2011年09月13日

考察「魔法少女まどか☆マギカ」とは、どのような物語だったのか

魔法少女まどか☆マギカ公式ガイドブック
魔法少女まどか☆マギカ公式ガイドブック

1クールごとに話題がもの凄い勢いで遷移していく昨今では、どんな名作でも、賞味期限は限られた物にならざるを得ません。このまどか☆マギカも、世間では着実にフェイドアウトしつつあります。
しかし、↑のガイドブックや同人誌をあちこちで買い漁ったりしているファンとしては、まだまだ色々と考える事の多い作品な訳です。

と言うわけで、Blu-rayもそろそろ完結が近く、繰り返し接してきた中で、あの物語についてそれなりに整理された文章をまとめてみたいと思います。感想も今まで散々書いてきましたが、今回は少し気合を入れて、評論的な事を。

内容は、一言でまとめれば以下のようになります。

「あの物語は結局、どのような話だったのか?」

そして、それを説明するために、以下の3点を特に取り上げます。
・「主人公」の描写
・「ヒロイン」の描写
・そこから導かれる、キャラクターの一見不完全な描写


では、順番に見ていきましょう。
まずは結論からです。


この論考の結論:あの物語は、暁美ほむらという少年の、理想的な失恋譚である。


そしてここから、上記の内容を、3点に分けて説明します。


1,主人公である、「暁美ほむらという少年」の描写

「少年」は、誤字ではありません。ほむらが女性キャラなのは、魔法少女物という外観を作品に被せるための処置であって、彼女の行動原理や置かれた立場は、典型的な「男の子」のそれです。

物語を彼女の側から整理して見ましょう。
暁美ほむらは当初、全くの無能でした。病み上がりで体力は壊滅的、勉強は落ちこぼれその物で、友人はおらず、自分に自信は全くありません。それどころか、キュゥべえに勧誘されるような魔力すら秘めてはいません。つまり、典型的なのび太君だったわけです。
しかし、そんな彼女を助け、友人となり、最期を前にして貴方を守れて良かった、とまで言ってくれる相手が現れます。それが、鹿目まどか。彼女の存在は、暁美ほむらにとって、この世で唯一大切な物となり、しかし直後に失われます。
以後彼女は、全存在をかけて、鹿目まどかを守る事だけを念頭に、戦い続けるわけです。これを、愛情ではなく友情と見る方が、むしろ不自然でしょう。
そして、暁美ほむらがまどかを守るためにとる手段が、極めて男性(キャラ※)的です。

※あくまでも、現実ではなくフィクションの類型としてのそれです。私は、一部のフェミニストのように、作品をダシに現実を語りたいわけではありません。フィクションをフィクションとして、その素晴らしい物語性を語りたいのです。

彼女がまず行ったのが、情報を集めての爆弾製作。その後、反社会団体からの銃器奪取、魔法をリミットレスに使った肉体強化(近視矯正)、最終的には公的機関からの物品窃盗へと進みます。
ポイントは、魔法少女という存在とは裏腹に、その戦力強化が徹底的に現実的・近代的であるところ。そして、法律や倫理をあからさまに無視し、「良い子」である事を全否定している所です。
紅一点論などでつと指摘される所ですが、「女の子」のキャラクターがする/すべき発想ではありません。むしろ、男性視聴者が自身を投影し、共感できる造型となっています。
愛や祈りの力を受けたマジカルでオーバーデコレイテッドなエフェクトではなく、硝煙飛び散る銃火器を、血を吐きながら打ち振るう。それは正に、アニメ作品における「オトコノコ」のセオリーです。

このように、彼女の側から物語を整理すれば、暁美ほむらが「少年」の属性を付与された主人公なのは、自明でしょう。
凡人その物だった彼女は、たった一人見出した愛する者を救うために、様々な物を切り捨てて自らを強化して戦い続け、そしてその目的を不完全ながら叶えた所で物語が終わるのです。まどかが便宜上主人公とされているのは、単なる作劇上のトリックでしかありません。だからこそ、彼女たちの一見不完全な描写にも意味が出てきます。(後述)



2,ヒロインである、「鹿目まどかと言う少女」の描写
鹿目まどかは、作劇上、単なる無力なヒロインに過ぎません。そして、「単なる」とつくところが、実は理想的なヒロインと言う事になります。
TRPGデザイナーの希有馬さんが書いているとおり、余計なディテールはヒロインを殺します。鹿目まどかはキャラ人気の点ではかなり劣り、作中の描写は非常に淡白です。あげく、ずっとウジウジして行動を起こさないまま(魔法少女になるにせよならないにせよ、決断をせず物語の周囲を危なっかしくウロウロするばかり)で、視聴者を苛つかせました。しかしこれは、彼女を「主人公」としてみた場合の話であって、ヒロインとしてみた場合はむしろ正解なのです。
何故なら彼女は、「良い子」「可愛い女の子」であること以外、役目を与えられていないからです。
ここに視聴者が気づかされる10話で、視聴者から見た彼女の行動が持つ意味は、暁美ほむらのそれ共々反転します。ほむらの視点で見直す時、危なっかしさは誠実さに転化し、そして、友人や先輩を思う優しさが、その本質だと言う事が解るわけです。
つまり鹿目まどかは、暁美ほむらという主人公の「彼女を守りたい」と思うその気持ちに、視聴者が共感するための小道具であって、それ以外の要素などおまけなのです。



3,「理想的な失恋譚」の意味
そして、この構造が行き着く先として、最終的な暁美ほむらの失恋が提示されます。
しかしこれは、単なる失恋ではありません。「理想的」な失恋なのです。そしてその理想性故に、暁美ほむらの物語は美しく完結し、視聴者の共感を一身に受ける事になります。

説明しましょう。

まず、暁美ほむらの目的は、愛する人を守る事でした。しかし当然ながら、美樹さやかがそうであったように、見返りを求める気持ちも存在します。にもかかわらず、ただ一人まどかを守ると誓った時から、彼女はまどかと良好な関係を築く事を、諦めざるを得なくなります。まどかと再び過ごせる時間よりも、まどかの命/魂その物という、合理的で哀しい選択の結果です。この行動、つまりきちんと説明・説得して他の魔法少女達と関係を構築する、と言う選択肢が取れない事こそ、彼女が物語類型上「少年」であることの証左でもあります。合理的な戦力強化策は取れても、細かな利害をすり合わせて、敵とも表面上良好な関係を構築する道は取れない。これは勿論、視聴者の共感という点では有利に働きます。

一方、鹿目まどかです。彼女のアイデンティティは優しさ・良い子である事であり、この場合一人全ての業を背負い込んで戦うほむらを、放っておく事はできません。客観的に見てあやしい電波女であるほむらに、友好的な言葉をかけ、友人になろうとするような少女だったからこそ、ほむらはまどかを好きになったわけですから。

しかし、再び逆接でつなぐと、ほむらがまどかと結ばれる道はありません。年齢や性別の問題ではなく、鹿目まどかというキャラクターのアイデンティティ故です。
彼女は、周囲の人間全てを大切にする、優しい良い子です。最後の母親を振り切って駆けだしていくシーンですら、あくまでも友人(あの状態で、ほむらを友人と認識しているのです!)の命と母親の心配を天秤にかけての事。ほむらを家族の上に置いたわけではありません。
つまり、鹿目まどかは「誰か一番」を作る事はできないキャラクターです。勿論、この作品が純粋な恋愛物ならそこから変わっていく描写が中心になるでしょう。しかし、それはこの物語のテーマではありません。

何より、暁美ほむらが愛した鹿目まどかとは、「大切な人が多く周囲にいるにもかかわらず、何の取り柄もないほむらと友人になろうとする、優しさの塊」です。ほむらに向かって「貴方が一番大切」(それは、他のものは一段劣る、と言う宣言に他なりません)と言うようなまどかは、ほむらが愛したまどかとは既に別人なのです。

従って、ほむらの恋愛が成就する事はありません。成就する事自体が、原理的に不可能な愛なのです。アガペーですね。

そして当然、物語は彼女の悲恋で終わったわけですが、その理想性は、刮目に値します。

まず、まどかはアイデンティティを喪失しませんでした。それどころか、愛を世界にまで広げ、物理法則を書き換えて無数の魂を救う存在へと自らを昇華させたのです。暁美ほむらが愛した鹿目まどかというキャラクターの、言わば徹底化です。
つまり、主人公・暁美ほむらは、実体を持つヒロイン・鹿目まどかを失いましたが、その何より尊い心を守りきったわけです。

しかも、鹿目まどかは暁美ほむらの心をも救います。
暁美ほむらの生きてきた支えは、どこかの周回のまどかに対する、彼女を守るという誓いでした。それが失われた時、彼女は生きる意味を失ってしまう所だったのです。
ところが、鹿目まどかは最後に暁美ほむらに、更なる願いを残していきます。それが、世界を守る盾となる魔法少女の道です。
あれは、客観的には、死ぬまで戦い続ける事を強要する呪いその物ですが、ほむらにとってはこの上ない救いとなります。何しろ、絶対に一緒になれないはずの相手から直接手渡された、生きる意味を与える依頼に他ならないのですから。しかも、いつか力尽きて倒れた時には、ヒロイン・鹿目まどかが迎えてくれる事が決まっているのです。

戦うべき邪悪な敵と、死後に保証される報償。それは、宗教やそれに準ずる独裁国家で、人々を無意味な死へと駆り立てた呪いです。しかし、鹿目まどかと言う神が実在し、救済も現実であるあの世界において、神の使徒暁美ほむらは、真に理想的な法悦に満ちた人生を送る事ができるのです。

「あなたは殉教者になりたいのに、神様は姿を見せてくれない。だから、そんなに悲しいのね?」
とは、小野不由美「屍鬼」で幼女ヴァンパイアが主人公を誘惑した時のセリフですが、同じ苦しみは、多くの人から表明されてきた物です。
翻って、最初から成就する事があり得ない恋愛の終わりと共に、その殉教者たる資格を与えられた暁美ほむらは、最高に幸福と言わざるを得ないでしょう。(さすがに、そこまで念頭に置いてまどかが魔獣の存在を残した、と見るのは穿ちすぎでしょうが。友人一人のために世界に危険をばらまくというのは、上の前提と矛盾しますし)

勿論暁美ほむらの悲劇は、そんな関係にのめり込んでしまうような状況に、魔法少女システムと言う物が上手くはまってしまった事から来ているのですが。

しかし、間違いなく彼女は最終回で見るとおり幸福で、少なくとも魔法少女システムなど無い世界でショッパイ青春を送るより、余程活き活きしているわけです。この辺を含めて、視聴者の「共感すべき主人公」としての暁美ほむらは完成し、その悲恋は理想的な形で終幕を迎えたわけです。

以上が、私なりの「魔法少女まどか☆マギカ」という物語についての解釈です。



P.S.
こうして考えると、暁美ほむらを「超人ロック」のような、あるいは「鬼切丸」の名のない鬼のような存在に据えれば、続編はいくらでも作れそうですね。

魔法少女が魔獣と戦う世界。その世界には、伝説となった魔法少女が居る。いつか円環の理に導かれるその日まで、全ての人々を魔獣から守ると誓った黒髪の戦士。しかしその理由を、彼女は口にする事はない……

みたいな感じで。物語上の役割は、かつての自分と同じような関係の、魔法少女+魔法少女志願コンビを影から見守る、みたいな感じでしょうか。
上手くいくと、それこそ超人ロックみたいな息の長い作品になれるんじゃないかと思います。



魔法少女まどか☆マギカ ポータブル
魔法少女まどか☆マギカ ポータブル

↑ゲームは来年3月予定。キャラ物にしては時間をかけている方なわけですが……
どうせ内容はガッカリするしかない&馬鹿みたいに値崩れするのが解っていても、購入する事で「ファンはまだ居る」とアピールすべきと思ってしまう。きっと我々がそんな事だから、ろくでもない商品展開は続くのでしょう。
でもほら、まかり間違って面白い作品に仕上がる可能性もあるわけだし……




当BLOG内の、まどかマギカ関係のエントリーはこちら





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この記事へのコメント
とりあえず一言。
まさかここで「超人ロック」が出てくるとは思わなかった。
・・・snow-windさん読んでたんですね。
Posted by Aruzya at 2011年09月14日 23:09
SFファンですから。不死者・永遠の旅人の描写として、少年期の心にクリティカルしましたので。
さすがに、最近の細かいシリーズは、何を読んだのかすぐに解らなくなるのでチェック漏れが出てますが。
Posted by snow-windsnow-wind at 2011年09月15日 19:45
>>不死者・永遠の旅人の描写
これをストレートに描いた、「不死者たち」という話がありましたね。ロックと、黒幕から離脱した集団の最後の台詞が印象的でした。

>>何を読んだのかすぐに解らなくなるので
作者がロックやほむらよろしく、時空(出版社)を渡り歩くので仕方ないかと。おかげで時系列がとんでもないことに。

初期シリーズは今でも珠玉です。「ロンウォールの嵐/冬の惑星」、映像化しないかなぁ。
Posted by Aruzya at 2011年09月15日 23:15
ぶっちーがCパートイメージとして「戦いはまだまだ続くぜ!」という少年誌連載作品最終回ノリであったことを語った今なら『超人ホッム』は普通に受け入れられるスピンオフでナイス。見たいねー。
Posted by   at 2011年09月16日 12:00
ちらっと紹介されていた「屍鬼」の一節がすごく気になって読んでみました。長さを感じさせない面白い物語でした。ありがとうございます。吸血鬼の物語というよりは人間の物語だと思いました。最後に村人が吸血鬼を虐殺する場面なんかは残虐度はむしろ人間の方が上回っていて(ホロコーストを連想させる)、人間と鬼の境界が曖昧になっているところは非常に迫力がありました。
Posted by アロヲ at 2012年02月12日 20:51
はぁ、
ほむらを少年と置き換えて男性の理想的な失恋ですか・・・
失恋に理想性を確立させる事すら疑問に思いますよ。いわゆる破滅願望って奴は男性のそれ
ではなくむしろ女性の本質にあるべきものだろうと思いますしね

ほむらが主人公でまどかはおまけというのはある程度同意しますが、その
肝心のほむらの行動があまりに異様すぎてついていけない作品と思えます
9話まではほ、ほむらが知っている情報を隠すもっともな理由があるものとして
見れていましたが、その隠すべき理由というものが殆ど何も用意されていなかった事に
この作品に対する嫌悪感を抱きましたね
1、2度話しても信じてくれなかった? だからなんだというのですか?
無限にやり直しが出来る機会を持ちながらそれはないでしょう
馬鹿馬鹿しいストーリーだと思えましたよ
Posted by くりりんくりりん at 2013年09月03日 13:37
重症レベルの百合厨が大真面目に書いただけの文章にしかみえない。
女性の友情を恋愛とかに見たてるのは気味が悪い。
Posted by 名無しさん at 2013年10月07日 21:19
5月から筆者しんでるから書くだけ無駄
Posted by あ at 2013年10月10日 02:51
>>くりりんさん

>1、2度話しても信じてくれなかった? だからなんだというのですか?

聞き捨てなりませんね。
私たちから見たらほむらは一二度話し、信じて貰えなかったように見えますが、あれは【一部】だと思わないのですか?
何百回と話し信じて貰えなかったのに、貴方は無理だと分かっていても真実を話し、信じて貰えないという現実を受け止め続けるんですか?
そんなの、いつまで経っても助けたい人を助ける事なんてできませんよ。

逆に、あの一二度だけだったとしても、ほむらは元々豆腐メンタルだし、諦めるのが普通です。
少しはキャラの気持ちも考えてみてください。

>無限にやり直しが出来る機会を持ちながらそれはないでしょう
無限にやり直しがきく、確かにそうです。
では、貴方は延々と同じ作業を繰り返すのですか?
毎回毎回結果は見えている。
それなら、構わないで魔女を倒し、グリーフシードを毎日ためて、すこしでも未来を変えれるようにワルプルギスの夜を倒すために努力をした方が良いと考えてしまうのも無理ないと思います。
人間の性格は変えられなくても、力は見ての通り成長してますから。
無限という言葉を甘く見すぎではありませんか?

>馬鹿馬鹿しいストーリーだと思えましたよ
貴方の様にチラッと見て上辺だけ見て判断している人に言われたくないです。
キャラの気持ちもちゃんと考えたことさえないのでしょうね。


それから、この記事に対しても感想ですが、前に見ていたら納得できなかったかもしれませんが、映画見た後だと納得してしまいました(笑)
Posted by 名無し at 2014年05月29日 14:27
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