2011年12月24日

輪るピングドラム 第24話(最終話) 感想

輪るピングドラム 8
輪るピングドラム 8

↑AMAZONレビューが酷いのはもう自然現象みたいなもんですが、幾ら何でも仕様も公開されてないBlu-rayに、放送直後☆1つ批評とか、掲載前にチェックしろよという世界。作品じゃなくて商品のレビューのはずなんですが……


前話までの感想はこちら


良い意味で視聴者を翻弄し、煙に巻き、迷路の中を引きずり回してきた輪るピングドラムも、ついに最終話を迎えました。


第24話「愛してる」


冒頭。主題歌カット、反転ロゴと、省力でインパクトを持たせる演出から。


全てのモニターがフラットの中で、HR:Heart Rate=心拍だけがマイナスに食い込んでいく意味は、壊れる心の暗示でしょうか。

真俐が言う「世界が壊れる様」とは、運命の乗り換え=世界改変の事なのでしょうか?


陽毬に全てを捧げ、陽毬にすがりつく冠葉の姿は、桃果に救われて桃果に執着した多蕗夫妻と完全にパラレル。パラレルさを見せることによって、ここからの分岐を強調しています。


さて、運命乗り換えの起点、バタフライ・エフェクトのきっかけとなるのは、22話で予想したとおり、ダブルH。


そして、回想と現状だけでなく、久しぶりに舞い散る☆によって現実と幻想の区別が一気に曖昧になったところで、満を持しての「生存戦略」。


しかしそこで展開されるのは、愉快なバンクでも乗りの良い小芝居でもなく、ただ歩くだけで体を切り裂かれる現実そのものの光景。


冠葉の凶行は、心が壊れた故ではなく、陽毬を救うためにできる事を全てやらなければ心が壊れてしまうから。そして、凶行を続ける事が陽毬との絆を失うことに他ならない、と本人から指摘され、最終的に壊れます。


一方で回想はただひたすら暖かく、優しげで、陽毬さんは天使のように可愛らしい。今までのように、逆説的にフィクション性を強調していたメタ演出の電光掲示板は消え、剥き出しの幻想が画面を包みます。


ただ、何とか意味を追えたのはこの辺まで。これ以降になると、暗喩と不確定情報の海に飲まれて、画面を見つめる事しかできなくなっていきます。
十数年前(?)冠葉は晶馬を救い、その命を分け与えた。それを返す?結局、晶馬の罪とは一体何なのか?そして、何故彼はリンゴを愛していると言ったのか?


ベルトコンベアを逆流した(運命の乗り換えに合流しなかった?)ペンギンたちの意味も、どうにも上手くまとまりません。


解釈によっては、桃果が全ての黒幕、と言うような結論すら導けそうな辺り、混乱に拍車がかかります。


結局、晶馬と冠葉は消え、疑似家族は解消。ただし、彼らの痕跡が世界から消えても、愛されていたという形にならない記憶が陽毬の中に残ることで、二人は陽毬を救う事に成功している。

それにしても、不自然な原色が消え、普通の幸せな小家庭となった旧高倉家の、なんと寂しげな事。背比べのあとも、集合写真も、ペイントも消え、たった一つ残ったのは、もはや見えなくなったペンギンが届けた置き手紙だけ。

正直、細かな因果関係については意味が解らない部分が多すぎるのですが、大枠として、「愛する者に『愛されていた』と言う宝物を残すために、本来そこに居るはずではなかった者達が奔走した話」と、まとめられるのではないかと思います。
とりあえず、ラストの多蕗夫妻の会話はそう言う意味だと解釈しました。重要なのは愛している、でも、愛してもらう、でも無く、「あなたは愛されたことがある」と示す事。だからこそ、最後の置き手紙はああなるのでしょう。

とりあえず、テーマらしき物は納得できる形で示されたのと、絶対に手を抜いてはいないので、「良くわかんない部分も多いけど凄い作品」と言う評価で問題無いと思います。その点で、テーマからも視聴者からも、そして自分からも逃げたEVAとは違いますので。

やっぱり、Blu-rayが出たら全部見直して、解釈と評価を固めなきゃならないなあ、と思いました。
あれだけ解りやすく本筋を提示してきた話が、何故ラストでこう難解になってしまったのか解らないのですが、それで作品が陳腐になった感じはしないんですよ。ただ、手放しで誉められるかというと頭の回りに「?」が複数回っている状態で、それも難しい。
演出に誤魔化されただけ、と罵倒されそうな気もしますが、いつも言っているように、矛盾や瑕疵を誤魔化せるくらい凄いパワーや演出があるのなら、それは間違いなく凄い作品なわけですから。

ただ、当然引っかかるところはあるんですよ。「ピングドラム」や「生存戦略」と言うキーワードについては、多少陳腐になっても、口にしていた側の意味・解釈を示すべきではなかったのか、とか。

とりあえず、視聴直後の感想としては以上。
今までの、良くも悪くも強烈な印象を残した作品(まどか☆マギカとかAngel Beatsとか、あるいはゲームでリライトとか)と同様、考えがある程度固まったら、まとめを書くかもしれません。




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この記事へのコメント
遂に終わってしまった。
何故、冠葉と晶馬は箱詰めされているのか分からない。
陽毬曰く「ねえ、生きるってことは罰なんだね。~靴を揃えろとか、夕飯の時は家族一緒」だとかが罰だって?
大して意味のない会話だと思う。

最大の疑問は晶馬が言っていた「これは僕達の罰だから」
一体、「罰」とは何のこと?
今回のクライマックス・シーンは林檎が運命の乗り換えを実行するシーン。
ただ「運命の果実を一緒に食べよう」と唱えるだけで運命を変えられるという単純なもの。
あれほど必死になって日記の争奪戦を繰り広げたのは一体何だったのだろう?

ただ良かったのは傷だらけのぬいぐるみからメッセージの紙が現れ陽毬が「あれ? 変だな? なぜ私泣いているの?」というシーン。ここは本当に良かった。
そしてラストシーンを流れる感涙的な美しいBGM。
深く心に残った。

とまあ、以上が今回の率直な感想です。
正直これまで放送を省みて多くの不満があります。
・マリオって一体何だったの?
・時籠ゆりの体の秘密が分からない。
・なぜ冠葉らのパートナーがペンギンなのか? 帽子もペンギンだし。
・KIGAの正体は?
・子供ブロイラーの正体は?
・第4話で阿佐美がエスカレーターで突き落とされた時、日記が映しだされ、そして「午後9時、赤坂見附駅、エスカレーター、赤い靴の女の子。今日はこれでお終い、ディスティニー」と話しかけ判を押す。
てっきりリンゴには裏の顔があると思っていたのに説明なし。
・第17話で「このままピンクドラムを放置すればお前たち家族の誰かが罰を受けるだろう」って言っていたのに今回の説明では
『ピングドラム=運命のリンゴ=自己犠牲と救済による報酬』
ってことでしょうか。
結局、この作品は徹底した抽象的表現を多用しており自由勝手に解釈してくれってことみたい。
プリンセスの正体も何やら桃果なんだか、陽毬の分身なんだか、人智を超越した超意識体なのか、不明です。
全般として“暗喩と不確定情報の海に飲まれて、画面を見つめる事しかできなくなっていきます”ですね。
そして「良くわかんない部分も多いけど凄い作品」という評価になるのかも。
Posted by 運命日記 at 2011年12月25日 00:30
遂に最終回を迎えましたね。
それにしても、アマゾンの評価は私も如何なものかと思っていました。評価内容自体も、長々と感想を書き込んだ上で“私の評価はスルーしても構わない”“本当はこんな場所に書くべきでない”と、分かってるなら書くなよ!と…
敢えてアマゾンの、発売前の作品にレヴューを書き込んでいることから漂ってくる自己顕示欲にグッタリです。
脱線しましたが、輪るピングドラムという作品の、大まかなディテールは理解出来ていると思うのですが、正直 細かい所はよく理解出来ていません。私の読解力が足りないのだと思います。
よくわからない、何だかすごい作品でした。
Posted by 名無し at 2011年12月25日 13:06
 こんばんは。個人的にはこの話、テーマも伏線の回収ももの凄くはっきりと示されて見事に完結した(故意に回収しなかったと思われる伏線も多々ありますが)と思っているのですが、やはり感想も解釈も人それぞれですね(実際、『EVAと同じく演出で誤魔化してるだけだ』と罵倒している感想もありましたし)。
 誤魔化すどころか、演出で語るというとんでもないことをやってのけた作品だと思うんですけどね…確かに『アニメでしかできない』けど『アニメでこんな事やる奴は他にいねえよ』としか言いようがありませんが。なんにせよ、以下少し私見を記させていただこうかと思います。

1.テーマは何?
 最終回を見て一番(個人的に)驚愕したのは、『実はすべての回答は第一話で示されていた』ということです。最終回で冠葉になっていた小学生の科白『愛の話だよ。何でわかんないかな』、これがすべてだと思うんですよね。そして何もかもが最後のサブタイトルに収束するという。
 この作品では毎回、各話が最後に表示されるサブタイトルにきれいに収斂すると言うこれまた凄い事をやってくれた訳ですが、最終回で本当に全24話を最後のサブタイトルに収斂させてのけるとは思いませんでした。

2.晶馬(高倉家)の罪とは何?
 私は晶馬と陽毬の科白で完全に回答されたと思っています。
「僕達は最初からすべて罰だったんだ」
「生きるって事は罰なんだね」
 つまり『人として生まれてきた事』自体が罪、『その罪を背負って生きていく事』が罰だと。キリスト教的な原罪と言う見方も可能ですが、私はそれよりも更に深い、人として、生物としての他者から奪わねば生きていけない生それ自体が罪であり原罪(=生存戦略)である、と考えています。
 そうなると16年前の事件の意味も、彼ら(冠葉、晶馬、真砂子、苹果)が正に事件のその日に生を受けたことの暗喩もわかってきます。つまり彼らは、原罪を象徴するものとして最初から自分の物ではない罪(苹果の場合は姉の喪失による家族の崩壊が彼女の原罪)を負わされて生まれてきたのだと(すなわち『呪われた運命の子』ですね)。

 そりゃ、眞悧でなくても『こんな世界は間違えている』と言いたくもなるというものです。ですが、冠葉が最終的に選んだ回答は違いました。
 
3.冠葉の答えと輪るピングドラム
 冠葉が最終的に選んだ回答も、実は第一話で既に示されていたんですよね。
『もし、人が運命を無視して、遺伝子や本能の命令も無視して、誰かを愛したとしたら』
 一話の時点では、冠葉が実の妹である陽毬に兄妹の範囲を超えた愛情を抱いているという意味だと思われたこの科白ですが、最終回を見た後で見返すと…冠葉は本当に晶馬も、陽毬も、真砂子もマリオも何の見返りを求めることなく愛していたんですね。そしてだからこそ、自分の運命の人である陽毬に『まだ何も与えていない』と苦しんでいた。だが、陽毬が冠葉の運命の人となったのは、晶馬が陽毬を救い出したから、そしてその晶馬は冠葉に救われている。自分だけが助かるという運命も、生き残るために林檎を食べろという遺伝子や本能の命令も無視して冠葉は晶馬を救った。『運命の果実を一緒に食べよう』という言葉とともに、その果実は冠葉から晶馬、晶馬から陽毬、陽毬から冠葉と輪を描き続ける。つまり『輪るピングドラム』です。
 
4.再び晶馬の罪、そして陽毬の病気
 ここから先はオカルト的解釈になってしまいますが、そうなると高倉家は『本来二人分の生命を三人で分け合っていた』ことになります。おそらくその歪みが最も弱い陽毬に現れたのが例の病気ではないかと。そして晶馬が無意識下で『本来死ぬはずの自分が生き残ったために陽毬が病気になり、冠葉は一人手を汚して苦しんでいた』ことを知っていれば、「自分が生きていること自体が罪であり罰」だと思いつめるのも無理はないかと。

5.運命の列車
 これは私も他のサイト様の感想で指摘されて気づいたのですが、この作品における『列車』とは無機質で無慈悲な社会システム、ひいては運命そのものなんですね。そして人は、それに乗って車内に閉じ込められ、ただ運ばれていく(列車の行き先は自分では変えられない)ことしかできない。
 つまり眞悧は、この『運命の列車=世界』そのものを破壊しようとしたのでしょう。だが16年前は桃果にそれを『半分』阻止されたため、現実世界の列車だけが破壊されたのだと思います。

余談
>何故彼はリンゴを愛していると言ったのか?
 ……他に何を言えというのですか(苦笑)。
 ただ、この作品で凄い(酷い)のは、愛を無条件に称揚していない事なんですね。むしろ、誰かを愛することは、罰されねばならない罪として描かれている。生まれてくることも、生きていくことも、愛することも、希望を抱くこともすべて罪であり罰である、それが運命なのだと。そして人は、人間的存在という檻の中に閉じ込められて運命を呪いながら生きていくしかない。それに対して
「俺は、運命って言葉が嫌いだ」
「この世界は間違えている」
「こんなの絶対おかしいよ」(すみません)
 と言うのではなく
「私は受け入れて、強くなるよ」
 と言えるかどうか、愛するということはそういう事なのだと、覚悟を問われたような気がしました。
 ……正直私は、自分なら眞悧の側に立ってしまいそうな気がしています。

 長々と申し訳ありませんでしたが、私の個人的な見解がsnow-wind様が感想を整理される一助にでもなれば幸いです。
 それでは。
Posted by あまね at 2011年12月25日 14:00
いつもこちらの感想を楽しみにしていました。ピングドラムは怒涛のラストでしたね。

強欲な者にしか実りの果実を与えない世界で、ご褒美のリンゴを分け合うこと自体が罪なのかなと思いました。そしてその罪に対する罰は陽毬に与えられた。
あの3兄弟は、たった一つのリンゴを分け合って生きてきたんだなぁと思うと胸にくるものがあります。
とても理不尽ですが、この理不尽な感覚が晶馬のメリーさんの話とも通じているように感じます。

なんというか、このアニメには柔軟なバランス感覚を求められているような気がしました。理論立てて考えるとピースが足りなくて確定されないものを感覚的につなげるというか・・。
そうすると一話で冠葉が言っていた「俺達の罰」も10年前の晶馬と冠葉のことだったのかなと腑に落ちたのです。記憶がいつまではあった無かったなどの細かいところはふっとばして全体を見ると、夜空の星座を見るようにお話の形が浮かんで見えるような気がします。

南極基地やテロや両親のことなどややモヤモヤしますが・・それでも話の軸である3兄妹の物語はしっかり描かれていたなぁと。
そしてもう一人のヒロインであるリンゴは名前の通り、桃果か陽毬かそれとも何か神様的なものか分からない帽子様が晶馬に与えたイレギュラーな林檎だったのかもしれませんね。三人だけで閉じた兄妹の世界と外の世界を繋ぐため、晶馬が自分の愛に気づいてもう一度ピングドラムを回すために。

最後に私も引っ掛かっていた晶馬の唐突な「愛してる」とラストの手紙に書かれた「お兄ちゃんより」の個人的解釈ですが・・
箱の中で晶馬と冠葉は「もしどちらかが箱から出られたら片方の大切な人に言いたかったことを伝えよう」と約束してましたよね?
だから晶馬の「愛してる」はもちろん彼からリンゴへでもあるけれど、同時に冠葉から陽毬へでもあり、ラストの手紙は晶馬から陽毬へだったのかなと思いました。

長々と失礼しました!
Posted by モツ at 2011年12月26日 10:45
古い記事にコメントしてすみません。

「桃果が全ての黒幕」だと感じられたとしたら、それは究極的に「自分が犠牲になってでも世の中をよくしたい、世の中は美しくなくてはならない」という理想とその理想に対する執着心こそが、じつは(このアニメの題材にもなっているテロ事件などに見るように)、私達自身を苦しめている元凶ではないか、という問い掛けではないでしょうか。

だからこそ「輪る」と題している。ある世代の善意の暴走が、次の世代の運命を余計に翻弄しているということです。

宮沢賢治は法華信徒で、自己犠牲を題材にした作品も多いですが、彼の死後まもなく法華宗は平等思想の理想が過ぎるあまり、戦争を肯定するようになってしまいます。ところが仏教は本来、「執着心こそが苦しみを生む原因」と説いているから面白いのです。
Posted by yoh at 2014年04月17日 17:50
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