2010年04月01日

あさの克彦議員による資料募集 表現の自由と都条例

民主党都議会議員、あさの克彦氏のページに、とても対処とコメントに困る記事がアップされています。


青少年健全育成条例改正案について


内容としては、賛否の意見に説得力を持たせるために、

賛成派からは、
>現在の条例では規制の対象外となっているがあまりに表現のきついもの


反対派からは、
>性的表現が刺激的で規制される恐れがあり、かつ内容は素晴らしいと思えるもの


を募集する、と言うものです。

言い換えると、反対派に対して、「規制を行った場合の損害を論証して下さい」と言っているわけです。(賛成派については後述)

考えていらっしゃる事は、とても良く解ります。また、中立的な立場で条例を判断したい、と言う真摯さを疑うつもりはありません。
しかし、この方法は、表現の自由に対して余りに過酷なハードルを設定し、その精神をないがしろにしていると思います。


先に要点だけ書いておきましょう。
「この資料提示合戦は、平等ではない。また、表現の自由に対する規制の判定方法としては不適切」


まず、大前提として、「内容が素晴らしい」かどうかを判断するのは、議会でも行政でも、それどころか受けて一人一人以外の誰でもありません。
なぜなら、どんなに多くの人間が「素晴らしい」と思っていても、波長の合わない人間にとって、作品はちり紙程度の価値しかないからです。


具体例を挙げましょう。
どんなにストーリーが素晴らしく、心理描写が秀で、芸術的に高く評価されているからと言って、露骨なホモセクシュアルの性交シーンのある作品を読もうとする人間は、多くありません。
むしろ、「素晴らしいから」などと無理矢理見せられた日には、相手との関係を見直す必要が出てくるでしょう。

あるいは、どんなに音楽的に素晴らしいからと言って、キリスト教の賛美歌をイスラム教徒に無理矢理聴かせるのは、拷問か人権侵害です。

エロ漫画でも18禁ゲームでも、高い作品性をもったものはいくらでもあります。しかし、そういった物を好きではない、言わば「一般人」に見せても、返ってくるのは反発だけです。私だって、好きではないジャンルの作品など、見たくもありません。


以上の論を一般化すれば、こう言う事になります。
「特定の集団に向けた作品で、”普通の人間”に『素晴らしい』と思われるような作品など、まずない」


ですから、あさの議員の所に、賛成派の立場から資料を送るのは容易です。「ひどい」ものは、いくらでも集まるでしょう。
ホモセクシュアルでない人間にとって、ホモ雑誌がグロ画像でしかないように、ロリコン漫画や、あるいはそう言った表現を含むギャグマンガですら(副知事がテレビ番組で振り回していた物のように)「好きでない」人間にとっては、積極的に規制すべきと感じる物は巷に溢れています。

一方、反対派から寄せられる「素晴らしい」作品は、議員さん達には「ひどい」と思われる物が大部分のはずです。
何故なら、「過激」だろうと「作品として素晴らし」かろうと、どちらも結局はマイノリティ向けであり、大多数からは眉をひそめられる物に他ならないからです。

そう、マイノリティです。
ロリコン漫画を好む人間は少数派です。
BL作品を好む人間は女性の極一部と、男性の更に極一部に過ぎません。
今回やり玉に挙がっている少女漫画ですら、「小学校高学年から高校生程度の女子」と言う、絶対的な少数派がターゲットです。ターゲットに有権者が入っていない分、上二つよりもひどいかもしれません。


ある特定分野の表現の規制は、その表現を好む物以外に被害がありません。しかし、それでは結局全ての表現が権力の規制に晒される危険があるため、具体的な被害がない限りは規制できない。これが、表現の自由の大原則です。

従って、「ひどいもの」が示されれば規制を正当化しうると言うロジックは、原則を踏み外しています。募集するのであれば、「ひどいもの」が野放しになる事によって出現する損害の事例、であるべきではないのでしょうか?


こう言う事を言うのは心苦しいのですが、「有害」の証明がされていないにも関わらず、「規制した場合の損害を示せ」と言うような方法は、順番が違うのではないでしょうか?専門用語で言えば、挙証責任の転嫁ではないですか?

あさの議員の試みは、つまるところ少数派に向かって「君達を差別したら、社会にどんな損害があるの?」と言い放つのと同じうようにも見えてしまうのです。

勿論、この段階で全市民的・国民的損害や損失を簡単に提示できるなら、それに越した事はありません。(まあ、そんな条例が出てくるとしたら、それこそ大問題でしょうが)しかし表現の自由の難しい所は、短期的には損害が顕在化しない所にあるわけで。

「君の意見には絶対に反対だが、それを言う権利は命がけで守ろう」と言うヴォルテールの言葉は、表現の自由にそのまま当てはまります。
目を背けたくなるようなグロテスクな図像、偏見を剥き出しにした文章、背筋の凍るような陰惨な物語…… それらは等しく好んで消費する受け手がおり、他人の権利を侵害しない限り、最高の文学作品と同じ価値を持ちます。
そして、そう言った「他人の権利を侵害しないため」の規制の枠組みは、既に過剰なほど整っているのですから。


慎重で中立であろうとする姿勢は素晴らしいと思うのですが、まず「今回の規制を行わねばならない理由」を、賛成派には問うべきではないのでしょうか?
現行法では規制できない過激な表現を募集していらっしゃいますが、そもそもそれらの表現が悪影響を持つと言う根拠が全く示されていなかったという点が、論点の一つだったと言う事を忘れないで頂きたいです。


繰り返しますが、表現というものは、そもそも本来のターゲット以外には不快で無価値と考えられるものです。
証拠もないのに逮捕してから、弁護の機会を与えるのは、フェアーな方法とは言えないのではないでしょうか。


今更言うまでもない事ですが、日本は性犯罪が非常に少ない国です。統計方式の差や暗数について言われる事もありますが、実際は暗数の多さを勘案しても、圧倒的に被害が少ないのです。

こう言う調査こう言う調査が言及される事もありますが、サンプルが少ない上他国との比較がなく、ランダムサンプリングですら無かったりと、参考以上にはならない物ですし。と言うか、何故一回しか調査してないんでしょうか?社会学科の学生が、卒論を一月ででっち上げるためにやる類の、いい加減な調査にしか見えません)

あさの議員が、手元に集まった資料を前に、「やはりこんなひどいものは規制せねばならない」「規制によって失われる『素晴らしい作品』などほとんどない」と、結論づけたりしない事を願いたいと思います。


4/3追記
同じような指摘があったためか、いくつかの追加エントリーがアップされています。
http://asano-k.net/pc/modules/weblogD3/details.php?blog_id=36
慎重な立場で、どうすればいいのかを悩んでおられるのが伝わって来る内容です。真摯な姿勢に頭が下がります。

「体感治安」もそうですが、有権者の不安やストレスは、その「原因のような気がする」物に明確な原因が無くとも、政治問題となってしまいます。本当はそうなった時に、政治や行政は「うちの仕事ではありません」と言わねばならないのですが、そうも行かない。そう言う正論を言うだけでは、職を失ってしまう。
そこで思考停止して、(あるいは舌なめずりをして)「ご要望のとおり対処させて頂きます」と言ってしまう機関や人が多い中で、原則を維持しつつ有権者が納得の行くラインを探る人は、本物の政治家として尊敬に値すると思います。



他の表現規制関連エントリーはこちら





同じカテゴリー(社会)の記事
 ふざけないでいただきたい/オリンピック盗用ロゴの擁護について (2015-09-07 23:00)
 色々面倒くさい憲法9条の話 (2013-01-05 20:00)
 あっはっは! (2012-06-27 22:00)
 この国、政治的に詰んだって事ですよね (2012-06-26 22:00)
 著作権が守る物/行政の公開情報を引用して逮捕と言う麗しき世界 (2012-04-17 22:00)
 誰が為の公共性/アレフ施設へのガス供給工事不許可適法判決 (2012-03-15 20:00)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。