2011年12月01日

ル=グウィン大いに語る 「いまファンタジーにできること」 感想

いまファンタジーにできること
いまファンタジーにできること


アーシェラ・K・ル=グウィンは、言わずと知れたゲド戦記の作者です。一般にはフェミニズムSFの旗手とされており、その方面での毀誉褒貶が著しい人でもあります。

この本は、そんな彼女の論考・スピーチを加筆・訂正して収録したもので、非常に解りやすいファンタジー評、そしてル=グウィン自伝ともなっています。

正直、彼女の作品の内、いわゆるフェミニズム的傾向の強いものは余り楽しめないことが多かったのですが、これを読んで何となく誤解が解けた感じがします。(後述)
まず彼女が繰り返し書いていることは、「文学」の批評に通底する、無邪気なリアリズム信奉への批判です。多くの学者は魔法が出てきた瞬間その作品を価値のない物と決めつけ、あるいは政治性・社会性と絡めてのみ意味があるものとして扱い出す、と言う批判はなるほどなと思わせます。
同時に、そうやってファンタジーを読む価値がないと断じた連中が、ベストセラーに直面して価値を説明しようとした結果、ハリーポッターに「独自性」だの「新奇性」だのと言った、失笑物の言葉を捧げた事への強烈な皮肉は必見です。

見ましたねえ、そう言うの。まあ別に、門外漢・不勉強な人間がこれをやらかすのがお約束な事は、オタクならみんな知っているでしょうが……
エヴァは怪獣物やロボット物の蓄積の上に、まどか☆マギカは戦闘少女・魔法少女、そしてノベルゲームの系譜の上に。
素晴らしい作品とはつまり、新規さよりもむしろ、先人が育ててきた多くの遺産を整理吸収し、見事な王道を演じた作品。それは決して劣っていると言う事ではなく、多くの人間がトライしてエラーしか出せなかった事を可能にした、才能の証明。まあ、これを一歩踏み外すと、「どうせあんなの○○を××しただけじゃねえか」と言う、無敵理論を繰り出すだけのロボットになるので注意が必要ですが。


さて、そんなオタクにとっての素晴らしい共感ポイントは置いておいて、彼女の「フェミニズム性」についての部分です。
まず彼女は評論の中で、繰り返し無批判なステロタイプの踏襲を批判します。商業的・商品的要求は認めた上で、種族/人種と役割が無批判に連結された作品や、無邪気にこの世界の原則を当てはめて異世界の意味を失わせる造型を批判します。
私は、彼女のフェミニズム的世界観とも言うべき作品に違和感を感じることが多かったのですが、彼女としては、単に現実とは異なる価値観を前提とする社会を描くことで、多様な異世界を創造したいと思ったが故の事のようです。確かに、ああ言った作品群は、生硬で首を傾げる内容がある一方、驚くほど鮮烈な印象を残す物がありました。
もっとも、「彼は神との距離を測ろうとしたのだ」(だっけな?)と言う、作者自身が自画自賛する言葉に、キリスト教への強烈な勝手に皮肉を読み取って喜んでいた私の読み方は、恐らく作者からは眉をひそめられるでしょうが。

そして、ここが重要なのですが、彼女が本書でもっとも鋭く批判しているのが、科学的な正しさを装いながら、作者の主張に都合良くこれを改変した作品だと言う事。
男権主義だろうとマッチョだろうと、読みたい人間に向けて書くのに何の問題もない。(自分は好きでも尊敬もしない、と言う注釈は当然入りますが)しかし、科学的知見に基づいたと言い、実際その内容を踏襲しながら、都合の良いところで参照研究の知見を裏切って勝手な結論を出してあたかも事実であるかのように偽るのは、要するに詐欺だ、と言うのが、本書随一の激烈な批判です。

少なくとも彼女は、前段の留保を入れる理性をきちんと保持しており、何より本書でもっとも強い批判が、主張や価値観ではなく悪質な偽りに向けられていると言う所に、イーガンが万物理論で戯画化したようなフェミニスト作家(あそこまですごいのは居るかとか、そもそもあれはあれで愛すべきキャラクターだとか言う話は置いておいて)とは、一線を画する物を見るわけです。
同時に彼女は、その政治的意図や社会的背景といった物に拘泥し、物語を物語として受け取らない評論家に対する批判も忘れません。この辺、S・キングが大学教授に向かって投げかけた、「物語は、物語その物として存在してはいけないのか?」と言う反語を用いた批判と地続きでしょう。


個人的には、作中で設定したルールを意味もなく破ることは決定的に魅力を損なう、ファンタジーは何でもありと言う事では無い、と言う部分を、もっと掘り下げて欲しいと思ったので、そこは残念。私が最高のファンタジーだと思うトムは真夜中の庭で唯一の瑕疵が、後半での規則破りでしたし、これは結構重要な視点だと思うのですよ。


と言うわけで、翻訳文の解りやすさもあってか、非常に満足度の高い評論集でした。毀誉褒貶著しい人ですが、批判するにしても賞賛するにしても、どちらの人にも一読お勧めしたいところです。

まあ、彼女の考え方が理解できたからと言って、ゲド戦記はやっぱり前半と後半では面白さが段違いだよね、と言うような感想は変わらないのですけれどね。これは、物語を物語として読み取った結果ですので、仕方のない話なのです。
あと、彼女が冒頭で主張している内容について、ゲド達が黒人なのが作中全く違和感がないという所で、見事に証明されているなあと思ったり。

もっともこの辺は、キャラクターを記号化し、色が白かろうが髪がピンクだろうが、「日本人」と脳内変換している無秩序(誉め言葉)な日本文化に漬かっている我々には、今一解りにくい所ではありますが。



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2011年09月21日

田中ロミオ 『灼熱の小早川さん』 感想

灼熱の小早川さん (ガガガ文庫)
灼熱の小早川さん (ガガガ文庫)


REWRITE(当BLOG内の感想はこちら)でだいぶ株を落とした田中ロミオですが、それで全ての評価を終わらせてしまうほど、私も純朴ではありません。作家あたりののヒット率なんて、6割もあれば上出来ですから。

と言うわけで、ガガガ文庫の小説「灼熱の小早川さん」です。
内容は、一言で言えば「AURA」の系譜。教室内政治の波を渡る主人公と、世間からずれたヒロインの恋愛未満譚です。

ところが、これが実に評価に困る代物でした。

まず、基本的な文章力や描写力・テンポは良好です。台詞回しや人物配置、キャラクターごとの色の付け方など、こなれていて安心して読んでいられます。シナリオラインも、「場」の崩壊を経験して独裁者を目指す小早川さんと、それに味方せざるを得なくなった腹黒男子という構造を中心に、上手くまとまっています。

しかし、そこまでなのです。
とにもかくにも、この作品は未完成です。シナリオの骨組みは悪くない。個々の文章も、概ね綺麗に流れていく。にもかかわらず、物語はまるでダイジェスト版のように展開し、重要なパーツを空白にしたままエンディングへとなだれ込んでしまいます。

具体的には、ヒロインがクラスに対して切るタンカが、全く具体的に描写されません。
重要な転機となるイベントも、毎回数行で流されてしまいます。
と言うか、ほぼ全ての情報開示と場面展開が、主人公の回想(○○だったので××した)で済まされ、場面場面を楽しむと言うことが、極めて困難な構成になってしまっています。

しかも、題名にもからむ印象的な最初のシーンが伏線でも何でもなく流されているなど、正直「何がやりたかったのか解らない」と言わざるを得ない内容です。
いや、一応テーマらしきものに紐付けられているとは思うのですが、あの炎と氷の話は、テーマと言うには弱すぎて正直意味不明。何よりも、実際に炎や氷が振るわれる(比喩的な意味で)シーンがこれまたダイジェスト状態なので、まるで印象に残りません。

締め切りまでの期間が足りなかったのか、他の理由かは解りませんが、かなり残念な読後感となりました。やはり、「AURA」であれだけ見事な作劇を見せた後だけに、比較するなと言うのは無理がありますし。そして残念ながら、主人公・ヒロイン・サブキャラ達の描き込みから、シナリオの丁寧な進行のさせ方まで、どれも満遍なく薄くなっているのです。
「AURAみたいなのお願いしますよ」と言う注文で促成栽培された劣化版。多分、真相はそんなところじゃないかと思います。




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2011年09月11日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 9巻 感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第9巻
俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第9巻


フワーッハッハッハ!北海道の外に出れば、ライトノベルも発売日に手に入る物なのだ!!

……と、自慢だか自虐だか解らない一文から始めます。
丁度道外に出ていたタイミングだったので、発売日に入手できた、俺妹こと「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」第9巻の感想です。最初に入った書店で売り切れていた時には、どうしようかと思いましたけどね。


なお、他の巻やアニメ版等の感想はこちら


今回は、前回予告があったとおりの短編集。このため、破綻無くまとまっており、笑ってしんみりして、スルリと読み通すことができます。正にライトノベル。それが引っかかるレベルに入っている面もあるのですが、それは後述。

ただこれは、前巻でやってしまった最悪のちゃぶ台返しを一旦棚上げした上で可能となる、偽りの静けさなんですよね。別にこう言う短編集は、前巻の感想で書いたとおり、あんなひどい展開などやらなくても、きちんと話を閉じたあとでいくらでも書けるのですから。
いやね、やっぱり凄く面白いんですよ。でもそれだけに、前巻のあれが残念でならないわけで。短編集ならシリーズ終了後も大丈夫というのは、フルメタルパニックが見事に証明しましたし。

とにかく、今後の立て直しがきちんとできるかどうかは、次巻以降にたらい回しです。
とりあえず、各エピソードの感想も書いておきますか。


・あたしの姉が電波で乙女で聖なる天使
黒猫の妹その1である日向(ひなた)、つまりロリ猫(大)視点で紡ぐ、8巻前後の回想。ロリ猫(大)はアニメでの可愛い(姉に向ける虫を見るような目とか)仕草が印象に残っていますが、セリフがついて見事に良いキャラになりましたね。黒猫と桐乃が話の都合であんな事になってしまった今、一番活き活きと動いていけるキャラになりそうです。


・真夜中のガールズトーク
8巻での温泉街合流直後の話。桐乃視点。作者曰く、一番描きたかった場面がカットされているらしいのですが、多分黒猫両親と京介の会話シーンでしょう。そのシーンが無いせいで、日向が美味しい所を全部持って行った印象です。本当に良いキャラですねえ。
あ、中身は特にありません。でも、それで何が悪いと?
多分これは、次巻以降黒猫と桐乃が仲直りしている事のアリバイ作りのエピソードです。しかしそれが成功していたかというと、ちょっと微妙だと思います。前巻の衝突は鋭すぎますから。
でも、あの二人は成長という名の物わかりの良さを身に付けてきている訳なので、ありと言えばありな気もします。


・俺の妹はこんなに可愛い
題名で解るとおり、赤城兄の視点。内容は、京介と赤城がどっちの妹が可愛いかで言い争うという下らない(これは誉め言葉)話。この巻でも視点人物になり損ねてフェイドアウト寸前の幼なじみのセリフが、多分内容の全部。
ただ、「妹が嫌がるから恋人と別れた」と言うセリフは、残念ながら冗談になっていません。純粋に、状況の異常さ・展開の強引さを際だたせるだけです。ギャグになる範囲を超えてしまってましたからねえ。やっぱり、あのイベントの後で、日常への回帰は困難でしょう。


・カメレオンドーター
DVD/Blu-rayのおまけキャラソンの題名をそのまま取った、沙織視点の回想。彼女が失った、過去の人間関係が描かれます。
でもこれ、過去の沙織の仲間達がひどい奴らだ、って言う印象しか受けないのですよね。他の行為は一切問うつもりはないのですが、問題はラストシーン。「代表の妹」でしかない、と言うのは良い。師匠は居ても友達は出来ていなかった、と言うのでも構わない。しかし、再会する時に沙織を呼ばないって、完全にハブじゃないですか。師匠扱いの某キャラ姉にしても、あれでは良い印象は生まれません。
沙織の経験は、本来オタクや元オタクが必ず通ってきた喪失体験として、共感を呼ぶ物だったはずです。それをああ言う風に描写してしまうのは、ちょっと意味が解りません。


・突撃 乙女ロード!
桐乃視点。瀬名と桐乃の乙女ロード訪問記ですが、乙女ロードの描写は全くありません。取材の事件取れなかったんでしょうね……
結局は、瀬名と桐乃が喫茶店でイカレタ会話を交わすだけの内容。いや、会話内容は相変わらず面白いのですが。


・過ちのダークエンジェル
あやせ視点。加奈子の出るイベントに京介が呼ばれる話で、今回最大のガン。
要は、最近売れている「ClariS」とのタイアップエピソードです。別に、実在の諸々を出すのは問題無いんですよ。スティーブン・キングの諸作は大好きですし、ゾンビ・ランドにも大笑いしましたしね。
ですが、ClariSの二人組と登場人物が、お互いを誉め合う光景の気持ち悪さは余りに生臭く、目が滑りました。背景で歌歌わせるくらいにしておけばいいのに、なんであんなヨイショにしちゃいますかね?例え作者の本心だったとしても、売り方と相まってとても純粋には見れません。
加奈子が二人に暴言を吐いている所だけは結構面白いですが、きちんと全部フォローが入る丁寧な処理に、現実に引き戻される思いを味わいました。あれは、よろしくないです。物語の異物です。
そもそもこの話、ClariSが出てくる意味は、全くないわけですし。恒例の作者インタビューに、SMEの営業が出張ってきている辺り、何とも……

ちょっとここで感想から外れますけど、このインタビューで作者の言葉が圧倒的に少ないのは、注目に値すると思います。コラボもメディアミックスも商業的成功も、大いに結構。むしろ儲かってくれれば、作者や作品が生き続けられるわけですから、Blu-rayだのゲームだのを買ってきた消費者冥利に尽きるわけです。
しかしそれはあくまでも、愛すべき作品や作者があったからであって、企業に儲けて欲しいからではありません。そこをわきまえて、展開を行うべきではないんでしょうか?
繰り返しますが、関連会社は大いに儲けて頂きたい。ガイドブックも資料集も買いますよ。おまけ小説もつくみたいですしね!
しかし、消費者にとっては作者と作品が第一で、本質的には他の連中などどうでも良いのです。あの記事が出資者向けの宣伝文書なら結構ですが、私が知りたいのは作品の情報です。作家の思いです。
書籍などただの市場に出回る商品と言うのは全くその通りですが、少なくとも作品の魂だのテーマ、展開、描きたいことと言った「ご託」こそ、一番重要な商材のはずです。
もっと端的に言うと、「夢売る仕事なんだから夢見せろよ」と言う話です。着ぐるみのミッキーが頭部を外して、アトラクションの技術的宣伝始める光景なんか、誰も見たくないでしょう?

例のハルヒ最新刊(感想はこちら)の後書きで、作者が見事に心を壊しているのを見た時も思いましたが、作家というコア商材とそのイメージを、もっと大切にするべきだと思います。
そうやって才能が使い潰されていく状況は、中長期的には作家も読者も幸せにしないのですから。

あやせの心情や加奈子の描写など、基本部分はしっかりしているだけに、これまた残念です。


・妹のウェディングドレス
作者曰く、桐乃のウェディングドレス姿を描きたかっただけで、実際それだけ。ビックリするほど雑な話です。京介が、桐乃の仕事仲間にもの凄い姿をさらしている所とか。
恐らく、ラストで二重生活をソフトランディングさせる布石になっていくのでしょうが、単品としてはかなり厳しいです。アニメになれば、絵面の面白さで化けそうですが……



と言うわけで、各編の内容としてはヒット率5割以上。十分「当たり」と言って良い内容ですが、今までの短編巻に比べるとやっぱり落ちますね。

それと、これは直接の問題ではないと思うのですが、文章がかなり簡略体になってきています。今までの巻と、文字密度を比べてみれば一目瞭然だと思うのですが、かなり流行りの路線に近づいている模様。根幹については、描写をそぎ落としつつもクオリティを維持していますが、今後深刻な心理描写や連動する情景描写を描く時に、どうなるかは未知数。
この辺、ゲーム、DVDおまけ、原作と、今まで以上の量産を余儀なくされた結果だと思うのですが、手の早さと引き替えに失っていく物がないかと心配になります。
そんなの杞憂だろう、と笑い飛ばすには、哀しい先例が多すぎますから。(代表はこれね)


とりあえず、起きてしまったことはもう仕方ないので、ここから物語が読者と作者の納得の行く幸福な終わりを迎えられる事を祈ります。



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2011年09月05日

満足のいくクオリティ/『テルミー 2 きみをおもうきもち』 感想

テルミー 2 きみをおもうきもち (集英社スーパーダッシュ文庫)
テルミー 2 きみをおもうきもち (集英社スーパーダッシュ文庫)

一巻の感想はこちら

大事故で「生き残ってしまった」主人公とヒロインが、死んだクラスメイト達の心残りを解消して行く優しい幽霊譚「テルミー」(作者は滝川廉冶)の、第2巻が発売されました。と言っても、実は一月以上前ですが……

そして、丸一年(出版間隔は、本当にきっかり一年です)かけただけの事はあり、満足のいくクオリティに仕上がっていました。

一巻に引き続き、やる事は全く同じ。魂、あるいは記憶の一時保管庫になってしまったヒロインと、それを助ける主人公が、死者達の願いを叶えて回ります。
ささやかな願いは幕間の短い物語で、深刻な願い(あるいは、結果として深刻になってしまった物は)たっぷりを時間を使って、と言う緩急の付け方も同じ。

ただし今巻は、全巻と違って個性的な脇役が多く配置され、ラノベ的な読みやすさが加わっているのが特徴でしょう。これは、良いとも悪いとも言えません。何故なら、脇役達はあくまでも願いを残した故人の友人達で、展開の根幹が変わったわけではないからです。
あえて言うなら、「この巻で取り上げられた死者達は、心残りの成就に他者(脇役)の介在を必要とする者が多かった」と言うだけとも言えます。
第一、脇役達はあくまでも脇役で、作品の方向性を曲げてまで出てくる事はありませんし。

また、その脇役達についても、ラノベ的な個性付けは抑えめで、作品世界に確固たる足場を感じさせます。一番キャラの立っていた映研の後輩だけは、そこから半歩逸脱した雰囲気もありましたが、あれはモブの最後のセリフが失敗だったと言うだけだと思います。(「属性」を直接言ってしまったため、浮いている)

あとは、死んだクラスメイトに優秀な人間が多すぎる(映研コンビ、園芸部部長、それに前巻のバンド少女は、高校単体で数年に一人クラスの逸材でしょう。まだメインを張っていない死者の中にも、相当強力そうなのが数人見えています)気はするのですが、これは話を転がすためにやむを得ない所かと思います。

さて、この作者のデビュー作である「超人間・岩村」も読んだ上での感想なのですが、”時代からずれていて勿体ない”と言う事に尽きると思います。

このシリーズも↑も、いずれも異能者が出て来るのですが、ラノベ的セカイ系フォーマットではなく、菊地秀行のような「地に足の着いた」異能なのです。これは、設定の荒唐無稽さの話ではなく、(異常性で言えば、普通のラノベよりむしろ派手な面もあります)物語内の小さな物語・日常と地続きな点を指します。
彼らが立ち向かうのは、小さな恋愛だったりご町内レベルの悪であったり、狭い家庭内の不和だったり。つまりは、「世界の運命などとは全く絡まないが、本人達にとっては深刻極まる危機」です。

そしてその異能も、そう言った地続きの問題にデウスエクスマキナを投入するためではなく、問題を整理し、決して満点ではあり得ない解決策(特に本作の場合、クラスメイトの死は絶対に動かせない前提)を導くための鍵としてのみ機能するわけです。

なお、問題の発生その物に超常の力が絡まない以上、菊地秀行を例に出すのは間違っているかもしれません。しかし、読後感は、風の名はアムネジアとかインベーダーサマーとか、あの辺のジュブナイル作品に極めて近いです。ちなみに、リンク先は、あの二冊がコンパチになった新書版。例によって絶版。送料込みで考えると、1円出品が並ぶソノラマ文庫版(原版)より安く上がるのが何とも。

閑話休題、少しの不思議が人の思いを掘り起こし、現実だけでは到達できないフィナーレへと導くこの話は、とても綺麗で優しい物語に仕上がっています。その意味では、ブラッドベリの短編が近いのかもしれません。
一年間のブランクがあいて、忘れ去っている人も多いと思いますが、一読お勧め。

作者は、BLOG等で遅筆を気に病んでいたようですが、やはり力を入れた作品は、然るべき時間をかけるのが当然だと思います。この作品については、ジワ売れはしたと思われるものの売上的には少数で、締め切り圧力がそこまで大きくなかったであろう事が、良い方向に出たのかもしれませんね。
何とも、微妙な気分になる予想ではありますが。



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2011年08月29日

適切な舞台を用意すると言う事/瀬尾つかさ『約束の方舟』感想

約束の方舟 (上) (ハヤカワ文庫JA)
約束の方舟 (上) (ハヤカワ文庫JA)


久しぶりに、素晴らしい成果物を見ました。

瀬尾つかさは、「円環のパラダイム」で注目していたラノベ作家です。やりたいテーマとリンクさせてきちんと作られた設定と、その中で希望のある物語を構築する手法に、SF寄りの力量を感じたからです。

しかし残念ながら、ラノベレーベルの要請(必然)で投入された萌えとテーマが上手くリンクせず、とても勿体ない事になっていました。これは、続編の「くいなパスファインダー」ではより顕著で、「ハヤカワ辺りで好きに書かせると化けるんじゃないかなあ。せめて、ソノラマが昔のクオリティを保った上で生き残っててくれれば……」などと、益体もない事を考えた物です。

ところが、その辺ハヤカワも無能ではないようで、最近のラノベ作家登用シリーズの一環として、この本が刊行されました。
ちなみに、イラストは「人類は衰退しました」の山崎透。もっとも、口絵も挿絵もないハヤカワ仕様なので、イラストレーターに意味があるかは疑問。この辺、川原由美子を起用したころと全く変わらないのは、良いのか悪いのか……

閑話休題、この作者と出版社の組み合わせは、予想どおりとても幸せな組み合わせとなり、読んで楽しい素敵な作品が出来上がりました。
と言うわけで、「約束の方舟」の感想です。

物語の舞台自体は、SFとしては定型的です。
時は恐らく数百年未来。場所は、世代交代型恒星間宇宙船の中。作品開始時点から遡る事15年前、手塚治虫「火の鳥」シリーズのウーピーを思わせる軟体宇宙生物に襲われたこの船は、人口を激減させました。しかし、意思疎通に成功した人類は彼らを友とし、その助けを借りて傷ついた船を修理しながら目的地へと向かっています。
主人公は、この共生生物との感応能力を持つ子ども世代の少年。そこに、感応能力の天才である少女テルを筆頭に様々な子ども達が絡む事で、船の秘密が明らかになっていくと共に、世代や価値観の対立を超えて人類が宇宙に広がっていけるか、という大きなテーマが展開します。

つまり、ジュブナイルSFの文法に則って、丁寧に作られた作品です。

特にそれが顕著なのは、キャラクター達が、ラノベ的誇張された特徴を付与されるのではなく、物語の役割に応じて地味ながら重要な個性を付与されている所でしょう。カリスマそのもののテル、疑似カリスマとして自らを演出していくキリナ、内向が方向性を変えていくケン、調整役として成長していく主人公、恐らくもっとも平凡でそれだけに成長せざるを得なかったスイレン……
いずれのキャラクターも、物語の中で地味に、堅実に動く事で魅力を積み重ねるタイプで、初見のインパクト一発が命のラノベキャラとは対極の描き方。勿論、どちらが優れているとか言う話ではないのです。ただ、ゆっくりと物語を展開させ、キャラクターを成長させていくジュブナイルの場合こう言う描写がより合っていて、それは中々ラノベでは難しいと言うだけの話です。


と言うわけで、ジュブナイルとしてかなりしっかり作られていてできが良いのですが、SFとして気になる点もあります。
例えば、移民船の諸元です。作中の説明によると、航行中の船内重力は遠心力で作り出しています。しかも、減速に入るとベクトルがずれるという描写があります。つまり、巡航時は船自体が自由落下なんですね。そして、作中の描写によると、旅路は約150年。その内、減速に要する時間がわずか6年間。
これだけだと、重力カタパルトか何かで初速をつけたのかと思ったのですが、ベクトルがずれると言う事は普通の反動推進。計算すると、0.1Gで6年間加速した場合、得られる速度は、154632.24km/s。この辺だと相対性理論の影響はほとんどないので、額面どおりで光速の50%。稼げる距離は70光年程度になります。この程度なら、船の真実は必要なかったんじゃないかと思ってしまったり。
なお、0.1Gはかなり甘い見積もり。作中の描写からすると、船内への影響はほとんどないのでもっと小さいと思います。

あとは、船の正体に関わる部分で、「その国なの?」と言う違和感があったりと色々。まあこっちは、宇宙開発を追いかけている人間だからこそ感じる違和感ですが。

だから実は一番突っ込みたくなったのは、主人公から見た場合、悪いのは明らかに船長、と言う部分だったりしますが。「皮肉な事」って事故みたいに言ってますが、あいつがやらかした、明らかに保安上不適切かつ不必要な処置が、悲劇の淵源。主人公は、銃弾の二三発撃ち込む権利はあると思います。

などと、多少の不満はありますが、メインテーマがジュブナイルSFなのですが、工学的観点や社会描写に細かなツッコミを入れるのは本筋からは外れます。(SF読む際の楽しみの一つだけど)

と言うわけで、SF寄りのラノベ作家に良い舞台を提供できたハヤカワに賞賛を。
色々、内部体制や働く環境についてひっでえ話ばかり聞こえてくる昨今ですが、その辺上手くクリアして、良い仕事を続けられる事を祈っています。



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2011年08月15日

最近読んだSFの感想

コミケ三日目で受けたダメージも、一日休んだら何とか回復したので、とりあえず毎回全然読まれないSF系エントリでも。


クロノリス-時の碑- (創元SF文庫)
クロノリス-時の碑- (創元SF文庫)

まずは、話題の『クロノリス-時の碑-』の感想から。
時は近未来。タイの山中に、突然謎の石碑が姿を現す。現行技術では破壊どころか正体すらつかめないその碑には、クランと名乗る何者かが、20年後の未来にアジアを征服したと言うメッセージが書かれていた。

と言う所から始まる、壮大な時間SF。作者は時間封鎖で一気に有名になった、ロバート・チャールズ・ウィルスン。物語は、この石碑・クロノリスを出現直後に目撃したアメリカ人を主人公に、社会の変容を数十年にわたって描いていきます。

この辺、時間封鎖と全く同じスタイルで、ハードSFでありながら、時間転移やクロノリスの建造技術には深く踏み込まず、焦点を社会の変容に話を絞ります。
そしてこれが、作品のテーマと合わさって、余りに見事な一本の筋道を物語に与えます。

何しろ、クロノリスはそこに存在するだけで、(出現時の破壊は、所詮小型核爆弾程度でしかありません)人々の未来予想を変化させ、予告された未来へ誘導すると共に、「予告より踏み込んだ未来」を導いていくのです。この、原因と結果が入り乱れ、因果律が通常考えられているような形では存在しなくなった状態(「タウ・タービュランス空間」と作中で呼ばれる)の中で、木の葉のように翻弄され、又は因果の輪を結ばされる主人公達の描写は、圧倒的なスケールをもってSFのダイナミズムを見せつけます。

ちなみに、どこまでが因でどこからが果かが、最初から問題にならないというこのスタイルは、実は時間SFの基本でもあります。結局この手のSFは、焦点となる部分以外のパラドックスを、適当な理屈をつけて『発生しない』と言う設定にすることで、物語を成立させているのですから。時間SFのエッセンスを抽出した名作「雷のような音」とか、典型ですよね。蝶と足跡一つでパラドックスが起きるなら、空気分子の予定外の動きで起きないわけがない。しかし、そんなツッコミは基本的に無意味なわけです。大体は、作品中で「その程度の誤差は自動的に修正される」とか適当な事を言って、「そこのツッコミは控えてね」と書かれてますし。

前に、某非プロパーSFのファンに向かって、「この作品はタイムパラドックスを発生させている。こんな事はまともな時間SFでは絶対に許されない!!」とか喚いている○○を見たことがありますが、パラドックスを起こしていないSFの方が珍しいのは、ファン知ってのとおり。と言うか、完全に厳密に考えれば、過去と未来をつないだだけで、バタフライ・エフェクトでパラドックスは必然ですし。
勿論、物語の焦点となる部分に関して、精緻な論理構築が必要なのは当然ですが。黒子を見て見ぬふりをすることと、役者の演技は別という話です。前に感想を書いた、レイヤード・サマーとかね。

と言うわけで、タイムパラドックスSFの面白さを濃縮したようなこの作品は、今年一番のお勧めです。



ねじまき少女 (ハヤカワ文庫SF)ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)
ねじまき少女 (ハヤカワ文庫SF)

続いて、これまた話題の、パオロ・バチガルピ著 『ねじまき少女』の感想を。この作者名、コピペで打たないと絶対誤字になりそう。
温暖化と遺伝子戦争、そして石油の枯渇によって疲弊しきった近未来。タイ王国は、東南アジア各国が崩壊する中、王家と宗教・挙国一致の官僚組織に守られて、繁栄を維持していた。しかし、その特異な孤立主義国は、新たな市場を求める欧米のメガコーポから狙われており……

と言う、確かに魅力的なスチーム(?)パンク。石油が枯渇し、残された石炭も温暖化のために滅多なことでは燃やせず、人力と畜力、そしてそれらによって充填されるネジ巻きが主要動力源となる世界は、確かにパワーがあり、つまらなくはありません。しかし、これが海外の名だたる賞を総なめにしたと言われても、正直戸惑ってしまいます。

まず、基本的な世界設定がちゃんと説明されません。どうにか上巻が終わる辺りで、感想一段落目(↑)に書いた設定が何となく理解できますが、そこまでは本当に戸惑います。しかも、独自の用語もちゃんと説明されない(「ねじまき」は、人工物の代名詞らしいとか)上に、「欧米から見たアジア」のカリカチュアのようなタイの様子が、世界変容の結果なのか解らないなど、一々引っかかります。って言うか、あんな宗教臭い上に腐敗しきった(と言う描写をされている)タイが唯一秩序を維持できた東南アジア国と言うのは、説得力がありません。
海洋輸送は帆船、空中輸送は飛行船に退化してしまい、陸上に至っては人力車メインと言う世界像は面白いのですが、電気の扱い方とか、不合理な点が多々あって落ち着きません。蓄電池が19世紀水準まで退化しているとか言う設定でもあれば話は別なのですが、設定的には穴だらけ。

物語も、折角の群像劇なのに各キャラが余り面白い絡みをしないとか、キャラの半分くらいは価値観の説明が不十分でエキセントリックにしか見えないとか、色々問題。どいつもこいつもろくでなしの一方、ちゃんと感情移入できるようになっているのでまだマシですが……
なお、アジア人舐めとんのか、と言う描写については判断保留。とりあえず、変容してしまった世界の我々と価値観を異にする人々だというなら、せめて一般の欧米人の描写を入れて貰いたいです。出てくる欧米人は、メガコーポのエージェントだけですから。

後これは原作のせいではないと思うのですが、文章が酷すぎる部分多々あり。誤字が数ヶ所残っているのもそうですが、途中で誰のセリフか解らなくなる場面は、明らかに編集のミスでしょう。機械翻訳じゃないんですから、普通に読んでて意味の通らなくなる会話は、なおして欲しい所。

思うにこれ、突貫工事で翻訳したんじゃないですかね?向こうで賞を総なめにしてからかなりの短時間で訳されてますから、話題性を維持できる内に国内市場に持ち込もうとしたのでしょう。で、推敲足りずにこの始末、と。
後半に行くほど文章のおかしい点が減っていくところを見ると、段々訳者が原著の文章になれていったと言う事ではないかと。そして、全体の直しをする時間はなく、ほぼそのまま投入された、とか。
ハヤカワも、色々不味いことになっているという話は聞こえてくるので、編集者が週80時間労働の末に朦朧とした頭でチェックした結果とか言われても、納得してしまいそうです。

とにかく、とてもじゃないですが帯の煽りに相応しい内容ではないので、お勧めとは言い難いです。


アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う (ハヤカワ文庫FT)
アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う (ハヤカワ文庫FT)

三番目は、『アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う』の感想。
SFじゃなくてファンタジー?細かい事はいいんだよ!
時は19世紀、ヴィクトリア朝時代。実際よりも少しだけ蒸気機関が進歩した英国は、闇の世界の住人と共存する道を選んで、世界覇権を確固たるものとしていた。そんな世界で、反異界族と呼ばれる、闇の世界の力を打ち消す能力を持つオールドミス・アレクシア女史が、ロンドンを騒がす怪異に立ち向かう!

と言う、ヴィクトリアンでスチームでロマンスな素敵作品。海外基準では、変化球の時代劇って感じになるのでしょうか?

規律とモラルにがんじがらめのヴィクトリア朝時代の人間として、水準ギリギリの奔放さを持つアレクシア女史。マッチョで田舎者、かつ人狼団の長にして、異界人関係の犯罪取り締まるBURの長官マコン卿。その副官で、冷静沈着な突っ込み役のライオール教授。オシャレで情報通で同性愛者でフリフリな、はぐれ吸血鬼のアケルダマ卿。

こう言う、ある意味定型的で魅力的な登場人物達が、人狼や吸血鬼が闊歩し飛行船が空を行くロンドンの町で怪事件に挑む様は、それだけで十分に魅力的。
ちなみに、アメリカがキリスト教原理主義の赴くところ、異界人と共存する英国を敵視しているというような設定は、実に現代的でしょう。ヴィクトリア朝時代なのに、ドイツのドの字も出てこない所とか。

内容は、実はロマンスの比重がかなり大きく、進行を阻害している部分も見受けられるのですが、合格点。ロマンス展開に入る邪魔とか、殺人事件より朝帰りに卒倒しそうになる家族の描写とか、細かいユーモアのセンスがこなれていて、飽きさせないのも大きいでしょう。

既に原書は7冊以上出ており、日本語訳も2巻まで出版済。2巻以降はロマンス描写も薄くなるはずなので、続きも読んでみようと思います。



P.S.
ビッグサイトで札びら(千円札のみ)を切って買い漁ってきたまどか☆マギカ本ですが、やっぱりタイムリープは魅力的な題材ですよね。リプレイ方式であり得た様々な可能性を描いている作品は、やっぱり面白いです。エロ/非エロ問わず。
色々な作者が思い思いの可能性をぶちまけるのはパロ系薄い本の本質ですので、相性が良いのでしょう。私も、恥ずかしいSSを前に書いてしまいましたし。つまり、実に便利で使い勝手の良い設定。SFの浸透と拡散というのは、きっとこう言うことなのでしょう。



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2011年08月09日

虚淵玄 『金の瞳と鉄の剣』 感想

金の瞳と鉄の剣 (星海社FICTIONS)
金の瞳と鉄の剣 (星海社FICTIONS)


先に断っておきますと、私は虚淵玄その人について語れるほどの蓄積はありません。そもそもNitro+が苦手だったため、まどか☆マギカにはまるまで、氏のゲームをきちんとプレイしてこなかったのです。

よって、今回氏の新作小説であるこの本を手に取ったのも、Nitro+に対する敬遠の裏返しです。要するに、「もの凄い格好良いアクション」は、小説やアニメで見るのは大好きなのですが、ゲームだと「俺に操作させろよ!」と言う気持ちが先に立つので、楽しめないのです。Fateやマブラヴが苦手なのも、主人公の思想の気持ち悪さよりもまず、その辺が原因です。

つまり、これはあくまでも虚淵玄の小説「金の瞳と鉄の剣」の感想であって、虚淵玄と言う作者について語る材料として取り上げた訳ではありません。その点はご容赦を。


と言うわけで、以下が感想です。
内容は、驚くほど正統派のファンタジー。魔法や少々の不思議が存在する中世風世界を舞台に、成り上がりを目指す傭兵と人外の魔術師コンビの冒険を描きます。

そしてこれが、本当に丁寧に描かれた良質な作品でした。
まず丁寧なのは、作者が大好きな戦闘です。主人公が手に取る獲物は毎回異なり、当然戦闘の光景も変化します。しかし、いわゆる武器マニアの長口舌に陥ることはなく、むしろシチュエーションで武器を選ばせ、その特徴と有効な局面をシーンその物で語らせる形。
つまり、とても解りやすく、しかも話のバリエーション確保を果たしているのです。これは、理想的な描き方でしょう。

次なるポイントは、世界の描写。第一話は竜退治、第二話は怪異渦巻く辺境の森での敗走、第三話は財宝眠る古城、第四話は陰謀渦巻く王国の首都、と、多彩な場面を設定します。そしてその上で、冒険の前提となる世界の情報を過不足無く与え、これを積み重ねることで世界に厚みを与えていくのです。
個人的には、銀英伝がやったように、設定だけで数十ページかけて設定を畳みかけるのも好みなのですが、あれは好き嫌いが別れます。と言うか、嫌われます。活字に対する許容量は人それぞれ異なりますから、(私だって、国書刊行会のSF全集一気読みしろとか言われたら、泣きながら土下座します)こうやってシナリオと設定説明を両立させる技巧は、大いに賞賛すべきです。

また、容量をふんだんに使えるゲームシナリオ出身とは思えないほど、(いやまあ、元々ラノベ志望だったらしいですが)エピソードの推敲が出来ています。描写やイベントには過不足が無く、編集能力が残念なラノベレーベルに良くある、「で、今の会話/イベントは、シナリオ上どんな必然があったの?」と突っ込みたくなるような場面は皆無。これは、本当に凄いことですよ。

現段階では、人外の魔術師が示す人の道理を外れた思考は、かなり控えめ。むしろ、エキセントリックな言動を繰り広げるラノベの登場人物に慣れた読者からすると、良識的な人物にすら見えるでしょう。
しかしそこは、まどか☆マギカでキュゥべえという、「異質だけど理解可能な素晴らしい悪役」を描ききってくれた作者の事。これから上手く料理してくれる物と信じています。

と言うか、これは文学ではなく娯楽作品ですから、異質さ・人外性は、あくまでもシナリオの道具として活用するのでしょう。正にまどか☆マギカがそうだったように。
そして、娯楽作品としては、読みやすさや構成、テキスト量のコントロールが際だっているのは指摘したとおり。
つまり、とても丁寧に作られた娯楽作品として、今後にも期待できると言う事です。



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2011年06月12日

小川一水『青い星まで飛んでいけ』 感想

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)
青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)


小川一水は、第六大陸辺りから有名になった、ハードSFの書き手です。とは言え、先人達がそうだったように、単にハードなだけでなく、宇宙への憧れやジュブナイル的前向きさを描いても、結構上手い多才さが魅力です。

もともとラノベ出身なのですが、SFの仕事が増えるに従って、どんどん腕を上げています。

しかし、作者の特性とラノベ出身というのがもの凄い不協和音を奏でており、これが最大の欠点でした。AMAZONのレビューに書いた事があるのですが、とにかくラノベ的なお約束キャラを書かせると、毎回ひどい事になっていたのです。一言で言うと、「美少女」が出てきた瞬間、話が極端に平板になるのです。類型化とパターン化が周囲を巻き込んで進行する上に、そもそも萌えキャラとして機能していなかった辺りが……
出世作の第六大陸からして、設定の都合を美少女一人に全部背負わせ、しかもそのキャラが作中で最も魅力がないという、悲惨な事になっていましたね。

ですが、この欠点は作を追う毎に克服されて行き、余り気にならないレベルになっています。天冥の標シリーズもそうですが、やはり「苦手なところを無理に作品に盛り込まない」方向に進めているんじゃないかと思います。勿論、それが大正解だと思います。ずっと、そうすればもっと話がスッキリするのに、と思っていました。ハヤカワは、それが許されるレーベルなのですし。

と言うわけで、この「青い星まで飛んでいけ」に収録されている、各短編の感想です。


1,彗星都市のサエ
少女が主人公のジュブナイル。安全で快適だが、少年少女の心を容れるには余りに小さい彗星都市を舞台に、そこを飛び出すことを夢見る二人の話。
とても丁寧なジュブナイルで、その分ハードSF描写はやや控えめ。(日常に忍び込ませて各所に顔を出すけれど)過去作で良く「やらかして」いた人間賛歌の使い方も、彗星都市の平和を描くのに上手く溶け込む一方、飛び出そうとする少年少女との対比で多面性が出て、一気に前進。とても気持ちよく読めました。
私だったらどうしますかねえ。やっぱり、軍用艦に忍び込んで、冷たい方程式そのまんまの目に遭わされるんでしょうか?

2,グラスハートが割れないように
「水への伝言」を原モチーフにした、現代劇。「祈りによって育つ」と言う触れ込みの地衣類と、それを信じて心の支えにする少女、そしてそれを見守る少年の話。
キャラクターを類型処理で流しているのは、実は上記「彗星都市のサエ」と同じ。けれど、描かれる問題が内面の葛藤なので、気になってしまいます。あの状況で、栄養指導しないで帰宅させる医者はどうなの?最低限、家族に心療内科を紹介すべきだと思うけど…… とかね。
何より、一々共感できない主人公が辛かったです。

3,静寂に満ちていく潮
ファーストコンタクト物。宇宙人の造型が結構練られていて面白い一方、主人公への共感でき無さが、2とは違う意味できつい作品。いや、多分この話については、共感しにくいところを含めて意味があるはずなので、欠点ではないのだけれど。
でも、環保軍とかを含めたあの世界の説明は、もう少し多目に欲しかった。読者にとって見れば、完全な異星生物であるレクリュースよりも、むしろ異質さを際だたせる地球圏を描写されてこそ、ラストの展開にも乗れると思うので。
あーでも、隠匿・独占して異星人の貴重なサンプルを情報汚染している(と、作中でも突っ込まれている)のは、さすがに共感するの無理だった。いや、繰り返すけど、そう言う馬鹿女(性別?)な行動への共感でき無さは、予定通りなんだろうけど。でも単純にむかつくし。

4,占職術師の希望
人の「天職」が見える男が、本来関わるべきでない社会の流れに関わってしまう話。
占職術のアイデアは面白いし、話も結構綺麗に落ちている。文庫本一冊くらいの分量にまとめて、この男の話を読んでみたくなる内容。実は作中で、能力の描写や制限がぶれているのだけれど、そこは短いので気にならないレベル。良い短編。

5,守るべき肌
イーガンもどきの……残念ながら、この本一番の失敗作。驚いたことに、類型的であることを逆手に取った美少女キャラは、普通に機能しています。そこは作品の癌ではないんです。珍しく入っている戦闘描写も、薄味だが悪くないのです。
問題なのは、異質な知性体である移入人類と現実人類、そしてヒロインの価値観の相克が、全く描かれていないところ。移入人類はアホなんじゃないかと言う話は置いておくにしても、(メンテナンス要員居なくなったら困るでしょうに。軽金属だって、一部構造材に使われてるわけだし)最終的に、主人公の属する移入人類の価値観だけが、一人勝ちを収めてしまうのはどうなんでしょう。その勝利も、そりゃもう一方的な代物。
現実人類のあの様子を「歪んでしまった」というのなら、移入人類の独善性も相当な物。しかも、両者の間で揺れるべきヒロインは、主人公の脅迫で移入させてしまっただけで、価値観の転換描写は皆無。ヒロインとはつまり一番読者に近い存在であるだけに、主人公の独善と移入人類の傲慢さ・身勝手さが際だってしまう結果に。
色々面白い部分はあるだけに、この背骨の歪みは残念でした。

6,青い星まで飛んでいけ
表題作。3年ほど前にSFマガジンに載った短編で、とても面白かった憶えのある一品。
内容は、クラークの作品に出て来るような異種知性探査船(地球製)が、人類が滅んだ後も宇宙を巡り続ける話。今となっては少し古目のネットスラングや、「お付き合い」の定型句を上手く使って見た目を軽く保ちながら、異種知性同士の交感が続く宇宙を描写する、素敵な作品。「老ヴォールの星」の系譜に連なるハードSFで、作者の本領発揮と言った所。
5でがっくりと落ち込んだ心が、これを読んで立ち直り、本作は本棚保存書籍に加わりました。

と言うわけで、短編六本中当たりが三つに外れが一つ、他二つは微妙だけど酷評するほどではない、と言う結果。短編集としては、十分に元が取れた計算となりました。やっぱり良いですね、SF短編集。
長編短編どちらも上手い人は貴重ですが、昨今の市場状況は、どんな作家にも長編連載を強いて使い潰すパターンばかり。こうして見ると、短編集が許される・長編も数巻で終わらせてもらえるという一点だけでも、ハヤカワの存在意義がある気がしてきます。売上の点で言えば、ほら、どうせラノベ作家なんてみんな兼業なんだし!いや、小川一水は確か専業ですけどね。

何にせよ、良い本でした。




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2011年05月29日

『涼宮ハルヒの驚愕』 感想

涼宮ハルヒの驚愕 初回限定版(64ページオールカラー特製小冊子付き) (角川スニーカー文庫)
涼宮ハルヒの驚愕 初回限定版(64ページオールカラー特製小冊子付き) (角川スニーカー文庫)

「世界同時発売」が、北海道でも同時と言う意味だったことに、本当にビックリしました。おかげで紀伊国屋で売り切れを食らい、南のおたくショップゾーンまで出張するハメに。

と言うわけで、四年半ぶりの新刊、「涼宮ハルヒの驚愕」です。

でまあ、とりあえず商品としての感想から。何せ、一月経つまでは、初回限定版しか売られていないわけですから。

まず、全国で30人くらいは、驚愕自由帳(メロンブックス特典)を最初に開けて、落丁だと思って角川に電話した人が居ると思います。
って言うか、これ、どう使えば良いんでしょうか?

二冊で1260円は別に高くも何ともないので、普通に高めの値段つけて売れば良かったと思うんです。裏表紙のバーコードも背表紙の二次元コードも無い同人誌仕様で、(その辺のコードは、全て外部パッケージについてます)本棚に並べた時の違和感が凄いです。

小冊子は、おまけの小説も絵も良いんですが、必要かと言われると別売りにすればいいんじゃね?と言う代物。あ、肝心の短編ですが、共学の中学に通っていた連中は、みんな天の光に撃たれて塩の柱になればいいと思うよ!
佐々木は、多分二度と登場しないキャラでしょう(再登場したらぶち壊しです)が、本当に良い奴ですね。


さて、おまけの話は以上として、本編の感想です。

で、読み始めてまず違和感を感じました。キョンの独白は、こんなに一文が長かったでしょうか?悪文ギリギリで踏みとどまっているのですが、時々癖を通り越して読みにくくなっている部分有り。まあ、読み手のこっちが、四年のブランクで「慣れ」を失ったためでしょう。

一方、作品そのものの内容ですが、分裂と合わせて3冊も必要だったでしょうか?そもそも下巻の1/3程度が終わるまで、実質的に物語は動きません。β世界線では第二SOS団(仮称)の連中からのアプローチが続くのですが、α世界線はひたすら平穏な日常。つまりは、最大の疑問点である「分裂」とは何なのかが一切言及されないまま、話が淡々と進んでいきます。

まあ、そこからは、ヒントとなる短いシーンと長門のセリフで、大まかな予想は見えてきます。ただ、こう言うヒントはもう少し早めに出しておいて欲しかった所。この世界線分岐は、意味不明の状況のまま正味二巻余り引っ張られてきたわけで、推理物としてもちょっと冗長でしょう。

何より、今回の佐々木とハルヒの選択など、結局は「消失」で行われた決定的選択の繰り返しでしかありません。佐々木という魅力的なキャラを、わざわざ作り出したあげく繰り返しネタのために使い捨てると言うのも良く解りませんし、やっぱり続けるのはもう無理ですよ。
大きめのネタ、未来人同士の抗争や宇宙的存在の対話も、キョンの物語に組み込むには大きすぎて、シリーズをどこまで続けてもオチを付けられる種類の話ではありません。
やはりこの作品は、消失+一冊か二冊で終わらせておくべきだったと思うんですが。

俺妹の感想でも同じような事を書きましたが、下手くそな商売メソッドで作家に続編の濫造をさせ、結果金の卵を産むニワトリを端から使い潰すのは止めましょうよ。そんなんだから、先細りになってるんじゃないんですか?

どう見ても心を壊した人間のそれである作者後書きを読んでいて、痛々しさと寒々しさを一際強くしました。

本当に、ひどい話です。作品ではなく、それを取り巻く状況が。

多分、変な期待をされない状態で、メディアワークス文庫とか早川とかで全然別のシリーズを書ければ、のびのびとした作品を作れるポテンシャルはあると思うんですが。
まあ、大ヒットに作にまつわる余りに定型的な悲劇ですよね……




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2011年05月12日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 8巻 感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8
俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8


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いつもは一月ほど遅れて感想を書くところなのですが、今巻はネタバレが怖かったので、実店舗で発売と同時に購入。それでも一日遅れなんですけどね!
あと、紀伊国屋札幌店は、平積みのラノベにカバーを掛けるか、せめて裸状態のは一冊にすべきかと。いつ行っても周囲に立ち読みの学生がたまっていて、邪魔でしかたありません。
って言うか、さすがに文庫本を店頭で読破するなよ!BOOK OFFじゃないんだからさあ。

勿論、今や実店舗は「立ち読みができる」と言う点がネット書店に対する大きなアドヴァンテージなので、色々難しいのは解るのですが。


と言うわけで、俺妹8巻の感想です。
まず、ページをめくったところで、カラーページを独占する黒猫さんの無双状態にのけぞります。正ヒロイン(笑)さんは、目次の裏に表紙絵の部分拡大があるだけ。正にフェイドアウトというか、アウトオブ蚊帳ですね。

で、前巻のあざとすぎて口から内臓吐き出すかと言う勢いだったあの「引き」ですが、何というか、もの凄く作品的に正しいというか、リアルというか、京介に久しぶりに親近感を感じる展開となりました。
でも、それに対する黒猫の反応は…… うちの業界ではむしろご褒美だよ!地面に正座させられて、白ワンピースの美少女に罵倒されるとか、普通にOKするよりアリじゃねえ?

と言うような本気の戯れ言は置いておいて、あくまでも黒猫として、ダメな部分をさらけ出して告白する彼女の様子に、何より尊い物を感じた次第です。決めぜりふとか、笑っちゃダメなんだよ。だって、あの子は本気なんだから。
同時に、京介に、「そこまで言われて即答しないってどう言うことなの?」と頭かち割りたくなる衝動を感じるだけでなく、即答してしまったら彼ではないと言う事を理解できる、今までの蓄積に乾杯。

でまあ、ギャグと文章の切れ味は今巻も健在。四人組が集まったシーンは、本当に楽しかったです。京介も、間違った方向(つまりはオタク的)での気の使い方が板に付いてきて、むしろ桐乃に感情移入して「いっそ殺せ!」と言う気分になれたり、作品全体の芸の幅が広がっています。

まあ、感情移入という点については、むしろ読んでるこっちの側に問題が出ますけどね。「恋人になっても何して良いか解りません(性的な意味ではなく)」と言う話とか、”感情移入できてしまって良いのか”と言う、ね…… いや、奴は性的な意味でも酷い疑問を抱いていましたが。
でもそんな疑問は、感じたら負けだぞ、諸君。我々のリアルの人生は、多分その感情移入の余地を残したまま、これからも続くからな!

>「もう何もかも終わったとか思ってるか?自暴自棄になってるのか?残念だが言わせてもらおう。ゲームオーバーのあともおまえの人生は続くよ!負債満載でな!どれだけ恥をかいても、命を絶たない限り人生は続いていくのだ!」
>「取り返しがつかなくなっても人生は続く。汚点は絶対に消えることはない!受け入れて、強くなるしかないぞ。」
           本郷明(おたく☆まっしぐら)


一方、それとは別に「つきあい始めた」と言う報告に対する常識人(のパラメータが高い連中)の反応は、「ま、そうですよねー」と言わざるを得なかったり。可愛い女の子に彼氏がいない訳ないじゃないか。畜生、畜生!!

とまあ、リアルのトラウマが噴出して、危うく心がゆきたか(あの花)かマミさん(マギカ)かと言うくらいねじ曲がりそうになるのも、基本的にはこそばゆいラブなイベントが続くからです。羨ましい!そして妬ましい!

「その立場に本当になってみたいか?」と聞かれると、「業界的にはご褒美かもしれませんが、流石にそれは……」と応えたくなるイベントも目白押しなんですけどね。
あ、いや、うん。可愛いんですよ。確かに天使ですよ。でも、「神猫」はねえわ!ヨドバシのPC売り場にこんな初々しいカップル居たら、周囲の嫉妬が炎となって火災報知器を鳴らすことになると思います。
同様に、彼女の家にいたらその妹達(幼女)が帰ってきてなじられるなんて…… 素晴らしいけど、第一段階のハードルが高すぎだよね。あ、アニメで初登場し、少ない表情で自己主張していた黒猫の妹たち(京介曰く「ロリ猫」)は、こちらで大ハッスル。天真爛漫と毒舌という定型的コンビですが、見事な話芸でシーンを転がしています。って、なんか新登場の役者に対する評価みたいになっちゃってますが。

あ、ところで、正ヒロインさん(憐憫)なんですが、クライマックスに入るまで、見せ場は自分で「irony」を口ずさむという自虐ネタ(?)経由、恐らくアニメ設定を反映しての妹空アニメ化に発狂するところだけ。アニメで言えば9話の内容に当たるような、キモオタフルスロットルの実技が光り、もう「ヒロイン」としては息してない状態。エロっぽいシーンも、ただの汚れ役にしか見えません。


さて、クライマックスですが、なるほどこうするのかと、技巧的には刮目しました。少なくとも元の鞘だけはないだろうと踏んでいたのですが、黒海で衝突してお互い一手無駄にするトルコとロシア(©ディプロマシー)のように、見事イベント前の状態に。
同時に、その過程で各人の置かれた状況がくっきりと明確化されたため、作品の長期化宣言と同時に、至るべき「終わり」もまたきちんと設定されました。

ただ個人的には、きちんと話を終わらせ、残り一冊くらいで話を畳む方向に持って行くべきではなかったか、と思うのです。
京介の気持ちは決まっていたようですし、あそこはきちんと黒猫に思いを告げ、仕切り直しに至るべきじゃなかったのかと。この恋愛ゲームの終了条件はかなり明確に定まっていたわけですから。
ここからまた日常に回帰して巻数を重ねるのは、構成的に美しくなありません。上の誉め言葉を逆に取れば、丸一冊かけて、何の進展もないどころか、物語を自縄自縛に追い込んでしまったわけですから。
終わらせ損なって無駄に引き延ばされた話ほど、興ざめさせられる物はありません。

第一、商業的な続刊という意味では、外伝をいくらでも描けるじゃないですか。今巻も、書くべき余白を大量にばらまいているわけですし。作者に愛されている(やっぱそう言う事ですよね。あの仲間を失うエピソードとか、高年齢おたくの経験その物ですから)沙織なんて、そのままスピンオフで主役張れる勢いですし。

あと、本筋以外の面では、黒猫を転校させてしまったのは、どうなんですかね?ゲーム部面々との掛け合いもなくなってしまいますし、正直意味が解りません。松戸と千葉なら通学に問題なくね?と言う点も含めて。
大好きな5巻の内容を否定されたようで、額に見事な縦筋ができました。沙織の口を通して、「場」と「人間関係」を失うことの痛みを余すところ無く表現しておきながら、何故そんなぞんざいな事が出来るのか。あそこだけは、本当に……
とまあ、不満もとても多い巻です。軸となる物語は5巻以降迷走気味だったこともあり、むしろ多少強引でも「終わり」へとコマを進められるかに注目していたのですが。

閑話休題、闇の中で交わされる桐乃との会話は、切ないです。何がって、桐乃の気持ちですよ。あそこは、桐乃としては正ヒロイン(笑)の称号から「(笑)」を取る絶好の機会なんです。振られナオン(京介はナオンじゃないけど)の弱味つけ込みレッツゴーは、モテモテ王国の昔からセオリーとなっているわけです。しかし、結局彼女にはそれができなかった。逆の立場の時に京介がどう振る舞うか見えてしまうだけに、しがらみや倫理に蹴りを入れられず、サポートに回ってしまった。
色々言っては居ますが、結局あそこで桐乃は、京介が誰かとつきあうのは嫌という「消極的抵抗」を宣言できただけで、ヒロインとして名乗りを上げる道を閉ざしてしまったのです。
桐乃「の」京介攻略ルートは、これで消えたと見て良いでしょう。あと彼女に残されたイベントは、思いを告げた上で、京介にきちんとふられることくらいです。

あ、そう言えば麻奈美はまた微妙な立ち位置になってますね。ヒロインとしては踏みとどまっているのかどうか。とりあえず、「微笑む魔物」(アルカイック・ビースト)とかって言う中二ワードが頭に浮かびました。

最後に、どうでも良い感想。
ヒロイン候補のこの子等の女子力の低さは、並大抵じゃありませんね。まあ、女子力高かったら、おたくコンテンツのヒロインは勤まらないんだけどね…… 自分で言ってて背中が煤けてくる文章ですが。


と言うわけで、滅茶苦茶面白かったのですが、「ここから更に続けるの?」と言う不満が拭えません。しかも、回帰した日常シーンを書こうにも黒猫の転校に伴う問題が出てきますし、どうにも期待を盛り上げにくいのです。

アニメのヒットもあって、色々難しい舵取りを迫られているのだろうと予想は付くのですが、色々と煮え切りません。人気が出るのが必ずしも良いことばかりではないというのは、つまりこう言うことなのでしょうね。
メディアミックスが主体となる前、菊地秀行や田中芳樹が、作品の完成度一本で勝負していた頃のライトノベル(ジュブナイル)を読んできた身としては、残念に思う局面が多いです。勿論、メディアミックスのおかげで市場が広がったり、完成度が上がったりと言う効果は大きいので、全面否定などできるわけはないのですが……
新刊と同時に掲載された原作者のインタビュー記事でも、その辺は書かれていますね。どれくらいの人数と金が動いているか(そしてそれで食えているか)が見えてきます。
勿論、上記インタビュー中で暴露されている、神猫衣装の追加とかは、共同作業の賜物だと思います。
他にも、作者単独では萎縮してしまう部分に切り込むと言う姿勢なんかは、さすが電撃と感心したりしたのです。
でも、この過干渉な方向性は、一つ間違えると電撃文庫、と言うかライトノベルレーベルがどんどん少年ジャンプ化して、面白くなくなっていく流れにもなり得ると思うんですよ。4巻ラストのアンケート葉書とか、もろそれでしたしね。メジャーな存在になったんだから仕方ない、と言う見方もできますが、市場規模は縮小が続いているわけで、その中でのあがきと見ても色々考えさせられます。

とりあえず、次巻も楽しみではありますが、感想は通例どおり出版から多少遅れるかと思います。




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2011年04月30日

最近読んだSFの感想

SFは常時コンスタントに読んでるんですが、感想を書くことは多くありません。何故なら、書いても誰も読まない(アクセスされない)からです。

とは言え、たまには書いてみることもありますよ。他にネタが無くなった時とかね。


海に沈んだ町
海に沈んだ町

まずは、短編集『海に沈んだ町』の感想から。作者は三崎亜記。
雰囲気的に、新聞連載か何かでしょうか?それぞれちょっとずつ歪んでしまった世界を舞台にした、切ないショートショート言った風情の作品です。
「団地船」と呼ばれる大型船が流行した(過去形)世界、ある日突然町が海に沈んでしまう世界、町ごとに時間の流れがおかしくなる事件が相次ぐ世界、ニュータウンが封鎖されて文化保存の対象になっている世界……
雰囲気は作品ごとにかなり違い、政治風刺的な物から叙情的な物までかなり多彩。一方で、作品のクオリティもまちまちで、ちょっと落ち着いて読めない部分が多かった気がします。
ただ共通した空気として、世界の構造と自己の内面が直結され、社会の姿が捨象されるセカイ系的臭いがあります。元々あれって、文学や文学よりの(「文学」に逃げ込んだタイプの)SFの手法ですし。

しかし、そう言った内容の不安定さよりも遙かに衝撃的だったのは、本の体裁。ページの半分近くが白紙ではないかというようなレイアウトと言い、見開きで唐突に挟まる写真と言い、無駄に分厚くて厚みの割にページ数の少ない装丁と言い、「若くない者の読書離れ」を象徴するような体裁。誰ですかね、ラノベをバカにしてた文学者(笑)は。
プロパーな一般書の方でこそむしろ進行していた濫発商法が、一目で解る残念な形態でした。いや本当、そっちの方の印象が強烈すぎて、内容が吹っ飛びかけてますよ。


リトル・ブラザー
リトル・ブラザー

続いて、これは本当に面白かった、コリイ・ドクトロウの青春ハッカー小説『リトル・ブラザー』の感想。
少しだけ未来のサンフランシスコで暮らす高校生ハッカー(原義)の主人公は、テロ事件に遭遇した際DHS(国家安全保障省)に拘束される。弁護士を呼べと言う当然の要求を嘲笑され、拷問で尊厳を踏みにじられたあげく親友を行方不明にされた彼は、解放後恐怖に駆られながらも、プライバシーの自衛と理不尽な状況を打ち破る試みを始める。それは、図らずも、政府の横暴に対する抵抗運動を、形作って行く道だった……

リトル・ブラザーとは、1984で有名な「ビッグ・ブラザー」の反対語であり、対テロを旗印に市民の権利を愚弄する暴走権力に対置される物として提示される物です。(まあ、この言葉、作中には全然出てこないんだけどな!)
暗号化、匿名ネットワーク、「フリー」なメディア。公民権運動の歴史を背負うサンフラ
ンシスコで、主人公達若者が現代の武器を駆使して戦う様は、とても清々しい内容。現実にぶち当たる壁が、国家権力の強大さそのものと言うよりも、現実生活との乖離だったり、人間関係の破綻だったりするのも興味深いところ。この辺が、できの良い青春小説と評されるゆえんです。

それにしても、作中で何度となく、蟷螂の斧として、頼基本的理念として、守るべき正義の象徴として提示される独立宣言の一節に、かなりの感動を覚えます。何故って、それが守るべき事、「守られないようなら、その国は終わりであるような物」として、根付いていると言う事が示されるからです。
国家機関は暴走するし、市民の権利は侵害されるし、権力者は法律を恣にする。しかし、原則が生きているならば、それらは回復可能な傷と言う事になる。それが、説明するまでもなく自明なこととして同意されるのは、とても重要な事なのですから。

それと、各キャラクターの身の置き方が、本当に良いんです。ほとんど描写はないんですが、実に上手い配置。韓国出身で、親戚が「本物の監獄国家」で収容所送りになった経験から、国家権力に逆らうことを極度に恐れる少女や、トルコ出身で国民を監視するような国に協力する理由は無い、とデビッドカードの取り扱いをやめるコーヒー店主、白人の主人公に向かって「権利もへったくれも無いあの扱いは、僕らにはちょっと前まで普通のことだったんだ」と語る黒人。それぞれが、テーマや物語の流れとリンクして、ページの向こうから切実に語りかけてきます。
特に、最後の黒人少年については、「だから手を引く」と言う文脈で出てくるのに、逆の印象を与えるのが巧みなところ。何故なら、黒人達は、そんな権利もへったくれも無い状況は、打ち破ることが可能だと、数十年前に証明されているのですから。

と言うわけで、日本でも絶賛進展中の警察国家化を前に、実にタイムリーな作品。ラストのほろ苦さも含めて、アメリカらしい作品でした。
ま、作者はカナダ人なんですけどね!

最後に、TRPGって、海の向こうでは、本当に説明するまでもない普通のこととして描写されるのか、としみじみ思ったり。いや、そう言う話が出て来るんです。


レイヤード・サマー (電撃文庫)
レイヤード・サマー (電撃文庫)

三番目は、割とこの手のSFでは当たりを多く出してくれる電撃文庫、『レイヤード・サマー』の感想。
タイムファンタジー、またはタイムパラドックス物は、実力を伴わないと残念になる。そう言う作品。未来人が現代に関わるタイムパラドックス物なのですが、設定が基本的な部分で破綻しており、見るに堪えません。

設定のキモは、「タイムマシンで過去に跳ぶと、その時点で歴史はパラレルワールドに分岐する」、「しかし、そのパラレルワールドから帰還処理をすると、元の歴史線に戻る」、「以後は分岐以降の時間に飛ぶと、その分岐後世界にしか行けない」と言う物。
ところがここに、「分岐前の時間に飛ぶと、分岐時点で再び分岐の原因となるトラベラーが表れる」と言う、その時点でパラドックス100%の設定を組み込んだせいで、徹頭徹尾辻褄が合わないことに。

作者が後書きで偉そうに何か書いてますが、これはそんな「謎」以前に破綻してるんだよ!
とにかく、タイムトラベルによるパラレルワールド分岐ってのは、タイムパラドックスを回避するために理屈なわけですよ。「あった歴史」は変えられない、って話なわけですよ。
それを理解せずに設定を組むもんだから、帰還処理して未来に戻ってしばらく過ごし、その後もう一度過去に戻ったら自分が殺されていた、みたいな意味の解らない描写が出てくるわけです。最低限、書き飛ばす前に樹形図なりフローチャート描いて確認しろよ、と。

まあ、要は残念な作品でした。


ゲームシナリオのためのSF事典 知っておきたい科学技術・宇宙・お約束110
ゲームシナリオのためのSF事典 知っておきたい科学技術・宇宙・お約束110

四番目は、ちょっと変わったところで、『ゲームシナリオのためのSF事典』と言う本の感想。
副題は「知っておきたい科学技術・宇宙・お約束」なんですが、「お約束」、書けてねえ!
要は簡便なSF事典のはずなんですが、参照される作品のチョイスはよく解らないし、説明が大雑把すぎて、これで知らないことを簡単に調べようとした人間は、ポカーンとなるでしょう。
そもそも、1項目2ページ統一は無理だし、項目ごとの内容で重複があったり書式が統一されていなかったりで、もうグダグダ。買うだけ無駄です。

こう言うことを知りたいなら、項目に出てくる名前をGOOGLEにぶち込み、WIKIPEDIAと解説ページを読む方が100倍マシでしょう。


マイナス・ゼロ 広瀬正・小説全集・1 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)
マイナス・ゼロ 広瀬正・小説全集・1 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)

最後が、広瀬正『マイナス・ゼロ』の感想。
都条例を巡る議論で、「近親相姦が禁止なら、この手のSFは全部無理」と言及されていた作品。そういや広瀬正って全然読んでなかったよなあ、と手に取りました。

凄い古い手触りのSF、と言うか小説なんですが、それもそのはず初出は1960年代。解説書いてるのは星新一。

かなり意欲的にタイムパラドックス物のセオリーを取り込んで物語を作っているのは解るのですが、どこかパロディ的な雰囲気抜けきらず。いや、それが悪いというわけじゃないのですが。上記から解るとおり、タイムパラドックスは起きまくっているのですが、「だから?」と言いたげな態度です。勿論、60年代ならありでしょう。今これやったら総バッシングだろうけど。

もっとも、そんな事より遙かに気になったのは、女性とタバコの描き方。
女性キャラは、全員アホか所帯じみているのがデフォルトとされ、一番理知的な昭和初期の女性すら、主人公に養ってもらって何も感じません。それが当時は当然だからなわけですが、現代でこれを読んでいる我々からするとかなり違和感があり、上手く入り込めない面が多々出てきます。
同時に、キャラクターは男女問わず常時煙を吐き続けており、これまた当時としては当然のことながら、どんどんイメージが悪くなっていきます。ストレートに言って、バカっぽく見えてくるのです。受動喫煙なんて概念もないですから、横に子どもが居ようが人が多かろうが、のべつ幕無しですしね。

そもそも、私が読書を始めた(物心ついた)頃は、こんな描写はゴロゴロしていたはずなんですが、今になってみるとかなり壮絶なんですよね。解説で星新一が「この作品は時代を超えて色あせない」と言う趣旨の事を書いているんですが、アイデアや物語ではなく、こう言う所で時代性が出て「色あせて」行くのかと、感慨深くなりました。
クラークのグランド・バンクスの幻影で、主人公夫妻は「読者が見るに堪えないと思う」喫煙シーンを過去の映画から取り除いて、現代で放映可能な版を作る仕事をしてましたが、あれってリアルだったんだなあ、と思った次第。ちなみに、クラークのこの作品の舞台は、奇しくも2012年。



とまあこんな感じで、パッと出せる物で5戦1勝2敗2分けと言った感じ。99%の法則からすれば、随分勝率が高いって事で一つ。



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2011年04月07日

ホラーよりホラー/『人体冷凍』 感想

人体冷凍  不死販売財団の恐怖
人体冷凍  不死販売財団の恐怖


死体を液体窒素で冷凍し、遠い未来での復活を願う。そんな「サービス」を売りにする財団について、SFファンなら一度は聞いたことが有ると思います。冷凍睡眠(コールドスリープ)の話につながりますしね。勿論、現時点で人体の「安全な」冷凍が不可能なことは知っていますが、未来の解凍技術に望みをかけて大金を払う人間の気持ちは、十分に理解できるつもりです。

この「人体冷凍 不死販売財団の恐怖」は、そんな財団の一つに雇われた著者の体験を描くルポルタージュです。
副題の致命的に古くさいセンス(60年代のゲテモノ特撮ですか?)で勘違いしそうになりますが、れっきとしたノンフィクション。著者は、この財団の犯罪・問題点について内部告発を行ったため、現在も潜伏生活を続けています。(この辺の経緯が正にホラー)

基本的に著者は作家でもなんでもないのですが、この辺はさすが編集能力の高いアメリカのノンフィクション業界。まるでフィクションのように(誉め言葉)起承転結のはっきりした構成と、洒落にならない描写によって、一流のエンターテイメントに…… いや、「事実」なので笑えないんですけどね。

エキセントリックな社員、滅茶苦茶な組織運営、素人同然の(と言うか、そもそも「専門家」のいない)各種医療処置、そして、どう誤魔化そうとしてもにじみ出るカルト性……
そこにあるのは、SFファンがイメージしてきた「キワモノであってもある程度科学的な知見に基づいて運営される冷凍サービス」ではなく、「現実での問題から逃避して、未来での『第二の生』に希望をかけるカルト信者達」の姿です。読者が、財団およびその加入者が「風変わりな科学技術の信奉者」などではなく、「『科学』の皮を被った宗教の信者」であることを理解するのに、そう時間はかからないでしょう。
何の役にも立たないただ高価なだけの器具と薬品(しかも管理は劣悪)の並ぶ備品庫、垂れ流される有害物質と感染症の危険も全く理解してない各種「処理」、そして、死後の復活にどう考えても致命的な影響を与える失敗を考慮しない楽観性。特に最後の、脳が割れても神経が飛び散っても遺体が腐敗しても(衝撃的ですが、頻繁に出てきます)「未来の技術が何とかしてくれる」と気にも止めない職員や信者達には、悪い夢でも見せられている気分になります。

この辺の「酷すぎるだろ、おい」と言うエピソードの数々については、今回の問題が起きる前に伝え聞いていた、原発業界のアレさに通底します。未来の技術=絶対安全な原子力関連技術、ってね。

個人的に、将来一発当てる事があったら、こう言う財団で脳を冷凍してもらうのも悪くないと思っていたのですが、そんな幻想はまとめて吹き飛びました。
つまるところこの手の団体がカルト集団に過ぎないという事を知る上で、読んでおいて損はないと思います。勿論、この本は紛争当事者の一方の立場に立つ物でしかないのですが、人体冷凍保存施設の規制法案(監督官庁を決め、葬儀場と同じ安全基準を定めると言う当たり前の内容)を出した州下院議員が、「生命に対する脅迫」を理由に法案を取り下げていると言う事実だけでも、眉に唾をつけるには十分じゃないかと思います。
作者の立場には与しない部分もあるんですが、(特に、自殺幇助関連は、あまり問題と思わなかったり。本人がそれを「死」と受け止めていない以上、不治の病に冒された信者が、脳が無事な内に自殺して冷凍して貰おうとする行為は、十分に理解できます)そう言う部分とは別に非常に楽しめます。

なお、本の真ん中の色の違うページは写真掲載部分ですが、ここの閲覧には注意。頭部を切断する際の酷い手術(?)の写真が掲載されていて、要するにグロ画像です。実は、表紙も切断された頭部なんですけどね。デザインに埋もれて一見分かりませんが。


最後に、ちょっと考えさせられた点を。財団の信者は、実生活が幸せではない(社会不適合の)SFファンが非常に多い、と言う点には、嫌な部分を衝かれたと思いました。現在の、現実生活への不満を、歪んだ優越感と理想化された未来への希望に置き換えて生きている信者達の姿は、結局は私のようなオタク・SFファンの持つ一面に他なりません。
本来一番宗教から遠い所にあるはずのSF系オタクが、カルトにはまり込むルートが見えてくると言う一点だけでも、この本は読んでみる価値があるかと思います。

なぜ人はニセ科学を信じるのか〈1〉奇妙な論理が蔓延するとき (ハヤカワ文庫NF)
なぜ人はニセ科学を信じるのか〈1〉奇妙な論理が蔓延するとき (ハヤカワ文庫NF)
↑本の中に言及があって確認したら、この189ページで本書の登場人物(それも、最大級に問題の人物)の発言が収録されていて、ビックリ。人体冷凍は現段階ではニセ科学に近い、とした↑の本の記述は、全くその通りだったわけですね。




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2011年03月27日

麒麟も老いる…… 『哲夫の春休み』 感想

哲夫の春休み
哲夫の春休み


BLOG主は、今まで色々書いてきたとおり、タイムファンタジーが大好きです。ついでに児童文学も、専門に足を突っ込みかかって引っこ抜いた程度に嗜んでいます。
そもそも、タイムファンタジーという素材は、世代間の対話という性格を持つ児童文学と相性が良く、様々な名作を生み出しています。トムは真夜中の庭でしかり、思い出のマーニーしかり。日本製なら、ふたりのイーダあたりでしょうか?どうも、英米に比べて一段落ちてしまうのは仕方のない所。ジュブナイルと言うくくりだと、また違ってくるのですが。
閑話休題、とても評判の良いこれを、期待と共に手に取ったわけですが……


この『哲夫の春休み』は、『冒険者達』(いわゆるガンバの冒険シリーズ)で有名な斎藤惇夫の、三十年以上ぶりの新作です。
斎藤惇夫はガンバの冒険シリーズ以降作品を発表せず、児童文学の老舗(図書室の常連。ハードカバーの海外文学シリーズなどは、読書好きの子どもだった人なら必ず読んだことがあるはず)、福音館の編集者をしていた人です。つまり、作家としても管理・編集側としても一線級で正に大御所。

しかし、率直に言って、私はこの作品を高く評価することはできませんでした。

ポイントは、二点です。
1,作劇の破綻・致命的な不足
2,これは子どもに向けて作られていない

最初にシナリオの概要を書くと、1989年、小学校と中学校の狭間の春休みに、父の故郷である長岡に一人で旅行することになった少年「哲夫」が、上の世代の過去と邂逅する、と言う物です。見ての通り、タイムファンタジーとしては非常にオーソドックス。地理的な移動と時間軸の移動が交錯するスタイルは、旅行と言う物が一大イベントになる子どもにとって自然な導入で、児童文学の王道です。

と言うわけで、物語の始まった時点では、破綻が生じようがありません。

しかし、まず1から。
とにかく、この作品は伏線を張りません。本当に信じられないのですが、主人公が抱える最も重要な問題が、一片の伏線もなく重要ポイントで突然明かされます。かと思えば、作劇上全く意味のない情報の偽装(最初に見ていた過去の映像が誰の物か)を行っていたり、かなり歪です。
物語の鍵を握る順子おばさんにしても、一番重要な情報は全て後出しで提示され、読者が推理する機会も驚くための助走期間も奪われています。『トムは真夜中の庭で』で、それまで提示された情報から、トムが、自分が夜ごと訪れる庭の正体を推理していくシーンのようなわくわく感は、どこにもありません。

このぞんざいなシナリオ進行の最たる物が、哲夫が過去の最重要人物に正体を明かすシーンでしょう。これは、タイムファンタジーの醍醐味と言うべき、一番の山場です。ところがなんと、ここは描かれないのです。
いや、一行で済まされるとか、描写が曖昧とか、そんなチャチなものではありません。本当に、一切描かれないのです。私は、最初手元に届いた本が落丁だったのかと思いました。
簡単に経過をおさらいすると、
・哲夫は相手に正体を明かすべきではないと改めて決意する
・理由は、相手が信じるはずがないからである
・正体を明かさないまま重要な会話が続く
・哲夫が心の底に抱き続けていた最大の問題(前述の通り伏線はない)を明かす
・「ふと気がつくと」哲夫は相手に正体を明かしており、相手はそれを完全に信じている

4段目と5段目が、明らかに繋がっていないと言うことがわかると思います。と言うか、「ふと気がつくと」って……
そもそも4段目の情報提示自体が唐突すぎて、ポカーンとなること請け合い。確かに、直前で哲夫がやや不安定である部分は見えるのですが、「ああそうだったのか」と言う納得はどこからも湧いてきません。
それに重ねるように、次のもの凄い「中略」展開。これ、一番の山場なんですよ?

書いたとおり、その時代がいつで会う相手が誰なのか、そして自分の正体を相手が受け容れるかと言う部分は、タイムファンタジーの最重要ポイントです。哲夫は、どのように相手に自己紹介したのか?何を言って納得させたのか?相手はどの部分で哲夫を信じたのか?
まるで、告白シーンをすっ飛ばして結婚式に話が飛ぶ恋愛小説のような消化不良感。

こんなシナリオ展開で訓戒に繋げられても、読者はガッカリするだけじゃないかと思うのですが。


そして、2。
結局これは、戦後徹底的に批判された、「子どもが読まない・上から目線の大人が批評し合うための児童文学」そのものではないのですか?

哲夫は、気色が悪いほど「正しい優等生」です。
何も、優等生設定が悪いわけではありません。しかし、その台詞回しは古い米英児童文学の翻訳調。小公子小公女辺りが解りやすいですが、登場人物が上流階級と言う事もあってひたすら丁寧語で文章が紡がれる、あの系統です。
ついでに、この優等生は一々人の気持ちを慮り、読者がもっとも知りたい過去に関する情報収集を妨害します。鍵を握る女の人を問い詰める登場人物に向かって、「そんな事どうでも良いじゃないか」と、相手の迷惑を考えて言っちゃうような空気の読め無さ。鬱陶しくて仕方ありません。
他にも、12歳という年齢にもかかわらず親にべったりで反抗期の片鱗も見えず、(あんな、ひたすら素直で父親自慢ばかりする12歳は気持ち悪いです)初の一人旅に子どもらしいドキドキ感も示してくれないなど、感情移入はとても困難。知らない町のホテルに一人で泊まるとか、大冒険じゃないですか。まるで出張サラリーマンのような事務的な流れで早期就寝とか、ファンタジーな体験があってもまるで「解ってない」んじゃないでしょうか?
瀬名秀明の『八月の博物館』(最後の展開のせいで大駄作ですが)で、不思議に遭遇しながら、家に帰ったらいつもどおりドラえもんを観る主人公に感じた圧倒的なリアリティは、ここにはありません。

こう言うことを書くと、お前だって子どもじゃねえだろと言われそうですが、哲夫君は1989年時点で私と10歳も違いません。そして、初めて一人で電車に乗ったり、初めて親元を離れての泊まりがけ(大人はいない)など、その経験は誰でもきっと、強く印象に残っているはずです。しかし哲夫君には、そんな大冒険の記憶と重なる瑞々しい心の動きは見られないのです。

大体、小学校が終わり、私立中学に進学が決まっている主人公にとって、あの春休みは小学校時代の友人と共に過ごせる最後の機会です。また、中学受験が終わったばかりで、解放感にあふれ、今までの鬱憤晴らしに遊び回りたい時期のはず。その不満が一切見えないのはなんでしょう?
そもそも、哲夫は父親については繰り返し言及しても、一回も友人について言及しません。12歳の少年にとって、父親は生活に占める重要性は友人達より遙かに下です。個人差云々の問題ではなく、共に過ごす時間の点で、これは覆りようがありません。教育学の基本でもありますね。
この、リアリティの欠片も無いキャラクターは、作品世界の案内人としてはあまりに非力です。

大体、なんで舞台が1989年かと言えば、夭逝した作者の子どもが12歳だった時に合わせた、と言う話みたいなんですよね。最初から、現在の子ども達に向き合う気はあまり無さそうな執筆経緯です。

成長をテーマにしたお約束の訓戒にしても、上記シナリオラインのグダグダと感情移入の困難さから、まるで心に響いてきません。
経験から何かを心に感じて歩き続けるというテーマは、辛うじて形になりかかっていると思うんですが、一本の線にまとまるところまでは行っていません。順子おばさんのエピソードは本筋に絡まないままだが意味があるのかとか、時間移動がしょぼすぎる(過去と内容のある交流をするには、質も回数も足りていない)とかね。

あと、ずっと児童文学に関わってきた人間として、最後にある人物が語る訓戒はどうなんでしょうね?
「物語は終わる」と言う部分は良いんです。しかし、本好きの子どもは、想像の翼をはためかせて「その後」を考えます。昔話からたった一つの訓戒を引っ張り出そうとするあの人物の態度は、絶対反発すると思うんですが。

ウグイスが飛び去ったあと、若者達は村に帰るのでしょうか?「ウグイスは飛び去ってしまって戻らない」と言うのは、初期条件に過ぎません。
勿論、登場人物の言うとおり、村に帰って内面の成長を遂げて生活する者もいるでしょう。しかし、私は失ったウグイスを求めて山に分け入り戻らない者や、失った幸せを嘆いて酒に溺れる者、再び会って謝罪できる日を願い子孫に話を伝えた者も、当然いたと思うのです。それは間違いなく後ろ向き・破滅的な態度ですが、それだけに愛おしい人間味を感じる結末(または末路)でしょう。
内面的な成長を遂げる、と言ういい話一つに帰着させる態度は、子どもの本を通して読書・物語に触れることの楽しさを提供し続けてきた人間として、どんな物かと感じてしまいました。


最後に。
タイムファンタジーというのは、つまるところ「異世界」を垣間見せる作品です。従って、見える・移動する世界が一体どのような物かと言う情報は、読者と主人公の好奇心・冒険心の焦点となります。
しかし、この作品はその好奇心に応えてくれないし、魅力的な「異世界」の構築にも失敗しています。
時代背景や作者の年齢を考えると、当初の構想通りガンバシリーズ完結直後に完成させていれば、楽しさを兼ねた作品になったのではないかと思うと残念です。

ちょっと酷すぎる会話文(一つのカギ括弧内で十行近く一方的まくし立てる登場人物達は、「会話」を成立させていません。人の話を聞け)以外の面では、さすがベテラン編集長で、装丁も文章も質が高いのですから。
あ、会話文の問題ですが、あれは凄く古い文学の様式ですよね。最近読んだSF短編に入っていた太宰治が正にああ言う形で、そういやそうだったな、と思い出しました。だから多分作者としては、「正しい」文章を書いたつもりだったんでしょうね。でも、現代の、しかも若年層向けの文章として適切かと言えば、断じてNOなわけで。

要するに、悪い意味での古さばかりが目立ってしまっていると言う事です。




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2011年03月21日

ひどすぎて泣けるSFもどき/『セドナ、鎮まりてあれかし』 感想

セドナ、鎮まりてあれかし (ハヤカワ文庫JA)
セドナ、鎮まりてあれかし (ハヤカワ文庫JA)

評判が良かったので手に取ったハヤカワSFですが、もう読み進めるのが辛いレベルの作品でした。

あらすじ:
舞台は、西暦3000年代の太陽系。太陽系連合は2945年に起きた戦争によって、人造外惑星系である大国に従属し、ヘタレた従属外交を続けている。前大戦で激戦地となり、多くの英霊が眠る小惑星セドナは、外惑星系へのへつらいから、荒れ果てて放置されたまま。そんな中、事故で脳障害を起こした一人の兵士が、遺骨収集任務を帯びる駐留部隊(わずか二名の小所帯)に赴任する。

と言うようなお話。多分、この時点で嫌な予感を憶える人が居るんじゃないかと思いますが、ほぼその通り。要するに、「日本の土下座外交FUCK!」、「英霊万歳!偉大なる先人達に敬意を払わない連中は死ね!」と叫びたい人が、そう言う話にSFの皮を被せただけです。一言で言うと、「SFなめんな」。

何しろ、出てくるのはみんな日本人。一々日本文化ガジェットを盛り込み、いかにもその筋の人が好きそうな「腐っている政府」の抽象的な(後述)描写を重ね、「英霊の恩を忘れている!」とか憤る文章に、天を仰がない人にはお勧めです。

この手の思想丸出し小説と言えば、ニーブン&パーネルとかハインライン(共にアメリカのライト)や山本弘(日本のレフト)がまず思い浮かびますが、あれはそう言う部分をさっ引いても面白いし、ちゃんとSFだから評価されるわけです。

ところがこの作品は、本当に「ぼくのかんがえた腐りきった戦後日本」に、「千年後」と言うテロップを被せただけ。

おかげで、SF以前の段階で、ツッコミ所がひどい事になっています。例えば、なんで登場人物は全員日本人なのか?どうしてあそこまで日本文化ばかりなのか?一応、セドナの初期入植者に日本人が多かった、みたいな事が書かれていますが、千年後ですよ?出てくる文化からして、現代どころか30年前でも古くさい類の諸々。入植地に築かれた神社、基地に祭られる神棚、兵士が携行するお守り、完全和食の食事描写。(太陽系連合の補給船が材料持ってきてるはずなのに!)稲葉の白ウサギだの桃太郎だの蛍の光だのが、スラスラ出てくる会話内容。しかも、千年間の変質は一切無しと来たもんです。
「英霊」の遺書からして、二次大戦時のそれをまんまパク……いや、リスペクトしたような内容で、どこにも千年間の変化は見えません。

ナノマシンとか変容した生態系とか、言葉を書くのは簡単です。しかし、そう言った技術革新によって起きてくる社会の変化や人間意識(と言うか、常識や文化)の変容、そう言ったダイナミズムはまるでありません。
どう見ても日輪軍(太陽系連合軍って意味らしいですよ)はただの大日本帝国軍で、精神性も戦術も二次大戦止まり。あれで未来世界を描いたつもりなら、SF作家なんか止めちまえと言いたくなります。

大体、太陽系連合ですよ?全地球と12の居住可能地帯が連合を組んだ、汎人類国家ですよ?それを代表して戦ってる兵士が日本人ばっかりとか、どこの宇宙戦艦ヤマトだよ、と言う話です。あれは1970年代ですら、十分に恥ずかしいと認識されてたはずなんですがね。で、ラストに至っては、そんな恐ろしく古い「日本的」な精神性丸出しのメッセージが社会を変えるとか、馬鹿にするのもいい加減にしろと。

ちょっと考えてみれば良いんですよ。日本の愛国的な遺書を読んで、中国人や韓国人やアメリカ人やロシア人や月面都市人や火星人や環土星衛星人が、外惑星との武力衝突を熱狂的に支持するようになるとでも?
我々日本人が、ヴェトナム戦争で死んだ兵士の手紙を読んで、「やっぱり共産主義国家は倒さねば!」と思うことが可能かどうか、試してみると良いんじゃないかと思います。


そもそもの問題として、折角未来の大戦を設定しておきながら、その戦争に至る経緯や土台となる社会の描写が皆無ってのも、人をなめすぎでしょう。例えば、この日本で戦後平和主義が国民に圧倒的支持を受けた根っこには、先の大戦に対する国民の評価があるわけです。だから、あの世界の平和主義を批判するなら、当然その土台を明らかにしなくてはならないはずなのに、恐ろしく幼稚な(作品として、と言う意味ね)「ぼくが戦わなきゃみんな死んじゃう!」な個人の描写しか出てきません。

と言うか、最初の地勢的説明見ると、「先の大戦」って、人造外惑星系の独立戦争じゃないかと思うんですが。それでボロ負けして大被害出したら、そりゃやってられないだろうし、セドナ放棄論も当たり前に出ますよね。あと、そもそもセドナへの侵攻って、二次大戦ではなくフォークランド紛争じゃないかとか。

と言うか、敵軍の兵士もまた英霊、とか口先で良いながら、集合幽霊みたいなキャラはあくまで日本人兵士の魂しか含んでない(多分、外惑星側のスパイマシンが母体のため)とか、つまんないご都合主義で対立の芽を摘んでいるのも大きなマイナス。
遠未来の太陽系という「こことは違う社会」を設定するなら、重層的に見せるために違う立場の人間を出すのは当たり前なんですが、最低限のキャラすら居ない。おかげで、描写全般が恐ろしく一面的で、気色の悪い様相を呈します。何しろ、全員が同じ意見・同じ価値観で、「その他社会」が全部腐っているという風に描かれていますから。
「国を憂いているのは自分たちだけ!」と思い上がってクーデター起こす青年将校とかって、大体こう言う連中が、切れて暴走したなれの果てだったりしますよね。で、政権取ったあとにやる事は知ってのとおり、と。

とにかく、あまりに生硬で幼稚な描き方に、読み通すのがとても辛かったです。
この内容をやりたいなら、ストレートに厚労省のやってる南洋遺骨収集ツアーに参加して、体験記を書いた方が良いんじゃないかと思います。何度も言うように、SFである意味なんて、これっぽっちもありゃしないですから。



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2011年03月03日

『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! シルバーブレット2』 感想

ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! addon シルバーブレット2 (ファミ通文庫)
ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! addon シルバーブレット2 (ファミ通文庫)

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本編が、主人公の迷走(解脱?)によって魅力を大きく欠落させていく中、外伝は面白く展開する『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』。本作は、その面白く展開している方の外伝、つまり「addon」の2巻となります。

今回の表紙は、多分暎那。と言っても、作中でこんな格好をしたシーンは、ないはずなのですが……

さて今巻は、フェアリー・テイルに対抗する一種のテロ組織で、主人公達とも敵対する第三勢力「電子妖精」との戦い一段落、と言う内容。結局、フェアリー・テイル・システムそのものの解明は、本編を置き去りに進めるわけに行きません。と言う事で、外伝用にあてがわれた電子妖精との抗争でお茶を濁す、と言ったところでしょうか。
メタ視点中二バトルとでも言うべきアクションシーンや、個々のキャラの立て方などは、定型ですが安定しています。話としても一応進行しているのですが、やはりどうしてもパワー不足。
元々一発ネタのようなつかみで引っ張った話なので、どう考えても本編6、外伝2で両方とも後最低2~3は必要という現在の構成は、無理があるのです。作者の力量を考えると、無理なシリーズを引っ張らせるより、色々書かせた方が絶対良い物/売れる物を作れると思うのですが。
まあ、これはもう続編にすがりつく業界病なので、如何ともしがたいところ。毎月の新刊本が長期シリーズの続刊で埋まり、新規が入れない状況は、衰退への序曲。いい加減、覚悟を決めて欲しい所です。

あ、そうそう。登場人物が増えすぎているんですから、いい加減巻頭にでも、キャラリストつけませんか?

と言うわけで、決してつまらなくは無いし、シリーズの読者なら買わない理由は無いのですが、「いい加減終わらないかなあ」と言う気分になってくる、見事なシリーズ中だるみ。
繰り返しますが、つまらなくは無い・作者の実力はあるだけに、困ったもんとしか言いようがありません。



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2011年02月07日

ゲームでやりたい/『STARDUST SQUADRON』感想

STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所 (1) (ファミ通文庫) STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所 (2) (ファミ通文庫)

STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所 (1) (ファミ通文庫)
STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所 (2) (ファミ通文庫)

『STARDUST SQUADRON 星空に一番近い場所』は、ロケットの夏のシナリオライターであるfocaがTECH GIANで連載していた作品です。
かなり今更とはなりましたが、文庫本にまとまったので読了。そして、表題の感想となります。

物語は、二次大戦末期、日本近海の孤島に作られた、戦略的にほぼ意味のない航空基地が舞台となります。基地の哨戒網に引っかかった飛行艇を撃墜した日本兵達が見つけたのは、現行テクノロジーを遙かに超える異形のポッドとロボット、そして異星人の美少女でした!と言う導入で、ファンは察しが付くかもしれませんが、上記ロケットの夏の前日譚になります。ゲーム冒頭の年表で語られる、ファーストコンタクトの部分ですね。

とは言え、ロケットの夏本編との直接的つながりはほぼなく、知らなくてもあまり問題はありません。ついでに、これまた一部に熱狂的なファンを持つ「たかみち」(公式サイト)が表紙・挿絵・設定画を担当しており、実にキャッチー(一部に)となっています。なんて言うか、この組合せでエロゲー作ってもらえませんかね?あ、ギャルゲーでもいいです。らくえんからエロ除いたら毒が消えてつまんないけど、ロケットの夏はエロはむしろ邪魔だったし。

さて小説の内容ですが、文章レベルも構成も問題ありません。イベントを時系列順に見てみれば、とても綺麗にまとまっていることが解るでしょう。ロケットの夏はもちろん「らくえん」でさえそうでしたが、この辺は本当に丁寧な作りです。ゲームではあんなに面白いのに、小説になった途端に……ゲフンゲフン!な感じのとは、一線を画しています。(なお、私はMarronのゲームは大好きですので、誤解無きよう)

ただ、小説としてみた場合、一点気になるところがあります。つまり、

「地味」

なんです。
たかみちのイラストが欠点を増強する方向に働いて居るのも面白い所ですが、とにかく地味。
基本的に80年代辺りまでの児童文学や空想科学小説のテイストで、背景は大きくても展開に派手さはなく、人物もトラウマ・病を大開陳な昨今の流行とは真逆を行きます。これ自体は嫌いじゃないのですが、シンプルな中に音楽や、本当に最低限の画面演出で感動を呼び起こしていたゲーム版と比べると、あまりに華がありません。
また、人間賛歌を基盤とする世界観が、二次大戦末期という割と洒落にならない舞台とは食い合わせが悪く、乗りにくいと言うのも大きいでしょう。とりあえず、ナチとソ連を無害化して世界秩序を再構築する道筋が見えません、みたいな。

いや、「ロケットの夏」でも、サブヒロインの中で最も良いエンディングを見せてくれたサヴォアの補完だったり、色々面白い所はあるんですよ。登場人物も結構魅力的ですし……

本当、個人の力ではどうしようもないと思いますが、作者には是非またゲームを作ってもらいたいと思います。もう、ザーリャやプレミアムボックスII関係で「死んだメーカーの年を数える」のは疲れましたし。





作者がどんな作風かは、↑にリンクを貼った、ロケットの夏のプロモムービーを見て頂ければ解るかと。



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2011年01月27日

俺の妹がこんなに可愛いわけがない DVDおまけ小説感想

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
俺の妹がこんなに可愛いわけがない 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]


AMAZONから届いたまま放置されていた、BLU-ray第一巻をやっと取り出しまして、特典の小説を読みました。なお、アニメそのものの感想はこちら
ちなみに、ゲームはまだプレイできてません。手元にはもうあるんですが。

この小説は、原作者(伏見つかさ)の書き下ろしで、内容は、

1,一巻(アニメ版第一話)前半を、桐乃の視点から描く『あたしが兄貴に人生相談なんてするわけない』
2,初登場シーン(とオフ会)までを黒猫が回想する『堕天聖の追憶』

の2話になっています。
長さとしては、短編集(3巻とか)に入っている、短編一本分程度。ただし、装丁が、良く書店に置いてある新刊紹介の冊子みたいな体で、凄く安っぽいです……
それと、いくら建前上「非売品」だからって、「乱丁・落丁があっても交換はお断りします」は無いでしょ、メディアワークスさん。私のは別に問題無かったですが、出版物に乱丁・落丁が一定数混ざるのは、読書家なら誰でも知っている事だと思います。

閑話休題、内容はおまけとしては十分以上でした。
まず桐乃視点の『あたしが兄貴に人生相談なんてするわけない』ですが、似た者兄弟だけあって、本編と同じような文章。ただ、桐乃の「思い」についての伏線は張られており、油断できません。特に、二人が何故本編開始当初のような冷え切った状態となったか、逆に疑問が深まりました。「思春期だから」で片付けるには色々不自然な上、(未だに本編での回想シーンは一度もないですし)桐乃の文章にはある種の切実さが滲んでいます。これは、8巻以降に期待大。

一方、黒猫視点の『堕天聖の追憶』は、何というか、「作者楽しみすぎ」と言った趣。黒猫の回想と言う所で感じた嫌な予感、いや「額に第三の目を隠し持つ者のみが感じ取れる闇の気配」的なアレは、全くそのとおりに当たっています。とにかくもう、1ページ読む度に深呼吸しないと持たないような、高度に洗練されてネタと区別が付かなくなりかかっている邪気眼パワーがダダ漏れです。
しかし、オチ近辺にはしっかりと愛しさと切なさと心強さが感じられる展開で、この短編そのものがツンデレでしょうか?
そして、この内容を読むと、7巻最後のあのシーンの意味が、ちょっと違って見えてきます。これなら、8巻の内容は、三角関係がこじれてサークルクラッシュ、みたいな方向には行かないでしょう。もっとも、物語の魚の目と化している地味子の問題は、何処まで行ってもついて回りそうですが。

と言うわけで、期待以上のクオリティでした。ただ、これだけしっかり書かれているなら、シリーズ完結後の短編集か何かに、シレッと収録されるのは間違いないでしょうね。まあ、良いんです。特典って、そう言う物ですから……



その他の「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」関連エントリーはこちら



  


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2011年01月05日

時代の断絶『私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった』感想

私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった
私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった


前に紹介した、「戦争は女の顔をしていない」の同型作品になるでしょうか?どちらかというと、前述作品の姉妹作、「ボタン穴から見た戦争」と併せて読みたい作品ですが。

さてこの本は、二次大戦参加各国の、当時思春期を迎えていた子ども達(主に14~19歳くらいが多い)の日記をまとめたものです。登場人物の出身国は、ポーランド、ソ連、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、日本。個人的には中国も入れて欲しかった所ですが、恐らく資料収集が困難となるのでしょう。言論の自由が無い国ですから。
日記の書き手である子ども達は、約半数が生き残り、残りは途中で終わる日記がその運命を示します。日記は時代順に並べられ、しかも交戦状態に有る両陣営の子ども達の物が一緒になっているため、非常に面白い対比および同一性が生まれてきます。
対比はそれだけではなく、アメリカにいて戦争は遠く、平和に日々を送り女の子の事を書き記すアメリカのユダヤ人少年と、ポーランドのゲットーで移送に怯えるユダヤ人少年の対比など、中々凄まじい物があります。

また、ドイツ軍の包囲下で人間としての尊厳をどんどん喪失し、最終的に餓死した少年の日記の直後に、無邪気な愛国心に満ちたドイツ人少女の日記が出てきたりすると、考え込まざるを得ません。彼女たちが怯え、実際に多大な被害を出したソ連軍の「蛮行」も、逆方向から見ればあまりに正当な(あくまでも感情としては、ですが)怒りの赴くところであったことが見えるのです。これは、上記「戦争は女の顔をしていない」で、女性兵士の証言としてストレートに言及されていた所でもあります。

逆に、ベルギー侵攻時に民家や工場から略奪した物資を家族に送って喜んでいたドイツの少年兵(年齢を誤魔化して軍に参加している)が、泥沼の東部戦線で厭戦気分に浸るのを見る時、憶えるべきは同情なのか軽蔑なのか。

また、やはり非常に注目すべき点として、国際認識・世界観が、現在の我々とはやはり大きく異なっている点です。
日本の一高生(戦前のスーパーエリート)は、アメリカとの国力差を見極め、戦争の無謀さ・不毛さを認識し、「自分のような人材を無駄死にさせるような国に未来はない」と断言しながら、特攻に志願して命を落とします。
スターリン粛清で家族を失った子ども達も、愛国心をたぎらせて赤軍に志願します。(これは、上記二作でも度々出てくる描写で、当時一般的な行動・心情だったようです)
イギリス人の少年にとって、日本人が劣った・卑しい民族であることは自明であり、それはフランス人少女のドイツ人に対する認識とパラレルです。
これはそもそも、同じ占領下でありながら、フランス人少女の過ごす世界とポーランド人少年やソ連人少女(パルチザン)の過ごす世界の差としても、露骨に見えてくるでしょう。

少なくとも、20世紀前半、世界は今よりもっと敵愾心にあふれていたとしか思えないのです。
勿論、現在とて差別感情や相互不信は底流をなしており、一朝時あれば旧ユーゴのように血が噴出する事になるのかもしれません。
これはやはり、教育の成果による物なのでしょうか。特にソ連については、革命後の初等教育がいかに力を発揮したかを、まざまざと見せつけられる思いです。日本史でも、維新後の初等教育が「国民(臣民)」の創出を支え、同時に敗戦まで続く思想の基礎を築いたことはつと指摘されています。そして恐らく、現在の中国や北朝鮮でも、同じ事が起きているのでしょう。

こう言った、合理的な精神と同居してあまりに不合理な愛国心が植え付けられていることを、素晴らしい無私の精神と言う人もいるでしょう。しかし、その「根拠無き」「国家の無謬を前提とする」愛国心を、最も有効に利用した国がソ連であったことは、こう言った本を読むとまざまざと見せつけられます。それは、どう考えても理想に近い社会ではないでしょう。世界有数の悲惨な状況にありながら、国家に対する忠誠度だけは馬鹿高い、不気味な北朝鮮のように。

この辺は、GHQが戦後日本の教育システムを必死になって再構築しようとした理由が、良く理解できます。確かに、これは相手にする国にとってはたまった物ではありません。
勿論私は、それに文句をつける気など毛頭ありません。戦後の高度成長はあの改革で導入された中学校義務化(最終的には、国会の上乗せ)や自由度を増した大学教育によって下支えされたのですから。

何にせよ、非常な力作だと思います。見たところ、歴史的解説の誤りはどうでも良い部分が一箇所(硫黄島陥落後の空爆激化について、硫黄島からB29が発進したという記述になっている。正確にはB29の護衛機)だけですし、原語に戻って0から翻訳しなおしている(元の本は英語だが、これは当然ポーランド語やフランス語を英語に訳した物であるため)など、手間もかかっています。

まあ、おかげで日本人少女の日記が、誤字や悪文もそのままで凄く読みにくかったりしますが、そこはご愛敬という物でしょう。
この手の物が好きなら、一読する価値があると思います。



  


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2010年12月08日

拡大する齟齬 「ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!」第6巻 感想

ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! disc6 (ファミ通文庫)
ギャルゲヱの世界よ、ようこそ! disc6 (ファミ通文庫)

他の巻の感想はこちら


また発売から一月遅れですが、どうしても書籍は後回しになるので仕方ありません。

第一巻から愛読してきた「ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!」も、もう6巻。世界の真相究明自体はaddonこと「シルバーブレット」シリーズに投げた観があり、これから本編をどう展開するのかが気になるところです。

と言うわけで、感想を。

相変わらず、本編と直接絡まない日常会話が面白いですね。ラノベという物は割とその傾向が強いですが、直接的にはギャルゲー(ノベルゲー)のライターさんが書いているというのが大きいかも。
ただし、冒頭数十ページを費やして描かれる賑やかな会話が、シリーズのテーマ(現実と虚構)に食い込んでいるのはさすがです。前巻ラストで登場した従妹が語る、「主人公の中学校時代」(=黒歴史)なのですが、これを攻略対象キャラでない「従妹」が語るところがポイント。
2巻の「現実の幼馴染」は、結局”主人公に幼馴染と呼べるほど明確なパートナーはいなかった”と言う、悲しい事実を示すための逆説存在でした。それはそれで面白かったのですが、やはり肩すかし感が強い物でした。しかしこの部分は、そのがっかりを補って余りあります。
つまり、「ギャルゲーのお約束」としては主役となるべき「姉」も「妹」も「幼馴染」も、そこには関われないという、悲しい虚構性。これぞまさしく、現実と虚構の相克でしょう。

何より、憎まれ口となって出てくる従妹の言葉から、主人公にはちゃんと「家族」も「大切に思ってくれている人」も居たのだと言うことが、読み取れてしまうのが辛すぎます。
虚構の「姉」や「妹」や「幼馴染」に逃げ込まなくても、暖かい親戚や気の合う従妹、「少し歩み寄れば友人になれたであろうクラスメート」が、周りにいたのです。(これは、翔也のセリフからも読み取れます)
しかし、主人公は「ギャルゲヱの世界」で現実を上書きし、それらの可能性を塗りつぶしてしまった。その上で、呼びだしてしまった攻略対象キャラ達を「みんな大切」と言ってさらに関係を閉じる(みんながいるから、クラスメートとこれ以上仲良くなる必要は無い)姿は、あまりにも非社会的です。現実の中で、現実から目を背けていると言っても良いでしょう。結局今回も、翔也の誘いを断ってしまってますしね。

しかし、一方で確実に彼女たちとの関わり合いの中で、主人公は成長している。この辺のジレンマが、作品テーマとなるのでしょうか。
あたかも、ギャルゲーにはまった現実のオタク達が、色々な物を犠牲(高校時代に、ゲームで女の子口説いてるのと現実で女の子にアタックするの、どちらが人生の「経験値」になるかは自明でしょう)にし、失いながら、それでも得た感動や心の動きから、生きる力を貰っているように。

ただそうなると、主人公が「責任」を背負い込んで、攻略対象ヒロイン全てのために自分を捧げようとしているのは、とてつもなく不健康に見えるのですけれどね。いつまでも囚われているという意味でも、呼び出したと言っても彼女たちは人格があるわけで、「ふる」事も当然の帰結としてあり得るだろう、という意味でも。高校生が誓う「永遠」なんて、卒業までに簡単にぶった切れる方が、むしろ自然だろうと。

そして、今回投入された従妹は、ついにその部分に踏み込みます。
今までの巻の感想でも指摘したように、そして多くの読者が同じように感じていたように、主人公の行動を「不自然」「ふざけるな」と言い切ってくれます。これは非常に清々しいのですが、主人公達の側にこれを受け容れる回路が無く、不発気味。

ただ、彼女が投げかけた「病気」「間違った愛」と言うのは、本当にその通りなんですよね。ヒロイン達は主人公への好意をインプリンティングされており、だからこそ「私だけを見て」「死ね二股野郎」と言う、当然すぎる要求をしない。そもそもがデジタルに焼き付けられた、感情というより法則・原則(アシモフ的な)に近い代物。あれを恋愛というのは、多分無理があるのです。
特に、「幼馴染」や「姉」「妹」については、本来その感情の淵源となるべき「共に積み重ねてきた時間」が最初から存在しないという意味で、もうどうしようもないのです。

結局これも、最近問題の「ヒロインが主人公以外と仲良くするだけでビッチだNTRだとボコボコに言われる」と言う流れの、弊害じゃないかと思うわけです。複数いるヒロイン候補を刈り込む事すら許されない、妙な空気になっていないかと。
逆にこれを読んでいると、一部のラウドスピーカーが叫ぶ「純愛」が、いかに気色悪いかも見えてきます。絶対に心動かされず、そもそも目を向けたりつきあうことすらなく、盲目的に主人公だけを愛し続ける。それは、プログラムかロボットに他ならないわけで。

さて、以下は完全なネタバレに入ります。一応注意。















さて、そう言った諸々を想起させつつ、最終的に「一人を選べ」と、文字通りシステムから通告されるのが、今回のキモ。とは言え、「完結」と銘打たれていない以上、結局主人公はまた誰も選ばないと解ってしまっているわけです。

しかし、意外なことに、変化は主人公ではなくヒロイン側に。ヒロインと主人公が1オン1の世界を見せることで、「主人公を独占する」事へのモチベーションをヒロイン側に育む。なるほど、これは非常に上手い手法です。変な価値観に凝り固まってしまい、気持ち悪いほど何を言われても動じなくなってしまった主人公ではなく、ヒロイン側に「あって当然の思い」を起こさせる。なんとか、話が動き出した感じです。

主人公の、あの責任感だか何だか解らない強迫観念に修正を迫るには、ヒロイン側が抗議するしかないわけで。
と言うか、主人公のあの感覚はまだそう言う奴だから、で納得できても、ヒロイン達がそれに揃って同意してしまうのは、完全に宗教ですからね。てか、教祖様がああ言うハーレム築くのは、たちの悪い新興宗教のお約束ですし。
大体、一番あの主人公の言動に違和感を覚えている理恵について、「今は迷っているだけ」とか、どう見ても洗脳教育真っ最中の宗教家ですよ。

と言うわけで、今後の展開には期待したいのですが、どうにもあの○○アニメ、Angel Beats!(感想はこちら)と、同じ臭いがして来たのが、もの凄く不安です。特に、腐れ主人公・音無との類似性とか。

この結論で行くなら、もうとっとと本編は終わらせて、自然に楽しめるシルバーブレットを中心に書いて貰いたいところです。あるいは、心機一転の新作を出すか。
実際文章レベルもシナリオ構築も水準以上なわけで、無理矢理引き延ばされてグチャグチャになってしまったこのシリーズは、早めに畳むのが正解だと思うのですよね。

現実と虚構の対立・融合という作品テーマ的には、次巻に展開されるであろう話は、面白い物だと思います。しかし、もう主人公が凝り固まってしまった現状では、有効に機能するとも思えないのですよね。
正直、読み続けるのが辛くなってきています……




ところで、ファミ通文庫さん。もう外伝含めて登場人物が増えすぎてるんで、そろそろどこかに人物リスト載せて下さいよ。名字を呼ぶキャラと名前を呼ぶキャラもいたりして、かなり困ってしまいます。




この作者の、他の作品に関する感想はこちら
その他ライトノベル関係のエントリーはこちら


  


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2010年11月29日

”逃げちゃダメだ”は愚劣な言葉 『なれる!SE』の感想と共に

関連エントリー:ブラック企業NERV

ニートの海外就職日記さんが久しぶりに更新されたと思ったら、バカンスの映像つきで羨ましくて死ぬかと思う簡易更新。忙しかった理由も趣味の教室通いとか、地獄の底から見上げる蓮の池の底ってこんな感じでしょうか。
でも、表現規制的にシンガポールは地獄なので、羨ましくなんて無い!

と、前置きは置いておいて、こちらも慎ましく趣味に時間を使うべくラノベを手に取ったところ、体の色んな所から火炎放射したくなるような、凄まじい内容の代物を引き当ててしまいました。ブラックジョークかと思ったら、ブラックと言うよりダークファンタジー(誤用)、じゃない、ダークリアル!

なれる!SE―2週間でわかる?SE入門 (電撃文庫)
なれる!SE―2週間でわかる?SE入門 (電撃文庫)


「なれる!SE」は、2巻も発売され、話題になっているライトノベルです。作者は、葉桜が来た夏の夏海公司。

書店に必ず並ぶ電撃文庫で、この題名をつけた時点で一定数の売上決定のネタでしょう。はじめて平積み台で見た時に感じた、ラノベらしからぬ負のオーラは非常に強烈。表紙の美少女とのギャップが素晴らしすぎます。

そして内容ですが、本当に「ひどい」代物でした。
ただ、IT系ブラック企業の諸相から受ける皮相的な乾いた笑いは、実は二義的。この作品の本当の面白さというか興味深いところは、「サブカル系エンターテイメントの物語構造」の恐ろしさを、意図せずにさらけ出しているところでしょう。

どう言う事か説明します。
この「なれる!SE」の物語構造自体は、恐ろしいほど定型的なエンターテイメントのそれです。

1,主人公は普通でない状況に叩き込まれる
2,それは耐え難いので、逃れようとする
3,しかし、やがて自己実現や守るべきものを見出す
4,最終的に、与えられた運命を「やらねばならない事」と自覚し、成長する

この起承転結は、小説でも映画でもアニメでも、お約束です。
ところが、この作品の恐ろしい所は、それを「実際に存在する」業界の「現実的な地獄」の中に、落とし込んでしまったところです。そうなると、正に私がブラック企業NERVで茶化したとおり、理不尽であり得ない、「勝利条件はゲームを止める事」なゲーム(はてしない物語メソッド)が現出してしまうわけです。

上の流れに沿って、重要なポイントを挙げていきます。


1,主人公が巻き込まれる普通でない状況
定型作品:命の危険を伴う闘争
なれる!SE:デスマーチ連発のブラック企業

2,逃げたい逃げれない
定型作品:世界の運命・自分が逃げたら誰かが代わりに・男だったら逃げちゃダメだ!
なれる!SE:無職へGO!・自分が逃げたら誰かが代わりに・社会人なら逃げちゃダメだ!

※「男だったら」は、間違ったノビレスオブリージ的な定型句。性別は問題じゃないのよ。

3・4,この世界も悪くない
定型作品:気の合う仲間・可愛い女の子・やりがい
なれる!SE:いい人の同僚・可愛い女の子・やりがい


どうでしょう?恐ろしいほど醜悪な社会の縮図が、見えてきませんか?


何にせよ、両者が恐らく故意に混同して描かれるため、読んでいる時のストレスが凄い事になります。戦争に巻き込まれた少年が主人公のロボット物や、世界の命運を賭けた超能力者バトルの渦中に巻き込まれた時と、状況は同じ。なのに、それがITブラックに置き換えられた瞬間、「逃げちゃダメだ!」と言う「成長」が、悪質な欺瞞だと露呈してしまうのです。

順次解説してもくどいだけなので、3・4に絞って書きましょう。

理不尽な状況で「ここに居ても良いんだ」と人に思わせる手法は、極論すれば二つ。
「成功体験」と「人間関係」です。

「成功体験」は、飴と鞭の飴です。
ひどい状況が延々と続いた後、そこを抜ける解放感が来る。死と隣り合わせの危険が、生き残ったという喜びに。デスマーチの苦しさは、それが終わった喜びに。状況が酷ければひどいほどこれが大きくなるので、犠牲者後を絶たず。ついでに「人とは違う事をしている」という自尊心でも刺激してやれば、笑って死ねる鉄砲玉が一丁上がりです。
しかしこんな物、どんな物でも得られるんですよ。コンビニバイトですら、トラブル発生→対処のプロセスの中で、類似の経験はできます。知らなかった世界を知ると言うのも、働いたら(働かなくても新しい経験をすれば)どんな所でも経験します。
そもそも、「ひどい目に遭わせて最後のちょっといい目を見せる」と言うのは、洗脳の典型的手段です。良く話題になる、新人研修とか。あれ、カルトのオルグ場である自己啓発セミナーと一緒ですからね。

「人間関係」は、言うまでもないですよね?
同じ境遇に放り込まれた同僚・仲間、吊り橋効果で魅力的に見えてくる異性、本能に組み込まれた緊急事対処プログラムによって、頼りがいが有るように見えてくるリーダー。これらを相互監視システムとして使う点において、「仲間に迷惑がかかるよ?」と言って退職を止めようとする企業と、「お前が逃げたら、残されたあいつ等はどうなる!?」と言う秘密軍事組織(笑)に、違いはありません。
中盤、軍や組織を抜けようとするも舞い戻る主人公、と言うエンターテイメントで多用されるシークエンスは、これを露骨に示します。多くは人間関係以外に「世界のため」のようなお題目を添えますが、エリア88のように、単なる中毒だと喝破している作品もあります。


とにかくこの作品、繰り返しますが、「燃えるエンターテイメントで王道の展開」を「最高にショッパイ現実」を舞台に展開するせいで、違和感と息苦しさが大変な事になっているのです。「落ち着け主人公、これは現実だ。努力と根性で戦力差は埋まらないんだ!正解は撤退なんだ!」と言う感じで。

手法としては、エンターテイメント世界を現実的に描くパロディ・ファンタジーの逆転。そう言ってしまえばそれまでですが、やっぱりラノベでやったのは画期的ですよ。「いい話」のフォーマットに乗っているだけに、本当に悪質ですから。
ただ、後書きを読むと、喉元過ぎた作者は、これを本当に「いい話」として書いている気配もあり、微妙な気分にもなりますが。この前感想を書いた魔法少女禁止法くらい、どぎつく毒まみれでやった方が、エンターテイメントとしては面白かったと思うんですけどね。

それにしても、子どもの時からアニメや漫画でこう言う展開を見せられるから、社会に出てから「死ぬまで戦う」という選択をしてしまう人間が作られるのか。それとも、そんな社会だからこう言う描写が「格好良い」物として蔓延するのか。
ニワトリ卵ではありますが、少なくとも楽しい気分になれる作品ではありませんでした。そりゃあ、立華さんと懇ろになれてカモメさんがフォローしてくれる職場なら、あんなクソ会社でも倒れるまで働いちゃいそうで怖いですけどね。
でもその場合でも、立華さんの最適解は、主人公とカモメさんを引き連れて独立し、フリーランスとしてやっていく事だと思いますよ?



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