2009年02月25日

東大紛争と医療問題

最初に書いておきますが、BLOG主は20代です。
ただ、一時期興味を持って関連書籍を乱読したことがあるので、少し書いておきたいことがあってエントリーを立ててみました。

インターネットの主な利用層を考えれば当然ですが、60年代を中心とする(いわゆる団塊の世代の時代)学生紛争は、ボロクソに言われる傾向にあります。
曰く、「暴動」「ただサボりたかっただけ」「無秩序」「反日」……

まあ、そういう側面は間違いなくありますが、それだけの筈もまた、当然無いのです。


そこで、一番大きく、象徴となった東大紛争の発端を、見てみたいと思います。

どんな運動でもそうですが、大きくなる過程で様々な人間や思惑が入り乱れ、当初の戦略目標は失われていきます。特に、様々な組織が思惑をもって協力するようになれば、なおさらです。
この辺は、色々な国の独立運動や紛争・戦争を見れば解りやすいと思います。
なので、発端を見ることには、非常に大きな意味が有ると思います。

こんなことも知らないで学生運動について書いている人間が多いのに呆れますが、東大紛争は医学部から始まりました。あの、東大の医学部です。高学歴の代名詞で、当然出身家庭も思想も保守的なのは想像に難くないでしょう。
自民党支持率30%(東大平均で18%)と言う数字も見たことがありますが、これは出展不明なので参考程度まで。

そんな彼等が、何故大学当局に暴力まで使って抗議することになったのか?
まず、「インターン」の問題があります。今で言う研修医ですが、これは当時無給でした。医者が金持、と言うイメージは当時からあったのですが、学生にしてみれば6年間も学校に通った挙句、2年間は無給だったわけです。それどころか、その後もずっと無給の場合が往々にしてありました。
つまり、大学病院に無料奉仕をして、生活費はバイト(ブラックジャックによろしくで主人公がやっていたあれですね)で稼いでいたわけです。

こんな馬鹿な事があるわけがない、と言うことで、学生と助手による抗議が行われていたのが下地です。ストライキ(授業ボイコット)も、毎年の風物詩でした。
そして、最悪の事態がその後。抗議行動、と言うか教授のつるし上げを行った学生を教授会が退学処分にするのですが、その中に抗議行動に全く参加していない学生が居たのです。
しかも、その学生は事件当日大学どころか東京にも居らず、田舎に帰省中でした。冤罪も良いところです。
しかし、教授会はどう言うわけか処分撤回を拒否。以後学生・助手会と大学当局の全面衝突に発展していきます。「造反有理」とは、良く言ったものです。どちらに正当性があるかは、誰の目にも明らかだったわけですね。

しかしその後は、合流する他学部の学生や各組織の行動目標や、大学当局への怒りがその後ろにいる文部省・政府への不満と入り交じって、グチャグチャになっていくわけです。
そもそも「処分撤回」という要求からして、その場にいなかった学生は当然として、他の事件に参加した学生を含めるかどうかで、当然に意見の違いがあるわけで。政府と違って、中枢や司令部があるわけでもないですしね。
最終的には、本来医学部問題と全然関係ないセクト同士が、構内でドンパチを繰り広げる事になります。これも、独立戦争などで良く見る光景なのがなんとも……

ちなみに、この学生運動が何の成果も残せなかったのは、正にこのグチャグチャさ故です。闘争はいいのですが、戦略目標が定まらない。「何を認めさせれば勝ちなのか」が定められず、落としどころが無くなってしまったわけですから。終戦時には、オーストリア皇子の事など誰も憶えていなかった、第一次世界大戦のような状態を考えるといいでしょう。
勿論これは、初期の運動目標がかなり明確だった段階で事態を収め損なった、大学側のミスでしょう。少なくとも、処分撤回拒否はあり得ません。38度線ごしに榴弾砲を撃ち込んでおいて、「一発だから誤射」と言い張るくらい明確な宣戦布告です。
その後の学生・大学双方の行動激化については、「どっちが先に大動員令を発したか」と同じくらい無意味な議論になるかと思います。結局、この運動は誰にも利益を残さなかったのですから。

ちなみに、世界のあちこちで起きたこう言う事例を踏まえた上で、行政学では違法行為を行う者に対して強権的な手法が常に最良ではない、と言うことを繰り返し学ぶようになっていますが、それはまた別の話。

とにかく、まとめればここで問題になったのは2点です。

1,学生・下っ端医師に犠牲・無給労働を強いる医療制度
2,特権階級化し、自浄能力を持たない医学部教授会

そして、学生運動は上記の通り迷走し、最終的には鎮圧されたので、正当性が有りすぎるこれらの問題は、放置されたままになってしまったわけです。
学生の要求を最終的には警察力で挽きつぶした以上、今更学生が要求していた事に手を付けられません。テロリストとは交渉せず、と言って過激派を皆殺しにしても、テロリストを生み出す土壌が無くなる訳では無いのと同じです。

結局この問題は、近年の有名な(悪名高い)医療制度改革まで放置されるわけです。

そして、近年の医療改革が悪名高くなった事にも、この紛争が尾を引いています。

どう言うことかというと、東大紛争によって「医学部の教授」へのイメージは、非常に悪いものとなります。マスコミも、少なくとも発端については学生に同情的で、詳細な報道を行っています。丁度同時代に『白い巨塔』が書かれて大ヒットしているのも、社会が彼等をどう見ていたかを良くあらわすでしょう。

ところが、本来彼等の被害者であるはずの一般の医師・インターンについては、酷い状態が放置されてしまいました。それどころか、近年の医師そのものへのバッシングの流れでは、このイメージが彼等にまで流用され、一緒くたに非難の矢面に立つ羽目になりました。

つまり、医師の悲惨な状況が30年以上放置され、常態化されたのは、この紛争の失敗が一因と言っても良いのです。
そして、そのような状況が不可視化されたままあのような「改革」が強行された事にも、繋がっていくわけです。不可視化、つまり、医師はもう耐えられないと言うことが、見落とされてしまった(厚労省辺りは、知ってて目を瞑った可能性が高いですが)わけです。
むしろ、あんな(奴隷)制度が、良く30年以上ももったものです。


だから、小児科や産科が潰滅し、地方病院がバタバタ倒れ、医師が病院から逃げ出しつつある今になって、「医師はそんなに大変だったのか」と驚く事になった訳です。
勿論、この期に及んで「医師の努力不足」だの「待遇が良すぎる」などとのたまう、砂に首を突っ込んだダチョウのような人も多いですけどね。


団塊の世代憎しで大学紛争やその参加者をボロクソに言うのは結構ですが、そこで扱われた問題が現代に繋がる事、現在の問題を見るならば、むしろ評価すべき論点を含んでいることは、把握しておいて欲しいものです。全ての歴史は、現在に繋がっているのですから。

ちなみに、東大紛争と双璧を為す日大紛争も、発端や経過を見てみると非常に面白いので、お勧めですよ。どれも、参加者の手記のようなものに偏るのは、仕方ないですけどね。

中立的な人物のだと、この辺かなあ。東京大学医学部紛争私観


まとめ
・東大紛争は、少なくとも発端は正当性に満ちあふれてるよ。
・「運動」が組織間の調整と対立でグダグダになるのは、古今東西一緒だよ。
・紛争で扱われた問題は、現在までしっかり繋がってるよ。


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