2011年06月20日

児童ポルノ法改正案再提出 モグラは叩き続けねばならない

児童ポルノ禁止法改正案、自・公が今国会提出へ(読売新聞)

表現規制の主力艦隊が、また動き出しました。
児童ポルノ法改正を巡る問題は、当BLOGでも繰り返し取り上げてきましたが、国会政権交代後の国会では、初の大きな動きになります。

法案の詳細には触れられていませんが、記事の内容からしても以前と変わる物ではないでしょう。何より、自公と言うか推進派の連中にしてみれば、変える理由がありません。
単純所持規制によって、警察に広範かつ恣意的な捜査・逮捕権を付与する事を目指す官僚と、自身の心情に見合わない(「キモイ」と感じる)相手を社会的に抹殺したい宗教家のタッグにとって、妥協する意味はありません。

とは言え、この記事については、二点大きなポイントを指摘する必要があります。

1,記事の内容は嘘だらけである
以前も指摘しましたが、政権交代前に民主党が修正協議で合意していたと言うのは、デマです。ソースは、当時反対派の急先鋒だった保坂のぶと議員(現世田谷区長)のBLOG
要するに、元々が読売新聞の飛ばし記事です。
勿論、当時も今も民主党内に妥協派の議員はおり、(代表は小宮山議員)むしろ自公と連携しつつ動いていたりしました。しかし、それはあくまで個々の議員レベルであって、民主党としての態度は反対のままだったわけです。だからこそ、政権交代後、児童ポルノ法改正は完全に止まっていました。
私が、あの政権交代を支持しているのは、これがあるからと言っても過言ではありません。
つまるところ、この記事もまた飛ばし記事である可能性が高いです。例によって、読売新聞が単独でやってますからね!自分に都合の良い故意に誤った「速報」を出して世論を誘導するのは、論理を見失ったマスコミ関係者(当然ですが多数派ではありません)の得意技です。

と言うか、自分たちの飛ばし記事をソースに次の飛ばし記事を書くって、やり口が完全にトンデモ陰謀論。さすが、発行部数世界一は違います!


2,しかし、反応はしなくてはならない
これは飛ばし記事であると同時に、観測気球でもあります。つまり、「こう言う流れになった場合どの程度の反発があるか」を見るための、威力偵察です。
当然我々は、「そんな事になったらただじゃおかねえ」と言う態度を、鮮明にしなくてはなりません。基本的に政治はヤクザな殴り合い・利益分配争奪戦であり、なめられた勢力の利益は、容赦なくそぎ落とされます。

とりあえず、この件に関しては、以下の所に抗議を送りましょう。
内容は、「こう言う記事があるが、まさか事実ではないですよね?」「事実だとしたら、あなた方には心の底から失望しました」「これからも支持していきたいので、事実でないことを祈ります」と言うような内容の組合せです。注意点については、こちらを参照して下さい。

民主党のWEBサイト:http://www.dpj.or.jp/header/form/
枝野官房長官のWEBサイト:http://www.edano.gr.jp/inquiry/inquiry.html
自分の選挙区の民主党議員さんのWEBサイト:http://www.dpj.or.jp/member/

基本は、自分の選挙区の(過去投票したことがあるなら最高)民主議員にメールを送る事です。やはり、送られてくるメールは元々反対派な議員の所に集中しちゃってるみたいですし。
なお、枝野官房長官は、政権交代前の論戦において、保坂展人元議員と共に、児ポ法の改正案を理論面・党内政治両面で阻止した立役者です。間違っても、失礼な物言いは避けましょう。現時点で、最も有力かつ有能な味方です。それを忘れないで下さい。
知らない人は、当時の動画をご覧下さい。


以前にも何度も書きましたが、相手は強烈な(ねじ曲がった)信念と組織力のある団体です。そして、それを利用する気満々の官庁です。法案の再提出も議員の抱き込み工作も虚偽の記事も、過去何度も繰り返され、これからも何度も繰り返されるのは間違いありません。
我々は、そのたびに同じ事を行い、選挙に際しては反対派議員に投票し、メールやカンパを送り、長い戦いを続けるしかありません。

これは、鬱陶しく、面倒で、一見何の実りもない活動です。しかし、これを怠る事は(あるいは怠らなかったとしても)我々を犯罪者・社会的に抹殺されるべきと見なす人間に屈服し、表現の自由の無い恐ろしい社会で過ごすことを受けいれることに他なりません。
私は、私の内面を一方的に「キモイ」と見なして抹殺しようとしてくる者や、私達が享受してきた豊かな文化遺産が継承される事を嫌悪する連中を、満足させるなどまっぴら御免です。

みなさんも、できる範囲で、力を尽くして下さい。まだこの国は一応民主国家であり、議員さんに意見を送ったり、政治献金をしたり、好きな政党に投票しただけで、社会的に抹殺されたり逮捕されたりする事はないのですから。



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Posted by snow-wind at 00:00Comments(3)社会

2011年06月14日

権利者の「権利」の話

島国大和さんが、↓みたいな記事を書いてまして。

ゲームのプレイ動画の望まれない公開に関して。

プレイ動画と言う物に関しては、私はろくに言うべき言葉を持ちません。地球防衛軍のどうしてもクリア出来ないステージの参考になったとか、他のプレーヤーの感想を見たくて、クリアしたノベルゲームの動画を見てみたけど、クリックでセリフを飛ばせないので死ぬほどだるかったとか、そんな話くらい。

なので、指摘したいのは、著作権法が権利者に認める特権(所有権という基本的人権を一部制約する著作権法の規定は、例外的な権利なのでこう扱われます)と、その位置づけの話です。

まず、「権利者にはそれを禁止する権利がある」という点。これは100%事実です。ですが、その正しさというのは、要するに「合法だから合法」と言っているだけで、それ以上でも以下でもないのです。
何が言いたいかというと、現在問題になっている各種の権利を巡る争いというのは、「そもそもそれを合法にしている(特権を設定している)のは、社会的にマイナスではないのか」と言うのが議題です。

従って、権利者に対する批判と言うのは、結局の所「そんな権利があること自体おかしい」または、「そんな風に権利を使えるのがおかしい」と言う意味に他なりません。(それが正しいかどうかは全くの別問題です)
その批判に対して、「これは合法」「あなた達のやって居ることは違法」と言うのは、革命軍(テロリストでもいいけど)に向かって「君らのやろうとしている事は反乱になる」と言う位無意味です。

これは、それを飯の種にしているコンテンツ産業の人間が良くやるミスですが、「それが合法か」と「それが合法であるべきか」は全然別の話です。そして、合法/違法というのは、現実の力関係を反映した「既存の線引き」であって、本来的に正しさを保証する物ではありません。だからこそ、制度を柔軟に変えられる民主主義というシステムの上で運用されているわけです。

利用者、または積極的海賊側が、「こうした方が権利者にも得になる」と言う主張を繰り返すのは、こうした前提があるからです。つまり、「負担を強いる制度設計が間違っている」あるいは、きちんとした言い方をするならば「社会利益を増やすために例外的に設定された特権が、むしろ社会利益の総和を減らす方向に作用しており、正当性を失っている」と言う主張です。
これに対して「この鎮圧行動は合法である」と言う”だけ”の反論に終始する場合、その行動を合法化する法律は、「社会の敵」として見られてしまうと言う事になります。


結局の所、法律もルールも、常に「それが合理的か」「それを維持する必要があるのか」と言う点を問いかけられ続ける運命にあります。その部分を前面に押し出して理論闘争を行わなければ、そのルールは権威・規範性を喪失し、誰にも省みられない・積極的に敵視される代物に成り下がることになります。

「だからって、あんな物(プレイ動画に限らず諸々)を合法化したって、損するだけだ」
「商売の前提がぶっ壊れて、多くの人が路頭に迷う」
「と言うか心情的に許し難い」

など、様々な反論は当然あるでしょう。最初に書いたとおり、私もプレイ動画について積極的に擁護する言説も持ちません。(非難し根絶すべしとの考えもありませんが)
しかし、問題となるのが「違法か否か」ではなく、「違法とすべきか否か」「基本違法にするとしても、ファウルラインの角度はこのままで良いのか」であるのは明らかなわけで、良く見るこの手の言説は不毛だよなあ、と思うわけです。

なお、何故「明らか」かと言えば、モノホンの電波を除いて、同人誌やMADムービー、プレイ動画と言った物が「合法」であると主張している言説を、見たことがないからです。いや、勿論「引用」の範囲に留まっていれば話は別ですが、あの要件が厳しすぎて学術論文でもない限り使い物にならないと言うのも、また著作権法を巡る大問題の一つなわけですし。



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2011年05月30日

合憲前提で文章を書く、誰でもできる簡単な仕事/日の丸・君が代

先日うんざりしつつ記事を書いていた日の丸・君が代関連事件について、最高裁の判決が出ました。

君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断(asahi.com)

ピアノ伴奏拒否事件の流れからして、こうなるだろうとは予想できていた物の、これでも少しは最高裁に期待してたんですよ。何せ、あの判決以降、都教委にせよ先日の府知事にせよ、完全に暴走モードに入ってますしね。
まあ、追加の弁論を行わないまま判決日が決まった段階でこうなるのが見えたからこそ、府知事は気炎を上げてたわけですが。彼は、そう言う小賢しい点でそつがないですから。

で、判決がこちら。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110530164923.pdf

最高裁は、最近判決が出ると、即日で全文をWEBページにアップしてくれるんですが、なんで各報道機関はその出展を明記しないんでしょうかね?あんた等の解説に価値がないとは言いませんけど、一次情報の判決文に比べれば情報価値は言わずもがなです。

もっとも、各社の報道を見る限り、判決文読んで書かれたと思しき記事自体ありませんでしたが。大方、プレスリリースしか見てないんでしょう。


さて内容ですが、小法廷5人の全会一致。少数意見付与が二名居ますが、大部分は「僕の考えた理想の国家像」ポエムですので、読む価値はありません。
と言うか、須藤雅彦判事の、起立を強制することは思想信条の押しつけではないが、起立しないことは自らの思想信条を生徒に絶対視させる行為ってのが、何度読んでも解らないんですが……
サッカー云々の下りとかね。「多くの人から非難される」が正当化事由になるなら、憲法なんぞいらんのですよ。多数派の意志が常に貫徹する、イギリス式の議会主権で国家運営をすればいいって事ですから。(成文憲法がなくて慣習法による規制がある?ええ、そう言う「建前だけ存在する法まがい」こそ、お似合いだと言ってるんです)

いやもう、前回書いたとおり、こんな下らない事でただでさえ労働条件悪化で死屍累々の教員をすりつぶして、一体何がしたいんですかね?戦死者が出続ける激戦区で、増員されるのは政治委員ばかり、みたいな愉快痛快スターリングラードごっこがしたいんでしょうか?

判決趣意に関しては、外見的な行動の規制で内心・思想・信条の自由の侵害でない、と言うたわごとに目眩がするわけです。じゃあ、嫌がる人に日の丸を燃やすように強要するのは、思想・信条の自由に抵触しないとでも?インターナショナル斉唱でも良いですが。
例えば、学校行事のお芝居であっても、ユダヤ人に対し、鉤十字に向かってナチス式敬礼をさせる事がいかにひどい人権侵害かは、誰にでも想像できるでしょう。イスラム教徒に、学校行事だからとクリスマスに賛美歌歌わせる、なんてのも。

この問題に対する一番手っ取り早い方法は、斉唱・起立したくない教員に対しては、一時的に会場外に出てもらう事だと思うんですがね。斉唱・起立のタイミングに合わせて、会場外の雑用(卒業生退場時の花道準備とか)やらせりゃいいんじゃないですか?
これは、上で例に挙げたとおり、日の丸や君が代に限りませんが。歌詞や作曲家、周辺事情が思想信条にクリティカルヒットするような物は幾らでもあり得、それを「極端な衝突に至らないように、強制せずお互いスルーする」システムと言うのが、この手の「自由」の本質です。

とにかく、何度も言うように、憲法が、近代国家が内心の自由や表現の自由を絶対化しているのは、「そんな事を気にすること自体が非効率」だからなんですよ。
憲法の番人とは、結局の所そのために居るんですが、どうも我が国のケルヴィムさん達は違いまして。エデンの園に通じる道さえ守っていれば、自分の背後で楽園に出戻り猿族が入り込んでも職務を果たしたと思い込む、素敵な認識で動いております。

二言目には「ファウンディングファーザーズの理想」を引っ張り出す、連邦裁判所(アメリカの最高裁)の9人の爺婆にしても、DMCA違憲訴訟や児童ポルノ規制で、繰り返し原告被告双方に対し、「その規制によって得られる利益を見せろ」「その規制によって失われる利益を提示しろ」と言い続けます。それを具体的に提示できなかったためDMCAは今も健在で、児童ポルノ規制の多くは創作物を外された上に厳密な対象規定を課せられています。まあ、最高裁まで行かないところで、色々やりたい放題やられてますが。
とにかく、法文上の原則を拡大解釈する余地があるとすれば、それは具体的な利益/損害に、基づく場合のみなのです。

何というか、このままだと「大陸法ってクソだよな」みたいな事しか言えなくなりそうなわけですが、「仕方ない」と言うには、ちょっと導入から時間が経ちすぎてると思うわけです。近代法システムにしても、民主主義にしても。
本当に、なんでこう、労働規制から表現規制まで、効率性ってのが貫徹しないんですかねえ。我が国、一応まだ世界列強の一角を占める商業・工業国で、それはつまり効率性をないがしろにしては維持できない地位にあるって事なんですが。

6/1 追記
自民党……
あんた等の存在価値は、左右を問わない包括的国民政党(55年体制の成立経緯参照)だった事にあるのであって、社会党と対立する上での外見的保守なんかでは無かったのに。
象徴を燃やす人間を燃やすことでしか保てない正当性なんて、最初から存在しないのと一緒でしょうに。
なお私は、そもそも他国の国旗に対する毀損罪が存在する事自体、お門違いだと思ってますので、そこの所よろしく。連邦最高裁の、「我々が守るべきは国旗に象徴される理想であって、国旗という物体ではない」と言う判決は、普遍性を持つ概念だと思います。



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2011年05月24日

日の丸・君が代と言う下らない政争/効率を阻害する思想統制

橋下知事、君が代不起立教員に激怒「バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!」


引用した記事は適当です。要するに、大阪府が導入しようとしている「日の丸・君が代」の強制条例案について。

基本的には、原発にせよ防災にせよ、国のドクトリン変更が必要な状況に落ちている中、アジテーターが平常運転してますね、と言う事でしかありません。
しかし、事がシンプルだからと言って、無害と言う事には成らないのもまた当然。

表現規制問題に関わってきて痛感するのは、表現の自由や思想信条の自由と言った、「経済的でない」権利を、教科書的お題目だと思っている人間の多さです。
しかし、その認識は完全に間違い。
表現の自由・思想信条の自由や差別の禁止は、極めて重要な、効率性に直接関わるルールなのです。何しろこれらは、国家・社会の効率性を向上させ、競争の中で有利に働くために生き残ってきた、純粋な有効戦略なのですから。

今回の件で言えば、教育行政が教師に必要とするのは、生徒に効率的に教育を施し、社会に必要なスキルを身につけさせる能力です。そこに、個人の思想は関係ありません。共産主義者だろうがファシストだろうが、ニュートン力学を教えるのに何の影響もありませんし、教える統計データの値が変化するわけではありません。

公務員だから、と言う人間は多いのですが、公務員とは結局、公共セクターに雇われた労働者でしかありません。思想・信条をわざわざ宣言させるような命令を出すのが、「やってはならない事」なのです。
なぜ「やってはならない」のか?それは、「そんな事を気にするのは非効率」だからです。既に書いたように、必要とされる能力は教育スキルであってそれ以外ではありません。つまりは、「思想・信条などと言うどうでも良いこと」を、実力よりも優先させるような組織は、非効率だと言うだけの話です。

近代以降、人種差別は撤廃されてきました。
黒人だから、黄色人種だから、そんな下らない理由で人口の数割を占める人材を利用しないような国は、競争に敗れるからです。また、反発を封じ込めるだけのコストに見合わない、と言うのもあります。

近代以降、女性差別も緩和され続けています。
たかが女性であると言うだけの理由で、人口の半分の人材を社会的に死蔵するのは、端的に言って愚か者のやることだからです。一次大戦が契機というのは、良く知られていますね。女性に家庭から出るなと宣言するイスラム原理国家では、総力戦は戦えません。トルコが(あれでも)イスラム圏ではダントツに女性の社会進出が進んでいるのは、そう言う事です。軍隊が、世俗主義の堅持について議会を牽制し続けていると言う皮肉な状況も、納得できるところでしょう。

近代以降、宗教差別は愚者の政策です。
どの妄想を信じているかなど、個々人の知力や体力や対人交渉力に比べれば、クズみたいな物です。宗教戦争に明け暮れる国が、列強に加わるなど夢物語です。上記トルコの軍隊が取っている牽制策は、正にここがポイントです。飛んでくる銃弾は、宗派も宗教も選びはしません。

散々BLOGで言及してきた表現の自由・内心の自由というのも、同じ事です。
どんな性的嗜好を持っているか、どのような傾向のファンタジーを好むか、どのような妄想を内心で抱くか。そんな事は、「実際に何をやったか」に比べれば、何の価値もありません。そして、前者を後者に優先させれば、チューリングを殺したイギリスの轍を踏むだけです。

特に今回の件に関しては、あからさまな人気取りであることを含め、あの知事を「社会(効率)の敵」と言って差し支えないレベルだと思います。愛国心も尊皇も、それはそれで結構な話ですが、現実的な指導力や授業スキルと比ぶべくもないどうでも良い話なのですから。
その数値(ありましたねえ、生徒の愛国心を点数化して評価する道徳教育……)が低い人間が後者も低いという相関があると言うなら、それこそ後者を基準に分限処分をすれば良いんですよ。
まあ、誰でも即座に思い浮かぶと思うんですが、文字通り暴れ回ってる在特会の面々や、ニュー速辺りにたまってる「愛国者」と、狂った自治体の圧力とモンスターに怯えつつ現場に踏みとどまっている教師、どちらが社会に取って有用な人材かは、自明なわけですから。要するに、そんな基準に意味なんて無いんです。


あとね、教師だから規範として忠実に云々言ってる人達は、本当にどう言う教育受けてきたんでしょうね?
「良い教師」と言うのは、間違っても教育指導要領の内容をそのまま教えたりしません。あれの決定経緯は置くとしても、指導要領は単なる一つの資料に過ぎないからです。良い教師は、あれの内容に適宜発展的内容を加えたり、どうしても古くなる最新データを補ったり、あるいは複数の学説を紹介したりと、「生きた」授業を行います。

特に名門校と呼ばれる学校の教師などはそうで、教科書に書いてあることをそのまま憶えなさい、などと言うアホな事は絶対に言いません。そしてそれこそが、社会に出てから活きてくる基礎的な学力でもあります。データは間違っている事もあるし、バイアスもかかるし、そうでなくても常に更新される。議論はあらゆる局面に潜み、「もっとも有効な仮説」は変動するが、それを判定する手段は共有されている。
つまりそれが科学の営みで、科学技術文明社会に生きる人間が身につけるべき教養と言う物です。教師の思想なんて、偏っていてなんぼなのです。社会に生きている人間の思想は、誰も彼も(あなたも私も)「偏って」いるのですから。右も左も尾翼も水中翼もいて当たり前。社会の縮図・訓練場たる学校で、それ以上に必要な事があるとは思えません。

それを阻害するような施策を行う者こそ、国賊としか言いようがありませんわな。

ちなみに、書いていて思い出しましたが、私の院生時代の恩師は中学の教科書作成に参加して、エネルギー問題の項でスリーマイル島の事故に言及したところ、検定で全文削除を喰らい、以来二度と執筆依頼を受けなかったと話していました。ちなみに、その恩師はバリバリの右です。
又聞きではいくらでも聞いたことのある話でしたが、喰らった本人から聞いたのはあれが初めてでしたね。

この辺含めて、中央から指示された政策が、現場での実施過程で一定のブレが出るって言うのは、決して悪いことばかりじゃないのですよ。




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2011年05月02日

「戦争」は終わるか/ビン・ラディン殺害


震災等のニュースに隠れて目立たないうちに、ビン・ラディンが死んでました。

米軍事作戦でビンラディン容疑者殺害=オバマ大統領の声明

これは確かに、朗報と言う側面はあるでしょう。大規模なテロを指揮し、今後もそうするであろう犯罪者が、それをできなくなったわけですから。
しかし、根本的な問題として、手放しで喜ぶ気など起きません。

まず、ビン・ラディンとは「犯罪者」であるという点を、改めて認識する必要があります。テロとの「戦争」とは、非常時を旗印に権限拡大を狙った各国政府のプロパガンダであり、本質はただの大規模殺戮犯です。
従って、政府が行わねばならないのは、容疑者の身柄確保と裁判、そして真相の解明です。この意味で、容疑者殺害は決定的な失敗と言う事になります。

この失敗により、日本のオウム真理教事件が好対照例になるでしょうが、「テロ」の本質である「何だか解らない恐怖」を、払拭するのに失敗したことになります。
麻原彰晃は、裁判の過程で「ただの人」であることをタマネギの皮をむくように明らかにされ、カリスマが地に墜ちると共に、日本人の恐怖を払底することになりました。皆さん忘れているかもしれませんが、麻原が逮捕されて裁判が始まるまで、「またテロが起きるのではないか」と言う恐怖は、非常に大きかったでしょう?地下鉄の売り上げなんて激減してましたし。

結局、ビン・ラディンを逮捕し損ない、「戦争」という幻影を祓えなかったアメリカは、テロに敗北したと言う事なのです。

そして何より、状況がまだ明らかになっていませんが、米軍は明確に容疑者の殺害を狙い、捕縛は目指していなかったようです。まあ、そもそも軍ってそう言う組織であり、そう言う組織をこの件の専従にしていた米国にしてみれば、当然のことでしょう。

結局、アメリカ政府は政権交代後も一貫して、テロ「戦争」を煽り続け、本当にテロの恐怖を祓って正常な市民生活を取り戻させる気は、無かったと言うことなのでしょう。
「非常時」を名目に導入された特権が、その便利さ故に恒常化され、それを正当化するためにいつしか「非常時」の継続その物が目的化する。真っ先にロシアが歓迎のメッセージを出しているのは、象徴的かと思います。

これからあの国がどう変わっていくかは、国際関係上我が国にも大きな影響があるので、注目したいところです。
インパクトとしてだいぶ小さくなったとは言え、これを機にあの国が悪夢から少しでも立ち直って、「警察国家化の輸出」(類例:革命の輸出)をやめてくれる所を祈りたいのですが…… 色々と難しいでしょうねえ。



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リトル・ブラザー
リトル・ブラザー

↑この前こんなの読んだ直後にこれで、色々と考えさせられました。
本の感想自体はこちらで。




  
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2011年04月26日

区長選の結果/保坂氏当選は嬉しいのだけれど

この前記事を書いた、統一地方選の結果が出ました。
表題のとおり、世田谷区長選に立っていた保坂元議員が見事当選を決め、地方とはいえ政治の世界に返り咲くこととなりました。特別区の首長はかなり権限も大きいので、少数与党ですが、議論を起こす様々な政策を行ってくれる物と期待しています。
オタク層には表現規制で知られた人ですが、官僚相手の情報公開闘争と共に、地元密着型の福祉関連で地盤を作っていたことが、当選には大きな意味を持ったはずです。
勿論、本当なら彼のような原則論を言える人は、国政で活躍して欲しかったのですが、それは文字通り国民に拒否されてしまったのですから、しかたありません……


一方で、渋谷区長選に立っていた樽井元議員は、惨敗と言って良い結果に終わりました
あそこまで水をあけられるとは思わなかったのですが、やはりこの災害直後に歳出削減を旗印にするのは、無謀だったという事かもしれません。

ただ、実はそんなここの政策論争とは別の部分で、特別区はまずい状況だというのがhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/chihosen11/tko/">結果を見た率直な感想です。
だって、世田谷区以外は、全て現職の区長がぶっちぎりで当選を決めているんですよ?しかも、どいつもこいつも3期とか平気で努めている60過ぎの老人ばかりです。(一部例外有り)災害時に人は変化を求めない、と言われますが、それにしてもどうなのよこれ、と言いたくなってきます。
ちなみに、唯一の例外の世田谷区は現職が立候補しておらず大乱戦となり、そのため保坂氏に有利に働きました。

都知事選の投票率を見ていた時にも感じたのですが、人口比率的には若年層が多いはずの首都において、彼らの多くは仕事に追われて選挙に行かず、もの凄い勢いで政治的な保守化と高齢化が進んでいるのではないでしょうか?ここで言う「保守」とは、変化を嫌う老人という意味です。
結局これが、老人の繰り言に行政権力を行使してしまうような表現規制や「安心」政策が、蔓延する原因なのでしょう。

2年前に選挙ボランティアに行った時、政党と若者への罵詈雑言をひっさげて絡んできた爺が居たりしたんですが、(しかも、同じ年齢層の通行人が寄ってきて同調したりね。窓口で良く見かけるクレーマーと全く同じ年齢外見行動パターンで何か色々腑に落ちたもんですが)ああ言う「政治的関心の高い層」をのさばらせたのは、要するに権利を行使しない側なわけです。

結局、日本のシステム上何が一番問題かって、ちゃんと選挙に行く「市民」を育成する教育に、決定的に失敗したと言う事なのかなあ、と最近思ったりします。
民主国家は、各階層が同じように一定の政治的関心を持ち、自分の利害を反映した政治(代表が投票)行動を行う事で、自動的に国の進路を調整するようになっています。そこで権利が行使されなければ、当然調整機能は失われ、社会には歪みが蓄積していく。
これって、短期での解決はほぼ不可能なだけに、如何ともしがたい話ではあるのですが、本当に何とかならんもんかなあと嘆息してしまいます。



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2011年04月15日

信用する方が悪い/原発関連

さすがに、レベル7まで行くというのは予想外だったわけですが。

この先最低一年は続く撤退戦、何十年続くか解らない封印・復興事業、そして半永久的に使用不能となった国土。「幾ら何でもアジり過ぎだろう」と思っていた反原発運動の主張が、経過は違えど目の前に展開すると、現実感が無くなってくる次第です。

ただ、この前書いたように当初割合楽観的に見ていた自分を振り返ると、政府や東電の発表を信用したのが悪い、としか言えなくなるわけです。

だって、関係省庁や国策企業が口を拭って平気で嘘を垂れ流し、国民の被害なんぞ屁とも思わないのは、いつもの事なのですから。
まるでパラノイアみたいな事を言う、と思うかもしれませんが、水俣病は最近まで政府の科学クソ喰らなえ責任逃れ(後述)から裁判が続いていましたし、イタイイタイ病類似の公害で「因果関係が証明されていない」と逃げを打つのもいつもの光景です。阿賀野川へのCd流出なんて、90年代まで続いてたんですよ。周辺地域での障害発生率が有意に高くなっても、動物実験で証明されてないと逃げを打ったりね。

特に、今まで重金属汚染で繰り返されてきた「短期的には安全」「動物実験で因果関係が証明されない」という言い訳が、またぞろ繰り返されていることに注意が必要です。
急性症状はともかく、慢性症状は数十年単位の蓄積が原因となるので、マウスやウサギや犬なんかでは、そもそも病態を検証できないのです。作業員などをサンプルにしようとしても、証明されて補償をする羽目になるのを恐れる企業が、使い捨ての労働力を使って故意に状況を把握しないのはお約束。「原発ジプシー」は伊達じゃありません。

風評被害は気の毒だと思いますが、合理的に行動するならば、「安全」だと言われた現地の食物など口にできたものではないわけです。
となれば、水俣・神通川メソッドで、汚染食品の責任企業による買い上げと廃棄処分で行くしかないでしょうね。

あ、そうそう。さっきから政府と言っていますが、民主党がどうこう、原子力保安院がどうこうと言う話ではない所に問題の中心があります。何かあった時、官僚機構は各機関が自発的に自分/部署の責任を逃れるための隠蔽に走り、「責任を逃れの責任者すらいない」状態に陥ります。連合軍進駐前に、焼かれた書類で東京の空が黒く染まった、と言うアレです。
そんな昔の、と言われるかもしれませんが、水俣も被爆認定も極めて現代的な問題で、まるで変わっちゃいません。厚労省で会う人間会う人間、口を揃えて「薬害エイズはうちが特別悪かった訳じゃない」「我々は一所懸命やっていた」とほざいていたのを、忘れていませんよ。それが、ほんの十年足らず前です。

だから、民主党と自民党の違いは、後者のままなら過去の責任逃れのために責任者の追求が中途半端になる一方、前者なら能力不足で責任者を追えない、と言う程度の違いかと。出力結果は変わりませんね。

まあ、災害は天罰で原発は安全だから推進とか言うぼけ老人を当選させる国民ですから、その程度の政府でお似合いという物でしょう。この状況なのに、福井等の原発立地自治体で、原発推進してきた知事がそのまま当選しちゃうんですよ。張作霖爆殺から2.26まで色々あったあげく、粛軍のかけ声が焼け太りに結果したどこかの大帝国を思い出しますね。なんて素晴らしい国民でしょう。

勿論、国民ってのは、知識をまるで活かせなかった私のような能なしも当然含めての話です。
「危険性なんて知ってたよ」と、この状況を嘲笑する人間は、知らなかった(知ろうとしなかった)人間より数段罪深いのです。結局両者は、リスクを知っていようが居まいが、同じ場所にチップをかけ続けていたわけですから。



医学者は公害事件で何をしてきたのか
医学者は公害事件で何をしてきたのか

↑どうやって「専門家」の見解が作り出され、「科学」の衣を纏った責任逃れが組み立てられてきたか、という反吐が出るほど「現実」の話。正に今この時に読まれるべき一冊なんですが、何ですか、このプレミア価格は?
私が発売一年くらいで買った時には、マーケットプレイスに千円程度の出品が滞留してたはずなんですが……
本当に唖然とする内容なので、お近くの図書館に入っているなら、是非読んでみることをお勧めします。

一例:水俣病で国から「専門家」として招聘され、患者認定基準を作った医者は、有機水銀中毒の専門家でも何でもなかった。しかし彼らは、海外からその冒涜的な基準(WHOクソ喰らえな科学でも何でもない内容)を突っ込まれることはない。なぜなら、そもそも英語で論文を書いていないから。



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2011年04月15日

渋谷区長選と世田谷区長選 必ず投票に!


なにぶん地方のことで情報感度(アンテナ)が低くなっていましたが、表題の選挙がとても重要な事になっています。

たるい良和オフィシャルウェブサイト
世田谷区長選挙に挑む記者会見報告(保坂のぶとのどこどこ日記)

全く票にならないにもかかわらず、おかしい物をおかしいと言って表現規制に反対してきた元国会議員のお二人が、出馬しているのです。
どちらも、票にならない活動を優先したために落選してしまった人です。我々の味方をしてくれたのに報いることのできなかった、そう言う人達です。

これは、単に恩返しなどと言う話ではありません。国レベルで止まった表現規制は、東京都という地方で暴走しました。ですがが裏を返せば、もっと「地方」である区単位で、巻き返せる可能性が出てきたと言うことです。

正にその渋谷区のことですが、教科書に必ず載る有名な最高裁判例を無視した行政処分が、今でも行われていたりします。(冗談ではなく、全く同じやり口。しかも、担当者が自慢げに新聞で「住民の要望に応えた」と胸を張るおまけ付き)
これは全くもって誉められた話ではないのですが、それだけのことをする・やってしまえる実質的な力が、地方自治体にはあるのです。
そしてその力を預けるのに、味方とそうでない人間どちらが相応しいかは、言うまでもないでしょう。

そもそも区長選などと言う、言ってはなんですが注目度の低い選挙では、極めて少数の票が勝敗を左右します。特に世田谷区など、7人もの候補者が入り乱れており、少数派のオタク票でも、有効に機能する可能性は高くなるのです。

なお、ここでは表現規制以外の政策には触れません。ただ、その主張が表現規制以外の面では対極(端的に言うと、大きな政府と小さな政府)と言うところに、表現規制への反対が、つまらない左右の問題などではないことを、感じ取って頂ければと思います。


投票日は、渋谷区世田谷区ともに、平成23年4月24日(日)。
勿論、事前投票も使えますから、選挙権のある方は忘れず投票して下さい。
規制反対派に投票し続ける事は、最も簡単にできて、最も有効な反対運動です。


この忌々しい現実世界は、「あきらめたらそこで試合終了」には、残念ながらなってくれません。
試合は一方的に続行され、ゴールもルールもなくバスケのはずがドッヂボールになって死ぬまで苛まれるのがオチです。どうか、殴り返す機会は、逃さず利用していきましょう。



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Posted by snow-wind at 00:00Comments(3)社会

2011年04月10日

ハイハイ、予想どおり予想どおり/都知事選


祝!魔法少女まどか☆マギカ放映日決定!


……良いでしょ、現実逃避したって。
明るい話題に目の焦点合わせないと、やってられないじゃないですか。

アニメよりもタチの悪い現実では、一足先に「痴呆症状 都知事☆シンタロ」の第四回都知事選最終話が放映されたわけです。で、表題のとおり、書くのも馬鹿馬鹿しい鉄板展開で、目出度くバッドエンド(我々一部の視聴者にとって)となったわけです。

投票率は前回からやや増えたようですが、不在者投票の充実(おかげで私も投票できました)を考えると実質横ばい。当然展開は変わりません。3回ループして倒す糸口も掴ませない恐ろしさ。

でまあ、もはや選挙について書くことはありません。オタク票と言うのが現実的な数値として≒0なのは、これまでの選挙から自明。もともと自公と一緒に与党だった都民主党は、独自候補を立てられずにブラック企業社長を支持する迷走ぶり。(お前等、支持基盤労働組合じゃなかったのかよ?)そして、約6割の有権者は、どんなキチガイが権力を握ろうが興味がない・選挙に行かない層。最初から何を行っても無駄に近いわけです。

こんなのを「選ばなくても済む可能性」を提示してくれる民主主義は素晴らしいなあ、と呟いても、可能性はあくまで可能性。目の前の開封済箱の中身は死体で変わらず。「次行ってみよう!」と言いたくても、この上4年間の刑期延長は、各種コンテンツ産業の獄中死に繋がりそうです。

もうこうなると、願うは彼が年齢相応に頓死してくれる事だけなんですが、いずれにしても救いのない話です。
さすがにあれよりひどい(諸々の偏見・劣悪な行政能力と、多くの支持を集める人格<?>の組み合わせ)のはそうそう出てこないと思うので、4年後に期待したいところですが……
でも、必死で侵略者を追い出したら、後に座ったのが毛沢東だった、みたいなブラックジョークも、歴史上には良く見られる皮肉なので、過度の期待は禁物というのもありますが。

はぁ……



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Posted by snow-wind at 23:15Comments(0)社会

2011年04月05日

経済的には、むしろマイナスかも知れない支援の話

震災転じて原発災害の終わりに目処も立たない10年以上遅れた世紀末、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

災害に対置される明るい・希望のある話題として、もの凄い額の義援金やボランティア・援助の話が引きも切りません。しかし、凄く疑問に思っていることがあります。
つまり、それって本当に意味があることなんでしょうか?

別に、援助している人達や義援金を送る人達の善意を否定するつもりはありません。しかし、経済システムは、しばしば個人の善意や倫理などと全く無縁のところで、良い効果や悪い効果をばらまきます。

そもそもなぜこう言う疑問が生じたかは、阪神大震災が一段落したあとに報道された諸々が念頭にあるからなのですが、それは後述。


まず、「援助」と言う物が、プラスになる側面から見てみましょう。
外国からの援助は、間違いなく有効です。それは、国内への財の流入に他なりません。
続いて、政府の手が回らない小規模・機動的な活動において、NGOは有効であるため、そこへの寄付は有効です。日赤にせよ他のNGOにせよ、金がなければ何もできません。そして、そう言った機動的な組織に何より必要なのは、すぐにでも動かせる現金です。

あとは、そもそも金が余っている金持ちが寄付をする場合で、塩漬け資金が市場に回るのでこんなありがたい話はありません。


しかし、多くの義援金や一部のボランティアについては、そうではないはずなのです。

まず、義援金です。
復興フェイズにおいて、資金は最終的には国から支出されます。個人・企業・地方自治体が賄いきれないコストは、最終的には税金で補填されると言う事です。
これがどう言う意味を持つかと言えば、個人の寄付=義援金で足りない分が税金から充当される、と言う事です。
つまり国民全体で見た場合、復興に支出される金額の合計は変わりません。

そして、税金による場合と個人の寄付による場合では、大きな違いがあります。それは、平等性です。所得や利益によって負担を平準化されて課される税金と違い、寄付は善意によるからです。
勘違いしないで欲しいのは、不平等だから悪い!と言うわけではない点です。寄付は自分の意志で行っているのですから、文句を言う筋合いはありません。
何が問題かと言えば、それによる消費の減少と経済への影響です。先ほど指摘したように、寄付をするのと税金を納めるのは最終的には同じ事になります。マクロで見た場合、義援金の支出は増税よりも消費に大きな影響を与えてしまいます。(低所得層の税納付/寄付は、支出の減少に直結するため)
例えば、10万円寄付して他の支出がいつもどおりに行くかと言えば、そんな事はないわけです。結局その寄付は、飲食店や服屋やゲーム屋やパチンコ屋の「あるはずだった」収入に他ならず、二次災害を広げることになります。

これは、支援物資や資金を無償支出する企業にも言えます。広告費で元を取れると言う計算は別として、本来特需で潤い復興の牽引役となるはずの無傷の企業が物を無償で提供してしまっては、回るものも回らなくなります。企業は企業らしく、特需で儲かった金を社員に還元し、または新規採用を増やして雇用の受け皿になってくれた方が、利益を寄付するより社会にプラスになるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう?

特に義援金で問題になるのは、それが実際に市場で支出されるまで、タイムラグがあることです。
阪神大震災の際、全国から多額の義援金が集まりました。しかし、復興段階になってこの義援金の使い道が問題になりました。結局被災者に配ったり新生活の貸し付け原資となったりしたようですが、それは結局、寄付した人から被災者への所得移転に半年以上かかったと言う事です。復興フェイズに入るまで使えないのは同じ事なので、これなら必要な時(年度)に必要なだけ徴集される税金の方が遙かにマシと言う事になります。
上の例で上げたように、今月入るはずだった売上が半年後になれば、小売店もサービス業も吹っ飛びます。


二つめのボランティア・援助についてですが、これもだいぶ歪な事態が生まれています。
ボランティアが災害時に有効なのは、一々人を雇って金を払って…… と言う手続きをする暇がないからです。特に、とにかくがれきをどかすとか、被災者の世話をするとか言った人海戦術の場合が顕著です。
しかし、そうでない限り、金を払って人を雇うのが当然で、それは復興の礎ともなります。金が動きますから。
ところが、国をはじめ自治体などで、専門職をボランティアで募集しているという現状があります。

避難所で援助に当たる医師・看護師。遺体を回収する消防団・死体検案書を書く検死員(医師)、薬品不足が深刻な被災地に出向く薬剤師。こう言った専門職に金を払わず、ボランティアでやってくれと言うのは、完全に意味が違ってきます。
彼らは専門職で他に仕事を持っており、そこに穴を開けて参加します。参加する事自体が賞賛に値する状況(当たり前ですが、労働環境は劣悪です)で、ただで働けとはどう言うことか?
当然ですが、災害派遣されている警察官・自衛官・自治体職員(地元役場が壊滅している場合行政経験のある職員が必要なので、多くの自治体が相互援助協定を結んでいます)は、全員給与と手当(昨今批判を受けて雀の涙ですが……)を貰って働いています。国の事業に、状況に対応するのに必要な仕事であり人材なのですから、当たり前です。

予算執行が困難と言う事かもしれませんが、それは後払いでも構わないはずです。ただ働きになる理由がありません。
公共団体や半公共団体を通じて募集どころか人員割り当てまでしておいて無給とは、どこの国民義勇兵かと思ってしまいます。あるいは、独ソ戦の赤軍。

これって、山で遭難して救助を呼んで、金がかかると解ってぶち切れる人間と、どこが違うのでしょうか?人を助けるのには金がかかり、その負担を平準化するために、国家や自治体という保険システムが運営されています。なのにこう言った事が横行しているのは、正に「現場に負担を押しつける」組織的問題の象徴ではないでしょうか?

どうも、「人助けだから」と言う理屈が横行しているみたいですが、そう言う問題じゃないんですよ。
例えば、仮設住宅と言うのはこう言う時でないと作られないわけですが、その供給で儲けつつある企業を非難する馬鹿は、(普通)いないわけです。それで非難されて「被災者のためなんだからただで出せ」とか言われてたら、そもそも生産ラインや研究すらもされません。


とにかく、現状を戦時体制か何かと勘違いしている人もいるみたいで困ってしまうのですが、戦時体制は基本的に非効率な体制で、戦争遂行という歪な目的以外には全く役に立たないという点を思い出して欲しい物です。
動員令なんかかけたら経済が崩壊する、と言う経済界の利己的な圧力は、下手な平和運動より余程平和に寄与して来た、と言うのは普通に指摘されることですし。

繰り返しますが、私は寄付や支援をする人を批判するつもりはないし、むしろ凄く立派だと思います。ですが、経済的に見た場合、それは必ずしも最適手ではないのではないか、と思わざるを得ないだけで。
経済的に考えるならば、被災地以外は、花見でも災害映画でも不謹慎ゲームでもバンバン消費して金を使い、経済を加速させた方が遙かに有効のはずです。復興に金がかかるという点でも、大量の被災者=失業者の受け皿となるべき雇用の創出という点でも。

「金を使わず浮いた分を寄付」と言う行動は、倫理的には賞賛されても経済的には自爆テロになりかねないのではないか。そう言う事です。


ヤバい経済学 [増補改訂版]
ヤバい経済学 [増補改訂版]

↑人間の行動の動機ともたらされる結果は、しばしば相反します。この本は、それを非常に巧みなエピソード選択で見せてくれるエキサイティングな内容。アメリカの犯罪が90年代に激減した理由の説明に、唖然とすると同時に納得してしまう恐ろしさ。
なお、原題は「freakonomics」。直訳すると怪物経済学で、free economics のもじり。良いセンスしてますが、邦題はかなり残念。



  
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Posted by snow-wind at 22:00Comments(2)社会

2011年03月26日

原発問題について

原発報道については、当初電力不足以外の点では、割と冷めた目で見ていました。
実際問題マイクロシーベルト単位では一生そのままでも問題はまず起きてこないし、停止自体ができていれば、極端に大きな問題にはならないと思っていたからです。絶対防衛ラインであるECCSがあんな簡単に止まったのは、大問題ってレベルじゃないだろうと思いましたが、あの時点では「一つ間違ったら大惨事だったが、今回は良い教訓」と言う見方でしたし。

まあ、念のため、一報直後にヨウ化カリウム内服薬が手に入るか調べてみたりはしましたが。ちなみに、メーカー直送になるので時間がかかると解り、諦めました。あの時注文を出しておけば、転売で儲けられたか……

ところが、発表・報道の「冷静に対応して下さい」が、途中から明らかにおかしな方向に変わってきました。

特に問題なのは、原発の被害が当初の予想以上に酷かったという点です。

この点に関して、東電とそれをオウム返しするしか脳のない政府・マスコミは「想定外の事態」だと繰り返しています。新聞記事でもテレビでも「飛行機が激突するのと同様に、このような可能性の低い事態は想定に入れていない」と言うフレーズを、目/耳にした方も多いかと。

しかし、これは嘘です。この災害は、「可能性の低い」ものではありません。
何も、難しいことを言うつもりはありません。極めて単純な確率計算です。

M9クラスの地震が1000年に一度の災害だ、と言う想定を受け容れるとします。
しかし、原発の運転期間を40年と仮定すれば、これの遭遇率は4%(※)も存在します。勿論特定一基の原発に被害をもたらす場所で発生するとは限りませんが、原発は日本中の海岸にあるので、発生したら「どこかの」原発が影響圏内と考えるのが当然です。

※ 3/30追記
何故かアップ時は、「2.5%」と書かれていました。どんな算数だ……
多分、4%と1/25が混ざったのでしょう。お恥ずかしい限りです。


10mを越える津波も、数十年に一回の割で発生しています。福島に隣接する三陸地方ほどではないにせよ、この弧状列島に津波フリーの海岸など存在しません。

と言うか、「想定外」と言う言葉が免罪符になると思っているのだとしたら、ちょっと待てとしか言いようがありません。確率が極めて低い事象が発生した(巨大隕石が原発を直撃するとか)ならともかく、今回の場合は単に「リスク管理が杜撰で、想定すべき物を想定していなかった」というだけですよね?
これを、問題の矮小化と言わずしてどうするのか?原発政策を続けるとしても、膿を出し切って体制を一新する必要があるのは間違いないでしょう。最低でも、安全基準を作った官僚と御用学者どもを、法的に血祭りに上げて、干されてきた人材を後任に据えるのは絶対ですね。


あとは、「微量」「すぐに影響はない」という部分。確かにほうれん草や牛乳”単品”なら、恒常的にあの数値でもそこまで大きな問題にはなりません。しかし、ほうれん草が汚染されているなら他の物にも汚染は出るし、水や土壌に至っては言わずもがなです。さらに海洋汚染では、生物濃縮という問題が特に大きくなります。つい先日水俣訴訟が決着したばかりなのに、思いつかなかったとは言わせません。
また、問題はこの状況が短く見積もっても数ヶ月続くと言う事なのに、「ただちに」危険が出ないと言うことに何の意味があるのか?圧力容器はまだ無事だと思うんですが細管はズタズタで、冷却水は漏れ続け、被害をまき散らし続ける。

つまり、発表されている内容は嘘ではないし、大慌てで逃げるような状況でない(原発近郊を除いて)のは間違いないが、明らかにリスクを低く見せるために誤魔化しを行っている状態です。QBさんほど外道な詐欺ではないですが、未確認戦果まで全部合算して空母19隻撃沈とか叫んだ大本営発表と、本質的には変わらないんじゃないかと。

パニックを恐れているのかもしれませんが、こう言う場合「最悪の想定」を先に言っておいて、その後「そこまで行っていない」「○○は上手くいった」と言う風に発表していった方が、傷は浅くなります。想定にびびって疎開する人間がいるなら、どんどんそうして貰えば良いんです。関東の電力消費が落ちるし、どうせ会社も工場もしばらく稼働率が落ちるんですから。疎開先で金を使ってもらった方が、関東で引きこもって震えてるより余程良い。数ヶ月なら、長目のバカンスみたいなもんです。


それにしても、なんで民主党政権が、「想定外」と言う東電・保安院の言い訳を擁護してるんですかねえ?少なくとも旧社会党(民主党の母体の半分)は、原発の安全基準が骨抜きになっているのを、散々批判していたと記憶しているんですが……
あれだけ批判していた情報収集衛星の役立たずぶりをここで暴かない(機密と言い張って、導入時に予定していた災害利用すら拒否している)事といい、今次政権交代の結末について、色々思わずには居られません。しないよりマシだったのは、確かなんですが……(一時的にせよ、止まってくれたやばい法案が複数あるので)


隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
↑やっぱり、このタイミングだと売り切れてますね。著者は、専門家として原発反対の立場を取っている珍しい人。「買ってはいけない」みたいなアレ系書籍が乱舞する類書の中では、圧倒的にまともな一品なので、図書館ででもどうぞ。




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Posted by snow-wind at 18:00Comments(1)社会

2011年03月06日

日本人は、マゾじゃなくてサドなんじゃないの?


本エントリーは、ニートの海外就職日記さんの最新記事記事に触発されて書きました。

結論は、「結局、みんな痛みなんか好きじゃないんだよ」、「好きなのは、痛いふりして痛がってない奴を叩く事なんだよ」で。



ずっと、不思議だったことがあります。
「痛みを伴う改革」と言う、信じられないキャッチフレーズ(だって、「お前らの負担増やします」って意味ですよ?)を絶賛した日本人が、どうして消費税にはあれだけ反発するのか?

小泉だから/管だからと言うのは、あまり意味がありません。消費税への言及は、竹下から細川まで平等に支持基盤をぶっ飛ばしてきましたし。

で、そこからつらつら考えていくと、多分「日本人はマゾ」と言う良く言われる言説が、ちょっと違うんじゃないかと思い始めたわけです。
多分、実際はこう言うこと何じゃないでしょうか?

つまり、「痛みに耐えている自分」を自慢したいだけであって、別に痛みが好きなわけじゃない、と言う事です。つまるところ、『実際に』痛みを受けるのは、「自分以外の誰か」であることが大前提なのです。

「自分より軽い痛みしか受けていない(と思う)のに、痛みを訴える者」を袋だたきにする体質も、これを良く表すでしょう。

まとめると、行動原理は二つ

1,自分の痛みは過大に見せかける
2,他人の痛みは指さして大喜びする

と言う事になるかと思います。
1は、2のためと言って良いでしょう。
2を正当化するために、「俺はもっと苦労している」と言いたい。そこで、1の出番です。
勿論その前提には、「痛みに耐える」事を美徳とする、歪みきった社会認識があります。ですが、マゾヒストなんぞそんな多数のはずもなく、多くの国民は実際には痛みを受けずに「痛みに耐えている」と言う美徳を実行しているかのように見せたがります。経済学の基本ですね。同じ効用(社会的賞賛)を得るのに、より小さいコストで済ませたいのは当然です。

と言うわけで、「痛みを伴う政策」は、象徴として歓迎されます。他人が痛みを受けるのはとても有り難く、しかしそれが自分には副次的にしか降りかかってこない(と思っている)からです。
ポイントは、「自慢できる程度の自分の痛み」と「指差して笑えるほど大きな他人の痛み」がセットになっているところです。

具体的に言うと、以下のように思ってもらえれば政策策定側は勝利です。
つまり、主に給付を削られるのは過大に受け取っていた不届き者ですし、税金を取られるのは不正に逃れていた奴ですし、規制されるのは一部の行きすぎた表現だけで、勿論治安維持法は共産主義者にしか適用されません。


消費税がよろしくないのは、まず「どう見ても『痛み』が、ダイレクトに自分に来る」というのが、まず一点。普通は「痛みを伴う」などと言われても、大多数の人間はその具体像を描いて居ませんし、描いて居ても「大したことないし、痛みを主に受けるのは自分以外の連中」だと思っています。と言うか、そう思わせるのはプロパガンダの基本戦術です。「戦争のために支払う代償」と言うのを、精々戦時国債を買うことになる程度(しかも、戦後利子付きで戻ってくるのが前提で)と思わせるように。

もう一点重要なのは、「全員平等に」それがかかってしまう点です。
上で書いたのは、痛みが『自分に』来ると言う点でしたが、こちらは『自分以外にも』『平等に』降りかかってしまうのがよろしくない。「私、今度の増税でこんなに負担したんですの」と言う、マゾを装う自慢話ができないじゃないですか!それは、あまりに筋がよろしくない。

従って、消費税を上げようとするならば、前々から言われている生活必需品の免税等を組み合わせ、「痛みもあるが、主たる負担は負担できる者」みたいな形で攻めねばならなかったはずです。
あるいは、増税をするなら、高所得層の税率大幅増と、低所得層の控除減を組み合わせて、みんなが「痛みに耐えた」と言える形を整えてやるか。

え、国民馬鹿にしすぎでしょうって?実際問題そうなんだから、仕方ないじゃないですか。都知事選の出馬メンツを見て、国民が馬鹿にされてないと思うなら、それこそ馬鹿の証明だと思います。
あ、「減税日本」とか言う、開いた口がふさがらないレベルの馬鹿集団もそうですが。でも、あれがもし伸びるようなら、日本人の痛み自慢癖も、少しはマシになってきてると言えますかね?
ま、あんな連中当選させたところは、地獄へまっしぐらでしょうが。減税=行政サービスと規制の低下ですから。基本的に、ある政策を重視するかどうかはかけた金で計ることが可能で、金をかけない=やる気がないです。口先の公約なんか無視して、政権担当中の支出推移見るのが一番早い。この辺は、その内ちゃんとエントリーにしたいところですが……

閑話休題、基本的に地方自治体の中では圧倒的に「痛み」が足りていない(=豊かな)東京の場合、公約に上記のような「痛み」を盛り込むことができれば、一気に躍進できる可能性があるんじゃないかと思います。手始めに、老人パスや都立病院の更なる削減とか、いいんじゃないですかね?あとは、外郭団体の付け替え?結果はろくな事にならないでしょうけど、どうせみんな、そんな事気にしちゃいないでしょ?石原が4期も勤められるくらいだし!



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(2)社会

2011年02月17日

最悪の焼け太り 検察の「一部」可視化実施へ

公安警察の手口 (ちくま新書)
公安警察の手口 (ちくま新書)
↑元々警察ってのは、放っておけば暴走するもの。そこに以下に手綱をつけるかが、近代社会の苦悩という奴です。"Who watches the watchmen?"


特捜事件の一部可視化、4月から試行 3検事長ら17日に最終協議(産経)


警察の可視化を目指した改革は、おぞましい着地点へと導かれつつあります。
強調しますが、形容詞は「恐ろしい」でも「怖い」でもない、「おぞましい」です。

「一部」と言うのは、何の意味もないどころか、警察・検察に正当化の口実を与える最低の改悪案です。
警察の何が問題か?それは、密室での捜査であり、密室での取り調べであり、密室での書類処理です。

これがあるからこそ、彼らは好きなように証拠を捏造し、自白を強要し、身内の犯罪を隠蔽できるのです。
実際、小は職務質問で引っかけた人間を「任意」にしょっ引いて「協力」によって財産を破棄させ、大は「証拠の残らない」脅迫と詐欺で調書と言う名の作文に署名させ(最悪の場合、無理矢理手を掴んで拇印を押させる)、あげくは裁判所が問題有りを認めた捜査過程(=違法捜査)を「嫌疑無し」としてそのまま葬ったりするわけです。
警察行政がこんな有様である限り、この国は法の支配する国どころか、法治国家ですらありません。

だからこそ、捜査の「全面」可視化が必要なのです。
捜査の全過程を記録し、それに中断・無記録部分があれば、「そこで何かやったに違いない」と解釈して証拠採用を見送る性悪説運用が、です。それでも取り調べ室外での違法行為を防ぐのは難しいでしょうが、そうなったらそれこそ署内や警察車両内にもカメラを入れれば良いだけです。
やり過ぎと思われるかもしれませんが、これは武器庫にカメラをつけるのと変わりません。警察・検察というのは、常に国民の自由を大幅に制限できる巨大な権限という、抜き身の武器を携帯している職業なのですから。
勿論、そもそも警察が人権を守らないのは警察官の人権が守られていないという部分も非常に大きいので、労働の適正化も合わせて必要ですが。訳の分からないノルマ制とかね。

一方、「一部可視化」と言うのは、「全面可視化」の部分集合ではありません。記事中にあるように、調書を読み上げる所だけ撮ればいいのです。それまで、脅そうが暴力を振るおうが騙そうが、全然関係ありません。単に、読み上げて「解ったな?」「はい」と言わせれば良いだけで、しかも何度でもやり直しができます。
そう。「その場面」しか望まれない以上、「その場面」で欲しい絵が撮れるまで繰り返せばいいのですから。典型的には、直前に「今からこれ読み上げるから、とりあえずハイって言って署名しろ。そうしたら家に帰れるし、どうせ裁判にはならんから」とか言うパターンね。「騙される方が悪い」という人も居ますけど、十時間以上監禁されて人格全否定されてづけて、抵抗できる人間はむしろ一般人じゃないですよ。
表情に生気がないとか、明らかに棒読みとか、そう言う場合は容赦なくリテイクさせるでしょうしね。そして、裁判で「こんなにはっきり読み上げて、本人もきちんと理解して署名しています。今になって供述を翻すなど、信じられない!」とか言えばいいわけです。単に、警察・検察に有利な証拠を一個、好きなように作る機会を与えているだけ。無意味を通り越して有害、の意味を理解して頂けると思います。


と言うわけで、最近失望続きで政治関連エントリーを書いていなかった理由ともつながるのですが、一言言いたい。

「いい加減にしろ、民主党!」

あなた達は、野党時代に全面可視化法案を出しました。この件に関して必要だったのは、それを再提出するだけの「誰にでもできる簡単なお仕事」です。財源?必要な事務処理?
そんなもの、法案通してからで良いんですよ。赤字国債で良いんですよ。一年くらいの猶予期間おいて、専門部会で「実施のための詰め」だけさせておけば良かったんです。それを、なぜか引き延ばし、あまつさえ一部可視化などと言う逆転劇を演じさせてみせる。
小沢排除と引き替えに骨抜きにすることを約束した、と言う陰謀論も一概に否定できませんよね。だって、陰謀じゃなかったら、執行部は馬鹿で無能ってことになりますから。さて、どっちがマシなのやら……

そして、最悪なのは、次の政権交代で自公に戻った場合、この件は一切進展する余地をなくすと言う事。江田法相、あなたが就任時にのたまった事が口先だけの誤魔化しでないなら、一言「そんなお為ごかしで国民は納得しない」と言って、舵を切って下さい。まあ、可視化法案の一年間放置宣言が出る状況じゃ、絶望的ですが。

二大政党両方への絶望は、国民が取り得る「政治的行動」を、少数政党への無意味な投票か、違法な実力行使かの二択へと追い込んでしまいます。それがつまり、100年前のロシアや80年前のドイツで起きたことです。

「おぼえておけ、これが戦前の空気だ」と言うブラックジョークが、笑えないとしてもジョークのままあってくれる世界でありますように。

いや本当、歪な警察国家化と国民の民主主義への絶望・急進化って、セットで運用すると何でも起きますんでね。政治におかれましては、制度化された革命って言う選挙の意味をちゃんと把握した上で、行動していただきたいもんです。安全弁なんですから。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(1)社会

2011年01月23日

BBCが二重被爆者を、別に「嘲笑」していない件

巷で話題のニュースです。

二重被爆者を笑いの種に 日本大使館、BBCに抗議
二重被爆者の不適切放送で謝罪 BBCと制作会社
(共に時事通信)

最初ニュースを聞いた時は「イギリスらしいなあ」とか思っていたのですが、確認したらほとんどブラックジョークですら無かった件。
実際の放送は、BBCなのでYOUTUBEにアップされています。↓




http://blog.goo.ne.jp/mithrandir9/e/5d8249376ac2592288a873dcbf11e412
↑に訳出と解説がありますが、一回は元の動画を参照することを勧めます。たかが数分だし。


被爆者を「嘲笑」したと取れる部分は、当該動画の1:30付近。
司会者が、「電車は原爆が落ちた直後も動いていた」と言う点を強調(イギリスおなじみの旧国鉄ジョーク)した後、手の平をポンと置いて"bombed again"(また原爆喰らっちゃったんだ)と言っています。で、会場からは笑い声。

あとは、その直前、広島で爆撃されたと言う事を示した後、ゲストが「で、長崎の病院に入院したとか?」と茶々を入れた部分ですかね。これは、流れとして当然ですが、司会者にはスルーされてます。

確かにこの部分は不謹慎です。でも、私も見ていて笑っちゃいましたし、むしろ笑うしか無いんじゃないかと思います。

「二度も被爆した」けど同時に「長生きした」から「それほど不運でもない」「凄く幸運とも言える」は、正にそのとおりじゃないんですかね?日航機事故の生存者とか、ホロコーストの生存者とか、良くそう言う風に紹介されるわけですし。
「それほど不運でない」(not that unlucky)と言う言い方は日本語だと引っかかるんですが、別の所では普通にluckyと言ってますし、ニュアンスの違いは無いのかもしれません。

それ以前に、「運の問題じゃない」とか怒る関係者は、まあ関係者なので仕方ないとしても、実際問題運不運の問題ですよね…… 通り魔に遭うのが「不運」であるのと同様。

それと、上記の部分では笑いが起きてますが、説明が続くにつれ会場は静まりかえり、むしろ沈痛な雰囲気が出てきます。

特に、彼が公式には(officialy)二重被爆と認められていなかった、と言う部分もしっかり言及されている点は注目。
ここ、実は凄く重要だと思うんですよ。日本人なら、その事の意味は解りますよね?例の、意図的に対象者を少なくするための原爆症認定の話ですよ。勿論、イギリス人にはそんな事は解らないでしょうが、私はここに日本政府に対する皮肉を読み取りました。

そして、その皮肉を受けておいて、なんで外務省抗議してるの?恥ずかしくないの?彼を公式には認めず、被爆者手帳への記載を拒否して来たのは、BBCじゃなくて日本政府ですよ。
これが「嘲笑」なら、事もあろうに平和記念式典で核抑止力がどうこうとか口走っちゃった、首相閣下はどうなるんでしょうね?


で、その後は旧国鉄を腐すブリティッシュジョークに移っていき、この話題は終了。

少なくとも、「嘲笑」とか「笑いもの」とか言う風には、私には見えませんでした。不謹慎と言えば間違いなく不謹慎でしょうが、毎年8月中盤だけ一本調子でお涙頂戴の番組を一丁上げて、後は全部忘れている日本のマスコミより、健全なんじゃないかと思うんですよ。
少なくとも、叩いたり叩かれたりの言論活動が行われてるわけですから。正に言論の自由。イギリス自体は、市民生活が順調にファッショ化中だけど……

レイプレイ事件の時にも言いましたけど、全ての人間の反応に「配慮」して表現内容を決めるべきだというなら、イスラム圏に配慮して「神」の扱いから飲酒描写まで自主規制しますか?ヒンドゥー圏に配慮して、牛肉料理の番組は放送中止にしますか?
不快に感じた関係者が抗議するのは当然だと思いますけど、外務省がしゃしゃり出てくるのは、あんまり健全な話ではないでしょうね。

あ、共同通信のこの記事が最初みたいです。
つまり、外務省がBBCに皮肉を言われて切れて、書簡で謝罪を求めるもシカト。頭に来て、マスコミに抗議したと言う事実を通達し、意図的に「炎上」させたという流れみたいですね。なんだ、いつものメディアコントロールじゃないですか。

実際、外務省の抗議は今月七日で、当然放送はそれより前。これまでスルーされてきたことからも、どこが火をつけたかは自明ですよね。拉致がらみで外務省の情報隠しが問題になってる情報源秘匿裁判の判決が近い事が関係あるのか、とも一瞬思いましたが、それはただの陰謀論なので割愛。
ただ、こう言うニュースは煽った側の動静も視野に入れつつ、眺めるべきじゃないかとは思います。


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2011年01月19日

まねきTVに、まさかの違法判決 ~いい加減にしろ最高裁~


番組のネット転送は「違法」=著作権侵害認める-テレビ局実質勝訴・最高裁(時事ドットコム)


感想:また最高裁か!

アメリカの連邦最高裁判所を「nine old men」(9人の爺ども)と呼ぶ、古式ゆかしい罵倒語がございます。
要するに、時代に対応できずに新しい国民の権利を制限するクソ野郎ども、と言う心温まる愛称ですね。違憲判決もランドマーク判決も共に出し、憲法の番人としてあれだけ機能している組織ですらそう呼ばれることに、日本人なら違和感を持つところですが。
それではさて、日本の最高裁はどう言うべきか?「15 too old fuckin' guys」とでも呼んでやるべきでしょうか?

今回の判決は、「客のテレビに設置した機器」から、「客自身のパソコン」に、テレビ放送を「リアルタイム」に「1対1」で送っていたサービスを、著作権侵害で潰した物です。これで「公衆送信」だそうですよ?
判決では、「契約は業者との関係を問わず結ばれており、利用者は不特定の『公衆』に当たる」とか、もの凄いことを言ってますね。「業者との関係を問」うて結ばれるサービス、ってよく解らないのですが、どう言うのを想定してるんでしょう?

これ、一審二審は普通に「いや、こんなもん『公衆送信』のわけないだろう」と言う判決だったんですが、まさか少数意見も付かないまま全会一致でつぶしに来るとは思いませんでした。表現の自由には徹底的に冷淡なくせに、表現を使って商売する既得権者の利益だけはガッチリガードする憲法と人権の番人様に、涙が止まりません。


で、痛切に皮肉ってやりたいのですが、知財高裁は、著作権ビジネス(笑)に携わるみなさんが、「専門技術的判断をきちんと下して欲しい」(意訳:俺等の利権守れや)と言って、設立をゴリ押ししたんでしたよね?その「専門技術的判断」を最高裁が少数意見もつけずにひっくり返し、拡大解釈甚だしい保守的な判決出しちゃってるんですが、非難声明はまだですか?


本当、何度も書きますけど、こんなサービスが脅威・利益逸失になるのは、権利者側が真っ当な競合サービス立ち上げない怠慢の結果でしかないんですよ。零細業者から量産効果もろくに効かない専用機器借りて設置するより、コンテンツホルダー自身がサービスやるほうが、遙かに廉価かつ便利な物を提供できるんですから。
それを、自分たちの既存の商売の枠組みを変えたくないという保守主義から、独占権を与えられた電波放送を囲い込み、技術の進歩を拒否してきたわけです。そもそも、地域別放送局許認可制自体が、下らないとしか言いようのない時代遅れの代物なわけですが。
それこそ、ネットなり衛星で処理しろよという話です。電波塔一個の建造費用で、通信衛星なら数機作れるわけで。

結局、こんな法律解釈のアクロバットを続けて既存産業を保護しても、誰も幸せにならないんですよ。レッシグが言っているとおりアメリカの司法がアホな農場主の「土地所有権ははるか上空まで及ぶ」と言う主張を認めていたら、航空産業は離陸前に壊滅して、20世紀の航空大国はイギリスかソ連になっていたかもしれないわけです。
勝訴してテレビ各社は万歳しているかもしれませんが、結局は「勝つべきでない戦闘に負け損なった」だけだろうと思います。インパール作戦で運良くコヒマを占領できていたとしても、その後の撤退戦はさらに悲惨になっただけだろうと言うような話ですね。

それにしても、この歪な「業界守って自由守らず」の状況は、一体いつまで続くのか…… 戦後ももう四捨五入で70年なんですが、いつまで大日本帝国憲法感覚で司法を運用するつもりなんでしょうかね。




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2011年01月07日

「平日にデートできる財務省」を撤回する事に象徴される諸々

「平日にデートできる財務省」撤回します 野田大臣訓示


関連エントリー:「民主党の迷走 彼らは選挙で勝ちたくないのか?」

こう言うアホな事は、ブラック企業の馬鹿社長が言う分には良いんですが、事もあろうに財務大臣に口にして欲しくない類の与太話です。


1,経済学的ツッコミ
現在の日本は、総需要が不足してるから不況なわけです。そこで、平日にデート(消費)など以ての外、とか言い出す「財務」大臣は要りません。
相対的に余裕の(霞ヶ関がマシな方というのが泣けます)ある公務員が消費をしないで、誰が金使うんですか?

2,財政的ツッコミ
デートもできないほどガンガン残業させれば、多額の時間外労働手当という物が発生するのですが、それは財政再建を国家の存続を越える至上命題とする(皮肉)財務省的に、アリなのでしょうか?
え、国家公務員は労基法の対象外だから、最初っから払ってねえよ!ですか?それは、さすがに堂々と公言するのはどうかと思いますよ。ヒトとして。って言うか、金も払わず無制限残業宣言で「とことん働いて欲しい」とか言われたら、私ならこのアホに職員証投げつけて民間に移りますね。
財務省に勤めるような高級官僚は、(特に一番の戦力となる若手~係長級なら)いくらでも転職のつてなんてあるんですよ?

3,選挙的ツッコミ
最後の拠り所であるはずの公務員組合すら、ぶっちぎる気なのでしょうか?
「こりゃ楽しい。どっちを向いても敵だらけだ!狙いつけなくても、弾撃ちゃ敵に当たるぜ!ウェーッハッハ!」みたいな事がやりたいんでしょうか?



可視化法案の一年間放置宣言と言い、民主は既に「改革しない事」「その言い訳を探すこと」(って言っても、「現実路線」ってお経のように唱えてるだけですが)にばかり、一所懸命なようにしか見えません。

もはや党内はグダグダで、誰が指揮してるのかも解らない末期戦状態とも聞こえてきますが、一体全体どうしてこうなっちゃったんでしょうね?
自民は自民で迷走が酷すぎるし、倒れるにしても残存兵力をまとめて、何らかの戦果を上げてからにしてもらいたいのですが……



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2010年12月30日

快哉を叫びたい 「自炊の森」問題について


「自炊の森」は、一言で言うと、店内で客にスキャン機材と裁断済本を貸し出すサービスです。

店側の言い分はこちら。
http://togetter.com/li/83973

で、小倉弁護士の一連のtweetを見るにつけ、少なくとも「真っ黒」とは間違っても言えない内容。
http://togetter.com/li/84045 ←一部まとめ

とりあえず、「作家に対するリスペクト」とか「モラルがない」とか、たわけたことを言っている連中は全部無視。
どう言うモラルをもつかは個々人の勝手ですが、それは法律と異なり、「他者」を束縛できません。いくらでも道徳的非難をすれば良いと思いますが、他人がそんな物につきあういわれはありません。石原が差別主義者であること自体は奴の自由ですが、法律にそれを体現させようとすると大問題、と言う先の条例問題と同様です。

で、私のスタンスは題名のとおり。「良くやった、もっとやれ」です。
なぜか?それは、出版側の「これが合法なら商売にならない」と言う言いぐさに体現されます。

このサービスは、出版社が安価で使いやすい電子書籍の普及に努めていれば、何の意味もない代物です。一冊100円以上かけてせっせと店に足を運んで漫画をスキャンするくらいなら、ほとんどの人間はもう少し高くてもワンクリックで購入できる方を選ぶでしょう。そして、後者は技術的に可能であり、最終的な普及は自明の方法です。つまるところ、「既存の商売は回らなくなる」事は、関係者・業界ぐるみで理解していることなのです。
しかし、その革新を進めるどころか、既得権益にしがみついて妨害を続けて来たのは、正に出版社なわけです。音楽のデジタルコピーを憎んで妨害を続けたあげく、アップルに利益をかっ攫われてユーザーの信頼も喪失した音楽業界と、何も変わりません。

そして出版社は、こう言う「合法サービス」が出てくれば、当然これに対抗する価格設定・利便性の電子書籍の普及で対抗するしか無くなります。これこそが、本来の競争原理であり、それによって促される技術進歩という物でしょう。

迎撃態勢を整えるのを怠ったのは他ならぬ業界なわけで、騎兵隊で戦車に突っ込む羽目になったとしてもそれは自業自得です。

店側も、法的な理論武装を行い、法廷闘争でやり合う気満々のようですし、是非とも最高裁まで争ってランドマーク判決を引き出していただきたい。
私も小倉弁護士と同様、このパターンは、録画TVよりも中古ゲーム裁判に近いと思います。中古ゲームと違って、市場が確立していない(=裁判で叩き潰しても社会的影響が少ない)というのが大きく異なるのですが、法解釈で細部を詰めて意地でも戦う主体に対しては「完全勝利」はありえません。戦い抜くだけでも金と時間と正当性(相手側の論理も喧伝されるので、「出版社の言ってることおかしくね?」と言う反応も多く出る)に犠牲が出ますから。

結構大きな資本がバックについているのではないか(あるいは、店主が金持ちで、私財を投じて既存秩序に喧嘩を売る気か)という話も出ていますし、トコトンまで殴り合って貰いたいところです。
最悪の帰着点は、出版社が裁判で完勝・勝った側は何も自己改革せず・ついでに法改正で私的複製の範囲制限でさらに酷い状況に…… と言ったところでしょうが、そこまで業界と司法に自浄作用がないなら、既刊の古本だけ読んで生きてけばいいや、という気にもなります。海外の作品は、海外産の端末で読めるわけですし。

勿論、そんな事にはならず、危機感を憶えた出版界が自己改革を進めて、電子書籍で復活してくれることを祈るわけですが。


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2010年12月16日

民主党の迷走 彼らは選挙で勝ちたくないのか?

反対論に嘲弄で応え、合理性も科学的事実も一切示さないまま、都条例は通過しました。
最後まで党の説得を続けてくれた民主の反対派議員さん達には、感謝します。しかし、民主党という党については、この件で弁護する気はわきません。自公よりマシというのはその通りなのですが、結局は党内の反対論を執行部がねじ伏せて可決したわけで、裏切り者と呼ばれても当然でしょう。

事ここに至って嘆かざるを得ないのは、民主党という党の、情けないまでの「政治的センス」の無さです。

まず、結論を書きます。
1,民主党政権の存在価値は「自公と違う」事なのに、政権奪取後全く話になってませんよね。
2,そもそも、ちゃんと票読みして政策決めてるんですか?


あ、先に言っておきますが、政権交代が間違いだったなどという気は毛頭ありません。児ポ法の改正だけはありがたい事に止まっていますし、それでも自公継続よりマシだったのは確かだと信じています。(例えば、止まったままの各種改革も、自公政権ではそもそも俎上に上りようがなかったわけですし)

閑話休題、彼らは自分たちに与えられた得票が何に基づいていたか、全く理解していないとしか思えません。
一言で言うならば、国民は民主党政権に「合理的な政権担当能力」など、最初から期待していませんでした。何より重要だったのは、「自公ではない」政権であり、「自公の負の遺産」(とされたもの)を排撃してくれる存在だったのです。

従って、八ツ場ダムにせよ普天間にせよ、「その政策の合理性」など、ほとんどの国民は気にしていなかったのです。政権獲得後、その「検証」など始める時点で、決定的に間違っています。


例えば、小泉政権の目玉は郵政民営化だったわけですが、彼は散々指摘された弊害は歯牙にもかけませんでした。
これをポピュリズムというのはたやすいですが、「国民が」選挙でYESと言った政策に対し、官僚や(その公約を奉じていたはずの)議員がNOと言って差し止めるなら、国民の怒りの矛先がどこに向かうかは自明です。逆方向から言えば、目玉となった政策を維持する限り、国民は政権を見捨てません。

ちなみに、公約・マニフェストの細かい内容など誰も憶えていないのですから、問題となるのは目玉政策・クローズアップされた政策のみです。そして、「注目を集めた」施策で撤退すると言う事は、そのまま支持者への裏切りに他なりません。

つまり、民主党は、完全に民主主義を甘く見ていたとしか思えないのです。


政策に必要な財源なんて、マニフェストに書いていなかった方法で集めれば良いんですよ。事もあろうに、自民党の政策で二十年来最も憎まれていた「消費税」に言及するとか、馬鹿なことをしない限り。
「国民が支持してくれた政策のためには当然痛みが伴う」とか言っておけば問題無いですし、「約束したことを果たすための追加コスト」であれば、ほとんどの場合受け容れられます。あるいは、「自公時代に優遇されていた高所得層に負担していただく」とでも言って、法人税や所得税増税で捻出すれば、さらに得点アップでしょう。

繰り返しますが、政権奪取時の民主党の支持者とは、「自公と違うこと」を期待した国民であり、ほとんどはそれ以上ではありません。一番避けねばならないのは「自公と同じ」と見られる政策で、その他は全て二義的です。

今回の都条例にしても、なぜ少数派の自民党を支持基盤とする石原が出してきた新規条例を、通してやらねばならないのか?
議論が存在しないならともかく、あれだけ大きな(特に出版社や各種人権団体)反対がある中、賛成する意味がどこにあるのか?
賛成することで得られるポイントは、はっきり言ってゼロです。最初から完全賛成でまとまっている自公に対し、後からグチャグチャ議論した後賛成に回った民主に、規制派がおもねる理由はありません。
翻って、反対することで失われる物はほとんど無く、逆に「表現の自由を重視する民主党」のイメージを強化できます。はっきり言って、ガチガチの保守(と言ったら保守に失礼なくらい老害極まる状況ですが)である石原が、偏見丸出しのいつもの調子で出してきた条例に譲歩しても、旧来の支持層に眉をひそめられるだけでしょう。前回の選挙で、表現規制反対派以上に、規制派は集票力が無い事が露呈しています。だとしたら、今回出版社(地場産業)と弁護士会・ペンクラブ等に同調しない理由は無い。
正直、都民主党執行部に対しては「こいつ等、この程度の計算も出来ないのか」と、大いに失望しました。あれでは、根っこのところで石原と価値観を同じくしていると見られても、仕方ないでしょう。


別に共産や公明に限らず、マイノリティに味方する政策は、過去いくらでも出てきています。不完全極まるとはいえ、戦前とは比べものにならない各種福祉政策を整備してきたのは、自民党政権だったわけですし。
なぜ民主主義社会で少数派に対する政策が出て来得るかと言えば、マイノリティはマイノリティ故に「取り込めれば忠誠度の高い味方になる」からです。あとは、その取り込むためのコストがどの程度か、と言うだけの話です。
つまり、マイノリティの味方をすることは、結構得になる場合が多いのです。我々の味方をすれば、と言いたいわけではないのですが、今回の都条例の件で言えば、大したコストもなく(何しろ最大会派ですし)一定の味方を作れるチャンスに何をやってんだろうと思うわけです。反対派の数が少ないのは露呈しているのですが、逆に都条例可決に動いたところで、得られる票はないわけです。0と少数どっちを取るのと言われて、少数ならどうでも良いから0を取る、と言うような合理性のない集団に、感じるのは良い印象ではありません。

あと、今回は反対派の核がマイノリティだったとしても、出版各社等の周辺が居たわけで。
例えば、支持率が地に墜ちつつある状況で、大手漫画雑誌に批判論が載せられる意味が理解できないのでしょうか?下手な新聞より読者は多いんですよ。そして、その過半数は選挙権を持ち、残りは未来の選挙民です。
逆に、否決に持って行った時に、特集ページで経過を紹介し、「民主党が説得に応じてくれたため」否決できた、と言うような記事が載ったら、どれだけインパクトになり得るか解らなかったのでしょうか?


とにかく、じり貧の政党がライバルにおもねって、ライバルと同じ事をして旧来の支持者からもそっぽを向かれるなんて、幾ら何でもセンスがなさ過ぎると思うわけです。
民主党内で反対を続けてくれた議員さん達は、今後自民に移ろうが支持を続ける、ロイヤリティの高い支持者を獲得したでしょう。しかし、都民主党は、単にオタクだけでなくこの件に批判的に注目していた人間全ての信頼を失ったのは間違いありません。
大体、築地問題で、付帯決議付きで都庁原案を丸呑みしたあげく、あっさり無視されて「約束が違う!」と喚く羽目になった連中が、その渦中に別の条例を付帯決議つきで可決して「歯止めは作った」などと言うのを見て他人がどう思うか、一度考えてみると良いと思います。



太陽の季節道路の権力 (文春文庫)

私は、「芸術的」かどうかなどと言う曖昧な基準によらず、作家があらゆる媒体であらゆる表現を行う事を擁護します。いかに低俗で、反社会的で、虫酸が走るほど強烈な感情を引き起こす作品であったとしても、それが書かれ、読まれ、流通することは最優先の保護対象です。今後規制対象が拡大し、↑に掲げたような低俗な小説や、御用学者の幼稚な自画自賛本が、漫画・アニメに加えて規制対象になるとすれば、私はそれにも強く反対します。
社会に、ある作品を好まない者に確保されるべき唯一の権利は「見なくていい自由」であって、それ以上でも以下でもあってはなりません。勿論、「本屋の棚で不意に目に入る」などと言うのは、その侵害にはなり得ません。気にくわないなら目を逸らせば良く、またその陳列に文句があるなら、その本屋を利用しなければいいのです。本屋の店内は、私的施設の中であって、厳密な意味での公共空間ではないのですから。



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2010年12月12日

完全敗北;都条例、付帯決議のみで可決へ

都議会民主党議員の方のBLOGで、確定情報が出ました。

まさきブログ

表現規制を目的とする都の青少年健全育成条例改正案は、付帯決議をつけて原案のまま可決されることになりました。
今回の都条例を巡る争いは、反対派の完全敗北に終わったと言うことです。

結局、昨日から出ていた新聞報道は、正しかったことになります。

漫画規制、都条例成立へ…慎重運用を付帯決議(読売オンライン)

アニメフェアへの十社ボイコットのような、今後につながる流れを引き出せたのは大きいですが、会戦そのものが完敗であることに、何の変わりもありません。
「付帯決議」というのは、何の法的拘束力もない、単なる希望の表明に過ぎません。何も考えてない訳じゃないんです~と言う、お為ごかしのエクスキューズです。そもそも、その決議内容を「条文に書き込まない」段階で、「別に無視しても構いません」と言っているに等しいのです。

そして、原因は明白です。言いたくはありませんが、予想どおりでもあります。何故そうなるかは、樽井良和元議員の、以下のtweetで十分でしょう。


>都の条例に対し、議員の方は賛成か?反対か?明確で無い方が多数います。ただ、生々しい話、選挙に影響するという認識は保坂氏が落選した結果を受け、票として、軽く感じられています。わざわざ、日本がアドバンテージを持ってる産業を失速させるのか、しかも東京がと訴えれば、響く議員もいました。


参院選比例区で三万かそこらの票。それが、前回我々が提示できた「力」の全てです。
この数に比べれば、陳情の手紙や問題を訴えに行く訪問者の多寡など、ほとんど何の意味もありません。それは要するに、「少数派がうるさく騒いでいるだけ」と言う風にしか取られないからです。

だから、今後状況を押し返していくために、やるべき事は決まっています。少なくとも、最優先で行うべきで、しかも簡単にできることは一つです。

投票に、行く事です。

そして、規制に賛成した議員を、議会から叩き出すことです。自民でも、民主でもです。勿論、最後まで内部で反対論を唱えて戦ってくれた人達には、きちんと投票する必要があります。
マイケル・ムーアがアジ映画で叫んでいるとおり、権力者が一番恐れるのは「あなたの一票」です。

我々がキモがられるのは、趣味や性癖や愛好物がキモイからで、それは変えようがありません。いや、変えたらそれは要するに民族浄化の完了であり、敗北以外の何者でもありません。
しかし、侮られるのは、少数か、または投票にも行かない・投票行動にその怒りを反映させない、ヘタレだと思われているからです。

何度でも書きますが、民主主義国家で声なき声は声ではなく、先人達が血を吐いて勝ち取った最大の権力「投票権」を自分の権利を守るために行使しない者は、血を吐く羽目に陥って当然なのです。

石原は、再選されれば同じ事をさらにエスカレートさせていくでしょうし、都民主党も、同じ構成であれば同じ対応を続けると言う事です。


これ以上書くと、見苦しい罵詈雑言にしかならないので、今日はここまで。関連エントリーで何度も書いたことの繰り返しになりますし。
ただ、今回の結果は、政治的に極めて当然の流れであり、その原因を取り除かない限り同じ事は繰り返されます。これを、教訓にしなければならない。それだけは確かなのです。



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2010年12月10日

都条例絡み 戦前の児童図書出版統制の話



戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って
戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って

↑元記事中で触れられている彼の著作はこれ。戦前から一貫して「健全な」「推薦図書」で潤ってきたあの業界としては、ライバルである「過激な」作品群は、憎くてたまらないでしょうね。
今回のエントリーは、そう言う事です。



この前のエントリーでちょっと触れた山中恒さんの研究について、朝日新聞が記事を書いています。

漫画表現の規制と社会規範 官に「拡大解釈」の歴史あり

ただ、この記事だけだと、ここに上げられている要綱がどのような経過を辿ったか解りにくいので、ちょっと解説をして見たいと思います。


まず当時の状況として、教科書などでは未だに主流のように書かれる「赤い鳥」などの「芸術派」児童文学は、ほぼ壊滅しています。と言うか、戦前の大規模調査でも、これらの「芸術派」文学は子どもに全く読まれておらず、「芸術派」内で回し読みされるだけのような状況にあったことが解っています。
つまり、「いかに子どものためになるか」を真面目な顔して議論しても、書く物は子どもに鼻も引っかけられないアホな大人達、の図です。

子ども達に読まれていたのは、漫画や娯楽小説を大量に載せる「少年倶楽部」や講談社の書籍、それに赤本と言われた粗悪出版物でした。(粗悪なのは、記事にあるように縁日などの露天売りだから)
まあ、福音館の全集と少年ジャンプ、どっちが子どもに売れるかという話です。「芸術派」の作品は根本的に出来が悪い(図書館に行けば、赤い鳥の復刻版などが読めます)ので、前者は不適切なたとえですが。

その状況下で、「民間有識者」として文部省(当時)に呼ばれた児童文学者達が主導して作ったのが、記事の要綱。面白いので、全文引用して見ます。出展は、『出版年鑑昭和十三度年版』。AMAZONでの出物はないのでアフィは貼りませんが、大学図書館か都道府県立中央図書館なら置いてあるはずです。
なお、大綱と指導要綱は別々に発表されていて、関連は微妙。


 大綱
---------------------------------
 一、国体の本義に則り敬神、忠孝の精神の昂揚に努めること。
 二、奉仕、勇気、親切、質素、謙譲、愛情の美風を強調すること。
 三、子供の実際生活に即して指導するよう努めること。
 四、艱難困苦に堪える気風を強調すること。
 五、新東亜建設のため日満支の提携融合を特に強調する。
---------------------------------

 「指示要綱」
---------------------------------
廃止すべき事項
一、活字
(1) 六号及ビ八ポイントイカの活字ノ使用 - 但シ幼児向ノモノニアイテハ十二ポイント以上タルコト
(2) 振仮名ノ使用 - 但シ特殊ノモノ固有名詞ハコノ限リニ非ズ
   (注意)
 (1) 右ノ廃止ニ因リ行間ヲ詰メルコトナキヤウ注意スルコト
 (2) 色刷ノ上ニ印刷スル場合ニ於テハ特活字ノ大キサ、色彩ノ配合ヲ注意スルコト
一、懸賞
 何等実質的内容ヲ有セズ、専ラ営業政策上ニ利用セルモノ
一、広告
(1) 誇大ナル自家広告ノ掲載
(2) 宮家献上又ハ御買上ノ記事ノ掲載
(3) 顧問、賛助員ノ列記
(4) 誇大ナル予告ノ掲載
 (イ) 次号予告
 (ロ) 連載予告 等
一、付録(オマケ)- 但シ正月号ヲ除ク
一、卑猥ナル挿絵
一、卑猥俗悪ナル漫画及ビ用語 - 赤本漫画及ビコノ種程度ノモノ一切
一、極端ニ粗悪ナル絵本 - 実物ト余リニカケ離レタルモノ、余リニ粗悪ナル色彩ノモノ等
一、過度ニ感傷的ナルモノ、病的ナルモノ
 其ノ他小説ノ恋愛描写ハ回避シ、「駆け落ち者」等ノ言葉ハ少年少女ノ小説ヨリ排スルコト
編集上ノ注意事項
一、教訓的タラズシテ教育的タルコト
一、年齢ニ寄リソノ教化及用語ノ程度ヲ考慮スルコト
(1) 五、六歳前後ノモノ
 (イ) 絵ハ極メテ健全ナルモノタルコト
 (ロ) 童話ハ題材ヲ依然ノ凡ユルモノニ求メテ、空想的ニシテ、詩情豊カナルモノ、特ニ母性愛ノ現ハレタルモノタルコト
 十歳前後ノモノ
  将来ノ人格ノ基礎ガ作ラレル最モ大切ナル時代ナルヲ以テ、敬神、忠孝、奉仕、正直、誠実、謙譲、勇気、愛情等ノ日本精神ノ確立ニ資スルモノタルコト
  マタ生産の知識、科学知識を与ヘルモノヲ取入ルルコト
(2) 用語ハ年齢ニ従ツテ漢字ヲ用ヒ、教科書ノ範囲ヲ出ザルコト、編集ノ単純化ヲ計ルコト - 例ヘバ活字の配合、色彩ノ単純化、記事面ト広告面ノ区別等
一、掲載記事ニ対シテ比例制度ヲ確立スルコト - 漫画、小説、記事等ノ割合
一、暇作物語ヲ制限スルコト - 現在の半数以下ニ減ジ、且ツソノ暇作物語中ノ時代小説ノ幾篇カヲ少国民ノ生活ニ近イ物語又ハ日本国民史ヨリノ建設的ナル部分ニ取材セルモノト代ヘ又冒険小説ノ幾篇カヲ探検譚、発見譚ノ如キモノニ代ヘルコトヲ考慮スルコト
尚コノ減頁ニ依ツテ得タル頁ヲ左ノ如キ記事ニ充ツルコト
 (イ) 科学的知識ニ関スルモノ - 従来ノ自然科学ソノモノヲ誠実ニ興味深ク述ベタルモノ以外ニ科学的知識ヲ啓発スル芸術作品ヲ取上グルコト(例ヘバ、爆弾、「タンク」、飛行機等ノ如キモノニシテモ、ソレ等ノモノノ持ツ機能ヤ本質ニ触レ得ル「テーマ」ノモトニ取扱フコト)
以上ノ他、地理、風俗等ニ関スルモノモ取入ルルコト
 (ロ) 歴史的知識ニ関スルモノ - 忠臣、孝子、節婦等ノ伝記モノハモトヨリ国民全体又ハ一ツノ集団ノ困難、奮闘、発展等ヲ叙シタルモノ、即チ国民的史的記事ヲ取上グルコト
 (ハ) 古典ヲ平易ニ解説セルモノヲ取上グルコト - 但シ児童ノ読物ニ適スルモノタルコト
一、漫画ノ量ヲ減ズルコト - 特ニ長篇漫画ヲ減ズルコト
一、記事ハ可及的ニ専門家ヲ動員スルコト - 科学記事ハ科学者ニ、基礎的経済思想(経済知識ニ非ズ)ハ経済学者ニ、実業家ニ等
一、華美ナル消費面ノ偏重ヲ避ケ、生産面、文化ノ活躍面ヲ取入ルルコト
一、子供ノ質疑ヲ本格的ニ取扱ヒ生活化スル工夫ヲ計ルコト
一、幼年雑誌及ビ絵本ニ「母ノ頁」ヲ設ケ、「読ませ方」「読んだ後の指導法」等ヲ解説スルコト
一、事変記事ノ扱ヒ方ハ、単ニ戦争美談ノミナラズ、例ヘバ「支那の子供は如何なる遊びをするか」「支那ノ子供は如何なるおやつを食べるか」等支那ノ子供ノ生活ニ関スルモノ又ハ支那ノ風物ニ関スルモノ等子供ノ関心ノ対象トナルベキモノヲ取上ゲ、子供ニ支那ニ関スル知識ヲ与ヘ、以テ日支ノ提携ヲ積極的ニ強調ヤウ取計ラフコト。従ツテ皇軍ノ勇猛果敢ナルコトヲ強調スルノ余リ支那人ヲ侮辱スル所謂「チャンコロ」等ニ類スル言葉ヲ使用スルコトハ一切排スルコト
一、挿画漫画ニハ責任者ノ名を明記スルコト
以上ハ子供雑誌ヲ基準トシテ立案セルモノナルガ、単行本、漫画専門雑誌等ニ就テモ右ノ方針ニ準ジテ取扱フコト
---------------------------------


当時は「表現の自由」なんぞ存在しませんので、恐ろしく細かい規制になっています。

また、この前段階として、1938年4/1付けの日本学芸新聞に、「出版界よ覚醒せよ! ◇悪質児童雑誌は摘発する◇」とする文部省担当課長の談話が載っています。

指摘点は、「絵が粗悪」、内容が「俗悪」、使われる言葉が「俗悪低劣」、歴史上の人物の扱い方が「一面的」、少女雑誌が、レビューガールを多く取上げて「悪い風潮に迎合し、少女の弱い感情へつけ込」んでいる、全体的に「付録が多すぎる」と言った内容。
ちなみに、講談社だけは名指しで非難されています。子どもから、一番喜ばれていた作品を提供していたのに。(いたからこそ、なわけですが)
大きなお世話も良い所ですが、出版そのものが政府の管理下にあった時代ですので、これは非常に大きな意味を持つのです。


そして、これに従って、まず粗悪な赤本類が殲滅されます。これは、誰がどう見ても粗悪だった上に、品質から解るように小規模業者の隙間産業でしたので、抵抗もなく一掃されます。

同時に、講談社を代表とする「大衆」児童文学も規制を受け、内容を「健全」にシフトさせて行きます。何しろ検閲ですから、現在の教科書より遙かに具体的かつ踏み込んだ「指導」を喰らいます。逆らえば、迷わず発禁。

また、一番重要なポイントとして、文部省推薦図書制度が始まりました。ええ、夏休みなんかに読まされた、あれです。
これは、選定を「芸術派」児童文学者が行うお手盛り品で、当然自分達や同系統の作品を端から放り込みました。
しかもこれ、当時唯一の放送局だったNHKで宣伝され、書店にも広告が出る状況で、どれも数千単位(当時としては大ヒット)の売上を出しています。つまり、「芸術派」の市場は、いきなり数十倍かそれ以上になったわけです。(それまでは、そもそも「芸術派」の書籍は書店にまず並びません。現在に置き換えると、同人誌レベルです。それも地方即売会と通販限定の)

しかし、1938年という時代から想像できるとおり、すぐに時局悪化を理由にこの検閲システムも、軍部からの出向者に占有され、児童文学者の春は終わります。そして、上記指導要綱も、文面は変わらないまま野放図な介入に使われていったわけです。


で、ここで重要なのは、こう言う事を主導しながら、「子どもに良いものを与えた」と胸を張り、戦後も一切反省せずこれを誇った「芸術派」。石原は文学者なのに表現の自由をないがしろにするなんて…… などと言う人がいますが、そんな人間は珍しくもないわけです。つい最近も、賞を貰って責任者と直接話をしただけで、「表現の自由の問題ではない」とか、コロッと転んだ人も居ましたね。

そもそも、「表現を基準に」「経済的に締め上げる」と言う手段は、表現規制以外の何者でもありません。

とにかく、声を大にして言いたいのは、臆面もなく規制対象から小説を取り除いて「不健全」なものの除去を目指す都は、戦前の「芸術派」と同類ですよね、と言う事。検閲、権力者(個人としても機関としても)にとって気にくわない物の排除は、いつも「国民のため」「社会のため」と言うロジックで訪れます。「あなた達のために、あなた達に爆弾を降らせます」と言うような連中に対して、「せめて北部の独立だけは認めて下さい」と言うような妥協案は通用しないでしょう。
多分、歴史に学ぶというのは、そう言うことを言うのだと思います。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(3)社会