2011年12月04日

外部を必要としない完璧な世界 「映画けいおん!」 感想



↑洋画も邦画も、スタッフロールがダラダラと長いのが定番となっていますが、短くビシッとまとまっている(しかも、背景は相変わらず出来の良いPV風)今作は、最後まで好印象でした。エンディング曲に、実に良くマッチ。
しかし、エンディングに出てきたこのPV衣装、エコールみたいな淫靡な雰囲気が……
いや、後述するあずさの私服に次いで可愛かったので、むしろご褒美なのですが。



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テレビシリーズで、色々引っかかりはあった物の、実に楽しく気持ちよく見る事のできたけいおん!、その映画に行ってきました。ロイヤリティの高い事に、ちゃんと公開日ですよ。まあ、ネット巡回中に内容を聞かされてしまうのがごめんだった、と言うのが大きいのですが。

と言うわけで、感想を書きたいと思います。まず、いつもどおり最初に結論を。



1,序盤のもたつきはとても残念。ある意味ぶれていないのだが、つかみは弱い。
2,しかし、全般的なできは素晴らしい。期待される物を、十二分に満たしている。
3,一方、その内容は、この作品の非常に興味深い構造を見せてくれる。



では、まず1から。
映画が始まって冒頭の30分程度、展開が非常にもたつきます。見え見えの小芝居で、「笑って良いのか、本気で展開を心配すべきなのか」と不安になる「音楽性の違い」からはじまり、卒業旅行の行き先が決まるまでの間、全く話が動きません。
勿論、彼女たちの日常を映すという至上命題は淡々とこなされているのですが、折角の映画なのにあのロウスタートは疑問を感じるところです。実際、あのもたつきを見ながら、「相変わらず練習とかする気無いよなあ」と、本編で疑問を持った部分に意識が集中してしまうのを感じました。



しかし、2。
話が動き始めると、そこはさすがのクオリティ。本編で放り出された形になった「一人残されるあずさ」の問題をフォローするテーマを提示し、何とか話を軌道に乗せます。そして、本質的にどうでも良いほのぼのとした描写を、オーバースペックの大人げない(誉め言葉)クオリティで仕上げる京都アニメーションの仕事が炸裂し、正に「見ていて楽しい」「動いているだけで幸せ」な、素晴らしい映像が続きます。
空気の冷たさ、差し込む冬の日差し、飛行機から見る雲海のオレンジに、如何にも気の良いタクシーのおっさんが茶目っ気を出してやってみせるウィンク。特に最後など、アニメ的なデフォルメが存分に効いているのに、「あー、こう言うおっさん居るよな」と思わせる、実に「リアル」な挙動がたまりません。

基本的にロンドンの情景は断片的に描写されるだけで、観光物としては極めて簡素。しかし、解る人間には(と言うか、解る場所については。ちなみに、私も解った場所などタカが知れています)やはりニヤリとできますし、解らない人間にも十分雰囲気が伝わる内容。そもそも、いかにも観光客・外国人である唯達そして我々が注目するポイントを、ピックアップしているのが面白いです。ロンドンの公園(あれハイドパークでしょうか?)って、大型のゴーカート型芝刈り機で整備するんだ、とか。
一見観光物として不十分なように見えて、実にさりげない美化を織り込んで、綺麗な映像に仕上げています。外国人が東京を撮った映像などが典型ですが、異国情緒は本質的に悪いところには目を瞑るので、欠点をさりげなく無視するのがポイント。それで悪いわけがありません。汚い映像など、わざわざ誰も見たくないのですから。
勿論それでも、ロンドン地下鉄のボロさとか、さりげなく入っているのがニヤリとさせられるところ。食事の描写がたった一度、しかも朝ご飯だけとかね。

帰国後のシーンで、廊下に差し込む陽の表現や、ラストコンサート前後でのカメラの置き方とか、奇をてらうのではなく、きちんと場面の役割に沿った王道を着実に埋めているような職人芸を感じさせます。
そうそう。雪の表現とかも、作を追う毎に洗練されていきますよね。

あと、キャラクターなのですが、今回は基本的に「唯×あずさ」、または「あずさ×唯」で、二人の可愛さがスクリーンのこちら側に浸透圧を発生させる勢いです。唯は相変わらずのボケっぷりですが、あずさは格好も仕草もビックリするくらいパーフェクト。個人的には、パスポートは彼女も首からかけて欲しかった所。ま、そうでなくとも、通関で「Are you 17?」とか確認される幼さなのですが。
でもさあ、唯に押し倒されそうになる(あれは梓の誘い受けですよね!?)シーンで着ているセーラーカラーのシャツとか、もう存在自体が誘導弾用ガイドビーコンですよ。さらって帰って神棚に飾る勢いですよ!なんで唯は耐えられるんですかね!?

あ、唯一欠点を述べるとすれば、パンフレットでキャラ紹介欄の右ページ全面使って声優の写真とか載せるなよ、って事でしょうか。別に声優に恨みはないのですが、キャラはキャラ・中の人は中の人、という切り分けはちゃんとして欲しいと思います。インタビューは、普通に別ページに載せればいいじゃないですか。



で、最後が3です。
この作品は、とても興味深い構造をしています。何が重要かというと、彼女たちが「外部」を一切必要としていない、と言う事です。
まず、作中の重要ポイント、ロボット物なら戦闘シーンに当たる演奏シーンは、(ほぼ全カットやなんちゃってを除いて)三箇所。そして、なんとそれが、回を追う毎に規模を縮小していきます。

最初が、イベントへの飛び入り参加でロンドン市民の前にしてのライブ。次が、クラスメイト達を前にしてのラストイベント。そして最後が、なんとあずさたった一人のための演奏です。その上で、後半に行けば行くほど、彼女たちにとっては重要な物、として描写されています。

しかも、一番最初のロンドンなど、観客の反応はほぼ描かれません。それどころか、子細に観察していると解りますが、観客の反応は薄く、集まりもとても残念な事になっています。最後の拍手のまばらさとか、「すべった」と言って良いレベルです。
しかし、その事は彼女たちの中で、特に問題とはされません。ロンドンまで行って自分たちの演奏をした、と言う事は重要でも、それに観客がどう応えたかは興味の埒外なのです。

一方、クラスメート達の前で行う演奏では、カメラはクラスメート達を含む引いた状態で演奏を映し、その好意的な反応を見せます。しかし、一番力点が置かれているのは、唯があずさに向かって微笑みかけながら歌う部分。また、後半では、クラスメート達の中に降りていって、同じ高さで歌う姿が大きく映し出されます。

最後については、もう言うまでもありませんよね?

つまり、音楽物・部活物でありながら、彼女たちの演奏の客観的評価は問題とされず、もっぱら「自分たちがどう楽しんだか」だけがクローズアップされるのです。

この辺、本編でも指摘しましたが、唯の天才性もあずさの技術も、客観的保証を何も為されていません。そんな事は問題ではなく、大切な仲間と過ごす時間が、悪く言えば内輪の喜怒哀楽だけが、作品の中心に座っているのです。

勿論、これは悪い事などではありません。友情物語は本質的にそう言う物ですし、「輝く青春の一ページ」とは、外部からの評価など、本質的には必要としていないのです。結果は出せなかったけど良い思い出、と言うパターンの部活物は多いですよね。この価値観で貫かれた典型例は、(あれは結果も出ていますが)タッチでしょうか。甲子園の価値は南ちゃん、そして和也と達也との関係性の中でまず重要で、優勝旗など単なるおまけでしかないのです。

しかし、おまけであっても、やはり大きな物語とのリンクを求めるのが、ある意味当然の構図でした。タッチの甲子園にしても、それが世間から大きな評価を受けているからこそ壁として意味があったわけですし、女の子と結ばれる事と世界を救う事を直結するセカイ系など大きな需要を持つわけです。

ところがこのけいおん!は、日常系とはいえ部活物・音楽物であるにもかかわらず、そう言った評価を最初から必要としないのです。
これが如何に恐ろしいかは、以下の一点を指摘すれば解って頂けるでしょうか?

・この物語の本質は、彼女たちの関係である。そしてそれはそれだけで完全に完結しており、他の介在を許さない。つまり、我々が彼女たちの音楽をどう思おうが、そんな事は最初から一顧だにされない。

もし、我々があの世界の住人なら、彼女たちの演奏を聴きたいと思うでしょう。そして、喝采を送り、手を叩き、CDを買ってファンレターを書きたいと思うはずです。マクロスで歌姫のコンサートでそうする事を夢見たり、銀英伝で民衆に混じってジークカイザー!と(あるいはくたばれカイザー!と)叫ぶ自分を想像したり。そう言ったモブとしての位置は、常に視聴者のために用意されている物なのです。「一ファン」とは、つまりそう言う事に他なりません。
ところが、この作品においては、最初から彼女たちは観客席など見てはいません。反応など気にしません。喝采を送って、それを喜んで貰う、と言う程度の幻想すら、許されていないのです。

最近最大のヒットだった百合男子で、主人公が自らの居場所が百合世界には無い、あってはならない、と言う意味の事を言っていますが、この作品は正にそれを先鋭的に表現してしまっているのです。思えば、クラスメイトの名前と設定が完全に決まっているというのも、示唆的かもしれません。我々は、彼女たちと同じくクラスの「名もなき生徒」になると言う想像で世界に入り込む事すら、拒絶されているのです。

繰り返しますが、これは間違っても欠点などではありません。非難される要素などどこにもありません。むしろ、そう言った想像の余地すら徹底的に切り捨てるほど、世界が精緻に、目的特化で構成されていると言う事なのです。
ですが、改めて劇場でその描写を一層強めた形で突きつけられた私は、静かな慟哭とでも言うべき物が胸に迫ってくるのを感じてしまいました。あの世界を愛し、彼女たちを愛でている我々は、完全に世界から拒絶されている。いや、我々が入り込める、我々などの存在を許容しうるような惰弱な世界では、あれほど完璧で強靱な美しさを保つ事はできない。
正に、アイデンティティの否定です。我が見る故に我は萌える。観測者無しでは何者も存在し得ない。しかし、実際にはその世界は完成させており、確率を収束させる観測者など本質的に不要。余りに哀しい現実です。

と言うわけで、日常系の萌え作品という物は、今正に極限まで推し進められ、何かの一線を越えたように思えます。バブルの意識を捨てきれないロートルは、大きな物語とのリンクを断ち切れなかった。しかし、その枠は既に外された。(あ、言うまでもない事ですが、ロートルも、多くは衝撃を受けつつも楽しんだからこそヒットしているのです)そして恐らくステージはさらに一段進み、異物としての視聴者に、感情移入対象として主人公どころかモブとしてすら存在を許さない、完璧な世界を志向する。
勿論、今までそう言う作品はいくらでもあったのでしょうが、視聴者におもねる萌え作品の代表と言われているようなけいおん!が、実はそんな先鋭的な構造を取っていると言う事を確認し、驚きを禁じ得ませんでした。

いや本当、色んな意味で打ちのめされましたよ。作品としてできが素晴らしく、オタクらしい嫌な斜めの見方も存分に楽しめ、(私は、蛸壷屋のけいおん!同人誌なども、一つの解釈として凄く説得力のある見事な物だと思っています)構造をこねくり回して解釈を弄ぶ事もできる。この辺は、正にオタク向けというに相応しい、様々な楽しみ方を許容する大作だとおもいます。


と言うわけで、作品自体が生理的に大嫌いな人でない限り、何らかの楽しみ方ができるはずですので、是非ともお勧めしたいところです。
いやあ、良くできたアニメ映画って本当に素晴らしい物ですね。かけられる手間暇資金の面でも、テレビみたいな破綻気味の収益モデルではないという点(お金を払う過程が非常に解りやすい。凄く楽しんだけど別にDVDは欲しくない、と言う事は良くある。と言うか、余程の事がない限りDVDなど欲しいと思わないので、支持の表明に市場原理が働いてくれないもどかしさがある)でも、増えて欲しいと思います。
勿論、粗製濫造にならない範囲でね。完結編は映画で!式の商売は、基本的には唾吐く気満々ですよ。EVAと言う前例が、散々悪印象ばらまいてくれましたんでね。



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