良い作品を摂取しても、感想を書いたり長文をまとめたりする時間と気力が残らないんです。

とは言え、1年経ってどうにか時間もやりくりできるようになりまして、この辺で一本非常に面白かった本(電子書籍)の感想を書いておこうと思い、久しぶりにエントリーをアップします。推敲は絶対に足りていないと思うのですが、追々誤字や論理整理くらいはちょこちょこやるつもりです。いつものように。

そうそう。どう言うわけか更新停止後1年くらいから、対話でも批判でもない罵詈雑言を書き込んで行く人が増えてまして、言わば「割れ窓を修理しておく」必要を感じたというのもあります。多分、更新されなくなったブログというのは、「反撃してこない人形」に見える人達が一定数いるのでしょう。普通に考えたら、応答が帰ってくる可能性がない相手に言葉を投げかけるような無駄なことは、したくないと思うのですが……

閑話休題、今回取り上げる『純粋娯楽創作理論』は、表現規制問題で何度か目にしたシナリオライター、鳥山仁の著作です。色々物言いが鋭い人なので、不快に思ったり愉快に思ったりする人が多いでしょうが、とりあえず作品の評価とは分けましょう。

この本は、「人それぞれ」と言われることが多い面白さと言うものに定義を与え、その上で「面白い」作品の構造やどうしたらそれをコントロールできるのかというのを、解説・考察した理論書です。

例によって結論を最初に述べますと(この文章書くのは久しぶりですけどね)、「荒削りだが非常に興味深い理論書で、娯楽作品を巡る思考の手がかりになる一冊」と言った所でしょうか?

もう少し詳しく説明すると、「面白さ」の本質を、「予測していなかった=予想外の出来事が起こること」と定義し、一般的に使われる面白さ(人それぞれ、と言われる何か)の用法は作品を評価する言葉として意味がないと言う批判を行うと共に、「面白く」するための方法論や原則を提示するという内容です。

確かに、我々は良くあの作品は面白かった、あるいは面白くなかったと言い、その内容を話し合ったり「こう言う見方をすれば面白いはずだ」と言い合ったりして、作品あるいはオタクライフを楽しんでいる訳です。しかし、ここで話し合われている”面白い”に厳密な定義はされておらず、感覚的な雑談以上の議論を行うのは難しい面がありました。勿論、それでも十分趣味を同じくする友人達との会話は面白いですし、他の面(場面の美しさ・論理の一貫性・キャラクター配置の巧みさ・シナリオの終始一貫性など)についてはいくらでも議論を戦わせられた訳です。しかし、人口に膾炙することが最も多いポイントである”面白さ”については、議論の軸となる、あるいはたたき台となる理論は今までありませんでした。そこを整理し、少なくとも本論中の用語に従って議論する事が可能な”面白さ”の定義を提示して見せた段階で、この著作の意味はあると思います。
実際、著者の提示する”面白さ”によって作品を見直すと、新しい側面が見えて来ると言うか、「自分がその作品のどこを魅力的だと感じていたか」が見直せて非常に興味深いものがありました。
勿論これには、「自分があの作品を好きだったのは、著者の言う”面白さ”とは別の理由からだったのだな」と言う様な気づきも含まれます。今回は触れませんが、この辺をどう心の中で処理するかで、この著者の論に対する評価(反発)は変わりそうです。

例が若干解りにくかったり、個人的にピンと来ない(よく知らない)例えがあったりで読みにくい面もありましたが、とりあえず斜め読みでもご覧になることをお勧めします。AMAZON専売で300円ですが、プライム会員だと無料のようですし。

さて、ここで終わってはただの広告以下なので、以下は本論を読んでの感想となります。なお、2巻も出ていますが、感想は1巻についての内容だけです。

まず、もっとも多くの人が引っかかるであろう点について。
著者は、「作品から受ける快/不快」と、「面白さ」を分けて論じています。

※以下本エントリーでは、一般的な(人口に膾炙する)意味における”面白さ”をカギ括弧無しの面白さ、純粋娯楽創作理論の中で上げられている”面白さ”をカギ括弧突きで「面白さ」、と表記する事にします。

この論じ分けが、本書でもっとも反発(誤読)を受ける点でしょう。しかし、同時にこれこそが本書の最も重要な点であり、そして間違いなく(論を立てる上で)「正しい」内容です。仮に面白さを単純に快不快の問題として定義してしまうと、この言葉は「好き」と同義になってしまい、議論の軸となる共通言語では無くなり、文字通り「好みの問題」となってしまいます。当然、「この作品を面白くするにはどうすればいいか」と言った話は、意味を失うことになります。(後述)この辺、編集者でもある著者ならではの視点ではないかと思います。

問題が発生するのは、多くの人間が「面白さ」と言う言葉を、正に「作品を読んだり見たりする事によって受けた快の感情」と言う意味で用いている点でしょう。しかし、その一般的な用法は、よく考えてみればなるほど間違っています。我々は、ちっとも面白くない(カギ括弧無し:一般的な用法)物語を熱心に見るという経験を、多くしているはずですから。(著者の本文であるエロメディアなどはこの典型でしょう)
恐らく本書が反発を受けるのは、この部分の説明が足りていない(ちゃんと書いてはいるのですが、サラッとしています)からでしょう。

例えば、差別ネタやブラックな笑いが満載の作品は、しばしば「確かに面白いが、こんな物を面白がる人間の気が知れない」と言うような、矛盾した評価を受けることがあります。これは、上記台詞中に出てくる”面白い”の内、前者が本書の定義、後者が一般的な定義と言う事になるでしょう。

さて、ここをクリアすれば、本書の内容はとても説得力があり、また分析手法として優れている事が解ります。著者が繰り返し言って居るように、「面白さ」の本質がこのように定義できるなら、我々は曖昧な言葉ではなく計量的に「面白さ」を扱えるようになります。勿論、著者が言うように、売れる/売れない、読んで面白い(カギ括弧無しなので一般的表現)/面白くないは、「面白い」かどうかだけでは決まりません。しかし、それらのうちの「面白さ」という要素を抜き出して論じられれば、分析も売上予想も評論も、実り多いものになる事は間違いありません。「面白い(これも一般的用法)かどうか」と言う通常「好みの問題」で切って捨てられてしまう話の内、話として「面白い」かどうか、とその他の快不快の要素を分け、何が優れていて何が問題なのかを論じられるようになります。

ただ、著者が新しい発想で組み上げた本書は、やはりそれだけに荒削りな面を残しています。その、気になった部分についても指摘しておきたいと思います。

私が、最も疑問を憶えたのは、「面白さ」の説明について「広告やキャッチコピーには、受け手の予測を引き起こす効果があると同時に、面白さに枷をはめる役割もしている」と書かれている部分です。

確かに、広告や宣伝の内容と違う物語は、予想を外すにもかかわらず面白いと感じられない事が多くなります。しかし、それは広告宣伝だけの問題なのでしょうか?もっと言えば、そんな騙しによって見せられた作品は確かに面白くない場合が多いですが、著者の語法において「面白く」ないのでしょうか?

と言うのも、こう言った効果を使った非常に「面白い」作品は、多数思い浮かぶからです。例えば、このBLOGで散々取り上げてきたギャルゲージャンル(エントリー停止後一本もできてません……)で言えば、ハーレム学園物と見せかけて全然違ったONEやCROSS†CHANNEL 等が即座に思い浮かぶはずです。
しかし一方で、こう言った作品に激怒したプレーヤーもいましたし、実際私は最終的にギャルゲーでもなんでもなくなったAIRやCLANNAD辺りは、大嫌いだったりします。

しかし、あとから思い返すと、後者も「面白い」のです。特に、期待してプレイした過去の自分が唖然としてコントローラやキーボードを叩き付けるシーンまで含めると、見事なエンターテイメントに仕上がっています。つまり、『どんな方法であれ「面白い」物は「面白い」。しかし、「面白く」するための方法によっては、受け手は不快になる。そして、「面白さ」による"快"を方法による"不快"が上回れば、当然受け手の感想は面白くない、になる』と言う事ではないかと思います。この方が、論理が一貫して話もしやすくなると思うのですが、どうでしょう?

本書の中では、予想を裏切っても「面白く」ならない例として、広告宣伝で予想された内容と異なっていた場合に加えて、ジャンルのお約束を無視した場合などが挙げられています。しかし、これは違うのではないでしょうか?
例えば、楽しいコメディ映画と思っている所で突然うざいリア充が爆発するのと、恋愛映画だと思っている所で突然リア充(主人公)が爆発するのでは、間違いなく後者の方が「面白い」はずです。(人間が爆発するような理不尽を、後者は通常許容しません)あるいは、私が昔再放送で見たヤッターマンは、100話以上も同じパターンのお約束が続く作品でした。お約束が守られる予定調和の世界が展開することで、視聴者は安心し、「快」の感情を向けていた訳です。しかし、私が今でも一番良く憶えており、当時もっとも「面白い」と感じたのは、ヤッターマン達が戦いの虚しさに目覚め、ドロンジョ達と戦わずに引き上げた回でした。同じような事は、ほんわかした世界観が前提となる魔法少女物だと思っていたら美少女の首が飛んだまどか☆マギカなどにも言えるでしょう。また、脚本家の名前を知っていた私が、首が飛んだ時点ではそこまで「面白い」と感じていない(もっとエグイ物が来ると思っていた)が、10話冒頭で突然時間軸が吹っ飛んでループものとしての正体を現した時にもっとも楽しめた(当時の記事は論考寄りにまとめていたので書いてません。なお、ジャンルの好みがあるので、ここで感じた楽しさは「面白さ」だけではないでしょうが)というのも、典型かと思います。


以上をまとめれば、『「予想」を裏切られるのは「面白い」ので基本的に面白い(=快)が、「期待」を裏切られるのは面白くない(カギ括弧無し:不快)』と言う風になるかと思います。つまり、ここで判定されているのは快/不快であり、本書で言う「面白さ」では無い(そちらは独立した変数として、予想との関連で動く)はずです。

本書の特徴は、一般的な用語の「面白さ」を切り分け、予想外の展開から起こる楽しさを「面白さ」として狭義に提議し直した所が画期的な訳ですが、両”面白さ”の切り分けに、完全には成功していないと言う事だと思います。

なお、「期待を裏切る」は「予想を裏切る」の部分集合ですから、前者の効果が後者の効果を上回るならば、あえて選択する事は否定されないはずです。

従って、著者が書く感情移入は「面白さ」としばしば相反する、と言うのはそのとおりでしょう。感情移入は、感情移入対象が幸せになって欲しい(あるいはマゾ的に不幸になって欲しい)と言う「期待」が高まった状態ですから、それを裏切ってしまう「面白さ」は不快と捉えられてしまう場合が多くなるはずです。

しかし、以上を前提とした場合、感情移入と「面白さ」が同居可能な事も示されているはずです。つまり、読者の期待(感情移入対象の行く末)に応えつつ、その他の事象、あるいはそこに至る経路において「面白さ」を配置すると言う方法です。何故こんな話をするかというと、私はそう言う両者を満たす話が読みたいと思うからです。

私は、TRPGが大好きな位なので、感情移入はそれなりにする方です。しかし、「面白くない」作品は好きではなく、故に主人公万能型のラノベや逆に悪役万能型の悲劇は大嫌いです。実際問題、TRPGでGMをする時に(接待プレイは別として)バッドエンドの可能性のないシナリオは絶対に作りませんし、バッドエンドの可能性のない・あるいはいわゆるテンプレート(どこの、とは書きませんが)で作られた、展開固定型のシナリオは続けるのが苦痛になります。そう考えると、両者を満たすことは難しい・両者を両立させる作品の需要は少ないという著者の論は、本当なんだろうか?と思ってしまう訳です。これがある意味、私にとって一番の違和感でした。勿論、統計的に多くのデータを持っているのは著者の方なので、あくまで個人的な違和感の話です。

また、こう言うものは自己評価は当てにならず、他者から見たら私は感情移入か面白さか、どちらかにきちんとシフトしているのかもしれません。自分は、この本を読んだ時に、自分自身が面白さを重視しない(理解しない)朴念仁ではないか?あるいは感情移入だけを主眼とする(論理的思考を重視しないという意味で)ろくでもない読者ではないか?と言った自己検証を行い、多分そうではないはず…… と言う評価を下しました。以上の文章に感情的な要素が多数入り込んで居ることから解るとおり、間違いなくバイアスがかかった自己評価です。(自己評価とはそう言うものですが)

と言う訳で、どのように評価するにせよ、非常に面白く、また他者と読み合わせをして議論を戦わせるに値する意欲的な著作でした。読み込み、またこれを基にレビュー活動を行うような時間が決定的に不足しているのが残念でなりません。
いずれにせよ、興味を持った方が一人でも手にとっていただき、この作品の「面白さ」(”面白さ”と言う代物に対して著者が与え整理した定義の、意外性と有用性)を感じていただければ何よりと思います。

では、またいつかお会いしましょう。


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Posted by snow-wind at 00:00Comments(2)読み物

2013年05月02日

酷いなこりゃ 映画版Steins;Gate 『負荷領域のデジャブ』 感想

シュタインズ・ゲート Xbox360 プラチナコレクション

原作↑は、あれだけ面白かったんですがねえ……
結局、Steins;Gateと言うシリーズは、原作以外全て蛇足だったと結論してしまって構わないでしょう。


以下映画の感想。

AURA(感想はこちら)が滅茶苦茶面白かったこともあり、映画版『Steins;Gate 負荷領域のデジャブ』を観に行ってきました。
まどか☆マギカ劇場版で解るとおり、2時間映画とTVシリーズでは必要となる才能やノウハウは異なります。従って、原作が良くてアニメが酷かった今作の場合、映画で化ける可能性は一定程度あると踏んだわけです。

ですが、残念ながら評価は最低。むしろ原作がない分(映画のシナリオ・脚本に、原作者はクレジットされていません)酷さは極まり、見ていられない代物になっていました。

と言うわけで、まとめから。


・シナリオラインは悪くないが、描き方が稚拙すぎて話になっていない。何より欠点だった演出がさらに劣悪となっており、見るに耐えない。


とにもかくにも、途中の眠気と時間の気になりようと言ったら、最近だとダイハード・ラストデイ辺りに匹敵します。キャラ紹介となる序盤はまだ良いのですが、大ネタであるオカリンの消失以降話は迷走、と言うより一切進まず、「このシーンは一体何のためにあるのか?」と言う疑問が常につきまとうグチャグチャの展開を続けます。

しかし、まとめに書いたとおり、シナリオライン自体は間違っていないのです。
本作のシナリオラインをまとめると、以下のようになります。

1,全てが解決したはずのシュタインズゲート世界線において問題が発生
2,問題からオカリンを救うべくクリスが活動開始
3,これ以上の改変を望まないオカリンの意を汲み、クリスは活動を停止
4,しかしそれでは真の解決にならないと気づき、ハッピーエンドへ

これは、とても手堅い作りです。ハッピーエンドの先を描く以上、ハッピーから始まってハッピーに回帰させねばならない。そして、その間に挟み込む「問題」が真に「問題」たるゆえんは、ハッピーエンドに至るために行わざるを得なかった過ちを、繰り返してはならないから。また、視点人物をオカリンからクリスに移すことで、二番煎じ感も大きく減衰できています。

にもかかわらず、何故あんなにひどい映画になっているかと言えば、発生する「問題」が唐突で何の伏線もなく本編の設定とも齟齬を起こしている上に、見せ方が最低だからです。

まず、オカリンの危機を描くなら、SERNのプロジェクトと言うネタが既にあります。そうでなくとも、単に彼が事故や事件に巻き込まれるだけでも、十分に中盤の選択は機能します。どうしても存在を消すというイベントがやりたかったのであれば、それこそSERNの実験なり未来ガジェットの暴走なりと言った方法があったでしょう。要は、本編と同じ「過去改変」と言う範囲の中であれば、既存の「Steins;Gate」に回収できたはずなのです。

もっともこれは正に見せ方の問題なので、根本的な課題はやはり演出でしょう。
オカリンのフラッシュバック続出という症状は、消失という事件の伏線として機能していませんし、解決フェイズの唐突さ・バランスの悪さはちょっと感動物。特に、初回のオカリンサルベージ失敗以降は、あれじゃクリスが人格破綻者です。
そもそも、しつこく挿入される夏の風物詩描写が、単なる時間稼ぎにしかなっていないのはTVアニメから変わらないですし。かけがえのない「日常」の強調という手垢の付いた手法のつもりかもしれませんが、それならラボメン達が楽しく過ごす日常を動かしてみせるのが王道という物でしょう。
と言うか、ほとんどの場面転換を、そう言った静的な情景描写にモノローグを重ねる方法で処理するせいで、画面がひたすら退屈な上に冗長になるんですよ。TV版の時に散々指摘した緩急のつかなさはむしろ悪化していて、アクションシーンの一つもありません。

一方、素晴らしかったのは、オカリンがマジ顔でクリスに改変中止を指示する所。あれは本編があってこその叫びで、あのあとクリスが引き下がってエンドになったら、それはそれで筋の通った続編になったでしょう。元ネタの一つであるバタフライエフェクトで、主人公の父親が息子に向かって能力使用をやめろと叫ぶシーンと同じく、悲劇を経た上での血を吐くような結論ですから。
勿論それは商業作品としてなかなか厳しいのですが、むしろ、あの叫びが間違いなく話の軸にもかかわらず、その後の演出が迷走する意味が解りません。例えば、鈴羽がクリスを非難するシーンは要らないんですよ。鈴羽の立場が本編と全く異なっているので非難するモチベーションがありませんし、そもそも彼女が登場する理由すらありません。(やるなら、晩年のクリスと仲が良く、その苦しみを身近に見てきた、みたいな設定追加と説明するイベント群が必要になります)
そしてあの、「何これギャグなの?」と呻きたくなったラストの展開に至っては……
オカリン消失というイベントを意味不明なこじつけで起こしたせいか知りませんが、「何をすれば岡部がサルベージされるのか」が不分明なまま話を進め、あげくががあれです。まず前者の段階で論外(何をすれば勝ちなのか解らない・何がしたいのかも解らない作戦の展開を見ていて、視聴者が楽しめると思ったんでしょうか?)なのですが、その結果が「座り込んでいるクリスの横に来た過去のオカリンが、唐突に身の上話を始める」などと言う意味不明の展開です。
あれのどこに盛り上げる余地があるのでしょう。
さらに言えば、あれによって、「ハッピーエンド後の世界」は、「クリスがけしかけたことによってオカリンがまゆりを救った」と言う過去になってしまいました。これは、オカリンが哀しき道化・マッドサイエンティスト鳳凰院狂真に『自ら進んでなった』と言う、作品世界の根幹を破壊する改変です。
演出が死んだTV版などはつまるところ「まあ、メディアミックスですからね」ですませて良いでしょうが、オリジナルの続編としてこんな物を見せられては、さすがに「ふざけるな」と吐き捨てたくなりました。

とは言え、どんなジャンルも99%はクズであり、しかもこれは角川ロゴが冒頭に出るメディアミックスアニメ。こんなもんでしょうかねえと肩をすくめて、サービスデイの映画館を後にいたしました。

こう言う風に、面白い物を一つ作ってヒットさせたあと、結局その遺産の縮小再生産を繰り返すだけで他はパッとせず、ファンを食い潰して沈んでいくレーベルを見ると、悲しくなりますね。



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2013年04月17日

今すぐ見に行くんだ! 映画『AURA 魔竜院光牙最後の戦い』 感想

AURA~魔竜院光牙最後の闘い~
AURA~魔竜院光牙最後の闘い~

↑Blu-ray。


AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

↑これは原作。

公式サイトはこちら



『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』は、ガガガ文庫から発刊されているライトノベルです。田中ロミオの小説としては恐らく最高傑作なのですが、これがまさかの映画化されました。
なお、読み方は「アウラ」です。「オーラ」って言って、チケット売りのお姉さんに訂正されました。よくよく見たら、原作の表紙にも小さく書いてあるんですね。まあ、確かにあの主人公なら、英語読みじゃなくてドイツ語読みが正しいでしょう。

閑話休題、「どう見ても爆死」「ファンなら観に行くと思って足元見やがったな」などの思いを抱きつつ、先日公開直後に劇場へと足を運びました。が、なんとこれが大当たりだったんですよ。冗談じゃなく。驚くべき事に。

ええ、原作ファンなら勿論、原作者のアクの方向性を好んでいる人間なら、迷わず観に行くべきです。札幌の映画館は何をトチ狂ったか一日四回とか上映してくれていますが、観に行ったときもガラガラで、早晩打ち切りは目に見えています。
あなたがあとから評判を聞いて後悔したくなければ、すぐに劇場に行きましょう。少なくとも、私もあと一度は確実に観に行く予定です。

もう結論は書いたような物ですが、いつものフォーマットに従って感想を先に明記します。


・原作からジャンル必然的な要素の取捨選択を行い、80分映画として綺麗にまとめた傑作。ただし、原作未読者にどう受け止められるかは解らない。


では、各論です。
原作の魅力は何といってもスクールカーストを題材とした軽妙でヘビーなシナリオ回しと、文章の巧みさです。しかし、これはそのまま映像作品に落とすには、非常に厳しくなります。まず、主人公の立ち位置がエアリーダー(己の心を隠し、普通たらんと潜伏している)なため、原文の大半は内面描写です。また、映像の破壊力という物を考えれば、テーマ自体が陰惨になりすぎてしまいます。かと言って、ギャグ調にしてはぶち壊しと言う事は、多数が同意してくれるでしょう。

そこでスタッフが選んだのが、「ボーイ・ミーツ・ガール」の映画として再編成する、と言う方法でした。
え!?と思った方も多いでしょうが、これが実に上手く行っています。勿論あの原作ですから、ラブラブな描写などほとんどありません。心を殺して社会と折り合いを付けようとしている少年と、同じく心を殺して全ては無価値だと言い聞かせている少女の、痛々しい交感の描写が心に刺さるのです。

そして、終盤直前の山場を、主人公の叫び「どうしてもっと素直に助けたいって、思わせてくれないんだよ」に持って来るという演出で、この改変というか映画への最適化は、最高潮を迎えます。このシーンの原作から改変された部分(シチュエーションの意味がかなり変わっています)は実に上手く、驚くほど(これ低予算映画ですよね?)しっかりしている画面構成や背景と相まって、見事な効果を上げています。


それ以外にも改変点はいくつかあるのですが、パンフレット(1500円もしましたが、買いましたよ!それくらいおふせしてやりますよ!Blu-rayとか出て欲しいし!)で何を狙ったかが明記されており、そしてそれは正に映画を観たときの印象通り。スタッフの原作理解と力量に、敬意を表したいと思います。

例えば、子鳩さんは一目観た瞬間「反則だろ!?」と叫びたくなるほど可愛いのですが、原作どおりではありません。低身長・ツインテール・ワンポイントと言う要素ブチ込みをしている上に、動きがちょこまかと異常に愛らしく、つまりは画面映えする形に仕上がっているのです。何だ改編かと思われる方もいるかもしれませんが、殺伐としていく教室の中で彼女だけがアニメ的癒しスタイルを崩さない事が原作通りの効果を上げ(ちなみに、演技指導もそうなっているそうです)原作とは違った方法論で、優れた演出を成し遂げています。

さらに、「映像化された」事の利点と言って良い場面の数々は、メディアミックスのお手本と言っても良いレベル。別に、大仰な事を言っているのではありません。例えば、最初に主人公が家に帰ったときの母親の態度であったり、「探索」を行うヒロインに付き合っているシーンの居たたまれ無さだったり、あるいはストレートに「可愛いのに残念・って言うか近寄りたくない」ヒロインの姿だったりです。これらは間違いなく、文章では出し切れない(特性が違うという意味です)部分で、原作の諸々が心に刺さった人間なら、その痛みや圧迫感・緊張感を数倍にして再度味わうことができるでしょう。

何より、各人物の「動き」は本当に見事。低予算なので大きなアクションがあるわけではないのですが、前屈みに歩くヒロインや可愛らしく動く子鳩さん、時々芝居がかった動作を挟んでしまう主人公と言った丁寧な描写が、「これを映像で観られて良かった」と言う気持ちが自然にわき起こります。ここ一年で観た映画の中でも、人生の特等席(感想はこちら)と同率首位か、それ以上に面白かったと思います。


勿論、完全な作品などありませんから、不満点だってあります。
例えば、ラストの「最後の戦い」は、私は非常階段から屋上に向かう主人公の一人称視点を出してくれる物だと思っていました。(と言うか、読みながらそう言うシーンが浮んでいました)しかし、そこはオミットされて屋上に乗り込むところから始まってしまうので、彼の「最高に格好悪くて最高に格好良い」姿がアピール不足になっています。最初の邂逅シーンも、もう少し神秘的に見せて「だまし」を徹底して欲しかったですし、スタッフロール背景の露天商との会話は切って良かったと思います。あと、タイトルが重なるシーンは音楽を消した方が効果的だったんじゃないか、みたいな部分とか。あ、子鳩さんの出番が少ないのは、上記改編を貫徹するためなので必然です。血涙出そうになりますが。

しかし、それらは全くもって些細な事で、「原作の引き写しではない、原作の魅力を取捨選択して再構成した優れたメディアミックス映画」と言う評価には、些かの揺らぎもありません。と言うか、予算をかけながらひどい事になっていた、Q(感想はこちら)だの、テレビと映画の特性を考慮しなかったために非常に残念なできになったまどかマギカ劇場版(感想はこちら)だのに比べて、遙かに真摯かつ丁寧に作られています。

いや本当、劇場アニメラッシュも捨てたもんじゃありません。何より、順列組み合わせを網羅するかのごとく焼き畑農法が行われているラノベアニメ化連打の中で、こんな作品が混じっているとは思いませんでした。


……と、これだけベタ誉めしておいてなんなのですが、実は一点どうしても絶賛とは行かない部分があります。
それが、「原作未読者にどう見られるのか、正直解らない」という所です。個人的には、痛々しい不適合者(パンフで監督は「マイノリティ」と言っています)の物語として良くできていると思うのですが、何しろ原作が大好きなもので、それが一般的に受けるのか、そして原作の予備知識無しで楽しめるのかがどうにも読めないのです。
例えば、懸念材料としては、上で書いたような演出上のだましが不徹底なので、邂逅から反転(未知の女の子と出会って日常が壊れる、と言うラノベフォーマットが逆方向に作用する)への流れが掴みにくいんじゃないだろうかとか、スクールカーストの説明を全部取っ払っているので、ドリームソルジャー達の登場が唐突ではないか、と言った部分です。
こればかりはよく解らないので、未読の知人を引きずっていって再視聴するか、Blu-rayが出たら上映会でもやるかと思っているのですが、それでは遅いですしね。

と言うわけで、名前を聞いたことが有る人間には一応、原作を読んだ人間には問答無用でお薦めの作品です。いや本当、どうせダメだろうとか思いながら観に行って申し訳ありません!一人でも多くのファンが、興味を持って観に行ってくれれば幸いです。



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2013年04月01日

「GUILD 02」 各作品の感想

ニンテンドープリペイドカード3000円


全体感想はこちら

と言うわけで、個別タイトルの感想です。いずれも、最初にまとめを書いて、下に詳細を記述する書式になってます。


「虫けら戦車」
・良くできた「戦車遊び」。でも、データとシナリオ何とかしろ

虫けら戦車は、二次大戦末期に、スモールライトを浴びたごとく小さくなってしまったドイツ軍戦車部隊が、虫けら相手にサバイバルするゲームです。
アクションの割り切り方は見事で、自車の操作と砲塔旋回以外はフルオート。装填・射撃はオートで、俯角の調整という概念はなく、戦車という七面倒くさい操作系の車両を気持ちよく動かせます。
こう書くとお手軽単純で「戦車っぽくない」と思われるかもしれませんが、砲塔と車体だけに専念できるので、「右側面に砲塔を向けて、虫けら相手に相手にドッグファイト/一人T字戦法」、「後方に砲塔を向けて主砲を乱射しつつ全力逃走」と言った「戦車らしい」動きが手軽に行えて、楽しく遊べることになります。

ええ、「楽しく遊ぶ」と言う言葉がしっくり来るゲームです。無意味にリアルに作られた虫けらCG相手に88ミリをぶっ放しながら森の中を動き回っていると、庭に戦車のオモチャを持ち出して遊んでいた、幼い日々に戻った感じがするかもしれません。アリって虐殺対象だったよなあ、とかね……

一方、その反動なのか何なのか、実在戦車が大量に登場するにもかかわらず、戦車の性能が滅茶苦茶なのは何なんでしょうね?砲塔と車体をペナルティ無しに組み合わせられるのは全く正しい(制限あったらつまんないじゃない!)「アンリアル」なのですが、ファイアフライの威力が軽戦車以下とか、T34のこの性能何なのとか、いやIV号ってそんな圧倒的じゃねえよとか、「細かくない」問題が山盛りなのはちょっとどうかと思います。もうティーガー最強伝説に文句言うほど狭量じゃないですが、データ入れ間違ったとしか思えない力関係はやめて欲しかった所。と言うか、使えない車両が多すぎるんですよ。もう少し性能の格差をマイルドにすれば、「俺はIII号で戦い抜くぜ!」みたいな楽しみ方もできたと思うのですが。

そしてもう一つの問題点が、「話がサッパリ終わっていない」という所で、こちらは多分弁護の余地無し。何しろ、「連合軍の仕業じゃありませんでした」というのが解ったところで話は終了。アニメで言えば全52話中13話くらいの辺りです。どう言うつもりなのか、赤軍部隊とも戦わせてくれないし……
とにかく、未完というレベルではないので、これはもうどうしようもありません。別に細かいシナリオが必要なゲームでもないですし、終わらせない理由を説明して欲しい所です。

と言うわけで、良くできてるんですが、以上二点でお勧めしきれない困った作品。面白いんですけどねえ。



「怪獣の出る金曜日」
・「ぼくのなつやすみ」類型のお使いアドヴェンチャー。雰囲気はいい……のか?

「怪獣の出る金曜日」は、昭和47年辺りの世田谷区を舞台にしたぼくのなつやすみみたいなAVGです。テーマはウルトラマン。以上!
と言う、潔い作りの良く見るタイプのゲーム。制作者がぼくのなつやすみの人なので、パクリと言う話ではなく、単に「またか」と言って上げるのが正しいかと。

ああ言う雰囲気自体は嫌いじゃないのですが、ゲーム内容はただのお使いだし、ミニゲームはシナリオとリンクしない(雰囲気は良く出てますが)上にゲーム性が低く、余り誉められない作品です。そもそも時代考証おかしだろう(オート3輪が走るあの風景は、大目にみても1960年代まででしょう。つまり、10年ずれてます)と言うのも、減点ポイント。

ただ、やっぱり雰囲気が悪いわけではないので、こう言うのが好きな人は気に入るかもしれません。例によってプレイ時間は短いですし。
個人的には、もう少しキャラクターを立てられていれば、だいぶ違ったかと思います。印象に残らないんですよね。(一名除く)

で、これもシナリオ未完なんですが、一区切りついているので虫けら戦車ほどのぶつ切り感はありません。前作GUIL01収録「クリムゾンシュラウド」のように、短編・1エピソードとして完全に独立しているほどの完結性を持っていないのは、やや厳しいところ。


「宇宙船ダムレイ号」
・不親切だけどギリギリセーフ。でもオチ……

操作説明すらない主観視点AVG。操作説明もないのはゲーム性のうちとのことですが、それほど意外な反応があるわけでもなく、本当にただ不親切なだけになっているのが辛いところ。
攻略も、無駄な行程を踏ませる点が幾つかあって(容器取得→オイル入れる までは解っても、それを熱するという発想はありませんでした)、詰まると本当にはまります。まあ、攻略サイトが発展した昨今、別に問題ではないのかもしれませんが。

とは言え、ファミコンAVG時代をくぐり抜けてきた我々のようなオールドゲーマーにとってはそよ風みたいな物。ヒル全殺しを普通に達成しつつ、3時間もあればクリア出来るでしょう。ただ、おまけ要素のトリガーは厳しいので、素直に攻略サイトを見るが吉。「何処にあるか」「何をやるか」の目星はちゃんとついていても、キーアイテムを発見できずにサイトを見る羽目になりましたから。

一方、操作ミスを誘発しない事を主眼に置いた操作系は悪くないのですが、単純なFPS方式の方が楽だったんじゃないかとか、ショートカットルートもっと寄越せとか、引っかかる点があるのも確か。もっとも、この値段の小規模ゲームとしては、多分最適解なんだろうなと思います。恐らく一番違和感のある90度方向転換システムにしても、ああするのが一番楽なはずですから。

それと、おまけ要素とったんだから、エピローグはもう少し真っ当な物になりません?せめて、彼のその後くらいは明確にして良かったのでは?あのままだと、単に記憶が混乱した○○を操作させられていた、と言う凄く後味の悪い話にしかならないのですが。
スッキリしないのは多分制作者の意図通りなんでしょうが、あのAVGをクリアさせられた結果が何も明かさないエンドでは勘弁してくれと言いたくなります。


とまあ、全三作、操作性や雰囲気などは良くできおり、基礎部分の欠点は小規模ゲームとして必然なものが主。いずれもシナリオ以外良くできている、と言う事になるかと思います。
今作は個別に売ってますので、気になった物だけプレイするくらいの感じでいいじゃないでしょうかね?個人的には虫けら戦車が一番面白かったです。
こう言う勧め方になってしまうのが、つまり全体感想の方で書いた問題なわけですが……



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2013年04月01日

一長一短/NINTENDO 3DS 「GUILD 02」 全体の感想

ニンテンドープリペイドカード3000円

↑なんで貼り付けられてるのがプリペイドカードの書影(?)かというと、今回のGUILDはDL専売だからです。

なお、前作「GUILD 01」の感想はこちら


GUILDシリーズは、LEVEL5が創設した小規模ゲーム集のブランドです。今回の収録作は「虫けら戦車」「怪獣が出る金曜日」「宇宙船ダムレイ号」の三作。本記事は、シリーズ2セット目全体としての感想です。
前作が松野泰己や須田剛一と言った一部に有名所を集めていましたが、今回は「ぼくのなつやすみ」の制作者や稲船敬二と言った、少しメジャー寄りの人材を集めた感じでしょうか?

さて、小規模ゲーム集と言う事で、今回は全体と各タイトルの感想を別に書いていこうと思います。要は、長くなってしまったので記事を分けてるだけですが。
てなわけで、個別作品の感想はこちら

そして、いつもの通り本記事(全体感想)の結論を最初に書くと、以下のようになります。

全体の感想:
値段よりは楽しめる作品が揃っていて、クオリティコントロールは良好。ただ、この売り方は意味が無いのでは?


各作品については詳述記事を読んでいただくとして、クオリティは非常に安定しています。3本中2本がAVGと言う事でジャンル特有の面倒くささ(移動やフラグつぶしの冗長さ)はあるものの、インターフェイスや反応速度はかなり高精度に仕上がっています。この辺、メジャー寄りになったことのプラスポイントでしょう。
唯一のアクション寄り(あえて言えばシューティングですかね?)の「虫けら戦車」にしても、操作の簡略方法に膝を打ちました。パンツァーフロントまで行かなくとも、本体・砲塔・射撃タイミングの三つを同時コントロールする煩雑さが戦車ゲームのガン。ならば内一つはオートにしてしまえと言う割り切りの良さは見事です。
全体として、ボリュームは少ないものの基礎的な部分がしっかりしている(勿論、小規模故に引っかかる点も多いのですが)作品ばかりで、値段分以上に楽しめます。ボリュームの少なさも、そもそもこの辺のクリエイター名に引っ張られるマニアは時間が絶対的に不足する年代なので、逆にプラスにもなるでしょう。店頭を超える価格にボッタクリ感がひどいNINTENDOストアの中にあって、一際お勧めのタイトルだと思います。
とにかく、とても良くまとまった作品群だと思います。前作のインターフェイスその他のクオリティ問題にイライラさせられた人ほど、今作は安心してプレイできるんじゃないでしょうか?

一方大きな問題点がありまして…… 「これ、DL専売じゃ意味ないんじゃないの?」という部分です。
前作の感想でも書きましたが、個々の作品は、それだけでは現在うなるほど転がっている廉価小規模ゲームです。しかし、セット販売することで、一見地味な作品や埋もれている新進クリエイターに発表の機会を与える、雑誌のような役割が果たせるのが大きな意義だったはずです。しかし、今回のは単なるばら売りで、セット販売方式すら選択できません。セットがないのは発売期間をあけてしまったためかもしれませんが、おかげで発売を忘れていました。個々のタイトルとか憶えてなかったですし、宇宙船ダムレイ号なんて、名前自体変わってますしね……

と言うわけで、これってどうなんだろうと言う疑問が一番大きなファクターとして、心に残る羽目になりました。来るべき任天堂ハードのDL販売シフトに向けて、先行してブランドを作っておこうと言う事なのかもしれませんが……
クオリティコントロールが上手く行っているだけに、どうも疑問が残る商品展開でした。

この形式(個別定期リリース)を取るなら逆に、雑誌の定期購読のように、年会費を払って登録しておくと発売時に勝手にDLされると言うような販売形式が活きてくるかもしれませんね。LEVEL5は任天堂に対する発言力が大きいでしょうから、次世代販売プラットフォームの形式決定に一枚噛んで、色々な形式が使えるようにしてくれれば良いと思います。




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2013年03月18日

気持ちの悪い宗教映画 「フライト」 感想



↑何か貼り付けようかと思ったら、AMAZONにはDVDどころかサントラすら置かれていないので、潔く空欄。
まあ、新作映画のレビューでアフィ商品が売れた事なんぞ一度も(本当に一度も)ないので、気にしない事にしましょう。



「フライト」は、2013年3月1日公開の映画です。飛行機を必死にコントロールして背面飛行で不時着に持って行く予告編で、興味を引かれた人も多かったのではないでしょうか?かく言う私もその口で、期待に胸躍らせてロードショウを見に行ってきました。
しかし、感想は表題のとおりでした。

ただし、あちこちで絶賛されているのが理解できる程度には、「良い話」ではあります。
しかしそれは、以下の内容を了解できればの話です。

この映画の内容:妻と離婚し子どもには軽んじられ、アル中でヤク中のダメ男。彼は、大きな事件をきっかけに、立ち直る事ができるのだろうか?

以上の内容に興味を引かれた方は、勇んで映画館に足を運ぶと良いでしょう。多分、あなたが満足する映画になるんじゃないかと思います。この内容に納得のいく人は、大体誉めてるみたいですし。


しかし、予告編で「大事故にまつわるサスペンス」や「脛に傷のある英雄は賞賛されるべきか?と言う主題の掘り下げ」みたいなのを期待していった人間は、渋面で映画館を後にする事になるはずです。私のように。

と言うわけで、予告編に引っかけられて興味もなければむしろ反吐が出るという感想を抱いた私による要約は、以下の通りです。


1,面白くなりそうな要素を端からはね飛ばし、下らない人間再生の物語に落とし込まれたひどい駄作
2,気持ちの悪い宗教観に裏打ちされた物語は、あくまで共感を拒む


まず1ですが、予告編で観客が期待したのは、大事故から上客を救った英雄譚の裏に隠れた事故の真相、みたいな話だったと思います。しかし、映画が始まった瞬間から「英雄の真実」は画面からダダ漏れで、いきなり肩すかしを食う羽目になります。アルコールを飲んでいたかどうかが「謎」として提示されるのではなく、それは物語の前提。そりゃこの内容で予告編作ったら観客来ないですよね。詐欺的手法でしか物が売れない興行師どもは、低品位翻訳で値段二倍の商売をSTEAMに中抜きされて滅びかけてる翻訳PCゲームと、同じ運命を辿るんじゃないですかね?

そして、真実が駄々漏れならそれはそれとして、次に面白い主題となりうるのは、「奇跡の操縦で多くの命を救ったろくでなしを、どう遇するべきか?」と言う部分でしょう。そうそうに弁護士が登場しているので、これは陪審員を交えた法廷劇か?と期待するのも当然だと思います。しかし、これまた話はそっちの方へは行きません。
「飲酒操縦の常習犯で、免許取消は当然。しかし、彼でなければこの事故から乗客を生還させる事は出来なかった。さて?」と言う部分ですね。こんな面白いテーマがあるのに、話は主人公の内面に潜り込み、彼の罪の意識に焦点を当ててウジウジとつまらない画面を連ねます。まあ、罪と恥という東西の文化的断絶がどうこうとか言う戯言(もっともらしいけど論証されたわけではない)もおありかと思いますが、ストレートにつまんないんですよ。

そして、2と合わさるのですが、何故つまらないかと言えば、「個人内面の罪」を主題にした瞬間に、話の落とし所は「主人公が悔い改める」以外になくなってしまうからです。実際、序盤でどうやらテーマがそこだと解った時点で私が予想したラストの展開と実際の展開は、寸分変わりませんでした。

結局ですね、これキリスト教の「罪を認めて悔い改めれば全部チャラ」と言う宗教観がベースと言うか、それしかないんです。実際には、彼の「罪」と「功」は非常に慎重な取り扱いを要し、単に罰とセットで運用すれば良いと言うものではありません。無罪放免は論外としても、彼しか救えなかった命があれだけあったわけですから。少なくとも日本人の観客は、篤信者のコパイロットに対して主人公が中盤で毒づく「客の命を作ったのは、神じゃない。俺だ!」と言う叫びに共感するでしょう。
つまるところ、彼は客観的には誰に対しても「罪」を犯しておらず(今までの飲酒操縦で乗客に対して与えてきた潜在的危険はありますが、それはあくまでも顕在化していないわけです)無理矢理「裁く」ためには「内面の罪」をあげつらってみるしか無かったわけです。しかし、優秀なダメ人間を裁くために、客観的な功を無視して内面をあげつらうのは、正に宗教家の反吐が出る手法です。社会に何の貢献もしていない古書の信奉者が、社会に有用な人材をつかまえて「あなたには罪がある!」とかやらかす。それはブラック企業の研修と同じ、自分(とその神)を優位に立たせるための言いがかりです。
この映画について言えば、主人公の社会に対する貢献と危険性を秤にかけて「裁く」事こそ本来の社会の機能であって、内面なんぞ副次的でしかないわけです。映画のテーマがそこじゃない、と言うのはその通りですが、では何故彼は長期の懲役を喰らっているのでしょう?少なくとも、あの事故については「過失致死」は本来絶対に成立しないはずです。恐らく主人公が取り調べ段階で「自白」し、裁判で争わなかったという事だと思うのですが、それは整備不良で機体を運用した航空会社を免責し罪のありかを覆い隠す最低の自己満足です。

あげくが、主人公が罪を告白した瞬間、晴れやかにアル中を脱却して奥さんと子どもも尊敬してくれるようになりました!と言うご都合主義たるや……
成績も上がって彼女もできて部活で優勝!みたいな進研ゼミ(あるいはパワーストーン広告)メソッドに、本当に宗教基盤の物語って唾を吐きたくなる代物に仕上がるよな、とナルニア国物語の背表紙に紙つぶてを投げつけながら呟くしかありませんでした。

まあ、各所で賞賛されてる事から解るとおり、合う人には大きな感動を呼ぶらしいので、こう言うのがお好きな人はどうぞ。力は入ってますし、主要登場人物の演技も上手いですよ。デンゼル・ワシントン、どうしようもないダメ人間でいい味出してます。
まあ、私の感想は上記の通りなわけですが。


P.S.
ところで、アメリカの事故調査委員会は、関係者が保身目的に原因を隠す事を防ぐために免責特権を持っていたと思うのですが、この映画に描かれている手法って正しいんでしょうか?あなたの証言は裁判で不利な証拠として使われる可能性が…… とか言われたら、そりゃ関係者一同口をつぐみますよね。



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2013年03月15日

ようこそ停滞の中世へ! 「CRUSADER KINGS II」 感想


クルセイダーキングスII WITH ソードオブイスラム【完全日本語版】

本体拡張もDL販売されているCIVILIZATION 5と違って、扱いはパッケージ版のみとなっております。まあ、STEAM経由で不完全版をやらされるくらいなら、パッケージの方がマシとも言えるでしょうが。



今まで何度か紹介してきたとおり、私はPARADOX社の歴史シミュレーションを愛好しております。二次大戦を舞台にしたHEARTS OF IRON、近世(おおむね1453~18世紀)を舞台にしたヨーロッパユニバーサリス、それに近代を舞台にしたVICTORIA。いずれも時代の空気とえげつないデータ量を武器に、楽しい試行錯誤ができるゲームです。
そして、今回のCRUSADER KINGS(クルセイダー・キングス)シリーズの舞台は中世ヨーロッパ。なお、上記3作と違い、地図上にヨーロッパ(と中東・ロシア西部くらい)しか存在しません。まあ、舞台が11世紀~1452ですから、太平洋やシルクロードを越えられちゃ困るのでしょう。8世紀くらいには中国とイスラム帝国が東西決戦やったりしてますが、所詮舞台の中心は野蛮で暗黒なヨーロッパですから、仕方ありません。

さて、本作の大きな特徴は、主役が「国家」ではなく「家系」と言う所です。他作品と違い、主人公となる個人は明確なキャラクターとして設定されており、これは他の全ての人物に当てはまります。つまり、年齢性別文化宗教から多彩な特徴までを、遺伝データまたは後天形質として持ち、その交配や主従関係が肝となるわけです。

端的には、主人公のまず第一の目標は子孫を残す事です。他の貴族・王家と、あるいは臣下と結婚して子どもを残し、「自分の血を引いた自分と同じ姓の跡継ぎ」(兄弟とかでも大丈夫ですが)に称号を引き継がせなければ、ゲームはいきなり終わります。
そして、この嫁(女性当主なら婿)選びがまたえぐい事になります。基本的に停滞した中世ヨーロッパでは、他の時代のように「隣の領地に戦争吹っかけて併合」と言う事は、出来ません。できるのは、「自分が継承権者であると主張して、その領土の正当性を主張する事」で、これが成立してはじめて併合が可能になります。(異教徒相手を除く)
従って、血統管理の第一は、「いかにして子孫に自分と他人の称号を引き継がせるか」になります。これはなれるまでかなり難しく、ゲームの取っつきにくさの中心になっているのですが、まあ馴れます。具体的には、「他家の長女と自分の長男を結婚させ、然る後に他家の男子全員を暗殺」と言った方法が一般的(!)です。あとは、「他家の領土に継承権主張(CLAIM)を持っている廷臣に土地を与えて封建騎士とし、然る後にそのCLAIMを助けて戦争を吹っかけ、配下の領地として併合。最後に称号を取り上げて領土拡張美味しいです」と言った方法ですね。

しかし、そこは悲しき封建システム。どんなに頑張ったところで、常備軍も官僚制も未整備の暗黒時代では、直轄領というのものは精々6プロヴィンス程度が限界です。具体的には、アイルランド島の半分くらいまで。あとは全て封じた配下に収めさせるしかないわけですが、国が拡大するにつれ当然この「自分が治めているわけではない領土」の比率が増えていきます。そうなると、有力な配下は勝手に領土を拡張(彼らが国内で戦争をするのは自由です。君主の配下であるという建前が保たれれば、その土地を誰が治めていても君主は口出しできません)して王権に張り合おうとし、戦争への従軍を拒否し、あげくは反乱を起こします。と言うか、代替わりの度に反乱祭りが起きるのは風物詩で、どんなに拡大した帝国も数代持つ事はまずありません。勿論プレーヤーが担当する国は、リセット(大戦争の真っ最中に君主が戦死して無能な後継者が立ったりすると、文字通り国が粉々になります)とさまざまな準備を駆使するのですが、恐ろしい事恐ろしい事。

これに対して処置しようとすると、反抗的な配下を事前に暗殺したり、無能な後継者は暗殺して優秀な次男への継承を準備したり、そもそも余計な後継者候補を皆殺しにしたりと、実に中世っぽい宮廷陰謀劇が頻発します。PARADOX社お約束「合理的に行動するとその時代の悲劇をなぞる事になる」ですね。
なんか、「それ面白いのかよ?」と言われそうですが、宮廷陰謀劇にうつつを抜かして大国の介入を招いたり、やり過ぎて教皇に破門されて反乱祭りになったりと、色々面白くて止められません。
あと、そう言うわけで君主と嫁の能力が異常に重要なので、キャラクター検索機能を使って全世界から「天才」の素質を持つ幼女・少年をかき集めて配下と嫁(後継者には、はやめに「婚約」で天才をあてがっておきましょう。天才をあてがうのと領土を分捕るための政略結婚のバランスが、ゲームのキモです)に加え、気がついたらうちの王朝みんな肌が浅黒い…… とか言う愉快な事になったりします。あと、近親婚繰り返して、王朝が天才か障害者かその両方かになったりとかな!ちなみに、システム上甥姪とまでは結婚できますよ。嫁選びが色々ままならなくて、それでもいいやと選択される事は良くあります。

とりあえず、頑張ればアイルランドの一州からはじめて大ブリテン帝国成立くらいまでは行けますので、それなりに楽しむと良いでしょう。ちなみに、英語の難しさは今までのシリーズよりだいぶ低いので、ある程度素養があるならGAMERS GATEでDL販売を使うと良いと思います。DRMフリーだし。



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2013年03月01日

これは惜しいなあ 映画『脳男』感想

脳男 (講談社文庫)

↑原作小説は面白いんでしょうかね?



忙しいとばかり言っていても仕方ないので、細かい時間ができたら積極的に使うようにしています。そうなると、映画はかなり便利な娯楽になってきます。札幌の場合駅ビルに居座ってますし、2時間で綺麗に終わってくれますから。

ところで、現在の映画館ってかなり歪じゃないですか?観るものを決めていくなら良いのですが、ぶらりと入ると「今やっている映画の紹介」がどこにもないという、とんでもない状況になっていると、最近になって気づきました。
上映予定作品はビラも予告編もあるのですが、現在公開中のものについては皆無。スマホでも見ろと言う事かもしれませんが、映画館のメイン客層はもう完全に中高年なわけで、こんなんでええんかいと額に皺が寄ります。
こう言うのに気づく度に、あの業界、できる経営努力はいっぱいあるんじゃないかと思います。

閑話休題、批評サイトで評判が良かった映画「脳男」の感想です。
内容は、連続爆弾テロの犯人を追った刑事がアジトで逮捕した男・鈴木一郎(自称)は、明らかに常人ではなかった…… と言う導入のサスペンス。感情の表出が少なく、社会にそれなりに適応しているにもかかわらず異常な行動が見られるこの男。その過去と人格が、大きなテーマになっています。


でまあ、いつもの通りまず結論を。

1,脳男の演技凄い
2,悪役の演技、と言うか脚本がなあ
3,この昭和センスはわざとなの?

まず1ですが、生田斗真って凄いですね。私は役者にほとんど興味がないのでまっさらな状態で見たのですが、ジャニーズタレントなんですか?間違ってもイケメンではない(作中の話です)役柄を見事にこなし、漂わせる不気味さと痛々しい演技が最高でした。映像を舐めているテレビ屋が跳梁跋扈する邦画界で、あんなきちんとした役作りができるなんてビックリです。
この映画は間違いなく彼の映画で、その点から見れば満点でしょう。

しかし、2です。脳男に比べて、黒幕の陳腐さは何事でしょうか?取って付けたような台詞と、見苦しくわざとらしい狂気の演出。彼女から感じる不快さは、「不快で憎むべき悪役」のそれではなく、「脳男の好演をぶち壊す役者不足(役者が悪い、と言う意味ではありません)」に他なりません。
ただ、あの女優さんを悪く言うのも、ちょっと違うかなと思うのです。
まず、観た人間はすぐ解ると思うのですが、脳男は「脳男であるための設定」だけで構成された、とてもシンプルなキャラクターです。そのために、演ずるべきコアもハッキリしており、キャラクターは立ちます。
一方であの悪役は、無駄に豪華な設定を盛り込みすぎて、破綻してしまっています。大きな特徴は「天才」「大金持」「同性愛」「サイコパス」なのですが、最後の一つ以外設定に必然性はありません。と言うか、前者2つは脳男の影にするために同様の設定をぶち込んだだけで、まるで活きていません。大体、最後の一つは「悪役」と同義語で、個性になっていません。おかげで、類型的で手垢の付いた陳腐な「狂気」を見せられて、こちらはウンザリするばかりです。正に、クズみたいな物語に商材乗っけて再生産するしか脳のない、斜陽産業のセンスですよね。そのくせ、軍用拳銃を片手打ちでヘッドショットばんばん決める超人的能力には、説明ないし……
これならば、脇役の中で見事に存在感を主張した主人公の○○(一応伏せ)の内面でも描いてくれた方が、遙かに面白い話になったでしょう。実際、主人公の存在基盤を吹き飛ばしたのは、脳男と彼だったのですから。
そして、3です。序盤のコンビナートをはじめとする都市の点景、あんな所今時あるかと言いたい閉鎖病棟、後述しますが馬鹿なんじゃないかと吐き捨てたアジトの風景。いずれも昭和のサスペンスのセンスです。私が思い出したのは、太陽に吠えろとかパトレイバーの劇場版2とかですね。話自体が現代である理由は全くない(序盤のスマホのシーンから、中盤にスマホで撮影された犯人の姿が鍵になるのかと思ったら、そんな事まるで無かったですし)ので、いっそ昭和を舞台にしていたら綺麗にまとまったんじゃないかと思います。あるいは、昭和を舞台に作っていたがやっぱり止めた、とかなんでしょうか?
「まるでロボット」とか「捨てないで」とか、興ざめなセリフがちょくちょく挟まって盛り上がりをぶち壊す辺り、単にセンスの問題じゃないかと思いますが。

さて、やはり何より気になったのは、設定面での圧倒的な練り込み不足と、細部を蔑ろにする態度です。
例えば、脳男を見た主人公達(精神科医)は「こんな症例見たことない!」などと騒ぐのですが、どう見ても脳男はただの自閉症です。(検査に異常が出てないのは置いておいて、観客も大部分が自閉症を連想するでしょう)「感情がないように見える」というのも、大病院の医者が何言ってんだという感じですし、何より劇中で医者が上げている感情表出障害とやらの特徴が、そのまま脳男に当てはまっている(妙に礼儀正しくよそよそしいとか、そのまんまじゃないですか)のだからたまりません。
漫画みたいな大富豪の描写もそうですし、「キチガイの爆弾魔のアジトならこうだよね」と言うアホな感覚で作られたとしか思えない、アジトのセットもそう。って言うか、大金持ちという設定の犯人が、手作りでパイプ爆弾作ってるのを見て失笑しました。爆弾の威力が場面によって違いすぎる(新米は首が飛ぶだけなのに、病院各所は1個でエリアごと吹っ飛ぶ)のも、爆弾処理班が素人目にも滅茶苦茶な行動をする(爆弾が仕掛けてあると解ってる部屋に突っ込んで爆死って、あれ何なんですか?)のも、折角の緊迫感あるシーンをぶち壊していきます。究極の選択を設定したのに全く葛藤しない江口洋介にしても、演技が酷いのではなくて脚本がひどいのです。
描きたいことが何で、それにはどんな設定が必要なのか。それは物語の邪魔になっていないか?そんな基本的な事を、邦画はおろそかにしすぎです。
今回、脳男に見られる素晴らしい演技があり、恐らくそれを指導した監督が居たわけです。なのに、細部に魂を宿らせられなかった脚本が印象を弱め、良作に至らない凡作で終わってしまった感があります。「面白いお話」は結局細かな描写を積み重ね、違和感を取り除く土木工事なわけで、こういう勿体ないパターンを減らすためにも、ドラマ作りに真面目に取り組んだ方がいいんじゃないんでしょうか?
シナリオラインはしっかりしてますし、個々の特殊エフェクトなんかも良くできてます。「ひょっとして、ダークナイトがやりたかったけど実力が足りなかったってパターン?」とか、勘ぐりたくなる面(悪役の狂気描写とか)もありましたが、そんな事はどうでも良いのです。ただ勿体ないのは練り込み不足とセンスのばらつきで、これは作品と言うよりそれ以前、工業製品としての問題と言って良いでしょう。

まあ、「邦画」で一番売れる宮崎某の脚本どころか全体破綻映画が大手を振ってのさばってる現状では、仕方ないのかも知れませんが……
本当に惜しい。勿体ない。

追記:
なんか調べてみたら、原作では脳男は普通に自閉症扱いされてるらしいです。この点については悪いのは映画だけです。
まあ、スタッフロールの最後に出てきた参考資料の中に、医学関係の本が一冊もなかった段階で、推して知るべしなんでしょうが。リアリティの話じゃなくて、お前はフランスをネタにするのにフランスについて調べないのかというレベルの話です。


あ、最後に一つ。なんか批判的なレビューを書く度に「わざわざ気にくわない物を見て文句言うな」と、わざわざ気にくわないBLOGを読んで書きに来る人が毎回居るんですが、「合わないかも知れない」と思ってもとりあえず食ってみる間口の広さがないと、オタクもどんどん老害化しちゃいますよ。情報強者を気取って好きな物にしか接しない者の末路が、蛸壷化した領域で情報の自家中毒を起こしたネット○○(伏せ字が右翼とは限りません)なわけですから。
まあ、そう言う事を書きに来る人達は、きっとそれを理解して実践してるんでしょうが。





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2013年02月22日

傑作のなり損ない『ROUTE DOUBLE』感想

ルートダブル Before Crime After Days(通常版) ルートダブル~Before Crime After Days~(初回版)

↑左がXBOX360版、右がPC版

ルートダブル~Before Crime After Days~は、最近元気がないを通り越して絶滅危惧種まっしぐらのノベルゲームで、期待されていた一本です。何しろ、コンシューマでそれなりの規模と時間をかけて開発されるオリジナルタイトルと言うだけでも現在希少ですし、監督がインフィニティシリーズで有名な中澤工となれば尚更です。

ではなんでこんなにプレイするのが遅くなったかと言われそうですが、全部忙しさが悪いって事にしといて下さい…… いやまあ、家にいる時間の総量が減ると、ねえ。
と言うわけで、何とか暇をやりくりしつつ時間を捻出してプレイしたのですが、「急いでプレイする必要も無かった」というレベルに落ち着きました。例によって、結論を先に書きましょう。

1,システムは意欲的で話の展開も悪くない。ただし、序盤の話。
2,シナリオのテンポも良く、情報の開示手順も上手い。ただし、序盤の話。
3,とにもかくにも、後半の腰砕けと冗長さで、色々全部ぶち壊し。


まず、最初に選べるルートAをプレイしている間は、「ああ、こんな良作をプレイしていなかったなんて、なんて俺は間抜けだったのだ。余暇時間のブラックホールとしか言いようのないMMOなんか、やってる場合じゃなかった」とか思っていました。これは今でも変わりません。ルートAだけなら十二分に素晴らしい作品です。

本作序盤のシナリオは、実験用小型原子炉を有する研究施設に閉じ込められたレスキュー隊3名と民間人数名が、必死に脱出を模索するという展開。そこに、居るはずなのに見つからない生存者の謎や、発見される惨殺死体、そして高まり行く放射線レベルの脅威という緊張感のある展開をぶち込み、とても面白いパニックアドヴェンチャーに仕上がっています。
この辺、折角の災害物なのに緊張感の欠片も無く、「序盤はひどいが何とか耐えろ」とか言われ続けたEVER17から驚くほど真っ当に進化しており、これは最終的には名作になるんじゃないかと心躍らせましたよ。
危険エリアに踏み込む時の恐怖と言い、目的を細かく設定して引っ張っていくシナリオ展開と言い、冗談じゃなくインフィニティシリーズから一皮も二皮も剥けています。

ところが、ルートBに入るといきなり話は平和なギャルゲー的日常に。実はこれ自体は別に問題無いのですが、「学校の授業」と言う体裁でやたらめったら設定説明が挟まるのに辟易。(私はSFが大好きですし、作中で交されるSF会話など大喜びで読んでいました。作品の元ネタについては、七瀬ふたたびたったひとつの冴えたやりかたの影響をネタに友人と語り合いながら酒飲む程度に気に入りました。)
問題は、設定を垂れ流すSFの悪癖ではありません。とにかく、冗長なのです。BC関連の設定で言えば、重要なのは潜在能力のランクと現在の能力値、それに媒介粒子がある、程度の事でしかありません。A4半分にまとまる内容です。ところが、授業と称し、またTIPSで、果ては通常会話に混ぜ込んで何度も何度も何度も同じ内容が繰り返されるため、うんざりしてしまいます。
ちなみに、設定的には、「原子力施設に偽装したらIAEAに監査喰らうから全部ぶち壊しだろ」と言う大穴があったりするのですが、これは無視できる齟齬という奴です。何が言いたいかと言うと、BC関係も、無理に細かな設定を詰め込むより、細部を濁して「この作品はこう言う前提で動きます」と言う背景としての提示に留める方が絶対に良かっただろうと言う事です。ひぐらしの火山ガス偽装と同じで、専門知識が必要なツッコミに関しては、「現実に可能かは置いておいて、これはできるって言う設定の話なんだな」と普通読者は了解してくれますから。
それ以外にも、とにかく合理的に行動し、そうでなければ生き残れない鉄火場だったルートAと比し、不合理かつ無謀な行動を繰り返すヒロインや、無能な皮肉屋の癖に何故かモテる(ルートAの主人公が、生きるために必死になり周囲を助けて信頼を勝ち得ていくキャラクターだっただけに)ルートBの主人公に辟易します。まあ、後者は好みの問題もあるでしょう。ある程度はしっぺ返しも受けますし、シナリオ上の仁義はギリギリ通されてはいます。むかつきますけどね。チート能力と口先正論が、21世紀ガンダムのあいつを思い出させますし。

しかし、冗長さはその後の本編全体に通底し、ルートB後半から「あるシーンの回想」「そのシーンにかけられていた改変の解除」「さらなる解除」と言った具合に、同じシーンをこれまた繰り返し見せられます。その情報欺瞞解除によって伏線が発動して一気に視界が開けるような演出があればいいのですが、実際は解りきった伏線を見せられたり、そもそも伏線でも何でもないただの繰り返しがほとんど。単なる引き延ばしにしか見えず、イライラばかりが募ります。

シナリオ展開も、ルートB終了後は極めて平板。何しろ、「悪役」の排除が早期に終了しており、同時に一番重要な謎は解除。あとは、悪役の残した影響を一つ一つ潰して回る過程がシナリオの大部分です。確かに、各キャラの過去が見れるのは面白いと言えば面白いのですが、それが本編に直接的に関わるわけでもなく、ただ見せられるだけ。むしろ、シナリオ1で簡便になされた説明だけで本来は十分であり、「そんな回想延々と見せられてもつまんねえよ」としか言いようがありません。

あげくに、「主要登場人物の過去」に絡まない部分は非常になおざりで、9人以外の犠牲者や国家機関等の思惑、あるいは彼らなりの正義と言った部分はまるで光が当たりません。この結果、「敵」が不在のまま進行する物語はクローズドサークルの緊張感を喪失し、垂れ流される設定文書を眺めるだけの実に陳腐な展開に堕していきます。

一応、最後の最後で主人公が選択を迫られるシーンだけはもの凄く面白かったのですが、トゥルーエンドでの展開が、シナリオ上の「スケープゴート」を一個でっち上げて大団円、という最低の内容なのでぶち壊しです。
あの「黒幕」(?)は単にきっかけになっただけですし、正確にはそれを口実に陰謀を巡らせてやりたい放題やっていたあそこと、それを黙認したどこぞが決定的な原因なのは自明。それなのに、「一番悪役にしても当たり障りがない」と言う理由で選んだとしか思えないショボイ組織に全部押しつけて大団円を描かれても、冷めるだけです。
これは、「国家レベルの敵が相手かと思ったら、なんか最終話では単なる暴走した一部局の仕業って事になってたんだけど、これじゃカタルシスねえよな」と言う感想にならざるを得なかった、某選択肢のない同人ゲームと全く同じパターンです。

ただ、どうにも辻褄が合っていないのと、取って付けた感が強いんですよ。なんで犯行声明が出ていないのかとか、この時に限って不祥事の原因を押しつけられていなかったのはなぜかとか。そもそもあの団体が当初穏健だったのは確かで最初の「責任」についても、ほとんど言いがかり(トラウマと前科もった爆弾を、一般人の目にも触れるような所に置いとくって、アホなの?)。完全悪に仕立てるのはちょっと無理。「自分達に被害を与えた」という点で線を引くなら、もっとごついのがいるわけで。
だので、「福島後」の情勢に鑑みて、国と自治体を全面的な悪役に仕立てるのを躊躇したのかもしれません。結果は、上記のように物語の関節が外されて興ざめなだけなのですが。

ただ、これも実は取って付けた感が否めないとはいえ、グランドエンド後のエピローグで描かれる未来へのメッセージは、「福島後」に話をまとめる綺麗な演出になっていて、上手いなと思いました。問題はやはり改変その物ではなくて、急遽行われた事なのでしょう。勿論、発売が延びている間に改変が行われた、と言うのは私の予想に過ぎませんが。

さて問題点の指摘に戻ると、折角用意された特殊な感情選択システムにしても、機能しているのはやはりルートAのみ。以後は、単なるその場その場の選択肢にしかなっていません。

とりあえず、インフィニティシリーズの頃から比べると、序盤の掴みや緊張感の盛り上げ方、そして何より文章能力は大幅向上しているので、ノベルゲームとして水準以上。しかし、推敲・刈り込みをしてないんじゃないかというレベルの冗長なシナリオと腰砕けの展開は、傑作の可能性を粉々に打ち砕いて「良作と凡作の中間?」程度の評価に落ち着かせてしまいました。
とにかく発売してくれただけでもラッキー、一定水準以上なら言う事無いじゃないか、と言う客観的評価もありかと思いますが、私としては「定価で買ったのは厳しかったかな」と言う感じです。

もっとも、ルートAは本当に面白く、システムもシナリオも実に良くできているので、予算が尽きたかそもそも製作時間を見誤ったかという感じなのですが。最初の結論でも書きましたが、序盤の面白さは正にノベルゲームの真骨頂ですよ。

本当に、絶滅が危惧されるジャンルなので、こう言う評価を付けなければならないのは残念なのです。しかし、偽らざる気持ちとしては以上のように書くしかありません。
まあ、決して駄作ではありませんから、このジャンルを愛し「次」に繋げたいと思う諸兄におかれましては、新品購入して市場から回収してあげるとよろしいかと思います。世間的な評価は、決して悪くないようですし。



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2013年02月16日

ナイストンデモ本!ダニエル・ドレクスラー『ゾンビ襲来』感想

ゾンビ襲来

ダニエル・ドレクスラー『ゾンビ襲来』は、「国際政治理論で、その日に備える」との副題のとおり、極めて真面目な研究書です。近年とみに学術的注目を集めつつある「ゾンビ」と言う現象に関し、多くの先行研究を引きつつその現実的対処を検討し、著者の専門分野である国際政治学の知識を駆使して説得力のある議論を展開します。これを読めばあなたも、ゾンビ禍と言う発生確率は低いとは言え極めて致命的な災害事象に対し、真摯な想定と政治的準備が必要なことを理解する事は間違いないでしょう。

……と言うのが、内容に応じてこちらも全力で応じる紹介文章になります。
さて、上記を読んでオイオイと思いつつ眉をひそめた方にとっととネタばらしをすると、この本は上記のような様式で書かれた素晴らしいネタ本です。著者が国際政治学の権威なのも、様式書式が真面目な論文なのも、上記のような主張が為されているのも本当です。しかし、つまるところこれらは壮大なネタであり、そして当然ながら滅茶苦茶面白い内容となっています。

何より素敵なのが、この本が学術論文の体裁を取りつつ、いわゆるトンデモ本の条件を、きちんと満たしているところでしょう。
例えば、引用される論文は彼が所属するゾンビ研究学会(http://zombieresearchsociety.com/)で発表された物ばかりですし、仰々しく取り上げられる著書はネタ本やフィクション。そして、全然関係ない用語を無理矢理結びつけて「学術的関心が高まっている!」とぶち上げるやり口は、正にトンデモ本のあれです。哲学者達はゾンビの存在を信じている!とか言う言説と共に引用されるアンケートとか、大体皆さん予想が付きますよね?

勿論、著者は解った上でやって居るわけなので、これは最高に素敵なネタ本です。大まじめにゾンビ対策を論じたゾンビサバイバルガイドや、WORLD WAR Z(当BLOGの感想はこちら)と、同じ類ですね。ちなみに、両作の著者であるマックス・ブルックスの名は、本作の中でやたらめったら引用されます。UFO本におけるアダムスキーみたいな扱いです。あるいは、ホロコースト系トンデモ本のロイヒター。(あの悪質な詐欺師連中と並べるのはあんまりな気がしますが、様式が倣ってるんでご勘弁を)


こう書くと、一発ネタの退屈な文章が続く作品に思えるかもしれませんが、そうではありません。
国際的なものに限らない政治・行政・企業などの諸要因について、様々なゾンビ作品を引用しつつ解説を加えていくその文章は、間違いなく引き込まれます。また、大仰な理論の話は読み飛ばしても、営利企業による状況の悪化に関する考察で、「政治力が明白」な一方で、実務能力とセキュリティ概念が欠如した「抜きん出た企業の無能さ」への指摘などは、大笑いできることでしょう。
ちょっと引用しますと、

>地位の低い従業員は、この企業の目的に対して全く忠誠心を持ち合わせていない。地位の高い会社の幹部は、何も達成することはできない
>唯一のわかりやすい成功は、主要なメディアで自らの過去を隠蔽できたことだけ

と言った具合です。おわかりでしょうか?これ、かの有名なアンブレラ社に関する記述です。

とは言え、やはり基本的な論文調に硬さを感じて敬遠する人は多いと思いますし、豊富な脚注で紹介される面白いWEBサイトや著書が、当然ながら英語または未訳だったりするのはマイナス要因でしょう。ただ、翻訳済であっても読んだり観ていなかったマスターピースもあり、読み進めながらAMAZONに数点注文を出してしまいました。つまり、それほど魅力を感じさせるほど、ゾンビ愛に満ちた一冊でした。出版形態の捻くれ方が大きいのと、やはりWORLD WAR Zと言う傑作には届かないものの、ゾンビ物の本としては十二分に面白いものでした。
この手のが好きな皆様は、是非読むと良いと思います。

で、関連出版社の皆様におかれましては、チャッチャと「フィード」と「ゾンビサバイバルガイド」を、翻訳して頂けないもんでしょうか?なんか、もう海外ファンの間では必読通り越して基本書扱いされてるんで、WORLD WAR Zの映画公開にでも合わせて出版してくれることを、切に願う次第です。
英語の本は読めないわけじゃありませんが、やはり読破速度は1/3~1/10まで落ちて積ん読消化を圧迫するので、業務上の必要性がない限りできる限り読みたくないんですよ。いや本当、お願いします。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)読み物

2013年02月13日

素晴らしい絵空事 映画「ムーンライズ・キングダム」感想


ムーンライズ・キングダム オリジナル・サウンドトラック

↑このサントラのパッケージが露骨に示すように、見事な皮肉と美しさに溢れた映像が素敵です。


ムーンライズ・キングダムは、1960年代のニューイングランドを舞台に、問題を抱えて家とボーイスカウトキャンプから脱走した幼いペンフレンドを描く、良くできた小品映画です。

内容は、豊かな自然の中で繰り広げられるロードムービー仕立ての前半と、二人とそれを取り巻く問題が顕在化し終息へと向かう後半という構成。ちなみに、またぞろオチを書いている上に時系列が滅茶苦茶な、公式のあらすじ紹介は無視しましょう。本当に、そんなんだから斜陽産業になるんですよ。そりゃ、昔から邦題・邦版宣伝はひっでえのばかりでしたが、娯楽の王様を転がり落ちて久しいわけで、いつまでもそんな仕事では坂道の傾斜角は大きくなるばかりです。

閑話休題、この作品はまるで舞台劇のような安っぽい画面を意図的に作り出す事で、独特の世界観と雰囲気で観客を包むと共に、適度な皮肉・毒を漂わせて飽きさせない作りになっています。
どう言うことかというと、カメラは常に動かないか焦点人物の画面内での位置を変えないように動く共に、オブジェクトと登場人物を常に一次元的に並べ、毒のこもった意味で絵本のような画面を作り出しています。わざとらしく消失点を画面中心に置いたり、水平線を配置したりと言った教科書的な安っぽさは、本当に見事。勿論誉め言葉です。わざとやってるんですから。

毒のこもった、と書きましたが、これは典型的にはディズニー映画に代表される、明るく綺麗でリアルな画面作りが安っぽさを強調してしまうつまらない映像への皮肉でしょう。使われているフォントが正にディズニーフォントというか、子ども向け映画でいつも見るあれだったり、まるでピアノの練習曲のようなBGMへの皮肉として、子ども向け楽器練習用のレコードをBGMに用いている所など、見事な効果を上げています。犬死ぬし。
ドールハウスのような綺麗で小さな家。絵はがきになりそうな景色。アライグマが掘られた原色のカヌーに、ワッペンが大量に貼り付けられたボーイスカウトの制服。それらは美しい画面を作り上げると共に、問題児童である主人公達の内面を浮き上がらせます。
一方で、孤児や家庭内の不和、人生からの脱落など典型的な問題は婉曲に描かれ、決して平板な皮肉には終わりません。と言うか、さまざまな問題もまた平板に描写されることで、逆に「典型的な家庭内問題物」と言う安っぽい作劇になることを回避しています。
社会福祉士の描き方なんか、典型的ですよね。間違ってもリアルではなく、ステロタイプで構成され、それだけに主人公の置かれた立場のどうしようも無さが画面を圧迫しない形で提示される。深刻ぶってドロドロの劇をやらず、ある種の諧謔を漂わせて少年達の住む絵空事の世界を描き出すセンスは、見事なものだと思います。

例えば、前半の山となるフレンチ・キスのシーンが、カリフォルニアの明るい海岸ではなく、霧の渦巻くロングアイランドの陰鬱な入江を背景としている所など、痛々しくてあまりに素敵。かかっている音楽が、また60年代のノスタルジックなものでして。
ただ、終盤の落雷のシーンは前半の流血シーンとリアルさの水準不整合を生じるので、あそこだけ「え、それどうなの?」と素に戻ってしまいました。あそこだけは演出ミスだと思います。

ところで、一番驚いたのは、どう見ても18歳以上だろうと踏んでいたヒロインを演じる女優が、設定どおりの12歳だったと言う事。ビックリするほど60年代のワンピースが似合ってないんですが、監督、あの子で良かったんですか?悲哀あふれる警官役のブルース・ウィリスがあれだけはまっているので、間違いなく意図的なのでしょうが。

とにかく、娯楽を作ってる気があるのか今一解らない映画でしたが、面白いのは間違いないので、興味のある方は是非見てみるといいと思います。


なお、ここで皮肉を込めて描写されているのは、1960年代の「古き良きアメリカ」なので、Fallout 3に込められた皮肉が大好きな人とかは、全く方向性が違いますが観てみると楽しめるかと思います。登場人物達の格好とか、かかっている音楽とか、そのままだったりしますしね。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2013年01月30日

最近読んだライトノベルの感想

瀬尾つかさ「スカイ・ワールド」シリーズ、宇野朴人「天鏡のアルデラミン ねじ巻き精霊戦記」シリーズ、むらさきゆきや「覇権の皇姫アルティーナ」の感想を、6冊まとめていきます。


スカイ・ワールド (富士見ファンタジア文庫)スカイ・ワールド2 (富士見ファンタジア文庫)スカイ・ワールド3 (富士見ファンタジア文庫)

まず最初の感想は、前にも取り上げたことのある作家・瀬尾つかさの「スカイ・ワールド」シリーズ。

内容は、「ネトゲの世界に入り込んでしまった!」。
と、最近はこの一言だけで概ね通じるようになってきましたが、名作「クリス・クロス」を見れば解るとおり、このテーマはラノベにとって鉄板であります。さすがに、「マイクロチップの魔術師」の魔術師を引っ張って、SFとしても…… なんて言うつもりはありませんが。

さて、この作品が他と一線を画しているのは、「何故それが起きたのか」と言うミステリとしてのSF面を中心に据えた構成を取る点(と言っても、この部分はあくまで物語最大の謎であり、既刊での扱いは伏線程度ですが)と、「ゲーム」に関する含蓄です。概ねこの手の作品は、異世界召喚物の亜種であり、「ネットゲーム」としての必然性を上手くとらえ損なって居る場合が多い物です。しかし、逆を言えば、異世界召喚物の亜種であると言う事は、その異世界の設定こそキモとなるのは、言うまでもありません。

さて、このスカイ・ワールドですが、永遠の空に浮遊島が浮ぶという、アゴラを統べたかつての帝国が残せし許し難き罪業だの、愛すべき馬鹿企業の例によってバランスの悪いRPGだのが即座に連想される基本設定です。
しかし、ゲーマーであればすぐに理解すると思うのですが、この「スカイワールド」は、間違いなく「面白いゲーム」です。豊富なクエスト、作り込まれた世界、過去のネトゲから応用された基本システム。そして、プレーヤースキルの入り込む余地の残し方や、巧みなバランス調整……
恐らく、ディアブロからウルティマオンライン辺りまで、新しもの好きのゲーマーが夢見た「未来のネットゲーム」とは、間違いなくこのような作品だったはずです。見た感じだと、SKYLIIMのデータ量を数十倍にしてバランスをプレーヤースキル依存型に調整した感じでしょうか。
これは、あちこちに見え隠れするTRPGの影響(作者は熱心なD&Dファンらしいです。約3mの棒……)からも見て取れますね。ネットゲームに期待された物とTRPGの面白さは、重なる部分が非常に大きかったですから。

ただ、ちょっと納得がいかない部分がありまして、それはライトノベルの宿命とも言うべきキャラクター配置です。ぶっちゃけた話、巻が進むにつれて女性キャラばかりが増殖していき、結果として焦点を歪めてしまっているのです。これは、一々キャラクターの魅力を描くことに分量を取られるという事と、一周回ってキャラクターの魅力が引き立たないという問題を生じます。何しろ、どいつもこいつも魅力的な女性キャラなので、「魅力的な女性キャラ」と言う属性が薄まってパーティが均一化してしまっているのです。せめて、最終目標であるライバルキャラと、3巻の焦点になるコントローラは男性にしておくべきだったんじゃないのかと。あ、3巻ラストで姿だけ出てきたのもそうですね。
ハーレム物の問題は、「萌え豚」批判とは裏腹に、有難みを喪失して個々の女性キャラが魅力的でなくなってしまうと言う部分にあるので、この路線がこれ以降も続くとどんどん辛くなっていくと思います。

いやあ、巻毎に描かれる様々な形の戦闘・陰謀・ルールの応用は、本当に面白いんですよ。しかしそれだけに、画竜点睛と言うべきキャラクター配置で引っかかってしまうのです。特に、あのパーティ構成って、主人公が気にしている固有スキルなんぞより、余程嫉妬の焦点になると思うので、それはいいのかという突っ込みが、ね……


天鏡のアルデラミン―ねじ巻き精霊戦記 (電撃文庫 う 4-4)ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンII (電撃文庫)

続いて、宇野朴人の「天鏡のアルデラミン ねじ巻き精霊戦記」シリーズの感想。南アジアを思わせる異世界(ま、一応)を舞台に、歴史ある帝国で心ならずも出世していく、やる気のない士官と皇族の話です。これが実に、今時珍しい正統派の戦記物。天の時・地の利・人の和を武器にしたり足を引っ張られたりしながら、軍事的才能と異端である「科学」の知識・方法論で活躍する主人公の姿に、往年の田中芳樹作品を思い出すのは私だけではないはずです。
1巻の段階では、裏設定とは関係ない、異世界描写の粗雑さ(単語・口調の選定や日本語でなければ成立しないはずの慣用句など)が気になったのですが、2巻になると一気にこなれ、また話も大きく動きます。勿論、1巻の段階で戦術描写その他にひかれたがための読書続行なので、これは「良くなった」ではなく「より良くなった」と言う意味です。
多少技術発展が急激すぎるきらいもありますが、そう言う細かい点を補って余りある骨太の展開と脇を固めるキャラクター達に、今後も目が離せません。
ただ、その魅力的な脇役達は高確率で割とあっさり退場してしまうので、上記スカイ・ワールドとは対極の不満が生まれてくるのが不思議なところ。特に、2巻の裏方として凄く面白く使えそうな士官と、一歩引いた位置から主人公を客観視する役割を振れそうだったキャラが惜しいですね。逆を言うと、あれだけ使いでのあるキャラをあっさり捨てられるほど、構想がしっかりしていると言う事ではないかと期待するところです。

なんにせよ、これも有望株としてチェックに入れた作品です。


覇剣の皇姫アルティーナ (ファミ通文庫)

感想のオチに使わせて頂いて申し訳ないんですが、この、むらさきゆきや「覇権の皇姫アルティーナ」は、上記2作と対照的な残念作。
割と魅力的なキャラクターを用意しながらその能力の描き方を決定的に間違え、設定を詰めず、色々とボロボロになっています。
まず、軍師キャラの優秀さを描くのは非常に難しいんですが、こんな「TRPGでLV1パーティが85%の確率で採用します」みたいな作戦を優秀さの証と言われても…… それ以前に、あの厳しい世界の中で綺麗事を高らかに宣言するには、それはそれは強い決意が必要なんですが、なんと皇姫は「母親から庶民の話を聞いていたから」とか言う呆れた理由で説明終了。
いや、アルスラーン陛下みたいに、素朴な正義感から出発して成長していくってんなら良いんですが、主人公はそこを突かないし何とも言えない気分に。それこそ、同じラノベなら烙印の紋章みたいに、もっと強烈な設定を付与できたはずです。


何にせよ、日常物ばかりでなく、割と大きな物語や設定を扱う異世界物が再度隆盛の兆しを見せてくれていて、「多様性こそラノベの命」と信じるオールドファンには嬉しい限りです。(前にも書きましたが、私は俺妹みたいな日常物も好きですよ)
おかげで購入ばかり増えて積ん読山・AMAZONタワーが不気味な増殖を続けておりますが、もう仕方ないですよね。嬉しい悲鳴に押しつぶされて時間切れ試合終了となるのは、オタクと言う人生・生き方のの宿命その物ですから。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(2)読み物

2013年01月18日

胸がむかつくひどい話 『魔法少女育成計画 restart』 感想

魔法少女育成計画 restart (前) (このライトノベルがすごい! 文庫) 魔法少女育成計画 restart(後) (このライトノベルがすごい!文庫)

↑表紙の可愛らしさがアップしている辺り、実に「解って」ます。


第1巻の感想はこちら

最近流行の「アンチ・魔法少女」物としてなかなか面白かった前作ですが、実は2巻を読む気はありませんでした。だって、あの胸くそ悪い話は本来続刊を作れるような物ではなく、むしろ続編を作ってしまっては興ざめだと思ったからです。
そして、その予想はある程度はずれていませんでした。

さて、ここで最初に書いておきますと、表題や↑に書いた形容詞等は、別に悪口ではありません。このシリーズは要するにホラーであり、可愛い外見のキャラクターというのはこれを盛り上げるためのギミック、つまりは悪趣味なオプションでしかありません。
しかし、ホラーというのはもともとそう言う「胸くそ悪い」「吐き気のする」ジャンルであり、この意味では誉め言葉となります。従って、胸のムカツキを抱えて嫌な気分で読書を終えた私の感想は、この手の代物が好きなゲロ野郎にはお勧めマークと同じ機能を果たすはずです。勿論、このゲロ野郎というカテゴリに、結局購入して読破した私が含まれるのは、言うまでもないでしょう。


と言うわけで、内容面での感想ですが、一行で表せます。

・真っ当な「ホラー映画の」続編。良さも悪さも全てそこに集約される。

と言う物。
読む前に予想したとおり、展開される世界観やゲーム内容に真新しさはなく、要するに予想の範疇に収まります。相変わらず可愛らしさが憎らしい巻頭のキャラ紹介をみた段階で、どのキャラが「強い」かどのキャラが「死に役」かは、ほぼ見えるでしょう。実際、最終局面まで生き残るだろうと思ったキャラも、早期離脱キャラもラスボス(仮)も、ほぼ予想どおりでした。つまりは、前回で「どう言うことがおきうる世界観か」と言うネタを割ってしまっている以上、展開の新奇性は失われているわけです。
一方で、これは前巻から大きな逸脱が無く、きちんと期待される面白さを提供していると言う事でもあります。タチの悪さも悪趣味も、前巻を気に入った人間なら問題なく堪能できるはずです。AMAZONレビューの点数が前巻より上がっているのは、つまりそう言う事でしょう。

これは、正にホラー映画の続編その物でしょう。モンスター・世界観の概要は既に観客に知られており、驚かせ・怖がらせとしてのパワーは落ちざるを得ない。一方で、ある種のお約束が観客と作り手の間で共有されるため、内容に対する安心感は確保される。要は、そう言う事です。

ただ、ちょっと納得のいかない部分が幾つかありまして、そのため前巻より評価を落とさざるを得ないと言う感想になりました。
上記のように、ちょっと能力の使い勝手が解りやす過ぎるというのもありますが、これはまあ容認できます。ですが、各人の能力の見せ場に大きな差があり、半数程度は単なる戦闘力として表現されているのは不満。前巻の「あ、その能力そう言う事かよ!」「確かに、それは!」と言った驚きは、面白さの中で大きなウェイトを占めていたわけで。
同時に、ゲームシステム的にもゴミアイテムの扱いとか、伏線として中途半端(もっと、誰でも使えるような意味があるのかと思ってました。システムはフェアに組まれてるはずなので、特定一名にしか活用できないというのはどうにも)で納得のいかない部分が散見され、精度が低くなっています。

そして、もっとも納得のいかなかったのが、ゲーム外部からの救済可能性が半端に提示されつつ機能しない点です。何しろ前作の主人公と言うワイルドカードがいるので、救済可能性は担保されているわけです。ところが、これがよく解らない理由(大部分を、魔法界の官僚主義、の一言で済ませるのは、前作同様余りに上手くありません)で遅延する上、結局パートとして意味が無くなっています。
結局、物語を終わらせるという意味では、あのパートは一切貢献していないわけで。オチを付けるというだけの目的であれば、幕引き役としてエピローグに前作主人公を出すだけで良かったはずです。

このため、目指されたのとは別の、「ご都合主義的に悲劇に持って行かれた」と言うような後味の悪さが漂ってしまいました。特に、最後の犠牲者については、シナリオ上の必然性がないのが何とも。具体的に言えば、ログアウトのタイミングを狙って主犯を殺せばいいだけの話ですから。
あの悲劇は、前作の「物語の幕を引くにはこれしかない」と言うような、悲壮な必然には繋がりません。
と言うか、折角平行させていた2つのパートが結局交わらないまま終わってしまうので、オーラスでの感動が湧いてこないのです。

とまあ、展開・シナリオ構成に瑕疵を感じてやや首を傾げたのですが、基本的には表題にあるとおり実にひどい(誉め言葉/悪口)ホラーであり、むかつく物語(同上)であり、良くできた続編です。
この手のゲテモノが好きなゲロ野郎は、下品な面を下げて思う存分堪能すると良いと思いますよ。とりあえず私は、良くも悪くも堪能させていただきました。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(1)読み物

2013年01月15日

ひどい映画だなあ 『ホビット 思いがけない冒険』 感想




↑BLOG主が小学校六年生時に読んで本当に面白かった原作は、今でも十二分に通用する内容です。

今回前置きがやたら長くなったので、時間のない人は、スクロールして箇条書きで結論書いてる部分から読むと良いと思います。

日本語が眠すぎて何度読んでも2巻か3巻で挫折する「指輪物語」(問題は架空民俗学ではないのです。あれは普通に好きです。内容自体の日本語訳がひどすぎるのです)と違って、「ホビットの冒険」は本当に楽しかった読書体験として記憶に残っています。
今でも鮮明に覚えていますが、小学校六年生ともなれば、いっぱしの読書家気取りの少年は図書室の本など馬鹿にして読まない物です。とは言え、丁度手元の本が切れて図書室の物を手に取らざるを得ないタイミングもあるわけです。そこで、「でかくて字の細かい本の中で、一番巻末の推奨年齢が高かった」という、実に中二病な理由で手に取ったのがこれ。ところが、昼休みに適当に眺めたら馬鹿にしつつ棚に戻そうと思っていたのと裏腹に見事引き込まれ、結局借りて帰って一晩で読破した物です。

さて、そう言うわけですので、この作品の映画化は観に行かざるを得ません。同じ理由で観に行ったナルニア国物語ってのもあったわけですが、ほら、あれはもう最終巻の宗教臭さが、小学生段階でアウトだったわけですよ。「アスラン万能ならちゃんと全員救えよ!主人公達必要ねえだろ」と、一神教に対するツッコミが有効に機能しちゃうわけじゃないですか。ついでに戦記物を絶対にやらせちゃ行けないディズニー(人死なない・血が出ない・「汚さ」の描写ができない)でしたから、失敗の前例とは考えなかったわけです。
ちなみに、ロード・オブ・ザ・リングは見てません。有名な小説が原作の作品は、原作を読んでからしか見ない主義なんです。

と言うわけで、期待に胸膨らませて映画館に出かけたのですが、ウンザリした表情で映画館を後にしました。

とりあえず最初に、私の感想に影響を与えたかも知れない因子を。
正月で東京にいたので新宿ピカデリーで観たのですが、これが最悪。学生の親戚と観に行ったのですが、事前にチケットを買っておこうとしたら「学生証がないから売れない」となめた事を言われたのです。何だ当たり前じゃないか、と思ったあなたの疑問は当然。実は、あの映画館は、「入場時」に学生証・身分証(シニアの場合など)の提示を求めるのです。飲み物などを抱えて両手がふさがっている観客が身分証が出せず、入口で渋滞が起きるというのがいつもの光景で、来る度にウンザリしていたシステムです。当然、そこで確認するのに何故購入時に必要なんだと言った物の、「入場時に身分証を確認することはない」「システムが変わったわけでもない」と強弁されて、引き下がらざるを得ませんでした。事前に買っておかないと、全席指定なので隅に追いやられるんですよね。
そして、当然のごとく、入場時には親戚が身分証を要求されたわけで……

本当に、あの映画館はクソだと思います。

ただでさえ、馬鹿長くて狭いエスカレータでの移動、座れる場所が極端に少ない上に狭苦しいロビー、お馬鹿な発券機(開館からこれだけ経って、券が詰まるとかタッチパネルが効かないとか言うトラブルが頻発するなら、納入会社変えた方がいいと思いますよ)、と不満が蓄積してる状態なので、やっぱりバルト9にしておけば良かった!いやまあ、親戚の時間の都合だったので仕方ないのですが。

さて、そう言うわけで映画その物に対する印象が必要以上に悪くなっている可能性がありますが、結論から。


1,不要なシーンは削ろう
2,シナリオに緩急を付けよう
3,企画段階から見直そう

ボロクソですが、撤回する気はありません。もう、ファンタジーに敬意を表してTRPG感覚で視聴しながら「俺がPLなら、こんな行動あるか!」「マスター、もちっと真面目にシナリオ組めや!」とイライラするレベルでしたから。

まず1ですが、そもそも原作は、3時間×3本などと言う超大作映画にする必要のあるような長編ではありません。所詮ハードカバー一冊分です。と言うか、ミュージカルシーンが時間を食う「レ・ミゼラブル」が一本の映画に収まっているのに、これがこんなに肥大化する意味が解りません。
とにもかくにも、無駄なシーンが多すぎます。最初のドワーフの下品さを長々と見せて観客を苛つかせるだけのシーン然り、直後に目的が喪失(結局馬失ってるじゃん)するトロールのシーケンス然り、全く意味のなかったお宝発掘シーン然りです。ついでに、無理矢理「指輪物語の前史」であることを強調したが為に、長々と時間を取っている茶の魔法使いやエルフの谷のシーンなども基本的に不要。そもそもホビットは指輪物語とは無関係に成立していますから、前史であることを強調するにしても要所要所でのカット強調で良かったはずです。
原作どおりだから、と言ったって、岩巨人なんぞシナリオ上全く意味がありませんし、逆に凄く印象的な「お誕生日のプレゼント」と言うワードをすっ飛ばして狂気演出を弱めていたりと、首尾一貫しません。


次に、2。シナリオがやたらと退屈なのは、アクションシーンと非アクションシーンの配置が下手くそだからです。実質的にアクションシーン無しのオープニング(ドラゴンの姿を見せない、と言う趣旨は解りますが、弓を射かけられてびくともしないシーンの一つくらいあった方が良かったのでは?)に続き、不快なビルボいじめから延々とした行軍で約1時間。トロールのシーンまでアクションはなく、実に退屈です。逆に、トロール戦からオーク相手の平原戦の間には、ほとんど一瞬の宝発掘シーンがあるだけ。その後はエルフの谷から野営地での故郷を巡る会話までアクション無し。(岩巨人のシーンは、暴風雨に襲われているのと変わらないので、アクションとしては爽快感が無く計算から外しています)そして、どうでも良い・必要のないビルボと雑魚ゴブリンの一騎打ちのあとは、「なぞなぞ何回出してんだよ!とっとと突いちまえよホビット!」と言いたくなる、ダラダラした謎かけシーンまでアクション無し。かと思うと、その後はエンディングまで延々と戦闘ばかりで、途中で疲れてきます。ダンジョン内の逃走シーンは長すぎますし、一番見栄えのいい対ゴブリンの王戦は、引っ張った癖に勝負は一瞬。そしてまた、「いい加減落ちろよ」な感じの崖っぷち攻防戦と、緩急がまるでついていません。

そもそも、シーンの演出も良くありません。
なぞなぞのシーンが締まらないのは、「ビルボが物理的に優位に立っている」からです。あれが、剣を持っているのがゴクリであれば、狂った相手にリドルで立ち向かわねばならない緊迫感は凄まじい物になります。しかし、剣を持っているのはビルボの方なので、「こんな狂ったモンスター、とっとと突き殺せよ」と言う感想しか抱けなくなります。
と言うか、悪役とのリドル勝負って、普通そう言う物ですよね?物理的に対抗できないから、相手の要求するお遊びに乗らざるを得ず、あるいはリドルと言う物理力以外の土俵に相手を乗せざるを得ない。結局ビルボは地力で出口に達するわけで、シーン全体が不要になってしまっています。

この辺、映像化すると際だってしまう部分ですから、シナリオを変えない意味が解りません。そもそもトールキンの作品は、神話を創造するという目的で書かれた物で、エンターテイメントとしてのできの良さは、上位の目的として設定されていないのですから。

また、血が出ないせいで、へぼい&解りにくい状態になっている演出。ダメですよ、あれ。やたらと乱戦ばかりの上にカメラが引いていますから、血しぶきが飛ばないと「どこで衝突が起きているか」「そしてどっちが勝っているか」が不明確になってしまいます。それこそ、「300」を見習えと言う話です。
なお、「英語書いてるんじゃねえ!」と言う部分は、ええと、アメリカだから仕方ないんですか?でも、地図上にはルーン文字も書かれてるわけで、幾ら何でもあれはなあ…… 異世界を創造することに血道を上げたトールキンに対して、一番の侮辱じゃないかと思うんですよ。

でも、イギリスっぽいムーアや森の情景は、なんかそれっぽかったのでそこは素晴らしいと思います。ホビット村の様子とか、袋小路屋敷の内装とか、ワクワクしますよね。


で、3なんですが、とりあえず企画段階から間違ってます。「ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚をやるなら、それこそ一本、長くても二本で、各二時間以内に収めるべきでしょう。スターウォーズエピソード1~3の三部作も大概眠かったですが、こんなの観てられません。大体、ホビットの冒険は指輪物語の1/5程度の量しかないのですから。
逆に、原作の完全再現が目的であるならば、それもまた「それ意味あるの?」「面白いの?」と言う突っ込みは絶対に必要だったはずです。要するに、指輪物語の夢よもう一度!同じ三部作でガッツリ長編やるぜ!と言う企画が、無意味なシーンの連続による冗長なシナリオを産み、削るべき所を削れない緩急も付かない、劣悪な映画体験を提供してくれることになったのでしょう。
「面白い原作をつまらなくする」と言う点において、原作に対する忠実さはそんなに意味が無いんだなあ、との思いを新たにしました。レベルEアニメ版(当BLOG内の感想はこちら)とか、あの辺を思い出します。

と言うわけで、絶対にお勧めしませんが、原作好きなら色々負の意味で語れることも多いので、観に行って損はしないかも知れない、と言うやや矛盾した評価でまとめたいと思います。
実際、原作好きな人間と談義するのはとても楽しい代物ですよ。原作好きで評価高い人も結構居て、それはそれで納得できる面もあるので面白かったりしますし。

まあ、二部については、その時心の余裕があったら観に行こう、ぐらいの感じですかね。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(5)アニメ・映像系

2013年01月05日

色々面倒くさい憲法9条の話

憲法 第五版
憲法 第五版

↑どんどん電波まみれになっていく諸々(憲法に関しちゃ、昔からあんなんですが)を見ていると、被選挙権は憲法の単位必須くらいにしといた方がいいんじゃないの?とか思ってしまいますわな。でも、単位どころか東大法学部経由国家I種合格してる元財務省のエリートがあんな状態なんで、教育って無力ですよねー。


正月だし、憲法に関する政治的な話でも書いてみますよ。ベアテ・シロタ・ゴードン女史も亡くなりましたしね。あ、馬鹿が馬鹿言ってるのはいつもの事なので、あれは割とどうでも良いです。

さて、政治系の話をする上で、憲法9条というのは色々癌でして、言及した瞬間に訳の解らない批判意見だの前提が滅茶苦茶な論だのが湧いて来る、疲労蓄積一直線の「見えてる地雷」です。

でもまあ、なんか普通に同じ方向で改正主張してる勢力が衆参両院で2/3取りそうですし、ちょっと整理しておいてもいいですよね、って話で。


ただ、この話は、幾重にも前提をおさらいしておかないといけませんので、どうしても長くなります。
と言うわけで、順を追って整理していきましょう。

とは言え、まずは全体の結論から。


「憲法改正、特に9条改正が、現在優先順位の高い案件とは思えない。コストを払って変える意味は見出せない」


なお、これとは別の問題として、憲法の規範性という物を滅茶苦茶にしてくれたという意味で、あの条項は如何なもんかとも思う部分があるですが、それはむしろ最高裁の問題なので触れません。
あと、9条以外の電波改正案については、馬鹿馬鹿しすぎるので実際に国会通過してから考えれば良いんじゃないでしょうか?くらいの勢いで真面目に論評する気が失せます。とりあえず、国民の代表が、国民およびその代表の権利を縮小する事を吹聴するって、頭おかしいんですか?としか。近代以降、自分たちこそが法律その他によって「縛られる」側だという意識が欠如しているのが、病理の本質って奴ですわな。

閑話休題、上記の結論に至る前提として、

1,9条以前の問題として、軍隊ってなあに?
2,9条は現在どう言う位置づけな?

を論じる必要があります。

と言うわけで、まず1から行きましょう。
軍隊というのは、まず第一義的に「外敵から国家を防衛する物」ではありません。なんだよ、国民を威圧し害するのが任務、みたいな左翼のたわごと言いたいのか?と思われるかもしれませんが、実はその方向性で間違っていません。(アレな人達が良く主張している、と言うのはこの際無視しておきましょう。誰が唱えていようと正しい論は正しいのです)

どう言うことかというと、軍隊というものの本質は「暴力装置」で、その意味は「域内における暴力の独占(占有)」です。これは、どんな民主的な国家でも変わりません。施行する法律を域内において守らせ、権威を維持するためには、暴力の独占は絶対に必要です。それが機能しないとどうなるかと言えば、アフリカの失敗国家を見れば一目瞭然でしょう。政府の権威は届かず、法律は無視され、治安は守られず、契約を守らせるには相手に直接銃を突きつける必要が出てきます。要するに、国家の体を為しません。

その目的なら警察でもいいじゃん、と言うのはその通りで、実は本質的な違いはありません。だからこそ自衛隊は最初「警察予備隊」と言う名で始まりました。

ちなみに、世界最初の近代民主国家であるアメリカ合衆国は、建国当初は常備の国軍を持っていませんでした。今のEUに近い13州の連合だったからですが、この常備軍を認めるかどうかで喧々諤々の議論をやって居ます。国民、そして13州にしてみれば、連邦政府という機関に暴力の独占を許すかという瀬戸際になるからです。

あと、思考実験として、世界統一政府のようなものを考えてみると、解りやすいかもしれません。外敵が存在し得ない状況において、軍隊は存在しているでしょうか?名目上の名前は変わっているかもしれませんが、内乱や革命を防止するための強度戦力は、当然必要にならざるを得ないでしょう。
例えば、絶賛修羅の国と成りつつある福岡で、ヤクザが白昼堂々組織的に軍事行動を始める状況に至れば、外国の脅威とは関係なく、警察の対処能力を超えた段階で自衛隊治安出動の運びとなるわけです。
なんでこんな事を確認する必要があるかというと、2の憲法解釈に密接に絡んでくるからです。


そして、2の現行の憲法解釈です。ここで紹介するのは政府の解釈です。その他の解釈は、実は余り意味がありません。正しいかどうかの話ではなく、実務ではこの解釈を基に運用が為されているからです。

憲法9条は、第1項で戦争の放棄を、2項で戦力の放棄をうたっています。ですが、政府の解釈では、戦争を仕掛けたり仕掛けるぞと威嚇する権利を放棄しているだけで、相手から吹っかけられたらその限りではない、となっています。まあ、妥当なところでしょう。憲法はあくまでも国家・政府を掣肘するものですから、他の国が行う事までは責任が取れないわけです。要は、宣戦布告がされれば戦争状態にはなってしまうわけで、その状態を「放棄」する事はできないわけですから。(即刻降伏せねばならない、とする解釈も当然ありますが、これは政府の解釈ではありません)

従って、論理的帰結として、2項で放棄されているのは、「上記の目的を達成するための『戦力』」となるわけです。ここで言う「交戦権」と言うのも、要するに「こちらから戦争を吹っかける権利」だと思えば良いです。

勿論、吉田茂が言っているとおり、「戦力」を厳密に解釈すれば、ただの自動車も港湾施設も、全てが「戦力」です。ですから、この規定は、「国民が『戦争を仕掛けるための戦力』と見なす物を、日本国は保有できない」と言う意味に他なりません。
当然、理論的には国民が「これは戦争のための戦力ではない」と判断すれば、核だろうが弾道弾だろうが持てると言う事になります。それはまあ、当然の話ですね。12条が言っているとおり、文言をどう規定するかはその時の国民がする事ですから。

結局の所、この条文が何を制限しているかと言えば、他と同様「政府の権限」を定めているのです。
独立権限をいい事に、天皇さえも無視して国政を壟断したあげく、ドイツ参謀本部と同じパターンで国家を滅亡に追いやった軍・政府に対し、その権限に枷をはめ、「国民を戦争に巻き込む権利」を奪った、と言うのが9条の本質です。
ここを理解していないと、この条項が国民大多数に受け入れられたことの意味を見誤ってしまいます。

政治関係の記事では口を酸っぱくして言っているとおり、近代国家の成文憲法と言うのは、何よりもまず政府に対する不信を出発点とし、その権力を掣肘するために存在します。その中で行われている現行の解釈は、左翼が口撃するほど無茶ではなく、右翼が腐すほど非現実的でもありません。

次に集団的自衛権行使ですが、これは要するに「同盟国(アメリカ)が攻撃されたときに日本も一緒に敵国を殴れるか」と言う話です。これは、政府の解釈では現行憲法では不可能となっていますが、「後方地域での支援」はこの限りではない、と言う解釈です。
要は、「同盟国を支援はする、しかし、同盟国への攻撃を口実として戦争をはじめる事は許さない」と言う事です。これ実は、実に都合の良い解釈なんですよね。同盟国に対して、「うちの国民、そう言うの許してくれてないんで」と言って正面支援は控えることで、被害を最小限に抑えつつご機嫌もうかがうと言う現行の方針に最適です。


さて、ここでやっと憲法改正の話になります。つまり、問題となるのは、

・何のために変えるのか?
・その目的に対し、憲法改正は合理的な方法か?

と言う事です。
実は、9条を何のために変えるのかという点については、明確ではありません。戦後すぐであれば、自主憲法制定のかけ声も意味があったんでしょうが、今更明治憲法みたいな欠陥品に基づく前近代国家に戻りたいと思う人は居ないわけです。そもそも、国民の多数にとって、現行の憲法は「生まれたときからあった物」で、誰が条文を書いたかという所に大した意味はありません。政治家だって、明治憲法体制の経験者は死に絶えてますしね。

そして、良く言われるのが普通の国とか矛盾を解消とか言う話なのですが、上記の通り現状は合憲と言う事になっています。当たり前ですわな。政府は、口が裂けても違憲とは言えない訳ですから。(一票の格差問題除く)

そもそも、公式サイトに掲げられてる改正案って、9条部分は追加する意味が解らない条項ばっかりなんですよね。例によって、条文の文法というか書式が一定せず、思いついたことを適当に並べたとしか思えないのですが。
辛うじて意味がありそうなのは、軍事法廷の設置を可能とする9条の2の5でしょうか?ただ、軍事法廷が必要かどうかは置いておくとして(必要性には理解を示しますが、大体においてあれは軍隊の独立性を無駄に高めてしまうので良い印象を持ちません)、正規の裁判所への上訴を妨げられないなら、意味ないんじゃないですか?

国民の権利を制限したくてたまらない、日本を中国や北朝鮮みたいな国家への憧れが明確な権利章典関連はともかく(あれは論外の代物ですが、逆を言えば彼らにとって改正する意味は明白にあるわけです)、わざわざ9条を改正する意味はあの文書からは見えないのですよね。
「壊れてない物を修理するな」は、組み換えコストが大きな国家にとって鉄則です。

それと、自衛の延長でしか発砲できないとか、そう言う諸規定は別に憲法由来の物じゃありませんから。必要なのは、関連法整備であって憲法改正ではありません。繰り返しますが、現行の解釈では、自衛隊も自衛戦争も領土保全行為も合憲です。合憲という前提でシステムが作られています。その上に乗っかっている細かな部分でバグがあるからと言って、憲法を改正しようというのは、アプリにバグがあるからOSを入れ替えようというのと変わりません。コスト感覚が欠如している、としか言いようがないでしょう。

正直、大日本帝国の亡霊に取り憑かれていた戦前派の政治家はともかく、現在の政治家がわざわざ9条の改正を企図する意味が、良く解らないです。
あと、権利関係については、あんな自殺行為みたいな改正案に国民の大多数が賛成するなら、それはそれで民主主義として一つの帰結ではあると思うんですけどね。ただ、国民には自殺する権利があるとして、無理心中に巻き込まれるこっちはたまったもんじゃないわけですが。



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Posted by snow-wind at 20:00Comments(6)社会

2012年12月26日

「HELLSING X 上映イベント」に行って来ました

HELLSING OVA X 〈初回限定版〉 [Blu-ray]
HELLSING OVA X 〈初回限定版〉 [Blu-ray]


東京にいるのを良い事に、ヘルシングのOVA最終巻上映イベントに行って来ました。いや、嘘です。抽選が当たったので、わざわざ出張したのです。

初めて行くユナイテッドシネマ豊洲は、微妙に駅からの経路が解りにくく(携帯用のサイトにビル名が書いていなかったんです)迷いかけましたが、看板を辿って何とか到着。ロビーには、一目で解るご同輩以外に、女性やカップルがかなり居て、「ああ、クリスマスだもんな。上映が終わってから爆発しろ」とか思いながら入場したら、ほとんどがこの上映会の客で驚いたり。負けている!あらゆる意味で負けている!!

で、内容なのですが、7年越しで完結したOVA最終巻の日本一の大スクリーンを使った上映と、スタッフトーク。一応、発起人らしい中田譲治氏のプレゼントジャンケンとかもありましたが、メインはトーク。

ただ、一番期待していた「生で見る平野耕太」は、なんか締め切り直後でぶっ倒れたとかで不参加。それにしても、昼の13時に原稿が上がって、翌日早朝には雑誌が店に並ぶ日本の印刷・流通業界って凄いですな。この辺のインフラの優秀さが、逆に電子化の足を引っ張っているのでしょうが……

閑話休題、スタッフトークはかなりシュート。アニメ会のイベントに出たときのノリでオタクトークをかます倉田先生は置いておくとして(今期のイチオシは、中二病とガルパンだそうです)、キャラデザ・作監の中森良治さんはスタジオ移転に伴う混乱の恨み節がオブラート抜きに炸裂し、あげく「スタッフの力量が水準に達していなかった」と、Vガンダムの時の富野監督みたいな事を真顔で話して、プロデューサーの顔をこわばらせていました。監督も予定ずれ込みのせいでTVアニメとかぶって地獄を見たとか、そう言う話を「必死にオブラートに包もうとしているが、成功せずに恨みのオーラが透けて見える」状態のピリピリしたトークに、観客の空気も引きつったり。

あ、作品のクオリティは、大画面で見てもほぼ違和感のないハイレベルで、Blu-ray購入で全く問題無いかと思います。しかしそれだけに、業界の抱える構造的な問題がにじみ出るイベント内容で、面白かったですが愉快な気持ちで映画館を後にできたかというと正直微妙。いや、イベントにお金を払う価値は十二分にあったのです。ただ、作品の高クオリティから逆算して、「この業界あかんのやなあ」と似非関西弁で慨嘆せざるを得ないともうしますか。再三繰り返しますが、内容は凄いんですよ。作画も音楽もエフェクトも声優陣の演技も、あら探しをしてもほぼ見つからないレベル。(インテグラの台詞が何カ所かかすれたように聞こえた部分がありましたが、あれは音響のせいでしょうかね?)しかし、それを実現するのが真っ当なやり方・納期・陣容では非常に難しいというのが、正に問題の中心なわけで。話半分に聞いても、トータル黒字化は厳しいようですし。まあ、当然ですわな。納期が延びればそのままコストは倍々ゲームになるわけで。

あと、別に口止めされなかったのですが、最後の特典映像は「ドリフターズ」のアニメ化プロモ映像でした。私はヘルシングよりドリフターズが大好き(GURPS大好きですから!)なので、大喜びで見てましたが、まず原作が終わるまであと10年はかかるんじゃないかとか考えますと、気の長い話になるかと思います。
ちなみに、公開/制作予定年月日とかは、一切出ておりませんでした。

と言うわけで、サプライズのお土産を貰い、中田譲治さんと握手して帰ってきました。お土産は、原画集とランダム封入のリアル原画。

私が引き当てたのは、こんなんでした。



いやこれ、凄い当たりじゃないですか?

てなわけで、久しぶりの更新でした。
それにしても、リアル平野耕太見たかったなあ……


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Posted by snow-wind at 00:30Comments(2)アニメ・映像系

2012年12月14日

ジジイ格好良い 「人生の特等席」 感想

人生の特等席 Trouble with the Curve 映画パンフレット 【監  督】ロバート・ロレンツ

↑AMAZONはパンフレットを置くようになったみたいなんですが、劇場の二倍の値段で買う人居るんでしょうか?


どうにも外ればかり引いている今年の映画鑑賞ですが、年末にやっと当たりを引くことが出来ました。

「人生の特等席」は、クリント・イーストウッド主演の映画です。今回は監督じゃありません。
内容は、アナログな手法を墨守するメジャーリーグの老スカウトと、一人娘の敏腕弁護士の心の交流と再生を描くヒューマンドラマ。イーストウッドが好きそうな素材で、これで彼は役者引退を撤回したとかなんとか。その道のプロの引退宣言なんて、誰も信じない類のアレですが。

そして、当たりと書いたとおり、見事な人間ドラマでした。
内容は、とても平凡です。アナログな手法にこだわりながら、衰えを隠せない老スカウト。殺伐とした弁護士業界で、のし上がりつつある娘。そこに、彼らの過去と現在の問題および変化を描く、オールドアメリカンスタイルです。このスタイルはダブルミーニングで、自然豊かなノースカロライナの農場風景だったり、バーベキュー持参で住民達が集まるベースボールスタジアムだったり、ろくでなしが集うバーやダイナーと言った、いかにもなアメリカンスタイルが画面を埋めます。今回は半ば悪役として描かれる高校生スラッガーにしても、「野球でのし上がる」と言う目標が明確で実にアメリカン。どう見ても貧困層である彼の父親がスタジアムで息子を自慢して叫ぶ様子など、ベースボールというものがアメリカで果たしている象徴としての役割を、良く示しているでしょう。

加えて言えば、ラストのスタジアムで、スカウトされたヒスパニックの少年が振りかぶるその背景に、嫌味なく星条旗がはためいている演出なども。あれ、何が上手いかって、星条旗には「焦点を合わせない」所なんですよ。邦画であのシーンを作ると、絶対にわざとらしくズームさせてしまって色々ぶち壊しにするのです。(代表例:「男達の大和」で、クソわざとらしく繰り返しアップにされる艦首の菊御紋)

正直、シナリオ内容は平凡ですし、展開に奇をてらった物はありません。後述する、あからさまな欠点もあります。しかし、設定を口先だけの物とはせず、きちんと描写を積み重ねることで、全てを生きた伏線へと昇華しています。
例えば、主人公の家に積み重なるアナログ資料と娘が持参するスマートフォンとノートパソコンの対比だったり、酒場における娘と主人公の行動で説明されない設定を何より雄弁に語っていたり。ちなみに、「カサブランカ」のあれを思わせるラストで、ちゃんと活かされる小道具にニヤリ。良いですねえ。

そして何より、ダメで頑固で明らかにろくでもないジジイ達が、本当に格好良いのです。あの微妙に小汚い親父達は現実に居そうで、しかし見事なまでに現実離れした格好良さを醸し出しています。私が映画館に見に行った時、他の観客は中高年の親父さん達ばかりだったのですが、彼らの背中が煤けた感じ(人のことは言えませんが)とイーストウッドのダンディなダメさというのは、明らかに一線を画しているわけです。それがメイクなのが画面なのか立ち居振る舞いなのかその総合なのかは解りませんが、なるほど彼はどんなに小汚く老けてダメな臭いを漂わせていても、アメリカンヒーローなのだなと妙な納得をしました。


とまあ、ベタ誉めなのですが、問題もあります。堅実なだけにシナリオが見えてしまうのは仕方ないとして、娘の恋愛パートは必要でしたか?33歳で色々崖っぷちなのでハッピーエンドに必要という判断だったのかもしれませんが、仲直りする要因がどこにもないラストシーンとか、絶対おかしいですよね!?あの時点では、フレイム君が真実を知る要素はないですし、そもそもどの面下げてという話です。あの辺の展開だけは本当に無駄だったので、何とかして頂きたかった。
あと、娘との溝がきっかけになる事件も、「それ安易じゃない?」と思ったのも事実。そんなセンセーショナルな未遂事件を持ってくるのではなくて、もっと地味なすれ違いが年月とともに広がってしまった、と言う話の方が、人間ドラマに深みが出たと思います。あれは(アメリカの小説や映画は良く安易に使いますが)、演出上の劇薬ですから。

と、当然不満点はあるものの、十二分に満足でした。グラン・トリノ(当BLOG内の感想はこちら)とまでは行かなくとも、今年見た中では1・2を争う作品であったことは間違いありません。もうしばらくは映画館にかかっていると思うので、お暇があればどうぞ。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年12月13日

娯楽作品としての質の低さよ/映画「のぼうの城」 感想


のぼうの城 上 (小学館文庫)のぼうの城 下 (小学館文庫)

↑原作を読んだ友人によりますと、小説としてはマトモだそうです。


平成ガメラに愛着は特になく、巨神兵東京に現るはマジFUCKとしか言いようが無かったのですが、邦画だって年に一本は見ておこうと「のぼうの城」を鑑賞してきました。

で、例によって最初に結論。

1,題材として盛り上げようがなく、娯楽作品として精度が低い
2,若手俳優の演技力に、邦画の末期症状を見る

と言うものになります。
まず話ですが、時は戦国末期。北条攻めの渦中に、石田三成率いる二万の軍勢を迎え撃つ小規模要塞・忍城!と言うこれだけ見ると燃えるシチュエーション。城主代理は「でくのぼう」略して「のぼう様」と呼ばれる惰弱な能なしですが人望篤く、彼の号令一下様々な人材が協力して防衛戦に挑む、と言う戦記物としての常道が設定されています。

ところが、実は盛り上がる設定はここまで。
何しろ、城主は既に豊臣方に内通しており、忍城の開城は規定事項。所領安堵と領民の安全は保障されており、戦う理由はこれっぽっちもありません。
加えて、石田三成は例によって舞い上がった無能な前線指揮官として描かれており、「このような強大な敵とどう戦うのか!?」と言う盛り上げもありません。
あるのは、やらなくても良い戦をやらされる農民の面の皮であり、規定事項の開城ひいては三成への軍功付与をご破算にされた副官の悲哀です。特に後者など、秀吉が実に気を使って、優秀なのに惰弱扱いされている三成を引き立てようとしている姿が描かれるだけに、涙を禁じ得ません。

そして経過も、忍城が踏ん張るが故に三成は軍功を立てられずに立場を落とし、農民は農地を荒らされて酷い目に遭い、城主は内通をご破算にされ、配下の武将達も所領安堵がご破算に…… と言う、誰も幸せにならない未来へと突き進みます。これが、「戦国という世の悲劇」ならまだ解るのですが、全ての原因は政略的に全く無意味かつ有害な開戦を決意した主人公・のぼうにあるため、カタルシスは欠片もありません。と言うか、「戦う意味のない戦い」をいくら勇壮に描かれても、広がるのは白けた風景だけです。

もっと言えば、一番の売りである攻城戦の描写は本当に冒頭だけで、あとの見所は派手ではあってもただの津波と変わらない水攻め経由堤防の決壊くらい。後半は一切戦闘が行われないまま、ラストまでダラダラと(上映時間約2時間半!)話が続きます。馬鹿殿が田楽踊って、映画として何が楽しいんですかね?


とにかく理解に苦しむのですが、こう言う題材をやりたいのであれば、それこそ上田城攻防戦をやればいいじゃないですか。戦う意味は十二分にあり、敵は精強で、しかも勝利のあとに悲劇が待つのでエピローグも完璧です。(今作の場合、お約束の「その後」説明は記録が無いだの出家だのとろくな物がありません)後述するちゃらちゃらしたイケメンが演じる問題にしても、軍記物の萌え萌えヒーローたる真田幸村であれば、割とスルーして楽しめたはずです。

とにもかくにも、キチガイが暴走して意味のない戦いをしてみんなに迷惑をかけました、と言うシナリオで娯楽作品撮ろうというのは、ちょっと酷すぎると思います。って言うか、真面目に作って下さいよ、本当に。映画って、面白いんですよ?面白かったから邦画は娯楽の王様だったし、面白いからハリウッドは世界を制覇してるんですよ。この作品、予算規模も人員も、ちゃんとかけてるじゃないですか。なんで面白い物を作ろうとしないんですか?


で、この問題をある意味端的に示すのが、2の俳優問題です。
開始十分で解る事ですが、ベテラン勢と若手の演技力には天と地ほどの差があります。演劇を見ていたら突然学芸会が混ざるような違和感です。最悪なのは甲斐姫で、時々出てくる子役並。つまるところ、話題作りに能のない芸能人を使って恥じない邦画の体質は、若手の演技力育成、ひいては演技力のある役者を育てるという発想その物を殺し、ドラマや邦画の惨状を形作っているのでしょう。
ただ、タメ口が混ざって滅茶苦茶になる脚本や、明らかに演技ではなくて素で喋っているだけの台詞を修正しない監督にも、問題はあるかと思います。特撮屋は画面をいじくりさえすれば「映画」ができると勘違いしている、と言うどこかで聞いた悪口も、ひょっとして当たらずといえども遠からずなのかと思ってしまいます。


勿論、全く悪いだけの映画ではなく、津波その物のような水攻めの描写(あれはイチャモンつけられて公開延期になったと言うのも解ります。同意できると言う意味ではなく、あの津波を想起せざるを得ない迫力があったので)や城攻めの手順を見せる緒戦の描写、長々と説明される秀吉の計画など、良い部分も沢山あるのです。しかし、肝心のメインストーリーはかくのごとしで、メインの若手役者もあの始末。しかも、最後のポイントは、その秀吉の地固めに感心すればするほど、戦略をたたき壊すのぼうがキチガイにしか見えなくなる諸刃の剣。

やっぱり邦画は見なくていいや…… と言う感想を抱きながら、映画館を後にしました。どうにもこうにも、やるせない話です。



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