2009年06月11日

冤罪防止以外の、児童ポルノ規制反対論

状況は非常にマズイのですが、国会で大きな動きはまだ出ておらず、水面下でのせめぎ合いが続く状況。

と言うわけで、反対派の論を読み返していて、今だからこそ非常に意味のありそうな文章へのリンクから始めます。

リスク(王様を欲しがったカエルさん)

内容は、「冤罪防止」以外の反対論を持たないなら、実質的にはほぼ同じ取得罪で押し切られて終わりになるよ、と言う警告です。少し古い文章ですが。


「規制反対派」が具体的に誰(どの団体)の事を指すのかは解りませんが、憲法違反や財産権の観点から批判を行っている人は幾らでも居たと思います。

例えば、グーグルで「児童ポルノ 単純所持 反対」で見てみると、2ページ目のトップにこんなのが来ますし。
なぜ児童ポルノ規制に反対するか

問題は、児童ポルノ規制に関して、「えん罪の恐れ」ほど他人・一般層にアピールできるロジックは無い事です。
我が国においては、最高裁すら表現の自由や基本的人権を尊重しません。

従って、「常識」と「感覚」の人海戦術で押してくる推進派に対して、条件闘争を主戦場にせざるを得なかったのは、無能ではなくその反対を示すものではないかと。負ける戦いはできない・完敗だけは避けねばならないという、非常に合理的な判断になりますから。

とにかくですね、「児童ポルノ」に興奮する人間は圧倒的に「キモイ」のです。ですから、単純所持そのものに対して、説得力のある論陣を張るのは難しい。

特に、反対派の議員さんや社会的地位のある人ほど、「ロリコンだから反対してるんじゃないのか」と言われるようなリスクは抑える必要が出てきます。
自分の利害に絡まない権利のために戦うのは「人権ゴロ」、と言う困った認識は、結構強いですよ。
そうなると、定義問題やえん罪可能性を中心に論じるしかなくなってしまう。

研究や芸術性の観点から単純所持禁止は許されない、と言うのも重要な論点ですが、取得罪の文言をいじって実質的には何も変えないまま、「配慮しました」と言われると終わるのは同じですし。

また、実際にその条件闘争で、民主党から取得罪ラインまでの後退と与党案への徹底抗戦を引き出せたわけです。よって、現実的な成果としては大成功とも言えるわけです。

ただ、えん罪防止の条件闘争では押し切られそうな流れになってきましたから、次の手を考えておく必要があると言うのは同意。

その場合、使える論点は3つほどあると思います。



・まず一つ
馬鹿な推進派が児童を18歳未満と言い張ってくれたことが、突破口になるかもしれません。

つまり、「あなたは、18歳の裸なら興奮するけど、17歳のなら興奮しないような、便利な脳をお持ちですか?」と言う所から入ります。
当たり前ですが、人間はそんなシステマティックにはできていません。

となると、以下のような論理展開が可能です。

前提1:18歳未満に欲情するのは「道徳的に」良くないことだろう。
前提2:しかし、実際問題として人間は欲情する。

∴法律で規制すべきは、欲望を利用して商売をすべく・または自らの欲望を満たすため、児童の人権を侵害した者である。



結論1:制作者は厳しく処罰されるべきである。彼らは人権を侵害している。
結論2:単純所持や取得は道徳的批判はともかく、処罰されるべきではない。取得者・所持者は、人権を侵害していない。人権を侵害しない範囲で、多くの人間が持つ欲望に従っただけである。


「多くの人間が持つ」がポイントです。間違っても、「誰でも」などと言ってはいけません。
「あなたがそうとは思わないし、私もそうではありません。でも、欲望の存在自体は、『ここに居る人以外の中で』一般的ですよね」
そう言う態度で言って下さい。逆にこう言われれば、「自分以外の多く」が世間的に薄汚いと言われる欲望を持つことは、自然に同意されるでしょう。知識階層(お高くとまった層、でもいいですが)相手の議論展開では、重要なテクニックですね。

そして、多くの人間の欲望そのものを裁くような法律は、極めて危険だと言うことは、同意してもらえるでしょう。

子どもの人権を守りたいなら、性的マイノリティをスケープゴートに無意味な打ち上げ花火を上げるより、現状明らかな政策の問題を何とかしろ、と言うのも大きなポイントです。少なくとも、今や日本で児童ポルノの犠牲者は、諸外国より圧倒的に少ないのですから。



・二つめ
もう一つのポイントとしては、「人権侵害の結果生じた表現物も、その所持は違法とすべきではない」と言う部分です。
例えば、「本物のレイプ」をうたうAVを所持することは、違法ではありません。殺人事件の被害者の映像(いわゆるグロ画像)にしても、そうです。そう言う物を好む「蓼食う虫」はいますが、それを処罰の対象とするのは、その人間の嗜好そのものを処罰することに他なりません。

勿論、そう言った物件を用いて利益を上げようとする者(販売者等)は、容赦なく罰すればよろしい。それは、人権侵害によって、利益を上げているわけですから。
しかし、所持者・取得者は、誰の人権も侵害していません。

そして、「所持することによって人権侵害の危険性が高まる」と言う部分については、完全にデタラメです。ポルノが普及するほど、性犯罪は減ります。「児童ポルノの規制が緩い」日本の児童は、世界でダントツに性犯罪に遭う危険が少ない環境で暮らしています。



・三つめ
これは、民主主義の根幹に関わる部分です。
表現物の所持・取得を禁止してしまえば、その表現物が「違法であることが正しいかどうか」を、判断する方法が、無くなります。

例として「チャタレイ夫人の恋人」は、裁判にかけられたことで大いに売れました。(市場から消された後は中古・個人取引ですが)勿論性的好奇心も大きかったでしょうが、それ以上に「そんなに『猥褻』なのか」と言う、純粋な好奇心も大きかったはずです。そして、その上で「あれは大した事が無い」あるいは「あれは規制されても不思議ではない」と言った意見交換が行われたわけです。

これが、民主主義の大原則です。
国会や裁判所の判断は国民に追試され、国民の納得がいかなければ、政権交代・法改正・最高裁の国民審査の前提となります。国民が主権者というのは、そう言う事です。
しかし、警察が判断して(あるいは裁判所が判決して)「児童ポルノ」と認定された瞬間、誰もそれを手に取ることが許されなくなれば、誰がどうやって警察の、裁判所の、法律の是非を判断するのでしょう?

あなたが、例えばジャーナリストだったとします。
あなたはある「児童ポルノ」事件に興味を持ちました。あなたは当然、その作品がどのような「ポルノ」なのか、何が悪いと判断されたかを知る必要があります。しかし、その作品を手に入れれば、あなたは犯罪者です。誰かに見せてもらう?持っている人間とは、つまり犯罪者です。それだけのリスクを負ってくれる、協力者を捜さねばなりません。

このように、権力が国民から監視されるからこそ権力たり得る(=国民の気にくわなかったら失脚してしまうから)と言う民主主義の原則が、単純所持・取得規制によって、ないがしろにされてしまうのです。



なお、良く麻薬が引き合いに出されますが、麻薬がどのような効果をもたらすかは科学的に証明されており、その根拠となる論文等も自由に参照できます。表現の規制とは、全く意味合いが異なります。


とりあえず、論点としてはこのような物があり、これらは規制が通ってしまった後、規制撤廃を目指して戦い続ける際に役に立つかと思います。
勿論、もっと形而上的な憲法論からおこす手段もあるのですが、それは裁判になった時に憲法学の先生に証言してもらう、と言うような所でしか使い道がないでしょうから割愛。


とりあえずは、総選挙まで民主党が妥協しないで引き延ばしてくれることが、目下一番重要なポイントですが……



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