2016年12月07日

意志決定の機会を与えられない物語『この世界の片隅に』 感想

4575941468
この世界の片隅に

↑原作はここまで強い印象の作品では無かったのですが、映画の力ですね。

注:本記事内の「面白い」は、『純粋娯楽性理論』の定義に従っています(読んだ感想はこちら)。

丁度東京にいたので公開直後のテアトルで見たのですが、その時点で立ち見大量&ネット予約したのにチケット受け取るまで10分以上並ぶ盛況ぶりでした。しかも、終映後に拍手が起きる様な状態だったのですが、正直そこまで乗れなかったのですよね。もの凄くしっかり作ってありますし、映像表現も声の演技も出色でした。ただ、どうにも乗りきれない部分がありまして。
で、見終わったあとも色々考えていたのですが、他者の感想にはしっくりできるものもできないものもあり、多分まだ提出されていないであろう視点から書いてみたいと思います。

と言うわけで、要点から。
「歴史物を突き詰め、『予想外の事態』どころか登場人物の意志決定を徹底的に取り除き、感情移入の強化に専念した作品。私の好みとはずれる部分があるが、にも関わらず内容は圧巻と言わざるを得ない」
です。

まず大前提として、これは昭和初期から同20年までの呉・広島を舞台にした作品です。つまり視聴者にとって、どの様な「大きな」イベントが起きるかは、予め解っているわけです。この点で(原作付きである点を差し引いても)「面白さ」は大きく減じることになり、一方、ひたすら生活者に徹するのんきな主婦を逃れられない悲劇が約束された世界の片隅に置くことで感情移入の効果は高くなります。

ここで、「面白い」作劇を行うためには、大きな悲劇の中で主人公がどんな意志決定を行い、その結果どの様になるか、と言うのが重要なファクターになるのは言うまでも無いでしょう。約束されたタイムスケジュールの中で、主人公がどの様な選択をして、その結果どうなるか。これが、「面白い」「歴史物」のお約束となります。

ところが、この作品は、メインストーリーから意志決定を、そしてそこと密接に繋がる面白さが、徹底的に排除されています。
ちなみに、枝葉での「面白いシーン」は多いのですが、それについては後述します。

では、意志決定の排除についてどう言うことか説明しましょう。
この物語の主人公すずは、重要な場面で意志決定を行いません。正確には、「意志決定を行わないという意志決定すら行えない」「意志決定に意味がない」状態に常に置かれます。

まずは、人生の重大事である結婚について、それを受け入れるという意志決定も受け入れないという意志決定もしていません。幼馴染への恋心がありながら「断る様な理由も見あたらない」と言う風に、ただなすがままに話を進めます。恋心を振り切って周囲の期待に応えるでも、恋心を優先して縁談を何とかしようとするのでも無く、ただ流されると言うより流れていきます。恐ろしいほどドラマがなく、恐ろしいほど「面白さ」がありません。
本来ここで話を「面白く」するのであれば、どちらかを選択させねばなりません。どちらに行っても、少なくとも面白くはなります。あの脚本・原作は、折角のイベントがただ流れ去っているだけで、全く見せ場になりません。
これは、批判しているのではありません。「面白さ」は作品の魅力の1パラメータでしかなく、この原作・脚本は、それよりも優先(と言うより意図的な排除による別ベクトルを強調)していると言うだけです。

あるいは、幼馴染との再会について。あそこは珍しくすずが「流されていない」場面なのですが、揺れた結果の意志決定と言うよりも、既に確立した夫との関係を幼馴染に示す事で、現状を端的に提示しただけに見えます。つまり、前提は最初から出来上がっており、あそこで幼馴染は最初から背景に過ぎなくなっているわけです。仮にあそこで幼馴染に流されたとしても、その心は最初から決まっており行動に意味は無い。だからこそ、幼馴染もすんなり身を引いてしまうわけで、あのシーンは既に決着した事象の確認でしかありません。

そして何より驚愕したのが広島への原爆投下のシーンです。すずが呉に残ると決めたのは、原爆の投下とほぼ同時です。つまり、あれだけ重要な意志決定が、最大の歴史イベントである原爆投下とリンクしていないのです!
本来この舞台であの意志決定を描くのであれば、原爆が落ちるより十分に前でなければなりません。そうであれば、「すずが呉に残る意志決定を行ったおかげで原爆投下に巻き込まれずに済んだ」と言う形になり、彼女の意志決定は意味を持ちます。逆に、広島に帰ると言う選択をするのであれば、あのタイミングで構いません。それならば、「意志決定を遅らせたおかげで投下に巻き込まれずに済んだ」と言う、これまた彼女の行動に大きな意味ができるからです。
ところが、あのタイミングでああいった意志決定を行うと言うことは、つまるところ原爆投下との関連で彼女の意志決定には何の意味もなかった事になります。

このように、徹頭徹尾主人公すずは物語において、意志決定の機会やタイミング、意味を与えられません。世界は様々な災厄や幸福を彼女に降り注がせますが、それらを回避したり拒否したり、あるいはそれを意識的に選ぶ(志願兵として戦場に行ってひどい事になる戦争映画のフォーマットの様に)と言った能動的行動は許されず、ただひたすら「世界の片隅」で世界から一方的に弄ばれるのです。

このように、メインシナリオにおいて主人公は意志決定を行えず・行わず、そこに起因する面白さは排除され、観客は、ひたすら彼女が世界から享受する/投下される悲喜劇を体験させられることになります。これを彩るのが、散々指摘されているすずさんの強くしなやかな個性であり、美しい情景描写であり、徹底的にリアルに作り込まれた舞台です。あの時あの場所で主人公がどの様に行動するか?と言う面白さ・予想外の展開は捨て去られ、すずさんと言う感情移入しやすい生活者の目を通して、あの戦時下を体験させられる。それこそが、あの作品の本質であり、凶悪さ・力の根源であろうと思われます。
「あなたは自分で選ばなかった」と言う趣旨の事を小姑さんが言って居ますが、だからこそ意味があるのでしょう。自分の意志を持って運命を切り拓かれては、「あの厳しくも優しい世界に翻弄されるすずさん」に感情移入するのは難しくなりますから。

以上を踏まえて、映画を見終わった時に私の一番強い感想は、「なんて『きつい』作品なんだろう」でした。個人的な性格からすずさんに感情移入することは難しかったのですが、一歩引いた状態で見ていてすら、逃げ場のない状況で良いことも悪いことも受け入れ生活者の範囲であがくしかない状況を叩き付けられ、恐ろしい疲労を感じたのです。

ちなみに、すずさんがもっとも大きく意志決定を行った様に見える焼夷弾の消火シーンが、結局の所家一つ救う以上のものではないこと(しかも、エンディングでは作中では描かれない地震のせいで、更にボロボロになっている)、世界に関わろうと決意しても戦争という大きな状況には当然至極に全く意味を持ず、そのまま敗戦シーンにつながると言う構成など、この意志決定に意味を与えない・排除しているという見方を補強してくれるかなと思います。

それと、何とかこの映画が見れる(心へのダメージ・圧迫感の面)のは、のびやかなすずさんの心性と共に細かなシーンで面白い物(予想→肩すかし。空爆寝落ちや防空壕ラブシーンなど)が多くあるからなのですが、こう言った面白いシーンを構成する力があるにもかかわらず、それらが本筋から排除されているというのも上手いバランス感覚(面白さも用意するが、本筋には近寄らせない)だなと思った次第です。


と言うわけで、非常に力があり、感情移入という意味ではべらぼうに強力なのですが、本筋での面白さを排除した特異なスタイルと精神的圧迫感で「自分にとって」最高傑作とまでは言えませんでした。ここは単純に好みの問題で、純粋に不出来な部分に憤った「君の名は。」の場合と違って、心から凄い・素晴らしい作品だと言うことができます。

逆を言うと、これだけ基本的な作劇手法が自分の好みと離れていても手放しに「素晴らしい」と言える内容でしたので、是非とも鑑賞することをお勧めしたいと思います。


当BLOG内の、映画関係記事はこちら
同、アニメ関係エントリーはこちら






  
タグ :アニメ映画


Posted by snow-wind at 00:00Comments(2)アニメ・映像系

2016年09月08日

「作家性」とは歪さと見つけたり/『君の名は。』感想

ほしのこえ
ほしのこえ

↑この頃から基本的な作劇の良い点と悪い点が全く変わってないのは、素直に凄いと思いますです。

何も映画だけ見てるわけじゃないんです。BALDR HEART世界樹の迷宮Vもやってますが、メモ残して色々再プレイ・チェックしてと言う時間までとるのが難しくてですね。


閑話休題、「ほしのこえ」の頃から、「好きではないけど凄い」と言う感想を抱き続けてきた新海誠の新作「君の名は。」です。好きではないのでこの映画も当初スルー予定だったのですが、まずあり得ないと思われていた一般受け・大ヒットのニュースを聞き、ならばだいぶ変わっているのか?と興味を持ち、視聴して参りましたので感想を。

ネタバレ全開と言うわけではないですが、それなりにネタが割れる書き方をしています。

ちなみに、世間で言われてるほどカップルばかりじゃなかったです。年齢層が圧倒的に若かったのは間違いないですが。


さて、当Blogのフォーマットに従い、最初に結論です。

・相変わらず磨き上げられた情景描写は素晴らしい。一方、脚本・設定の破綻ぶりは凄まじいが、一周回って強烈な個性を放っている。
・他作品に例えると、もの凄くKeyっぽい。良い意味でも悪い意味でも……
・やりたい事だけ注力するその姿勢は、正に個人作家。大規模プロジェクトになってもこれを維持できているのは、素直に凄いと思う。


以下、上記の内容について。

まず、描写の美しさは流石です。(なんか、細田守といい宮崎駿と言い、日本のアニメはここに注力するのが特徴みたいになってるのが気になる所ではありますが……) 飛騨の自然、雨に跳ね返る紅葉、初夏の熱気にけぶる東京、生活感あふれる室内の様子。主人公二人の視点がめまぐるしく変わる展開が、描き込まれた背景によって補強され、お世辞にもテンポが良いとは言えない場面転換(唯一、数週間?の経過をナレーションと共に説明していくシーンは綺麗にまとまっていましたが)を上手くカバーしています。

ところが、脚本の滅茶苦茶ぶりはちょっと目を覆わんばかり。何しろ、時間という大ネタを使いながら、そのルールが杜撰かつ恣意的に運用されるため、「一体なにをすればどうなるのか」の予測が一切不可能なのです。このため、中盤のどんでん返しのあと、「避けられない悲劇が描かれた」のか「悲劇を避けるために動き出す」話なのかが解らないまま、視聴者は放り出されます。
一方、理屈がサッパリわからない、御神酒一気飲みから再度の入れ替わりが発生した段階で、一瞬で過去は書き換えられており(切った髪の毛をあのタイミングで幼馴染に見せた段階で過去は変わっています)、つまり過去が変えられる=悲劇は防げる以外の予想が付かなくなります。そもそも、あとのドタバタはヒロインが村人を救うための行動なのですが、物語としての大目的は「ヒロインが助かる」事なので、はっきり言って無駄な尺になってしまっています。しかも、そのイベントの最中に「名前が思い出せない」と言う「今それどころじゃない」話(にも関わらず主題その物)を突っ込んでくるので、場面の意味づけが発散してしまって締まらないシーンばかりとなります。

「入れ替わり」という荒唐無稽さは別に良いのです。しかし、起きている事象の法則性や説明が為されず、類推できない設定が唐突に追加されるため、予測を導く材料たる「設定」の体を成していないのです。典型的には、消える日記でしょう。入れ替わりが時間を越えていても別に今までの設定と矛盾はないのですが、あれは説明が付かない現象で、しかも伏線になっておらず、要するに徒に視聴者を混乱させるだけです(てか、要らなかったですよね、あれ)。
加えて、記憶の扱いのいい加減さは噴飯物で、「主人公・ヒロインとも、シナリオ進行上都合の悪い事は憶えておらず、特に伏線も無く適当なタイミングでそれを思い出す」と言う最低最悪の展開が連発され、見ているこちらはどんどんアホらしくなってきます。便利ですよね。「実は忘れていた」。便利すぎて、使ったら漏れなく作劇が安物たたき売り年末在庫一掃セールになるので、普通やらない訳なんですが。

でですね、途中から見ていて思ったんですが、これもの凄く「KEY」っぽいんですよ。感情移入の一点突破で視聴者(プレーヤー)に設定の齟齬を気にする余地を与えず、全く理屈に付かない最後の救済を「奇跡でも何でも起きてくれ!」と言う視聴者の願いに応えると言う形を取る事で、ツッコミを力尽くでねじ伏せる。正に、あの辺のメソッドです。
各キャラクターの類型的な描写や、繰り返させる日常の描写が一番できが良くて、事件については整合性は滅茶苦茶だが日常が壊れたという以上の意味は無く、最後の救済への前振りでしかない(だから、どんなハチャメチャな災害であっても、いやだからこそ力を持つ)。
これらは別に悪いわけじゃありません。私はKEYの作品は好きでしたから。ただ、さすがに散々それらに泣かされたり唾を吐いたりしてスレてしまったオタクとしては、ラストシーンを前に「はいはい。ここから特に理由も無く奇跡が起きて、ハッピーエンドになるんでしょ?今シンデレラ曲線どん底だもんね。垂直上昇で感情に昇竜拳喰らわせりゃ、誰も文句言わないしね!」とか思って口を歪めざるを得なくなるわけです。実際その通りになるし……
従って、エピローグの「とっととハッピーエンドになれよ。何起きるか解ってんだから」とイライラさせられたシーンの連続も、のれた人間にとっては「ため」として見事有効に機能したはずなのです。映画館内の雰囲気はそんな感じでしたし。

と言うわけで、若年層を巻き込んで大ヒットしたというのは、実に良く理解できる作品でした。ただ、ロジカルな展開やしっかりした脚本を求める層からは総スカンを食う酷いものであることも確かで、私の感想は今までどおり「凄いけど好きじゃない」に尽きます。
しかし、映像表現は相変わらずとても良いので、脚本の重要度が低い短編とか、あるいはドキュメンタリータッチの作品なんかが見てみたいなあと思った次第でした。
少なくとも、しっかり作ってある「作品」なのは間違いないので、金払ってみる価値はあると思います。重ねて言いますが、作家性が強いだけに好き嫌いが分かれる類のものだと思いますので。んで、どう言う人に「お勧めでない」かについては散々書いたつもりですので、どうぞご参考に。


あ、最後に。
以上の設定面でも滅茶苦茶さ加減については、「言の葉の庭」で「やっぱり主人公カップルは高校生じゃないとダメだよ!」とか言われた年上好きの監督がぶち切れて、整合性とか全部ぶん投げて作った設定だと考えると、なんか許せるような気がしてくるかもしれません!
気がするだけかもしれないですが。




当BLOG内の、映画関係記事はこちら






  
タグ :映画アニメ


Posted by snow-wind at 00:00Comments(2)アニメ・映像系

2016年09月02日

面白いのが一番!『ゴーストバスターズ』リメイク版 感想

ゴーストバスターズ 1&2パック [Blu-ray]
ゴーストバスターズ 1&2パック [Blu-ray]
↑旧作安いですねえ。確かに、今見ると色々冗長ですし、仕方ないと言えば仕方ないのですが……

何やら本国では色々ごたごたしているらしい、ゴーストバスターズのリメイク版です。もっとも、最近党派的な物言いが少々きつい(右派傾向を持つ若者への「悪口」レッテルを2つ並べて似ていると言われても、そりゃそうでしょ、としか……)人の言ってる事ですので、割り引く必要がありそうですが。

最初に自分の印象を書いておきますと、あのゴーストバスターズが女性キャストでリメイク!と言われた時は、何だそりゃまたフェミニズムでも何でも無い例の連中絡みか!?と思ったのは確かです。ですが、あの「ダメそうなおばちゃん4人が作業着姿で並んでる」プロモの絵面を見て、その場で懸念を撤回し、ワクワクしながら公開を待ってました。

要するに、「ダメ男4人組の幽霊退治コメディ」が、「ダメ女4人組の幽霊退治コメディ」になった時に、どんな新しい面白さが出るか、ワクワクしたと言う事です。

と言うわけで見てきましたので、いつもどおり結論から書きます。


要約:
面白い!男女を逆にしたことで、滅茶苦茶魅力的な馬鹿キャラが誕生し、素晴らしいコメディになっている。
しかし、肝心の4人組はやや期待外れ。もっと上に行けたはず。


では、解説していきます。
まず、コメディとして非常に良くできています。これは、丁寧に織り込まれたパロディや、旧作へのオマージュ、原作と同じ方向性の馬鹿ガジェット類と言った小ネタ、そして何よりケヴィンという「最高の馬鹿キャラ」のお陰です。

このケヴィン君、マッチョの白人のイケメンという、三拍子揃った主人公風キャラなのですが、とにかくバカで間抜けで役立たずです。要は、巨乳のブロンドキャラ類型を男女引っ繰り返した存在なのですが、動作から言動から行動から、何から何まで動いているだけで面白い(馬鹿なので常に予想の斜め上を行く行動を取り続ける)、画面にいるだけで笑いが起こる存在に到達しています。
正直、ケヴィンの言動とケヴィンの行動とケヴィンの所作だけで楽しめるので、他が霞むレベル。いや、書いたように、他の細かい部分も結構丁寧に作られてるのですけどね。

しかし、このケヴィンに食われたというか、主役4人は正直「合格点程度」のコメディキャラに留まってしまっています。ドイツ人テッキーのジリアンは、キル・ビルアクションを含めて非常に良い味を出しているのですが、他3人はよろしくありません。主人公のダメな所はケヴィンに惚れる所ですが、そのネタはなおざり。アビーはワンタン位しかネタが無く、おかげで悪霊に取り憑かれた時も今一面白くなりません。毀誉褒貶激しいパティも、折角一番図体がでかいのに怪力ネタがあるわけでも無く、中途半端。あと、劇場地下でのアクションは、余りに動きにキレがない(運動神経が悪いと言うか、動きが鈍い、と言うネタにもなっていない、様にならない動きです)ので、ちゃんとリテイク出すなり事前に練習して欲しいと思ったレベル。ただの萌えキャラかと思ったらすげえアクションを披露してくれた、キックアス(感想はこちら)のヒットガールまでは行かないまでも、芝居として見苦しくないレベルには行って欲しいです。

何故こんな事に成ってしまったかと考えると、上記記事で指摘されているようなのとは別の意味で、フェミニズム・ポリティカルコレクトネスが作用してしまったんじゃないかなあ、と思う次第です。

どう言う事かというと、ケヴィンという「マッチョ・白人・イケメン」と言う一見して強いものであれば徹底的に馬鹿にしてネタにしてこき下ろしても構わない、しかしイケてないおばちゃん4人組を同じように扱うのは『正しく』ない、と言う判断が働いてしまったんじゃないかなあと。GamersGate とかあの辺を見ていると、あながち間違いじゃないのではないかと思います。

そして、これは極めてF○CKです。ふざけてます。そんな事どうでも良いから面白い物作れよ!!としか言い様がありません。

はっきり言って、もっともっと面白くできるんですよ、このネタ。ケヴィンなんて言うアホに惚れる主人公はまぎれもなく「馬鹿」なのですから、そこを誇張しないでどうするんでしょう?あの馬鹿に言い寄って全然理解されないとか、口説こうとして空回りするとか、その程度の描写もありません。大体、中途半端なチョーカーへの突っ込みを入れる位なら、「年甲斐もなくボデコン(ゴスロリでもフリフリでも痛ければ何でもよろしい)スタイル」程度の「痛さ」は入れて欲しい。オタクが出てくる映画で定番の童貞ネタも、引っ繰り返して高齢処女ネタにするだけで、十二分に面白いシーンができるはずです。
と言うかですね、「ダメな男ども」をわざわざ「ダメな女ども」に変えたんですから、「女性キャラ」であるが故に痛くなるネタをやらなければ意味が無いんですよ。何?それは女性を馬鹿にしてる事にならないか、ですって?馬鹿な女性を描く事が女性を馬鹿にする事になるのなら、馬鹿な人間を描けば人間を馬鹿にした事になり、つまるところコメディなんて描けません。コメディ定番の医者や軍人や警官や政治家は馬鹿にしてOKだけど、女性やマイノリティや底辺職業は馬鹿にしてはいけないというのなら、それこそ差別ってもんです。
と言うかですね、女性に対する描写を「手加減」した結果、吹っ切った描写のケヴィンが美味しいところを持って行っているわけで、むしろ女性に不利に働いてるわけですよ。主人公なのに、ネタにされるという特権を十分に発揮できず、男性キャラに奪われてるわけですから……

以上のように、とても面白くて是非色んな人に見て欲しい作品なんですが、画竜点睛を欠く事の原因を考えるに、やっぱり文化戦争の根は深いなあと溜息を吐いた次第です。コレクトネスに痛めつけられた貧困白人層の怒りがトランプ現象に帰結したり、この期に及んで他人をぶったたく事ばかりに汲々としている日本の左派の問題と言い、いい加減本来の自由主義を遵守して現実とフィクションを切り分けて論じられる環境を取り戻さないと、それこそ現実にもフィクションにもろくな影響を及ぼさないんじゃないかと思います。


当BLOG内の、映画関係記事はこちら




  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 01:00Comments(0)アニメ・映像系

2016年08月04日

素晴らしい、そして欠点だらけの怪作 『シン・ゴジラ』感想

ゴジラ(DVD)
ゴジラ(DVD)
↑今作は設定的には「ゴジラがはじめて日本に来る」並行世界的なお話で、否応なく第1作と比較される運命にあります。


お久しぶりです。
なんとか生活に余裕が戻り、WoTとか#FEとかカルドセプトとかStellarisとか色々やっているのですが、死ぬほどやり込むだけの時間と労力が取れず、ゲーマーの自称がどんどん厳しくなってる状況です。

と言うわけで、2時間できっちり終わってくれる映画の比率が依然上昇中。非常に「語りたくなる」内容だったシン・ゴジラの感想を書かせていただきます。

では、最初に結論から。

最高に良くできた娯楽大作。だが、「それ以上」を目指した部分は悲惨な出来で、それ以外でも単なる粗としか言いようのない脚本の瑕疵が目立つ。


と言うわけで、細かい点を書いていきます。当たり前ですがネタバレまみれなので、嫌な人はとっとと帰れ!


まず特筆すべきは、序盤のテンポの良さです。映画が始まると同時に、いきなりなんの前振りもなく東京湾で異変が発生し、そこから政府首脳の対応と事態のエスカレーションが交互に映し出される形で、ゴジラの上陸まで一気に進みます。
原発事故の時の対応を詳細に聞いて回ったと言う事もあり、この描写は政府の迫力と良い意味でも悪い意味でもリアリティ(それっぽさ)満載。まあ、おかげで「それ原発のエピソードコピペしただけだろ」としか言いようのないシーンも散見されるのですが、それは後述。

登場するゴジラにしても、非常に間抜けかつ「今時着ぐるみ」(実際はどうか知りません)な代物なのですが、カメラワークの妙もあって、単に歩いているだけなのに恐怖を感じさせる見事なシーンが積み重ねられます。

そして、ゴジラの一時撤退から再上陸まで順を追って迎撃態勢の構築が進み、中盤のクライマックスである自衛隊 VS ゴジラのスペクタクル戦闘シーンへと突入します。ここまでは本当に文句なく傑作で、ケチくさく映画サービスデーを選択した自分を戒めたい気分でした。
このテンポの良さは、シーン割りの妙もそうなのですが、シナリオとして非常に洗練されている点が大きいでしょう。要するに、観客が望み、そして明らかに有効な対処(と言うかそれ以外にない)自衛隊による武力行使を「目標」とし、そこに至るまでの「障害」として、政府首脳の認識不足(観客は皆ゴジラの仕業と解っているわけですから)や対策本部の設置、クリアすべき法的課題や事なかれ主義(と言うか、平時では真っ当な感覚)で動く首相と言った諸々を配置して、それが一つ一つ外れていく過程を描いているので、会議のシーンばかりが続いても飽きる事がありません。会議1回ごとにちゃんと事態が動き、しかしそれを越える形で現場の情勢が悪化していく、と言うお手本のような盛り上がりを見せるのです。

ちなみに、この過程は自衛隊の武力行使の「たがを外していく」過程に他ならないので、拒否反応示す人が居るのも理解できるんですが、娯楽として最高に面白いので別に気になりませんでした。まあこれが中国による侵攻を扱ったシミュレーションドラマとかだと、さすがに鼻白むかもしれませんが、ゴジラですし。

ところが、中盤からシナリオはおかしくなります。
アメリカの空爆失敗と首脳部の戦死によって事態は緊迫するのですが、ゴジラはグースカ寝てしまっているため、画面上の動きが全くなくなります。そして、核を使うか血液凝固剤の投与かという二択が迫られるのですが、前者ではなく後者を選ぶ理由が主人公の雑な愛国心(?)だけなので、シナリオの「目的」として機能しません。
後で詳述しますが、上司が提示する「国連軍(作中では多国籍軍と言ってますが、安保理決議が出てるので国連軍ですよね?)に核を撃たせて復興資金を各国に出させる」は、ビックリするほど真っ当なプランです。

さらに問題なのが、ビタミンKだか凝固因子だかを投与する作戦を実施する上での「障害」が、「凝固剤が効かない可能性がある」「生産が間に合わないかもしれない」の2つである事。前者は可能性なので、それを回避する手段を模索・入手すると言うシナリオになりません。一応、写真しか出てこない博士が残した謎のメッセージというネタがあるのですが、そもそもなんのメッセージかが謎が解かれるまで提示されないので全く盛り上がりません。と言うか、「謎(課題)が提示される」「謎を解く(解決する)」がシナリオの基本なのですが、博士のメッセージは解かれてはじめてなんだったのか解る=課題が提示された瞬間解決される、なので、盛り上がりようがありません。
はっきり言いますが、監督は相変わらず脚本をなめてます(もう一つの可能性として、脚本という物を全く理解できないのうたりん、と言うのもあり、私は個人的にはこちらを推したい所です)。多分、まともにチェックできてません。後から書きますが、大量に残る粗はその証明です。
そして後者ですが、これはもう、「頑張って解決するんでしょ?」(破壊屋さんの言う「社畜クライマックス」)としか思わない手垢の付いた展開で、実際その通りになるので笑いも出ません。盛り上がると思ってるんでしょうか?

かくして、全く盛り上がらないまま取って付けたようなドイツ人の援助とか、適当に付け加えたかのようなフランスとの取引や、書き飛ばしたとしか思えない駐日大使の協力などを挟みつつ、話はラストミッションに進むわけですが、困った事にラストミッションは面白いです。もう、「やりたかったんだな、解る解る。俺も見たかった!」としか言いようのないような、無人機による飽和攻撃だの、首都圏鉄道特攻兵器だのを見せられ、テンションはマックスまで突き抜けます。
が、しかし…… いやあ、作戦内容聞いた時に予想したとおり、「血液凝固剤の経口投与」と言う間抜けで地味な作戦は画面映えせず、クライマックスは思い切り尻すぼみで終わります。何だこの片手落ちは!?と頭を抱えましたよ。終わりよければ全て良しと良く言いますが、ラスト5分間のテンションの落ち方は半端ではありません。

そしてですね、恐らく一番「きつい」のは、主人公と周囲の行動原理です。別に、愛国心だろうが民族主義だろうが別に良いんです。ゴジラですから。ですが、それをテーマとして話の根幹に据えるなら、ちゃんと主人公達が愛する「国」や「日本」を描く必要があります。「日常」を守るために戦うアニメのヒーロー達に日常描写が不可欠なように、家族愛をテーマにする(私は大っ嫌いな)ハリウッドシナリオが家族とのシーンを描き込むように、恋愛を主軸に据えるならヒロインを(あるいは恋人同士を)魅力的に映し出さねばならないように。家族が居るかどころか選出選挙区(≒郷土)がどこかも解らない、個人の描写がまるでない主人公が、国だの日本だのと口にしても、何一つ響いてきません。
別に、感情移入を前提としないキャラは良いのですが(何度も言いますが、ゴジラで娯楽作ですから)だったら、そんな大上段のテーマを(少なくとも正面切って)扱うのはやめろという話です。実際、意味不明の心情吐露を繰り返す主人公より、昼行灯の演技?だけやっている臨時首相の方が余程キャラが立っている辺り、明らかにこの辺は失敗です。

以上のように、非常に素晴らしい娯楽作なのです。特に、余計なシーンを省き、一気に物語を進め、エンターテイメントに徹した所が素晴らしい。しかし、省ききれなかった、あるいは省いた後に余計な物を足したとしかいいよのない娯楽性の無いシーンが異物のようにつきまとい、評価を下げざるを得ないのです。なんというか、150点-70点=80点というか、そんな感じともうしましょうか。庵野・樋口コンビの才能(あるいは実力)の歪さというものを、余すところなく示していると思います。

実は、もう一つ個人的には許せないポイントがあるのですが、それは本論ではなく以下の細かい点の指摘部分で挙げたいと思います。


と言うわけで、以下は細かい点。

あの作戦の骨子は「放熱に使われている血液を凝固させる事で熱処理を不可能にする」だったはずなんですが、なんで成功したらゴジラの体温下がるんですか?ECCS 的な機構を持ってるとでも言うんですか?

バンカーバスターが落ちてくるのに地下に避難させるって、死ねって事ですよね?

エヴァもそうでしたが、「機能を停止した敵」を指くわえて見てる世界各国はアホなのですか?もう一回空爆しろよ!

立川に集まった出撃部隊。半分位は民間からの協力者だと直前でテロップ出てるのに、「諸君ら自衛隊」だけを連呼する首相。私が民間協力者なら石くらい投げますね。

結局、なんで今ゴジラが現れたのかとか、行方不明の博士は何をしたのかとか、一番大きな疑問点がスルーされたままなんですが、本当に話を終わらせられない人ですね。

首都圏からの避難シーンが最悪のゴミクソ映画「日本沈没」(樋口版)と同じパターンで、当時の怒りが蘇って危うく素に戻りそうになりました。

小池百合子が居るなあと思ってみてたら、協力者に入ってて笑いました。

と言うか、つくづくパク…… オリジナリティが欠けており、どこかで見た描写を上手く演出する事に特化した作家だなあと。つまるところ、絵面が全く面白くなくて盛り上がらない社畜クライマックスにしても、逆に非常にテンポ良く進んで気持ちの良い会議シーン連発にしても、政治や行政を自分達のやっているアニメの企画会議や追い込み作業の感覚から、一歩も出ずに制作しているかトンチキな部分が出てくるんじゃないかと思うわけです。知り合いの電話一本で動いちゃうフランスとか。

そして、ゴジラ止まったかどうかも解らないのに、首都圏復興とかギャグですか!?

でまあ、最後のこれなんですが、スクラップ&ビルトとか、寝言言うのは本当に勘弁して欲しかったです。
初代ゴジラをなぞってるつもりなのでしょうが、あれは1954。戦争の傷もだいぶ癒え、朝鮮特需から高度成長への筋道をつける、極めて上り調子な時代の作品です。それが同時に、「こんな平和はまた戦争(的な事)が起きたらいとも簡単に吹っ飛ぶんだ」と言うリアリティに繋がっているわけなのですが、だからこそ「ゴジラを倒せば解決する」と言う話になるわけです(「最後の一匹とは限らない」とは言え)。何せ景気の良い状況なので。
一方、現在人口減と20年にわたる経済停滞でボロボロの我が国は、「ゴジラを倒しても元の斜陽国が残るだけ」です。それどころか、ゴジラに荒らされたスクラップだけが残る状態で、何もビルトできる余地がありません(官僚機構も政治体制も不変で、GHQが乗り込んできてくれるわけじゃないですし)。従って、あのエンディングは寝言にしかならないのです。むしろ、官房長官が提示していた、核でこんがり焼いてもらって復興費用全部出させる案なら、老朽化してひどい事に成ってる首都圏インフラ(今回の都知事選で争点にしなくちゃならないのにならなかった問題)一掃できて新品にかえられるので、それこそスクラップ&ビルトだよなあ、と思えてしまう辺り、なんだかなあと。普通に、核で動いてる生き物なんだから核は効かない、でいいじゃん?と思うわけです。てか、核の炎の中から起き上がって来るのが怪獣映画としては正解のはずで、日和ったんでしょうかね?


と、以上のように、良くも悪くも恐ろしく語り甲斐のある作品でした。

繰り返しますが、最初に書いたとおり、粗だらけで、しかし魅力に溢れた最高の娯楽作品です。見終わった後は間違いなく色々と語りたくなる事請け合いですから、オタク諸氏に置かれましては、是非とも誰かと一緒に見に行き、終了後の感想戦を本番として楽しい視聴体験をしていただきたいと思います。

以上、久々思うままに書き連ねました。
いや本当、観る事をお勧めしますよ。どうせ、もうみんな観てると思いますけど!

当BLOG内の、映画関係記事はこちら







  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 00:00Comments(2)アニメ・映像系

2015年07月10日

これはダメな映画では? 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』感想

Mad Max

↑なんか、原作というか前日譚のアメコミがあるんです?



少ない時間をやりくりしまして、何とか娯楽の摂取を続けているのですが、今回見事に眉根に皺の寄る作品に当たったので、感想を書いておこうと思います。
この作品、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(原題 "MAD MAX FURY ROAD")は、非常に有名なバイオレンス映画、マッドマックスの最新作です。まあ、みんな大好き北斗の拳やFALLOUTシリーズの元ネタで有名なのですが、何せ古すぎて古参のオタク・ファン以外からは忘れられかけていた代物。
私も、1は小学生の頃見て余りのバイオレンスっぷりに泣き出しそうになった憶えがありますが、2の記憶は曖昧。3以外はファン的にもなかったことになってるらしいので見てません。

とは言え、断片映像や引用はあちこちで見る名作で、予告編がちょっと微妙な臭いだったことは置いておいて、頑張ってみてきた訳です。そして、うーんとうなりながら映画館を後にし、ネットの感想など見て回って今度は空を仰ぐパターンになりました。

と言う訳で、とりあえず最初に結論:
お金はかかっているし、観客の見たかった物を詰め込んだ超大作。しかし、本来添え物のシナリオを悪い意味で軽視しすぎて、一本の映画として非常に問題がある。

長いですね。でも、予防線を張る意味がありまして、はっきり言って絶賛してる人達の気持ちはよく解るのです。つまらなかったのは確かなのですが、「残念な事に」と言いたいほど「凄い」映画ではありましたから。個人的にも、こんなに疲れてなければもう少し楽しめたかもな、と思う部分はありますし。ただまあ感想は感想なので、以下正直に書き連ねていきたいと思います。


まず、冒頭が冗長すぎます。必要なシーンだけで構成された非常にストイックな構成、みたいな評価をあちこちで見るのですが、これ嘘です。
確かに、開始2分でカーチェイスが始まる辺りは凄いのですが、そこから主人公が自由になって逃走劇が本格的に幕を開けるまでの数十分は、はっきり言って無駄です。砦の中の様子を見せるとか、基本的な状況を説明するとか色々あるのですが、そこに主人公は出てこないので、あんな構成にする理由は特にありません。砦内の状況や設定を見せるなら、別にイモータンジョーの視点で良いですし(実際半分以上はそうです)、縛り付けられているだけの主人公を横目に、誰だか解らない悪党(フェリオサ)と別の悪党(ジョー)がやり合っているのを見せられても盛り上がりません。話としては回り道その物です。
美女連れて逃げてるモヒカン(じゃないけど)姉ちゃんと主人公が合流、で始めてしまった方がスマートだったはずです。

この無意味なシーンという問題は実は最後まで続き、最終的に「逃げ出した場所に戻る」と言う、前半の苦労を無にする方向でシナリオが終わるので、見ていて徒労感が強くなります。要はカーチェイスバイオレンス映画なので、お話の中身は空っぽで構わないのですが、それは「何も考えずに見ていられるシナリオ」が必要という意味であって、シナリオラインが適当で良いと言う意味ではないはずです。

とは言え、多分バイオレンスさえ見られればいいと言う意見は絶対来ると思います。個人的には、過去の名作のカーチェイスシーンだけ集めて映画館で流したら、どれだけひどい「映画」になるかを考えて欲しい所なのですが……

しかし、この映画の最大の問題点は、そのカーチェイスが「頑張りすぎて冗長」にも関わらず「物足りない」と言う、一見矛盾する問題を孕んでいる所です。

順に説明します。

まず、冗長の部分。この映画、冒頭からほぼ全てがカーチェイスです。しかも困ったことに、全てのカーチェイスシーンが全力で演出されており、結果メリハリがありません!冒頭のハリネズミ車や砂嵐と最終決戦は同じテンション(最高潮)で、「最初以上」に盛り上がりようがないのです。
また、本当にずっとカーチェイスで、カーチェイス以外のシーンもほぼ数カットで終わり、しかも悪い意味で緊張感が持続するため、視聴者の体力はどんどん奪われていきます。「疲れた」と言う感想がやたらと聞かれるのはこのためでしょう。もっと簡単にいうと、シナリオにも画面構成にも起伏がないのです。
さらに言うと、カーチェイスの連続なのに、目先を変える工夫に乏しく、ひたすら砂漠を背景に「追いすがる敵車をウォータンクの運転席から迎撃」と言うパターンが続きます。背景が同じなので地形を使った戦闘ギミックはほぼなく、味方がウォータンク一両なので毎度同じ戦闘になってしまっています。最終戦闘で、バイクとの連携がある前半は面白いのですが、バイクが倒されると途端に元通り。棒飛び部隊は一見面白いのですが、結局「併走する敵車からの乗り移り攻撃」と言うパターン類型なので、すぐに飽きてしまいます。滅茶苦茶格好良くて最高に馬鹿で、見ているだけで楽しいスピーカートレーラーも、戦闘にいる意味は本当にないので、カーチェイスの戦闘ギミックとしては画面の添え物でしかないのが残念至極。(戦闘において役目を持たないので、倒した時の爽快感がありません)
そうそう。「敵の中央を突破して砦を目指す」と言う後半のシチュエーションにオ!?と身を乗り出したのですが、何故か敵は左右に展開しており、普通にまた「主人公達を追っかける敵集団」になってしまったのはなんなんでしょうね?数カットで終わったとしても、「高速ですれ違う車両群」は、絶対絵になったはずなのですが。あの、何の面白みもないウォータンクに、巨大質量(=衝突の破壊力)と言う意味を持たせる事も出来たでしょうに……
閑話休題、特に地形については、それこそ北斗の拳冒頭の廃ビルを使ったカーチェイスや、文明の遺物を遮蔽物に使った戦闘を楽しみにしていただけに、全くもって肩すかしでした。と言うか、背景美術はSF映画の華なわけで、そっちにも少し予算を回してよという感じです。

次に「物足りない」の部分。上記のように、シチュエーションがどの戦闘も同じなので、画面に出て来る面白車両がギミックを十分に活かすことなく消えていきます。また、金をかけて大量の面白車両を揃えてしまったが為に、一両当たりの出番があっという間に終わります。結果、面白い車両やキャラが大量に画面に映るのに、どうにも印象が薄くなってしまいます。乳首男爵とかイモータンジョーとか、作中やってるのは車の運転(しかも他と差別化できてない)ですしね。逆に面白くもないウォータンクは出ずっぱりなので、敵の車を奪いながらとか、そう言う展開にした方が良かったんじゃないか思ったりします。
なんか例によってフェニミズム絡みでなんだかんだ言われてる美女軍団にしても、ずっと後部席に座ってるだけでいる意味が無いのが本当に困った所。あれだけ巨大なウォータンクで、何故彼女たちも配置について戦わないのか?(あ、男女の役割だの比喩的な意図とかどうでも良いです。後部席に座ってるだけの姉ちゃん達にシナリオ上の面白みがあるわけないだろ、と言うだけの話です)実際、後半参加のばあちゃん軍団は戦闘に参加することでキャラを立ててるわけですし、画面の華なら華として、おっぱいの一つも出しながら銃とか撃ってもらわないと、馬鹿映画にいる意味がありません。
一事が万事この調子で、単純に色々詰め込みすぎて、どれもこれもかけた金や労力ほどの効果を上げ切れていないのです。

と言う訳で、最初に書いたとおり、お金も労力も大量にかかっていますし、間違ってもゴミ映画ではないのですが、全体の構成や一本の映画としては失敗作と言っても良いのではないかと思います。何というか、全員4番で打線を組んでも強いとは限らないとか、戦車だけで部隊を組んでも歩兵の餌食とか、そう言う諸々が頭に浮かびました。

町山智浩は、観客が好きなカーチェイスを全編通してやっちゃったと言う様な事を言っていますが、それは結局ロボットの戦闘シーンだけで構成されたロボットものとか、エロシーンだけで構成されたエロゲーとか、そういう意味なのではないか、と思ったり。実際、そこで想像されるのと同様の疲労感を感じる羽目になりましたし。

と言うわけで、1ヶ月経たずに更新することができましたが、こんな内容になってしまいました。次は是非、楽しかった作品の紹介で更新したい物です。


当BLOG内の、映画関係記事はこちら


  

Posted by snow-wind at 00:00Comments(0)アニメ・映像系

2013年05月02日

酷いなこりゃ 映画版Steins;Gate 『負荷領域のデジャブ』 感想

シュタインズ・ゲート Xbox360 プラチナコレクション

原作↑は、あれだけ面白かったんですがねえ……
結局、Steins;Gateと言うシリーズは、原作以外全て蛇足だったと結論してしまって構わないでしょう。


以下映画の感想。

AURA(感想はこちら)が滅茶苦茶面白かったこともあり、映画版『Steins;Gate 負荷領域のデジャブ』を観に行ってきました。
まどか☆マギカ劇場版で解るとおり、2時間映画とTVシリーズでは必要となる才能やノウハウは異なります。従って、原作が良くてアニメが酷かった今作の場合、映画で化ける可能性は一定程度あると踏んだわけです。

ですが、残念ながら評価は最低。むしろ原作がない分(映画のシナリオ・脚本に、原作者はクレジットされていません)酷さは極まり、見ていられない代物になっていました。

と言うわけで、まとめから。


・シナリオラインは悪くないが、描き方が稚拙すぎて話になっていない。何より欠点だった演出がさらに劣悪となっており、見るに耐えない。


とにもかくにも、途中の眠気と時間の気になりようと言ったら、最近だとダイハード・ラストデイ辺りに匹敵します。キャラ紹介となる序盤はまだ良いのですが、大ネタであるオカリンの消失以降話は迷走、と言うより一切進まず、「このシーンは一体何のためにあるのか?」と言う疑問が常につきまとうグチャグチャの展開を続けます。

しかし、まとめに書いたとおり、シナリオライン自体は間違っていないのです。
本作のシナリオラインをまとめると、以下のようになります。

1,全てが解決したはずのシュタインズゲート世界線において問題が発生
2,問題からオカリンを救うべくクリスが活動開始
3,これ以上の改変を望まないオカリンの意を汲み、クリスは活動を停止
4,しかしそれでは真の解決にならないと気づき、ハッピーエンドへ

これは、とても手堅い作りです。ハッピーエンドの先を描く以上、ハッピーから始まってハッピーに回帰させねばならない。そして、その間に挟み込む「問題」が真に「問題」たるゆえんは、ハッピーエンドに至るために行わざるを得なかった過ちを、繰り返してはならないから。また、視点人物をオカリンからクリスに移すことで、二番煎じ感も大きく減衰できています。

にもかかわらず、何故あんなにひどい映画になっているかと言えば、発生する「問題」が唐突で何の伏線もなく本編の設定とも齟齬を起こしている上に、見せ方が最低だからです。

まず、オカリンの危機を描くなら、SERNのプロジェクトと言うネタが既にあります。そうでなくとも、単に彼が事故や事件に巻き込まれるだけでも、十分に中盤の選択は機能します。どうしても存在を消すというイベントがやりたかったのであれば、それこそSERNの実験なり未来ガジェットの暴走なりと言った方法があったでしょう。要は、本編と同じ「過去改変」と言う範囲の中であれば、既存の「Steins;Gate」に回収できたはずなのです。

もっともこれは正に見せ方の問題なので、根本的な課題はやはり演出でしょう。
オカリンのフラッシュバック続出という症状は、消失という事件の伏線として機能していませんし、解決フェイズの唐突さ・バランスの悪さはちょっと感動物。特に、初回のオカリンサルベージ失敗以降は、あれじゃクリスが人格破綻者です。
そもそも、しつこく挿入される夏の風物詩描写が、単なる時間稼ぎにしかなっていないのはTVアニメから変わらないですし。かけがえのない「日常」の強調という手垢の付いた手法のつもりかもしれませんが、それならラボメン達が楽しく過ごす日常を動かしてみせるのが王道という物でしょう。
と言うか、ほとんどの場面転換を、そう言った静的な情景描写にモノローグを重ねる方法で処理するせいで、画面がひたすら退屈な上に冗長になるんですよ。TV版の時に散々指摘した緩急のつかなさはむしろ悪化していて、アクションシーンの一つもありません。

一方、素晴らしかったのは、オカリンがマジ顔でクリスに改変中止を指示する所。あれは本編があってこその叫びで、あのあとクリスが引き下がってエンドになったら、それはそれで筋の通った続編になったでしょう。元ネタの一つであるバタフライエフェクトで、主人公の父親が息子に向かって能力使用をやめろと叫ぶシーンと同じく、悲劇を経た上での血を吐くような結論ですから。
勿論それは商業作品としてなかなか厳しいのですが、むしろ、あの叫びが間違いなく話の軸にもかかわらず、その後の演出が迷走する意味が解りません。例えば、鈴羽がクリスを非難するシーンは要らないんですよ。鈴羽の立場が本編と全く異なっているので非難するモチベーションがありませんし、そもそも彼女が登場する理由すらありません。(やるなら、晩年のクリスと仲が良く、その苦しみを身近に見てきた、みたいな設定追加と説明するイベント群が必要になります)
そしてあの、「何これギャグなの?」と呻きたくなったラストの展開に至っては……
オカリン消失というイベントを意味不明なこじつけで起こしたせいか知りませんが、「何をすれば岡部がサルベージされるのか」が不分明なまま話を進め、あげくががあれです。まず前者の段階で論外(何をすれば勝ちなのか解らない・何がしたいのかも解らない作戦の展開を見ていて、視聴者が楽しめると思ったんでしょうか?)なのですが、その結果が「座り込んでいるクリスの横に来た過去のオカリンが、唐突に身の上話を始める」などと言う意味不明の展開です。
あれのどこに盛り上げる余地があるのでしょう。
さらに言えば、あれによって、「ハッピーエンド後の世界」は、「クリスがけしかけたことによってオカリンがまゆりを救った」と言う過去になってしまいました。これは、オカリンが哀しき道化・マッドサイエンティスト鳳凰院狂真に『自ら進んでなった』と言う、作品世界の根幹を破壊する改変です。
演出が死んだTV版などはつまるところ「まあ、メディアミックスですからね」ですませて良いでしょうが、オリジナルの続編としてこんな物を見せられては、さすがに「ふざけるな」と吐き捨てたくなりました。

とは言え、どんなジャンルも99%はクズであり、しかもこれは角川ロゴが冒頭に出るメディアミックスアニメ。こんなもんでしょうかねえと肩をすくめて、サービスデイの映画館を後にいたしました。

こう言う風に、面白い物を一つ作ってヒットさせたあと、結局その遺産の縮小再生産を繰り返すだけで他はパッとせず、ファンを食い潰して沈んでいくレーベルを見ると、悲しくなりますね。



当BLOG内の、映画関係記事はこちら

  


Posted by snow-wind at 00:00Comments(32)アニメ・映像系

2013年04月17日

今すぐ見に行くんだ! 映画『AURA 魔竜院光牙最後の戦い』 感想

AURA~魔竜院光牙最後の闘い~
AURA~魔竜院光牙最後の闘い~

↑Blu-ray。


AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

↑これは原作。

公式サイトはこちら



『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』は、ガガガ文庫から発刊されているライトノベルです。田中ロミオの小説としては恐らく最高傑作なのですが、これがまさかの映画化されました。
なお、読み方は「アウラ」です。「オーラ」って言って、チケット売りのお姉さんに訂正されました。よくよく見たら、原作の表紙にも小さく書いてあるんですね。まあ、確かにあの主人公なら、英語読みじゃなくてドイツ語読みが正しいでしょう。

閑話休題、「どう見ても爆死」「ファンなら観に行くと思って足元見やがったな」などの思いを抱きつつ、先日公開直後に劇場へと足を運びました。が、なんとこれが大当たりだったんですよ。冗談じゃなく。驚くべき事に。

ええ、原作ファンなら勿論、原作者のアクの方向性を好んでいる人間なら、迷わず観に行くべきです。札幌の映画館は何をトチ狂ったか一日四回とか上映してくれていますが、観に行ったときもガラガラで、早晩打ち切りは目に見えています。
あなたがあとから評判を聞いて後悔したくなければ、すぐに劇場に行きましょう。少なくとも、私もあと一度は確実に観に行く予定です。

もう結論は書いたような物ですが、いつものフォーマットに従って感想を先に明記します。


・原作からジャンル必然的な要素の取捨選択を行い、80分映画として綺麗にまとめた傑作。ただし、原作未読者にどう受け止められるかは解らない。


では、各論です。
原作の魅力は何といってもスクールカーストを題材とした軽妙でヘビーなシナリオ回しと、文章の巧みさです。しかし、これはそのまま映像作品に落とすには、非常に厳しくなります。まず、主人公の立ち位置がエアリーダー(己の心を隠し、普通たらんと潜伏している)なため、原文の大半は内面描写です。また、映像の破壊力という物を考えれば、テーマ自体が陰惨になりすぎてしまいます。かと言って、ギャグ調にしてはぶち壊しと言う事は、多数が同意してくれるでしょう。

そこでスタッフが選んだのが、「ボーイ・ミーツ・ガール」の映画として再編成する、と言う方法でした。
え!?と思った方も多いでしょうが、これが実に上手く行っています。勿論あの原作ですから、ラブラブな描写などほとんどありません。心を殺して社会と折り合いを付けようとしている少年と、同じく心を殺して全ては無価値だと言い聞かせている少女の、痛々しい交感の描写が心に刺さるのです。

そして、終盤直前の山場を、主人公の叫び「どうしてもっと素直に助けたいって、思わせてくれないんだよ」に持って来るという演出で、この改変というか映画への最適化は、最高潮を迎えます。このシーンの原作から改変された部分(シチュエーションの意味がかなり変わっています)は実に上手く、驚くほど(これ低予算映画ですよね?)しっかりしている画面構成や背景と相まって、見事な効果を上げています。


それ以外にも改変点はいくつかあるのですが、パンフレット(1500円もしましたが、買いましたよ!それくらいおふせしてやりますよ!Blu-rayとか出て欲しいし!)で何を狙ったかが明記されており、そしてそれは正に映画を観たときの印象通り。スタッフの原作理解と力量に、敬意を表したいと思います。

例えば、子鳩さんは一目観た瞬間「反則だろ!?」と叫びたくなるほど可愛いのですが、原作どおりではありません。低身長・ツインテール・ワンポイントと言う要素ブチ込みをしている上に、動きがちょこまかと異常に愛らしく、つまりは画面映えする形に仕上がっているのです。何だ改編かと思われる方もいるかもしれませんが、殺伐としていく教室の中で彼女だけがアニメ的癒しスタイルを崩さない事が原作通りの効果を上げ(ちなみに、演技指導もそうなっているそうです)原作とは違った方法論で、優れた演出を成し遂げています。

さらに、「映像化された」事の利点と言って良い場面の数々は、メディアミックスのお手本と言っても良いレベル。別に、大仰な事を言っているのではありません。例えば、最初に主人公が家に帰ったときの母親の態度であったり、「探索」を行うヒロインに付き合っているシーンの居たたまれ無さだったり、あるいはストレートに「可愛いのに残念・って言うか近寄りたくない」ヒロインの姿だったりです。これらは間違いなく、文章では出し切れない(特性が違うという意味です)部分で、原作の諸々が心に刺さった人間なら、その痛みや圧迫感・緊張感を数倍にして再度味わうことができるでしょう。

何より、各人物の「動き」は本当に見事。低予算なので大きなアクションがあるわけではないのですが、前屈みに歩くヒロインや可愛らしく動く子鳩さん、時々芝居がかった動作を挟んでしまう主人公と言った丁寧な描写が、「これを映像で観られて良かった」と言う気持ちが自然にわき起こります。ここ一年で観た映画の中でも、人生の特等席(感想はこちら)と同率首位か、それ以上に面白かったと思います。


勿論、完全な作品などありませんから、不満点だってあります。
例えば、ラストの「最後の戦い」は、私は非常階段から屋上に向かう主人公の一人称視点を出してくれる物だと思っていました。(と言うか、読みながらそう言うシーンが浮んでいました)しかし、そこはオミットされて屋上に乗り込むところから始まってしまうので、彼の「最高に格好悪くて最高に格好良い」姿がアピール不足になっています。最初の邂逅シーンも、もう少し神秘的に見せて「だまし」を徹底して欲しかったですし、スタッフロール背景の露天商との会話は切って良かったと思います。あと、タイトルが重なるシーンは音楽を消した方が効果的だったんじゃないか、みたいな部分とか。あ、子鳩さんの出番が少ないのは、上記改編を貫徹するためなので必然です。血涙出そうになりますが。

しかし、それらは全くもって些細な事で、「原作の引き写しではない、原作の魅力を取捨選択して再構成した優れたメディアミックス映画」と言う評価には、些かの揺らぎもありません。と言うか、予算をかけながらひどい事になっていた、Q(感想はこちら)だの、テレビと映画の特性を考慮しなかったために非常に残念なできになったまどかマギカ劇場版(感想はこちら)だのに比べて、遙かに真摯かつ丁寧に作られています。

いや本当、劇場アニメラッシュも捨てたもんじゃありません。何より、順列組み合わせを網羅するかのごとく焼き畑農法が行われているラノベアニメ化連打の中で、こんな作品が混じっているとは思いませんでした。


……と、これだけベタ誉めしておいてなんなのですが、実は一点どうしても絶賛とは行かない部分があります。
それが、「原作未読者にどう見られるのか、正直解らない」という所です。個人的には、痛々しい不適合者(パンフで監督は「マイノリティ」と言っています)の物語として良くできていると思うのですが、何しろ原作が大好きなもので、それが一般的に受けるのか、そして原作の予備知識無しで楽しめるのかがどうにも読めないのです。
例えば、懸念材料としては、上で書いたような演出上のだましが不徹底なので、邂逅から反転(未知の女の子と出会って日常が壊れる、と言うラノベフォーマットが逆方向に作用する)への流れが掴みにくいんじゃないだろうかとか、スクールカーストの説明を全部取っ払っているので、ドリームソルジャー達の登場が唐突ではないか、と言った部分です。
こればかりはよく解らないので、未読の知人を引きずっていって再視聴するか、Blu-rayが出たら上映会でもやるかと思っているのですが、それでは遅いですしね。

と言うわけで、名前を聞いたことが有る人間には一応、原作を読んだ人間には問答無用でお薦めの作品です。いや本当、どうせダメだろうとか思いながら観に行って申し訳ありません!一人でも多くのファンが、興味を持って観に行ってくれれば幸いです。



当BLOG内の、田中ロミオ関連記事はこちら。(なお、REWRITE関連は、タグ数制限の関係でこちらに)
当BLOG内の、映画関係記事はこちら


  


Posted by snow-wind at 22:00Comments(5)アニメ・映像系

2013年03月18日

気持ちの悪い宗教映画 『フライト』 感想


↑何か貼り付けようかと思ったら、AMAZONにはDVDどころかサントラすら置かれていないので、潔く空欄。
まあ、新作映画のレビューでアフィ商品が売れた事なんぞ一度も(本当に一度も)ないので、気にしない事にしましょう。



「フライト」は、2013年3月1日公開の映画です。飛行機を必死にコントロールして背面飛行で不時着に持って行く予告編で、興味を引かれた人も多かったのではないでしょうか?かく言う私もその口で、期待に胸躍らせてロードショウを見に行ってきました。
しかし、感想は表題のとおりでした。

ただし、あちこちで絶賛されているのが理解できる程度には、「良い話」ではあります。
しかしそれは、以下の内容を了解できればの話です。

この映画の内容:妻と離婚し子どもには軽んじられ、アル中でヤク中のダメ男。彼は、大きな事件をきっかけに、立ち直る事ができるのだろうか?

以上の内容に興味を引かれた方は、勇んで映画館に足を運ぶと良いでしょう。多分、あなたが満足する映画になるんじゃないかと思います。この内容に納得のいく人は、大体誉めてるみたいですし。


しかし、予告編で「大事故にまつわるサスペンス」や「脛に傷のある英雄は賞賛されるべきか?と言う主題の掘り下げ」みたいなのを期待していった人間は、渋面で映画館を後にする事になるはずです。私のように。

と言うわけで、予告編に引っかけられて興味もなければむしろ反吐が出るという感想を抱いた私による要約は、以下の通りです。


1,面白くなりそうな要素を端からはね飛ばし、下らない人間再生の物語に落とし込まれたひどい駄作
2,気持ちの悪い宗教観に裏打ちされた物語は、あくまで共感を拒む


まず1ですが、予告編で観客が期待したのは、大事故から上客を救った英雄譚の裏に隠れた事故の真相、みたいな話だったと思います。しかし、映画が始まった瞬間から「英雄の真実」は画面からダダ漏れで、いきなり肩すかしを食う羽目になります。アルコールを飲んでいたかどうかが「謎」として提示されるのではなく、それは物語の前提。そりゃこの内容で予告編作ったら観客来ないですよね。詐欺的手法でしか物が売れない興行師どもは、低品位翻訳で値段二倍の商売をSTEAMに中抜きされて滅びかけてる翻訳PCゲームと、同じ運命を辿るんじゃないですかね?

そして、真実が駄々漏れならそれはそれとして、次に面白い主題となりうるのは、「奇跡の操縦で多くの命を救ったろくでなしを、どう遇するべきか?」と言う部分でしょう。そうそうに弁護士が登場しているので、これは陪審員を交えた法廷劇か?と期待するのも当然だと思います。しかし、これまた話はそっちの方へは行きません。
「飲酒操縦の常習犯で、免許取消は当然。しかし、彼でなければこの事故から乗客を生還させる事は出来なかった。さて?」と言う部分ですね。こんな面白いテーマがあるのに、話は主人公の内面に潜り込み、彼の罪の意識に焦点を当ててウジウジとつまらない画面を連ねます。まあ、罪と恥という東西の文化的断絶がどうこうとか言う戯言(もっともらしいけど論証されたわけではない)もおありかと思いますが、ストレートにつまんないんですよ。

そして、2と合わさるのですが、何故つまらないかと言えば、「個人内面の罪」を主題にした瞬間に、話の落とし所は「主人公が悔い改める」以外になくなってしまうからです。実際、序盤でどうやらテーマがそこだと解った時点で私が予想したラストの展開と実際の展開は、寸分変わりませんでした。

結局ですね、これキリスト教の「罪を認めて悔い改めれば全部チャラ」と言う宗教観がベースと言うか、それしかないんです。実際には、彼の「罪」と「功」は非常に慎重な取り扱いを要し、単に罰とセットで運用すれば良いと言うものではありません。無罪放免は論外としても、彼しか救えなかった命があれだけあったわけですから。少なくとも日本人の観客は、篤信者のコパイロットに対して主人公が中盤で毒づく「客の命を作ったのは、神じゃない。俺だ!」と言う叫びに共感するでしょう。
つまるところ、彼は客観的には誰に対しても「罪」を犯しておらず(今までの飲酒操縦で乗客に対して与えてきた潜在的危険はありますが、それはあくまでも顕在化していないわけです)無理矢理「裁く」ためには「内面の罪」をあげつらってみるしか無かったわけです。しかし、優秀なダメ人間を裁くために、客観的な功を無視して内面をあげつらうのは、正に宗教家の反吐が出る手法です。社会に何の貢献もしていない古書の信奉者が、社会に有用な人材をつかまえて「あなたには罪がある!」とかやらかす。それはブラック企業の研修と同じ、自分(とその神)を優位に立たせるための言いがかりです。
この映画について言えば、主人公の社会に対する貢献と危険性を秤にかけて「裁く」事こそ本来の社会の機能であって、内面なんぞ副次的でしかないわけです。映画のテーマがそこじゃない、と言うのはその通りですが、では何故彼は長期の懲役を喰らっているのでしょう?少なくとも、あの事故については「過失致死」は本来絶対に成立しないはずです。恐らく主人公が取り調べ段階で「自白」し、裁判で争わなかったという事だと思うのですが、それは整備不良で機体を運用した航空会社を免責し罪のありかを覆い隠す最低の自己満足です。

あげくが、主人公が罪を告白した瞬間、晴れやかにアル中を脱却して奥さんと子どもも尊敬してくれるようになりました!と言うご都合主義たるや……
成績も上がって彼女もできて部活で優勝!みたいな進研ゼミ(あるいはパワーストーン広告)メソッドに、本当に宗教基盤の物語って唾を吐きたくなる代物に仕上がるよな、とナルニア国物語の背表紙に紙つぶてを投げつけながら呟くしかありませんでした。

まあ、各所で賞賛されてる事から解るとおり、合う人には大きな感動を呼ぶらしいので、こう言うのがお好きな人はどうぞ。力は入ってますし、主要登場人物の演技も上手いですよ。デンゼル・ワシントン、どうしようもないダメ人間でいい味出してます。
まあ、私の感想は上記の通りなわけですが。


P.S.
ところで、アメリカの事故調査委員会は、関係者が保身目的に原因を隠す事を防ぐために免責特権を持っていたと思うのですが、この映画に描かれている手法って正しいんでしょうか?あなたの証言は裁判で不利な証拠として使われる可能性が…… とか言われたら、そりゃ関係者一同口をつぐみますよね。



当BLOG内の、映画関係記事はこちら



  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2013年03月01日

これは惜しいなあ 映画『脳男』感想

脳男 (講談社文庫)

↑原作小説は面白いんでしょうかね?



忙しいとばかり言っていても仕方ないので、細かい時間ができたら積極的に使うようにしています。そうなると、映画はかなり便利な娯楽になってきます。札幌の場合駅ビルに居座ってますし、2時間で綺麗に終わってくれますから。

ところで、現在の映画館ってかなり歪じゃないですか?観るものを決めていくなら良いのですが、ぶらりと入ると「今やっている映画の紹介」がどこにもないという、とんでもない状況になっていると、最近になって気づきました。
上映予定作品はビラも予告編もあるのですが、現在公開中のものについては皆無。スマホでも見ろと言う事かもしれませんが、映画館のメイン客層はもう完全に中高年なわけで、こんなんでええんかいと額に皺が寄ります。
こう言うのに気づく度に、あの業界、できる経営努力はいっぱいあるんじゃないかと思います。

閑話休題、批評サイトで評判が良かった映画「脳男」の感想です。
内容は、連続爆弾テロの犯人を追った刑事がアジトで逮捕した男・鈴木一郎(自称)は、明らかに常人ではなかった…… と言う導入のサスペンス。感情の表出が少なく、社会にそれなりに適応しているにもかかわらず異常な行動が見られるこの男。その過去と人格が、大きなテーマになっています。


でまあ、いつもの通りまず結論を。

1,脳男の演技凄い
2,悪役の演技、と言うか脚本がなあ
3,この昭和センスはわざとなの?

まず1ですが、生田斗真って凄いですね。私は役者にほとんど興味がないのでまっさらな状態で見たのですが、ジャニーズタレントなんですか?間違ってもイケメンではない(作中の話です)役柄を見事にこなし、漂わせる不気味さと痛々しい演技が最高でした。映像を舐めているテレビ屋が跳梁跋扈する邦画界で、あんなきちんとした役作りができるなんてビックリです。
この映画は間違いなく彼の映画で、その点から見れば満点でしょう。

しかし、2です。脳男に比べて、黒幕の陳腐さは何事でしょうか?取って付けたような台詞と、見苦しくわざとらしい狂気の演出。彼女から感じる不快さは、「不快で憎むべき悪役」のそれではなく、「脳男の好演をぶち壊す役者不足(役者が悪い、と言う意味ではありません)」に他なりません。
ただ、あの女優さんを悪く言うのも、ちょっと違うかなと思うのです。
まず、観た人間はすぐ解ると思うのですが、脳男は「脳男であるための設定」だけで構成された、とてもシンプルなキャラクターです。そのために、演ずるべきコアもハッキリしており、キャラクターは立ちます。
一方であの悪役は、無駄に豪華な設定を盛り込みすぎて、破綻してしまっています。大きな特徴は「天才」「大金持」「同性愛」「サイコパス」なのですが、最後の一つ以外設定に必然性はありません。と言うか、前者2つは脳男の影にするために同様の設定をぶち込んだだけで、まるで活きていません。大体、最後の一つは「悪役」と同義語で、個性になっていません。おかげで、類型的で手垢の付いた陳腐な「狂気」を見せられて、こちらはウンザリするばかりです。正に、クズみたいな物語に商材乗っけて再生産するしか脳のない、斜陽産業のセンスですよね。そのくせ、軍用拳銃を片手打ちでヘッドショットばんばん決める超人的能力には、説明ないし……
これならば、脇役の中で見事に存在感を主張した主人公の○○(一応伏せ)の内面でも描いてくれた方が、遙かに面白い話になったでしょう。実際、主人公の存在基盤を吹き飛ばしたのは、脳男と彼だったのですから。
そして、3です。序盤のコンビナートをはじめとする都市の点景、あんな所今時あるかと言いたい閉鎖病棟、後述しますが馬鹿なんじゃないかと吐き捨てたアジトの風景。いずれも昭和のサスペンスのセンスです。私が思い出したのは、太陽に吠えろとかパトレイバーの劇場版2とかですね。話自体が現代である理由は全くない(序盤のスマホのシーンから、中盤にスマホで撮影された犯人の姿が鍵になるのかと思ったら、そんな事まるで無かったですし)ので、いっそ昭和を舞台にしていたら綺麗にまとまったんじゃないかと思います。あるいは、昭和を舞台に作っていたがやっぱり止めた、とかなんでしょうか?
「まるでロボット」とか「捨てないで」とか、興ざめなセリフがちょくちょく挟まって盛り上がりをぶち壊す辺り、単にセンスの問題じゃないかと思いますが。

さて、やはり何より気になったのは、設定面での圧倒的な練り込み不足と、細部を蔑ろにする態度です。
例えば、脳男を見た主人公達(精神科医)は「こんな症例見たことない!」などと騒ぐのですが、どう見ても脳男はただの自閉症です。(検査に異常が出てないのは置いておいて、観客も大部分が自閉症を連想するでしょう)「感情がないように見える」というのも、大病院の医者が何言ってんだという感じですし、何より劇中で医者が上げている感情表出障害とやらの特徴が、そのまま脳男に当てはまっている(妙に礼儀正しくよそよそしいとか、そのまんまじゃないですか)のだからたまりません。
漫画みたいな大富豪の描写もそうですし、「キチガイの爆弾魔のアジトならこうだよね」と言うアホな感覚で作られたとしか思えない、アジトのセットもそう。って言うか、大金持ちという設定の犯人が、手作りでパイプ爆弾作ってるのを見て失笑しました。爆弾の威力が場面によって違いすぎる(新米は首が飛ぶだけなのに、病院各所は1個でエリアごと吹っ飛ぶ)のも、爆弾処理班が素人目にも滅茶苦茶な行動をする(爆弾が仕掛けてあると解ってる部屋に突っ込んで爆死って、あれ何なんですか?)のも、折角の緊迫感あるシーンをぶち壊していきます。究極の選択を設定したのに全く葛藤しない江口洋介にしても、演技が酷いのではなくて脚本がひどいのです。
描きたいことが何で、それにはどんな設定が必要なのか。それは物語の邪魔になっていないか?そんな基本的な事を、邦画はおろそかにしすぎです。
今回、脳男に見られる素晴らしい演技があり、恐らくそれを指導した監督が居たわけです。なのに、細部に魂を宿らせられなかった脚本が印象を弱め、良作に至らない凡作で終わってしまった感があります。「面白いお話」は結局細かな描写を積み重ね、違和感を取り除く土木工事なわけで、こういう勿体ないパターンを減らすためにも、ドラマ作りに真面目に取り組んだ方がいいんじゃないんでしょうか?
シナリオラインはしっかりしてますし、個々の特殊エフェクトなんかも良くできてます。「ひょっとして、ダークナイトがやりたかったけど実力が足りなかったってパターン?」とか、勘ぐりたくなる面(悪役の狂気描写とか)もありましたが、そんな事はどうでも良いのです。ただ勿体ないのは練り込み不足とセンスのばらつきで、これは作品と言うよりそれ以前、工業製品としての問題と言って良いでしょう。

まあ、「邦画」で一番売れる宮崎某の脚本どころか全体破綻映画が大手を振ってのさばってる現状では、仕方ないのかも知れませんが……
本当に惜しい。勿体ない。

追記:
なんか調べてみたら、原作では脳男は普通に自閉症扱いされてるらしいです。この点については悪いのは映画だけです。
まあ、スタッフロールの最後に出てきた参考資料の中に、医学関係の本が一冊もなかった段階で、推して知るべしなんでしょうが。リアリティの話じゃなくて、お前はフランスをネタにするのにフランスについて調べないのかというレベルの話です。


あ、最後に一つ。なんか批判的なレビューを書く度に「わざわざ気にくわない物を見て文句言うな」と、わざわざ気にくわないBLOGを読んで書きに来る人が毎回居るんですが、「合わないかも知れない」と思ってもとりあえず食ってみる間口の広さがないと、オタクもどんどん老害化しちゃいますよ。情報強者を気取って好きな物にしか接しない者の末路が、蛸壷化した領域で情報の自家中毒を起こしたネット○○(伏せ字が右翼とは限りません)なわけですから。
まあ、そう言う事を書きに来る人達は、きっとそれを理解して実践してるんでしょうが。





当BLOG内の、映画関係記事はこちら



  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 22:00Comments(4)アニメ・映像系

2013年02月13日

素晴らしい絵空事 映画『ムーンライズ・キングダム』感想

ムーンライズ・キングダム オリジナル・サウンドトラック

↑このサントラのパッケージが露骨に示すように、見事な皮肉と美しさに溢れた映像が素敵です。


ムーンライズ・キングダムは、1960年代のニューイングランドを舞台に、問題を抱えて家とボーイスカウトキャンプから脱走した幼いペンフレンドを描く、良くできた小品映画です。

内容は、豊かな自然の中で繰り広げられるロードムービー仕立ての前半と、二人とそれを取り巻く問題が顕在化し終息へと向かう後半という構成。ちなみに、またぞろオチを書いている上に時系列が滅茶苦茶な、公式のあらすじ紹介は無視しましょう。本当に、そんなんだから斜陽産業になるんですよ。そりゃ、昔から邦題・邦版宣伝はひっでえのばかりでしたが、娯楽の王様を転がり落ちて久しいわけで、いつまでもそんな仕事では坂道の傾斜角は大きくなるばかりです。

閑話休題、この作品はまるで舞台劇のような安っぽい画面を意図的に作り出す事で、独特の世界観と雰囲気で観客を包むと共に、適度な皮肉・毒を漂わせて飽きさせない作りになっています。
どう言うことかというと、カメラは常に動かないか焦点人物の画面内での位置を変えないように動く共に、オブジェクトと登場人物を常に一次元的に並べ、毒のこもった意味で絵本のような画面を作り出しています。わざとらしく消失点を画面中心に置いたり、水平線を配置したりと言った教科書的な安っぽさは、本当に見事。勿論誉め言葉です。わざとやってるんですから。

毒のこもった、と書きましたが、これは典型的にはディズニー映画に代表される、明るく綺麗でリアルな画面作りが安っぽさを強調してしまうつまらない映像への皮肉でしょう。使われているフォントが正にディズニーフォントというか、子ども向け映画でいつも見るあれだったり、まるでピアノの練習曲のようなBGMへの皮肉として、子ども向け楽器練習用のレコードをBGMに用いている所など、見事な効果を上げています。犬死ぬし。
ドールハウスのような綺麗で小さな家。絵はがきになりそうな景色。アライグマが掘られた原色のカヌーに、ワッペンが大量に貼り付けられたボーイスカウトの制服。それらは美しい画面を作り上げると共に、問題児童である主人公達の内面を浮き上がらせます。
一方で、孤児や家庭内の不和、人生からの脱落など典型的な問題は婉曲に描かれ、決して平板な皮肉には終わりません。と言うか、さまざまな問題もまた平板に描写されることで、逆に「典型的な家庭内問題物」と言う安っぽい作劇になることを回避しています。
社会福祉士の描き方なんか、典型的ですよね。間違ってもリアルではなく、ステロタイプで構成され、それだけに主人公の置かれた立場のどうしようも無さが画面を圧迫しない形で提示される。深刻ぶってドロドロの劇をやらず、ある種の諧謔を漂わせて少年達の住む絵空事の世界を描き出すセンスは、見事なものだと思います。

例えば、前半の山となるフレンチ・キスのシーンが、カリフォルニアの明るい海岸ではなく、霧の渦巻くロングアイランドの陰鬱な入江を背景としている所など、痛々しくてあまりに素敵。かかっている音楽が、また60年代のノスタルジックなものでして。
ただ、終盤の落雷のシーンは前半の流血シーンとリアルさの水準不整合を生じるので、あそこだけ「え、それどうなの?」と素に戻ってしまいました。あそこだけは演出ミスだと思います。

ところで、一番驚いたのは、どう見ても18歳以上だろうと踏んでいたヒロインを演じる女優が、設定どおりの12歳だったと言う事。ビックリするほど60年代のワンピースが似合ってないんですが、監督、あの子で良かったんですか?悲哀あふれる警官役のブルース・ウィリスがあれだけはまっているので、間違いなく意図的なのでしょうが。

とにかく、娯楽を作ってる気があるのか今一解らない映画でしたが、面白いのは間違いないので、興味のある方は是非見てみるといいと思います。


なお、ここで皮肉を込めて描写されているのは、1960年代の「古き良きアメリカ」なので、Fallout 3に込められた皮肉が大好きな人とかは、全く方向性が違いますが観てみると楽しめるかと思います。登場人物達の格好とか、かかっている音楽とか、そのままだったりしますしね。




当BLOG内の、映画関係記事はこちら



  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2013年01月15日

ひどい映画だなあ 『ホビット 思いがけない冒険』 感想




↑BLOG主が小学校六年生時に読んで本当に面白かった原作は、今でも十二分に通用する内容です。

今回前置きがやたら長くなったので、時間のない人は、スクロールして箇条書きで結論書いてる部分から読むと良いと思います。

日本語が眠すぎて何度読んでも2巻か3巻で挫折する「指輪物語」(問題は架空民俗学ではないのです。あれは普通に好きです。内容自体の日本語訳がひどすぎるのです)と違って、「ホビットの冒険」は本当に楽しかった読書体験として記憶に残っています。
今でも鮮明に覚えていますが、小学校六年生ともなれば、いっぱしの読書家気取りの少年は図書室の本など馬鹿にして読まない物です。とは言え、丁度手元の本が切れて図書室の物を手に取らざるを得ないタイミングもあるわけです。そこで、「でかくて字の細かい本の中で、一番巻末の推奨年齢が高かった」という、実に中二病な理由で手に取ったのがこれ。ところが、昼休みに適当に眺めたら馬鹿にしつつ棚に戻そうと思っていたのと裏腹に見事引き込まれ、結局借りて帰って一晩で読破した物です。

さて、そう言うわけですので、この作品の映画化は観に行かざるを得ません。同じ理由で観に行ったナルニア国物語ってのもあったわけですが、ほら、あれはもう最終巻の宗教臭さが、小学生段階でアウトだったわけですよ。「アスラン万能ならちゃんと全員救えよ!主人公達必要ねえだろ」と、一神教に対するツッコミが有効に機能しちゃうわけじゃないですか。ついでに戦記物を絶対にやらせちゃ行けないディズニー(人死なない・血が出ない・「汚さ」の描写ができない)でしたから、失敗の前例とは考えなかったわけです。
ちなみに、ロード・オブ・ザ・リングは見てません。有名な小説が原作の作品は、原作を読んでからしか見ない主義なんです。

と言うわけで、期待に胸膨らませて映画館に出かけたのですが、ウンザリした表情で映画館を後にしました。

とりあえず最初に、私の感想に影響を与えたかも知れない因子を。
正月で東京にいたので新宿ピカデリーで観たのですが、これが最悪。学生の親戚と観に行ったのですが、事前にチケットを買っておこうとしたら「学生証がないから売れない」となめた事を言われたのです。何だ当たり前じゃないか、と思ったあなたの疑問は当然。実は、あの映画館は、「入場時」に学生証・身分証(シニアの場合など)の提示を求めるのです。飲み物などを抱えて両手がふさがっている観客が身分証が出せず、入口で渋滞が起きるというのがいつもの光景で、来る度にウンザリしていたシステムです。当然、そこで確認するのに何故購入時に必要なんだと言った物の、「入場時に身分証を確認することはない」「システムが変わったわけでもない」と強弁されて、引き下がらざるを得ませんでした。事前に買っておかないと、全席指定なので隅に追いやられるんですよね。
そして、当然のごとく、入場時には親戚が身分証を要求されたわけで……

本当に、あの映画館はクソだと思います。

ただでさえ、馬鹿長くて狭いエスカレータでの移動、座れる場所が極端に少ない上に狭苦しいロビー、お馬鹿な発券機(開館からこれだけ経って、券が詰まるとかタッチパネルが効かないとか言うトラブルが頻発するなら、納入会社変えた方がいいと思いますよ)、と不満が蓄積してる状態なので、やっぱりバルト9にしておけば良かった!いやまあ、親戚の時間の都合だったので仕方ないのですが。

さて、そう言うわけで映画その物に対する印象が必要以上に悪くなっている可能性がありますが、結論から。


1,不要なシーンは削ろう
2,シナリオに緩急を付けよう
3,企画段階から見直そう

ボロクソですが、撤回する気はありません。もう、ファンタジーに敬意を表してTRPG感覚で視聴しながら「俺がPLなら、こんな行動あるか!」「マスター、もちっと真面目にシナリオ組めや!」とイライラするレベルでしたから。

まず1ですが、そもそも原作は、3時間×3本などと言う超大作映画にする必要のあるような長編ではありません。所詮ハードカバー一冊分です。と言うか、ミュージカルシーンが時間を食う「レ・ミゼラブル」が一本の映画に収まっているのに、これがこんなに肥大化する意味が解りません。
とにもかくにも、無駄なシーンが多すぎます。最初のドワーフの下品さを長々と見せて観客を苛つかせるだけのシーン然り、直後に目的が喪失(結局馬失ってるじゃん)するトロールのシーケンス然り、全く意味のなかったお宝発掘シーン然りです。ついでに、無理矢理「指輪物語の前史」であることを強調したが為に、長々と時間を取っている茶の魔法使いやエルフの谷のシーンなども基本的に不要。そもそもホビットは指輪物語とは無関係に成立していますから、前史であることを強調するにしても要所要所でのカット強調で良かったはずです。
原作どおりだから、と言ったって、岩巨人なんぞシナリオ上全く意味がありませんし、逆に凄く印象的な「お誕生日のプレゼント」と言うワードをすっ飛ばして狂気演出を弱めていたりと、首尾一貫しません。


次に、2。シナリオがやたらと退屈なのは、アクションシーンと非アクションシーンの配置が下手くそだからです。実質的にアクションシーン無しのオープニング(ドラゴンの姿を見せない、と言う趣旨は解りますが、弓を射かけられてびくともしないシーンの一つくらいあった方が良かったのでは?)に続き、不快なビルボいじめから延々とした行軍で約1時間。トロールのシーンまでアクションはなく、実に退屈です。逆に、トロール戦からオーク相手の平原戦の間には、ほとんど一瞬の宝発掘シーンがあるだけ。その後はエルフの谷から野営地での故郷を巡る会話までアクション無し。(岩巨人のシーンは、暴風雨に襲われているのと変わらないので、アクションとしては爽快感が無く計算から外しています)そして、どうでも良い・必要のないビルボと雑魚ゴブリンの一騎打ちのあとは、「なぞなぞ何回出してんだよ!とっとと突いちまえよホビット!」と言いたくなる、ダラダラした謎かけシーンまでアクション無し。かと思うと、その後はエンディングまで延々と戦闘ばかりで、途中で疲れてきます。ダンジョン内の逃走シーンは長すぎますし、一番見栄えのいい対ゴブリンの王戦は、引っ張った癖に勝負は一瞬。そしてまた、「いい加減落ちろよ」な感じの崖っぷち攻防戦と、緩急がまるでついていません。

そもそも、シーンの演出も良くありません。
なぞなぞのシーンが締まらないのは、「ビルボが物理的に優位に立っている」からです。あれが、剣を持っているのがゴクリであれば、狂った相手にリドルで立ち向かわねばならない緊迫感は凄まじい物になります。しかし、剣を持っているのはビルボの方なので、「こんな狂ったモンスター、とっとと突き殺せよ」と言う感想しか抱けなくなります。
と言うか、悪役とのリドル勝負って、普通そう言う物ですよね?物理的に対抗できないから、相手の要求するお遊びに乗らざるを得ず、あるいはリドルと言う物理力以外の土俵に相手を乗せざるを得ない。結局ビルボは地力で出口に達するわけで、シーン全体が不要になってしまっています。

この辺、映像化すると際だってしまう部分ですから、シナリオを変えない意味が解りません。そもそもトールキンの作品は、神話を創造するという目的で書かれた物で、エンターテイメントとしてのできの良さは、上位の目的として設定されていないのですから。

また、血が出ないせいで、へぼい&解りにくい状態になっている演出。ダメですよ、あれ。やたらと乱戦ばかりの上にカメラが引いていますから、血しぶきが飛ばないと「どこで衝突が起きているか」「そしてどっちが勝っているか」が不明確になってしまいます。それこそ、「300」を見習えと言う話です。
なお、「英語書いてるんじゃねえ!」と言う部分は、ええと、アメリカだから仕方ないんですか?でも、地図上にはルーン文字も書かれてるわけで、幾ら何でもあれはなあ…… 異世界を創造することに血道を上げたトールキンに対して、一番の侮辱じゃないかと思うんですよ。

でも、イギリスっぽいムーアや森の情景は、なんかそれっぽかったのでそこは素晴らしいと思います。ホビット村の様子とか、袋小路屋敷の内装とか、ワクワクしますよね。


で、3なんですが、とりあえず企画段階から間違ってます。「ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚をやるなら、それこそ一本、長くても二本で、各二時間以内に収めるべきでしょう。スターウォーズエピソード1~3の三部作も大概眠かったですが、こんなの観てられません。大体、ホビットの冒険は指輪物語の1/5程度の量しかないのですから。
逆に、原作の完全再現が目的であるならば、それもまた「それ意味あるの?」「面白いの?」と言う突っ込みは絶対に必要だったはずです。要するに、指輪物語の夢よもう一度!同じ三部作でガッツリ長編やるぜ!と言う企画が、無意味なシーンの連続による冗長なシナリオを産み、削るべき所を削れない緩急も付かない、劣悪な映画体験を提供してくれることになったのでしょう。
「面白い原作をつまらなくする」と言う点において、原作に対する忠実さはそんなに意味が無いんだなあ、との思いを新たにしました。レベルEアニメ版(当BLOG内の感想はこちら)とか、あの辺を思い出します。

と言うわけで、絶対にお勧めしませんが、原作好きなら色々負の意味で語れることも多いので、観に行って損はしないかも知れない、と言うやや矛盾した評価でまとめたいと思います。
実際、原作好きな人間と談義するのはとても楽しい代物ですよ。原作好きで評価高い人も結構居て、それはそれで納得できる面もあるので面白かったりしますし。

まあ、二部については、その時心の余裕があったら観に行こう、ぐらいの感じですかね。




当BLOG内の、映画関係記事はこちら




  


Posted by snow-wind at 22:00Comments(5)アニメ・映像系

2012年12月26日

「HELLSING X 上映イベント」に行って来ました

HELLSING OVA X 〈初回限定版〉 [Blu-ray]
HELLSING OVA X 〈初回限定版〉 [Blu-ray]


東京にいるのを良い事に、ヘルシングのOVA最終巻上映イベントに行って来ました。いや、嘘です。抽選が当たったので、わざわざ出張したのです。

初めて行くユナイテッドシネマ豊洲は、微妙に駅からの経路が解りにくく(携帯用のサイトにビル名が書いていなかったんです)迷いかけましたが、看板を辿って何とか到着。ロビーには、一目で解るご同輩以外に、女性やカップルがかなり居て、「ああ、クリスマスだもんな。上映が終わってから爆発しろ」とか思いながら入場したら、ほとんどがこの上映会の客で驚いたり。負けている!あらゆる意味で負けている!!

で、内容なのですが、7年越しで完結したOVA最終巻の日本一の大スクリーンを使った上映と、スタッフトーク。一応、発起人らしい中田譲治氏のプレゼントジャンケンとかもありましたが、メインはトーク。

ただ、一番期待していた「生で見る平野耕太」は、なんか締め切り直後でぶっ倒れたとかで不参加。それにしても、昼の13時に原稿が上がって、翌日早朝には雑誌が店に並ぶ日本の印刷・流通業界って凄いですな。この辺のインフラの優秀さが、逆に電子化の足を引っ張っているのでしょうが……

閑話休題、スタッフトークはかなりシュート。アニメ会のイベントに出たときのノリでオタクトークをかます倉田先生は置いておくとして(今期のイチオシは、中二病とガルパンだそうです)、キャラデザ・作監の中森良治さんはスタジオ移転に伴う混乱の恨み節がオブラート抜きに炸裂し、あげく「スタッフの力量が水準に達していなかった」と、Vガンダムの時の富野監督みたいな事を真顔で話して、プロデューサーの顔をこわばらせていました。監督も予定ずれ込みのせいでTVアニメとかぶって地獄を見たとか、そう言う話を「必死にオブラートに包もうとしているが、成功せずに恨みのオーラが透けて見える」状態のピリピリしたトークに、観客の空気も引きつったり。

あ、作品のクオリティは、大画面で見てもほぼ違和感のないハイレベルで、Blu-ray購入で全く問題無いかと思います。しかしそれだけに、業界の抱える構造的な問題がにじみ出るイベント内容で、面白かったですが愉快な気持ちで映画館を後にできたかというと正直微妙。いや、イベントにお金を払う価値は十二分にあったのです。ただ、作品の高クオリティから逆算して、「この業界あかんのやなあ」と似非関西弁で慨嘆せざるを得ないともうしますか。再三繰り返しますが、内容は凄いんですよ。作画も音楽もエフェクトも声優陣の演技も、あら探しをしてもほぼ見つからないレベル。(インテグラの台詞が何カ所かかすれたように聞こえた部分がありましたが、あれは音響のせいでしょうかね?)しかし、それを実現するのが真っ当なやり方・納期・陣容では非常に難しいというのが、正に問題の中心なわけで。話半分に聞いても、トータル黒字化は厳しいようですし。まあ、当然ですわな。納期が延びればそのままコストは倍々ゲームになるわけで。

あと、別に口止めされなかったのですが、最後の特典映像は「ドリフターズ」のアニメ化プロモ映像でした。私はヘルシングよりドリフターズが大好き(GURPS大好きですから!)なので、大喜びで見てましたが、まず原作が終わるまであと10年はかかるんじゃないかとか考えますと、気の長い話になるかと思います。
ちなみに、公開/制作予定年月日とかは、一切出ておりませんでした。

と言うわけで、サプライズのお土産を貰い、中田譲治さんと握手して帰ってきました。お土産は、原画集とランダム封入のリアル原画。

私が引き当てたのは、こんなんでした。



いやこれ、凄い当たりじゃないですか?

てなわけで、久しぶりの更新でした。
それにしても、リアル平野耕太見たかったなあ……


当BLOG内の映画関係記事はこちら
当BLOG内の、アニメ関係エントリーはこちら



  


Posted by snow-wind at 00:30Comments(2)アニメ・映像系

2012年12月14日

ジジイ格好良い 「人生の特等席」 感想

人生の特等席 Trouble with the Curve 映画パンフレット 【監  督】ロバート・ロレンツ

↑AMAZONはパンフレットを置くようになったみたいなんですが、劇場の二倍の値段で買う人居るんでしょうか?


どうにも外ればかり引いている今年の映画鑑賞ですが、年末にやっと当たりを引くことが出来ました。

「人生の特等席」は、クリント・イーストウッド主演の映画です。今回は監督じゃありません。
内容は、アナログな手法を墨守するメジャーリーグの老スカウトと、一人娘の敏腕弁護士の心の交流と再生を描くヒューマンドラマ。イーストウッドが好きそうな素材で、これで彼は役者引退を撤回したとかなんとか。その道のプロの引退宣言なんて、誰も信じない類のアレですが。

そして、当たりと書いたとおり、見事な人間ドラマでした。
内容は、とても平凡です。アナログな手法にこだわりながら、衰えを隠せない老スカウト。殺伐とした弁護士業界で、のし上がりつつある娘。そこに、彼らの過去と現在の問題および変化を描く、オールドアメリカンスタイルです。このスタイルはダブルミーニングで、自然豊かなノースカロライナの農場風景だったり、バーベキュー持参で住民達が集まるベースボールスタジアムだったり、ろくでなしが集うバーやダイナーと言った、いかにもなアメリカンスタイルが画面を埋めます。今回は半ば悪役として描かれる高校生スラッガーにしても、「野球でのし上がる」と言う目標が明確で実にアメリカン。どう見ても貧困層である彼の父親がスタジアムで息子を自慢して叫ぶ様子など、ベースボールというものがアメリカで果たしている象徴としての役割を、良く示しているでしょう。

加えて言えば、ラストのスタジアムで、スカウトされたヒスパニックの少年が振りかぶるその背景に、嫌味なく星条旗がはためいている演出なども。あれ、何が上手いかって、星条旗には「焦点を合わせない」所なんですよ。邦画であのシーンを作ると、絶対にわざとらしくズームさせてしまって色々ぶち壊しにするのです。(代表例:「男達の大和」で、クソわざとらしく繰り返しアップにされる艦首の菊御紋)

正直、シナリオ内容は平凡ですし、展開に奇をてらった物はありません。後述する、あからさまな欠点もあります。しかし、設定を口先だけの物とはせず、きちんと描写を積み重ねることで、全てを生きた伏線へと昇華しています。
例えば、主人公の家に積み重なるアナログ資料と娘が持参するスマートフォンとノートパソコンの対比だったり、酒場における娘と主人公の行動で説明されない設定を何より雄弁に語っていたり。ちなみに、「カサブランカ」のあれを思わせるラストで、ちゃんと活かされる小道具にニヤリ。良いですねえ。

そして何より、ダメで頑固で明らかにろくでもないジジイ達が、本当に格好良いのです。あの微妙に小汚い親父達は現実に居そうで、しかし見事なまでに現実離れした格好良さを醸し出しています。私が映画館に見に行った時、他の観客は中高年の親父さん達ばかりだったのですが、彼らの背中が煤けた感じ(人のことは言えませんが)とイーストウッドのダンディなダメさというのは、明らかに一線を画しているわけです。それがメイクなのが画面なのか立ち居振る舞いなのかその総合なのかは解りませんが、なるほど彼はどんなに小汚く老けてダメな臭いを漂わせていても、アメリカンヒーローなのだなと妙な納得をしました。


とまあ、ベタ誉めなのですが、問題もあります。堅実なだけにシナリオが見えてしまうのは仕方ないとして、娘の恋愛パートは必要でしたか?33歳で色々崖っぷちなのでハッピーエンドに必要という判断だったのかもしれませんが、仲直りする要因がどこにもないラストシーンとか、絶対おかしいですよね!?あの時点では、フレイム君が真実を知る要素はないですし、そもそもどの面下げてという話です。あの辺の展開だけは本当に無駄だったので、何とかして頂きたかった。
あと、娘との溝がきっかけになる事件も、「それ安易じゃない?」と思ったのも事実。そんなセンセーショナルな未遂事件を持ってくるのではなくて、もっと地味なすれ違いが年月とともに広がってしまった、と言う話の方が、人間ドラマに深みが出たと思います。あれは(アメリカの小説や映画は良く安易に使いますが)、演出上の劇薬ですから。

と、当然不満点はあるものの、十二分に満足でした。グラン・トリノ(当BLOG内の感想はこちら)とまでは行かなくとも、今年見た中では1・2を争う作品であったことは間違いありません。もうしばらくは映画館にかかっていると思うので、お暇があればどうぞ。




当BLOG内の、映画関係記事はこちら



  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年12月13日

娯楽作品としての質の低さよ/映画「のぼうの城」 感想


のぼうの城 上 (小学館文庫)のぼうの城 下 (小学館文庫)

↑原作を読んだ友人によりますと、小説としてはマトモだそうです。


平成ガメラに愛着は特になく、巨神兵東京に現るはマジFUCKとしか言いようが無かったのですが、邦画だって年に一本は見ておこうと「のぼうの城」を鑑賞してきました。

で、例によって最初に結論。

1,題材として盛り上げようがなく、娯楽作品として精度が低い
2,若手俳優の演技力に、邦画の末期症状を見る

と言うものになります。
まず話ですが、時は戦国末期。北条攻めの渦中に、石田三成率いる二万の軍勢を迎え撃つ小規模要塞・忍城!と言うこれだけ見ると燃えるシチュエーション。城主代理は「でくのぼう」略して「のぼう様」と呼ばれる惰弱な能なしですが人望篤く、彼の号令一下様々な人材が協力して防衛戦に挑む、と言う戦記物としての常道が設定されています。

ところが、実は盛り上がる設定はここまで。
何しろ、城主は既に豊臣方に内通しており、忍城の開城は規定事項。所領安堵と領民の安全は保障されており、戦う理由はこれっぽっちもありません。
加えて、石田三成は例によって舞い上がった無能な前線指揮官として描かれており、「このような強大な敵とどう戦うのか!?」と言う盛り上げもありません。
あるのは、やらなくても良い戦をやらされる農民の面の皮であり、規定事項の開城ひいては三成への軍功付与をご破算にされた副官の悲哀です。特に後者など、秀吉が実に気を使って、優秀なのに惰弱扱いされている三成を引き立てようとしている姿が描かれるだけに、涙を禁じ得ません。

そして経過も、忍城が踏ん張るが故に三成は軍功を立てられずに立場を落とし、農民は農地を荒らされて酷い目に遭い、城主は内通をご破算にされ、配下の武将達も所領安堵がご破算に…… と言う、誰も幸せにならない未来へと突き進みます。これが、「戦国という世の悲劇」ならまだ解るのですが、全ての原因は政略的に全く無意味かつ有害な開戦を決意した主人公・のぼうにあるため、カタルシスは欠片もありません。と言うか、「戦う意味のない戦い」をいくら勇壮に描かれても、広がるのは白けた風景だけです。

もっと言えば、一番の売りである攻城戦の描写は本当に冒頭だけで、あとの見所は派手ではあってもただの津波と変わらない水攻め経由堤防の決壊くらい。後半は一切戦闘が行われないまま、ラストまでダラダラと(上映時間約2時間半!)話が続きます。馬鹿殿が田楽踊って、映画として何が楽しいんですかね?


とにかく理解に苦しむのですが、こう言う題材をやりたいのであれば、それこそ上田城攻防戦をやればいいじゃないですか。戦う意味は十二分にあり、敵は精強で、しかも勝利のあとに悲劇が待つのでエピローグも完璧です。(今作の場合、お約束の「その後」説明は記録が無いだの出家だのとろくな物がありません)後述するちゃらちゃらしたイケメンが演じる問題にしても、軍記物の萌え萌えヒーローたる真田幸村であれば、割とスルーして楽しめたはずです。

とにもかくにも、キチガイが暴走して意味のない戦いをしてみんなに迷惑をかけました、と言うシナリオで娯楽作品撮ろうというのは、ちょっと酷すぎると思います。って言うか、真面目に作って下さいよ、本当に。映画って、面白いんですよ?面白かったから邦画は娯楽の王様だったし、面白いからハリウッドは世界を制覇してるんですよ。この作品、予算規模も人員も、ちゃんとかけてるじゃないですか。なんで面白い物を作ろうとしないんですか?


で、この問題をある意味端的に示すのが、2の俳優問題です。
開始十分で解る事ですが、ベテラン勢と若手の演技力には天と地ほどの差があります。演劇を見ていたら突然学芸会が混ざるような違和感です。最悪なのは甲斐姫で、時々出てくる子役並。つまるところ、話題作りに能のない芸能人を使って恥じない邦画の体質は、若手の演技力育成、ひいては演技力のある役者を育てるという発想その物を殺し、ドラマや邦画の惨状を形作っているのでしょう。
ただ、タメ口が混ざって滅茶苦茶になる脚本や、明らかに演技ではなくて素で喋っているだけの台詞を修正しない監督にも、問題はあるかと思います。特撮屋は画面をいじくりさえすれば「映画」ができると勘違いしている、と言うどこかで聞いた悪口も、ひょっとして当たらずといえども遠からずなのかと思ってしまいます。


勿論、全く悪いだけの映画ではなく、津波その物のような水攻めの描写(あれはイチャモンつけられて公開延期になったと言うのも解ります。同意できると言う意味ではなく、あの津波を想起せざるを得ない迫力があったので)や城攻めの手順を見せる緒戦の描写、長々と説明される秀吉の計画など、良い部分も沢山あるのです。しかし、肝心のメインストーリーはかくのごとしで、メインの若手役者もあの始末。しかも、最後のポイントは、その秀吉の地固めに感心すればするほど、戦略をたたき壊すのぼうがキチガイにしか見えなくなる諸刃の剣。

やっぱり邦画は見なくていいや…… と言う感想を抱きながら、映画館を後にしました。どうにもこうにも、やるせない話です。



当BLOG内の映画関係記事はこちら


  
タグ :映画


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年11月18日

アニメ PSYCHO-PASS #06 「狂王子の帰還」 感想



PSYCHO-PASS サイコパス VOL.3
PSYCHO-PASS サイコパス VOL.3

↑最初が2話収録、2巻以降が各3話収録らしいので、この話からDVD3巻と。



他の回の感想はこちら

EVA観に行っていた&余りのガッカリぶりに気力を吸い取られ、視聴が遅れました。サイコパス第6話「狂王子の帰還」の感想です。


冒頭はノイズ混じりのグロ画像ですが、これをきっかけに咬噛は監視官から執行官に落っこちたわけですね。やはり、この世界では割と簡単にサイコパス認定されるのでしょう。本来、監視官は上がりにくいことをもって任命されているわけですから。
一回堕ちると回復しても札付き扱いというゼロトレランス社会ですから、サイコハザードは最悪国家の基盤を揺るがす概念となるわけですね。実際には犯罪係数が簡単に上がってしまうにも関わらず、「閾値を超えるのは極めて少数」であるという欺瞞の上に予防原則を振り回しているというのが、このディストピアにおける一番根っこの設定と言う事になります。


従って、この上司が宜野座にかける「疑わしきは罰する」式の圧力も、あの社会においては極めて常識的な認識と言う事になるわけです。


そう言う社会であれば、禁酒法も通ろうってわけですね。いや、言わば常識として誰も飲もうとせず、結果市場も崩壊していると言う事でしょうか。昨今の表現規制(胸くそ悪くて最近はだいぶエントリーが途絶えていますが、関連エントリーはこちら)の進み方など見ていると、逆にリアリティがあって嫌ですねえ。

しかし、一方で不健康の極みであるカップ麺などは残っているのですよね。それとも、あれも監視官ならではの特権なのか、あるいは極めて健康的な中身に変わっているのか?


さて、今回は舞台が女子校なわけですが、背景としての機能は3話の工場と同じ閉鎖社会。解りやすく嫌らしい舞台の選び方で、私としては丁寧な語り口に好感が持てます。夕日の美術室のシーンで、背景の窓が狭い格子状で露骨に牢獄をイメージさせる辺り、露骨ですよね。勿論何度も続けられれば飽きるわけですが、今は「点」としての事件を連ねて、後に描き出される全体像への布石とする段階ですから、構わないでしょう。


さて、ちゃんと以前の事件をあとから引っ張り出して伏線として使うのは、やりっ放しではなく○。基本ですけど、こうやって個々の事件を本筋に結びつける効率的な作劇法は、蔑ろにした瞬間恐ろしく話が散漫になっていきますから。
取り調べ2時間がかかるという言い訳も効きますし、この辺は刑事物の面目躍如でしょうか。過去の事件にこだわり続ける老刑事、と言うステロタイプは、やっぱり使い勝手が良いですねえ。(紙のファイルってどうよ?と言う話は置くとして)
ところで、取調過程が可視化されているだけ、このディストピアは現在よりマシですね。


さて約1/4を消化したところで黒幕が姿を見せ、物語はまず最初の山へ、と言う所でしょうか?
現時点だと、マキシマはあくまでもシステムを逆利用して暗躍(サイコパス診断から、犯罪者となり得る人間をピックアップしているらしいですから)しているように見え、あくまでもシステムの寄生虫・裏利用者です。これは、ここからいくらでも話を拡げていける入口ですから、今後が楽しみですね。

では、また来週。



タイタス・アンドロニカス シェイクスピア全集 〔6〕 白水Uブックス

↑お約束として、劇中に出てきたタイタス・アンドロニカスの載ってる本でも貼っときますが、古い戯曲の台本って死ぬほど退屈なので、読む人は頑張ってと言う感じ。筋はともかく、翻訳やテンポがねえ……




当BLOG内の、その他のアニメ関係エントリーはこちら



  


Posted by snow-wind at 22:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年11月17日

また逃げるのですね 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」 感想

Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0”YOU CAN(NOT)REDO.
Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0”YOU CAN(NOT)REDO.

↑前作「破」(当BLOGの感想はこちら)と違って、サントラどころかBlu-rayすら買う気は起きませんね。



気がつけば瞬く間に三年が過ぎ去り、ヱヴァンゲリオンも映画三作目の公開と相成りました。
いやあ、本当に期待してたんですよ。上記感想のとおり、破は本当に面白かったですから。だからこそ、予約開始日に、公式サイトが落ちていることを確認するや強引に劇場窓口に駆けつけ、初回の切符を確保する程度には諸々を犠牲にして鑑賞したのです。

しかし、内容は本当にどうしようもない物であり、最悪の気分で劇場を出ることになりました。旧劇場版で学んだ「映画は一人で観に行くな。大外れしたときに、誰かと語り合えれば最悪の気分が楽しさに転化できる」と言う教訓を、何故私は忘れていたのでしょう?

でまあ、一応例によって最初にポイントを書いておきますか。


1,脚本が視聴者を放置上等。と言うか、どこで楽しませたかったのか?
2,アクション映画として全くなっていない。
3,異常なまでに画面が安いのですが、一体何事?


はい、では最初から。
今回の話には、盛り上がり所がありません。最初こそ、訳の解らない状況に叩き込まれたシンジ君にシンクロしてドキドキするのですが、出てくる真相は安っぽいか意味不明かそもそも説明されないかの3パターン(複数選択)。そもそも破のラストから繋がっているのかも不明確な上に、予告編の存在は完全になかったことになっており、気分はどんどん盛り下がっていきます。

大体、14年後と言っておいて、まず視聴者が一番気になる「では世界はどうなっているのか」をまるで提示しないままピアノの練習が続くシーンなど、「引き延ばしは予告編だけにしろよ」と、ウンザリした気分になりました。
崩壊したネルフ本部や戦闘時の不思議世界描写は伏線ぽいものの、後述しますが単なる手抜きにも見え、推理を働かせると言った方向に思考を向かわせるには余りに不十分。そして、一番大きな話の流れは、勝手に思い込んで暴走したシンジが勝手に落ち込んでTV版のような根暗に落っこちるという、躁鬱病患者の病態観察みたいな代物で、全く盛り上がりません。

大体、一番気合の入ったクライマックスの戦闘が、明らかにやっちゃあかん事をやっているシンジをアスカ&マリが止めようとすると言う、まるで燃えないシチュエーション。いやまあ、その後の宇宙戦艦(ありゃあ世界から浮きすぎて笑えません)防衛戦も、翼の上でせせこましい格闘戦経由自爆テロ。楽しくないんですよ。
あげくが、破であれだけ主人公ぶりを見せつけ、視聴者に「ああ、これなら、前作のようなどうしようもないラストを回避してくれるだろう」思わせたシンジ君があんなになってしまい、ひたすら視聴者の心にストレスをかけたまま物語は終わります。今回唯一信頼した相手にやめろって言われてるんだから、槍抜くなよ!
それ以前に、各組織の目的だったり、バックだったり、基本的な部分がすっ飛ばされていて、終始何がやりたいのか不明。例えば、ネルフはあんな廃墟にあるのになんでミサト達に襲撃されないのかとか、何故シンジは14年も寝てたのかとか、鈴原がどうこう言ってるけど世界の他はどうなってるのかとか、すっ飛ばしすぎていて雰囲気で掴むしかないのも辛いところ。
つまるところ、それっぽい単語をばらまいて煙に巻き、アクション映画として物語を完結させられず視聴者相手に逆ギレした、旧劇の失敗をなぞっているわけです。要するに、「逃げ」でしょう。

いや本当、これ面白いと思って作ったんですかね?破の面白さ・サービス精神ってなんだったんでしょうか?ま~た、根性の腐れっぷりを発揮して、視聴者をシメにかかったとしか思えない迷走ぶりです。


で、2。
前作はアクションとアクションの間をドラマでつなぎつつ、段階を踏んでシナリオも戦闘も盛り上げて行くという、何かの手本のような作品でした。
しかし今回は、冒頭の戦闘こそ盛り上がる物の、以後はしょんぼり。シチュエーションを用意したように見えて、宇宙戦艦でクラゲを釣るとか、棒立ち機体がファンネルを振り回すとか、絵面が残念な物ばかりです。また、中盤は全くアクションがありませんし、そもそもクライマックスが盛り上がる内容でないのは前述の通り。
空挺降下の遭遇戦だの防衛都市機能をフル活用した迎撃戦だの、最強の敵相手の絶望的な特攻各個撃破(される側)だのと多彩で飽きさせないシーンを連発した前作から、余りに劣化しています。

と言うか、なんかやってるのが形而上の概念的闘争で、アクションで相手をぶん殴ることの快感・それで物語が動くダイナミズムが欠如してるんですよ。だから、アクション映画としては失格です。そもそもアクション映画じゃないという話については、破が人気が出たのはアクション映画として凄くできが良かったからだよ、と言う指摘に留めます。


そして最後なんですが、なんであんなに安っぽいんですか?
もう飽き飽きした地獄絵モドキのセカイ描写もそうですし、動かない絵・白い壁と青い空ばっかりの背景。極めつけは、どう見てもブルースクリーンの背景の中で、エヴァが格ゲーのデモのような見飽きた動きをしている予告編。3年間の歳月と豊富な予算をかけたようにはまるで見えず、一体何事かと額に縦皺が寄りました。多分細かいところに多くの技術が投入されているのでしょうが、本来一番派手にやるべき世界崩壊のシーンを、事もあろうに巨神兵東京に現るで代用するクソっぷり。(あの併映ってそう言う事ですよね?)
また、序や破で多く見られた、ネルフという巨大な組織が動いていることを描写するモブや設備への執拗な描写は全くなく、主人公の周囲から少しでも離れると世界が存在するのかも解らない、正にセカイ系。あの崩壊ネルフで働いてる人間は居るのかとか、いるとしてそいつ等はなんであの狂ったおっさん達について行ってるのかとか、余りに細部を蔑ろにしています。

何かもう、期待していただけに心の底からガッカリしました。こんどはきちんと描ききってくれるんじゃないかと思っていたんですが、結局の所「仮釈放中の元サイコパス」と言う監督に対する評価が正しかったことになりそうで、残念至極。ヱヴァ新劇をやりきったあとであれば、またやらかしても「でも、ヱヴァは結局ちゃんと完結させたしね」と言う扱いになったはずなんですが、まあ……



あ、そうそう。一応公正を期すために言うと、雰囲気はTV版後半・旧劇の雰囲気にかなり近いので、そっちを好きな人にはむしろウェルカムかもしれません。
私は上記の通りですが。




その他のエヴァ関係エントリーはこちら
その他の映画関係記事はこちら



  


Posted by snow-wind at 13:00Comments(12)アニメ・映像系

2012年11月14日

アニメ版「リトルバスターズ!」 第6話感想


リトルバスターズ! 1 (初回生産限定版) [DVD]

結局の所、Keyの地位没落に鑑みて、「どうしてこうなった?」など言う疑問は愚問でしかないのですよね。
予算も手間もスタッフのやる気も、現状では引き出すリソースがないと言うだけの話なわけですから。

他の回の感想はこちら

第6話「みつけようすてきなこと」の、感想です。


しかし、低予算・短期間の企画でもやりようって物はあるわけで、この箸にも棒にもかからない展開・構成をフォローする必要がないのは言うまでもありません。


よく考えてみれば、こう言う個別ルート順次解決という構成を取るならば、なおさら原作の設定を一部曲げるべきだったんじゃないでしょうか?具体的には、ヒロイン達を早めに集合させると共に、トラウマ解決フェイズで他のヒロイン達に出番を与えるという方法です。
現状では、各ヒロインの描写が不足していてまるで魅力を描写できず、動画にしたことで画面の寂しさ・展開の強引さや不自然さばかりが目に付いてしまっています。

実際問題、原作で解決フェイズにヒロイン達が出てこない必然性は、特にありません。あれは、ギャルゲーという体裁を取るが為に、理樹とヒロインの一対一関係を描かざるを得ない事から来る展開でした。しかし、それが物語の瑕疵だったというのは、以前指摘したとおり。ならば、それを変えない意味はありません。
むしろ、集団としてのリトルバスターズ!の、「仲間達」の素晴らしさを謳い上げるなら、必須と言えるかもしれません。何しろ、現状ではリトルバスターズ!は気色悪い内輪ネタ集団にしか見えていないわけですから、仲間の危機に際して力を貸すという吊り橋描写でもしないと、ラストに説得力が無くなってしまいます。


このシーンとかねえ。何故出てくる(登場させる)仲間が二人だけなのか?何故二人は小毬のトラウマに触れないのか?
人数を増やすことには他にも意味があって、最初は集団に埋没しているリンが、あとのルートでは前面に出る、と言った成長を描くことも出来たはずです。その対比が、同じ構成(全員居る状態)で並べてこそ活きるものである事は、言うまでもないでしょう。

実質2話かそこらで、関係を深めもせず、唐突に意味不明のトラウマが発動し、強引なオチに持って行く。理樹の行動については、歴代Key主人公の中ではかなり筋が通っているのですが、それもわずか数分の描写。こんなのドラマじゃないですよ。
ゲームでなら、プレーヤーは、能動的にヒロインを選択しており、また繰り返されるミニゲームや豊富なテキスト量によって、ヒロインとの関係を構築しています。しかし、これはアニメで、違う手法、つまりきちんと画面で描写して見せないと話にならないのですから。


この、どう見ても「かわいそうな子の相手をして上げているお兄さん」状態の絵面とかね!何なんですか?演出舐めてるんですか?画面効果とか色調とか、仕草とか、姿勢とか、気を使うべきポイントは死ぬほどあるはずなのに……

仲間の素晴らしさが云々言っておいて、仲間がまだ揃っていないとか、そもそも「リトルバスターズ!」として活動したシーンが今まで幾つあったのかとか、なんで軟弱地盤に建て売り住宅を上空から投下するような真似しやがりますか?

本当ですね、映画でも小説でもアニメでもいいんですが、きちんと作られた作品に学んだりしないのでしょうか?とりあえず納品すりゃいいやと言う消化試合なのかもしれませんが、なるほどこう言う物を出力してしまうから、制作会社として悪評が付くんだなと嫌な納得をしつつあります。

本当に意味の解らないまま小毬ルートは終わりましたが、こりゃどこまで視聴を続行できるか難しいところですね。



当BLOG内の、その他のKey関係エントリーはこちら
当BLOG内の、その他のアニメ関係エントリーはこちら


  


Posted by snow-wind at 22:00Comments(3)アニメ・映像系

2012年11月11日

アニメ PSYCHO-PASS #05 「誰も知らないあなたの顔」 感想


PSYCHO-PASS サイコパス VOL.2 (初回生産限定版/サウンドトラックCD付)【Blu-ray】
PSYCHO-PASS サイコパス VOL.2 (初回生産限定版/サウンドトラックCD付)【Blu-ray】

↑ディスクは、2巻以降は3話ずつ収録のようです。まあ、マシっちゃマシですけどさあ……


他の回の感想はこちら

今週は、時間が取れたのでかなり早期に視聴できましたよ。
と言うわけで、サイコパス第5話 「誰も知らないあなたの顔」 の感想です。


冒頭でちょっと「おっ」と思ったのは、スプーキーブーギーの声が前回と変わらなかったこと。こう言う場合だと、声だけは違う人間の物や変声機能を使って、登場人物は気づかないが別人がすり替わっていることを視聴者に示す事が多いのですが、本作はリアリティ重視。こう言う細かい部分で、どう言う視聴者を想定しているかが解って楽しいです。
この場合、解りやすさよりもそう言う「電脳的リアル」を喜ぶ層ですね。


ただまあ、基本的なプロット(ネットの価値を盲信する若者、アナログな親父世代)が異常に古くさいのは、如何ともしがたいところ。前回の工場の話で、職場のストレスが酷くなっていたネットが使えなかったから、と言うような設定と合わせて、凄くつまらない(それこそTVドラマで良く見る…… いや、映画はともかくTVドラマは全然見てないですけど)「社会にはびこるネットの闇」、みたいなところにシリーズが落とされてしまわないか不安を感じるところです。

ところで、ヒロインには、「知り合い・同級生が殺された」と言う部分を少し強調して欲しかったり。あれだと単なる協力者が死んだ場合と変わらなかったですよね。あるいは、その淡白というか的を外した反応が、何らかの伏線なのかもしれませんが。


一応、あのオタク連中はラスボスであるマキシマに利用されただけみたいですが……
しっかし、このスマートフォンのデザインも何とかして欲しかった所。トータルリコール・リメイク版よりも酷いってなあ。

でも、ファンの方がキャラクターを上手く動かせる場合がある、ってのはオタクなら結構納得できる話ですよね。
本物より筋が通っている同人誌なんて珍しくもないですし、作者自身は案外細かい整合性や一貫性に気づいていなかったりする。これは創作者である作者の価値を貶める物ではない一方、言わば創造力と運営力は別の場合が結構あるという事をすんなり納得させてくれます。
この辺、二次創作が特に活発だったエロゲ業界にいた虚淵さんのアイデアでしょうか。ドラマ畑の監督からは、出てきにくい発想かもしれません。(テレビにはアイドル業界が隣接するので、逆かもしれませんが)


さて、アクセス解析を使った犯人の割り出しは、理に適っていて「ほう」と言える内容。さすが、ログ見れる官憲はつええですねえ。
その後の、非常消防装置を作動させてホロを強制解除とか、「説明されないが想像できる」問題解決方式が実に素晴らしいです。(つまり、非常時には避難の邪魔になるホロは解除されると言う事でしょう。合理的です)


もっとも、背後関係洗わなきゃならないのに射殺はいかんだろうと言うツッコミは、厳にさせさせていただきますが。
あれは、やっぱりシステム欠陥ですよねえ。体を吹っ飛ばしても脳から「話を聞く」技術があるのかと思ったんですが、そう言うわけでもありませんし。
あるいは、猟犬と言われているように、公安局が投入された段階で、逮捕・裁判という治安警察のプロセスからは外れてるのかもしれませんね。所轄は厚労省(そう言えば、100年後も同じ形で残ってるのか)ですし、サイコハザードの概念から滅菌作戦に近いのかも。


そして、今回もっとも重要な点は、監視官と執行官の役割分担の明確化ですね。深淵を覗き込むのは執行官の役目、監視官はあくまでも「監視」官であって、犯罪捜査は二の次という設定。なるほど、グッと話が具体的になってきました。

本作は、毎回きちんと設定と描写をを積み重ね、安定して楽しめる作品に仕上がっていると思います。地味ですが、こう言う作品は大好きですので、間違いなく最後まで視聴するでしょう。
来週も楽しみです。




当BLOG内の、その他のアニメ関係エントリーはこちら



  


Posted by snow-wind at 23:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年11月09日

アニメ PSYCHO-PASS #04 「誰も知らないあなたの仮面」 感想

アニメ「PSYCHO-PASS #04 誰も知らないあなたの仮面」 感想


PSYCHO-PASS サイコパス VOL.1 (初回生産限定版/2枚組)【Blu-ray】
PSYCHO-PASS サイコパス VOL.1 (初回生産限定版/2枚組)【Blu-ray】
↑2話しか入ってないのにBlu-ray2枚組とか、そう言うアホな商売もうやめませんか?増え続けるディスクを、我々はどこに収納すればいいんでしょう?


他の回の感想はこちら


時間が無いとは言いませんが、感想をメモしながらと言うのは、それなりにまとまった時間を要求するのです。原則流しているだけの、おジャ魔女どれみ再視聴とは違ってまして……

と言うわけで、遅ればせながら"PSYCHO-PASS"第4話「誰も知らないあなたの仮面」の感想になります。


冒頭から。前から触れられていたヴァーチャルスペースについて、今回本格的な描写が出てきましたが、ログイン方式は現行技術の延長線上ですね。
あれだけホログラフが普及しているなら、一部屋丸ごとネット世界の映像を投影するような方式で行けそうな気もするのですが。


で、その突っ込みが実際にできるやんけと言いたくなるこの調査シーンですが、多分屋内システム操作の描写からして、フレキシブルにガンガン変えられる類ではないのかもしれませんね。投影機等の設定は、壁紙貼り替えるくらいの感覚なんでしょうか。
と、そう言う事は置いておいて、「ヴァーチャル投影機が存在する世界」としての犯罪捜査セオリーが描かれており、興味深いです。こう言う設定の描き方は、正にSFの真骨頂。
現在存在しない技術を描くと言う事は、その技術によって変容した社会や生活・常識その物を描いていくと言う事ですから。


ところで、宜野座のアバター、これなんですかね?ダイム(10セント)貨みたいなんですが、こんなデザインは史実にはないみたいですし。「1974」とは書いてありますが、はて?
一方、ヒロインのアバターは後頭部刈り上げなのですね。


今回の話はネットワークの発達した未来社会の図として、普通に良くできています。ありきたりですが、描写に手を抜いていないという意味で。
ただ、この「凄く美しいが、要するに便所飯」であるネット有名人の部屋とか、この辺で全部解る犯行動機とか、いかにもネット等が嫌いな世代が描く、典型的な『情報機器に依存して狭いコミュニティ内の理解しがたい要因で事件を起こす、若い世代の犯行』なんですよ。これは、ありきたりを通り越して陳腐です。踊る大捜査線でもこう言う陳腐な犯罪者像はよく使われてますし、監督の限界でしょうか。

欠点をここでまとめて書いておくと、アナーキズムを標榜していると言う設定のスプーキーブーギーが、サイバースペースもアバターも全然それっぽくなかったり、証拠を押さえられたわけでもないのにタリスマンに相手に逆ギレしてしまったりする辺りは、ちょっと酷いと言えるでしょう。

何しろ、この時代は100年未来で、死にかけの爺さん婆さんでも現在はまだ生まれていないレベルですよ。ネットのあり方とか匿名性の認識なんか、変容していない方がおかしいわけで。捜査シーンでの「異なる社会のセオリー」の描き方を誉めたばかりなだけに、鼻白んでしまいました。
ただまあ、執行官達の反応は、ヒロインが言っているとおり社会不適合者のセリフなので、割り引いて考える必要がありますが。


さて、今回出てきた連中は、1984など読みふけっては居ますが、単なるネット依存の電波さん。歪んだ体制のカウンターたり得ないわけで、ちょっと拍子抜けですね。

とは言え、この連中が何故サイコパスチェックに引っかからないのかと言う問題があり、恐らく次回からはその辺が中心になっていくのでしょう。
今回のオフ会がさ入れで示唆されたように「単に街頭チェックがザルなだけ」みたいなオチは勘弁して欲しいところですが。




当BLOG内の、その他のアニメ関係エントリーはこちら


  


Posted by snow-wind at 20:00Comments(0)アニメ・映像系

2012年11月08日

アニメ版「リトルバスターズ!」 第5話感想



リトルバスターズ! 1 (初回生産限定版) [DVD]

新作は鳴かず飛ばずで固定ファンは漸減。過去の遺産の二次商売で辛うじて食いつなぐKeyの様子に、ファルコムやエルフと言った旧世代の市場牽引メーカー没落の歴史を思い出すのは、私だけではありますまい……


他の回の感想はこちら

もう遅れるのは定型になっておりますが、第5話「なくしものを探しに」を視聴しましたので、感想を。


やっぱり体操着姿のこいつ等は違和感バリバリなのですが、(特に、恭介は汗一つかかずに制服姿で白球をキャッチする姿が、キャラの象徴とも言えたわけで)まあこれはその内なれるでしょう。

問題は、例によってサッパリ動かない・動きで魅せない画面と、垂れ流される理樹のモノローグなわけですが。


そして、メンバーも揃わないうちに進行する小毬ルート。
キャラ1人ずつを先に掘り下げようという気概は買いますが、そもそも掴みが最低であったところに持ってきて、売りであるヒロイン達を出し惜しんでどうするのかと。
Angel Beats!の(当BLOG内の感想と言うか批判はこちら)1話のように、一山いくら状態で登場させるのは悪手ですが、これはもっと酷いですね。何より、仲間同士の関係性がテーマとなる作品である以上、早期からキャラ同士の掛け合いを見せる必要があるわけですから。

もっとも、前にも指摘したとおり、これは原作の瑕疵でもあります。個別ルートにおいてヒロインと理樹以外のキャラが消え、「仲間”達”が仲間を救えない」と言う構造になっているのは、設定上仕方ないとは言え友情物語として最大の欠点でしたから。


結局、シナリオとして意味が解らないのは、焦点が全く絞れていないためです。
現在進行しているシナリオは、

1,野球チーム・リトルバスターズ!のメンバー集め
2,何者かから課される「世界の謎」を解くためのミッション
3,小毬の失われた記憶

の三つになります。そして、これらは全くリンクしていない上に、1・2などは進める気があるのかも解らない代物です。これでは、視聴者の興味を持続させることはできません。
と言うか、原作がそうであったように、1をメインにしつつ2は視聴者に忘れられない程度(1話に1回セリフで触れるとか)に押さえつつ、それが終わるまで3は留保、という以外の選択肢は無いはずなのですが。

だいたい、流星群絡みの話では原作の伏線(恭介が流星群に対して呟くセリフ)を取り除いていたり、正直何がやりたいのか解りません。


この、最後の伏線に関わる小毬の願いも、何故こう言う風に出してしまうのか。現在進行しているシナリオとのリンクも演出も、まるでなっていません。


この展開からすると、個別ルートを見せつつ、一定話数ごとにリセットしてループさせるつもりかと思われます。

ただ、それをやるにしても、全員が早期に揃わないと言う問題を覆すほどの利益は見あたりませんし、小毬が最初という点に疑問も出てきます。
何しろ、↑のとおり、小毬は言動も行動も格好も、一番「キツイ」キャラですから。勿論、良く訓練されたKeyファンにとっては「いつものアレ」なわけですが、ゲームのファン層よりもはるかにマスな視聴者を相手にするアニメでは、先鋒には不的確。


あとこの構成の問題として、仲間内の関係を描く前に、ヒロインと理樹の二人の世界ができてしまって視聴者が困惑すると言うのがあります。
少なくとも、全員が揃うまで話を進めたあと個別ルートをやれば、仲間として好感度を積み重ねる描写をやってからになるので、いきなり恋愛関係になる唐突さは薄れます。


この、唐突なトラウマ発動にしてもね。
伏線を張り、感情の変遷を描き、関係性を積み重ねる期間が取れていないから、何もかもが唐突かつ急速で、視聴者を置き去りにする事になるのです。

その経緯から制作会社は散々京都アニメーションと比較されているわけですが、そりゃそうもなるだろうという感じです。
世間で言われる絵の細密度というのは「しっかり作っている」事の一側面でしかなく、お話をきちんと組み立て、劇としてしっかりとした物を作り、作品としての完成度を上げる堅実さこそ、一流と言われる制作者の条件なわけですから。

残念ですが、このアニメからは、そう言った堅実さや誠実さを、感じる事ができません。





当BLOG内の、その他のKey関係エントリーはこちら
当BLOG内の、その他のアニメ関係エントリーはこちら


  


Posted by snow-wind at 20:00Comments(1)アニメ・映像系