2015年06月20日

非常に面白い「娯楽」の理論書 『純粋娯楽創作理論 VOL.1』 感想

純粋娯楽創作理論 VOL.1
純粋娯楽創作理論 VOL.1

お久しぶりです。一般的には非常に高給かつ社会的地位が高いように思われていながら、実態は壮絶なブラックだと一部で有名な業界にジョブチェンジしまして、洒落にならない暮らしをしております。

もう、ゲームも読書も映画鑑賞もズタズタで、辛うじて定期的なTRPGプレイだけ維持している状態。と言うか良い作品を摂取しても、感想を書いたり長文をまとめたりする時間と気力が残らないんです。

とは言え、1年経ってどうにか時間もやりくりできるようになりまして、この辺で一本非常に面白かった本(電子書籍)の感想を書いておこうと思い、久しぶりにエントリーをアップします。推敲は絶対に足りていないと思うのですが、追々誤字や論理整理くらいはちょこちょこやるつもりです。いつものように。

そうそう。どう言うわけか更新停止後1年くらいから、対話でも批判でもない罵詈雑言を書き込んで行く人が増えてまして、言わば「割れ窓を修理しておく」必要を感じたというのもあります。多分、更新されなくなったブログというのは、「反撃してこない人形」に見える人達が一定数いるのでしょう。普通に考えたら、応答が帰ってくる可能性がない相手に言葉を投げかけるような無駄なことは、したくないと思うのですが……

閑話休題、今回取り上げる『純粋娯楽創作理論』は、表現規制問題で何度か目にしたシナリオライター、鳥山仁の著作です。色々物言いが鋭い人なので、不快に思ったり愉快に思ったりする人が多いでしょうが、とりあえず作品の評価とは分けましょう。

この本は、「人それぞれ」と言われることが多い面白さと言うものに定義を与え、その上で「面白い」作品の構造やどうしたらそれをコントロールできるのかというのを、解説・考察した理論書です。

例によって結論を最初に述べますと(この文章書くのは久しぶりですけどね)、「荒削りだが非常に興味深い理論書で、娯楽作品を巡る思考の手がかりになる一冊」と言った所でしょうか?

もう少し詳しく説明すると、「面白さ」の本質を、「予測していなかった=予想外の出来事が起こること」と定義し、一般的に使われる面白さ(人それぞれ、と言われる何か)の用法は作品を評価する言葉として意味がないと言う批判を行うと共に、「面白く」するための方法論や原則を提示するという内容です。

確かに、我々は良くあの作品は面白かった、あるいは面白くなかったと言い、その内容を話し合ったり「こう言う見方をすれば面白いはずだ」と言い合ったりして、作品あるいはオタクライフを楽しんでいる訳です。しかし、ここで話し合われている”面白い”に厳密な定義はされておらず、感覚的な雑談以上の議論を行うのは難しい面がありました。勿論、それでも十分趣味を同じくする友人達との会話は面白いですし、他の面(場面の美しさ・論理の一貫性・キャラクター配置の巧みさ・シナリオの終始一貫性など)についてはいくらでも議論を戦わせられた訳です。しかし、人口に膾炙することが最も多いポイントである”面白さ”については、議論の軸となる、あるいはたたき台となる理論は今までありませんでした。そこを整理し、少なくとも本論中の用語に従って議論する事が可能な”面白さ”の定義を提示して見せた段階で、この著作の意味はあると思います。
実際、著者の提示する”面白さ”によって作品を見直すと、新しい側面が見えて来ると言うか、「自分がその作品のどこを魅力的だと感じていたか」が見直せて非常に興味深いものがありました。
勿論これには、「自分があの作品を好きだったのは、著者の言う”面白さ”とは別の理由からだったのだな」と言う様な気づきも含まれます。今回は触れませんが、この辺をどう心の中で処理するかで、この著者の論に対する評価(反発)は変わりそうです。

例が若干解りにくかったり、個人的にピンと来ない(よく知らない)例えがあったりで読みにくい面もありましたが、とりあえず斜め読みでもご覧になることをお勧めします。AMAZON専売で300円ですが、プライム会員だと無料のようですし。

さて、ここで終わってはただの広告以下なので、以下は本論を読んでの感想となります。なお、2巻も出ていますが、感想は1巻についての内容だけです。

まず、もっとも多くの人が引っかかるであろう点について。
著者は、「作品から受ける快/不快」と、「面白さ」を分けて論じています。

※以下本エントリーでは、一般的な(人口に膾炙する)意味における”面白さ”をカギ括弧無しの面白さ、純粋娯楽創作理論の中で上げられている”面白さ”をカギ括弧突きで「面白さ」、と表記する事にします。

この論じ分けが、本書でもっとも反発(誤読)を受ける点でしょう。しかし、同時にこれこそが本書の最も重要な点であり、そして間違いなく(論を立てる上で)「正しい」内容です。仮に面白さを単純に快不快の問題として定義してしまうと、この言葉は「好き」と同義になってしまい、議論の軸となる共通言語では無くなり、文字通り「好みの問題」となってしまいます。当然、「この作品を面白くするにはどうすればいいか」と言った話は、意味を失うことになります。(後述)この辺、編集者でもある著者ならではの視点ではないかと思います。

問題が発生するのは、多くの人間が「面白さ」と言う言葉を、正に「作品を読んだり見たりする事によって受けた快の感情」と言う意味で用いている点でしょう。しかし、その一般的な用法は、よく考えてみればなるほど間違っています。我々は、ちっとも面白くない(カギ括弧無し:一般的な用法)物語を熱心に見るという経験を、多くしているはずですから。(著者の本文であるエロメディアなどはこの典型でしょう)
恐らく本書が反発を受けるのは、この部分の説明が足りていない(ちゃんと書いてはいるのですが、サラッとしています)からでしょう。

例えば、差別ネタやブラックな笑いが満載の作品は、しばしば「確かに面白いが、こんな物を面白がる人間の気が知れない」と言うような、矛盾した評価を受けることがあります。これは、上記台詞中に出てくる”面白い”の内、前者が本書の定義、後者が一般的な定義と言う事になるでしょう。

さて、ここをクリアすれば、本書の内容はとても説得力があり、また分析手法として優れている事が解ります。著者が繰り返し言って居るように、「面白さ」の本質がこのように定義できるなら、我々は曖昧な言葉ではなく計量的に「面白さ」を扱えるようになります。勿論、著者が言うように、売れる/売れない、読んで面白い(カギ括弧無しなので一般的表現)/面白くないは、「面白い」かどうかだけでは決まりません。しかし、それらのうちの「面白さ」という要素を抜き出して論じられれば、分析も売上予想も評論も、実り多いものになる事は間違いありません。「面白い(これも一般的用法)かどうか」と言う通常「好みの問題」で切って捨てられてしまう話の内、話として「面白い」かどうか、とその他の快不快の要素を分け、何が優れていて何が問題なのかを論じられるようになります。

ただ、著者が新しい発想で組み上げた本書は、やはりそれだけに荒削りな面を残しています。その、気になった部分についても指摘しておきたいと思います。

私が、最も疑問を憶えたのは、「面白さ」の説明について「広告やキャッチコピーには、受け手の予測を引き起こす効果があると同時に、面白さに枷をはめる役割もしている」と書かれている部分です。

確かに、広告や宣伝の内容と違う物語は、予想を外すにもかかわらず面白いと感じられない事が多くなります。しかし、それは広告宣伝だけの問題なのでしょうか?もっと言えば、そんな騙しによって見せられた作品は確かに面白くない場合が多いですが、著者の語法において「面白く」ないのでしょうか?

と言うのも、こう言った効果を使った非常に「面白い」作品は、多数思い浮かぶからです。例えば、このBLOGで散々取り上げてきたギャルゲージャンル(エントリー停止後一本もできてません……)で言えば、ハーレム学園物と見せかけて全然違ったONEやCROSS†CHANNEL 等が即座に思い浮かぶはずです。
しかし一方で、こう言った作品に激怒したプレーヤーもいましたし、実際私は最終的にギャルゲーでもなんでもなくなったAIRやCLANNAD辺りは、大嫌いだったりします。

しかし、あとから思い返すと、後者も「面白い」のです。特に、期待してプレイした過去の自分が唖然としてコントローラやキーボードを叩き付けるシーンまで含めると、見事なエンターテイメントに仕上がっています。つまり、『どんな方法であれ「面白い」物は「面白い」。しかし、「面白く」するための方法によっては、受け手は不快になる。そして、「面白さ」による"快"を方法による"不快"が上回れば、当然受け手の感想は面白くない、になる』と言う事ではないかと思います。この方が、論理が一貫して話もしやすくなると思うのですが、どうでしょう?

本書の中では、予想を裏切っても「面白く」ならない例として、広告宣伝で予想された内容と異なっていた場合に加えて、ジャンルのお約束を無視した場合などが挙げられています。しかし、これは違うのではないでしょうか?
例えば、楽しいコメディ映画と思っている所で突然うざいリア充が爆発するのと、恋愛映画だと思っている所で突然リア充(主人公)が爆発するのでは、間違いなく後者の方が「面白い」はずです。(人間が爆発するような理不尽を、後者は通常許容しません)あるいは、私が昔再放送で見たヤッターマンは、100話以上も同じパターンのお約束が続く作品でした。お約束が守られる予定調和の世界が展開することで、視聴者は安心し、「快」の感情を向けていた訳です。しかし、私が今でも一番良く憶えており、当時もっとも「面白い」と感じたのは、ヤッターマン達が戦いの虚しさに目覚め、ドロンジョ達と戦わずに引き上げた回でした。同じような事は、ほんわかした世界観が前提となる魔法少女物だと思っていたら美少女の首が飛んだまどか☆マギカなどにも言えるでしょう。また、脚本家の名前を知っていた私が、首が飛んだ時点ではそこまで「面白い」と感じていない(もっとエグイ物が来ると思っていた)が、10話冒頭で突然時間軸が吹っ飛んでループものとしての正体を現した時にもっとも楽しめた(当時の記事は論考寄りにまとめていたので書いてません。なお、ジャンルの好みがあるので、ここで感じた楽しさは「面白さ」だけではないでしょうが)というのも、典型かと思います。


以上をまとめれば、『「予想」を裏切られるのは「面白い」ので基本的に面白い(=快)が、「期待」を裏切られるのは面白くない(カギ括弧無し:不快)』と言う風になるかと思います。つまり、ここで判定されているのは快/不快であり、本書で言う「面白さ」では無い(そちらは独立した変数として、予想との関連で動く)はずです。

本書の特徴は、一般的な用語の「面白さ」を切り分け、予想外の展開から起こる楽しさを「面白さ」として狭義に提議し直した所が画期的な訳ですが、両”面白さ”の切り分けに、完全には成功していないと言う事だと思います。

なお、「期待を裏切る」は「予想を裏切る」の部分集合ですから、前者の効果が後者の効果を上回るならば、あえて選択する事は否定されないはずです。

従って、著者が書く感情移入は「面白さ」としばしば相反する、と言うのはそのとおりでしょう。感情移入は、感情移入対象が幸せになって欲しい(あるいはマゾ的に不幸になって欲しい)と言う「期待」が高まった状態ですから、それを裏切ってしまう「面白さ」は不快と捉えられてしまう場合が多くなるはずです。

しかし、以上を前提とした場合、感情移入と「面白さ」が同居可能な事も示されているはずです。つまり、読者の期待(感情移入対象の行く末)に応えつつ、その他の事象、あるいはそこに至る経路において「面白さ」を配置すると言う方法です。何故こんな話をするかというと、私はそう言う両者を満たす話が読みたいと思うからです。

私は、TRPGが大好きな位なので、感情移入はそれなりにする方です。しかし、「面白くない」作品は好きではなく、故に主人公万能型のラノベや逆に悪役万能型の悲劇は大嫌いです。実際問題、TRPGでGMをする時に(接待プレイは別として)バッドエンドの可能性のないシナリオは絶対に作りませんし、バッドエンドの可能性のない・あるいはいわゆるテンプレート(どこの、とは書きませんが)で作られた、展開固定型のシナリオは続けるのが苦痛になります。そう考えると、両者を満たすことは難しい・両者を両立させる作品の需要は少ないという著者の論は、本当なんだろうか?と思ってしまう訳です。これがある意味、私にとって一番の違和感でした。勿論、統計的に多くのデータを持っているのは著者の方なので、あくまで個人的な違和感の話です。

また、こう言うものは自己評価は当てにならず、他者から見たら私は感情移入か面白さか、どちらかにきちんとシフトしているのかもしれません。自分は、この本を読んだ時に、自分自身が面白さを重視しない(理解しない)朴念仁ではないか?あるいは感情移入だけを主眼とする(論理的思考を重視しないという意味で)ろくでもない読者ではないか?と言った自己検証を行い、多分そうではないはず…… と言う評価を下しました。以上の文章に感情的な要素が多数入り込んで居ることから解るとおり、間違いなくバイアスがかかった自己評価です。(自己評価とはそう言うものですが)

と言う訳で、どのように評価するにせよ、非常に面白く、また他者と読み合わせをして議論を戦わせるに値する意欲的な著作でした。読み込み、またこれを基にレビュー活動を行うような時間が決定的に不足しているのが残念でなりません。
いずれにせよ、興味を持った方が一人でも手にとっていただき、この作品の「面白さ」(”面白さ”と言う代物に対して著者が与え整理した定義の、意外性と有用性)を感じていただければ何よりと思います。

では、またいつかお会いしましょう。


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2013年02月16日

ナイストンデモ本!ダニエル・ドレクスラー『ゾンビ襲来』感想

ゾンビ襲来

ダニエル・ドレクスラー『ゾンビ襲来』は、「国際政治理論で、その日に備える」との副題のとおり、極めて真面目な研究書です。近年とみに学術的注目を集めつつある「ゾンビ」と言う現象に関し、多くの先行研究を引きつつその現実的対処を検討し、著者の専門分野である国際政治学の知識を駆使して説得力のある議論を展開します。これを読めばあなたも、ゾンビ禍と言う発生確率は低いとは言え極めて致命的な災害事象に対し、真摯な想定と政治的準備が必要なことを理解する事は間違いないでしょう。

……と言うのが、内容に応じてこちらも全力で応じる紹介文章になります。
さて、上記を読んでオイオイと思いつつ眉をひそめた方にとっととネタばらしをすると、この本は上記のような様式で書かれた素晴らしいネタ本です。著者が国際政治学の権威なのも、様式書式が真面目な論文なのも、上記のような主張が為されているのも本当です。しかし、つまるところこれらは壮大なネタであり、そして当然ながら滅茶苦茶面白い内容となっています。

何より素敵なのが、この本が学術論文の体裁を取りつつ、いわゆるトンデモ本の条件を、きちんと満たしているところでしょう。
例えば、引用される論文は彼が所属するゾンビ研究学会(http://zombieresearchsociety.com/)で発表された物ばかりですし、仰々しく取り上げられる著書はネタ本やフィクション。そして、全然関係ない用語を無理矢理結びつけて「学術的関心が高まっている!」とぶち上げるやり口は、正にトンデモ本のあれです。哲学者達はゾンビの存在を信じている!とか言う言説と共に引用されるアンケートとか、大体皆さん予想が付きますよね?

勿論、著者は解った上でやって居るわけなので、これは最高に素敵なネタ本です。大まじめにゾンビ対策を論じたゾンビサバイバルガイドや、WORLD WAR Z(当BLOGの感想はこちら)と、同じ類ですね。ちなみに、両作の著者であるマックス・ブルックスの名は、本作の中でやたらめったら引用されます。UFO本におけるアダムスキーみたいな扱いです。あるいは、ホロコースト系トンデモ本のロイヒター。(あの悪質な詐欺師連中と並べるのはあんまりな気がしますが、様式が倣ってるんでご勘弁を)


こう書くと、一発ネタの退屈な文章が続く作品に思えるかもしれませんが、そうではありません。
国際的なものに限らない政治・行政・企業などの諸要因について、様々なゾンビ作品を引用しつつ解説を加えていくその文章は、間違いなく引き込まれます。また、大仰な理論の話は読み飛ばしても、営利企業による状況の悪化に関する考察で、「政治力が明白」な一方で、実務能力とセキュリティ概念が欠如した「抜きん出た企業の無能さ」への指摘などは、大笑いできることでしょう。
ちょっと引用しますと、

>地位の低い従業員は、この企業の目的に対して全く忠誠心を持ち合わせていない。地位の高い会社の幹部は、何も達成することはできない
>唯一のわかりやすい成功は、主要なメディアで自らの過去を隠蔽できたことだけ

と言った具合です。おわかりでしょうか?これ、かの有名なアンブレラ社に関する記述です。

とは言え、やはり基本的な論文調に硬さを感じて敬遠する人は多いと思いますし、豊富な脚注で紹介される面白いWEBサイトや著書が、当然ながら英語または未訳だったりするのはマイナス要因でしょう。ただ、翻訳済であっても読んだり観ていなかったマスターピースもあり、読み進めながらAMAZONに数点注文を出してしまいました。つまり、それほど魅力を感じさせるほど、ゾンビ愛に満ちた一冊でした。出版形態の捻くれ方が大きいのと、やはりWORLD WAR Zと言う傑作には届かないものの、ゾンビ物の本としては十二分に面白いものでした。
この手のが好きな皆様は、是非読むと良いと思います。

で、関連出版社の皆様におかれましては、チャッチャと「フィード」と「ゾンビサバイバルガイド」を、翻訳して頂けないもんでしょうか?なんか、もう海外ファンの間では必読通り越して基本書扱いされてるんで、WORLD WAR Zの映画公開にでも合わせて出版してくれることを、切に願う次第です。
英語の本は読めないわけじゃありませんが、やはり読破速度は1/3~1/10まで落ちて積ん読消化を圧迫するので、業務上の必要性がない限りできる限り読みたくないんですよ。いや本当、お願いします。



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2013年01月30日

最近読んだライトノベルの感想

瀬尾つかさ「スカイ・ワールド」シリーズ、宇野朴人「天鏡のアルデラミン ねじ巻き精霊戦記」シリーズ、むらさきゆきや「覇権の皇姫アルティーナ」の感想を、6冊まとめていきます。


スカイ・ワールド (富士見ファンタジア文庫)スカイ・ワールド2 (富士見ファンタジア文庫)スカイ・ワールド3 (富士見ファンタジア文庫)

まず最初の感想は、前にも取り上げたことのある作家・瀬尾つかさの「スカイ・ワールド」シリーズ。

内容は、「ネトゲの世界に入り込んでしまった!」。
と、最近はこの一言だけで概ね通じるようになってきましたが、名作「クリス・クロス」を見れば解るとおり、このテーマはラノベにとって鉄板であります。さすがに、「マイクロチップの魔術師」の魔術師を引っ張って、SFとしても…… なんて言うつもりはありませんが。

さて、この作品が他と一線を画しているのは、「何故それが起きたのか」と言うミステリとしてのSF面を中心に据えた構成を取る点(と言っても、この部分はあくまで物語最大の謎であり、既刊での扱いは伏線程度ですが)と、「ゲーム」に関する含蓄です。概ねこの手の作品は、異世界召喚物の亜種であり、「ネットゲーム」としての必然性を上手くとらえ損なって居る場合が多い物です。しかし、逆を言えば、異世界召喚物の亜種であると言う事は、その異世界の設定こそキモとなるのは、言うまでもありません。

さて、このスカイ・ワールドですが、永遠の空に浮遊島が浮ぶという、アゴラを統べたかつての帝国が残せし許し難き罪業だの、愛すべき馬鹿企業の例によってバランスの悪いRPGだのが即座に連想される基本設定です。
しかし、ゲーマーであればすぐに理解すると思うのですが、この「スカイワールド」は、間違いなく「面白いゲーム」です。豊富なクエスト、作り込まれた世界、過去のネトゲから応用された基本システム。そして、プレーヤースキルの入り込む余地の残し方や、巧みなバランス調整……
恐らく、ディアブロからウルティマオンライン辺りまで、新しもの好きのゲーマーが夢見た「未来のネットゲーム」とは、間違いなくこのような作品だったはずです。見た感じだと、SKYLIIMのデータ量を数十倍にしてバランスをプレーヤースキル依存型に調整した感じでしょうか。
これは、あちこちに見え隠れするTRPGの影響(作者は熱心なD&Dファンらしいです。約3mの棒……)からも見て取れますね。ネットゲームに期待された物とTRPGの面白さは、重なる部分が非常に大きかったですから。

ただ、ちょっと納得がいかない部分がありまして、それはライトノベルの宿命とも言うべきキャラクター配置です。ぶっちゃけた話、巻が進むにつれて女性キャラばかりが増殖していき、結果として焦点を歪めてしまっているのです。これは、一々キャラクターの魅力を描くことに分量を取られるという事と、一周回ってキャラクターの魅力が引き立たないという問題を生じます。何しろ、どいつもこいつも魅力的な女性キャラなので、「魅力的な女性キャラ」と言う属性が薄まってパーティが均一化してしまっているのです。せめて、最終目標であるライバルキャラと、3巻の焦点になるコントローラは男性にしておくべきだったんじゃないのかと。あ、3巻ラストで姿だけ出てきたのもそうですね。
ハーレム物の問題は、「萌え豚」批判とは裏腹に、有難みを喪失して個々の女性キャラが魅力的でなくなってしまうと言う部分にあるので、この路線がこれ以降も続くとどんどん辛くなっていくと思います。

いやあ、巻毎に描かれる様々な形の戦闘・陰謀・ルールの応用は、本当に面白いんですよ。しかしそれだけに、画竜点睛と言うべきキャラクター配置で引っかかってしまうのです。特に、あのパーティ構成って、主人公が気にしている固有スキルなんぞより、余程嫉妬の焦点になると思うので、それはいいのかという突っ込みが、ね……


天鏡のアルデラミン―ねじ巻き精霊戦記 (電撃文庫 う 4-4)ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンII (電撃文庫)

続いて、宇野朴人の「天鏡のアルデラミン ねじ巻き精霊戦記」シリーズの感想。南アジアを思わせる異世界(ま、一応)を舞台に、歴史ある帝国で心ならずも出世していく、やる気のない士官と皇族の話です。これが実に、今時珍しい正統派の戦記物。天の時・地の利・人の和を武器にしたり足を引っ張られたりしながら、軍事的才能と異端である「科学」の知識・方法論で活躍する主人公の姿に、往年の田中芳樹作品を思い出すのは私だけではないはずです。
1巻の段階では、裏設定とは関係ない、異世界描写の粗雑さ(単語・口調の選定や日本語でなければ成立しないはずの慣用句など)が気になったのですが、2巻になると一気にこなれ、また話も大きく動きます。勿論、1巻の段階で戦術描写その他にひかれたがための読書続行なので、これは「良くなった」ではなく「より良くなった」と言う意味です。
多少技術発展が急激すぎるきらいもありますが、そう言う細かい点を補って余りある骨太の展開と脇を固めるキャラクター達に、今後も目が離せません。
ただ、その魅力的な脇役達は高確率で割とあっさり退場してしまうので、上記スカイ・ワールドとは対極の不満が生まれてくるのが不思議なところ。特に、2巻の裏方として凄く面白く使えそうな士官と、一歩引いた位置から主人公を客観視する役割を振れそうだったキャラが惜しいですね。逆を言うと、あれだけ使いでのあるキャラをあっさり捨てられるほど、構想がしっかりしていると言う事ではないかと期待するところです。

なんにせよ、これも有望株としてチェックに入れた作品です。


覇剣の皇姫アルティーナ (ファミ通文庫)

感想のオチに使わせて頂いて申し訳ないんですが、この、むらさきゆきや「覇権の皇姫アルティーナ」は、上記2作と対照的な残念作。
割と魅力的なキャラクターを用意しながらその能力の描き方を決定的に間違え、設定を詰めず、色々とボロボロになっています。
まず、軍師キャラの優秀さを描くのは非常に難しいんですが、こんな「TRPGでLV1パーティが85%の確率で採用します」みたいな作戦を優秀さの証と言われても…… それ以前に、あの厳しい世界の中で綺麗事を高らかに宣言するには、それはそれは強い決意が必要なんですが、なんと皇姫は「母親から庶民の話を聞いていたから」とか言う呆れた理由で説明終了。
いや、アルスラーン陛下みたいに、素朴な正義感から出発して成長していくってんなら良いんですが、主人公はそこを突かないし何とも言えない気分に。それこそ、同じラノベなら烙印の紋章みたいに、もっと強烈な設定を付与できたはずです。


何にせよ、日常物ばかりでなく、割と大きな物語や設定を扱う異世界物が再度隆盛の兆しを見せてくれていて、「多様性こそラノベの命」と信じるオールドファンには嬉しい限りです。(前にも書きましたが、私は俺妹みたいな日常物も好きですよ)
おかげで購入ばかり増えて積ん読山・AMAZONタワーが不気味な増殖を続けておりますが、もう仕方ないですよね。嬉しい悲鳴に押しつぶされて時間切れ試合終了となるのは、オタクと言う人生・生き方のの宿命その物ですから。




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2013年01月18日

胸がむかつくひどい話 『魔法少女育成計画 restart』 感想

魔法少女育成計画 restart (前) (このライトノベルがすごい! 文庫) 魔法少女育成計画 restart(後) (このライトノベルがすごい!文庫)

↑表紙の可愛らしさがアップしている辺り、実に「解って」ます。


第1巻の感想はこちら

最近流行の「アンチ・魔法少女」物としてなかなか面白かった前作ですが、実は2巻を読む気はありませんでした。だって、あの胸くそ悪い話は本来続刊を作れるような物ではなく、むしろ続編を作ってしまっては興ざめだと思ったからです。
そして、その予想はある程度はずれていませんでした。

さて、ここで最初に書いておきますと、表題や↑に書いた形容詞等は、別に悪口ではありません。このシリーズは要するにホラーであり、可愛い外見のキャラクターというのはこれを盛り上げるためのギミック、つまりは悪趣味なオプションでしかありません。
しかし、ホラーというのはもともとそう言う「胸くそ悪い」「吐き気のする」ジャンルであり、この意味では誉め言葉となります。従って、胸のムカツキを抱えて嫌な気分で読書を終えた私の感想は、この手の代物が好きなゲロ野郎にはお勧めマークと同じ機能を果たすはずです。勿論、このゲロ野郎というカテゴリに、結局購入して読破した私が含まれるのは、言うまでもないでしょう。


と言うわけで、内容面での感想ですが、一行で表せます。

・真っ当な「ホラー映画の」続編。良さも悪さも全てそこに集約される。

と言う物。
読む前に予想したとおり、展開される世界観やゲーム内容に真新しさはなく、要するに予想の範疇に収まります。相変わらず可愛らしさが憎らしい巻頭のキャラ紹介をみた段階で、どのキャラが「強い」かどのキャラが「死に役」かは、ほぼ見えるでしょう。実際、最終局面まで生き残るだろうと思ったキャラも、早期離脱キャラもラスボス(仮)も、ほぼ予想どおりでした。つまりは、前回で「どう言うことがおきうる世界観か」と言うネタを割ってしまっている以上、展開の新奇性は失われているわけです。
一方で、これは前巻から大きな逸脱が無く、きちんと期待される面白さを提供していると言う事でもあります。タチの悪さも悪趣味も、前巻を気に入った人間なら問題なく堪能できるはずです。AMAZONレビューの点数が前巻より上がっているのは、つまりそう言う事でしょう。

これは、正にホラー映画の続編その物でしょう。モンスター・世界観の概要は既に観客に知られており、驚かせ・怖がらせとしてのパワーは落ちざるを得ない。一方で、ある種のお約束が観客と作り手の間で共有されるため、内容に対する安心感は確保される。要は、そう言う事です。

ただ、ちょっと納得のいかない部分が幾つかありまして、そのため前巻より評価を落とさざるを得ないと言う感想になりました。
上記のように、ちょっと能力の使い勝手が解りやす過ぎるというのもありますが、これはまあ容認できます。ですが、各人の能力の見せ場に大きな差があり、半数程度は単なる戦闘力として表現されているのは不満。前巻の「あ、その能力そう言う事かよ!」「確かに、それは!」と言った驚きは、面白さの中で大きなウェイトを占めていたわけで。
同時に、ゲームシステム的にもゴミアイテムの扱いとか、伏線として中途半端(もっと、誰でも使えるような意味があるのかと思ってました。システムはフェアに組まれてるはずなので、特定一名にしか活用できないというのはどうにも)で納得のいかない部分が散見され、精度が低くなっています。

そして、もっとも納得のいかなかったのが、ゲーム外部からの救済可能性が半端に提示されつつ機能しない点です。何しろ前作の主人公と言うワイルドカードがいるので、救済可能性は担保されているわけです。ところが、これがよく解らない理由(大部分を、魔法界の官僚主義、の一言で済ませるのは、前作同様余りに上手くありません)で遅延する上、結局パートとして意味が無くなっています。
結局、物語を終わらせるという意味では、あのパートは一切貢献していないわけで。オチを付けるというだけの目的であれば、幕引き役としてエピローグに前作主人公を出すだけで良かったはずです。

このため、目指されたのとは別の、「ご都合主義的に悲劇に持って行かれた」と言うような後味の悪さが漂ってしまいました。特に、最後の犠牲者については、シナリオ上の必然性がないのが何とも。具体的に言えば、ログアウトのタイミングを狙って主犯を殺せばいいだけの話ですから。
あの悲劇は、前作の「物語の幕を引くにはこれしかない」と言うような、悲壮な必然には繋がりません。
と言うか、折角平行させていた2つのパートが結局交わらないまま終わってしまうので、オーラスでの感動が湧いてこないのです。

とまあ、展開・シナリオ構成に瑕疵を感じてやや首を傾げたのですが、基本的には表題にあるとおり実にひどい(誉め言葉/悪口)ホラーであり、むかつく物語(同上)であり、良くできた続編です。
この手のゲテモノが好きなゲロ野郎は、下品な面を下げて思う存分堪能すると良いと思いますよ。とりあえず私は、良くも悪くも堪能させていただきました。




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2012年12月11日

良質ショートショート 『独創短編シリーズ 野﨑まど劇場』 感想

独創短編シリーズ 野﨑まど劇場 (電撃文庫)
独創短編シリーズ 野﨑まど劇場 (電撃文庫)


野﨑まど(常用外漢字のためか、ネット書店だと「野崎まど」)は、メディアワークス文庫で変わった小説ばかり書いている作家です。基本的に、適度に関節を外したユーモアと堅実な文章・展開、そしてラストの超展開が毎回のお約束でしょうか?
オチで頭を抱えながら、「いや、SFマガジンで紹介されていたことを思えば……」と唸る羽目になった死なない生徒殺人事件小説家の作り方が典型ですが、一方ksmrの表紙が釣りになりきれず「お約束」に落とし込む過程で安っぽさを拭えなかったパーフェクトフレンド
などを見ると、色々方向性を試そうとしている物と解釈して「注目」カテゴリに放り込んであった作家です。

そして今回の「野﨑まど劇場」ですが、これは電撃magazineの連載に書き下ろしと没原稿を合わせたショートショート集です。上記のように、方向性の幅が広がると面白く成りそうだと思っていたので、本屋で見かけて即購入しました。

そして内容ですが、本当にバラバラ。「ああ、こう言うのSF作家は好きだよね」と言いながらやや目線を逸らしたくなる冒頭の『Gunfight at the deadman city』に始まり、「これ没の理由は『SFだから』じゃないだろう」と言いたくなる『ビームサーベル航海記』なんかが外れの部類。イラストは釣りだろうと思ったら、一周回ってもの凄く最近のラノベっぽくなった『森のおんがく団』や、ネタとしてはGunfight~と同じ方向なのに話芸で魅せる『苛烈、ラーメン戦争』が当たりの部類。同じ没作でも、オチを二段構えにした所が上手くもあり瑕疵にもなっている(部分的に同じネタを二度繰り返しているため)『第二十回落雷小説大賞 選評』や、よく解らないラノベ的変化球を外すと本当にビックコミックで読み切りで違和感のない(編集者がそう言う風に書いてます)『魔法小料理屋女将 駒乃美すゞ』など、色々な試行が一定の効果を上げており、読み応えがありました。あ、ショートショート集なので、読破所要時間は極めて短くその意味では読み応えはありません。

なお、没小説では「そのネタ絶対電撃向けじゃねえよ」感が題名からにじみ出る『電撃妖精作戦』の妹キャラが素晴らしいので、是非スピンオフで小説を書くべきです。自称硬派SFファンで、本棚でイーガンの後ろにデュラララを隠している腐女子という設定は、ごく狭い範囲のファンを獲得できると断言しましょう。
でも、それなら頭の中の妄想は普通のじゃなくて、ディック×ハインライン(ヘタレ攻め)とかであるべきじゃなかったかと思います。(参考資料:作家の項)

とまあ、玉石混淆は短編集の常なので気にならず、むしろ変わった石と楽しい玉の混在する、良質なショートショートでした。この調子で、色々な作品を物にしていって欲しいと思います。


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2012年11月26日

余りに出来の悪いSF 山田宗樹 『百年法』 感想

百年法 上


例によって、SFマガジンのリーダーズダイジェストで紹介されていたので興味を持った一冊です。

出版社のキャプションによれば「SF巨編」と書いてありますので、その様に扱って感想を書きたいと思います。まあ、瀬名秀明が言っているように、「SFじゃない」と言う言葉ほど不毛な評論はありません。あれは、単にジャンルを狭めるだけです。
要するに、悪口を言うなら正々堂々と、「このSFはクソつまんない」と言った方が解りやすいだろうと、そう言う話でございます。

さて、この作品の設定ですが、二次大戦で核爆弾を6発落とされて壊滅した日本が舞台。
その後日本はアメリカからHAVIと呼ばれる不老技術を提供され、復興を果たします。しかし、人間が永遠に生き続ける事を懸念した政府によって、この技術で不老化した人間は100年後に死なねばならないという法律もセットで導入。
そして、時は2048年。最初にHAVIを受けた人間が死なねばならない時がやってきた物の、当然反発は大きく……

と言うような導入になります。もの凄く突っ込みたい部分が大量にあるものの、話としては面白くなりそう、と言うのがファーストインプレッションでした。
ところが、話は全く面白くならないまま、むしろ矛盾と強引な展開・設定を積み重ねて収束することになります。

結論を先に書きましょう。

1,SF設定が破綻しており、展開が滅茶苦茶になっている
2,行政・法律関係の理解がなっていない
3,つまるところ、ディテールが圧倒的に不足している

1ですが、HAVIは一種のレトロウィルスで、テロメアの劣化を防ぎ細胞を永遠に若く保つという設定です。これ自体はどうと言う事のないお約束設定です。精神は老化していくという話にしても、神経細胞の新生を加速するわけではないようなので理屈はつくでしょう。(とは言え、どうも作者は「精神が老いる」と言う事が脳細胞に物理的基盤を持つ、極めて形而下の問題であるという基本認識がないようで、折角の設定は埋め殺しです)

まあ、括弧内の話はとりあえずスルーするとしても、最悪なのはラストの展開です。途中から、原因不明の多発内臓癌患者が激増している、と言う伏線が張られてます。こんな物、HAVI技術の欠陥以外に展開はあり得ないのですが、どう言う事なのか予想ができませんでした。何故なら、「年齢性別職業などと一切関係なく発生している」と言う説明がされていたからです。
ところが、最終的にこの病気は予想どおり「HAVI技術の副作用」と説明されます。しかも、なんと「この病気によって、HAVIを導入した人間は16年以内に全員死ぬ」と言うとんでもない話までセットでついてくるのです。ところがなんと、「何故HAVI導入後100年以上経って顕在化したのか」「何故発症率が激増するのか」の説明は、一切ありません。
それどころか、「HAVIを導入してからの年数と発症率は関係ない」とまで明言されます。ええと、数学じゃなくて算数の範囲だと思うんですが、「他の属性にかかわらず発症率が一定」と言う事は、100年前と現在と発症率は変わらないと言う事です。そして当然、「16年間で全員死ぬ」は全くもってあり得ない話になります。
年間発症率をNとすると、16年後の生存率は (1-N)^16 に過ぎず、これで全滅するならHAVI導入16年後に導入者は全滅していなければおかしいことになります。

って言うか、国内の疫学調査はともかく、海外でも同じ現象が起きているなら一発で種は割れるわけで、あの世界の公衆衛生当局は一体何やってたんでしょうね?気づかなかったなら気づかなかったで、ちゃんとその原因を設定して描写しましょうよ。

こんな、根幹も根幹の設定で何も考えていないような文章を出されて、感動しろと言われても「アホか」としか言いようがありません。


さて、次は2。
あのですねえ、今時「馬鹿な国民と理想に燃える愛国的で完璧な官僚」なんて言う対比像、書いてて恥ずかしくないんですかね?行政が巨大であるが故の非効率や官僚という物のセクショナリズム、そして「自分達が一番国益を考えている」と言う傲慢から来る問題点は、欠片も指摘されません。
と言うか、なんか指摘されてるのですが、物語は一貫して彼らに寄り添い続けます。
いやあ、本当に意味不明なんですが、あのアホ首相がやらかした劇薬のおかげで、独裁体制のディストピアが出来上がったわけですよね?そもそも、導入時に百年法の法案書いたのは官僚だろうとか、お前等100年何してたの?とか、突っ込むべき所は死ぬほどあるのですが。

大体、基本設定として、HAVIが導入されてるのに「医療費が激増して国民健康保険が破綻」とか、へそが茶を沸かすんですけど。医療費を馬鹿食いする老人がいないのに、健康保険が破綻するわけねえだろ!!いや、よっぽど保険料安くしてたとかなら破綻するでしょうが、それってHAVIとは全然関係ないですし。

そして、あんな基本的人権どころか近代国家の基礎理念(主権者たる国民を、国家は自由に殺せない)突き崩す百年法なんて言うトンデモ設定、必要ないんですよ。と言うか、百年法で誤用されている「生存権」を、字義通りに解釈すれば良いだけなのです。

※作者が基本的な調査すら行わなかったことが1ページで明らかになってるんですが、「生存権」と言うのは「国家に保護を求める権利」です。具体的には、「健康で文化的な最低限度の生活」を求める、つまりは生活保護を受ける権利です。「国家に殺されない権利」は「人身の自由」と言いまして、あの法文はありえません。

どう言うことかと言えば、100年経ったあとは、生活保護を受ける権利も健康保険を受ける権利も無くせばいいのです。そう言った「国家に対する権利」を失えば、あそこで描写されていた「HAVIを受けた国民が生き続けることによる弊害」は一掃されます。政治の老化が問題なら、選挙権に限って失効させればいい。いきなり命その物を取りに行くとか、頭がおかしいとしか言いようがないでしょう。

大体、「老いない人間が定年にならずに居座るせいで競争力を失う企業」とか、お笑いも良い所。だったら、それに変わる企業が勃興するだけでしょう。そう言う新興企業が出てこない土壌があるとしたら、それはHAVI云々の問題ではありません。当たり前ですが、老化した企業が競争力を失うことと、国全体が衰退することは全く別です。こう言う所だけ、無意味に官僚視点ですよね。競争力を失った企業を保護することと、産業を保護することを混同して法体系を滅茶苦茶にするのは、官僚の十八番ですから。

あ、そうそう。アメリカにおける百年法施行時に大統領が「建国の理念」を持ち出して国民を説得した、と言うエピソードは、幾ら何でもあり得ませんよ。あの国の建国理念は「国家なんぞ信用しない」です。徹底した三権分立も、フリーダムな地方自治も、憲法が保障する武装権も、つまりはそう言う事です。参考文献が「君主論」「ローマ人の物語」となんかフランスの政治体制についての本だけ、という段階でお察しくださいですが、もうちょっと何とかならなかったんですか?

せめて、民主主義というシステムが、理想云々ではなく「利害関係者を漏れなく参加させられる」「独裁よりも長期的に見てマシな政策が出てくる」と言う事実によって、競争の中で生き残ってきた合理的なシステムである、と言う理解は必要だと思うのですよね。でないと、逆説的に、民主主義の欠陥や独裁制が有効な局面に関する描写にリアリティが無くなりますから。
官僚的専制って奴は、本当にろくでもない事になるんですよ。戦前の大日本帝国における遠心分離状態や、官僚(参謀本部)の独立性が国を滅ぼしたドイツ帝国が、一番解りやすいですが。


そして、結局の所、こう言った問題は全てディテールの不足に起因するのです。
物語序盤、2048年の停滞した日本を描き始めたときは、結構上手く行っていました。しかし、以後物語が変わっても社会の別の面を切り取る登場人物は増えず、しかも内面描写をされるキャラクターは全員が全員理性的。と言うか、そうでないキャラクターはどうでも良い形で退場させられ、多面的に変容した社会を描写することができていません。
加えて、あれだけ外国がどうこうと言っているのに、外国側の視点どころか人物も出てこないのは、失笑ものでしょう。
「小松左京を目指したけど話にならなかった」と言う評価で、ほぼ間違いないと思います。


正直導入は面白かったですし、色々面白くなる余地はあったと思うのですが、こう言う壮大で綿密な考証が必要な物語は、向いていないんじゃないかと思います。
別に馬鹿にしてるわけではなく、史実に舞台をとって、その中で生死観の話とかを書けば、普通に出来の良い小説になると思いますので。
例えば、傲慢で卑小で人情家の牛島大統領とか、物事を勝ち負けで割り切る女性工員(前半)とか、かなり魅力的に描けてたりしますしね。

それにしても、ラストの展開は発端から解決策(人口9割減ったら行政の前提が変わるよ。そして、行政官の育成が16年じゃ足りない?数週間の研修で専門家面して技官に馬鹿にされてる官僚がうぬぼれんな)まで含めて本当に滅茶苦茶で、正直ウンザリした、としか言いようがないのですが。




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2012年09月30日

青春戦争飛行機ラノベ? 『終末の鳥人間』 感想


終末の鳥人間

2冊目は、雀野日名子『終末の鳥人間』。はじめて見る名前だと思ったんですが、角川ホラーの「トンコ」は読んだ事ありました。あれは、今一焦点が絞りきれない気がした物の、独特の痒みを伴うような気持ち悪い(誉め言葉)ホラーでしたが、こちらは青春小説です。

北朝鮮との緊張が極度に高まった近未来。日本海に面した企業城下町を舞台に、パッとしない県立高校のパッとしないダメ高校生が、ダメ教師と一緒に人力飛行機を飛ばす話です。
この紹介だと、焦点も減ったくれも無さそうな内容ですが、さに非ず。
極度の緊張の中で暴走していく日本・北朝鮮両国と、未来が見えすぎている企業城下町の鬱屈感、そしてリアルにダメな高校生達の諸相がガッチリ組み合って、滅茶苦茶な(と、あえて言いましょう)ラストシーケンスの飛行シーンになだれ込む手腕は、しばし唖然とするパワーがあります。
とにかく、外的状況(主人公達が干渉不能)と内的状況(主人公達が干渉可能)を巧みに使い分け、「こうなっちゃ仕方ない」と「それでもできる事がある」の合間を縫って、話を膨らませていく過程が巧みです。政治・家庭・土地。まだ大人ではない高校生はそれらの動きに翻弄されるしか無く、しかし子どもでもない以上、状況の中でできることもある。この辺のバランス感覚が巧みで、話は下に凸の放物線を描いて盛り上がっていきます。(最後にとんでもない所に突っ込んでいきますが、それ以前の描写を積み重ねているので、「一般小説が途中でラノベになった」かのような違和感は、結構薄まっています)

なお、ミクロのキャラクターの動きよりも、マクロでの社会の動きが不気味なリアリティを醸し出しているのは、アドバイザーのお陰でしょうか?ただあの、「結局誰かが悪いと言うよりも、状況の中で各人が少しずつ暴走していく」描写の仕方は、本当に見事でした。ああ言うのは、「あるかもしれない」と思わせれば勝ちですから。(一部法律・行政処置についてはさすがに突っ込みたくなりましたが)

それにしても、挫折者の物理教師は良いキャラクターですねえ。CHUNSOFTの、商業的には大外れだったらしい傑作AVG「3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!」に出てきた素敵な理科教師・相沢先生を思い出しました。

恐らく、名作とか傑作ではなく「怪作」だと思うのですが、とりあえず夢中で読み通した一品でした。
一体どう言う層に進めたらいいのか途方に暮れるのですが、とりあえずラノベやSFが好きなら、問題ないんじゃないでしょうか?SFマガジンの最新号でも紹介されてましたし。




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2012年09月28日

味の良いN匹目のドジョウ 『魔法少女育成計画』 感想


ドラクエXのせいで、時間が圧倒的に足りなくなっておりますが、とりあえず最近読んだ本の感想でもいくつか書いていこうかと思います。
実は、時間が無くて冊数を絞ったせいか、結構当たりが多かったのです。


魔法少女育成計画

最初の感想は、『魔法少女育成計画』。まあ、まどか☆マギカ以来雨後の筍のように濫発されている「アンチ魔法少女」物。何匹目か数えるのも面倒になってきたドジョウなのですが、これはなかなか味の良いものでした。

物語は、魔法のスマホアプリによって生み出された魔法少女が人助けをして回っている町で、運営(魔法界)側から「魔法少女の数を半減させることにしたので、お前等つぶし合え」と宣告されるバトルロワイヤル物。恐らく、まどか☆マギカの初期プロット「魔法少女でバトルロワイヤル」を、忠実にラノベに落とした感じでしょうか?

これだけ書くとお手軽便乗企画ですが、実はバトル物として非常に良くできています。魔法少女達は、魔法少女らしく特殊な魔法(例によって、身体強化や単純飛行は別扱い)
を一つずつ持っており、これを駆使して争っていくことになります。これが、最初のページに概要が明記されているのですが、万能に見えて穴があったり、役立たずに見えて使い勝手が良いなど、良い意味で予想を裏切り続けます。「その能力、そう言う意味かよ!」とかね。

でまあ、内容は割とハードでして、血湧き肉躍り色んなものがバラバラになります。これ自体は別にそう言う物でいいのですが、結局の所「魔法少女」が、営業上の釣り道具にしかなっていないのが哀しい所。
バトル物として良くできているんですが、その能力の多彩さと容赦のなさ故に、「魔法少女」と言う設定が、足を引っ張っているように思えるのですよね。勿論、西部劇スタイルのストロング魔法少女の変身シーンなど、「アンチ魔法少女」として強烈な効果を発揮しているシーンもあるのですが、むしろそればかりに流れている印象。(結局、普通の「魔法少女」は一人しかいませんでしたし)各人の「魔法少女」に対する思いやスタンスだったり、「魔法少女」と言う物のそもそもの歪さを上手く使えば、筋が通ったと思うのです。

この辺、本来水と油のはずのアメコミパロを交えつつ、「魔法少女」に対する突き抜けた真摯な描写を重ねていた「アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~」(当BLOGの感想はこちら)の方が、遙かに上でした。

あとですね、色々な設定上の問題を全部「魔法界が無能だったから」ですませてしまうのは、どうなんでしょう?いやあ、確かに最近はまったおジャ魔女どれみが余りに典型だったように、魔法界(またはそれに準ずる存在)って、年端もいかない少女に数百年来の問題とか押しつけてシレッとしてるヤクザな連中です。でも、アンチ魔法少女として再構成するのなら、そここそ設定的に一工夫するところ何じゃないでしょうか?まどか☆マギカだって、あの白い奴の態度から「年端もいかない少女を選ぶ理由?騙しやすいからだよ!」と言うような意図が透けて見えていて、最高に最悪でしたよね?

とりあえず、この作者さんの実力は確かだと思うので、次回作に期待したいです。



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2012年09月10日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 11巻 感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11) (電撃文庫)


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メディアミックスの都合で強引に足踏みをさせられて、物語の流れがグチャグチャになってしまっていた「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、その11巻が出ました。


あそこまでグダグダになってしまっていた場合、普通はシリーズごと切ってしまうのですが、文章の基礎的な技術力が非常に高いのと、ちゃんと終わる方向へ行く可能性が残されていた事を思い出し、購入・読破しました。

そして、感想は以下のとおりです。


舞台は整理され、コマは配置され、緊張が最高潮に達する中、物語は終局へと進む。
素晴らしい「終わりの始まり」。このままの勢いで最終巻を書ききれば、傑作になる事は想像に難くない。


では、その素晴らしい内容について、以下詳細。

まずこの巻は、今までの足踏みが何だったのかと思うほど、ストレートに本筋へと切り込みます。具体的には、桐乃と主人公、そして幼なじみの過去の問題を描くエピソードが即座に幕を開け、短編一本で逃げることなく一巻丸ごと展開させます。これは確かに、前巻ラストで予告されたとおりです。しかし、そう言った「決定的な展開へ至る道」をはぐらかしては時間稼ぎをしてきたここ数巻の流れから見ると、ビックリするほどストレート。

関係性の変化については概ね予想どおりなのですが、これをきちんと各キャラクターが言葉にし、事実として認識したことは重要で、正にエンディングへの地固めです。逆を言うと、ここを明確にした以上、物語は終わりへと向かわざるを得ません。最近全話視聴して大絶賛状態になった、おジャ魔女どれみの終盤を思い出しました。「大体こうなんだろうな」と言う予想と、それが明確な形になり物語を紡いでいく過程はハッキリと別物で、その予想が当たるかどうかは作品の質とは直接関わりません。


それにしても、思春期の妹との冷戦状態が余りにリアルだった作品序盤もそうですが、リアル妹持ちには、色々身につまされるところがありますよね。ええ、走って引き離しましたともさ。私は主人公のようなイケメンではなかったですから、転んで泣かれたら、むしろ加速したはずですし。そう言った妹の価値というか、「ちゃんと優しくしてやれば良かった」とか思うだけの余裕が出来る頃には、子ども時代は終わっているわけで。その後和解したところで当時の無自覚な所業がなかった事になるわけでもなく、また当時の自分を思い出せばそうせざるを得ない必然(小学生にとって友人関係は至上命題ですから)も憶えているだけに、何とも言えない気分になるわけです。


ところで、作中に年表が出ておりまして。これ自体は非常に解りやすく、またキャラによる解説もあってライトノベルの面目躍如なんです。しかし、ちょっと驚愕したことも付記しておかねばならないでしょう。つまり、「供給側は、ここまで客を低く見ているのか」と。破壊屋のこの記事を思い出してしまいました。頭の中で情報を整理しながら読み進めていたら、突然懇切丁寧な年表が出てきてガクッとなってしまいました。
勿論、解りやすさは正義であり、幅広い読者に対応する意味でもこれは悪いことではないはずです。ただ、何というか、巻末の付録くらいにして欲しかったなあ、と言う感想を抱くくらいは許されるでしょう。

ちなみに、当時の京介の人格については、一巻の内容と乖離が激しく間違いなく後付け設定だと思うのですが、語り口の巧みさとパワーで押し切り、「最初からこう言う設定だったのでは?」と思わせる手腕はさすが。キャラクターの活き活きした様子が「現在の」キャラクター描写と完全にマッチしていて、違和感を打ち消しています。この辺はさすが。

しかも、この過去イベント回想は、単なる本編のパーツに留まらず、愛すべき熱血野郎・高坂京介の、挫折の物語でもあるわけです。そして、本編(一巻)開始時の状況を、中学時代に犯した失敗の結果としての「平凡」と再定義し、物語全体を彼の再生の物語として語り直してみせる。これは、見事な構成です。

中学生、あるいはその前の万能感は成長と共にへし折られる物ですから、これは読者の共感を呼ばざるを得ません。私も、多分に漏れず定型的な成長過程を辿ってきましたから、懐かしさと鬱屈がまとめて領空侵犯してきましたよ。と言うか、リアル妹に散々言われた「お兄ちゃんは昔はもっとマトモだった」と言うセリフが変な風に再定義されて、胸に徹甲弾を撃ち込まれた気分です。

まあ、思春期過ぎれば酷く仲の悪かった兄妹でも、それなりに落ち着くもんだと思いますが。と言うか、思春期に冷戦にならない兄妹ってのもあんま見ないという、狭い範囲の経験則が。

そして、ラスト。残り一巻(短編集を間に挟むという手は使えますが)でケリを付けると宣言すると共に、膨張してしまった人間関係を、桐乃を軸に再整理。構造的には京介ハーレム物と見せかけて、実際は桐乃に対する友好・敵対関係の網の目で作品をまとめ上げ、いわば「最終決戦」への序章を紡ぐ力わざは圧巻です。

何よりも、暗黙の了解でぼかし続けた桐乃の立ち位置を明確化することで、「血を流さずにはおれない」リングの準備は完了。見事な手腕です。
この「プロローグ」は言わば、闘技場での剣闘士の紹介に当たるわけで、こんな引きで締められたら、もう期待せざるを得ません。ぬるま湯のハーレムものが増殖する状況にウンザリしていたロートルとしても、こんなエキサイティングな恋愛戦争を予告されたら期待度は限界を突破です。

いやあ、本当に最終巻が楽しみです。
願わくば、「誰とくっつくか」ではなく「それが必然であるかどうか」について、ガツンと納得させてくれるようなパワフルなエンディングが描かれますように。
ここ数巻の停滞で切ってしまわなくて、本当に良かったです。





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2012年06月13日

繊細な力押し 法条遙『リライト』 感想


リライト (Jコレクション)
リライト (Jコレクション)


SFマガジンの書評では余り良いように書かれていなかったのですが、割と当てにしている書評ページで誉められていたので、購入・読了しました。元々大好きなネタですし。

そして、満足度としては間違いなく「当たり」でした。

本作は、もう何編書かれているか解らない時をかける少女のオマージュです。あの(そのオマージュの代表作で指摘されているとおり)矛盾だらけで、しかしそんな事を物ともしない強烈な魅力に溢れた作品は、どちらかと言えばその矛盾部分を整理して辻褄のあったSFに落とす形で、オマージュされてきました。勿論、アニメ版のように、魅力である青春の眩しさ・愛おしさを全面的に抜き出した再話もあったわけですが、それは例外。

ところが本作は、それらとは方向性を異にします。具体的には、「辻褄を合わせる」と言う再話のパターンを踏襲しつつ、その「辻褄が合う」と言う部分を、恐ろしく気色の悪い形で提示してみせるのです。

物語は、正に「時をかける少女」そのままに、未来からの転校生との恋の思い出を持つ少女が、十年前の自分を待つところから始まります。十年前にたった五秒のタイムリープをし、未来から持ち帰った携帯電話で少年の命を救った自分。しかし、何故かそのイベントは起こりません。かくして、「過去が書き換えられている」らしいことに気づいた主人公のパートと、過去の断片がまき散らされた謎解きが始まる、と言うのが導入部。

結局、物語の辻褄は、もの凄い力押しを複数行使してまとめられるのですが、その際に読者が登場人物と共に味わわされる理不尽さは、筆舌に尽くしがたい物があります。読んだどちらかの書評(あるいは両方だったか)で「ホラー的」と表現されていましたが、確かにその通り。
過去は変わらない、あるいは変えられる、どちらの解釈を取るにせよ(この作品はハイブリッドですが)つきまとう矛盾と、矛盾を消すために行使される力の非人間性。それらが、輝く青春の物語をズタズタに引き裂き、しかしその根底を流れているのが、青臭く前向きで、そして何より愛おしい心のあり方だというのが救いでもあり呪いでもある構成が、良い意味でも悪い意味(この場合、ホラー的評価をするならば誉め言葉ですが)でも作品を鮮烈な代物に仕上げています。

と言うわけで、タイムファンタジーとしては実に歪で、それがオマージュ元とは角度の違った魅力を提供している「リライト」、中々楽しめた一冊でした。
唯一残念な面を上げるなら、この内容と手触りであれば、8月辺りに出版するのが一番効果的だったのではないか、と言う位です。

根本的に好き嫌いの別れるタイプの作品だと思いますが、一応お勧め。「ラノベとの境界領域を目指してクレパスに落っこちている」と評したくなることの多いハヤカワJコレクションの中で見ると、三指に入る(割と適当)面白さだったと思います。

あ、そうそう。
情報が結構混線するので、出てきた登場人物名だけはメモしながら読み進んだ方が良いと思います。でないと、名字と名前が分裂する事の多い設定と相まって、無駄な情報負荷がかかりますので。




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2012年05月15日

良くできてるけど嫌い/虚淵玄『白貌の伝道師』 感想

白貌の伝道師 (星海社FICTIONS)
白貌の伝道師 (星海社FICTIONS)


「白貌の伝道師」は、2004年にコミケで売られたニトロ+の公式同人小説です。これが、虚淵玄のメジャー化に伴って、商業出版されたのが今回の星海社版です。
公式同人を追いかけるようなファンじゃありませんでしたので、私もこれが初見になります。

内容は、ファンタジー世界で一辺の曇りもなく真っ黒な悪人が、ドス黒い悪事を敢行する話。いや本当、それだけで全部言い表せてしまう代物です。

恋人に裏切られて陵辱されたところを救われたハーフエルフの少女と、それを救った謎のエルフを中心に話が進みますが、徹頭徹尾ひどい事しか起きません。まあ、惨劇を描く作品自体は良いのですが、ひたすらに悪の哄笑が木霊する風情で、正直読んでいて困惑しました。

いや、色々出来は良いんですよ。編まれていくたちの悪い陰謀だったり、クズとゲスが登場人物の大部分だったり、何処を探しても救いなんか欠片も無い徹底さ加減とか、同人の面目躍如と言えるかもしれません。
ただ、主人公が余りに無敵すぎて、同系統のラノベと逆方向で「はいはい、どうせ惨劇は回避できないんでしょ」みたいな気分になってしまうところはかなり問題。話の内容は絶望的なのですが、精神にクル物が少ないのは、この辺が原因じゃないかと思います。もっとこう、希望をちらつかせた上で絶望に叩き込まないと、読者としては受けるショックが軽くなってしまうわけで。
勿論、そんなもん読みたいかと言われたら、現段階でお腹いっぱい、と答える所ですが。

ただ、救いが全くないと逆に単調になるのは確かですし、何より話にメリハリが効きません。例えば、巨匠スティーブン・キング先生の諸作なんか(特に初期作品は)後味悪い悲劇ばっかりなんですが、後に何も残らないかというとそうでもない。むしろ残る希望や人間性にこそ、絶望を強調する味わいが出てくる。(その意味で、デビュー作のキャリーはこの作品と同じパターンですね)そう言った豊穣さは、やはり不足していると思います。

とは言え、結局この物語は、虚淵玄と言う「ひっでえ話ばかり書いているシナリオライター」のファンに向けて書かれた物なわけで、その意味で間違っていないのでしょう。まあ、まどか☆マギカで増えたファンがこれを書店で手に取る悲劇が目に浮んで、眉がひそまるわけですが。

あと、これも同人らしいと言いますか、作者が興味関心情熱を注いだ部分以外は、超適当。何しろ、いきなり「エルフ」で「レンジャー」で「トレント」ですよ。"水野良"と言う不吉な言葉を彷彿とさせるほど、20年前のお約束設定・単語で構成された世界は、一周回って驚かされました。独自性なんて、はなから欠片もありません。虚淵源は、当時のオタクらしくTRPGゲーマーだったらしいので、一番書きやすかったのでしょうが。

とまあ、虚淵源をまどか☆マギカで知ったわけではない、昔からのファンにはお勧めと言った内容でした。もっとも、そんな連中は9割方発売当時(8年前)に買っているはずなわけで、今となっては書店ラノベ棚のブービートラップとしか言いようが無いと思います。
いや、書いたとおり、シナリオ構成や文章は、間違っても悪くないのですけどね。
でも個人的感想としては、「俺、これ好きじゃない」と言っておきます。多分、作者にとって、これが一番の誉め言葉になってる気もするわけですが。




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2012年04月12日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 10巻 感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第10巻
俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第10巻


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脅迫容疑:32歳の男逮捕 小説家にメール500回以上(毎日新聞)
↑何やら、リアルの方で話題になっていたりもしますが……
ちなみに、リンク先が毎日なのは、ファン的意味で記事が一番詳しかったから。意味の解らないリンク付きの産経とか、参照したくないじゃないですか。(多分、脅迫というキーワードだけで繋げたんだと思いますが)


8巻9巻で、物語としては完全に「逃げ」を打ち、一貫したシナリオ構成という観点からは決定的に劣化してしまった、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の10巻です。

さて、例によって結論を先に書きますが、非常に評価に困る代物となっています。


1,読みやすさ・場面場面の面白さはとても高レベル。「ライト」なノベルのお手本と言っても良い。
2,8巻9巻で生じた物語の骨格異常を、矯正するきっかけになるなら高評価だが……


まず1ですが、これはもう一々説明するまでもないですよね。ドタバタにせよ掛け合いにせよ、技巧的には全く不満がありません。負荷も何もなく、気持ちの悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら、スラスラ読み進めることができます。
各キャラクターは、これまでの蓄積でのびのびと自然に動き回っており、作者が楽しんで書いている雰囲気(勿論、真実など知るよしもありませんが)が伝わってきます。ピンポイントの脇役にしても、しっかりキャラの立った行動で強い印象を残しますし、割とアクの強い場合でも不快感まで突き抜ける事は基本的にありません。
個人的には、日向(黒猫妹)と黒猫の会話が短いながらも好感触。ろくでもない兄弟勢揃いの作品世界の中にあって、とても微笑ましい掛け合いを見せてくれるので癒されます。

ただ、この面白さというのは、要するに「凄く出来の良い萌えゲーをプレイしているときの感覚」に他なりません。そして、特化した萌えゲーを腐している事から解るとおり、私にとってこれは誉め言葉ではありません。
結局の所、気づいてみればこの作品は京介を中心とする、ただのハーレム物に成り下がってしまったと言う事です。愛すべきオタク達の人間関係構築の話でも、その中での恋愛と兄妹関係の清算を通じた成長譚でも無く、単なるドタバタを中心とするラブコメディ。それは決してつまらなくなど無く、むしろ上で書いたとおり絶品の面白さです。しかし、この物語が面白かったのは、決してそれだけではなく、そのキャラクター達がゆっくりと成長していく過程であり、その人間関係の変化・昇華へとゆっくりと進んでいたからでした。
勿論、何度も書いているとおり、作者の主張が生硬に顔を出してしまうようなある種の熱さ(それ自体は瑕疵でしたが)や、安易な萌えシナリオにはしないというキャラクター配置も魅力の一因でした。と言うか、最初からこう言う方向だったらここまで面白くなっていないわけで、編集から入る軌道修正が角を矯めているように思えます。

そもそも例によって、作品についてのインタビューに、編集だの宣伝担当だのゲームのプロデューサーだのが出張ってきてる段階で、ね…… (←の前半に当たる2期アニメプロモはもっと露骨ですが)

さすがに、前巻のふざけたタイアッププロモーションや話の雑さは鳴りを潜めましたが、読んだ感想はやっぱり「終わらせ損ねた物語」でした。

そして、2です。
しかし、今回のラストで、また話を動かそうとする雰囲気が見られました。勿論あれは、単なる商業的要請から来る「ロングパス」であり、7巻から8巻の構成同様酷いオチで終わる可能性は有ります。
しかし、京介と桐野の卒業というイベントも迫っていますし、あと数巻で物語を畳むための「終わりの始まり」の狼煙だとするならば、大いに期待できるところです。

まあ、こうやって変に期待をかけて付き合い続けるから、無意味なシリーズの長期化が横行して作品の質が下がり続けるんだろう、と言うのは完全な事実なわけですが。

と言うわけで、とりあえずこのラストから続く展開だけは、見届けてみたいと思います。

ただまあ、商業的要請としては、恋愛に決着を付けるような展開はやって欲しくないんでしょうね。アニメ2期にせよギャルゲーにせよ、決着を付ける展開を事前に見せるのは問題という事になるでしょうし。

本当、角川のメディアミックスは、多くの優れた作品を生み出す一方で、多くの優れた作品を「優れた作品」レベルに押しとどめ、または持続させる中で凡作に落とすと言った罪が大きすぎるのではないか、と思う次第です。
ええ、売れずに消えていく良作が多いことを考えれば、そのセールスポイントを見抜いてプロモーションし、「優れた作品」レベルに引き上げるあそこの力を、”否定”することは、少なくともできないのですが……



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2012年04月11日

ミステリーファンはこれを喜ぶの? 『葬式組曲』 感想

葬式組曲 (ミステリー・リーグ)
葬式組曲 (ミステリー・リーグ)


個人的にですが、推理小説には苦手意識が強いです。読めば読んだで面白いのですが、「伏線の構築と回収」と言う作劇テクニックを自己目的化したジャンルそのものに、強い疑問を憶えてしまうのです。恐らくは、読書体験初期にシャーロックホームズに理不尽感しか感じなかった好みの問題に、物語の面白さを評価の埒外に置く「新本格」への嫌悪感が重なった結果だと自己分析しています。私が「推理物ですらなかった」うみねこを一切評価できない一方、「推理物でなかった」ひぐらしをそれなりに評価しているのは、この辺が関わっているのでしょう。

と言うわけで、今回紹介する、天祢涼『葬式組曲』の感想についても、その辺を割り引いて読んで頂けると良いかと思います。

この物語の時代設定は、近未来の日本。そこでは、「直葬」と呼ばれる簡易な野辺送りが普及し、従来型の「葬式」は舞台となるS県(本土外、と書かれているので恐らく佐賀県)以外ではほとんど行われないどころか、ある種の嫌悪感をもって見られています。(葬儀社の人間が公民館に立ち入る事に行政が難色を示すレベル)
そして物語は、この県の新興葬儀社が関わった様々な「普通でない」葬式の諸相と、その裏に隠された故人と遺族の意図・謎を描き出していくことになります。

これは、実際非常に面白い物でした。元々推理畑の作者と言う事もあって、伏線の構築と回収はこなれており、各話の中で簡単な謎と回答が短サイクルで上手く回されます。謎の力点の置き方も、関係者の意図におおむね集約され、それが葬式という故人との関係を清算する場と相まって、綺麗に物語が組み立てられています。

実際問題、ここまでであれば、良くできた連作短編集として、満足して本を閉じられたはずなのです。

しかし問題は、それまでのシナリオを全て引っ繰り返す、締めの一編にあります。

ここで、今までの短編中で張り巡らされてきた伏線が発動し、物語の前提を覆す展開があらわれるのですが、残念ながら、余りにも唐突かつ内容がそれまでと異なり、唖然とすることになってしまうのです。

唐突とは言っても、決して伏線が足りないわけではありません。読み始めてすぐに感じた違和感(固有名詞の使い方や背景情報など)や、構成上の些細な疑問点は全て伏線であったことがここで解りますし、そう言う意味での納得感は十分です。
しかし、その内容が余りにそれまでの「お葬式ちょっといい話」みたいな話の流れから浮き上がっており、有り体に言って、気持ちが付いていかずに浮き上がってしまいます。
私は、いきなり横っ面を張り飛ばされたような理不尽な気持ちで、本を閉じる羽目になりました。

確かに、私のようなボンクラSFファンは、それまでの物語が最終章で大きくSF的展開へと飛躍する作品を絶賛します。ですからこの作品も、推理物のファンであればむしろスタンディングオペレーションなのかもしれません。ラストエピソードの内容的はミステリー的な、余りにミステリー的なお話ですから。

と言うわけで、非常に扱いに困る作品でした。書いたとおり、ラストエピソード以外は割と綺麗にまとまっている短編集なのですが、ラストでその良さは全部キャンセルされていますので。

例えるなら、小綺麗な一戸建てが組み上がっていくのを見ていたら、ラストが突然、その家の爆破解体ショーになってしまったドキュメンタリー番組と言いましょうか……
普通ラストのどんでん返しとは、それまでの面白さの上に一枚新しい面白さのレイヤーを重ねるか、別種の面白さに塗り替える物だと思うのですが、これの場合、単に塗りつぶされて終わりになってしまった印象。

ですが、これを面白いと思う読者がいるという前提で(あるいは作者・編集者が面白いと思ったので)世に出ているわけですし、つまらないわけではない。いや本当、モヤモヤするとしか言いようのない読後感でした。まあ、こう言う読書体験も、たまになら悪くないでしょう。



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2012年03月14日

これは確かに良い掌編 『ビブリア古書堂の事件手帖』 感想



ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫)


今回は、全然関係のないところで唐突に名前を聞いたライトノベル(?)、三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの感想です。興味を持って読んでみましたが、なるほど「当たり」でした。

内容は、北鎌倉の古書店主でビブリオマニア(本狂い)の「栞子さん」と、過去のトラウマで活字をろくに読めない主人公のコンビが、古書にまつわる謎を解き明かすと言う物。
謎とは言っても相手にするのは、祖母が残した本の書き込みから秘められた過去が浮かび上がる第一話を筆頭に、セドリ屋が盗まれた本を探し出したり、遺品の古書に託された想いを読み解いたりと言った、日常の小さな事件です。しかし、その一つ一つが本を巡る登場人物の人生と重なり、とても優しい世界観を醸し出しています。

ちなみに、一巻の構成は実に古典的なアームチェア・ディテクティブ物。古書について語り出したら止まらない人嫌いの栞子さんと、体育会系無職の主人公は、実に良いコンビです。
推理小説は余り好きではないのですが、推理させる事では無く、謎がひもとかれる展開に焦点を絞った作りで、楽しく読むことが出来ました。
また、古本屋ではなく「古書堂」の題から解るとおり、出て来る本は最低でも40年以上前の古典達。ただ、その内容はきちんと作中で説明されるので、知らなくても全く問題ありません。と言うか、私もちゃんと読んだ事のある作品がなかった件…… 逆に本当に詳しい人だと、書名が出てきた段階でオチまで解ってしまうのかもしれません。

また、やはり良いのは出てくる古書店の雰囲気でしょうか。北鎌倉の駅の近くに、ひっそりと建つ光景が目に浮びます。私は鎌倉は結構行くのですが、最初読んだとき「ああ、こんな店あった気がする」とありもしないモデル(著者によると、北鎌倉駅周辺にはそもそも古書店はないそうです)を、幻視してしまいました。
本好きになる過程で古書店を回らなかった人間は余りいないでしょうから、正に本好きのための物語なのでしょう。勿論、現在古書店が絶滅危惧種となって居る事は知ってのとおり。そして、それに相応の理由があることも我々は知っているわけです。しかし、それでも、「あの日」の古書店が持っていた雰囲気を追体験させる設定と描写は、「こんな店と店主が、今でもどこかにいてくれるのだろう」と言う想像をかき立てる力を、きちんと確保しています。
……まあ、栞子さんみたいな人って、古書店の店主よりも、各地の図書館が色々な意味で壊滅(結果的に利用者が増えたんだから、と言う価値観は否定しませんが)する前の司書さんに多かったと思いますが。今でも、大学図書館なんかでは見られますね。

閑話休題、どんな傾向であれ、本が、読書が好きな人にはお勧めの一冊(現在二巻まで出てますが。なお、続刊予定)でした。たまには、ご無沙汰して久しい古書店をめぐってみたい、そんな事を考えたり。まあ、過去行っていた古本屋が壊滅したからこそ、今があるんですけどね!この辺り、個人ショップが大手チェーンに統合されて行き、結局家電量販店とAMAZON以外で買い物をしなくなっていったゲーム市場とパラレル。

とまあ、また一つメディアワークス文庫から、購入シリーズに追加です。この作品なんか、もはやライトノベルではない(表紙がアニメっぽい、と言う最終防衛ラインすら不明確。いや、確かに一般文庫と言い切るのは違うのですが)と言って良いと思うわけで、電撃は順調に一般小説市場に食い込みつつある感じですね。ライトノベルを「卒業」させずに活字市場に留まらせると言う意味で、本当に上手いことやってるなあと思います。俺妹なんか野感想で書いたとおり、電撃のマーケティング・生産手法にいい加減腹を立てていても、こう言う点は評価してもしきれないですね。

では、またエントリーの間が開いてしまいましたが、今日はこの辺で。



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2012年03月09日

同情不要 『僕と彼女とギャルゲーな戦い』 感想

僕と彼女とギャルゲーな戦い (メディアワークス文庫)
僕と彼女とギャルゲーな戦い (メディアワークス文庫)

『妄想ジョナさん。』で作家を続けていたことに気づいた西村悠ですが、他の作品も読んでみることにしました。
と言うわけで、まず手を伸ばしたのがこれ。比較的新しい(2010年)『僕と彼女とギャルゲーな戦い』です。

内容は、小規模デベロッパーに雇われた大学四年生が、デスマーチを乗り越えて成長する話。と、こう書くと、『なれる!SE』の感想と同じような流れになるかと思われるでしょうが、ちょっと違います。『なれる!SE』と違って、舞台の会社はブラック臭が多少小さいと言うのもあるのですが、そこよりも更に気になる部分が大きかったのです。あ、最後のオチについては、二つの作品ではほぼ同じ感想でしたがね。

何が引っかかるかというと、ギャルゲーマーとして過ごしてきた私自身の経験です。
結局の所この作品は、「クソゲーができるまで」とでも言うべき、偽実録(語義矛盾)デスマーチ作品です。これだと名作である「らくえん ~あいかわらずなぼく。の場合~」が頭に浮びますが、あちらがそこでしか生きられないダメ人間達の、血を吐くような、間違っている事が前提の自己実現(社会からも市場からも一切評価されないというラストは、必然です)の話だったのに対し、こちらは妙に前向きで苛つかされるのです。

どう言うことかと言えば、この作品ではあの会社の作ったあのゲームが、「価値がないどころかマイナス」と言う視点が、すっぽり抜け落ちているのです。

別に、主人公達を非難していのではありません。あれは不幸が重なった事故(良くあるけどな!)ですし、責任を云々できることではありません。
しかし、あのゲームを買ったユーザーの失望は紛れもない事実で、「評価してくれた人も居た」などと言う甘っちょろい話でお茶を濁されては、怒りも心頭に達しようという物です。
だって、作中のゲームがどんな感じに仕上がっているか、そして雑誌等でどう期待を煽られていたかは、正に手に取るように・目の前のディスプレイに映し出されているかのように、克明に想像できるでしょう?自己の経験に照らして。

そして、青息吐息どころか、死亡寸前のチェーンストークス呼吸に入っているエロゲ・ギャルゲ業界の惨状を導いてきたのは、正にああ言うゲーム達です。ある娯楽に失望するのに、地雷レベルのネタ作品など必要ないのです。明らかな納期ミスや練り込み不足や途中カットによって、ガッカリとしか言いようのない出来になった代物を数本連続で掴まされれば、簡単に客は市場から逃げ出します。

繰り返しますが、この過程に制作会社や制作者はほとんど責任がありません。制作体制そのものの問題、市場・業界・更にそれを包摂する社会の波をかぶり、ある意味最適手を打ち続けてきた結果なのですから。
しかし、彼らが被害者であることと、客や市場に対して加害者になると言うことは独立で両立しうる命題です。ゲームを、ゲーム業界を愛すると叫ぶ登場人物達にその視点が欠けていることに、私はとても大きな違和感を覚えました。

あの、未完成品をやっつけで完成させた代物を売りつけられ、一体何人がギャルゲーに見切りを付けたでしょうか?何人が、市場から去ったでしょうか?あるいは、ギャルゲーというものを初めてやってみようと、雑誌で大きく取り上げられていた作品に少なくない小遣いを突っ込んだ少年は、何を思ったでしょうか?彼らの罪の本質はそこで、ビジネス的に赤が出なくて良かったねみたいな話は、超短期の緊急回避でしかありません。

いや、ちょっと想像すれば解るはずなんですよ。見事にやらかしたあの作品を受けて、ユーザーは次のオリジナルタイトルを予約するか?雑誌は大きく特集を組んでくれるか?勿論、事前にプログラマーが言っていたとおり、主人公のライター名にも大きな傷が付いていますよね。
最後にパブリッシャーから評価されて良かった云々の話は、チャンスを残すと言う程度の意味しか持ちません。別に、この作品がビジネスの指南書なら、あの売り逃げ上等の弥縫策は最適解のダメージコントロールですが、物作り系の話でそれを前向きに書かれても、正直困っちゃうんですよね。

と言うわけで、私はこの作品から全くカタルシスを得られませんでしたし、むしろ実体験に照らして、「潰れちまえ、クソメーカー」みたいな感想しか抱けませんでした。当然、主人公の選択にも肩をすくめるしかありません。むしろ、納期さえ余裕があれば良い物を作れる、と言うのなら、同人ソフトで成り上がりを目指すのが、昨今の市場環境だと一番良いんじゃないかと思ったり。
それじゃ食えない、と言う話については、正に主人公が「そうなれたはず」なとおり、正業持って日曜ライター方式で制作すればいいだけの話なんですよ。だって、結局主人公達が作ったゲームがクソゲーになったのは制作システムの問題で、そこをクリアする解答として、副業同人方式は十分適しているんですもん。

まあ、この作品については、作者の実体験を活かした方向性がいつもと違う作品みたいなので、とりあえず他の作品も読んでみようかと思います。




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2012年03月04日

力強い秀作SF短編集 『リリエンタールの末裔』 感想


リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)
リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)



上田早夕里は、小松左京直系と言って良いであろう、骨太の未来史『華竜の宮』で一躍有名になったSF作家です。
最近だと、まどか☆マギカがノミネートされた事で話題になった、日本SF大賞を受賞していましたね。個人的には、作品としてのパワーではまどか☆マギカの方が上だろうと思いましたが、「SF大賞」である以上、実力十分なこの作品がトップを取る事に違和感はありませんでした。(まどか☆マギカにも特別賞とかやれよ、とは強く思ったもんですが)
ただ華竜の宮は、個々のエピソードは良くできている物の、今一全体の連関が弱く、点描に留まっている部分があるのは残念に感じたところでした。小松左京との比較という意味でも。もっとも、この辺は好みの問題かとも思います。

さて、その作者の最新刊が、このリリエンタールの末裔です。内容は、華竜の宮との関連を前面に出した販促とは裏腹に、相互に独立した四話入りの短編集です。

しかし困った事に、表題作で華竜の宮の世界を舞台にした「リリエンタールの末裔」が、もっとも残念なできでした……
いや、作品の概要は悪くないのです。主人公の民族の起源も、都市における対立も上手く本筋に絡みついていますし、航空マニアの店主もやや定型的ですが魅力的。主人公はちょっと変わっていて、飛ぶ事に取り憑かれた姿は「男の子」キャラの典型のはずなのに、何故か「少年」より「少女」をイメージした方がしっくり来る不思議な存在です。(多分、被迫害者なのに迫害者との直接対決を避けると言うより興味の外に置く基本スタンスが、余り「少年的」でないせいでしょう。なお、毎回繰り返しますが、作品に対するジェンダー評価なんぞクソくらえであり、単に感じた印象を分析しているだけだという事を、ご承知置き下さい)
閑話休題、とにかく問題なのは、「そこで終わっちゃうの?ここからがキモでしょ!?」と叫ばざるを得ないラスト。正直このままでは、ヤマはなくオチが弱い、秀作ならぬ習作状態ですよ。最近アニメが話題になっている「ANOTHER」のラストを読んだときの気分、と言えば、理解してもらえるでしょうか?
基本的な設定や造りは魅力的なので、独立した長編に仕立て直せば化けるんじゃないかと思います。確かに、昔のSF短編って、こう言う投げっぱなしが良くあった気がしますが、それはむしろ克服されるべき過渡期の現象だろうと言いたいところ。

以下、各話の感想。

「マグネフィオ」
高次脳機能障害を患った元医療機器メーカー社員と、同じ事故で植物状態になった同僚、それにその妻を交えた三角関係の話。
基本的にイーガン型の、パンクまで行かないサイバー譚なのですが、人間関係に重きを置くウェットな作りになるのは日本SFのお約束。こう言う所も小松左京直系という印象を補完します。
ただ、植物状態になった夫の脳磁波情報を置き換えた、美しい花の映像に見入る妻の姿とか、色々病んでしまったリアル障害者家族の姿を見るようで背筋が寒くなります。オチの話は散々イーガン他がやってきたネタなので新奇性は無い物の、そこに落とすまでの過程でしっかりと認識の恣意性を扱っていて好感触。SFはジャンル小説に他ならないので、センスオブワンダーと言う名の新奇性以外にも、やり尽くされた観のある話を別の角度から再話して見せる技巧はとても重要です。これはそう言う話で、正に短編向きの佳作。楽しめました。


「ナイト・ブルーの記憶」
ひょっとするとこれも華竜の宮と繋がっているのかも知れない、極近未来のエピソード。
無人深海探査艇のAI訓練役として、フィードバック機構を豊富に備えた探査艇とある種のシンクロをして、海に潜る男の話です。
この中では一番短い話なのですが、イメージは一番強く、気に入りました。要は、感覚を拡張されたせいで、自己認識と共感覚が変容してしまった人の話なのですが、その変容が近くに居た人間の回想の形で語り直される事で、上手く読者の共感に繋げています。断絶が決定的になるシーンは、直前の話の持って行き方にやや作為的なものを見てしまうのですが、情景が目に浮ぶような沈痛さを憶える事ができますし。
なお、これも語り部が「別の地平に立ってしまったパイロットに、惹かれてはいても終生知人以上の関係になる事はなく、憧憬と共にある種の恐れも抱いていたメディックエンジニア」と言うような立場の人間から語られるので、割とウェット。舞台が海、と言う駄洒落ではなく、この辺が作者の持ち味なわけです。今思い出しましたが、読んでいるときの感覚が菅浩江に近いですかね。


「幻のクロノメーター」
オチは書かないようにしておきますが、ネタがマリン・クロノメーター(航海用時計)なので”そう言う”話かと思ったら、ちょっと違った話。まあ、オチの方向性は余り変わらない気がしますが。
まあ何というか、百年以上生きているらしい女性が、有名な時計職人「ジョン・ハリソン」(実在人物。wikipediaの記事はこちらですが、この話の重大なネタバレを含むので、作品に興味を持った人はまだ読まないが吉でしょう)に仕えた経験を語り出す、と言う辺りで大体話の流れは見えるかと。これまた古風な傍点の形で、ポイントを強調してくれていますし。
ただ、その大仕掛けとは別に、割と卑小な各人物が精一杯生きている姿や情景描写はこなれており、十分に魅力的。大きな物語に回収される内容ではあるのですが、あのオチがなくても「大作を書く作家が肩の力を抜いて書いた小品」として普通に赴きある物にまとまったんじゃないかと思います。例えて言うなら、クラークの『白鹿亭綺譚』みたいな。(ところで、←が1円出品行進でない事に驚愕。元があんまり売れてなかったからでしょうか?それより、今になってみると、コード番号が404ってのは面白いんだかなんなんだか)
まあそう言うわけで、これも面白かった一品。


全話文体構成を変えている辺り、色々試しているんじゃないかと思いますが、どれも欠けたところはあるにせよ、基本的に良くできていました。SF作品に外れが少ないのは、時間の工面が難しい時には、実にありがたい事です。



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2012年02月02日

最近読んだ本の感想

現在、私はトロピコ 4で絶賛独裁者街道邁進中ですが、疲れるので長時間持続は困難。一方、ACVはストーリーミッション終わった段階で、色々ガッカリ(決して駄作ではないんですよ)で意欲減退。
と言うわけで、どちらもちゃんとした感想は後日として、今日は書籍でも。



ボンクラーズ、ドントクライ (ガガガ文庫)
ボンクラーズ、ドントクライ (ガガガ文庫)

まずは、大樹連司の『ボンクラーズ、ドントクライ』の感想。
内容は、ヒーローごっこに明け暮れるだけのダメな映研に入ってきたきつめの美少女に感化され、ダメ人間が映画を撮る話。舞台は90年代末で、当時の自分を思い出して涙。映研の看板だけで特撮ごっこに明け暮れる主人公達と、理系部活を乗っ取ってTRPGに明け暮れていた私は、大して変わるところはありません。
そして、余りにリアルな主人公のポジションの説得力は異常。最近よくある「女の子とつきあえないダメな主人公を前面に出す」と言うのではなく、ダメ人間の不器用さを愛すべき物として描く、優しい視点。結論は、全く甘くねえけどな!大前提が現実だし!
でも、あの微笑ましく青臭い心の動きなんか見てると、やっぱり我々(私)がダメなのは、高校時代とかにああ言う甘酸っぱい体験をリアルでし損ねたからなんでしょうねえ……

なお、部長みたいなうざい特撮オタは当時の仲間にもおり、今でも時々会ったりしてますが、正にあんな感じでしたね。でも、そのヒーロー論にハッとさせられる辺り、良くできてます。ありきたりと言っちゃダメですよ。あれは、90年代に生きる部長が、物語を通してたどり着いた結論なんですから。

ま、基本的に極めて地味な小品なんですが、同作者の著作としては、放課後のロケッティア(感想はこちら)に次いで気に入りました。ゾンビが出てこない方が面白かったんじゃないかという感想になってしまったオブザデッド・マニアックス(つまらなくは無いです)と比較すると、現実に根付く地に足の付いた話の方が向いているのかもしれません。



ニコニコ時給800円
ニコニコ時給800円

続いての感想は、『ニコニコ時給800円』。零式を最後に見なくなったなあ、と思っていたら、海猫沢メロンはハードカバーというか一般書っぽい方向に移ってたんですね。
とりあえず最新刊を取り寄せて読んでみたのですが、ええと…… 悪くはないんですが、もの凄く普通の一般小説。
ゆるい連続性の群像劇で、阪急電車(批判的な感想はこちら)などよりよほど楽しめたのですが、作者の持ち味だった濃厚さ・過剰さは一切無し。しかも個々の話は、一番肝心な部分とオチが省かれていて、もの凄くモヤモヤする内容。ソツなく手堅くまとまってるんですが、そんな話が読みたくてこの作者の本は手に取らないよなあ、と言う感想にならざるを得ないです。この方向で大成したら、初期作品は軒並み黒歴史扱いになるんでしょうね。



沢木道楽堂怪奇録―はじまりのひとり (メディアワークス文庫)
沢木道楽堂怪奇録―はじまりのひとり (メディアワークス文庫)

三番目は、寺本耕也『沢木道楽堂怪奇録 はじまりのひとり』の感想。『超能力者のいた夏』(感想はこちら)で気に入った作者の第二作。まずは、ちゃんと二作目が出たことに安堵の拍手。
内容は、恐ろしく正統派の幽霊譚。幽霊が見える探偵まがいの何でも屋が主人公で、ワトソン君役が一話ヒロインの女子高生ですが、後者は余り前面には出ず。
第一話の、正統派を通り越して陳腐の領域に片足突っ込んだ話に眉根が寄りましたが、表題作の第二話が実に気色の悪い(誉め言葉)SF怪談で満足。小松左京の短編風味、と言えば解る人には解ってもらえるでしょうか?キャラクター的には、三話のうざいオタク(の幽霊)が一番立ってまして、こいつはレギュラーになったほうが、引き出しが増えてよかったかも。ただ、扱い難しそうですし、仕方ないかな。
とりあえず、話は色々展開できそうですし、続きが出たら読んでみるつもり。表題作からの続編展開次第では、割と本格的なことをやれる可能性もありそうですし。後者については、面白くなるか実に難しい(様々なSF作家が挑んできたテーマなので、字義通りの意味です)ところだとは思いますが。



アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1
アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者1

四番目は、『アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者』第一巻の感想。
内容は、政府に雇われて、オタク文化伝道師として中世ファンタジー世界に送り込まれたヒキニートの話。
と、これだけ書くととてもライトノベルなライトノベルですが、さにあらず。多くの人が初期設定を聞いた段階で思うであろう、「伝道も何も、基盤文化が違いすぎる」と言う問題がメインテーマ。
オタク文化なんて物は、属性的には大衆文化の代表格なので、「平和」で一定の文化・教養レベルを持つ「大衆」が存在する「近代的」で「自由」な社会じゃないと、広めようがないわけですよ。その辺の諸々を中盤から前提に出して、とりあえずアクション一個で一巻を締める(問題の提示をオチに使う)構成は、こなれていると思います。
ただ、一周回ってこれをラノベでやっているというのが、大きなハンデになっている印象。具体的には、この事案を担当しているのが自衛隊(せめて内閣府か外務じゃないの?)であるとか、主人公(せめて技術顧問名目とかさあ)とか、キャラクター達(ラノベ的美少女ばかりで肝心の異世界が霞む)と言った問題があり、どうにも食い合わせが良くありません。小川一水のラノベ寄り作品を更にきつくした感じでしょうか?
発想は面白いですし、話の展開次第では凄い魅力的な物語が展開すると思うのですが、これこそ世界史の参考文献並べるような勢いで細部を詰めるか、アドバイザーを使わないと「悪い意味でラノベ」に終わってしまいそう。とりあえず続きは読んでみるつもりですが、「全盛期の田中芳樹に書いて欲しかったテーマだなあ」と言うのが正直なところ。
結局、ラノベ的外観のせいでどこまでが伏線でどこまでが作者の素なのか解らないのが、一番モヤモヤするところかも。例えば、ああ言う形で「アウトブレイク」を仕掛けたいなら、まず印刷技術を持ち込むだけで、凄まじいことが勝手に進展するわけですし。
とりあえず、判断は次巻以降に保留。


パチンコがアニメだらけになった理由(わけ)
パチンコがアニメだらけになった理由(わけ)

五番目は、『パチンコがアニメだらけになった理由(わけ)』の感想。
内容は表題そのまま。そして、良質なドキュメント。
確かに疑問だったんですよ。パチンコの客層とアニメの客層は余りにも違うし、アニメキャラが使われているからパチンコを始めた奴など、オタク仲間で見たことがないわけで。(元々アニメファンのパチンコプレイヤーは居ましたが)
その素朴な疑問から出発して、関係者にできる限りインタビューを行い、ちゃんと一定の結論を素描してみせる作者は、やっぱり腕のいいライターだと思います。いや全く、この取材拒否の山見たら、普通放り出しますよ。もっとも、GONZOの広報は幾ら何でも対応が頭悪すぎるので、経営陣は「広報」の意味を担当者に叩き込んだ方が良いと思いますが……

個人的には、もう少し数字が欲しかったのですが、具体的な開発予算や宣伝費の内訳は、あの辺が限度なのでしょうね。良くやってると思います。
結論は数個の箇条書きで済むのですが、それを書くのは余りに酷いネタバレというかこの本の商品価値の否定になるので、以下に軽く触れる部分を除き、直接は書きません。ただ、ある程度予想できる&説明として首尾一貫して合理性もあって、納得できる物になっています。

ただし、パチンコ台高騰の理由が「版権料」というのは、明確な論理矛盾かと思います。元々開発費用を抑えると言うのがアニメ採用の大きな意味と書かれてるわけで、プッシュ要因はその前段にで触れられている宣伝費でしょう。副次的効果が本来の目的をねじ曲げてしまういう意味では、一時期のゲーム業界を彷彿とさせますね。

とりあえず、とても良くできたドキュメントでした。力の入ったノンフィクションも、良い物です。




"葵" ヒカルが地球にいたころ……

最後は、野村美月 『ヒカルが地球にいたころ……』シリーズの感想。
これは既刊全て(3巻まで)読破。毎回出てくる、源氏物語になぞらえた女の子も素晴らしい(ベースが類型細部の綿密な描写で肉付けをすると言う、理想的な造型)なんですが、どんどん格好良くなっていく主人公の少年が、誰より魅力的だったり。
ま、覆せない悲劇を前提としてその中であがくキャラクター達は、みんながみんな素敵なのですけどね。



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2012年01月20日

残念な疑似ナショナリズム 「花咲けるエリアルフォース」 感想

花咲けるエリアルフォース (ガガガ文庫)
花咲けるエリアルフォース (ガガガ文庫)

今更書く必要があるのか解りませんが、杉井光は、堅実な筆力で着実にファンを増やしている、実力派のライトノベル作家です。作劇上の「飛び道具」を多用しない地味な作風と、過剰さを抑えめにしたキャラクター描写が持ち味でしょうか?
一方で、人物描写も設定の練り込みも、ライトノベルとしてはこなれている一方、その殻を破れていない類型処理が鼻につくことも多い、微妙な立ち位置とも言えます。

そして、一年ほど前に出版されたこの作品では、その悪い方の側面が見事に強調されてしまう結果となっていました。

物語は、東西に分断された日本を舞台に、オーバーテクノロジーの戦闘機乗りになった中学生の話です。早い話が、イリヤの空ガンパレード・マーチ
お話としての起承転結や文章力、それっぽさを見事に醸し出す戦闘や風景の描写は、相変わらず出色です。実際問題、基本的な作品の出来は悪くないのです。しかし、オルタナティブヒストリー物としては、根本的な設定に大きな問題を抱えており、余りに残念な状態になっていました。


問題点は、恐らくただ一点から生じています。つまり、
「ナショナリズムの使い方を間違っている」
と言う事です。


これに編集も作者も気づかないというのが、正に「ライトノベル」と言われてしまうゆえんじゃないかと思うのですが、ナショナリズムを前面に出した作品で、分断国家の内戦を描くのは愚の骨頂です。
桜・皇室・白い軍服と言った象徴をこの作品はふんだんにぶち込んでいるのですが、これら「日本人」の象徴を持ち出すなら、「敵」は絶対に、同じ日本人であってはなりません。要するにナショナリズムとは内と外を分ける概念で、「外」に対して「内」の特殊性・優越性を主張する事で、構成員をその気にさせるための道具です。
一応、敵役である西日本の「民国」は、桜を切っているとか皇室を戴かないとか言う理屈がこねられているのですが、ナショナリズムを刺激する「敵」としては、無理がありすぎます。

そもそも、皇室や靖国を奉じるのが東日本(作中名:皇国)というのが悪い冗談みたいな設定だと、誰も突っ込まなかったのでしょうか?
現在の国家体制の基となった明治政府とは、250年続いた江戸幕府を、原理主義イデオロギーで武装(あくまでも人気取りと正統性主張のための道具。勿論、その政治センスが優れていたと言う事です)した西日本勢力が、クーデターで乗っ取った物です。そして靖国神社とは、その政権が功労者を慰撫するために作った招魂社で、明治維新という名の内戦で幕府・東日本勢力を殺した者達が祭られている場所です。これに関する現実の政治対立の話はどうでも良いとして、「西日本勢力との内戦を戦っている東日本政府」にとって、後生大事に拝むような代物かは、言うまでもないでしょう。西日本は東日本のナショナリズムが牙を向ける「外部」であり、靖国に祭られた明治の元勲や薩長土肥閥の軍人達(圧倒的多数派)は、「敵国の英雄」に他なりません。と言うか、敵の戦死者まで祀り続けているみたいなんですが、これに納得できる国民いるんですかね?主人公はただのアホなので気にしてないみたいですが、冒頭で親兄弟を皆殺しにした西日本のパイロットも、一緒に祀られてるって事なんですよ。そんな場所に遺族が手を合わせられると?

そもそも、折角の東西内戦という舞台を設定しながら、「同胞と殺し合う」事の問題をほとんど描かないというのは、何なんでしょうね?と言うか、その問題を描かないなら、「敵」はアメリカでも中国でも朝鮮でもロシアでも、普通に「外」に設定すれば良いわけで。同じ負け戦・東西内戦物として、色々な問題を正面から扱っていた群青の空を越えてなんかと比べる時、この意味不明な設定は許し難い物があります。一応陛下だけがそう言う事を何か言ってるんですが、むしろ大きな傷を負うのは、元同僚と殺し合い同胞を殺戮する一般兵の側でしょう。冒頭の誤爆なども、焼夷弾に焼き殺された子ども達の悲劇よりも、殺してしまった西日本兵の側に巨大な負債が発生してしまう訳ですが、その辺は描かれませんし。
恐らく、この問題をバイパスするために、主人公を人とまともにつきあえないコミュニケーション障害者にしたのだと思うのですが、おかげで主人公への感情移入度も壊滅的に。


逆に、右の人達がぶち切れそうな皇室の扱いなんかは、むしろあれ正鵠を射てる部分があったりすると思うんですけどね。血の穢れを禁忌とする皇族が前線豚やって良いのかという話は置いておいて、アイドルであれ聖なる父であれ癒しの祈念者であれ、「精神的支柱」と言う統治システム上の機能は良く表しているわけで。美少女はねえだろうというツッコミについては、もっとえげつなく描写していた零式と言う先駆者も居る事ですし。
でも、天皇自らパイロットとして西日本の同胞を殺しちゃったら、内戦で勝ったとしても、「皇国」としての再統合は不可能になると思いますけどね。一方で、非正規戦で皇族皆殺しにした西日本が政権維持できるわけねえだろうとか。この辺も、内戦の重さをない事のように扱う、設定の残念さを象徴します。

あと、これは枝葉なので余り突っ込みたくないのですが、なんでこの手の作品は、ソメイヨシノを単純クローン呼ばわりしやがりますか?あいつ等別に子孫残せますし、(要は、純粋なクローンの特徴を「ソメイヨシノ」と呼称する、トートロジーな呼び名)そもそもクローンで増えていったって、突然変異や環境因子で全然別の個体になって行くんです。ポトマック河畔のソメイヨシノの色が違う、なんてのは有名ですね。と言うか、遺伝子が同じ=同じ個体なら、一卵性双生児はどうなるねんという話です。一応SF(っぽい)作品なんですから、その辺はおさえて欲しい所。

と言うわけで、ある意味杉井光の「あと一歩で名作」感を、存分に堪能できる一品となっていました。やっぱりこの辺は、濫作を余儀なくされるライトノベルレーベルの問題じゃないかと思うのです。基本的なポテンシャルはもの凄い物を持っているわけですから、刊行本数をもう少し減らして取材や練り込みの時間を取れれば、大きく飛躍できると思うのですが。

このままだと、多作で良作も多いけど心に残る一作は非常に少ない、「売れっ子」で終わってしまいそうで残念です。作家は寿命が限られていますし、使い潰される前に数十年残る作品を書いて欲しいと思うところ。それだけの実力は、間違いなく備わっているはずなのですから。



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2012年01月07日

ザ・オーソドックス 桜坂洋「ALL YOU NEED IS KILL」感想

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)
All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)


「ALL YOU NEED IS KILL」は、ハリウッドで映画化が決まったと言う事で話題のライトノベルです。アニメ化も実写化も珍しくなくなったあの界隈で、その方向もあったのか、と驚くことしきり。
というわけで、これを機会に読んでみることにしました。

この作品は、宇宙から送り込まれた自動機械に侵略(正確には、機械の側は生命体の存在を頓着せずにテラフォーミングを行っている)される地球を舞台に、敗北の一日がループする地獄に閉じ込められた新兵の物語です。

内容は、ループ物として極めてオーソドックス。ループから逃れようとする試みも、中盤の展開もオチも、この手の作品に親しんだ読者なら見慣れたものでしょう。
ただし、その内容や描写はきちんと丁寧に行われており、奇をてらわない堅実さが好感触です。せいぜい、キャラクターの描写バランスにはもう少し改善の余地があったかもしれない、というくらいでしょうか?ただそこは、可愛いキャラクターを前面に出せねばならないライトノベル故の要求だと思うので、映画化されたら間違いなく筋肉とおっさんが増量されるのが今から目に浮びますが。

上記のとおりシナリオはとてもオーソドックスなのですが、その中で、描き込む所と軽く流す部分のメリハリがこなれており、やはり技巧的に優れていると思います。例えば、ミリタリー物が良くやらかす「延々と訓練シーンが続いて単調になる」とか、逆に「主人公達がどう言う立場・どう言う目的で戦っているのか不分明で感情移入できない」というような問題は、発生していません。当たり前だろうと思われそうですが、こう言う基本部分は、基本だけに良くおろそかにされ、良くできた作品に重大な瑕疵を残すのは良くある事です。

ループの理由なども、ちゃんと設定と絡めて説明されていて好感触。SFとして見れば色々穴はあるのですが、その辺は「敵のテクノロジーは謎だから良くわからねえ」で流すという方向みたいです。レーベルを考えても、妥当な(仕方ない)所でしょう。ハヤカワや創元ではないのですから、無いものねだりです。

と言うわけで、これにハリウッドが目を付けたというのは、実に納得できる話です。解りやすく、話の展開はメリハリが効き、アクションと感情描写もしっかり押さえる。何というか、「教科書通り」と言うと悪口のようですが、アウトラインの面白みの無さは、逆にしばしば中身の面白さを保証するわけで。
この感じだと、映画の内容も、精々キャラクターの設定をいじるくらいで、ほぼ忠実に映像化してくれるんじゃないかと思います。ヒロインがシガーニー・ウィーバーで敵のデザインがエイリアン、ってオチもあるかもしれませんがね。まあ、宇宙人ポールを見たばっかりの私には、むしろそれはご褒美になりますが。


ところで、よく似た作品で、いつまで経っても続きが出ないのがあった気がするんですけど、あっちはいつになったら完結するんですかね?



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2011年12月21日

面白かった作家との意外な再会 『妄想ジョナさん。』 感想

妄想ジョナさん。 (メディアワークス文庫)
妄想ジョナさん。 (メディアワークス文庫)


メディアワークス文庫は、立ち上げ期の迷走を脱し、ライトノベルと一般小説の狭間に豊かな領域を開拓しつつあります。ラノベ的飛び道具に頼らず、しかしそれを有効に活用する方向を拓いた、と申しましょうか。ラノベ作家を積極的に拾い上げにかかったハヤカワ文庫と並んで、読者の高年齢化に対応する道がようやく整備されましたね。

と言うわけで、色々気に入った作品が出てきているのですが、今回紹介したいのはこちら。派手な妄想癖(ガチの器質性脳障害レベル)を持つ半引きこもりの大学生の前に、ウサギの着ぐるみ姿の美少女(ただし主人公の自覚的妄想)が現れ、現実と向き合えと言ってサポートキャラになる話です。

初期設定から話のオチまで全て見える感じですが、まあほぼその通り。しかし、主人公が現実に立ち向かいそして傷つく一つ一つのエピソードを積み重ね、脇を固めるキャラクター(変人奇人)を魅力的に描く事で、見事に感動できる作品に仕上がっています。
その「感動」と言うのも、ヒロインが主人公の妄想であることを前提とした上での、「面白うてやがて哀しき」路線。終盤、文字通り現実と妄想の間で引き裂かれる主人公の姿は胸に迫ります。そして、それを手を差し伸べる脇役達の優しさも。
物語は、冒頭で主人公が言っている事が全てなのですが、与えられたフラグをこなしていく作業的な物とは対極の、在るべき場所にピースがはまっていく心地よさで貫かれています。

多分読者は、最初の余りに過剰な妄想の内容に少し後ずさると思うのですが、そこで止めずに読み通す事をお勧めします。他の疑問点は、主人公の孤立を決定づけた「電柱の彼女」とある登場人物の類似が、説明されていない所くらいですし。

何気に、舞台の半分となる推理研究会のゲーム群とかも、なかなか良くできてて楽しめるんですよ。あのサークル、メディアワークス文庫を読むような少し古目のオタクにとって、理想と郷愁の煮こごりのような物でしょう。
と言うわけで、なかなか良いライトノベル(?)でした。


さて、最後に表題の意味なのですが、作者の他作品も読んで見ようと思ってググったら、なんと、電撃文庫で出ていた「二四〇九階の彼女」の作者さんじゃないですか。
「二四〇九階の彼女」は、魔界塔士SA・GAを彷彿とされる高い塔を降りていく少年の話です。恐らく人類の移住施設、コロニーのような物だったと思しきこの建物は、各階層が一つの世界を構成しています。しかし、そこを管理し人類を「幸福」に導くべきコンピュータは狂っており、主人公の前に現れるのは、ほとんどが、どこか歪んだ世界。
幸せだった故郷を離れ、遠く無線通信で会話を交わした憧れの人を求めて旅立つ少年の姿と言い、哀しくも狂ってしまった幸せな世界の諸相など、生硬ですがとても綺麗な短編集でした。しかし、電撃文庫と言うかラノベの主流からは外れていたため見事二巻で打ち切られ、そのまま作者もフェイドアウトしたかと思っていました。(実際、その後電撃文庫で全く見かけませんでしたし。今調べたら、3年後の2009年に一冊出していたようですが)

いや本当、あれが速攻版元品切れ再販予定無し・AMAZONで1円出品の嵐って、余りにひどいと思うのですよね。


ですが、作者さんはちゃんと生き延びて、ついでにその方向性がマッチするレーベルも存在するようになったわけで、素晴らしい話です。
メディアワークス文庫は、どんどん少年ジャンプ化して無茶な続編ばかりになってしまった電撃文庫にかわって、実力はあるけど地味目で損をしている作家を受け容れていって欲しいと思います。



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Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)読み物