2011年11月27日

輪るピングドラム 第20話 感想


輪るピングドラム 7 (Blu-ray Disc)
輪るピングドラム 7 (Blu-ray Disc)


↑この作品、これだけ力が入っているのに、売る側に今一情熱が薄く感じられるのが気になるところ。商品仕様(収録話とか)くらい、公開しておけばいいのに。


前話までの感想はこちら


ついに20話の大台に乗り、ラストに向けて情報も詰まってきた、輪るピングドラム第20話です。


第20話「選んでくれてありがとう」



冒頭は、オウムもどき(今回で「ピングフォース」と言う名だと判明しました)の説教から。
背景は、高倉兄妹が住むカラフルな家と対照的な、無機質な公共住宅式マンション。こどもブロイラーで何度も繰り返された「透明な存在」と言い、本当に90年代前半の状況をなぞるようです。

ただ、本来「透明な存在」の語に代表された、変わらない日常への倦みは、今から見ると非常に贅沢な物。不況が慢性化し、「人並み」が高嶺の花となって、透明な存在どころかストレートに「落伍者」が量産させる現状を前提にして見ると、滑稽に思える物です。

従って、高倉両親が語るアジ演説の内容は、「きっと何者にもなれない」の語に象徴されるように、現在に相応しいものへとねじ曲げられています。
貧困の象徴である公共住宅を経て、汚れた靴の並ぶ玄関へとつながる画面展開↓は、象徴的ですね。


オウムには、社会への不満を鬱積させた多くのエリート崩れが参加していたことを思うと、現在につなげて語り直すことは普通に可能なのかもしれませんね。
「氷の世界」は井上陽水の援用でしょうが、語り口からはむしろ「傘がない」(リンク先はyoutube)を連想させます。

彼らの言う「生存戦略」とは、生きにくい社会を変革し、本当の心で生きられる世界を作り上げること。つまりは、革命です。
オウムは異様で異常で反社会的な集団でしたが、そこに一定の理解や共感を示した者は少なくありませんでした。サティアンに殺到する警察の姿をテレビで観ながら「何かが間違っていたら、自分もあそこにいたかも知れない」と感じた者は、決して少なくなかったのです。
つまり、実際多くの信者を集めていたことからも解るように、彼らとあの事件は、社会の病理を一定程度反映する物でした。(そもそも、社会から出力されれ、インパクトを社会にフィードバックする事象は、だからこそ「大」事件なのです)
その後の様々な「オウムの教訓」が社会に何を残したかを論じるのは困難ですが、(警察権力の焼け太りに関しては、何度も書きましたが)オウム的な物を違和感なく語り直せると言う所に、複雑な物を感じます。15年を経ても、我々はまだオウム事件を、津山13人殺しや226事件のような「過去の事」と、気楽にネタにして笑い飛ばすのは困難なのかもしれません。


さて、そんな社会を揺るがす大きな物語とは別に、大きな物語に押しつぶされて残った最後の砦・家族に迫る危機。一話からわざとらしいまでに強調されてきた偽りの楽園は崩れ、剥き出しの不幸が迫ります。


晶馬が差し出すリンゴは、一体何を意味しているのか?その刻印はピングフォースの紋章と酷似し、お姫様に毒リンゴを差し出す魔女のようにも見えてきます。


一方で、陽毬の恋を巡る会話が仄めかすのは、一体どのような「運命」なのか?晶馬への適わない恋心と言うだけでは、余りに弱くなるものの、ここに来てはじめて陽毬が見せた自己主張ですから、単なる幕間劇の訳もない。


ピングフォースが「企鵝の会」と名を変えるのも、不当な弾圧を非難するのも、オウム準拠。もっとも、教祖が生き延びている辺りでこれまたずれて来ます。

時系列を整理すると、16年前の事件時、冠葉晶馬が誕生。
自宅に踏み込まれた時は既に陽毬がおり、今回の回想は10年前でその合間。
犯罪者集団にしては、随分逃げていたものです。

ただ、医師のデスクに置いてあった「南極環境防衛隊」の写真と言い、今回の作戦図(?)のペンギンやアザラシの写真と言い、彼らが本当にテロ犯なのか、ミスリードがある気がしてなりません。動物愛護団体ですし、12モンキーズみたいなブラフじゃないかと疑うところ。


時系列的に初登場時の陽毬は、季節に不適切な格好に レイプ目 死んだ目と、見事なまでの貧困家庭の被虐待児童。ちなみに、オープニングで陽毬のかわりに置かれるぬいぐるみを持ってますね。OPと違って、目が両方ともあるようですが。

これが、先週の回想をなぞるものなら、こどもブロイラーは(それが存在する世界と言う前提は置くとして)社会的孤立の象徴でしょうか?


「ルールを守って楽しい社会生活を送りましょう!!」の、わざとらしさがたまりません。
この辺で、反社会的存在であるピングフォースに、共感する回路が視聴者側に形作られてきます。

なお、ここで父の語る「何者にもなれない」は、前半の社会批判とは逆の文脈。支配者も消し去られる弱者も、等しく「何者にもなれない」の語があてられているのは、注目に値します。


そして、ここでオウムもどきのテロリストと言う描写を脱し、「こどもブロイラー」が存在する世界への怒りを語る高倉父。確かに、桃果や晶馬は、人の心を救いました。しかし、こどもブロイラーが存在するような世界のあり方自体は変わらず、多蕗のように結局救いきれない相手もいる。だとしたら、その打破を目指すピングフォースは、単なるテロリストと切り捨てて良いのか?

この辺、「テロリストにも理あり」と言う当然・お約束の内容なのですが、個人の視点と大きな視点を双方丁寧に描き込み、ちゃんとテーマに昇華しています。特に、ピングフォースが一見最悪のテロ集団・オウムの皮を被り、一発で視聴者に拒絶反応を持たせた上で描写を転換させている辺り、実に見事。

まとめると、
高倉父:社会の変革(破壊?)
冠葉・真砂子・ゆり:愛する者ただ一人の救済

と、見事に極論を体現しているわけです。
ただ、真砂子は冠葉との間で揺れていますし、多蕗は徹しきれずに退場。あとは、リンゴと晶馬がどう動いてこの場をかき回すか、と言う構成になりそうです。


それにしても、肝心な場面が全て抽象的な場面で構成されているにも関わらず、各キャラクターの哀しい強迫観念に共感できるなんて、本当に凄い演出力です。
そして、今までペンギンや人を食った描写と共に話を転がしてきた巧みさが、際だってきました。最初からこのノリだと、本当に重くて苦しくて視聴続行は厳しかったはずですし、今までのブラフとも言える演出があればこそ、「皮がはがれる」終盤のこの展開で、一気に話が引き締まっていきます。

リアリズムなんてのは、ほんの二世紀も続いていない一つの評価軸に過ぎない、とはル=グウィンの辛辣な評論家評ですが、この作品を観ていると本当にそれを実感できます。そう言う意味では、この作品は彼女が賞揚する、素晴らしいファンタジーその物と言えるでしょう。

とにかく、続きはまだかとつぶやきながら、来週を待ちたいと思います。




当BLOG内の、その他アニメ関係のエントリーはこちら






同じカテゴリー(アニメ・映像系)の記事画像
「HELLSING X 上映イベント」に行って来ました
アニメ PSYCHO-PASS #06 「狂王子の帰還」 感想
アニメ版「リトルバスターズ!」 第6話感想
アニメ PSYCHO-PASS #05 「誰も知らないあなたの顔」 感想
アニメ PSYCHO-PASS #04 「誰も知らないあなたの仮面」 感想
アニメ版「リトルバスターズ!」 第5話感想
同じカテゴリー(アニメ・映像系)の記事
 意志決定の機会を与えられない物語『この世界の片隅に』 感想 (2016-12-07 00:00)
 「作家性」とは歪さと見つけたり/『君の名は。』感想 (2016-09-08 00:00)
 面白いのが一番!『ゴーストバスターズ』リメイク版 感想 (2016-09-02 01:00)
 素晴らしい、そして欠点だらけの怪作 『シン・ゴジラ』感想 (2016-08-04 00:00)
 これはダメな映画では? 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』感想 (2015-07-10 00:00)
 酷いなこりゃ 映画版Steins;Gate 『負荷領域のデジャブ』 感想 (2013-05-02 00:00)

この記事へのコメント
今回は高倉家の巻であった。
冒頭、高倉剣山の演説は堂々たるもので揺るぎない強固な意志を感じさるものであった。
そして「奴らは人に与えようとはせず、いつも求められることばかり考えている。~この世界はきっと何者にもなれない奴らが支配している云々。」
“何者にもなれない奴ら”とは何者なのか? 不明だ。
プリンセスが度々冠葉と晶馬に使っていた言葉であるが。

高倉剣山の演説中に真砂子が「次はもっと大事な私たちのお父様の話なのに」との発言。
冠葉・真砂子は夏芽家の子のようだが、高倉剣山と冠葉・真砂子の顔とくに目がそっくりなのが気になる。
“お父様”とは指導者のことなのだろうか。 う~む。

それと高倉晶馬とクラスメートのゴミ仕分け作業の意味は何なのだろう?
分からん。
子供ブロイラーは依然として謎だ。
競争社会やら格差社会、先天的・後天的要因による差別を比喩的に表現したものかもしれない。
しかし、この作品は現実と超現実の世界の境目がとにかく分からないし。

陽毬と眞悧の会話はどうも難しくて分かりづらかった。
分かったような分からなかったようなという感じ。

とまあ、以上が今回の感想です。
今回のピンドラも感動ものでした。
ところで、ピングフォース改め企鵝の会
オウム真理教改めアレフ
アレフなんてもう虫の息と思っていたら大間違い。
TVニュースで信者が増え続けていると解説していました。
早速、アレフのHP見たら今だに水槽で呼吸停止の過酷な修行をしているとのこと。
http://www.aleph.to/enlightenment/samadhi-02.html
凄いっす。♪
Posted by 企鵝の会 at 2011年11月27日 01:22
松本千津夫という人物は、中小企業の経営者などでよく見かけるタイプの俗物で、大した考えもなしに迷走して、ああいう結果になったのだと解釈しています。「国家転覆を謀った凶悪な犯罪者」というのは、むしろ社会の期待するイメージでしょう。
というわけで、同志を前で理想を掲げる健さんは、「テロリストのリーダーはこうあるべき」というフィクションのキャラクターですね。実際、そうでなければお話が成り立たないわけですが。
個人的には、玄関に揃えられた履き物を見て連想したのは、SFファン等が公民館で開く例会で、ひどく親近感を覚えてしまいました。ピングフォースの人々は、基本的に善人だと思います。
それだけに、車中のMIBという、これまたフィクションのキャラクターとはギャップがありますが。
Posted by 浮遊ふぁんじん at 2011年11月27日 21:22
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。