2011年03月27日

麒麟も老いる…… 『哲夫の春休み』 感想

哲夫の春休み
哲夫の春休み


BLOG主は、今まで色々書いてきたとおり、タイムファンタジーが大好きです。ついでに児童文学も、専門に足を突っ込みかかって引っこ抜いた程度に嗜んでいます。
そもそも、タイムファンタジーという素材は、世代間の対話という性格を持つ児童文学と相性が良く、様々な名作を生み出しています。トムは真夜中の庭でしかり、思い出のマーニーしかり。日本製なら、ふたりのイーダあたりでしょうか?どうも、英米に比べて一段落ちてしまうのは仕方のない所。ジュブナイルと言うくくりだと、また違ってくるのですが。
閑話休題、とても評判の良いこれを、期待と共に手に取ったわけですが……


この『哲夫の春休み』は、『冒険者達』(いわゆるガンバの冒険シリーズ)で有名な斎藤惇夫の、三十年以上ぶりの新作です。
斎藤惇夫はガンバの冒険シリーズ以降作品を発表せず、児童文学の老舗(図書室の常連。ハードカバーの海外文学シリーズなどは、読書好きの子どもだった人なら必ず読んだことがあるはず)、福音館の編集者をしていた人です。つまり、作家としても管理・編集側としても一線級で正に大御所。

しかし、率直に言って、私はこの作品を高く評価することはできませんでした。

ポイントは、二点です。
1,作劇の破綻・致命的な不足
2,これは子どもに向けて作られていない

最初にシナリオの概要を書くと、1989年、小学校と中学校の狭間の春休みに、父の故郷である長岡に一人で旅行することになった少年「哲夫」が、上の世代の過去と邂逅する、と言う物です。見ての通り、タイムファンタジーとしては非常にオーソドックス。地理的な移動と時間軸の移動が交錯するスタイルは、旅行と言う物が一大イベントになる子どもにとって自然な導入で、児童文学の王道です。

と言うわけで、物語の始まった時点では、破綻が生じようがありません。

しかし、まず1から。
とにかく、この作品は伏線を張りません。本当に信じられないのですが、主人公が抱える最も重要な問題が、一片の伏線もなく重要ポイントで突然明かされます。かと思えば、作劇上全く意味のない情報の偽装(最初に見ていた過去の映像が誰の物か)を行っていたり、かなり歪です。
物語の鍵を握る順子おばさんにしても、一番重要な情報は全て後出しで提示され、読者が推理する機会も驚くための助走期間も奪われています。『トムは真夜中の庭で』で、それまで提示された情報から、トムが、自分が夜ごと訪れる庭の正体を推理していくシーンのようなわくわく感は、どこにもありません。

このぞんざいなシナリオ進行の最たる物が、哲夫が過去の最重要人物に正体を明かすシーンでしょう。これは、タイムファンタジーの醍醐味と言うべき、一番の山場です。ところがなんと、ここは描かれないのです。
いや、一行で済まされるとか、描写が曖昧とか、そんなチャチなものではありません。本当に、一切描かれないのです。私は、最初手元に届いた本が落丁だったのかと思いました。
簡単に経過をおさらいすると、
・哲夫は相手に正体を明かすべきではないと改めて決意する
・理由は、相手が信じるはずがないからである
・正体を明かさないまま重要な会話が続く
・哲夫が心の底に抱き続けていた最大の問題(前述の通り伏線はない)を明かす
・「ふと気がつくと」哲夫は相手に正体を明かしており、相手はそれを完全に信じている

4段目と5段目が、明らかに繋がっていないと言うことがわかると思います。と言うか、「ふと気がつくと」って……
そもそも4段目の情報提示自体が唐突すぎて、ポカーンとなること請け合い。確かに、直前で哲夫がやや不安定である部分は見えるのですが、「ああそうだったのか」と言う納得はどこからも湧いてきません。
それに重ねるように、次のもの凄い「中略」展開。これ、一番の山場なんですよ?

書いたとおり、その時代がいつで会う相手が誰なのか、そして自分の正体を相手が受け容れるかと言う部分は、タイムファンタジーの最重要ポイントです。哲夫は、どのように相手に自己紹介したのか?何を言って納得させたのか?相手はどの部分で哲夫を信じたのか?
まるで、告白シーンをすっ飛ばして結婚式に話が飛ぶ恋愛小説のような消化不良感。

こんなシナリオ展開で訓戒に繋げられても、読者はガッカリするだけじゃないかと思うのですが。


そして、2。
結局これは、戦後徹底的に批判された、「子どもが読まない・上から目線の大人が批評し合うための児童文学」そのものではないのですか?

哲夫は、気色が悪いほど「正しい優等生」です。
何も、優等生設定が悪いわけではありません。しかし、その台詞回しは古い米英児童文学の翻訳調。小公子小公女辺りが解りやすいですが、登場人物が上流階級と言う事もあってひたすら丁寧語で文章が紡がれる、あの系統です。
ついでに、この優等生は一々人の気持ちを慮り、読者がもっとも知りたい過去に関する情報収集を妨害します。鍵を握る女の人を問い詰める登場人物に向かって、「そんな事どうでも良いじゃないか」と、相手の迷惑を考えて言っちゃうような空気の読め無さ。鬱陶しくて仕方ありません。
他にも、12歳という年齢にもかかわらず親にべったりで反抗期の片鱗も見えず、(あんな、ひたすら素直で父親自慢ばかりする12歳は気持ち悪いです)初の一人旅に子どもらしいドキドキ感も示してくれないなど、感情移入はとても困難。知らない町のホテルに一人で泊まるとか、大冒険じゃないですか。まるで出張サラリーマンのような事務的な流れで早期就寝とか、ファンタジーな体験があってもまるで「解ってない」んじゃないでしょうか?
瀬名秀明の『八月の博物館』(最後の展開のせいで大駄作ですが)で、不思議に遭遇しながら、家に帰ったらいつもどおりドラえもんを観る主人公に感じた圧倒的なリアリティは、ここにはありません。

こう言うことを書くと、お前だって子どもじゃねえだろと言われそうですが、哲夫君は1989年時点で私と10歳も違いません。そして、初めて一人で電車に乗ったり、初めて親元を離れての泊まりがけ(大人はいない)など、その経験は誰でもきっと、強く印象に残っているはずです。しかし哲夫君には、そんな大冒険の記憶と重なる瑞々しい心の動きは見られないのです。

大体、小学校が終わり、私立中学に進学が決まっている主人公にとって、あの春休みは小学校時代の友人と共に過ごせる最後の機会です。また、中学受験が終わったばかりで、解放感にあふれ、今までの鬱憤晴らしに遊び回りたい時期のはず。その不満が一切見えないのはなんでしょう?
そもそも、哲夫は父親については繰り返し言及しても、一回も友人について言及しません。12歳の少年にとって、父親は生活に占める重要性は友人達より遙かに下です。個人差云々の問題ではなく、共に過ごす時間の点で、これは覆りようがありません。教育学の基本でもありますね。
この、リアリティの欠片も無いキャラクターは、作品世界の案内人としてはあまりに非力です。

大体、なんで舞台が1989年かと言えば、夭逝した作者の子どもが12歳だった時に合わせた、と言う話みたいなんですよね。最初から、現在の子ども達に向き合う気はあまり無さそうな執筆経緯です。

成長をテーマにしたお約束の訓戒にしても、上記シナリオラインのグダグダと感情移入の困難さから、まるで心に響いてきません。
経験から何かを心に感じて歩き続けるというテーマは、辛うじて形になりかかっていると思うんですが、一本の線にまとまるところまでは行っていません。順子おばさんのエピソードは本筋に絡まないままだが意味があるのかとか、時間移動がしょぼすぎる(過去と内容のある交流をするには、質も回数も足りていない)とかね。

あと、ずっと児童文学に関わってきた人間として、最後にある人物が語る訓戒はどうなんでしょうね?
「物語は終わる」と言う部分は良いんです。しかし、本好きの子どもは、想像の翼をはためかせて「その後」を考えます。昔話からたった一つの訓戒を引っ張り出そうとするあの人物の態度は、絶対反発すると思うんですが。

ウグイスが飛び去ったあと、若者達は村に帰るのでしょうか?「ウグイスは飛び去ってしまって戻らない」と言うのは、初期条件に過ぎません。
勿論、登場人物の言うとおり、村に帰って内面の成長を遂げて生活する者もいるでしょう。しかし、私は失ったウグイスを求めて山に分け入り戻らない者や、失った幸せを嘆いて酒に溺れる者、再び会って謝罪できる日を願い子孫に話を伝えた者も、当然いたと思うのです。それは間違いなく後ろ向き・破滅的な態度ですが、それだけに愛おしい人間味を感じる結末(または末路)でしょう。
内面的な成長を遂げる、と言ういい話一つに帰着させる態度は、子どもの本を通して読書・物語に触れることの楽しさを提供し続けてきた人間として、どんな物かと感じてしまいました。


最後に。
タイムファンタジーというのは、つまるところ「異世界」を垣間見せる作品です。従って、見える・移動する世界が一体どのような物かと言う情報は、読者と主人公の好奇心・冒険心の焦点となります。
しかし、この作品はその好奇心に応えてくれないし、魅力的な「異世界」の構築にも失敗しています。
時代背景や作者の年齢を考えると、当初の構想通りガンバシリーズ完結直後に完成させていれば、楽しさを兼ねた作品になったのではないかと思うと残念です。

ちょっと酷すぎる会話文(一つのカギ括弧内で十行近く一方的まくし立てる登場人物達は、「会話」を成立させていません。人の話を聞け)以外の面では、さすがベテラン編集長で、装丁も文章も質が高いのですから。
あ、会話文の問題ですが、あれは凄く古い文学の様式ですよね。最近読んだSF短編に入っていた太宰治が正にああ言う形で、そういやそうだったな、と思い出しました。だから多分作者としては、「正しい」文章を書いたつもりだったんでしょうね。でも、現代の、しかも若年層向けの文章として適切かと言えば、断じてNOなわけで。

要するに、悪い意味での古さばかりが目立ってしまっていると言う事です。




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