2015年09月07日

ふざけないでいただきたい/オリンピック盗用ロゴの擁護について

例の、オリンピックロゴについてです。
元々この問題については、基本的にデザインにあまり興味はないので、選考課程など、背景に広がる問題の方が遙かに重要だと思っていました。
まあ、あの大胆かつ無意味(あちこちで言われているように、あれだけ売れているデザイナーなら、写真なんか自前で撮ればいいわけです。少なくとも、コピペせずに同じパターンで写真を撮れば、パクリがばれる可能性は大幅に減る訳で)な盗用ぶりというのは一種の盗癖(精神病)なんだろうなと思うわけですが、それは単に関わりたくない人間と言うだけの話ですし。

ところが、よせばいいのにデザイン業界の一部の方々は火に油を注ぎたいようで、「業界では普通」と繰り返し、コケにされた国民の感情を逆撫でしてくれる訳です。とは言え、それらに対する反応は概ね「ふざけんな馬鹿」で終わっていた訳ですが、今回の「深津貴之」氏の弁については、コロッと「納得」してしまう人間が多いようで、怒り心頭に発してBlogの更新と相成りました。こんな事やってる場合じゃないのに!

元の記事:
よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

さて、語り口が丁寧なのと、図版を多く使った見せかけの「解りやすさ」で多くの人を捉えたこの記事ですが、端的に言ってただの詐欺です。こう言う手合いが一番面倒な訳ですが、平易な言葉も優しい語り口も、論理破綻を埋め合わせる事はできません。

では、問題を最初に指摘しておきます。

1,「似ているか否か」と「盗用か否か」を故意に混同
2,デザイン経緯は全て想像の産物で、説得力もない
3,「文脈が違う」と言うふざけた理屈
4,「専門家なら解る」と言うロジックは許し難い



順番に説明します。


まず「似ているかどうか」ですが、そんなもの「似ている」に決まってます。
円の中に縦棒、そして円の外殻を使った左上と右下の飾りを見て、「似ていない」と思うなら目がおかしいです。だって、同じパーツで構成されているのですから。何しろ、デザイン的に似ていないという面で記事中で具体的に挙げられているのは、右下・左上の湾曲三角が縦棒と繋がっていない、と言う部分だけなのですから。

そもそも、記事内容は「似ているが同じではない(オリジナリティがある)」と言う物であり、この時点で既に欺瞞があります。何しろ、『アウトプットの形状が似通っても』と自分で書いているのですから。つまり、似通ってるんでしょ?と言う話です。

そこで彼が持ち出すのが、「#」と「井」と言う噴飯物の例なのですが、これ、似てますよね?似てるどころか、手書きだったら普通区別が付きません。私が頻繁に制作する書類では、問題点の前に#と番号を付けて整理し、以後その#プラス番号で略記したりする訳ですが、「井」と読み間違えるなんてザラです。(経過を書いた文章で、井のつく人名や地名などと見間違う訳です。逆も同じ)そこで彼が言い出したのが#と井を並べてもパクリとは言わない、と言う理屈。ええと、似てないかどうかの話でしたよね?そして、#が井のパクリではない(逆も又然り)なのは、似ているにもかかわらず、#と井が独立にできた物であると歴史的に知られているからです。日本語と英語の知識なら十分あると自負していますが(ところで、「#」って英語じゃないですよね……?)、普通に井と#を読み間違える場面があるのは見てのとおり。
つまり、この例えは論理のすり替えを行った上での煙幕で、読者をだまそうとしている文章の典型です。

つまり、パクリではないと強弁するだけでなく、「そもそも似ていない」と言うロジックを構築する(できてないですが)事で、切断処理を行おうとしている訳です。パクリかどうかで争ったら、もう争いようがない(信用がない)わけなので、パクリの前提である同一性に的を絞っている訳です。盗用の常習犯が提出した作品が盗用と見なされるのは、他に似たものがあった場合であって、そもそも似ていないと強弁すれば盗用の前提が消える、と言う論理構築ですね。ディベートのテクニックとしては見事ですが、要するに詐欺師の技術です。


次。
そもそも制作の経緯が違うから盗用ではあり得ない、と言う事を言っている訳なんですが、綺麗な図表を並べて説明しているあの内容に、前提となる資料がありません。つまり、単なる彼の想像の産物なわけです。「想定される」って書いてありますね。これまた画像で……
そして、その論に説得力があるかと言えば、問題外です。何故なら、「ロゴをパクってきて元となるフォントだけ変えた」と言う方法を排除できないばかりか、佐野研二郎の仕事内容を見る限り、そちらの方が余程説得力があります。一番重要なデザイン変更(三角の斜辺を局面に)を「亀倉リスペクト」って言ってますが、ロゴをパクったと見た方が余程自然ですよね?だって、Tが元のはずなのに、右下に突然三角が登場してるんですよ?どっから来たんです、それ?てか、この時点でもうTじゃなくてTLの融合(リエージュのロゴそのもの)ですよね?

あとですね、デザインパーツの読解もそうなんですが、そんなもの「言った者勝ち」で、後から何とでも言えるんですよね。と言うか、そのための釈明として出てきたデザイン経緯の内容が、あの滅茶苦茶な選考課程と「最初の案も盗用だった」と言う代物なわけで。これで擁護になると思ってる感覚が不思議でなりません。と言うか、勝手に佐野研二郎の方法論を代弁・解読しちゃってますけど、違ったらどうするんでしょう?



で、上と関連する3つめ。
何が「文脈」だ!?
ええとですね、そもそも作家の心中(誰にも解らない制作過程)を云々したのと同じ文章で、文脈って言葉を持ってくるセンスがCOOLですね。文脈で判断するのか作者の意図で判断するのか、どっちかにした方が良いと思いますよ。だって、それ相反する解釈法ですから。

で、「文脈」なんですが、これはかなり面倒な単語で、適当な論理をまき散らす似非学者が大好きな言葉なんですよね。要するに、歴史とか環境とか、周辺事情をまとめて表す言葉なんですが、「周辺」をどこまで取るかは論者次第なので、感覚的に使うと意味が解らなくなります。なので「歴史的文脈」とか限定した上で、どう言う意図で使うのかを明示する必要があるんですが、案の定ちゃんと説明されていません。
仕方ないので「文脈」を読むと、要するに「オリンピックのロゴだから劇場のとは違う」って事みたいです。まあ、文章に例えるならそう解釈するしかないでしょう。他に見あたらないので、解った人は教えて下さい。まさか、自分の想像したデザイン経緯の事じゃないですよね?そんな、検証できない・外から見えない物に「文脈」が発生するはずないので。

と、そう言う解釈するしかないと思うのでその前提で話しますが、そんな「文脈」の違いが言い訳になるなら、つまり既存のロゴをかっぱらって別の目的に使ってもOKって理屈になりますよね?「文脈が違えばオリジナル」なわけですから。こんなふざけた理屈はないし、何の擁護になってないのは間違いありません。私があのロゴをパクって、居酒屋「田中丸」(今適当に考えた)のロゴにしても、デザイナーさん達は文句言わないって事ですよね?だって、田中のTと丸の○を組み合わせてデザインしたと「想定」されますよね?
彼が言ってるのは、そう言う事です。



そして最後。
言うに事書いて持ち出してきたのが、「専門家への信任」です。コミュニケーションが重要、と言う理屈も、前提となる事実が「盗用の常習者を重用し、身内で仕事を回し合って誤りすら認めない」業界トップの姿では、話をする以前の問題でしょう。
何が頭に来ると言って、「専門家」が専門家であるための豊かな知見や事実の積み上げが、全く為されていないあの記事です。想像上の産物である「想定されるプロセス」以外に、何か証拠や論理はあるのでしょうか?

何故ここに腹を立てるかというと、今回の件が「専門家軽視」の文脈で用いられかかっているからです。建築業界における姉歯問題の際、「専門家」の設計がマトモかどうかは工学的に第三者が判断できました。ふざけた医療訴訟の数々で、科学的な裏付けによって医者達は反論を行いました(そして無視されて医療は崩壊しました)。歴史学はたびたび攻撃に晒されますが、歴史研究のロジックと史料批判能力は当然ながら説明可能です。この記事のどこに、そう言った原則や論理の説明があるのでしょうか?都合の良い想定を並べて、印象操作を行っているだけではないですか。

彼は記事中で、専門家としてのデザイナーの役割について「今回の軸となった展開性であったり、文脈、文化的な意義、あるいは5年後にも飽きがこないか?といったことは、ある程度の専門知識がなければ評価できないことです。」と書いています。また、『デザインの本質は「課題を解決すること」と「新しい価値を提案すること」です。』とも。

しかし、一体五輪ロゴの「課題」とは何かも、あのロゴが提案した「価値」も、記事中には書かれていません。これは一体どう言う事でしょう?上記のように、明言されない上に要するにコンペの募集要項以上の内容ではない「文脈」も、「文化的意義」も、何故あれが「5年後にも飽きが来ないと言えるのか」もです。ひょっとして彼は、自分は専門家はないと言いたいのでしょうか?(皮肉)

そして、唯一丁寧に記されている「展開」については、要するに違う経緯で作られたかもしれない、と言う話でしかありません。記事の表題に反して「似ていない」の証明にはなりませんし、じゃあどうだったら「似ている」になるのかと言う反証可能性が担保されているようには、とても見えません。
また、展開力があると言う話についてですが、そもそもオリンピックのロゴは「”良くない”から問題になったわけではない」と言う点を、丸ごと無視しています。って言うか、善し悪しには言及しないと言ったのに、展開力を云々して「良いもの」であるという印象操作を行ってるのは卑怯です。



以上のように、非常に不誠実で不愉快、かつ「専門家」と言う肩書きを振り回したひどい論を見たので、久しぶりに記事を挙げさせていただきました。


最後に、本来もうこれだけで良いと思われる指摘をして、エントリーを閉じたいと思います。

「デザイナーと世間において、これほど大きな認識の違いが生まれた」と仰いますが、ベルギーのデザイナーは「デザイナー」ではないのですか?
そもそも、デザイナーなら似ていると思わないと言うのであれば、「感情面」の問題も出てきようがないはずですよね?
まあ、後者については、彼自身が「酷似している」と書いてしまってるわけですが……


医学者は公害事件で何をしてきたのか (岩波現代文庫)
医学者は公害事件で何をしてきたのか (岩波現代文庫)

↑過去に何度も貼った面白い本です。今回の件とは全然関係ないのですが(すっとぼけ)。
水準操作で問題点をずらして自分達の権威を守り、海外では活動しない(英語では論文を発表しない)事によって国内限定の異常な「常識」を作り上げて行った一部の医学者の姿に、色々と感じる所があるかと思います。
商標登録していないロゴを「野良ロゴ」と評し、商標と著作権を故意に混同する誰かのセンスとか、海外からの科学的異常性の指摘に対して「失礼だ!」と喚いたどこかの医学者(これは、この本の連中とは別)と同じ特権意識がにじみ出ていてとても好感が持てますね。ええ、全然関係ないんですけど(大事な事なので2度言いました)。




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Posted by snow-wind at 23:00Comments(2)社会

2013年01月05日

色々面倒くさい憲法9条の話

憲法 第五版
憲法 第五版

↑どんどん電波まみれになっていく諸々(憲法に関しちゃ、昔からあんなんですが)を見ていると、被選挙権は憲法の単位必須くらいにしといた方がいいんじゃないの?とか思ってしまいますわな。でも、単位どころか東大法学部経由国家I種合格してる元財務省のエリートがあんな状態なんで、教育って無力ですよねー。


正月だし、憲法に関する政治的な話でも書いてみますよ。ベアテ・シロタ・ゴードン女史も亡くなりましたしね。あ、馬鹿が馬鹿言ってるのはいつもの事なので、あれは割とどうでも良いです。

さて、政治系の話をする上で、憲法9条というのは色々癌でして、言及した瞬間に訳の解らない批判意見だの前提が滅茶苦茶な論だのが湧いて来る、疲労蓄積一直線の「見えてる地雷」です。

でもまあ、なんか普通に同じ方向で改正主張してる勢力が衆参両院で2/3取りそうですし、ちょっと整理しておいてもいいですよね、って話で。


ただ、この話は、幾重にも前提をおさらいしておかないといけませんので、どうしても長くなります。
と言うわけで、順を追って整理していきましょう。

とは言え、まずは全体の結論から。


「憲法改正、特に9条改正が、現在優先順位の高い案件とは思えない。コストを払って変える意味は見出せない」


なお、これとは別の問題として、憲法の規範性という物を滅茶苦茶にしてくれたという意味で、あの条項は如何なもんかとも思う部分があるですが、それはむしろ最高裁の問題なので触れません。
あと、9条以外の電波改正案については、馬鹿馬鹿しすぎるので実際に国会通過してから考えれば良いんじゃないでしょうか?くらいの勢いで真面目に論評する気が失せます。とりあえず、国民の代表が、国民およびその代表の権利を縮小する事を吹聴するって、頭おかしいんですか?としか。近代以降、自分たちこそが法律その他によって「縛られる」側だという意識が欠如しているのが、病理の本質って奴ですわな。

閑話休題、上記の結論に至る前提として、

1,9条以前の問題として、軍隊ってなあに?
2,9条は現在どう言う位置づけな?

を論じる必要があります。

と言うわけで、まず1から行きましょう。
軍隊というのは、まず第一義的に「外敵から国家を防衛する物」ではありません。なんだよ、国民を威圧し害するのが任務、みたいな左翼のたわごと言いたいのか?と思われるかもしれませんが、実はその方向性で間違っていません。(アレな人達が良く主張している、と言うのはこの際無視しておきましょう。誰が唱えていようと正しい論は正しいのです)

どう言うことかというと、軍隊というものの本質は「暴力装置」で、その意味は「域内における暴力の独占(占有)」です。これは、どんな民主的な国家でも変わりません。施行する法律を域内において守らせ、権威を維持するためには、暴力の独占は絶対に必要です。それが機能しないとどうなるかと言えば、アフリカの失敗国家を見れば一目瞭然でしょう。政府の権威は届かず、法律は無視され、治安は守られず、契約を守らせるには相手に直接銃を突きつける必要が出てきます。要するに、国家の体を為しません。

その目的なら警察でもいいじゃん、と言うのはその通りで、実は本質的な違いはありません。だからこそ自衛隊は最初「警察予備隊」と言う名で始まりました。

ちなみに、世界最初の近代民主国家であるアメリカ合衆国は、建国当初は常備の国軍を持っていませんでした。今のEUに近い13州の連合だったからですが、この常備軍を認めるかどうかで喧々諤々の議論をやって居ます。国民、そして13州にしてみれば、連邦政府という機関に暴力の独占を許すかという瀬戸際になるからです。

あと、思考実験として、世界統一政府のようなものを考えてみると、解りやすいかもしれません。外敵が存在し得ない状況において、軍隊は存在しているでしょうか?名目上の名前は変わっているかもしれませんが、内乱や革命を防止するための強度戦力は、当然必要にならざるを得ないでしょう。
例えば、絶賛修羅の国と成りつつある福岡で、ヤクザが白昼堂々組織的に軍事行動を始める状況に至れば、外国の脅威とは関係なく、警察の対処能力を超えた段階で自衛隊治安出動の運びとなるわけです。
なんでこんな事を確認する必要があるかというと、2の憲法解釈に密接に絡んでくるからです。


そして、2の現行の憲法解釈です。ここで紹介するのは政府の解釈です。その他の解釈は、実は余り意味がありません。正しいかどうかの話ではなく、実務ではこの解釈を基に運用が為されているからです。

憲法9条は、第1項で戦争の放棄を、2項で戦力の放棄をうたっています。ですが、政府の解釈では、戦争を仕掛けたり仕掛けるぞと威嚇する権利を放棄しているだけで、相手から吹っかけられたらその限りではない、となっています。まあ、妥当なところでしょう。憲法はあくまでも国家・政府を掣肘するものですから、他の国が行う事までは責任が取れないわけです。要は、宣戦布告がされれば戦争状態にはなってしまうわけで、その状態を「放棄」する事はできないわけですから。(即刻降伏せねばならない、とする解釈も当然ありますが、これは政府の解釈ではありません)

従って、論理的帰結として、2項で放棄されているのは、「上記の目的を達成するための『戦力』」となるわけです。ここで言う「交戦権」と言うのも、要するに「こちらから戦争を吹っかける権利」だと思えば良いです。

勿論、吉田茂が言っているとおり、「戦力」を厳密に解釈すれば、ただの自動車も港湾施設も、全てが「戦力」です。ですから、この規定は、「国民が『戦争を仕掛けるための戦力』と見なす物を、日本国は保有できない」と言う意味に他なりません。
当然、理論的には国民が「これは戦争のための戦力ではない」と判断すれば、核だろうが弾道弾だろうが持てると言う事になります。それはまあ、当然の話ですね。12条が言っているとおり、文言をどう規定するかはその時の国民がする事ですから。

結局の所、この条文が何を制限しているかと言えば、他と同様「政府の権限」を定めているのです。
独立権限をいい事に、天皇さえも無視して国政を壟断したあげく、ドイツ参謀本部と同じパターンで国家を滅亡に追いやった軍・政府に対し、その権限に枷をはめ、「国民を戦争に巻き込む権利」を奪った、と言うのが9条の本質です。
ここを理解していないと、この条項が国民大多数に受け入れられたことの意味を見誤ってしまいます。

政治関係の記事では口を酸っぱくして言っているとおり、近代国家の成文憲法と言うのは、何よりもまず政府に対する不信を出発点とし、その権力を掣肘するために存在します。その中で行われている現行の解釈は、左翼が口撃するほど無茶ではなく、右翼が腐すほど非現実的でもありません。

次に集団的自衛権行使ですが、これは要するに「同盟国(アメリカ)が攻撃されたときに日本も一緒に敵国を殴れるか」と言う話です。これは、政府の解釈では現行憲法では不可能となっていますが、「後方地域での支援」はこの限りではない、と言う解釈です。
要は、「同盟国を支援はする、しかし、同盟国への攻撃を口実として戦争をはじめる事は許さない」と言う事です。これ実は、実に都合の良い解釈なんですよね。同盟国に対して、「うちの国民、そう言うの許してくれてないんで」と言って正面支援は控えることで、被害を最小限に抑えつつご機嫌もうかがうと言う現行の方針に最適です。


さて、ここでやっと憲法改正の話になります。つまり、問題となるのは、

・何のために変えるのか?
・その目的に対し、憲法改正は合理的な方法か?

と言う事です。
実は、9条を何のために変えるのかという点については、明確ではありません。戦後すぐであれば、自主憲法制定のかけ声も意味があったんでしょうが、今更明治憲法みたいな欠陥品に基づく前近代国家に戻りたいと思う人は居ないわけです。そもそも、国民の多数にとって、現行の憲法は「生まれたときからあった物」で、誰が条文を書いたかという所に大した意味はありません。政治家だって、明治憲法体制の経験者は死に絶えてますしね。

そして、良く言われるのが普通の国とか矛盾を解消とか言う話なのですが、上記の通り現状は合憲と言う事になっています。当たり前ですわな。政府は、口が裂けても違憲とは言えない訳ですから。(一票の格差問題除く)

そもそも、公式サイトに掲げられてる改正案って、9条部分は追加する意味が解らない条項ばっかりなんですよね。例によって、条文の文法というか書式が一定せず、思いついたことを適当に並べたとしか思えないのですが。
辛うじて意味がありそうなのは、軍事法廷の設置を可能とする9条の2の5でしょうか?ただ、軍事法廷が必要かどうかは置いておくとして(必要性には理解を示しますが、大体においてあれは軍隊の独立性を無駄に高めてしまうので良い印象を持ちません)、正規の裁判所への上訴を妨げられないなら、意味ないんじゃないですか?

国民の権利を制限したくてたまらない、日本を中国や北朝鮮みたいな国家への憧れが明確な権利章典関連はともかく(あれは論外の代物ですが、逆を言えば彼らにとって改正する意味は明白にあるわけです)、わざわざ9条を改正する意味はあの文書からは見えないのですよね。
「壊れてない物を修理するな」は、組み換えコストが大きな国家にとって鉄則です。

それと、自衛の延長でしか発砲できないとか、そう言う諸規定は別に憲法由来の物じゃありませんから。必要なのは、関連法整備であって憲法改正ではありません。繰り返しますが、現行の解釈では、自衛隊も自衛戦争も領土保全行為も合憲です。合憲という前提でシステムが作られています。その上に乗っかっている細かな部分でバグがあるからと言って、憲法を改正しようというのは、アプリにバグがあるからOSを入れ替えようというのと変わりません。コスト感覚が欠如している、としか言いようがないでしょう。

正直、大日本帝国の亡霊に取り憑かれていた戦前派の政治家はともかく、現在の政治家がわざわざ9条の改正を企図する意味が、良く解らないです。
あと、権利関係については、あんな自殺行為みたいな改正案に国民の大多数が賛成するなら、それはそれで民主主義として一つの帰結ではあると思うんですけどね。ただ、国民には自殺する権利があるとして、無理心中に巻き込まれるこっちはたまったもんじゃないわけですが。



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Posted by snow-wind at 20:00Comments(6)社会

2012年06月27日

あっはっは!

定数80削減法案を付託 民主が強行 与党以外は反対(あかはた)

公約全部吹っ飛ばして、政策は全部官僚の言いなりになって、最後の仕上げに議員減らす事で行政府に対する政治府の力を削いでから政権交代するんだってさ。

もうね、三権分立とかバランスオブパワーとか言う以前。政治学の教科書読めとか言っても無理だろうから、議員には研修としてボードゲームでもやらせた方がいいんじゃないの?

もっとも、当選してからの状況に絶望した若手議員最後の自爆テロだとするならば、全く賛成できないけど気持ちは解ってしまうなあ。

  
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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)社会

2012年06月26日

この国、政治的に詰んだって事ですよね

小沢氏ら54人超反対=増税法案が衆院通過-民主、事実上分裂(時事通信)

DL違法化罰則付与に続いて消費税増税法案が通過し、さすがに絶望的な気持ちになっております。

しかしそれは、消費税が増えたからでも、21世紀のラダイト運動が議会を席巻しているからでもありません。
それは、「穏当なラインで政治に期待する事ができない」事が、白日の下に晒されてしまったからです。

前にも何度か書きましたが、民主党への政権交代で旧弊が一掃できるなどと考えたことは一度もありませんし、そんな脳天気な有権者はほとんど居なかったはずです。
ただ少なくとも、二大政党制唯一の利点である「比較的容易な政権交代」によって、旧政権とは違うオルタナティブが実施されることは、期待というか当然の帰結となるはずでした。

ところが、何とか通過したのは農家個別補償程度。他は公共事業からネット政策派遣禁止に米軍基地に著作権法の組み換え、果ては原発問題から事もあろうに消費税に至るまで、内容の善し悪しとは関係なく旧来の政策を引き継ぐという真似をしてくれたわけです。
これが、いかに愚かで不合理で旧軍並の脳たりんかは散々指摘してきたので繰り返しませんが、「自民党ではない」事だけを理由に政権を取った党が自民党と同じになり果てたら、そりゃ橋下みたいな言動の一貫性も保てないレベルのろくでなしでも、票を集めることになりますよ。だって、生半可な既成政党ではあっという間に官僚に取り込まれて終わりだと、見事に証明してしまったんですから。
あ、勿論、橋下が政権を取ったらまたコロッと転進して官僚のスピーカーになるか、官僚以下の政策を連発してもっと酷いことになるかの2択というのは自明です。しかし、国民にどのような選択肢があるかと言えば、自民党その1と自民党その2と自民党その1のパートナーの宗教政党と、その他有象無象の極少数派なわけです。こんな物、どうなるかは自明でしょうに。

結局、キワモノ政党が躍進するのは、国民が馬鹿だからではなく、既成政党がその期待を裏切り続けたことの結果に過ぎないと言う事でしょう。官僚の抵抗が酷かったのは確実ですし、実際原発関連などで露骨なサポタージュも見られました。警察関連案件など、見事な立ち回りっぷりです。しかし、そんなもの、然るべき方法を取れば退けられることは、小泉内閣が証明しているのです。
馬鹿馬鹿しい話ですが、今回の民主党政権とはつまり、「郵政民営化をせずにJRを再国営化してしまった小泉政権」とでも言うべき物です。合理的かどうかなどとりあえずどうでも良く、国民の圧倒的な支持を得て宣言した政策を反故にし、圧倒的な反対論が迎える政策を「これだけは実行する」と言い出すなど、頭がおかしくなったとしか思えません。

大体、政権交代時の連立三党旧党首が雁首揃えて反対する法案が、自公と内閣の賛成で可決するって、これただの自民党政権ですよね?小沢派が離脱して民主が分裂したら、執行部は粛々と自民党に合流するって言ういつものアレですよね?

もうなんて言うか、どうしようもないですよね。だってこれ、政治家が悪辣だとか嘘つきだとか言う問題じゃないですもん。

一言でいうとですね、圧倒的な「無能」です。

政治家というのは人気取りが使命の職で、だからこそ民主主義の「最大多数の最大幸福」が出力されるわけです。人気取りで言ったことを全部守るアホはいませんが、何一つ守らずに逆張りしてくれるような奴は、長く職に留まるなど不可能です。なのに、こんな事をしてしまう。この段階で無能。
加えて、簡単に官僚に籠絡される。今までの信念も制約も投げ捨てて、ホイホイ言いなりになってしまう。官僚の主張する「国益」なんぞ、頭が良いわけでもない利害関係者の戯れ言なわけで、そんなものをスポンサーである有権者への宣言に優先すると言う事を正当と考えてしまう段階で、これまた無能。

結局民主党の皆さんは、国民から唾を吐かれて失業し、官僚に良いように使われたあげく嘲笑される事になるんですが、その程度の未来図も描けないんでしょうか?


ただし、この後悔の最悪の部分は、「こうなることを予想していたとしても、当時の総選挙で取る行動は変えようがない」事です。結局今国会で通過した諸々は旧政権が進めてきたことの延長であって、自公に投票していたらもっとさっさと通過していただけの話に過ぎないのですから。

これは、次の選挙で一体どこに投票すべきかと考えたときに、頭を抱える諸氏には至極簡単に納得頂けるんじゃないかと思います。

全ての国民はそれに相応しい政府を持つ、と申しますから、そもそも我々日本人にはこの程度がお似合いだったのかもしれませんが。



クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

なんかもう、消費税10%でも俺が今すぐ死ぬわけじゃないし、DL違法化も児ポも引っかけられる確率は訳の解らない職質で引っかけられる可能性と大きく違わないし、1920年代に引きこもって楽しく発狂するアナログゲーム↑でもやって過ごしてれば良いんだろ、みたいな気分にもなってくるわけです。
でもさすがに、あまりに自分の回りがディストピアに近づかれると、訳の解らん罪状で警察に踏み込まれてシステムがリアル・パラノイアに大転換、みたいな事に成りかねないので、脱力がとけたらどうするか考えたいところ。
ナチスとドイツ共産党とSPD、好きなところに投票してね☆ と言われたワイマール共和国の有権者も、きっとこんな感じだったんでしょうなあ……




  


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)社会

2012年04月17日

著作権が守る物/行政の公開情報を引用して逮捕と言う麗しき世界


この手の問題について、絶対に批判的な取り上げ方をしない産経だけが記事を掲載しているというのが、情報の流通経路を解りやすく示していて面白いですね。

個人ブログに市のHPをコピペ 著作権法違反容疑で無職男を逮捕(産経ニュース)

政府(「地方自治体」と言う単語は"LOCAL GOVERNMENT"のわざとらしい誤訳で、彼らは国と同じ「政府」です)の公開情報を引用した結果が、逮捕。こう言うのを警察国家と言いまして、ソ連や北朝鮮や中国を我々が馬鹿にしてネタにする根拠でございます。

とりあえず、問題点を整理しましょう。


・批判を受けた市が、相手方を潰そうと、明確な権利の濫用を行ったこと
・その濫用を、警察が先導したこと


まず前者ですが、行政は批判されるためにあります。市民を如何様にも縛れる権力は、常に主権者からの監視に晒されるのが当然です。余程のことがない限りこの義務は外されることはありません。多少の行き過ぎなど、権力に対する監視に穴が開くことに比べれば、些細な問題です。
そして、その「行き過ぎ」に対しては、幾つかの明確な基準が設けられています。例えば名誉毀損であり、例えば威力業務妨害です。「公務執行妨害」と言う恐るべきツールもありますが、これとて一応の掣肘が課せられています。

ところが今回、市が取った手段は「著作権法違反」でした。著作権は、言うまでもなく文化を守るための物です。市が税金で運営しているWEBページの内容(しかも内容は告知)に著作権が認められること自体、日本の著作権法の瑕疵です。著作権を設定して制作のインセンティブを与える意味は、全くないのですから。
これは、死んだ子どもに関する情報を転載して罵詈雑言を書いていたページを同法違反で逮捕したときと同様、完全な著作権法の理念違反で、つまりは濫用です。著作権は、気にくわない・許せないと思う表現を潰すための物ではありません。むしろ、その様な濫用が行えるという事自体、著作権という「特権」(何度でも書きますが、著作権は近代において絶対の鉄則である所有権に制限を加えて生み出される、法的な特権に過ぎません。自然権でもなんでもない、印刷ギルドの独占権が由来なのです)の問題点を浮かび上がらせることになります。
つまり、こんな代物を金科玉条として拡大に汲々とする現状は、明らかに間違っているだろうと。

そして今回については、明確に警察が糸を引いています。記事にあるとおり、相談を受けた警察が編み出した抜け道(見た限り、市・市職員やそれらと懇意の警察に気にくわない内容なのは間違いないでしょうが、名誉毀損にも威力業務妨害にも該当しません)が、「著作権法違反」だったのですから。ダウンロード違法化や著作権法の非親告罪化が、一体どのような道を拓こうとしているか、馬鹿でも解ると言う物でしょう。

ちなみに、問題のページはこちらみたいなんですが、率直に言ってこだわりの強い精神的に問題のある方だと思いますが、別件逮捕の正当化には全くなりませんわな。
転載されている写真は市のWEBページからですし、データや記事内容も同様。むしろ、これらが違法とされるのであれば、企業のWEBページ内容を使った企業批判も、官邸WEBページの内容を使った政府批判もできない事になります。

ちなみに、逮捕を主導したのは「千葉県警サイバー犯罪対策課」とありまして、大暴走のあげく実務レベルで著作権法を組み換えてしまった、京都府警類似部署のご同類。そして、こんなもんに逮捕状を出しやがる裁判所のザルっぷりは、もはや乾いた笑いさえこわばるという物です。

何だかもう、関連団体の暴走について散々書いてきておいてなんですが、ひょっとして問題なのは拡大ではなく、著作権制度その物だったりするんじゃないでしょうか?と言うか、こう言う使われ方が普通に可能だと裁判所辺りに判断されるんであれば、著作権なんて無い方がマシと言わざるを得なくなりますよ?だって、政府への批判の担保と文化の護持、どっちが優先かと言われたら、そりゃ生き死にに関わる方と答えざるを得ないですもん。
今回の自治体にせよ警察にせよ、制度の問題点を指摘して国民世論を喚起しようとか思ってるんでしょうか?そうだったらご苦労様とねぎらって上げたいところですが、勿論そんなわけはないわけで……

まあ、さすがに吠えない駄犬こと最高裁も、ここまで露骨な権利濫用なら、無罪判決出すと思うんですけどね。勿論、全然信用していないというか、それが100%信頼できるような状況なら、駄犬呼ばわりしたりしないわけですが。



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2012年03月15日

誰が為の公共性/アレフ施設へのガス供給工事不許可適法判決

ガス工事めぐりアレフ側が敗訴 東京地裁(産経新聞)
足立区長の素敵なコメントはこちら


前にNHK関連で触れたことがありますが、国家だけでなく、公共団体やインフラ企業は、大きな権力や独占権を持つことと引き替えに、厳しい制約が課せられています。その第一が、「定められた要件を満たした要求は認めなくてはならない」と言う大原則です。
これは、当然のことでしょう。地方政府にせよインフラ企業にせよ、その権力や独占権は社会を効率的に運営するための道具であって、自分自身(法律上人格があるかのように振る舞う存在を「法人」と言います)の好き嫌いで振り回されてはたまりません。

さて、この判決をボロクソにけなす前に、超がつくほど有名な判例を。

最高裁(第二小法廷)昭和53年 6月16日判決(通称トルコ風呂事件)

これは、住民からトルコ風呂(現在で言うソープランド)の出店を止める事を要請された行政が、近くに公園を急遽作り、風営法の規定を使って営業許可を出さなかった事件の判決です。
これに対して最高裁は、公園設置許可は「行政権の濫用」であり、トルコ風呂の営業は適法であると判決を出しました。国や自治体がやりたい放題と言って良い行政訴訟の中で、数少ないランドマーク判決です。当然ですが、公園の近くに建設する施設を規制するのは公園の環境を守るためであって、施設を建設させないために公園を設置するというのは、本末転倒なわけです。

つまりどう言うことかと言えば、日本のどうしようもない最高裁でさえ、「権限を目的外のことに使う」、「相手が嫌われ者ならどんな手を使っても良い」と言った態度に対しては、厳しく接しているわけです。

そして、今回の事件です。
これは、住民票受理拒否事件などの流れにある物で、アレフ(旧オウム真理教)の施設にガス供給を行うための工事に、足立区が許可を出さなかったという物です。ポイントは、東京ガスは義務に従って(相手が誰であれ)ガスの供給を行おうとしたにも関わらず、法の執行を担う行政庁が、事もあろうにこれを許可しなかった、と言う物です。
似たような事件で、水道供給に関する判例が沢山あるのですが、(この辺から、「水道」で検索すると色々出てきます)いずれも「正当な理由」を厳しく精査しています。当然ですね。自治体にせよインフラ企業せよ、インフラを供給するためにあるわけで、その責務を果たさないためには相応の理由が必要です。

では、その正当な事由は一体どうなっているのか?記事中に引用されているのは以下です。

1,「付近住民は施設にアレフの信者、関係者が出入りすることに強い恐怖感、嫌悪感を示している」
2,「ガス管敷設を行えば、反対運動の激化で公共の利益が害される異常かつ危険な状態が生じるおそれもある」

いやあ、凄いですね。周囲の住民が恐怖感・嫌悪感を憶えればいいらしいですよ!
しかも、反対運動で公共の利益が害される、と来ました。その理屈は、西武の日教組集会拒否事件でも、熊本のホテルによるハンセン病患者の宿泊拒否事件でも、当然のごとく否定された論理です。
そりゃそうです。反対運動が「公共の利益が害される」レベルまで行くと言うことは、既にその運動は違法状態にあるわけです。その違法状態が出る事を理由に合法的な権利の行使を差し止めて構わないというのは、つまり、違法行為にお墨付きを与えることに他なりません。ヤクザが「あの客の依頼を受けるなら会社を爆破する」と脅したときに、その脅しを理由に契約を一方的に破棄することを裁判所が認めたら、ヤクザの脅しを裁判所が助けることになってしまうのと一緒です。

まとめると、利害関係者はこう言う風に説明できます。
・「地域住民」は違法行為の可能性をちらつかせて行政を脅迫している
・行政は、それに乗って果たすべき義務を果たさず、あまつさえやってはならない事をやっている
・アレフは被害者

三番目に違和感を覚える方は多いでしょうが、この件に関してはこうとしか言えません。元犯罪者だからと言って、迫害して良い理由にはありません。あまつさえ、「恐怖感・嫌悪感」を理由にするなど以ての外です。
表現規制の記事で何度も書きましたが、キモイとか怖いとかおぞましいといった理由は、法的な取り扱いを変える理由にはなりません。ローザ・ルクセンブルクの言葉を借りれば、「法の下の平等」とは、放って置いたら法秩序から弾き出されてしまうしまう人々のための物です。

アレフざまあと叫んでいる人達が例によって圧倒的なわけですが、喜んで石を投げている人達は、自分が投げられる側に回る可能性を考えなんですかね?
職業、門地、宗教、人種、見た目、趣味、性嗜好…… 自分が全ての面で多数派で、誰からも嫌悪を向けられることがないと確信している者でないかぎり、この判決の恐ろしさは肌で感じられると思うのですが。

いや本当ですね、この程度の基本もわきまえず、住民感情を理由に法律をねじ曲げてよしとする定塚誠裁判長は、一体何考えてるんでしょうね?まあ、wikipediaを見ると、かなりの速度で出世されてる方のようで、「あー……」と言う感じですが。
ちなみに、ネットには載っていませんが、中日新聞の紙面だと地域住民(つまり、反対している人達です)にアンケートを取り、「敷設されたガス管を使うつもりはない」と言う回答を得て「工事には公共性がない」と強弁していたりします。アホか!
この理屈が許されるなら、今まで全て棄却・却下してきた、地域住民による原発の運転差し止め訴訟をやり直すべきですよね?アンケート取ったら良いんじゃないですか?反対派住民は、間違いなく「原発の電気は使わない。多少高くても他から買う」って言いますよね。
こう言うどうしようもないのが出世してしまう辺りに、色々と救いがたい物を感じる次第です。

勿論、「住民サービス」を完全に勘違いして暴走する地方公共団体が、そもそもの問題なのですが。
上で紹介したトルコ風呂ケースですが、数年前に渋谷区が新聞記事で全く同じ方法を、「地域住民の希望を叶える画期的な方法」と誇らしげに語っているのを見たときの事を思い出します。「ああ、この国はダメかもしれんね」と言う所まで悲観が進むのはそうないのですが、あれはそのレベルでした。だって、あの判例を知らずに公務員になる事はまず無い上に、前例を調べれば絶対にぶつかるわけですよ。つまり、渋谷区は対外的な記事を出すのにその程度のチェックもできない無能の集団か、解っていてやっている悪党で、紹介するマスコミもその程度の知識無しに行政関係の記事を書いている、と言う状況だったわけですから。ちなみに、事が渋谷区だけの問題でないと判断したのは、モデルケースとして視察を受け容れて云々の話が載っていたためです。

まあそう言うわけで、行政が暴走するのは織り込み済として、織り込んであるからこそ用意されたストッパーである司法が、こんなんじゃたまらないという話なわけです。しかも、東京地裁の筆頭判事ってなあ……
希望あふるる美しきわが国の未来は、明るすぎて直視できそうにありません。


行政判例百選 (1) (別冊ジュリスト (No.181))
行政判例百選 (1) (別冊ジュリスト (No.181))

↑法律書というのは専門書の例に漏れず、本の形をした誘眠剤みたいな代物ですが、判例集くらいなら結構普通に読めるものです。




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Posted by snow-wind at 20:00Comments(1)社会

2012年03月07日

口実見つけて”浄化”作戦/2ch 強制捜査の件




「2ちゃんねる」強制捜査 麻薬特例法違反の幇助容疑(SANKEI EXPRESS)
「2chはネットの健全性を損なっている」──強制捜査、覚醒剤販売書き込み放置が原因(ITmedia)


はいはい、第一報が産経と言う所で、大体見えてくるかと思います。「捜査関係者への取材で分かった」は、「捜査情報が拡散目的で流されてきた」の意味であり、情報コントロールの基本です。

で、その素晴らしい内容は、麻薬情報の書き込み(と、警察が主張する物)を削除しなかったことが、麻薬取締法の「幇助罪」に該当するという、相変わらずスタイリッシュな三段論法。令状も取らずに「協力依頼」をかけて、拒否したから逮捕という流れのどこに、法的な適性手続きがあるんでしょうかね?

何が凄いって、「警察に協力しないこと」が、幇助罪だと言っているところです。削除させる法的権限があれば当然それを行使して、従わないなら法的に罰する。これが基本的な法適用の流れ。ところが、そんな権限などなく、任意の協力要請を行って、従わないなら逮捕って…… まあ、「任意」の職務質問がどう言う風に使われているかを考えれば、不思議でも何でもないでしょう。そんな状態を放置している立法と司法の問題であって、彼らは何も悪くないですよね!

でもね、一応言論機関に所属しているらしい記者さんに、一つだけ忠告してあげたいと思います。

>当局は削除の強制を控えてきた。「表現の自由」を守るために、介入を避けるべきだと考えられてきたからだ。

って在るんですけど、強制権限があるなら、行使すればいいんじゃないですか?行使したら不味い権限って、(非常大権みたいな一部例外を除いて)そもそも権限付与が問題なんであって、その強権の行使を実施機関の裁量に任せるなら、それはつまり実施機関が巨大な権力を握ると言う事になるんですから。行政は、与えられた権限に関して原則「独自の判断」をしてはならない。これは、法学政治学行政学共通の、基本原則です。(大量の例外については、あくまでも例外だよ?とだけ言っておきます)
特にですね、言う事聞いてる間は見のがしてやる、なんて言う「表現の自由」があるか!と言うのは、さすがに無恥蒙昧(誤字)な記者さんでも、突っ込んで然るべきですよね?

突破口になった、と2chを批判する声もあるようですが、こんな案件を突破口に使えるというのがまずおかしいわけで、内ゲバだけは勘弁な、と思わざるを得ません。

本当ね、警察って連中が、如何に法令を無視して各種の「協力要請」をやってくるかなんて、マスコミだったらすぐ解るはずなんですよ。各種機関に来る、個人情報保護基準で断らざるを得ない「筋の悪い」情報提供要求って、大体あそこですよ。
取材源秘匿関連で、マスコミだって他人事じゃないはずなんですが、「収容所に送られるのはユダヤ人だけ」みたいな考えでやってるとすれば、マスコミの退潮もむべなるかなという感じです。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(1)社会

2012年02月28日

原発事故対応のまとめに関して(簡易更新)

スケジュールと体調が(当然のごとく)同期してぶっ壊れ、BLOG所じゃない状態なのですが、簡易更新。
また時事ネタかと言われそうですが、オタク感想系は書きためて(書きかけて)おけるものの、この手のはすぐ使わざるを得ないためなのでご容赦を。


原発事故対応は「大失敗」=官邸に備えなく、情報不十分-菅前首相

何故かまた管元首相のぼろくそな悪口が大量に見られたので、何事かと思ったら上記の記事が由来のようで。
ところがですね、元の記事をどう読んでも、元首相の悪口に繋がるようには思えないのですよ。インタビューで言ってる事は正論その物ですし、「大失敗」と言う言葉の意味も記事内にしっかりと明記されています。
つまり、

>「事前の備えがあまりにも不十分だった。備えがなかったという意味で大失敗だった」

の部分ですね。
この発言に叩く要素があると取る思考構造は、正直理解できないです。なんか、はやぶさの時に、宇宙開発停滞の原因が民主党と言う事になっていた例の件を彷彿とさせますね。

加えて、彼のこの弁が出て来る原因となった民間事故調の報告書はこちらで読めるのですが、官邸の問題点などほとんど指摘されてないのですよ。一応、第二章で混乱を広めた可能性が指摘されていますが、他は東電の言い逃れを断罪していたり、そもそも論で安全管理がなっていなかった事を厳しく追及したりと言った、官邸なんか関係のない話。「最悪シナリオ」が伏せられた経緯はきちんと書かれているのですが、そこは一切批判には上がってこない辺り、批判者が報告書を概要たりとも読んでいない事がよく解ったり。
そして、概要だけでも天を仰ぎたくなるのは、むしろ関係機関の動き。SPEED I を巡る文科省の対応など、「丁寧語で書かれた無能宣告」と言って良いでしょう。首相個人の問題も書かれていますが、評価は相半ばです。(既に彼は権力から弾き出されていますから、これは文字通りに受け取って良いでしょう)

むしろ、問題点は政治などではない(これこそ、日本のお寒い現状最大の焦点なのですが)という点を象徴するように、ガバナンス機関を以下のようになで切りにしています。

>実行的な安全規制をする能力が不十分で電気事業者に対抗するだけの技術資源をもたない原子力安全・保安院、十分な法的権限と調査分析能力をもたない原子力安全委員会、圧倒的な技術的能力、資金をもつが、安全規制の強化に対して当事者としての責任を果たそうとしなかった電気事業者

こう言った報告書とあの記事で、何故首相個人が袋だたきになるのか?よしんば、当事者の一人として非難はあるにせよ、何故戦犯の第一人者と言う事になるのか?
元記事を参照してから物を書け、と言うのは、口がひん曲がるくらい言ってきた事なのですが、要するに表題とそれから1ビット対応で得られる反応以上の事を、多くの人は考えたくないんでしょうね。でも、罵声の唱和以外の興味を持って他人の反応を見て回る人も一定数居ると信じて、こう言う記事もネット上に残しておきますよ。

とりあえず、事故からわずか一年にして、民間事故調の(立場から考えて)かなり厳しめの報告書に対して、全く的外れな反応しか返ってこなくなる現状なら、電力を巡る構造は盤石と言って間違いないでしょう。

とりあえず、上記記事にある報告書の結論部分程度は読んでいただき、何が起きていたか・何が問題だったのかは把握しておくべきかと。

「起こった」と「起こって欲しい」と「起こったに違いない」を混同し、とりあえずスケープゴートを探すという点において、アレな反原発派とアレな推進派が全く同じ構造を取るのは、興味深いところです。
まあ、アイゼンク先生が仰ったとおりなわけですけどね。


精神分析に別れを告げよう―フロイト帝国の衰退と没落
精神分析に別れを告げよう―フロイト帝国の衰退と没落

アイゼンクの理論は、要するに極右も極左も凝り固まっているという点で同じで、それ故にあっさり転向する(ファシスト←→共産主義者、が典型)と言うお話。心理学という「現代の占星術」(悪口)の中では、実権や観察に基づく分だけだいぶ面白い部類の話です。何故かAMAZONだとフロイト批判の↑くらいしか引っかからないのですが、政治理論の本は何といったか……

  
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2012年02月20日

光市母子殺害事件判決/”美しい国”の諸相

光市母子殺害:元少年の上告棄却 死刑確定へ


世間と意見が分かれそうなエントリーを書くときは、「炎上商法です」とか宣言する事で逆にトラブルを避けるという、ダメージコントロール技術はどうでしょうか?

大方の予想どおり、光市母子殺害事件は被告人死刑の判決が出ました。それ自体は予想どおりなのですが、やっぱり気になるのはこのニュースに対する反応なわけです。と言うか、今やネットの情報流通はニュースその物よりもニュースへの反応・それをネタとしてのコミュニケーション体系がメインになっているので、嫌でも目に入ってくるわけで。


と言うわけで、色々ゲンナリしたので軽くこの件について書いてみたいと思います。
と言っても、かなり多くの論点を含みますので、結論を先に書いておきましょう。


結論:多くの人が無邪気に犯人を鬼畜呼ばわりし、自らの「正義」に酔ってますけど、そんな簡単な話ですか?と言うか、問題点はそこですか?


で、以下が結論に至る個々の論点です。


1,報道の霧
普段マスゴミがどうこう言っている人達が、何故こう言う件ではマスコミの情報を基に過激な結論を大声で主張できるのでしょうか?
更に言えば、世論を決定づけた被告人の知人宛私信(検察側証拠)なんて、書かれた経緯・被告人との関係・検察の入手経緯など謎も多く、被告人の鬼畜性を証明する物、と単純に言ってしまって良いのかは疑問です。

2,弁護団の「問題」
ある意味被告人よりボロクソに言われている弁護団ですが、弁護士の仕事、そして社会的使命を非難するに等しい雑言が多すぎます。
弁護士は被告人の利益のみを考える存在で、極悪人の味方をするのは道理の当然です。いわゆる人権派弁護士は変な人も多いでしょうが、冤罪食らっても当番弁護士や国選弁護人に面倒くさそうな対応されるのが普通な事を思えば、熱心に弁護する「変な人」を批判するなどとんでもない。
弁護方針の選択に失敗した、と言うテクニカルな批判はいくらでもすべきかと思いますが、「被告人の主張に沿って」弁論を行う以上、ドラえもんがどうこうとか抱きつきとか言う話のどこに批判の余地があるのか解りません。だって、被告人本人がそう主張しているのだから、代弁者の弁護士がそう言うのは当然じゃないですか。

3,野次馬は常に無責任(悪魔の辞典)
つまるところ外部から見ている側としては、あの元少年は自分とは関係ない、どこか遠くの犯罪者の一人でしかないのですよ。被害者の気持ちを慮れ、などと言うのは基本的に戯言で、じゃあお前は年間千人から居る殺人被害者の何人を知っているの?と言う話になります。結局、言動がエキセントリックで報道が集中したから偶然知ったに過ぎない「世の中に一杯居るおかしな人」(滅多にいねえよ!と言う意見については、少年犯罪データベースでも見れば良いんじゃないですかね。昔も今も一杯います)をつかまえて、「殺せ」コールと「死亡決定ざまあ!」の快哉を叫ぶ。そこに見られるのは、正義という大義名分をくっつけてストレスのはけ口にする、単なる醜い光景です。
あんなひどい物を見せられた以上人間としてどうこう、と言う話もあるのですが、上記の通りひどい事など世の中には溢れていて、一人の人間を取り上げて「ざまあ見ろ!」と叫ぶ事にストレス解消以上の意味は無いでしょう。

4,問題は湖塗される
では、ストレス解消で何が悪い!と言う話になると思います。これは、明確に悪い事があります。それは、もっと本質的な問題が覆い隠されてしまう事。
そして問題とは、「加害者の過剰な保護」では、絶対にありません。
表現規制絡みで何度も何度も指摘してきましたが、わが国の犯罪者・被告人の権利保護は極めて劣悪であり、有り体に言って近代国家のレベルに達していません。少年の匿名報道などただの報道側の自粛以上の意味は無く、それ以前に弁護士の同席不可・留置実質任意・ミランダ宣告不要、とやりたい放題です。
今回の裁判にしても、供述内容が取り調べ段階から変化した事が論点になっていましたが、あんな事は、弁護士同席や録画記録があればそもそも発生しないわけです。そもそも、精神や知能に問題がありそうな被疑者をいいように誘導して犯人に仕立て上げてきた歴史こそ、人権派弁護士が出てくる大きな要因になった、と言う事も理解しておきましょう。
と言うか、これで厳罰化や権限拡大に繋げられれば、警察や検察は笑いが止まらないでしょうね。

では真の問題点は何かと言えば、「加害者・被疑者の人権以上に、被害者の人権や利益が損なわれている」と言う事でした。確かに、今回活動的な遺族のおかげで一定の立法にたどり着いた物の、あんなものは単なるお題目です。ろくな予算措置がされていませんから、犯罪被害の回復は大して変わりません。これは、「子どもの人権」を旗印に表現規制を進めながら、救済施策に予算もつけずに放置している「児童ポルノ」問題と完全にパラレルです。(それどころか、当の児童を売春で送検する始末)

結局の所、正義に酔って報道の焦点が当たった異常者(なのか解りませんが)一人を袋だたきにして溜飲を下げ、「あーすっきりした」と解散していく野次馬連は、耳目を解りやすいスケープゴートに集中させる役割しか果たしていません。

例えば今回、被害者遺族の方はそれなりに裕福だったからこそ、あれだけの活動を行えたわけですが、殺された側と遺族が逆だったら、遺族は社会的に終了です。一瞬で貧困家庭に落っこち、生活保護をもらえればラッキー。そうでなければ生活に追われ、政治活動どころか裁判の傍聴すら困難になったはずです。要はセーフティネットの問題で、これから予算と手間をかけて整備していかねばならない部分です。社会的な意味で言えば、被告人が死刑だろうが無期だろうが鑑定で保護監察かと言った問題など、実際に被害者救済システムに予算が付いてどう運営されるかの問題と比べたら、ゴミみたいな物です。

勿論、今回立役者となった遺族の方にとっては「大した問題」に他なりません。しかし、それは正に個人的な事情であって、そう言った個人の事情を背負うわけでもない外野が乗っかって正義感のはけ口に使っても、意味は無いどころか有害にもなり得るわけです。
と言うか、そうして「憎むべき犯人」に石を投げる一方、その犯人扱いされた人間は本当はどうだったのかとか、救済すべき被害者が居るのではないかと言った問題を置き去りにして来た事が、正に現在まで問題を持続させてきたわけですから。
そして、石を投げる勢いで、ただでさえ劣悪な被疑者側の人権保護が削り取られるなら、その被害は一見の殺人事件などとは比べものにならない規模になり得るのです。実際、少年事件については、毎回そう言う方向に誘導されてますよね。この辺の、権利が足りない事を改善するのではなく、誰かの(そして実は自分の)権利を削り取って溜飲を下げる奴隷根性こそ、正に「美しい国」のいつもの光景なわけで。


戦前の少年犯罪
戦前の少年犯罪

↑被疑者側の人権?ナニソレ?状態の戦前は、犯罪の凶悪性ははるか上。厳罰化に感情の満足以上の意味は無く、セーフティネットの整備に比べれば優先順位は当然下になるわけです。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(4)社会

2012年02月16日

児童ポルノ規制論という精神疾患 ~規制派の院内集会~



「漫画・アニメのせいで子どもが犯される」「文章も禁止」過激発言満載の児ポ法規制推進派院内集会

当該雑誌は、本来だとサイゾーかよ(笑)と、ネタ流しされる存在です。しかし、あそこは元々サブカル寄りな事もあり、この問題は割と真面目にフォローしてくれてるのですよ。この記事にしても、独自に記者を送ってレポートしているわけで。
書いた記者の問題については、まあ集会主催者より遙かにマシだよね、とか思っておくとしましょう。


正直、元々そっちのエントリーで閲覧数を増やしてきたとは言え、児童ポルノ関係はもう追いかけたくない、厭戦気分で一杯なのです。保坂議員の比例代表落選で、WEBで色々やった所で大した効果がないのは解ってしまいましたし、追いかければ追いかけるほど頭のおかしい連中の言説を読まされて、こっちまで狂いそうになってきますから。

とは言え、この手の広義の政治活動は、嫌になって手を引いたらすなわち敗北です。「もうお前等勝手にしろ」と言う言葉は、圧力団体にとってこれ以上無い祝福であり、思う存分やりたい放題やられる結果しか呼ばないのですから。

と言うわけで、彼らが全く変わることなくおかしな活動を続けていると言う事実を、エントリーの形で残しておきたいと思います。

リンク先の記事にあるとおり、自民・公明党のそれ系議員が口利き役となり、キリスト教系団体で真っ当ならざる規制論を代表するエクパットが、院内で宣伝集会を開きました。
主張内容は例によって、”描かれる内容(虐待とか)が正しいという認識が世間に広まるから、フィクション含めて児童ポルノを規制しろ”と言う、過激と言うより頭のおかしい代物。つまりは、作品の基となる嗜好や価値観を理由に規制論をかます、堂々たる異端追討宣言です。
何しろ、文章すら規制対象ときましたからね。「源氏物語も発禁ですね」と言う揶揄は、彼らには通用しません。そう問いかけたら、大まじめに「あれはいけません」とか言い出すのは目に見えています。子供の水着写真は発禁!と叫ぶ時点で、常識が通用しないのは自明でしょう。

まず最初に大原則を書いておきますが、何かが法的に規制されるのは、具体的な誰かの具体的な人権を侵害する場合だけです。
そして、法律での規制根拠となるべき「人権」は厳密に定義されており、この手の団体が主張するような「僕の/私の考えた人権概念」など何の意味もありません。
むしろ、法律を導入する際は「その法律によって国民の人権が侵害されないこと」がより強く求められ、こちらの「人権」は、前者よりもはるかに広く捉えられます。

まあ、この辺は当然の話でしょう。その気になれば国民を如何様にも縛れるリヴァイアサンたる国家は、それ故に行える活動を徹底的に縛られています。この、「国家が国民を害することを許さない」と言う事こそ、近代国家の第一原則です。
なんでそんな風になっているかと言えば、正にこの人達のような、自分の価値観と社会の利益を混同する連中が権力に接近したとき、ひどい事が起きないようにするためです。ありがたい事にわが国のシステムや機関は、100年前のロシアや80年前のドイツ(そして、近代以前の絶対主義一同)より遙かにマシで、原則論によってこう言う頭のおかしい少数派を退ける勢力の方が多数派です。(与党と言う意味ではなく、この人達以外の議員達や少なくとも協力しようとしない「一部以外の官僚」のことです)

もう一々発言内容を突っ込みたくはないので要点だけまとめると、質疑応答の、

>「バーチャルな児童ポルノと子どもの相関関係を示している文献があれば、教えてほしい」という質問も。対する答えは「残念ながら、明確なものは存在しない」というものであった。

と言う部分こそが、彼らの神髄です。と言うか、この部分だけで批判は終わってしまうレベルです。
何しろ、因果関係どころか相関関係すら全く明確でない(と言うか、無いでしょうね、間違いなく。ヴァーチャルなポルノが普及した戦後以降、性犯罪は大人相手も子ども相手も一貫して激減してますから)物を規制しろと叫んでいるのですから。普通規制論というのは、因果関係はともかく相関関係、または何らかの合理的類推があって初めて主張されるものであって、「規制したいから証拠を探している」などと言うのは言語道断です。
研究という物をある程度知っている人(つまりは、大学レベルの教育を受けた者)なら誰でも知っているとおり、データは仮説を検証するために集めるものであって、仮説を証明するために集めたデータなど信頼性の欠片もありません。実際彼らは今までも、極狭い範囲のデータやいい加減なアンケートを持ち出して規制論を打ってきましたが、都合の悪い結果は全て無視してのけています。要するに、気にくわない・気持ちが悪い・自分の価値観が否定しろと言っているから規制しようとしているのであり、実際の被害への言及などただのお為ごかしです。

まあ、彼らは本当にそう信じているのだろうと思うのですけれどね。
ただ、自らの感情を論理にすり替えて他者の存在を根底から否定し、フィクションの犯罪をなくせば現実の犯罪もまた消滅する、と言うような事を素面で信じられる人間は、普通精神疾患と見なされます。
勿論私は彼らと違いますので、その程度の社会生活に極軽微な支障しか与えない精神疾患をもって、強制収容や市民権の剥奪を主張する気などありませんよ。ただ、そう言った妄想に、我々が付き合ってやる義理は無いわけです。と言うか、都合が良いからと連中を利用する警察官僚なんかが、一番悪質なんですけどね。妄想は、肯定されると強化されて病状が悪化しちゃいますから。


ただ、唯一の収穫というか、「ああやっぱり」と思ったのは、民主党が政権奪取後彼らとの協議に応じていないという所。そんな暇などなかったというのも勿論ですが、この問題についてはきちんと仕事をした、と言って良いでしょう。恐らく政権交代による、とても数少ない評価点の一つになるはずです。

でまあ、こう言うことをこの時期にぶち上げてくれるからこそ、自公はやっぱりどうしようもないままなわけですよ。だからやっぱり民主党…… と、言える状況だったらどんなに良かったか!
ただ、トロピコ4のローディングメッセージが言っているとおり、「ありがたい事に、このどうしようもない候補者達の中で当選するのは一人だけ」転じて「どうしようもない党ばかりだが、第一党になるのは一つだけ」と言う事実だけは、有り難がるに値するでしょうが……


それと、有り難くも手の内を明かしてくれたとおり、彼らは反対派議員の切り崩しを行うべく攻撃材料を探してるようなので、おかしなスキャンダルが出てきたときに乗せられないように。狙われるとすれば、民主党で反対派の急先鋒だった枝野議員でしょう。保坂元議員が地方政治に転進してしまった現在、いかなグダグダとはいえ与党中枢に近い彼が排除されれば、歯止めの柱がなくなってしまいます。

しかしまあ、論理で歯が立たず当然相手にされないから、「ウラの人間関係」を探って場外乱闘で政敵を排除しよう、と言う話をマスコミも居る場で堂々と語る連中って、何なのでしょうね?前回の法改正議論時にはアメリカ大使館が動き回っていましたが、今回はスウェーデンですか。アメリカはトップが宗教原理主義者から交代したおかげで多少大人しくなったのでしょうが、代わりに出てくるのが、左派が大好きスウェーデン……
彼らの臆面・節操の無さは最高です。あ、これは誉め言葉です。陣取り合戦・組織間抗争と言う政治の本質を、良く解っていると言うことですから。

最後に、何やら優等生面しているスウェーデンですが、数十年前に本来の意味での「児童ポルノ」(性交・虐待)が合法的・大量に出回っていた反動で、なますに懲りて羮を氷水に放り込むような事をしている、と言う事を知っておきましょう。
しかも、それで被害が減ったかというと、別に減っていないのですよ……
もっとも、犯罪の定義を広げすぎたせいで統計情報が滅茶苦茶になっており、「増えている」ともまた断言しかねるという笑える事態になっているというのも付記しておきましょう。
何にせよ、偉そうに他国に干渉できる立場でも、信用できるデータ提供元でもないと言う事です。


こう言った無茶な主張を院内で行ったのは、8月に出た来た民主党の改正案(当該エントリーはこちら)を止めようがないと判断したからかもしれません。
個人的には、取得罪を新設する上の案も危険極まると思うのですが、少なくともこの頭のおかしい連中の主張する内容と択一となる以上、どちらになるかは自明の理です。何しろ民主党案は、創作物の規制に使えない、と法律の文言で明記するという国会最高の切り札を打ってますから。

と言うわけで、これが彼らの断末魔である事を期待するところですが、さてどうなるか。どの道、宗教的情熱というか強迫観念に突き動かされる、はた迷惑な精神疾患罹患者達は、諦めるわけもありません。あらゆる方向で規制論を打ち、児童福祉を妨害してくれることは想像に難くありません。
ですが、法改正論が一段落してしまえば、それは街角の風物詩である街宣車同様、小うるさい物のそれ以上の害はない日常に落とし込まれる訳で、その時まで状況がこのまま推移することを期待しつつ、遠巻きに見守りたいと思います。



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2012年02月04日

結局の所、これが真実 違法DLへの対応問題

違法ダウンロードは悪ではない? 「Angry Birds」「Minecraft」開発者の発言が話題に

ちょっと記事の表題には問題があると思うのですが、結局の所、違法DLへの対応とはこう言うことにならざるを得ないのだろうと思います。

前にも少し書きましたが、「ファン」の数は作品の力であり、財産です。
例えば、フォーラムでそのゲームについて語り合ったり、攻略WIKIに情報を投稿する際、その人物が違法ユーザーか合法ユーザーかは全く関係がありません。そして、作品を買ったユーザーがそのゲームから得られた利益は、これらの領域から得られる部分が現在どんどん大きくなっています。

ことは、非常に単純です。
あなたがあるコンテンツを買ったとして、フォーラムはガラガラ、攻略WIKIはろくに更新されず、感想をググってもほとんど出てこないという状況では、満足度は低くならざるを得ません。
逆であれば、多少ゲームに難があっても、むしろ語り合ったり情報を交換する材料になり、満足度は高くなります。
そして、その満足度を生み出す「他のユーザー」が違法DLをしていようがいまいが、全く関係ないのです。

つまり、違法ユーザーの存在は、合法ユーザーの顧客満足度を押し上げる効果を持ちます。

例えば、大帝国はゲームとして最低でしたが、同じ思いを共有するユーザーと語り合ったり酷評を読んだ私は大いに楽しめました。一方、同じようにガッカリだったREWRITEは、どう言うわけかろくに感想も書かれず(うちのBLOGがかなりの上位に来るくらいですから)欲求不満が大爆発でした。必要なのは「他のユーザー」であって、合法かどうかなど知ったことではありません。
なんでこれを上げたかというと、アリスソフトのゲームは、毎回違法ユーザーが非常に多いらしいと言われているからです。(実際は知りません)

加えて、佐々木譲が言っているとおり、無料ユーザーは有料ユーザーにクラスチェンジする可能性を持ち、それはいきなりゼロから有料ユーザーになるような物好きより確実に多い、と言う事です。図書館と読書の関係が典型ですね。利益が減って云々という出版社のたわごとは、図書館という公共サービスによって生み出された大量の活字中毒者に依存するビジネスをやっておきながら、天に唾する行為です。

こんな事、ちょっと考えれば解るはずなのです。合法とか違法とか言う話をわきに置いておいて、有料/無料で考えましょう。ゲーマーの多くは、幼少期に友人とのソフト貸し借りによってゲーム中毒になりました。漫画雑誌を回し読みしていた漫画ファンや、仲間内でDVDの上映会をやっていた連中も同じです。

彼らの何割かはそれに満足してそこから進まず、あるいは有料ユーザーにならずに離れていきます。しかし、数割は長じてヘビーユーザーとなり、今の市場を支えているわけです。

勿論これは、有料ユーザーが無料ユーザーより「有利」であるという前提が無ければなりません。自分で漫画雑誌を買えば回ってくるのを待たなくて済むし、人から借りる煩わしさはないし、あるいは人のお古で汚れていることもない。その点には注意が必要です。
しかし、仮に無料のもの(海賊版)より正規版が劣るとするならば、それは単に供給側の怠慢に過ぎません。これまた何度も言っていますが、プロテクトガチガチでバックアップも取れず、起動のたびにドライブのディスクを入れ替える必要のある「正規版」が海賊版に押されるのは、当たり前じゃないですか。
違法DLは、捜索の手間、ウィルスの危険性、入手時間差等で大きなハンデを抱えています。そんなものに負け、あまつさえファンに「海賊版の方が便利じゃねえか!」と嘆かせる物を供給するというのが、まず間違って居るでしょう。

日本の(特にPCゲーム関係)プロバイダーは、海の向こうで、プロテクトはともかくDL関係を非常に扱いやすくしたsteamや、そもそもプロテクトフリーのGamersGateが猛威を振るっている事の意味を、そろそろ受け容れた方がいいと思います。
つい数日前に買ったVICTORIA2の拡張パックなんて、20ドル切りでプロテクトフリー、パッチは日本より半年は先行ですよ。これだけしっかりしていれば、そりゃあみんな、「馬鹿馬鹿しくて」(海賊版を使い、正規ユーザーを嘲笑う者の常套句)海賊版なんかに手は出しません。

その意味で、冒頭記事中でnotchが言っている、「金がないなら海賊版をやれ。金ができたら買ってくれ」と言うのは、余りに当を得た回答でしょう。違法DLを使っていた学生は就職して正規ユーザーになり、図書館のヘビーユーザーはAMAZON漬けになる。業界がやるべきは、無茶な締め付けで「正規ユーザーの卵」を他の娯楽に追いやったり、ブタ箱にぶち込んで卵を叩き割ったり、滅茶苦茶な権限拡大を画策して正規ユーザーの権利まで侵して(正規ユーザーが攻略目的でプレイ動画を見ることも、画面写真満載の解説ページを見ることも、違法化されてしまいました)そっぽを向かれるような事では、断じてないはずです。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(6)社会

2011年12月22日

上客に喧嘩を売る供給者など、潰れて構わない 自炊代行訴訟問題

本の「自炊」代行は複製権侵害 浅田次郎氏らが提訴(日経新聞)
「書籍の自炊代行は違法」作家・漫画家7人が提訴(朝日新聞)
作品電子化 差し止め求め提訴(NHK)


いつかやる、と言うか「やってしまう」んじゃないかと思っていた愚行に、見事出版業界は手を染めたようです。
奇しくもwinny裁判が「失われた7年」を経て結審した昨日、泥でできたタイタニック状態の出版界は、合法的ラッダイト運動(皮肉)を宣言しました。

これについては、余りに突っ込み所が多すぎるのですが、とりあえず3点に絞りましょう。

1,あなた達の感情など知った事ではない
2,これは「コピー」問題ではない
3,あなた達が叩きのめそうとしているのは、あなた達の一番の上客です


では、順番に。


まずは1。「あなた達の感情など知った事ではない」
我ながらひどい言い方ですが、これははっきりさせておく必要があります。書籍の購入者は、「所有権:物体の生殺与奪全権」を譲り受けています。著作権法は、厳密に範囲を定められた例外規定に過ぎません。ですから、売ったあとそれをどう扱われようと、販売者が文句を言う事はできません。正確には、文句を言うのは自由ですが、強制する権利は何もありませんし、何が変わるわけでもありません。
個人的には活字を汚すのは抵抗がありますが、必要とあれば、バラバラにもたき付けにもするでしょう。それは購入者の自由です。少なくとも、悲しい思い云々は、こんな場(訴訟を宣言する公的な場)で訴えるような事ではありません。
何よりも、スキャンその物を許すかどうかを、著作権の一部だと思っているような態度が許し難いです。どんなに立派な作家であっても、尊敬すべき人間であっても、他人がその所有物をどう扱うかにケチを付ける事はできません。それは、この社会における一番基本的なルールです。


次に2。「これは『コピー』問題ではない」
私は基本的に全てのコンテンツは実質的にコピーフリーでなければ意味が無いし、買いたくもないと思っているのですが、関連業界の見解が異なる事は理解できます。原理的に無限増殖が可能、自分のコントロールを離れて増殖するというのは、やはり恐ろしいでしょうから。
しかし、自炊代行は「コピー」ではありません。依頼者が提供した書籍は裁断され、不可逆に破壊されます。(一応再利用は可能だとしても)つまり、ムーブ、形態の変換に他ならないわけです。
裁断済書籍の売買が云々言う声も聞こえてきますが、それは全く別の問題ですし、悪い理由など何もありません。大体、それを言うなら、ダビングが前提のレンタルCD屋がどれだけ音楽産業の拡大に貢献したか(そしてCCCDが何を残したか)を、考えて見ると良いと思います。


そして、最後に本題の3。「あなた達が叩きのめそうとしているのは、あなた達の一番の上客です」
前に取り上げたまねきTVの件(わざわざ海外から、日本のTVを違法コピーでなく視聴しようとした人達のルートを閉ざした)もそうなんですが、一体これに勝って、誰が得をするんでしょうか?海賊版がどうこう言っているようですが、私が海賊版業者なら、代行サービスに頼むようなアホな事はしませんよ。自分で設備を揃えた方がいいに決まってます。足も付きにくいし、本を安い人件費(海賊版業者は基本アジアン)でスキャンしない理由がありません。
むしろ、こう言うサービスを一所懸命利用しているのは、本を捨てられない読書家で、つまりは上客に他なりません。家の収納力を越えて本をため込み、しかし売ったり捨てたりはできなくて無限収納の電子化を試みる。こんな有り難い客の利用機関を潰して、一体何が文化なんでしょう?
例えば、スキャン・裁断された本は普通にブックオフに流すというわけに行きませんから、私のように買っては売りを繰り返す(もはや収納力は限界で、手元に残すのは月数冊が限度です)者より、余程優良な顧客なわけです。その利便性を奪う。売った物を利用するなと言う。一体彼らは何を守ろうとしているのか?

そして、彼らの今までの主張をまとめれば、中古に売るな、電子化するな、裁断など以ての外、と言う事になり、もう自然に朽ち果てるまで置いておくしかないことになります。そんな面倒な制限の付く物、誰が買うもんですか。

前にも書きましたが、ご多分に漏れず私も家にも実家にも本が溢れており、ダストがダストに還る前に、何とか電子的サルベージをしなくてはならないと思っています。学者だった祖父が死んだ後、蔵書を整理しようとしたら、数十年より前の層がまとめて(文字通り)朽ち果てていた惨状を見ていますし。

しかし、それに比べれば可愛い物とはいえ、多量の本をスキャニングするのは恐ろしい手間です。作業が全部で何時間かかるかを考えたら、その時間を読書なりゲームなりに当てたいと思って先延ばしになるのは、多くの人が納得してくれるでしょう。大体、スキャン機器を設置する場所を空けるためには、本を整理せねばならないという本末転倒も待っています。
従って、スキャン代行は電子化を考える読書家にとって、最も合理的な解です。私も、もう少し規格と値段がこなれたら頼むつもりだったのですが、この始末。

そして、読者にとって損失であると同時に、文化にとって致命的な傷を残す可能性があります。
大量にさばくためには代行サービスしかない、と言うのは書いたとおりですが、それはつまり、民間ベースで大量に存在する稀覯本もそうでないもの(現在出版されている本など、100年経てば漏れなく稀覯本です)もまとめて電子データとして後世に残すチャンスが、失われてしまうと言う事です。これは電子出版が活発化しても代替できない部分であり、絶対に出版業界を許せない理由の筆頭です。
例えば、私の本棚には、恐らく千部発行されたかどうかもあやしい弱小出版社(当然今はない)の、大して面白くもない小説が収納されています。こんな物のデータが現在残っているとは思えませんし、私を含めて恐らく全国に数十人しかいないであろう所有者が電子化しなければ、消えて無くなってしまうわけです。(ちなみに、国会図書館のデータベースでも見つかりませんでした。納本義務をブッチする連中は多いのです……)物体としての本の寿命など、普通100年もありません。
そして、上で触れましたが、年月が経つにつれ、現在人々が所有している全ての本は、消えて無くなる稀覯本と化していくのです。

結局の所、本、と言うか文章を基盤とする文化の継承と発展において、現行の既得権者は障害にしかならないのかもしれません。今はまだ懐古趣味(活字の方が良いと感じる我々は正にその側)が多数派かもしれませんが、大転換はどうせ訪れるわけで、そこで文字文化のパラダイムは一旦リセットされるのでしょう。その結果各種の技術が一時的に退行し、携帯小説のような物が主流になっていったとしても、それはきっと仕方ないことですし同情する理由もないように思えます。


日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか
日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

暴行罪より重い刑罰を城壁のように張り巡らし、彼らが守ると称していた文化は、きっとその中にはもうありません。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(5)社会

2011年12月12日

野党になっても変わらない不思議/自公、違法DLに罰則付与へ

今まで何度も取り上げてきたダウンロード違法化問題ですが、自公は何の恥じらいもなく、次の段階へと歩を進めにかかりました。
ちなみに、DL違法化自体の危険性については、関連エントリーでもどうぞ。端的に繰り返せば、胸先三寸で誰でも犯罪者にできる曖昧性と、利用者にも関連産業にも多大なリスクを負わせる(幇助罪、と言う恐ろしい概念がございまして)社会発展阻害と、そもそも正当性・導入利益が論証できていないノー・エビデンスっぷりが問題なのです。
と言うわけで、今回の主題となる記事。↓


違法ダウンロード処罰へ法案=自公(時事ドットコム)


政権獲得以降の民主党が、腰砕けと敵前逃亡と無意味な内紛のトリプルプレイで絶賛自滅の道を歩んでいるのは、皆さんご存じのとおり。
しかし、前にも書きましたが、最大の問題は、民主党がろくでもない事では無いのです。政権党がろくでもないなら、すげ替えればいいのですから。民主主義はそのためのシステムです。
問題は、すげ替える先となる自公が政権失陥による反省も何もなく、むしろ訳の解らない方向に尖鋭化を進め、戻しても余計酷くなる未来しか見えないところです。このまま行くと、大阪の状況が全国で再現されて何の不思議もないでしょう。不満を受け止める皿が、既成政党に存在しないのですから。


と言うわけで、連中の立場を端的に示す提案が出てきました。

この事案はそもそも、関連産業からのゴリ押しによって反対論を封殺し、パブリックコメントに至っては豪快に無視する事で強行された、文字通り負の遺産です。ついでに言うと、その成立には、調停者としての立場など最初から知らぬ気に、関連団体のスポークスマンと化した文科省が主導権を取っています。いや、文字通りね。審議会での反対論が1名、パブリックコメントが9割反対という時点で、委員を選出した側がバランスクソくらえで目標達成に邁進したのは自明でしょう。

さて、本来なら、政権から脱落して文科省に義理立てする必要が無くなった時点で、(与党が出してくる法案とは、一部の議員立法を除いて単なる官僚の作文です)当然見直しを迫られる項目だったはずです。それが自浄作用という物でしょう。ところが、彼らは恥知らずにも、こう言う行動に出る。とてもじゃないですが、次期政権として期待などできはしないわけです。(ま、選挙には勝つでしょうけどね。投票率がどこまで落ちるか楽しみではありますが)

つまりこの件については、(後回しと言う消極的理由であれ)差し止めている与党と、推進したくてたまらない文科省、そしてそれに協力する野党という、見事なねじれ現象が発生しているわけです。野党のくせに官僚に協力する自公も大概ですが、自分たちの意見を通すのに野党を代弁者にする官僚って、それもう行政権の範疇から逸脱してますよね。

上記時事ドットコムの記事は、恐らく自公のプレスリリースを引き写したのでしょう。相変わらず、DLが与えている「損害」の論証もない上に、開いた口がふさがらない事に、

>従来、違法なアップロードは著作権法で処罰対象とされていたが、ダウンロードには刑事罰が科されていなかった。

などと言う文言で結ばれている始末。そもそも違法化自体が滅茶苦茶なんですよ!
基本的に日本の法律は、「どんな人間でも違法にしようと思えば違法にできる」ようにできていると言っても過言ではありません。嘘だと思うなら、軽犯罪法を読んでみると良いと思います。これと劣悪な被疑者保護システムが、警察が奇形的に大きな権力を持ってしまっている元凶です。
まあ、国民が支持しているから仕方ないんですけどね。小沢一郎の件とか、「どうせ悪い奴なんだから理由はどうでも良いから裁いちまえ」と言う考えで、検察を支持している連中がどれだけ居るか。あんな露骨な脱法捜査で、大物政治家「ですら」攻撃できるという事の恐ろしさに、いい加減気づいて欲しい物です。

しっかしまあ、「2年以下の懲役か200万円以下の罰金」ですよ。これがどれほど凄いかというと、暴行罪の「2年以下の懲役か30万円以下の罰金」より重いんです。本当に、時代遅れの関連産業は、自分たちの基盤を蚕食するネットワーク社会自体を、消し去りたくて仕方がないのですね。
言うまでもありませんが、違法ダウンロードを行わないネット利用など現状不可能ですし、懲役刑を振り回してまでそれを止めねばならない理由など、全く提示されていません。法律・制度というのは、導入によって必ず副作用が出るので、有用性がコストを上回るという論証を厳密に求められます。本来は。そして、そう言った論証・計算を正確に行えると言う事が、官僚の自称する「優秀さ」の意味だったはずです。建前上は。先頃話題になっていた、スイス政府の報告書などは、まさにその辺を厳密に考えるとああ言う結論にならざるを得ない、と言う事を示すに過ぎません。同様の研究は、幾らでも出ていましたしね。

そろそろ、「発狂」と言う言葉を奉っても良いんじゃないかという状態に達しつつある民主党とは言え、まさかこれに賛成するような事はないと思うのですが、何にせよ次の政権には何も期待できなそうです。

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか
日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

↑ダウンロード違法化の背景と経過について、非常に簡潔かつ解りやすくまとめられた良書。この事案を追いかけてきた者にとっては、関係者暴走の総決算的な資料となっています。
これからこの問題に関わる場合には、基本的事例を押さえる上で必読の書になると思います。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)社会

2011年11月29日

何故「被差別部落出身」が悪口として出てくるのか 大阪市長の話

あからさまに独裁路線を強調する橋下市長・及びその盟友の府知事が誕生し、趣深いことになっている大阪の話です。

まず、あの結果自体は不思議でも何でもありません。民主党政権の自爆で、既成政党への不信感は頂点に達していますから、ああなるのは自明です。大体、大阪とは文化的に対極のはずの首都からして、石原を当選させ続けているんですから。任期中に今度こそ化けの皮がはがれた場合、(結局、府知事としては何もできなかったわけですから)市民の希望がどこに向くのかは、非常に興味深いところではありますが。

驚いたのは、彼(ら)の当選後、橋下の出自に対する攻撃がかなり見られるようになったと言う事です。出自とは、要するに、被差別部落出身でヤクザの家族と言う事です。後者は前者と大きく重なる(被差別階級が、それ故にまともに社会に受けいれられずアウトローに走るのは、哀しい物理法則のような物です)ので、実質的には前者への攻撃でしょう。

これが何故驚くべき事かというと、橋下の批判者は教育の自律や福祉を重視する層で、こう言った出自への攻撃は一番嫌うはずだからです。(なお、右/左の用語は使いません。定義が混乱する言葉の上に、橋下の主張は規制撤廃と中央からの権力奪取で、それだけなら典型的な「左」となり、対立軸を説明しにくくなるからです)

しかし、その手の言説を見ていくと、段々この事の意味が見えてきたように思います。恐らく、こう言うことなのではないでしょうか。


1,出自への攻撃「自体」は、本来禁忌ではない
出自とは、要するに本人の属性の一つです。例えば、オバマに対して、「彼は富裕層の出身で、アメリカの貧困な黒人の代表としての施策を期待すべきではない」と言う批判があります/ありました。これは、彼の出自を攻撃し、投票を思いとどまらせるためのプロパガンダです。
同様の言説は、良く見られますね。富裕層・留学経験・高学歴…… 本来羨まれる恵まれた出自は、しばしばあげつらわれる対象となります。

この点について、本来的には、「あんな金持ちに庶民の暮らしを守れるか」と言うのと、「あんな貧乏人に国家レベルの経営ができるか」と言うのはパラレルです。ちなみに、後者は田中角栄が良く受けた批判ですね。


2,むしろその出自は武器に「も」なり得る
角栄は典型でしょう。低学歴を庶民派の象徴とし、見事に成り上がって見せました。そもそも日本人は、貴種流離譚(放浪の王子様)も好きですが、同じくらい豊臣秀吉の成り上がり物語も好きなのです。
被差別部落出身と言えば、自民党の野中広務が有名ですが、彼はその立場故に弱者の味方と見なされ、野党からも一目置かれていた事が思い出されるでしょう。そして実際、それに応えることで政治的立場を強化しました。


3,そして橋下批判層は、本来その出自を言祝ぐ立場に属する
主義主張は置くとして、被差別階級からあれだけの立場にのし上がれると言う事は、この国の健全性を示す証拠です。そしてその様な国は、彼らが目指してきた物です。しかし、その出自は本来言祝ぐべき立場から非難される。これはどう言うことか。


4,出自と対照的な行動・主張が、本来の味方を最大の敵に変える
彼が、その出自から期待されるのとは、反対の行動を取っているのがポイントとなります。
どう言うことか?
彼が攻撃する、福祉や平等な教育は、正に彼の出身層がもっとも恩恵を受ける政策です。言わば、同胞を足蹴にし、自らの出自を消し去るかのような行動を取っているように見えるため、批判層から見ると「裏切り者」に他ならなくなるのではないでしょうか。
例えば、ナチスに協力するユダヤ人や、ボリシェビキに協力する貴族、南部連合のために働く黒人に対して、「ユダヤ人のくせに」「貴族のくせに」「黒人のくせに」と唾を吐くような物、と理解すると解りやすいのではないかと思います。

勿論、批判者がそもそも部落差別主義者だとか、そこまで行かずとも心の底にあったそう言う要素がポロッと出てしまったと言う側面もあるでしょう。ですが、こう言う風に解釈した方が、ずっと合理的ではないかと思います。

とは言え、あんな物言いや記事を出した段階で、批判側に共感より反発を覚える人間が多いのは当然。そう言う粗忽さ・センスの無さは、そりゃポピュリストに勝てんわなあ、と嘆息するに十分な代物なのですが。





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Posted by snow-wind at 20:00Comments(0)社会

2011年11月25日

旧日本軍並の国賊行為 内閣府・資源エネ庁の外交文書隠蔽

前から何度も言っているように、マスコミを十把一絡げに「マスゴミ」などと呼んで価値を否定するのは、自分たちの首を絞める行為です。どんな機関であれ、メリットデメリットがあり、消えて無くなるよりはあった方が有り難い場合が多いのですから。

で、変態新聞の名をほしいままにした毎日が、もの凄い情報をすっぱ抜いてきました。


核燃:ロシアの再処理提案文書を隠蔽 「六ケ所」の妨げと

概要は、2002年当時、事故続きだった六ヶ所村の再処理施設の代替として、ロシアが廃棄物の受け入れを打診。これを、関係各省の官僚が隠蔽し、判断材料として政府・審議会に伝えなかったという物です。


これがどう言うことかというと、戦いが不利に進んでいる時に第三国が援助提案をしたのに、軍部が「自分たちの存在意義が問われる」とか言って、その使者を暗殺して闇に葬ったくらいの所業です。

官僚の仕事は、政治の決定を実施し、その決定に必要な情報を提供することであって、自らの利害のためにその情報を隠匿すると言うのは、控えめに言って反逆行為です。
特に当時、六カ所村を稼働させなければ廃棄物の行き場がないという理屈で、推進派官僚達は強行突破していましたから、これは政府を詐欺にかけたと言う事になります。

原発の安全神話と異なり、これは本当に純粋な隠蔽工作で、「騙される方が悪い」とは絶対に言えない事例です。これに怒らない政治家は存在価値などありませんし、もっと言えば政治家をやるべきではありません。勿論、その決定を本質的に支える国民も同様です。


戦後の労働運動・学生運動を左翼のお遊びと笑うのは、現在の言わばスタンダードとなっています。しかしこれは、恐ろしいまでの士気・忠誠度(沖縄失陥まで、国民のほとんどは勝利を疑っていない)を誇った日本国民が、戦後何故あそこまで政府不信を強くしたかを理解しない、無知の言です。

戦後になって明らかにされたのは、単なる政府の一部門に過ぎない軍部が、情報を隠蔽し、都合の良いようにねじ曲げ、他者の統制(天皇のそれすら!)を拒否して、国全体を無謀なギャンブルのチップ扱いした現実でした。「軍部の暴走」と言う言い方は歴史学会では眉をひそめられる古い表現ですが、従犯の存在が多く示されたとしても、主犯が誰かは変わりません。アメリカ相手に勝ち目などない事も、そこから導かれる必然として喧嘩を売ってはいけないことも、まともな軍官僚なら誰でも理解していました。しかしそれは、自分たちの存在意義を失わせるために、事実を隠蔽した結果があれです。

つまり、政府・官僚組織という物は、ちゃんと統制しなければ何をやらかすか解らないと言う認識を、日本人はあそこでようやく獲得した(はずだった)のです。


で、今回の事例です。
とにかく、「都合が悪いからこの情報は隠しておこう」と言うのが日常的に行われる組織は、行政を担うに不的確などというレベルではありません。しかもそれが、外交ルートで正式に提案された内容ともなれば、言語道断です。
最初に書いたように、ただちに叩き潰すというのはデメリットが大きすぎますが、ただちに粛正をかけてゼロベースで再構築するくらいの事はしなくてはなりません。

とりあえず、服務規程には完全に違反しているわけですから、当時の幹部は雁首揃えて懲戒免職。退職金は返還させた上で刑事訴訟、と言うのが最低限必要な処置です。
どんな組織でも腐敗しますし、ふざけた事をやる奴は居ます。問題は、それに対して断固とした処置ができるかどうかで、これだけのことをやってお咎め無しという前例を作れば、綱紀は地に墜ちるどころか崩壊します。

戦前の日本にしても、その崩壊への道を決定づけたのは、勝手に軍を動かして戦争(外交的には「事変」)をおっぱじめた上、拠り所のはずの統帥権すら平気で干犯してお咎め無し、と言う前例ができた時です。そりゃあ、「シャア少佐だって戦って出世したんだ!」てな具合に、後に続くアホが出るのは自明です。
この件については、諸々の前例からして、同じような事があちこちで行われているのは間違いないので、一罰百戒の意味を込めて、政治・国民に対して舐めた真似をしてくれた反逆者を、ZAPする勢いで法廷送りにせざるを得ないでしょう。

と言うか、最低限それくらいはやって下さいね、官僚支配を打ち破ると息巻いていた民主党さん……
そう言う事を主張していた人材は、全員冷や飯食いになってる気もしますが。




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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)社会

2011年11月17日

トチ狂ったかNHK  未契約世帯を提訴



民主が完全に第2自民党と化して(党内の意見が割れるだけマシ、と言う絶望的な見方を除く)グッダグダの政治より、遙かに驚愕するニュースが飛び込んできました。


未契約5世帯を提訴 NHK、受信料支払い求める(朝日新聞)
NHK自身が出したニュースリリースはこちら


NHKは、放送法によって「国民」が契約を義務づけられるという、あり得ない特権を付与されている民間団体です。
はっきり言って、放送法64条(放送法の条文はこちら)の規定は、その正当性が極めてあやしいものであり(後述)、今まで契約拒否世帯を提訴する事が無かったのは、その辺を良く理解していたからのはずです。

ところが、なんと正面突破で訴訟に打って出ました。大方、完全拒否されて引っ込みがつかなくなったんじゃないかと思いますが。訴訟を仄めかして契約を迫った段階で、拒否されて提訴しなければ脅迫罪になりますから。

上のNHK自身が出したPDFファイルを見て頂ければ解りますが、丁寧口調を要約すれば、「脅しがきかなかったので裁判やります」と言う事でしかありません。

「誠心誠意」とか、素敵な言い回しですよね。「我々は誠意を尽くしたが、相手は応じなかった」と言うセリフは、正当性が完全に担保されていなければヤクザの脅し文句と変わりません。


さて、では一応放送法の何が問題かを整理しておきましょう。


・契約自由の大原則
近代国家の最大の特徴は、所有権と取引・契約の自由が犯されない事です。政治的自由じゃないのかという意見はあると思いますが、所有権や契約の自由と制限選挙の撤廃、どちらが先だったのかを思い出していただきたい。理念上土地も人も王や領主の所有物とされていた中世から、自己の財産と意志決定権を奪い返した事こそ、近代国家の神髄です。

その中で、「契約」と言うのは、近代においてほぼ全ての行動を根拠づける大原則です。
一番解りやすい売買契約から結婚の約束まで、法律と関わる他者との関係は契約で基礎づけられ、空間に働く物理法則のように社会を規定します。

その要件は、「申し込み」と「承諾」で、片方が「こう言う契約を結んで下さい」と言い、もう片方が「解りました」と応えてはじめて効力が発生します。成立タイミング等については、法学部の学生に血反吐を吐かせる細目の百鬼夜行になっていますが、原則はこれ。
これが認められない国など、近代国家ではありません。

しかし、当然ながら例外もあります。
インフラ(電気・ガス・水道)などの事業者は、契約の申し込みを拒否する事はできません。
契約の内容は法律の制限を受け、公序良俗に反する内容はもとより、様々な制約があります。

ですが、これらと放送法の規定は、実は決定的に異なっています。
契約自由の原則が制約されている場合というのは、それなりの理由があります。
専門用語を使っても仕方がないので、解りやすく書くとこう言う事です。

「不平等な契約の押しつけを防ぐ」
「特権と引き替えに権利を制限する」

この二つはいずれも、社会を合理的に回すための修正である事に注意して下さい。

一つ目の、不平等な契約の押しつけというのは、労働基準法などが典型でしょう。雇用者側は被用者側より常に有利で、戦前などはその地位を使ってやりたい放題やってきました。(女工の等級賃金制と賃金カルテルなど、今にそのまま引き継がれてる物もありますけどね!)そのままでは国内に奴隷制が存続しているような物で、経済発展も望めないし社会不安の温床になります。
あるいは、強力な事で有名な借家人の権利ですね。狭い日本で地主や家主は圧倒的な強者なので、その権利が制限されています。

二つ目の意味は、一つめとかぶるかもしれません。特権的な地位を付与された存在は、それだけで決定的な強者ですから。
例えば、みんな大好き・東京電力は、東京地方の発電・送電を独占することが法律で保証されています。しかし、一社しかないのですから、契約自由の原則を適用すると大変な事になります。

「え、あんた等、自家発電設備とか入れちゃうの?じゃあ、そいつが停電になっても電力売ってもらえると思うなよ?」
「あんた、テレビで随分うちの事けなしてくれたね。明日から、暗い部屋で頑張って原稿書いてね」

では、たまらないわけです。そこで、インフラ系企業(水道の場合は公共団体)は、契約の申し込みを拒否できない事になっています。これは極めて厳密な規制で、例えばある建物が建築基準法違反だったとしても、その建物への水道供給は拒否できません。独占権付与の代償とは、つまりそう言う事です。

ちなみに、完全な私企業なのに、医療機関・医師にも応諾義務という物があります。これも、独占権(医業は医師免許等特殊資格の保有者しか行えない、一種の独占だから)付与の代償とされています。しかし、支払いを行わない相手すら拒否できない、インフラ企業より遙かに大きな義務で、問題点の指摘は多いです。


さて、ここまで見てくれば、放送法の異様さが解るでしょう。NHKは、一定の電波帯を占有する事を許された寡占企業にも関わらず、「国民の側に」契約自由の原則に対する制限が科せられているのです。
そもそも放送法は、何故かNHKの義務が列挙されている中に、突然国民の義務が入り込んで来ると言う異様な構成になっていますね。

ただし、その制定過程においては、これは合理的な制限でした。
何故なら当時の技術レベルでは、電波は全国に相手を選ばずぶちまけるしかなかったからです。しかも、放送局はNHKしかありませんでした。
つまり、受信機とはNHKを観る/聞くためのものであって、その所有者に契約義務を課すのは、合理性・正当性を主張できる制限だったのです。

しかし、時代は変わります。現在NHK等、「多数存在する放送局の中の一つ」でしかありません。そもそも私のように、テレビなど各種映像メディアのディスプレイ画面でしかない者も多いわけです。
また、映像のスクランブル技術も数十年前から確立しており、受信設備所有者=NHKと契約すべき者と言う主張の正当性は、とっくの昔に消えています。

国民は、「テレビを買わない自由」の他に、「テレビでNHKを見ない自由」を当然に保有しており、それを妨げる正当性はどこにもありません。


と言うわけで、表題で「トチ狂った」と書いたのは、この裁判ガチでやり合ってNHKが勝てる確率は、5割無いとしか思えないからです。
憲法違反として構成するのは難しい(契約の語に絡めて内心の自由で争うか、正当な理由無き財産権の侵害とみなすか)かもしれませんが、公序良俗か一般法理で違憲判決が出る可能性は十分にあるでしょう。JASRAC VS 喫茶店裁判みたいな、理解に苦しむオチになる可能性も勿論あるのですが……

ひょっとして、この前の未払い者相手の損害賠償裁判で、最高裁の判断が回避された(判決の要旨はこちら。最高裁は、判決趣意書の交付は義務でも責務でもなく単なるサービス、などと言ってしまうような恥知らずなので、WEBページに掲載されていない判決は山ほどあります)事から、都合の良い判例を引き出すために深追いしたのかもしれませんが、余りまともな戦略判断とは思えません。

勿論私としては、NHKが自爆して見事に完全敗訴し、俺様法律解釈をわめき立てたあげく器物破損に及ぶような勧誘員が失業し、本体には契約解除要求が殺到して経営危機に陥り、ついでにテレビを観るという習慣も加速度的に失われ、放送局がバタバタぶっ倒れるのを指差して笑える事を期待しながら見守りたいと思います。

まあ、そこまで行っちゃうと、失業問題と、あと何よりアニメの一時頒布機会が余りに細くなっちゃうので、つぶれかかって場末のコンテンツプロバイダーに落っこちてくれるくらいが、丁度良いかと思います。ま、つぶれてくれた方が、地方独占とか言う意味わかんない放送の枠組みが道連れになって、長期的には良い方向に行く気がしますけどね。



NHK――問われる公共放送 (岩波新書)
NHK――問われる公共放送 (岩波新書)

↑こう言う本が出てからもう6年。結局、何も変われませんでしたからねえ……
今なら1円大行進。なお、私は作者と違って、公共放送がこの国に必須だとは思っていません。BBCより劣悪なのもそうですが、ではBBCのような強制権力もった組織を作ると言われたら、全力で拒否したいところですし。





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2011年10月16日

これは「薬害」とは違う/ポリオワクチンの切り替えについて

医療&健康ナビ:ポリオ生ワクチン 接種を控える動きが広がっています(毎日.jp)

再来年に予定されている不活化ワクチンの導入をめぐって、混乱が生じているというニュースです。
論調としては例によって、「厚労省の対応 FUCK!」と言う物なのですが、ちょっと待っていただきたい。ポリオワクチンによるポリオ発症は、薬害エイズや水俣病とは全く意味が違うのです。

先に結論を書きましょう。

・ポリオワクチンの「危険性」は、高コストをかけてまで撲滅するには見合わないほど小さい

ポリオは、あのルーズベルト大統領も罹っていたことで有名な、不治の病(正確には、重篤な後遺症を残す感染症)でした。そのワクチンの本格的な普及は、なんと1960年代以降。しかし、驚異的な威力により、現在先進国では一掃されています。

しかし、ワクチンという物の特性上、当然副作用はあり、その被害が問題視されているのが近年。日本を除く各国は、より副作用発生頻度の低い「不活化ワクチン」へと切り替えています。

これだけ聞くと、いつもの国内承認ギャップ(許認可利権を握る厚労省死ね)と言う結論になりそうなのですが、実はそう単純な話ではありません。

まず、ポリオワクチンそのものの効果は極めて大きく、日本だけで年間数千人居た発症者(障害者一直線です)を数十人レベルまで押さえ込みました。現時点では、野生株(自然界に居るポリオウィルス)自体が国内ではほぼ根絶されている状態です。
従って、「接種をやめる」と言う選択肢はありません。国内で野生株が根絶されていると言っても、海外に行ったり海外から人が入ってきたり、あるいは何らかの形で生き延びていたウィルスに暴露する機会は常にあるのですから。狂犬病と同じですね。

従って、あとは、ワクチンの安全性をどう考えるか、と言う事になります。

そこで問題になるのが、現行型の生ワクチン(弱毒化ウィルス)と、不活化ワクチン(調製された蛋白質)の違いです。

そしてその問題点は、端的に言って以下のようにまとめられます。

1,生ワクチンの「危険性」は、不活化ワクチンよりは高いが、非常に低い
2,コスト面では、不活化ワクチンは非常に負担が大きい
3,生産国の関係で、不活化ワクチンの採用は国内産業に打撃が出る

順番に見ていきます。


1,生ワクチンの「危険性」
生ワクチンの危険性は、医学的には、接種400万人に1人と言われています。これだと、年間出生者数を考えると、4年に1人と言った所。しかし実際には、ワクチン接種による新規感染認定者は10年間で15名となっています。これが、研究の問題なのか、日本人固有の問題なのかは解りませんが、何にせよ100万人に1~2人程度。リスクとしては、極小と言って良いでしょう。
なお、不活化ワクチンでも、麻痺の発症は0にはなりません。アレルギー反応(ウィルスだろうとウィルスのような物だろうと、体が過剰反応すれば結局神経系がやられる)が問題になるからです。勿論、遙かに低い数字となるはずですが、またぞろ「絶対安全」、などと言うたわごとは勘弁して欲しいところ。


2,不活化ワクチンの高コスト
では、その年間1.5人の麻痺患者を無くす(極小化する)のに幾らかかるか、と言うのが問題となります。
現在の生ワクチンのコストは、1人200円程度×2回。一方、不活化ワクチンは1人5000円程度×4回となりますが、これは勿論個人輸入しているための高コストで、元売りでは半額以下と予測できます。(英語でサーチしても、個別のコストが出てこないのですよ)
つまり、切り替えコストは、不活化ワクチンの価格をX円とすれば、「(4X-2×200)×100万」。

X=1000:36億円
X=2000:76億円
X=2500:96億円

と言う感じになります。これが、年間コスト。
感染者が年1.5人ですから、これは麻痺患者1人を減らすために、少なく見積もって20億円近い金をかけるという施策に他なりません。
こここそ正に公衆衛生のポイントですが、「20億使うなら、もっと多くの人を救える」と言う事は、容易に想像できることと思います。例によって患者団体はこれを厳しく非難していますが、それは利害関係者の言葉に他なりません。
「命は金に代えられない」と言う事を言う人は多いのですが、とんでもない。金は命その物です。技術でも社会システムでもましてや「心の問題」などでない、純粋な金が無いために、どれだけ各国が救える命を見捨てざるを得なくなっているか。数十億かけて年間1.5人の麻痺患者を救うべしと叫ぶのは、その数十億があれば救えるであろう数百人数千人を、見捨てろと言う事に他なりません。って言うか、公立小児科病院バタバタ潰して、保険点数で締め上げられた私立病院もどんどん潰れている中、「子どもの安全」に数十億・効果は年間1.5人です、って、一体何なんでしょうね?

勿論、量産化による規模の経済が働きますし、より安全性の高い物を開発していくのは意味があります。しかし、少なくとも今回の導入については、圧力に負けたという面が大きいのではないかと思います。


3,そして、国産の問題
その意味で非常に大きな意味を持ってくるのが、不活化ワクチンが海外製だったという問題です。上記の式から解るように、年間4億円程度の調達ですから、国内メーカーとしては結構な打撃です。それどころか、他から予算を持って来るとなると、基本的に国内に落ちるはずの金を海外に渡すことになってしまいます。その経済効果を考えれば、二の足を踏むのは、仕方のない側面があるでしょう。
勿論、そう言った合理的判断とは別に、癒着が存在し、大きな力を発したであろう事は、想像に難くありません。と言うか、遅れに遅れたのは、間違いなくそれが大きかったはずです。しかし、ろくでもない人間が支持していると言う事と、その政策が合理的かどうかは、基本的に無関係です。地獄への道は善意から。その逆もまた良くある話です。
同じ承認の遅れでも、ストレートに毒物を投与し続けた非加熱製剤の件とは、様相が異なると言う事です。、

ですから、圧力に負けたと書きましたが、少なくとも調達を要求する海外の圧力は弾いて(弾いたというか、彼らは利権を守っただけでしょうが)国産化を待って切り替えを行った厚労省の判断は、結果として合理的(まだまし)に働いた物と見て良いと思います。



感想:
本当に、この手の公衆衛生政策を見ていて思うのは、この国が近代社会システムを、本当に運用できてるのかという疑問です。
費用対効果を見極め、安い命と高い命(コストと的意味で)を秤にかけてより多くの人を救っていく。それが本来想定される民主主義の効率的側面です。王様の家族を救うには国庫を空にするけれど、領民なら税収に大きく関わらない程度ならどうでも良いよね、の中世国家と対比すれば解りやすいでしょう。あるいは、占星術で救う対象を決めるような神権国家。
確かに、結果的にある程度合理的効率的に動いていれば、意志決定手段が非合理であろうと知ったことではない、と言うのは進化論的に正しいのです。しかし、ニュースやその解説で、きちんとコストベネフィットを比較した論を一切見ないのは、さすがに首を傾げざるを得ません。

ちなみに、そんなのどこの国でも一緒でしょ、と言う議論については、期待される平均余命延長と社会的影響を方程式にして、新薬や新規施策の導入可否を議論するなんてのは、先進国はどこもやってますよ。公衆衛生については驚くほど合理主義のオーストラリアとかね。

とりあえず、今回の件については、「国民の健康に対する費用対効果が先進国最高、なのに国民満足度は先進国最低」と言う、わが国の状況を実に良く表して居るなあ、とため息を吐きたくなった次第です。



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↑ポリオと言われて思い出すのは、この色々アレな映画の中で出てきたソーク博士のエピソード。ポリオワクチンを開発しながら、特許を取得せず全世界での普及を推奨した彼に、当時流行地域だった日本は足を向けられません。
まあ、もっと印象的だったのは、カソリックのムーアがプロテスタンティズムと関わりのある資本主義をdisっている所とか、教会関係者のインタビューで、地位が上がるほど官僚的答弁が増えていく所とかだったりもしますが。
なお、観た当時のもっと長い感想はこちら




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2011年10月12日

悪くないアイデアでは? 観光庁の外国人観光客誘致策


外国人1万人に無料航空券…観光庁11億円予算(読売新聞)

あちこちでボロクソに言われているこれですが、結構悪くないのではないかと思います。

まず、大前提として、現在の外国人観光客の減少は致命的です。観光産業だけでなく、各地の電機店も大きな打撃を被っており、円高で上がった分のコストを補填するこの政策は、単純に誘致効果があるでしょう。

加えて、この金の支給先が、実質的には「外国人ではない」事に注目する必要があります。
一見外国人に金を撒いているように見えますが、実際には航空券を政府が購入するのと同じ事になります。つまり、一次的な金の流れとしては、航空会社をターゲットにした公共事業に他なりません。燃料費の高騰とテロ対策で苦しい状態に追い込まれている航空会社にとって、大きな恩恵があるでしょう。(初年度の一万人程度では、誤差の範囲でしょうが)

この辺は、実際には日本企業への公共事業に他ならなかったODAと、同じパターンですね。国士様方が喚いていたのと対照的に、アジアへの「援助」は、実際には日本のメーカーへの発注によって、国内へ資金が還流していたわけですから。

まあ、日本便がその国の航空会社しかないような場合、日本の企業に回すのは難しいかもしれませんが。ただ、対策はそう言うプランの優先度を下げるだけですみます。また、そもそもそんな国では日本旅行の前例が少ないので、バーターとなる情報発信に意味が出て来ると言う事まで考えると、チケット代より遙かに大きな意味がありそうです。

と言うわけで、ちゃんと経済効果が見込める、真っ当な公共事業だと思います。何度も書いているように、20年近く続くこの不況は需給ギャップの問題で、とにかく公共だろうが個人だろうが、「国内で」金を使ってくれないとどうしようもありません。その意味で、消費者を引っ張ってくるこういう方法論は十二分に意味があります。

と言うかですねえ、こうやって新規施策が出る度に「復興が優先」「他にやることが」と言う連中は、文句つけたいだけですよね?「穴掘って埋めるだけでも、作業員に給料払うなら何もしないよりはマシ」なんですよ。復興を旗印に消費増加を妨害する連中こそ、正に国賊に他なりません。

前に少し書いたんですが、善意の寄付や被災者への思いやり(彼らの場合は、単に他人を叩ける錦の御旗が欲しいだけでしょうが)が、真に助けになるとは限らないんですよ。経済システムは、善悪とは別の次元で良い効果や悪い効果を及ぼすんですから。

と言うわけで、霞ヶ関にしては、良い金の使い道を考えたと思ってます。結果的に日本に来た人間が、なんであれ金を国内に落としていってくれれば良いわけで、正に「国」でなければできないプランですから。

あ、そうそう。またぞろ中韓がどうこう言ってる愛国者様がうるさいんですが、そう言うセリフは、中韓の買い物旅行が減って死に体になってる、ここ札幌の小売店を見てから言えと。秋葉でデモをして、外国人に金を「落とさせている」ヨドバシを取り囲んでいたキ○ガイ集団がいましたが、あの辺のメンタリティーは本当に理解できませんね。金の流れを考えれば、国内から金を流出させている(勿論、そんなのは消費者と提供者の自由ですから、文句を付ける筋合など無いという前提は押さえた上で)海外ブランドの出店や、海外旅行に行こうとしている人間を相手にシュプレヒコールするなら、理屈としては解るのですが……


この流れで、次は外国人向け国費留学制度の整備とかをお願いしたいですね。欧米諸国が、他国の若くて優秀な人材を自国文化に同化させてガメるのに使ってる、有効戦略ですから。ま、担当が無能の代名詞・文科省になっちまいますから、まずもって無理でしょうけどね。



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2011年09月03日

政治雑感 余りに救いがなさ過ぎる



首相がまた変わりました。変わる事で良くなる見込みなど、何もないけど変わりました。

震災後に極めて解りやすい形で露呈したとおり、わが国の政治状況には、余りに救いがありません。

こんなエントリーに意味があるとは思えませんが、状況を整理するためにも一応まとめておきましょう。


1,民主党はどうしようも無さを余す所無く露呈している
私は、管首相が巷で言われるほど無能だったとは思いません。むしろ、官僚と党のサポタージュの中、やれるだけの事はやったと思います。問題があるとするならば、支える気もないのに首相の座に彼を押し上げた、党の体制そのものです。

と言うか、あの情勢下で、「チャンスだから首相の首を取りに行く」と言う行動に出る同党の議員達は、民主主義を幾ら何でもなめているとしか言いようがありません。
震災による大被害と、露呈した原発政策の問題点によって、国民の望む事はほぼ統一されていました。つまり、政府・民主党はあの時点で、「他の全てを放り出して」人気取りをする機会を与えられたのです。「復興」と一言声を上げれば、財政再建などと喚く輩は押さえられますし、国債濫発だろうがリフレ政策だろうが、反対する者を悪者に仕立て上げられます。

なのに彼らは、勇ましいかけ声を上げようともせず、あまつさえ原発政策を擁護するような事を言い出す始末でした。原発は、55年体制下で自民党が社会党の反対を粉砕して推進してきた政策であり、彼らは思う存分安全地帯から批判して武器にする事が出来たにもかかわらず、です。

前にも書きましたが、民主党を選んだ国民が望んでいたのは「自民でない」政策であり、極言すればそれだけです。その程度の事ですら党内をまとめられないのであれば、存在価値はありません。
あんな、政治的には天恵の状態で支持率を地に這わせるって、凄い事ですよ。


2,官僚高笑い
そもそも首相の「失策」とされる諸々については、いつもの官僚のお家芸が発動している事を、何故みんなスルーするんでしょうか?阪神淡路大震災の村山内閣もそうでしたが、官僚が首相の所まで情報を上げなければ、正しい決断など下しようがありません。判断遅れや国会でのおかしな答弁は多くありましたが、大体はこれが原因です。「その程度の事自分で情報収集しろ」と言うのは簡単ですが、首相や閣僚はそんな暇な職ではありません。

本当にそのままなのですが、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の際、ゴルバチョフ大統領の所には事故の正確な報告は上がってきませんでした。被害の大きさと官僚団(計画経済のソ連においては国家その物と言っても良いです)の無能さ・責任逃れに唖然とした彼が唱道したのが、有名なグラスノスチ(情報公開)政策です。

そして、今回もそう言った官僚と電力会社(両者が一体なのは、保安院の問題や「人材交流」を見れば一目瞭然でしょう)の情報隠し・捏造が次々と露見していますが、これに対する処置は全くなっていませんね。ただの人事異動を更迭とほざいた海江田もそうですし、東電とその株主に負担を被らせる事すらできない。送電分離や国有化についても、あの始末です。

それどころか、首相が曲がりなりにも電力会社の無力化を目指した所で引きずり下ろされ、後任は原発漸減どころか規制強化策すらまともに上げてこない。

戦犯、あるいは社会の敵がどこかははっきりしてる訳です。つまり、問題は、無能な味方ではなく有能な敵です。


3,民主党潰しても悪化しかしないのが問題の中心
そして、最大の問題がここにあります。
麗しの二大政党制において、ロバが死んだら代替は象しかいません。民主党の無能にぶち切れて自民に票を放り込んでも、事態は改善するどころか悪化するわけです。
何せ、今日の事態を招いたのは、彼らの作った体制ですから。結局、保安検査を骨抜きにして、不適切立地にまで原発を立てまくって、日本列島をソ連製原子力空母(安全性的意味で)に仕立て上げた事の総括は、全く聞かれませんでしたしね。利権構造を熟知しているわけですから、本当に国難を排したいなら、その知見(……)を活かして、膿を出すための政策を政権に参加して行うべきだったでしょう。少なくとも、今回の件について、自民党に民主党を非難する資格は、1μgもありゃしないのですから。あ、公明党にはありますね。皮肉な事に。

となると、民主党の大敗が決定済の次回選挙では、自民でも民主でもない党がどれだけ伸びるかという部分しか、見るべき点はなさそうです。とは言え、共産も社民も死に体で、今まで行ってきた原発政策への批判蓄積を活かせるとは考えにくいですし、伸びるとしたら公明だけでしょう。みんなの党も、それなりの発言が見えるんですが、存在感の無さでは相当なもんですし。

勿論、自民にも民主にも、真っ当な考えて、あるいはきちんと利(≠理。民主党がまるでできてない、損得勘定の事です)を見て原発政策を批判してる人は居るんで、そう言う人は当選していくと思うのですが。河野太郎とか。
でも、それが多数派なら、こんな事になっているはずもなく……


とまあ、これが「笑っちゃうくらいどうしようもない」現状のまとめ。
いやね、原発推進続行なら、続行でもいいんですよ。でも、その大前提となるべき保安体制が、散々言われていたとおり全く機能しておらず、一部では想像以上に酷かった。とするならば、出せる膿は徹底的に出して、無能な指導部を一掃して新体制を作らなきゃ成らないわけですよ。ところが、東電の幹部はふんぞり返って税金投入を要求し、あまつさえ退職金ふんだくって悠々自適。原子力保安院なんて、丸ごとぶっつぶして内閣直属・直任の別組織でも作らなきゃ話にならないレベルの背信ぶりなのに、これもスルー。
こんな状態で、自治体の頬を札束でひっぱたいて運転再開・新立地選定をやった所で、数十年に一度のサイクルで同じ事を繰り返すのが落ちなわけです。それはつまり、政府は最低限の社会効率と安全保障に興味を持たないと言う事で、政治不信が国家不信まで突き抜けても不思議ではないレベル。

とりあえず、公明党大躍進で自公連立復活、保安政策は一切変わらず。ついでに公明躍進で表現規制も大推進、と言うのが、考えられる最悪のシナリオでしょうか。
とりあえず、向こう4年くらいは、このシナリオから「どの程度マシになったか」の良かった探し位しか、希望を持つ余地はなさそうです。

例の児ポ法改正案も、こうなると止まるでしょうねえ。解散総選挙待てば圧勝できるって解ってるのに、今民主党に対して妥協する意味、自公にはないですし……



こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ
こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ

↑今回の件で良かった探しをするならば、世紀をまたいで忘れ去られた過去の事故関連の文献が、復刻されて手に入りやすくなった事でしょうか。
昔はこの辺を読んで、ソ連に対してアネクドート的「笑うには深刻すぎるブラックジョーク」を感じた物ですが、我が偉大なる祖国も、あんまり変わりませんでしたね……




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2011年08月03日

恐らく現状で一番の前進 民主党の児ポ法改正案


政権交代後、はっきりと発言が後退して行った可視化法案と共に、児ポ法改正問題は動きが停止していました。しかし、水面下での調整が終わったらしく、遂に民主党政権としての改正案が明らかになりました。先日の、政権交代を何も考慮しないふざけた自公案と比べて、ビックリするほどまともな内容です。

児童ポルノ法:「有償かつ反復」の取得を処罰化 民主党案

ポイントは、かつての民主案どおりの取得罪の新設(「有償かつ反復」に限る)と、フィクションの表現については「規制するものと解釈してはならない」との条文を追加する、という部分です。


まず、原則論から言うなら、私は取得罪でも危険ではないかと思っています。
ずっと問題になっている単純所持の焦点は、情報の流通や存在その物を危険視している点です。どのような内容であれ、情報が後世に残ることその物を禁じると言う権限を、国家に持たせるべきではないと言う観点です。「児童ポルノが対象なら、別に問題無いだろう」と言うのが常識的な意見でしょうが、そもそも独裁国家や封建国家で、「おぞましい」「社会規範に反する」情報は規制され、結果我々は過去の貴重な史料を多く失っています。

何度でも言いますが、江戸幕府の規制がもっと徹底して行われていれば、近代において大きなインパクトを持っていた浮世絵の多くは、今日残っていません。命がけで撮影された虐殺の証拠や、暴露された非公開会議の録音もです。

そこまで行かなくても、流通状況調査のために購入するのはどうなのかとか、除外規定のあり方についての議論も必要でしょう。(ここで公的機関のみ、などとやったりすると、警察は捜査理由にやりたい放題、学術研究だと即アウト、みたいないつものふざけた形になりかねません)

従って、原則論から言うならば、取得罪の新設も無い事が理想的です。


しかし、状況がそれを許さないのは、これまで見てきたとおり。
そして、今回の改正案については、倫理と法律の区別を付けていない自公案を原則論にまで踏み込んで換骨奪胎し、むしろ国民の自由を守る方向に舵を切ってる所が重要です。

すなわち、表現の自由を掲げ、被害者の居ない創作物の規制を明確に対象から外した点です。
繰り返し書いてきたとおり、単純所持の問題とは別に、法の目的をねじ曲げる創作物規制は日本の児童ポルノ問題のガンです。そこをピンポイントで突き、強い禁止文言で規制派の頭を抑えることができれば、これ以上にない成果となるでしょう。

とは言え、これはまだ法案段階。2年前の法務委員会で露骨に見られたように、民主党内にも規制派はおり、まだ油断はできません。

これで妥協して自公案にすり寄るようなら、政権交代の意味はなくなるので、中心となった議員さん達には是非頑張っていただきたい。
そして我々にできる事があるとするならば、地元の民主党議員さんを尋ねるなり手紙・メールをするなりして、「是非頑張って下さい」「期待しています」と伝えることです。自民党支持者の方は、同じように議員さんの動向を見ておいて、場合によっては「何故反対するのですか?」とプレッシャーをかけるのも良いでしょう。また、そこまでしなくても、地元の議員さんがどのような態度を示し、どのように議論に参加したかを、良く見ておきましょう。そして、その結果によって投票先を変えましょう。
民主主義で議員を選べるというのは、つまりそう言う事ですから。

ようやく、やっとのことで、政権交代の成果が残りそうな気配が見えてきました。前から何度も書いているとおり、「政権が替わって良かった」と支持者が思える「変化」が幾つ残せるか、それが重要なのです。私が「これだけは」と期待していたのが児童ポルノ法の原点回帰と可視化法案で、とりあえず片方でこれだけの物が残せるなら、一応は良くやったと言えると思います。

しかし、都議会で多数派を取っておきながら、石原のふざけた表現規制条例に賛成した前例のある民主党のこと。最後まで目を離すわけにはいきません。悲しいことですが、彼らは平気で裏切ります。誹謗でも中傷でもなく、シンプルな事実として。

例えば、例の条例問題の時に、いち早く問題だという有権者の声に応えてWEBページで「都民の声が~」「これは問題」とか書いておきながら、速攻でへたれて「条例の内容は当然」とか言い出した都議会議員を、私は二度と信用しないでしょう。条例の問題点を書いていた時に、カンパ(献金)付きのメールを送ったにもかかわらず、テンプレの返信すらなかった時点で、ろくでもないと気づくべきでしたが……

とにかく、今は見守るのみです。あ、いつもの通り、カンパや面会はアリですけどね。それで酷い対応をされたら、信用できない議員が明らかになった、と考えておけば良いんで。




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