2011年09月25日

不毛な批判と反論の話


基本的に作品の感想と言うのは、誉めたりけなしたりするわけです。しかし、好きな物をけなされれば頭に来るのが人間というものなので、多くの反論を頂くことになります。

これは当然楽しみの一部ではあるのですが、一々相手にするのも馬鹿らしい代物が多くなるのはネットのお約束。(別に現実でも、出版社やマスコミへのお手紙が同じような様相を呈しますが)

個人的には、誉める言葉しか書いていないページなんて、信用に値しないにもほどがあると思うのですが、まあ価値観が異なる方は多くいらっしゃいますから。

とは言え、一々反論するのも面倒なので、常々思っている「その批判はないだろう」と言う代物2つについて、軽く書いておきたいと思います。
特に、この話は、何度も取り上げてきた表現規制とも絡むので、一応書いておかねばと考えた次第です。


1,「最後まで付き合え/最後までやったなら批判するな」
個人的には、一応作品には最後まで付き合うようにしていますが、当然途中で放り出すこともあります。単に時間が無いとかモチベーションが落ちたとかならそれまでですが、明確に苦痛を感じて中途脱落するのは、良い感想を書きようがありません。
しかし、そうするとただちに「最後まで見て・やってから批評しろ」と言う批判が飛んできます。

しかし、これは付き合うに値しません。
何故なら、最後までやったらやったで、「嫌なら途中で止めればいいのに、最後まで付き合ったならお前は楽しんだはずだ」と、勝手に人の心理を分析して下さる似非学者様が湧いてくるだけだからです。
どちらにせよ批判されるなら好きなようにやるだけですし、この2パターンの批判には応える意味を見出せません。
結局これは、作品を誉めてもけなしても、「俺の好きな作品がけなされているのはゆるせない」人と、「俺の嫌いな作品が誉められているのはゆるせない」人のどちらかが、湧いてくるのと同じですから。



2,嫌なら見るな
むしろ、一々相手のおかしさを指摘して上げるのが面倒、と言う意味で、より鬱陶しいのがこれでしょう。
この意見の問題は、「きちんと適用するならば」正しいと言う事です。

嫌なら見るな、と言う言葉が正しくなるのは、「そんな事をするな・そんな物を世に出すな」と言う、意見に対する場合です。表現・言論の自由の淵源で、政治絡みのエントリーで度々取り上げたとおりです。「世の中にこんな物があるのはゆるせない!抹殺しろ!」と言う意見に対しては、「嫌なら見るな」と言う反論は全く正しい内容です。何故なら、何かを「見ない自由」は、常に行使できる権利として担保されているのですから。

一方これを、「批判するな」の意味で使うのは、完全に間違っています。
何故「完全に」とまで言えるかというと、「批判するな」の意味で使うと、論理破綻を引き起こすからです。

前提:ある情報に対し、「嫌なら見るな」=「わざわざ見て批判するな」が正しいと仮定する。
状況:「嫌なら見るな」と言っているにもかかわらず、発言者はある作品に対する批判をわざわざ見て、「嫌なら見るな」と批判している。
結論:発言者は、正しくないことをしている。

まあ、単純な話ですよね。
表現規制関連のエントリーで、私は規制派に対して何度も「嫌なら見ない権利を行使しろ」と書いてきましたが、同時に「批判は大いにすればいい」と附記し続けてきました。何故なら、自らの言論・表現の自由(そしてそれらを受け取る自由)を守るためには、相手のそれを否定する事は最悪の手だからです。
世の中に「許される言論・表現」と「許されない言論・表現」があると言う前提を受けいれてしまえば、待っているのは多数派の暴力と少数派の弾圧で、つまりは言論・表現の自由が守ろうとする多様性の否定に他ならないからです。

勿論、個人間の言論には、そのまま当てはめることができない部分がありますけどね。個人のスペース(WEBでも雑誌の投稿欄でもお知らせ掲示板でも)から趣旨の違う物が排除されるのは、当然ですし。(排除されても自分のスペースを用意すれば問題無く発表できるので、弾圧にはならない)

と言うわけで、批判も批判の批判もいくらでもすれば良いと思うのですが、お互い不毛な事にしか成らない批判もどきは、やめて頂きたいなあと思うわけで。

実は一番疲れるのは、批判ですらない罵詈雑言を消す作業なんですが、ああ言うのを書く人達はただの心の病気だと思うので、薬飲んで寝てろ、としか言いようが無いですし。



その他、表現規制関連エントリーはこちら






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この記事へのコメント
>「嫌なら見るな」=「わざわざ見て批判するな」が正しいと仮定する。
これは成り立たないのでは?
前者は「嫌なら」という条件付きであり、「嫌なら見るな」と批判する発言者にとって、
ある作品の批評に対して「嫌なら見るな」と批判することはむしろ嫌ではなく、快感であったりする可能性だってあります。
Posted by あ at 2011年09月25日 23:16
その可能性は、元となる批判的批評その物にも当てはまる物ですから、どちらにせよ論理破綻を起こします。
そもそも、発言者が「嫌」な批判的批評を見なければ、「嫌なら見るな」との発言まで行き着くことはありえませんから、擁護としても成立しません。
Posted by snow-windsnow-wind at 2011年09月26日 00:25
アニメでもゲームでも現実政治でも、とにかく何でも「あたまいいぼくのかんがえ」から逸脱すると否定する、関係者を無能認定するというのは、なんとかならないのでしょうか

…これは罵詈雑言ではないと思いますが
Posted by 論旨がワンパになってますよ at 2011年09月30日 19:32
上の方に同意です。
「自分には合わなかった」ならわかりますが、「スタッフが無能」に近い批判は行き過ぎです。

本文の内容には同意です。
Posted by m at 2011年10月02日 17:55
私もこの人と見解が合わないこともあるがそれは人それぞれでしょう
意見があるならちゃんと反論すればいいだけの話

別に誰がどう書いたっていいだろうし
私は「そういうふうに見る人もいるのだな」と思う程度
公職や営利団体に帰属しキャンペーン張ってるとかそういう訳でもないんだし

「スタッフが無能」が行き過ぎた表現ということでしょうか
書いちゃいけないのでしょうか
なにを勘違いしているのでしょうか
Posted by a at 2011年10月30日 05:15
上の方へ
確かにどう書こうが自由ですね。
「自分に合わなかっただけの可能性もある。スタッフが無能とは言いきれない。自分に合うかどうかの範囲で書いたほうが良い」
という意見を無理に押し付けようとしてしまいました。
すみません。
Posted by m at 2011年11月08日 23:45
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